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2017年7月

2017年7月10日 (月)

事務連絡 カテゴリー「ピアノ騒音殺人事件」を追加

12回の連載で掲載予定です。皆様のご意見を期待しております。

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

己を第三者の眼で観る

曼荼羅を俯瞰する

 己を客観的に見つめることは難しい。どうしても「私が」が出てしまう。冷静に第三者の眼で、過去の自分、今の自分を凝視し、己の課題と未来のあるべき姿を見つめたい。曼荼羅には過去の自分、今の自分、あるべき姿の佛としての自分が描かれている。自分が四天王の立場になったらと仮定して、己を睨みつけ一喝して考えることである。第三者の眼で上から己を観ると己の弱さが見える。

外国からの視点

 外国に住んで外から見ると、日本がよく分かる。そんな発想があったのかと驚くことが多々ある。いかに狭い視野でモノ見ていたのかと反省させられる。己が広目天・増長天になった思いである。日本語も外国語を学び、外国語の観点で日本語を見直すと、英語がよく理解できる。私もテクニカルライティングの勉強のため、検定試験の受験勉強をし、ミシガン大学の夏季セミナーでも英語を学んだが、そこで学んだのは、日本語には無い論理構成であり、欧米の考え方であった。英語で日本語を考えると、日本語が良く見える。

 天界の四天王なら俯瞰するだけでよい。しかし人間界の我々は、見るだけでは頭で理解できても体得できない。手を動かし足を動かし体で覚える必要がある。私は科学工業英語検定1級(TEP)取得のため、裏紙に模範解答をひたすら模写した。写経と同じである。これで英語のパターンを体で覚え、3度目の挑戦で47歳にして1級に合格できた。

宗教とは茶ずつの如し

 宗教もキリスト教、イスラム教、仏教を比較し、さらに仏教でも真言宗、法華教、禅宗等を網羅的に学び、俯瞰的に見ると本質が見えてくる。宗教の本質は同じである。茶筒を宗教に例えると、縦に切ると長方形でキリスト教、横に切れば円形で仏教、斜めだと楕円形でイスラム教となると思うと合点がいく。教祖様の見方が違うだけである。人間が勝手に切り口と見方を変えている。

 地球を宇宙から見た宇宙飛行士の多くが神を信ずるようになるという。真っ黒な宇宙にポッカリと浮かぶ青い地球を見て、地球の美しさと尊厳さを感じ、その存在の神秘さに感じいるという。それは宗教に近い心境である。地球の外から眺めて、初めて出てくる発想である。自分も小宇宙という存在である。60兆個の細胞を持ち、魂が支配する己はその魂も変幻無限である。その細胞一つの存在が奇跡である。それが60兆個も存在して、人であること事態が神秘である。その神秘の塊が己の回りを取り囲み人間界を形成している。それを思うと頂いた命の有難さを感じ、その命を全うすべきとの念を強くする。

 

図1 私がTEP受験の為に模範解答を手で写した裏紙の山、約1,500枚余 (1997年)

図2  宇宙に浮かぶ地球  www.jaxa.jp-

 

2017-07-10

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某歯科医院の経営診断

顧客不満足度100%

 ある歯科医院で歯垢取りの処置を受けた(2012年10月4日)。このとき腹立たしい扱いを受けた。顧客の商品に対する不満足は、商品そのもの質の高低ではなく、客として人間扱いされない場合の影響が極めて高い。

 歯垢を取る処置で4本目の歯にかかった時、向こう側の席にいた院長が「〇〇くーん、ちょっと来てくれ~」との声が聞こえ、その男性歯科医は今の処置をおっぽり出し、その院長のところへ飛んでいった。処置中の患者には一言の断りもなく、である。部下の状況を見ずに部下を呼んだ院長も、院内の処置中の患者のことは考えていなかった。その後、女性の歯科医が引き継いで歯垢を取る処置にかかったが、一言の挨拶も説明もなかったし、医師同士での何処まで終わったかの引継ぎの基本的な会話も聞こえなかった。不安になったが、患者の身では成されるがままである。慌てて引き継いだためか、女性の歯科医は男性の歯科医よりも技量が低いのか、いつもより数多くの痛い思いをさせられた。まるで工場のコンベア作業のようで、患者は養鶏所で金を産む鶏扱いだと感じた。黙って帰宅したが、今は思い出すたびに怒りがこみ上げてくる。

ボディータッチの意味

 この院長は親近感を出すつもりで、馴れ馴れしく患者の肩をたたくことが多い。その行為が、患者の心境を酷く害して不快感を与えている。この行為は、自分が偉く、相手より上位であると誇示する時のボディーランゲージである。常識的に目上の人にはボディータッチなどしない。患者と医師の関係は、上下関係かもしれないが、その前に長幼の序という社会の掟がある。はるかに年下の人間から、そんなボディータッチを受けると、侮辱されたような感情がわきあがってきて不愉快極まりない。

