ma_時間創出1001の磨墨智 Feed

2020年10月11日 (日)

赤の女王仮説  磨墨知527.

 

 全力で走っていないと取り残される。回りはそれ以上で動いている。取り残されるとは、仲間を失い、自分の時間を失うこと。それで日本は失われた30年が生まれた。挽回には次元の違う道具の選択が必用だ。

 

孫悟空とアリスの戦い

 「私の国では・・・」と、アリスはあえぎながら言いました。「さっきのように長い時間とても早く走れば、普通は別の場所に行けるんですけど・・・」「何というのろまな国じゃ!」と女王は言いました。「この国ではな、同じ場所にとどまりたいと思えば、力の限り走らなければならないのじゃ。もし別の場所に行きたいのなら、少なくともその2倍の速さで走らねばな」

      (ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』)1865年

 

 我々の技術開発やビジネスの世界は、まるでお釈迦様に力比べを挑んだ孫悟空の物語を再現しているのかと、『鏡の国のアリス』の引用を読んで思い浮かべた。お釈迦様の掌の外が世界標準で、掌の上が自分たちの世界なのだ。どこにベンチマークを置くかで、世界観が変わる。全力で走っていても(走っているつもりでも)、周りが見えないと所詮は、お釈迦様の掌の上で走り回っている猿と同じである。「開発が出来た、出来た」と、開発部方針書の成果反省欄に書いても、それは雲の中に立つ5本の柱(お釈迦様の指)に、孫悟空が「我ここまで来たり」と自慢げに書き付ける行為と同じである。完成したと思った時、時間は止まり、周りから置いていかれる。

 

大垣版「浦島太郎物語」

 小川敏は、大垣駅前商店街の活性化のため、大垣駅前に大金をかけて「カメの池」を建設しても、それは「死の亀の池」になって、人が寄り付かない。まるで孫悟空のつもりの小川敏が「我ここまで来たり」と自慢げに宣伝しているようだ。

 50年前の浦島太郎に扮して、カビの生えた思想の小川敏が、死んだカメの背中に乗って登場である。そんな考えだから、大垣駅前再開発の玉手箱の蓋を開ければ、寂れ果てた大垣駅前通りが煙となって出現である。小川敏は駅前の超一等地を消滅させた。

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アリスの警告

 グローバル経済主義社会では、全力で走ってやっと現状維持である。50年前の古びた知識で勝負しては負ける。智恵を出さないから負ける。それを150年も前に、『鏡の国のアリス』が寓意で警告している。

 

日本と大垣の失敗

 アベノミクスでも、小手先の経済政策だけで、本質の対策をしなかったので失われた30年を挽回できなかった。米国の成長率は3%、欧州は2%、日本はたった1%である。経済の現実が正しいのだ。

 大垣ではその成長率がマイナス1%である。大垣市政も、「大垣市中心市街地活性化計画」、「死の亀の池設置」、「元気ハツラツ市行事」や「大垣未来ビジョン」で同じ過ちをしている。その結果が、小川敏の無為無策無能政策で大垣の19年間の連続の没落である。

 

お釈迦様に恥じない選択を

 日本や大垣市という閉じた世界で天狗になっていても、グローバル経済主義社会の波に洗われると、天狗の鼻はどん底に突き落とされる。昔はよかったなどは、負け犬の遠吠えである。世界の価値観が変わって、競争するための道具が変わったのだ。それに日本と大垣は気が付かず、30年の失われた期間が生じた。今回の新型コロナ危機は、「それを見直せ、何かを変えよ」とお釈迦様は警告する。お釈迦様は親切なのだ。間違っていれば、それを教えて下さる。

 新しい世界では、そこで通用する新しい札束を得ないと飯が食えない。世界は新しい円札を求めている。それを旧円の札束を出しても受け取ってもらえない。それは、封建社会、士農工商、学歴社会、上位下達、滅私ご奉公、多時間労働、男尊女卑、重厚長大ではない。

 