 社長がどんな偉いことを言っても、部下は正直で、上司の背中を見てまねをする。親が言っても子供は言う事を聞かないが、親のやっていることをまねる。そのせいか、この医院の若い歯科医もはるかに年長者の患者の肩を叩いて、親近感を出すジェスチャーをして患者の心象を害している。悪いことに院長も部下も、患者が心象を害していることに全く気づいていない。私は還暦を過ぎた歳で、今までで、医者はおろか上司からもボディータッチされた記憶はない。そのせいか、院長は丁寧な言葉遣いではあるが、私の耳には慇懃無礼な印象を与えた。本人は意識しなくても、いくら隠しても、深層心理学上では、言動に本心が表れる。

院長写真の悪印象

 この歯科医院案内書、新聞チラシに掲載された院長の写真も異様である。腕を組んで斜めに構えてこちらを見据えている姿と異様な口の開き方である。腕を組む姿勢のボディーランゲージの意味は、相手への「拒否」である。湾岸戦争の時(1990年)、フセイン大統領が、捕虜の英国少年に自国の「慈愛に満ちた」活動のPRのため、話をする姿を放映したが、少年はフセイン大統領に対して腕組をして、黙って拒否反応を示した。さすが大英帝国の末裔の少年だと全世界のマスコミが、ボディーランゲージの意味を解説して賞賛した。

 写真の斜めにこちらを見据えている視線も異様である。私も会社案内書、会社決算報告書での社長の写真等で千枚枚以上のトップの写真を見てきたが、こんな視線のトップの写真は見たことがない。顎を少し上げ、見下したような視線が哀しい。姿勢もふんぞりかえっているような印象を受ける。口の開き方も、どんなメッセージがあるかは不明であるが、少なくとも笑みの口の開き方ではない。口の両サイドが下がり、幾分下に反り返った口の形が、相手に不快感を与えている。普通の笑顔では口の両端が上がっている。その写真は、見る相手に「拒否」の姿勢でふんぞり返って、斜め上から視線である。患者に何を伝えたいのか、疑問を与える写真である。

 新聞のチラシにもこの写真が使われていたが、全体印象が異様である。さらに、その用紙がパチンコ店の広告より質の悪い紙で、極めて低俗な安っぽい印象を与えている。提供する紙の質も、大きなメッセージである。その前提として、歯科医院の広告を新聞チラシで行うこと自体、疑問を感じる。医療は特売するような商品ではない。そんなに儲けたいのか。

院長名刺の特異性

 院長の名刺も異様なデザインである。会社生活38年で5,000枚の名刺を交換して、大部分を保存している。現在、名刺のテクニカルライティング的な研究中で、名刺占いの本を出版する予定をしているが、こんな異様なデザインに出会ったのは初めてである。テクニカルライティングの専門家として、名刺と会社案内書を見れば、「会社と社長の人格が分かる」が私の主張である。なにせ社長の名刺はその会社の顔である。

 三河の某駅の近くに、患者の血を吸って儲けたと噂される赤レンガの病院がある。実際にそこで診察を受けて、金儲けとしか思えない過剰治療を体験した。悪い噂に納得し、すぐに別の病院に転院した。レンガ色の名刺を見て、それを思い出した。医師には医師のイメージがある。ラテン語のペルソナとは仮面のことで、社会では全員が仮面を被って人生劇場を演じている。そこからパーソナリティという言葉が生まれた。人はその仮面のもつ意味を信じて人間関係を築いている。医師の仮面のイメージカラーは白衣の白である。そのイメージに合っていない名刺デザインである。

 

図1 他人を動かす

 

2017-07-10

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2017年7月 9日 (日)

耳を無くした佛は多聞天に出世できない

暴力メールの来襲

 ある経営者仲間から一方的に届く広報メールに煩わしさを覚えていた。この広報メールの冒頭に社長の一文がある。文面の表現は勇ましいが、打ち上げる花火のような空しさと謙虚さの欠如に嫌気が差した。メールで事務局宛に、「読むのが苦痛です。苛立ちも覚えます」と配信中止の依頼をした。自分の体の管理も疎かな人の大言壮語の戯言は読みたくも無い。多くの偉人の言葉を引用して激を飛ばしても、自分の言葉になっていないので空しい。まず感謝の心が伝わってこない。これでは社長メッセージを読むのが苦痛である。HPやブログと違い、広報メールは来れば読まねばならぬ。無為なメールは顧客の時間を奪う暴力である。(2015年1月20日)

現代の裸の王様イソップ物語

 それで、何か反応があるかなと内心期待をしていたら、全くの無反応で拍子抜けをした。社長の名刺には「いかなるクレームも社長の自宅に電話」とある。わざわざクレームの電話を社長にするなどは、電話する方が気苦労である。電話をする方だって、1秒1円のコストがかかっている。アホな社長に電話をするくらいなら、己の顧客の面倒を見る方がもっと大事である。上記の「社長の自宅に電話」こそが傲慢そのもの姿勢である。下々が己のために時間を割いて会社を良くしてくれる情報を上げてくれると思うのは驕りである。その驕りが社長の名刺に表れている。本来、声なき顧客の声を聴くのが広報の事務局である。広報の事務局は社長にこの件を報告しなかった。広報メールの受け取り拒否は、顧客からのクレームである。それを社長に報告しなかった事実は、社長が裸の王様になったことを示す。事務局は社長に言っても仕方がないと、社長の耳に入れるお役目を放棄した。事務局は高野山の中門に相当する。中門に立つ四天王として一翼を担う多聞天のお役目は、会社で言えば広報事務局、国で言えばCIAである。顧客からの声が届かないのは、知らぬは社長ばかりなりの裸の王様イソップ物語である。(2015年2月4日)

経営如来を目指して

 耳を無くした佛は、多聞天にはなれない。まず多聞天に出世しなければ、経営如来には昇格できない。多聞天とは佛界のCIA長官である。八百万の神が下す経営会議の決議が、己の病気である。それが大企業病の初期症状である。たった一通のメールの対応で、会社の経営診断が可能である。返事が無いという情報も、会社経営分析のためのデータである。情報の氾濫する現代社会の中で、情報なき情報を聴き、声を観るのが大事な第三の目である。己という60兆個の組織に向けられる声なき声を聴こう。身の回りの佛は、己の良きも悪きもお手本として人生劇場を演じてくれる。良き人生経営であるために心して観察しよう。人は山には躓かない。蟻塚につまずく。大言壮語する人が怪我をする。まず足元を固めることである。前のめりで焦っていては、声なき声も聴こえまい。現在も状況は変わっていない。相変わらず、無為なメールが届く。この会社にはブレーキがない。(2017年7月9日)

毘沙門天とは

 毘沙門天とは、別名「多聞天」とも呼ばれる。多聞天の名前の由来は、日に何度も法を聞くことから名付けられている。「法」とは「三水」の「水」が「去る」と書く。水が上から下に流れるのは、何時でも何処でも誰にでも当てはまる法則である。その行為がその自然界の法則に合っているか、それを自問すれば、時間節約の答えは自ずと見える。法に反した行いは経営損失の最たるの。人生の「法」程式を覚えよう。人生の受験勉強には、法程式を記憶するに限る。

多聞天を支えるもの

 毘沙門天の足元にいる邪鬼界の阿恵と吽形は、悪さの限りをしていたのだが、「そんな悪さをしていて、お前の3000万年後の人生(鬼生?)はどうなるのか。上の界(人間界)に生まれ変わりたくはないのか。今のままでは畜生界か地獄界へ落ちるしかないではないか」と仏のお諭しとお導きで改心して仏心を得た姿を象徴している。その姿の現れとして、毘沙門天の足元で、阿恵と吽形が足場として支えている。毘沙門天は本来、岩に上に鎮座されているものだが、阿恵と吽形が自分の背中を差し出して、毘沙門天に足場を提供している。

 毘沙門天を支えるこの群青と赤の阿恵と吽形は陰陽の世界も象徴している。どんなものでも裏と表、プラス・マイナス、良い点、悪い点があることの象徴でもある。目の前に現れる事象には、いい面も悪い面もあり、それを総合判断して法により判断しろとのメッセージでもある。人生の経営者にはそれを見極める能力が求められる。そのためには、法を学ばねばならない。

事象を総合判断してこそ経営者

 六界とは、天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界である。どんな人生でも、この六界がある。パチンコの人生でも、チンジャラと玉が出まくるのが天上界、玉が出んぞ!とパチンコ台のガラスを叩いて叫ぶのが修羅界、全てスッテしまってとぼとぼと家路につくのが畜生界、それが原因で家で恐妻と大喧嘩をするのが地獄界である。人の一生でも同じように、六界が入れ替わり立ち代わり表れる。大学に合格すれば天国で、左遷されれば地獄界である。地獄界でじっと修行をすれば天上界への道が拓ける。社長は、社員のために地獄界を天上界に変える責任がある。己が自分株式会社の経営者として、今の地獄界どう変えるかが問われる。そういう状況で、社長の貴方はどう戦ったのか? 社長には、やったことだけでなく、やらなかったことにも責任が問われる。

 

2017-07-09

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2017年7月 8日 (土)

「病気と闘う」とは佛様に対する暴言

病気になった真因

 病気になった原因は己にある。佛様は己の体を慈しみ、最高の結果として病気を授けたのだ。日頃、適量以上に食べ過ぎれば、爬虫類の脳は、この40億年間の飢餓状態に思いを馳せ、餓死を防ぐために己のお腹に脂肪をせっせと溜めるため本能を働かせる。食べ物が豊富にあるのは、有史以来でこの数十年間にしか過ぎない。それまではずっと飢餓状態であった。食べ過ぎれば太り、結果として高血圧、糖尿病になるのは、生理学的に最高の結果である。食べ過ぎて痩せるならば、自然界の「理」に合わず、仏さまが悩んで鬱病になってしまう。