発想の転換を

 日本は、新幹線で世界最速の時速320キロ走って優位に競争しているつもりが、競争相手は次元の違い世界で勝負をかけている。光ファイバー網で情報をやり取りして、光の速度で競争している。それでは日本が勝てるわけがない。古い考えでエンジンの出力を倍にしてもダメなのだ。発想を変えて、道具を変えないと勝てない。

 

日本の未来、中国の未来

 不況とは、好況と好況の間にある1~2年間の調整期間である。10年も20年も続く失われた30年を不況とは言わない。昔は考えなくても、作れば売れたのだ。しかし今は、人並みにやっていれば、漸減である。要は、時代が変わった。世界を相手に競争する道具が変わったのだ。それに頭の古い為政者は理解できない。だから古い考えの為政者は速やかに退場すべきだ。

 下記は、私が2005年に新入社員教育で使った資料である。そのヒントは、リコーさんの業務改革プレゼン資料である。前職の中国の現地法人の新入社員にも英語と日本語のチャンポンで、テレビ会議方式で講義をした。

 

末路

 それから15年後の想定外の結果は、中国が日米の技術を盗用、ウイグル族を使って奴隷労働、それを使って激安製品の輸出、ウイグル族から臓器摘出でカネ儲け、軍事拡大、高利貸しのような「一路一体」政策、等の想定外の方法で経済成長したこと。お釈迦様もそこまでは見通せなかった。それは人間のやることではないからだ。

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 技術教育資料「IT時代のナレッジと自己研鑽」(2005年)

 

2020-10-11 久志能幾研究所通信 1782 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月10日 (土)

朝令暮改、朝令昼改をしよう  磨墨知523.

 

 間違いに気づいたらすぐ直そう。晩まで待たずに、お昼にも改めよう。一分早ければ、1分早く目的に到達する。見栄が時間を無駄にする。やってみてダメなら直せばよい。間違いはどんどんやればよい。間違いは罪ではない。間違いを直さないのが罪なのだ。やってみないと、間違いにも気がつかない。

 私には見栄も外聞もないから、間違っていると感じたら、直ぐ軌道修正である。間違いこそ、経験知の財産なのだ。私の蔵は、失敗の事例が山となっている。それが私の財産である。

 

50年前の記憶力試験だけでエリートになった輩

 日本経済が停滞しているのは、頭がいいと自惚れている知識偏重のお役人や将軍様が支配しているからだ。エリートは保身主義で、日本経済を立て直すのに、何が必要か、過去を捨てて軌道修正する覚悟がないのだ。間違ったと思っても、見栄でその間違いを修正できず、そのまま突っ走るからだ。それで益々泥沼に堕ちていく。旧日本軍の作戦がそれだった。万歳突撃で多くの命が失われた。

 現代はその同じ過ちを大垣市長の小川敏がピエロを演じて、実証している。小川敏の19年間の無為無策無能政治で大垣駅間商店街の80%がシャッターを下ろし、その従業員の8,000人が仕事を失った。行政でPDCAを回さず、独善独裁政治を続けたので、大垣市の公示地価は19年間、下落し続けている。

 

大嘘の「大垣は住みやすさ27位」

 だから大垣駅近辺の住民は買い物難民になって路頭に迷っている。高齢者は、大垣駅を超えて、その北側にある大規模小売店アピタに行くのが大変なのだ。大垣駅周辺の高齢者には、大垣は住みにくさは天下一である。

 大嘘の東洋経済誌の「大垣は住みやすさ27位」の記事である。その記事を書いた東洋経済新報社を私は信用していない。その評価は、評価基準の項目を操作すれば、どうにでもなる順位である。そもそも、その評価項目に住民の命を守る体制の評価、危機管理、水害への防災、市長の独裁政治、民主主義の程度、税金の高低の評価項目がないのだ。

 

2020-10-10 久志能幾研究所通信 1780  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年10月 1日 (木)

時間とは何か  磨墨知590-2

 

 人生は言葉の定義で生き様が変わる。言葉をどのように解釈して行動に移すのか、それによって人生の歩き方が変わる。解釈の仕方は国や民族の人生観そのものである。人生をつまらないものと定義すれば、つまらない人生を送る。価値あるものと定義すれば、価値を作るための生き方をする。

 それ故、時間を「量」と捉えるか、「命」と捉えるかでは、生き様に大きな差が出るはずである。

 辞書での解説とは、辞書の各編集者の解釈にすぎない。解釈が同じでないことは下記の辞書例を見れば一目瞭然である。辞書は、あくまで個人的見解である。自分の人生を創る為に、自分で時間を定義しよう。

 ODA佛教の辞書では「時間とは与えられた命である」。

 

リース物件

 その命は、必ず死ぬことが確定のリース物件である。それも仏様から授かったリース物件である。そのリース期間中に、どけだけ自分の命を輝かせられるかを問われる。リース物件だから期限が来れば、仏様に返さねばならぬ。リース満期前でも、使い方が間違っていると、仏様から強制的に没収される。

 

生存的地盤か生命的地盤のどちらで生きる?

 人は生存的地盤で生きると、単なる我欲だけで生きることである。己が死ぬことを考えず物欲、金欲、権利欲に執着して生活し、何時までもそれが続くと思ってしまう。金を持てば更に金が欲しくなる生活となる。権力の座に就けば、何時までもその座を離さない。まるで大垣市の小川敏のような存在である。

 それを生命的地盤で生きると覚悟すると、命は生と死を含めた存在であることを意識して生きる。己も何時かは死ぬ身であることを意識して生きる。だからこそ生命体として己の命を輝かせて生きることが出来る。

 

真のおとなになる

 道元禅師『正法眼蔵』に曰く「諸仏は大人なり」。仏教で佛になるとは、大人(だいにん)になるの意味である。小人(しょうにん・ガキ・こども)で生まれて、修行をして、本当に意味の「大人」になる事を、佛になるという。今の世は、あまりに大人になっていない未熟児が多すぎる。それは佛(真のおとな)になる修行をせず、生存的地盤だけで生きるからだ。

 今の日本社会が停滞している原因は、西洋の個人主義、利己主義、拝金主義、刹那主義、欲望主義に侵されたためである。だからこそ、命が生死を含む存在であることを認識して生きることだ。

 

命の寿命

 どんなモノにも命がある。モノにも命があり、職位にも命がある。大統領、市長なら4年、社長なら2年である。その職位の命が尽きるまでに、その使命をどれだけ全うできるかが問われる。頑張って成果を上げれば、2期目もあるかもしれない。その覚悟がないと、無為無策の任期を務めることになる。

 モノも大事に使えば、その寿命を全うして、自分の道具として一生使える。私は高いモノを大事に長く使っている。

 人間の命のリース期間は、平均で80年である。そのリース期間中で、自分の体を大事に使って、与えられた使命をどれだけ果たすかである。

 幸いなことに、リース物件の己の体を大事に使えば、そのリース期間延長は仏様からご褒美で授けられる。だから死んでもいいから(?)、健康管理が必要なのだ。天才ではない凡人の我々は、長生きすることだ。

 

各辞書での「時間」の定義

 0 時間とは与えられた命である。(ODA佛教の辞書) 

 だから時間にも死がある。時間とは、あくまで自分の命の刻みである。一刻一刻、命は尽きていく。それに対して、他人の時間は止まっている。それを早退性原理(相対性原理?)という。己は皆に見送られ「早退」して、あの世に逝くのだ。だから、その前にやるべき使命を果たすべく、定時(寿命)まではこの世に留まるように精進すべきだ。

1 A continuous measurable quantity forum the past, through the present, and into the furture (Longman)

 過去から現在を通して未来に向って連続的に数えられる量

2 What is measured in minutes, hours, days, etc. (Oxford Adbanced Learner’s Dictionary)

  分、時、日等で測定できるもの 

3 the quantity that you measure using a clock (Macmillan Egnilish Dictionary)

  時計を使って計測する量

4 the part of existence which is measured in seconds, minutes, hours, weeks, months, years, etc. (Cambridge Adavanced Learner’s Dictionary)