ガン発病の真因

 ガンとはストレスや食べ物が原因の腫瘍で、種の保存の本能で悪いものを一箇所に集めて全体に拡散させないために起こる結果である。そこを手術で除去すれば当然、集める場所を新たに作ることになる。それがガンの転移である。ガンになった原因を除去しない限り、ガンは無くならない。父は2001年に胃癌と診断され、胃の全摘をすれば完治するとの医師の言葉を信じて、胃全摘手術を受けた。その後、肝臓に癌が転移をして胃の全摘手術後の1年後に世を去った。医師を信じて胃の全摘手術を承諾した己の愚かさにはを今も慙愧にかられる。その真因を加工食品やマーガリンの不適な食材だと推定している。

高血圧の真因

 高血圧も血管の硬化や血管内部にプラークが堆積したため、血圧を高めないと毛細血管の細部まで血が行き届かないので、血圧を上げて生命の維持を図っているに過ぎない。それを佛の働きという。病気と闘うのではなく、頂いた病気を佛様からの啓示と受け止め、病気と共存して生活習慣を正す。それが病気という赤信号で報せてくれた佛様へのご恩返しである。その警告を無視して、降圧剤を飲み、対処療法だけで済ませて、生活全般の悪習を改めないから、血の巡りが悪くなり認知症になる。血液の大事な免疫酵素が隅々まで運ばれないので、ガン等の病気になりやすくなる。母は肥満・高血圧に起因する脳内出血・脳梗塞が原因のため69歳で世を去った。要は運動をせず食べ過ぎである。

私の大腸ポリープの真因

 私は2009年の体調不良で、病院の門を叩いて診察を受けたご縁で大腸ポリープが見つかった。大腸ポリープが体調不良の原因ではなかったが、病院の門を叩いての成果であった。すぐに内視鏡で切除手術を受けて完治はした。その時、5つの小さいポリープが出来ていたが、病理検査の結果、4つはシロであったが、一つが5段階の第3レベルの癌かもしれないというグレーゾーンの判定であった。それでビビッてしまった。病院は「あなたはポリープができやすい体質なので、毎年、内視鏡検査を受けなさい」という指示であった。大慌てで本を読み漁り、その対策を打った。自分で調べて納得したこの真因は、便秘、野菜摂取の少なさ、肉類・揚げ物等の食べ過ぎ、体の冷やしすぎであった。それで、毎日水分1.5リットルの補給、お風呂に10分間入るなどの生活習慣を改め、食事を改善して対応した。その結果、8年経った現在は健康で、内視鏡検査を毎年など受けないで済んでいる。元を絶たなきゃダメですよ。対処療法は一時しのぎである。

種族保存のしかけ

 人間は他の命を奪うことで生きている。太るとは食べ過ぎであり、他の命を必要以上に殺めているという佛の警告である。自然界の共生に反する行動であり、罰が当たった結果が病気である。例えば、種の保存の防衛手段として、卵には食べ過ぎると毒になる成分が含まれている。その毒が痛風を発症させる。だからタラコや明太子、キャビアの食べ過ぎは危険である。卵だってそうしないと、食べ尽くされて種族滅亡に追い込まれる。卵さんも必死なのです。卵さんの身になって考えよう。美味しいものには毒があるは、真理です。

入れるより出すことが大事

 食べ過ぎて出すことをきちんとしないから、老廃物が体内に蓄積して病気なる。入れるより出すことが大事なのだ。頭に血のめぐりを良くさせないから、認知症、うつになる。金を貯めるだけで出さないから、日本の景気が良くならず、子孫の醜い相続争いが起こる。経済の病気である。人間の体もお国の経済も同じ原理である。ご縁の恵みを回さず、不義理をするから、不運という病気になる。悪縁を排除しないから、同類の悪縁が寄ってくる。全て自分の責任である。不運の御祓いを神仏に願ってもお門違いである。病気、事故、不運は全て神仏からの啓示である。悪い生活習慣を変えず、薬やご祈祷のお札だけの対処療法で治そうとするから、佛様の反撃を食らう。仏さまだって、不節制の人間を病気にしないと、他へのシメシがつかない。仏さまの身になって考えよう。罪ある人間に病気を与えないと仏さま達の役員会で怒られてしまう。

親の最期の教え

 親は死ぬことで、「あんたもいつかは死ぬんだよ。私たちの死にざまをよく考えて、これから生きる糧にしてくれ」と言って最期の教えを示して死んでいった。己はそこから何を学ぶのか? 親と同じ過ちを繰り返すのか? それこそが親不孝である。