  秒、分、時、週、月等で計測される存在の一部

5 a quality that goes on and on without end, separating things that happened before from those that will happen. (The Lincolm Writing Dictionary)

   起こってしまった事象を起こるであろう事象を分離する終りなき継続する品質

6 the past, present, and future; every moment that has ever been or ever will be (Webster’s New World Children’s Dictionary)       

 過去、現在、未来;  継続するか継続するであろう各瞬

 7 The past, present, and future measured in seconds, minutes, hours, and so on.(Scholastic Children’s Dictionary)      

 秒、分、時、等で計測される過去、現在、未   

8 Indefinite, unlimited duration in which things are considered as happening in the past, present, or future; every moment there has ever been or ever will be. (Webster’s New World Dictionary)           

9 A nonspatial contimuum in which events occur in apparently errebersible succession form the past through the present to the future.(The American Heritage Dictionary)

10 System of distinguishing events; a dimension the enables two identical events occurring at the same point in space tobi disitinguished, measured by the intervalbetween the events. (Encarta World English Dictionary)

11 A period during which something(as an action, process, or condition) exists or continues; an interval comprising a limited and continuous action, condition, or state of being; measured or measurable duration. (Webster Third International Dictionary)

12  A rasional system in which events, following from one to another, can be measured; the passing of minutes, hours, days, or years (Randoum House Webster’s Intermediate English Dictionary)     

13 A certain point in the day or night, that you say in hours and minutes/ all the seconds, minutes, hours, days, weeks, months and yeaes. (Oxford Elementary Learner’s Dictionary)

14 Time is what we measure in minute, hours, days, and years. You use time to ask or talk about a specific point in the day, which can be stated in hours and minutes and is shown on clocks. (Collins COBUILD New Student’s Dictionary) 

15 The passing of hours, days, years,etc. measured by clocks./ the passing of time/yeas,/ the process of time/ the years happnening and becoming past of the past. (Larousse English Dictionary(france))

2020-10-01 久志能幾研究所通信 1769  小田泰仙

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2020年9月29日 (火)

相手がどう思うか  磨墨知257-1

 

 自分の時間は何物にも代えがたいお宝だが、相手の時間の同じようにお宝である。だから何か行動をする場合、相手がどう思うかを第一に考えよう。相手の時間を大事にするから、自分の時間の価値が分かる。人は一人では生きていない。人と人の間で、コミュニケーションを取って生きるのが人間だ。そのコミュニケーション如何で、自分の人生を豊かにも貧しくもなる。

 

孤独と孤立

 その大事なコミュニケーションが取れない人は、人であっても人間でない。そういう人とは距離を置いて付き合わざるを得ない。そういう人との付き合いは、己が組織の長なら、然るべき対応をして規範を示さないと、組織が壊れてしまう。

 人間はコミュニケーションを取りたくないなら、孤独で過ごせばよい。しかし人間なら、孤独でも孤立してはならない。しかしコミュニケーションが取れない人は孤立する。最近はそういう人が増えて閉口である。

 

「相手がどう思うか」以前の問題

 わが町内でも、町内の共通の利益のために行う工事(用水路の清掃)に、自分のエゴを出して、協力を拒否する偏屈者が跋扈している。話しても問答無用では、コミュニケーションが取れない。「相手がどう思うか」とはそれ以前の問題である。理論と現実は乖離である。

 

正義の味方

 客観的に正しいこととされることと、人がどう受け止めるかは別問題である。正義に囚われると、人は悪魔になる。その正義が正しいかどうかは、神でも分からない。時代が変われば価値観も変わる。宗教が変われば、全く別世界になる。他人には他人の価値観がある。それに思い至らないのは、思慮が足りない未熟者である。ましてや、海外で仕事をしようとするなら尚更である。

 価値観が違っても、「人間」ならコミュニケーションは取れる。それが取れない「人」は、エイリアンであるので、付き合う必要は無かろう。そっと己が身を引けばよいのだ。君子危うきに近寄らず。