医師は治療をするが治せない

 気づいた時点で、改めるべきことを改めれば、佛様のご加護がある。1日早ければ1日早い、病魔・悪縁からの離脱がある。病気とは自分で治すもの。病院は金の儲かる治療はするが、病気は治せない。治すのは本人である。本人が治す気にならないと、病気は治せない。気づいたときが、最高の始める時である。死期が目前でも、一日一生の信念で、一秒でも早く方向転換をすべしだ。人は死ぬ直前まで、魂を成長させるべきである。それが魂を持った人間の勤めだ。そのためにも長寿であるように日頃の生活を心して送るべきだ。

 

2017-07-08

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カテゴリー「経営診断」追加

 今回、新たに「経営診断」というカテゴリーを追加しました。経営コンサルの立場で観察して目に付いたエピソードを掲載します。人生道を走るのも、自分の健康管理も、会社の経営も基本は同じです。

 

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人はなぜ死鬼衆になれるのか 原爆投下

大垣市の被爆地の慰霊碑

 毎朝、散歩の帰路にある大垣市の被爆地の慰霊碑に手を合わす。ここに来ると日本の歴史と現代の状況を感じる。犠牲の方のご冥福を祈り「二度と日本がこんな目に遇わせられないように、我が国力を上げるべく貧者の一灯として精進します」と祈っている。この被爆の慰霊碑は、水門川沿い大垣藩藩校敬教堂跡の孔子像の南側に、ひっそりと建つ。昭和20年7月24日、米軍が広島に原爆を落とす前、原爆投下訓練のため、大垣市の県農業会大安支所に模擬原子爆弾を投下した。建屋は一瞬に吹っ飛び、職員は肉飛び骨散して10名が悲惨な最期を遂げた。その慰霊碑の真横に、母校の大垣北高「発祥地の碑」が建っている。

 投下された模擬原子爆弾は、広島と長崎への原爆投下訓練のため、米軍が作った重量4.5トンの爆弾で、長崎に投下されたプルトニウム原爆と同形で“パンプキン爆弾”である。昭和20年7月20日~8月14日の間、全国各地に約50発が投下され400人以上が犠牲になった。平成3年、愛知県の市民グループが、機密解除された米軍資料からこの事実を発見した。

原爆投下はジェノサイド、戦争犯罪

 原爆は、日本人が白人なら絶対に落とされなかったはずである。国際法上でも原爆投下はジェノサイド(皆殺し)であり、その後ろめたさ故、米国の戦後の支援がある。ジェノサイドを認めたくないため、米国内では下手にこの問題を掘り起こすと旧軍人会からヒステリーじみた感情で袋叩きにされる。1997年、エノラゲイ展を企画したスミソニアン博物館長は、辞任に追い込まれた。その経緯を米国スミソニアン博物館で目にした(1997年夏)。原爆開発は、巨額の政府予算に目が眩んだ拝金主義の鬼子であった。

広島と長崎への原爆投下は「爆発実験」扱い

 原爆の効果を検証するため戦略爆撃から除外されていた広島と長崎に、米軍は二種類の原爆を投下した。ウラン型とプルトニウム型の原爆を比較するためである。米エネルギー省の出版物中では、広島と長崎への原爆投下は「爆発実験」の項に分類されている。この原爆開発の真の目的は、金儲けである。今のグロ-バル経済主義(拝金主義)を生んだ鬼子の親でもある。モルガン、デュポン、GEがこの原爆開発を担当して、ウラン型原爆は先に完成していた。プルトニウム型原爆の完成を待って、2つの原爆を爆発実験として投下した。万全を期すため、訓練として模擬原子爆弾を50発も投下した。戦争を早期に終結する目的だけなら、プルトニウム型原爆の完成を待つ必要もなく、2種類もの原爆の爆発実験をする必要もなく、50発の投下訓練も不要である。当時、日本は戦争続行には資源が枯渇して、遅くとも昭和20年11月には降伏することが明白であり、それは日米両政府の周知の事実であった。原爆投下に反対であったルーズベルト大統領は、巨悪の都合に合わせるが如く、直前に愛人宅で怪死した。その死の状況は不自然である。そして後任の操り人形であるトルーマン大統領が、原爆投下の命令を出した。

原爆開発は金儲け

 原爆や原子力関係の商売は儲かる。それは2011年、福島第一原発事故の報道で明らかになった。原爆開発には日本の国家予算の3倍の金が使われた。その金は何所につぎ込まれ、誰が潤ったのか。金に目が眩むと人は死鬼衆になるのか。金儲けのためには、民族抹殺などは厭わないアーリア人のDNA が脈々と続いていた。彼らにとって、非白人は人間ではないと認識し、残虐の限りを尽くしたことは歴史が示している。民族皆殺しなどの業は日本人には無縁の世界であるが、そんな鬼が身近に存在する現実を認識しないと身の破滅である。歴史に学ばない民族は滅ぶ。きれいごとばかりでは殺される。