 

プロジェクトは時間の塊

 小さい時間は自分だけの世界で作れるが、大きな時間を造るには他人の協力なしには、大きな時間は作れない。あるプロジェクトを推進するとは、大きな時間を造るのだ。

 例えば、日本の新幹線プロジェクトでは、日本列島を小さくして、日本国内の移動時間を削減して、我々に大きな時間を与えた。しかしそのプロジェクトの推進でも、相手がどう受け止めるかを考えてコミュニケーションを取らないと、大きなしっぺ返しを受ける。

 

業務改革

 私も前職の会社で、業務改革の推進リーダとして苦労をした。ある業務改革案で、各部の部長から、総論賛成、各論反対に遭遇して、苦渋を味わった。それは大きな時間ロスを生む。だから正論ばかりでは、埒が明かない。業務改革は正論と権力で押し通すしかない。

 その状態で相手の状態を考えては、業務改革は進まない。考えるべき相手は、市場の動向である。業務改革で、その権力がないと惨めである。救いは正義の御旗でしかない。そのジレンマで私は悩んだ。改革は相手がどう思うかではなく、天がどう思うかである。天とは市場である。改革は、自分と天を信じて進めるしかない。改革をしないと、属する組織(会社)が、他社との競争に負けて、倒産してしまう。己も失業してしまう。その改革が遅れて、私の属する会社は市場から消えた。

 

振り返り

 それから20年経って当時を振り返ると、成果はともかく、自分を信じて邁進した当時の自分を褒めてあげたい。今も私はそのエネルギーを温存している。身の回りで問題があり、それを解決しようという気力が無くなれば、生きている価値がない。その気力を持ち続けることが、青春である。

 

社会の敵

 人生は綺麗ごとばかりではない。聖人の人生論でも、戦う時は闘わねばならぬ。平和時は正義を貫けばよい。しかし戦争になれば、聖人でさえも、真面目に人殺しをせねばならぬ。国を守らねばならぬ。そうしないと銃後の老いた親、妻子が敵に殺され、国が亡ぶ。

 お釈迦様は押し寄せる敵に3度素手で説いて追い返したが、4度目に敵はお釈迦様の部族を滅ぼした。それでお釈迦様は出家された。

 その相手が社会的なオイタをしたのなら、正しい糾弾をすべきである。手心を加える必要はない。その場合は「相手が思う」以上の非難をすること。相手は社会的に非常識で、厚顔無比の行いをしたのだから、罰を受けるのだ。そうしないと社会が迷惑を受ける。そうしないと社会の秩序がなくなり道徳が崩壊する。現代日本はその崩壊の兆しがあり、私はその警鐘を鳴らしている。

 

2020-09-29 久志能幾研究所通信 1765  小田泰仙

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2020年9月27日 (日)

時間の戦略(改) 磨墨知38. 

 

 戦略とは「何をしないか=(略)」を選択する戦い手法である。全てに手を出していては時間がいくらあっても足らない。旧日本軍は戦線を拡大し過ぎて自滅した。

 時間は有限であり、何物にも変えられない資源なのだ。失った金は、稼げば取り戻せるが、失った時間は取り戻せない。

 自分に人生の理想の夢がある場合は、冗長な作業、世間話、人罪からの妨害、余興は人生の遊びとして扱うべきで、一定以上の割合にしてはならない。

 人生を脅かす魔モノのような存在が、病気である。その魔モノは、妖艶な美女如き美味食で、己を病気にさせる。美食こそが人生最大の抵抗勢力である。なにせ収入(税収60兆円)のうち、病気を治すための医療費(43兆円)が半分以上を占める現代である。それが抵抗勢力である。医療費に群がる輩が、己の人生を狂わせる。

 

 人生の理想(Ideal)=エネルギー(E) ÷ 抵抗勢力(R)

 

 戦争(病気も戦争だ)に勝つためには、戦略が必用だ。自分の持つエネルギーを増やすのは大変だ。夢を実現するために、それに対する抵抗勢力の力を減らせば、理想の実現エネルギーを大きくできる。