 スミソニアン航空宇宙博物館にあるFAT MANの説明パネルは、素っ気無い表現である。「My God,it worked. この開発が政府、大学、科学者、民間企業の総合力で遂行され、この開発のために膨大な計算がされ、その必要からコンピュータが開発された。そしてこの原爆はメキシコで実験され、長崎に投下され7万人の犠牲者を出した。第2次世界大戦はこの原爆とコンピュータの2つのブレークスルーを生み出した」(小田泰仙訳)

 コンピュータの開発目的は、原爆開発のためで、死鬼衆を生んだ血糊がついた武器である。テクニカルライティング的にみると、この文章は受動態で書かれ、原爆の責任の所在を曖昧にした書き方である。

図1 被爆の碑と大垣北校発祥の地記念碑、向うに敬教堂跡と孔子像

図2~3 被爆の碑

図4~6 B29エノラ・ゲイ号展(スミソニアン博物館 1997年筆者撮影)

図7 リトルボーイ 広島に投下した原爆

図8 ファトマン 長崎に投下した原爆

 

2017-07-08

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ピアノ騒音殺人事件 4/11

眼で聞き、耳で見る  

 二つの事象が接してこすれると、ミクロ的な現象として破断が起こり、必ず音が出る。これはトライボロジーの世界である。その音を耳からの目で聞くことができるか、心の耳で聞くことができるか、である。問題があれば必ず雑音が発生する。その「音」を心の目で「観る」能力が、人生では必要である。心して観れば心眼が開く。

 「耳」という字の真ん中に、「目」がある。「目」の上下の線が両端に伸びている。それが上の人たちの声、目下の人たちの声を見なさいであり、「目」の下に伸びた線が、自分の心底から聞こえてくるご先祖様の「助言」の声を観なさい、という意味である。「助」とは「目」の「力」と書く

 問題がなければ、スムースな接触で音は観えない。ある決断をして問題が出れば時間ロスも甚だしい。それが自分の体の手術のことなら重大である。私はインプラント手術の検討をした際、その直前段階で多くの不協和音が聴こえて、手術の2時間前にキャンセルした。

「心の耳を澄まし、天のメッセージに聞き入ろう」安岡正篤師

 心の耳を澄ますと、眉間にある心の第三の目が開き、この世の真実が見える。

 

己の後姿は見えない

 己が行っている業が、どれだけ人に迷惑を掛け、恨みを買っているかは、己には見えないし、聞こえもしない。それを教えてくれるのは、耳に痛いことを言う周りの知人である。その知人は仏様の使者である。仏様の使者の啓示を無視してはいけない。それがこの事件の教訓である。私にはこの事件は、仏様が犯人を仏様の使者として、人間界に遣わし鉄槌を与えたとしか思えない。最大の被害者は、殺害された母子よりも、その夫であろう。殺された母子よりも、生きてこの苦しみを持ち続けるのは地獄である。地獄はあの世にはない。この世が地獄であるのを目の当たりにした。それは全て己が生み出したもの。己が犯行の遠因を作ったことを夫は理解していない。夫は「犯人を死刑に」と叫び続けた。それに対して社会では、犯人の助命を嘆願する会が発足する。犯人は控訴もせず死刑を望み、それが40年たっても実現しない。何が仏様のご意思か、この40年間の歴史が証明する。

 この事件が日本の音楽界と社会に与えた衝撃は半端ではない。私も40年間、その呪縛の囚われてしまった。この事件が頭にあり、40年前はピアノからエレクトーンに選択変更し、40年後はピアノを導入するため防音工事と全室内窓付きペア硝子窓の防音リホームまで対策をした。費用も半端ではない。まるで仏様からのお導きである。殺されることを思えば安いもの。私にとって皆さんに音で迷惑を掛けないというのは、宗教の教義みたいなものになっている。

 下図は今回施行した防音壁の構造である。左は標準の防音構造、右は特別版の防音構造である。本当は特別版にしたかったが、部屋の大きさが総合で1畳ほど減ってしまう。また自宅が一軒家で、隣家とも離れていることも考慮して、しぶしぶ標準の防音構造を選択した。それが私の分相応である。

 

図1 防音壁の構造 左図:標準  右図:特別版

 

2017-07-08

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母の思い出  4/4(改定)

車無しの生活

 両親は車の運転はしない。私も寮生活で、その必要性を感ぜず、入社後5年間は車無しの生活を送った。当時の新入社員で車を持っているのは2割程度であったが、5年も過ぎると、ほとんどの仲間が車を持つ。車関係の会社で車を持たないのは肩身が狭かったが、そのお陰で、初任給7万6千円で毎月、4万円の貯金をして、5年目で50坪の土地を現金で買った。土地の狂乱上昇が始まる直前のことである。両親がその土地の上に借家を建てた。それが車を持ってから、貯金が全くできなくなってしまった。とかく車を持つと出費が増える。それを見通していたためか、母は私に車を買うことを私にあまり勧めなかった。これでも生活が成り立ったのは、車産業が成長期の為、多時間残業での手当があったためである。また当時は仕事が趣味であった。土曜日に会社に行く(無償)のは当たりまえの感覚であった。

惠峰師の修行時代

 ほぼ同じ時期、馬場恵峰師は、京都の原田観峰師の元で検定課長として修行をされ、給与7万円であった。窯元を廃業する前は、恵峰先生は窯元の社長として多くの人を使い、社長として20万円以上を稼いでいた。それが給与7万円、残業代無しボーナス無し、深夜勤務はざら、週に1日は徹夜の生活に転落?である。家族に会うために長崎に帰ると3万円が消えるので、おいそれと帰れない。長崎で三根子先生が5人の子供をかかえて書道講師で頑張っていたので、生活がなんとか成り立った。恵峰師は2年ほどを頑張られたが、体を壊して長崎に帰られた。それと比べて、己の恵まれた生活に感謝である。当時はそんなことはさらさら思わず、製造業に比べてはるかに高い銀行員の給与をうらやんでいた。

銀行員が受ける落とし前

 後日談で、その給与の高さには恐ろしい裏があることを、65歳にして知った。ある都市銀行の元支店長の話である。その銀行の支店長だけ構成されるOB会では、その平均寿命は日本人平均より10歳も短い70歳である。つまり命を引き換えに高い給与をもらっていた。50前にして支店長になれなければ、出向である。支店長を辞めても手に職はない。技術職の私は、多くの経験を手にした。今にしてどちらが良かったか、自明である。

クーラなしの生活

 当然、母のいた実家にクーラはない。暑がりの私は、勤務地の自宅にはクーラを設置して贅沢に生活していた。たまに帰って過ごす実家の夏の暑さには、閉口したが、親にクーラを入れろと言う気がしなかった。これも母の無言の教育の賜物のようだ。父も同じ昔気質のせいで、死ぬまで、大垣の実家にクーラを入れることはなかった。

 その父が癌になり死期を医師から知らされたため、父の入院中に、父のいない実家にクーラを導入した(2002年)。葬儀の為、親戚の者が実家に集まった時のためである。父はそのクーラの恩恵を受けることはなかった。

南園堂とのご縁

 後年、そのクーラを、ご縁ができた南圓堂に寄付した。南圓堂は、奈良興福寺の日本で唯一の大垣にある別院である。毎年夏に、奈良興福寺から管主様以下6名の僧侶が来られ、大般若経転読法会が開催される。奈良では興福寺菅主様と接することは難しいが、大垣では、2mの至近距離で読経を聞ける。毎年8月の地蔵盆祭りには、興福寺の副菅主様が読経され、その後、町内の皆さんと一緒に食事をされる。奈良では近づくこさえ難しい方と食事を共にできたのもご縁であった。南圓堂のご本尊は不空羂索観音菩薩である。空振り無しで、迷える衆生を羂索で救う観音様である。迷える衆生である私も救われた。

母の死後の段取り

 母は仏教にはあまり関心がなかったが、葬儀や法要の件のしきたりにはうるさかった。母は10人兄弟の長女として、多くの家族の葬儀を取り仕切ってきた。母は私を親戚の葬儀へ連れて行き、親戚の非常識な振舞いを指摘して、私に人としてのあるべき作法と道を教えた。そんな母は、家を建てたとき、仏壇を置く空間を座敷に作っておいた。母の死後、そこに仏壇を入れた。

佛様のはからい

 それから20年して、松本明慶大佛師とご縁ができ、直々に白檀のご本尊様を彫って頂いた。2015年3月3日(火)、両親の13回忌、23回忌の法事は、私の仕事の都合と、参列する丹後と京都の従兄弟と叔母の都合で決めた。火曜日は大垣市立図書館が休館日であり、一番の決定要因であった。法事の前に、明慶先生に作って頂いた釈迦如来座像の開眼法要を彦根長松院住職にして頂き、仏壇に納めた。その約1ヶ月後、お墓の件で松居石材商店と話している時、松居氏から、その日は井伊直弼公の桜田門の変の法要の日だと言われて驚いた。私はそれに気がつかず、偶然に法事の日を設定した。彦根では3月3日は特別の日として多くの人が知っていて、各寺院では法要が執り行われる。大垣住まいの私は、全く知らなかった。その後の不思議なご縁の連続に、佛様のはからいを感じる。

三種の神器はなしで、在庫はあり過ぎた

 家には、車もカラーテレビもクーラも、3Cと言われた当時の三種の神器がなかった。しかしモノのない時代に育った母は、モノを大切にし、何でもしまい込むたちであった。お蔭でわが実家は大倉庫同然の状態になっていた。まるで何でも溜め込む、子供思いのエイリアン・マザーを彷彿させる。知人に聞いてみると、この世代の親は同じようである。親の世代は、それだけ貧しい時代を潜り抜けてきた。今のモノの溢れる時代とどちらが幸せであるだろうか、考えてしまう。 数十個の紙袋までキチント整理して、ためこんでいた。また100 個近いサランラップやポリバケツ、洗面器等までため込んでいたが、こんなに多く溜めてどうするの・・が息子のぼやきであった。