 私が食にこだわるのは、病気になりたくないためだ。病気が自分の夢を妨害する最大の抵抗勢力である。敵は身のうちである。

 

織田信長の戦略

 織田信長が鉄砲を最大限に活用したのは、尾張武士が弱かったからだ。信長は、弱い尾張武士を強くする戦術ではなく、戦わなくても(戦いを略する)、弱い兵士が鉄砲で相手を攻撃する戦略を考えた。武田信玄は武田四天王の力を合わせて、敵を突破しようとした。武田軍は日本最強の武士軍団で、赤備えとして恐れられた。だから飛び道具など必要でなかった。

 

ODA信永信用金庫の戦略

 自分の出来の悪い頭と身の回りの資源の貧弱さを理解すれば、抵抗勢力の力を弱めて、自分は飛び道具で武装するしかない。

 人生で最大の抵抗勢力とは、美食を餌に誘惑をかける食欲産業である。それが自分を病気にする。自分の自制心の無さが最大の敵である。

 現代の飛び道具とはIT機器である。そして自分の智慧である。凡人の自分が、人と同じことをしていて、勝てる(儲かる)ワケがない。

 人モノカネ情報が現代の資源である。それを司るのが時間である。それを有効活用するため、戦略をもって戦おう。私はIT投資にはケチケチしない。

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 テキスト「武道としての情報設計」(2006)

  

2020-09-27 久志能幾研究所通信 1763  小田泰仙

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2020年9月25日 (金)

餓死を選択しよう  磨墨知83.

 

 私は終末医療として、体中に多くの管を入れられ、ベッドに固定されたままで死にたくはない。それは生きているのではなく、生き長らせられている状態である。死にたくても死ねない。死なせてくれない。地獄である。人生は終わっている。

 管を鼻や口や血管に無理やり入れられるのは辛いもの。体が物を食べたくないといっているのに、無理やりに栄養分を管で流し込む。だから寝ているときに無意識の管を抜こうとする。それ故、病院側は両手をベッドに紐で括り付ける。自分の意思を表現できないのは、生きながらの地獄である。そこに人間の尊厳はない。それまでして生きたくはない。

 還暦を過ぎたら、延命治療の可否を家族に伝えておこう。

 

広田弘毅の母の餓死

 城山三郎著『落日燃ゆ』に出てくる広田弘毅の母は、死を予感してオランダ公使として赴任中の広田弘毅に会いたいと連絡する。広田弘毅は、立場上でオランダを離れるわけができず、それを母に伝えると、広田弘毅の母は、それ以来、食事を拒否して餓死された。その著を読んで30年経っても、その死にざまが、私の脳裏から消えない。

 

自然の摂理

 餓死は苦しくない。自然に眠るがごとく死ねる方法である。人は生まれ、老い、病気になり死を迎える。自然の摂理である。死ぬときは自分の意思であの世に逝こう。それが残された時間の有効利用である。家族の時間も大事にしよう。生きる自由があるのだから、死ぬ方法の選択があってしかるべきと思う。

 

母の死

 母は脳溢血で倒れ、幸いにも手術は成功して復帰したが、その半年後、脳梗塞になり、意識のないままベッドに半年間、横たわった。自力で呼吸できないので人工呼吸器をつけられ、自力で食べられないので、点滴で栄養素を体に送り込まれる状態が半年続いた。

 私は母を半年間見守ったが、見舞いに行っても、意識のない母を見るほど辛いものはない。それを看病する父も辛かったと思う。母が生前に延命治療の可否を意思表示するなら、決して了解しなかったと思う。そうまでして、家族をくるしめるような母ではなかった。

 

延命治療

 植物人間を生かす医療は、現代医学の傲慢さの表れではないのか。現代医学は神を目指しているようだ。延命治療をして、誰が幸せになるのか、根本思想が間違っている。意思表示ができない本人は不幸、家族も不幸である。不幸でないのは、延命治療で儲かる薬品業界、医療業界だけではないか。