 大きなショッピングセンターが多くある、商業都市の大垣市では、店間の過当競争が激しい。そのため、客寄せの目玉として、1円の一ℓ醤油や10ケ10円の卵パックなどの広告が新聞のチラシによく載る。母そういう商品は確実に利用していた。父や私もこの買い出しによく付き合わされた。こういう目玉商品はお一人様1ケとなっている場合が多い。2回3回と行列を並んで手に入れるわけである。

母の遺品の後始末

 母の死後、便利屋に頼んで、不用品の整理として軽トラック4台分を家から出した。今は不用品の処分にもお金がかかる。その中で使えたのは、洗剤である。ただし液体洗剤は変質して使えなくなっていたが、洗濯用粉洗剤や固形石鹸は、母の死後20年たってもまだ在庫があり、助かっている。

 タオル・バスタオルに関しては、段ボールで新品が5箱もあったが、東日本大震災で、震災支援品の寄付として事務局経由で被災地に送った。

 困ったのが、カッターシャツの在庫である。当時、デパート等で安売りがあると私のために買い溜めをしていた。私が年に1kgのペースで順調に?肥満の道を突き進んだので、サイズが合わず着れなくなっていた。封も切っていない新品だが、一部変色もあり、処分に困ってそのままにしてある。流石の母も、その点の展望には抜かりがあった。しかし、母の思いはその在庫から伝わってくる。トヨタ生産方式から言って、在庫は罪である。ものない時代は、ため込むのが善である。モノ余りの時代は、在庫は罪である。時代の変遷とともに価値観の変貌を母の在庫から教えられた。

 私の学びは、生きていくための財産は、お金やモノではなく、生きていく(お金を稼ぐ)能力である。どんなに時代や価値観が変わっても、それがあれば生きていける。

 

図2 南圓堂(外観)

図3 南圓堂(内部)   2014年

図4 大般若経転読法会  2014年

図5 地蔵盆法要 読経は興福寺副管主様  2011年

 

2017-07-08

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

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2017年7月 7日 (金)

毒を食らわば……

身体の保全と危機管理

 日本は「農薬大国」で、年間約60万トンもの農薬を生産している。農薬は主に殺菌剤、除草剤、殺虫剤として使われる。これらの中には発がんリスクの高い猛毒を含む。我々は普段の食事で、体に良いと思って食べている野菜や果物と共に、そのような毒物も摂取している恐れがある。日本人の体内脂肪から有機塩素材(農薬)の残留量が世界平均の3倍も検出されたというデータもある。日本の年間約60万トンの農薬を一人当たり年間に換算すると、6kgの農薬を「浴びて」いる。輸入の外国農産物に使われる農薬や防腐剤を含めると、恐ろしい量の「毒」を浴びている。最近の日本人は死んでも腐敗しにくいといわれる。

死学の進歩

 1975年の医師数が約13万人、がん死者数は約13万人だった。その後の40年間で、医師数は約3万人増加し、がんに関する研究や治療は格段に進歩したが、2014年のがん死者数は36万人を越えた。1970年代の日本の総医療費は10兆円だが、2010年代には総医療費は40兆円まで拡大した。がん患者は減るどころか3倍に増えている。

 1950年から2010年までの60年間でみて、平均的に肉の摂取量9.8倍、卵6.3倍、牛乳・乳製品が18.2倍と著増し、米が半分、芋類は10分の1と激減した。つまり、肉・卵・牛乳・バター・マヨネーズなどに代表される「高脂肪」の欧米食が現代日本人のがんの大きな原因の一つであると推定される。その証拠として、以前多かった胃がんや子宮頸がんなどの日本型のがんは減少して、肺、大腸、乳、卵巣、子宮体、前立腺、すい臓、食道がんなどの欧米型のがんが著増している。

 畜産品は、利益最優先で牛、豚、鶏の成長を早める為、成長ホルモンが投入されている。畜舎の中に過密状態で育てるため、伝染病にかからないように、多量の抗生物質が飼料に投入され、無理に飼育されている。そうやって育った肉や乳製品を多く食べれば、病気にもなるのは「理」に合っている。「理」に適わない食品が体に毒になる。それは「宇宙根源の理」に反した食物である。ハムや加工肉を日に50g以上食べ続けると大腸がんになる確率が18%増加するとWHOから報告があった(2016年)。ハムや加工肉は、防腐剤や添加物が多く入っている。そんな肉を長年食べれば、病気になるのが「理」である。

医食同源、毒食病源

 2000年前から漢方医学では「食は生命」としている。贅沢な欧米型の現代食生活を謳歌すると、20年後に病気と言う悪魔のサイクルを頂く。因果応報である。がんという病気を対処療法で治しても、その根本原因である食生活を直さないと病気は治らない。気づいた時には遅いが、遅くても、一日でも早く食生活を正すのが、ご先祖へのご恩返しである。

 

2017-07-07

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