 人間は、宇宙の中のチリから生まれた一つの生命体である。寿命が来たら、宇宙のチリに返る。それに逆らう現代医学界は、神への越権行為である。国はそれに資源を投入して、医療費ばかりが際限なく増大して、国全体が貧乏になっていった。

 現在、日本国の18年度の医療費は42兆6000億円を超えた。日本の収入である税収は60兆円なのだ。こんな状態で経済成長などできるはずがない。だから日本の経済成長率がたった1%なのだ。日本は病気が原因で、医療費を使いすぎて、貧困家庭に没落したようなものだ。その陰で、医療関係者はお金持ちになった。

 

因果応報

 悪い食生活、悪い生活習慣を長年、続ければ病気になって当然、それが自然界の摂理で、宇宙の理である。延命治療はその「理」に反している。病気になったのは、自然界の生存原理で、負けになる手段の選択をしたのだ。それで病気になって、健康な人におんぶにだっこでは、正しい生活を守ってきた人に不公平だ。治療を受ける権利には、正しい義務(体の健康管理)を果たさねばならぬ。不可抗力で病気になった人を公的支援するのならは許せる。我儘放題で食べ過ぎて病気になったのを救うのは、やり過ぎだ。

 

リース物件

 人の体は、仏様からのリース物件である。大事に使おう。タバコ、飲酒、食べ過ぎ等の狂った食生活、夜更かし、睡眠不足等の狂った生活習慣などは、仏様への冒涜である。そうなれば罰も当たろう。そうなれば仏様がリース物件を引き上げて(死)も致し方あるまい。

 

 

アンケート:

 死期が迫っている時に延命治療を望むか

 

           臨む  望まない 分からない

 自分への延命治療  11%   71%   17.9%

 家族への延命治療  24.6%  52%   23.4%

 

  厚生労働省:終末医療に関する調査(2008年)。

  合計は必ずしも100%にならない。

Img_64091s  馬場恵峰書

 

2020-09-25 久志能幾研究所通信 1761  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月24日 (木)

自分を追い詰める 愛は意地悪  磨墨知370.

 

 人間はぬくぬくしているとろくな事は考えない。自分を客観的に眺めて、表面的な己には春風を持って接し、内なる自分は寒風に晒して決断せよ。

 往々に凡人は、その逆をするから人生で失敗する。大抵の人間は、表面的な己にも大甘だし、内なる己にも大甘である。誰でも自分を溺愛している。だから日記も禁酒も禁煙も浮気もダイエットも三日坊主である。死を覚悟して構えないから、大甘の人間が自分を追い詰めるなど、できるはずがない。それを「愛の法則(Iの法則)」という。

 

愛の葛藤方程式(Iの法則)

 I=E÷R 

 (中学の物理で習った電流の法則。愛は意地悪と覚えた)

 自己愛(I)は電流と同じように、エネルギー(E)を抵抗勢力(R)で割る値である。分母の抵抗勢力への力を増せば、自己愛は小さくできる。

 愛の葛藤のエネルギーに対して、自分はどれだけの抵抗力を持っているかである。力とカネの無い者は、不倫の愛に手を出してはいけない。それは物理の法則である。

 愛は人を盲目にするから、その「理」が分からなくなる。愛は静かに温めるべきだが、それでは燃える恋にはならない。どうしたらよかんべえ。

 

もう一人の人間

 何故なら、自分の中に、もう一人の人間がいて、ある決断を引き止めているからだ。それはまるでスポーツカーで、最大馬力を出そうと左足でアクセルを最大限に踏みこんでいるのに、右足でブレーキをしっかり踏んでいるような愚かな姿である。それが人間の性がなせる行動である。その性は、今まで50年間かけて形成されえたカチンカチンの固定観念である。

 

変わりたくても変われない原因

 人は一日に20回の小さな決断をする。人は13歳ころまでに、約7.3万回の決断形成訓練がなされて、脳の97%が完成し、個人の性格が形成される。それから30年も経ち、50歳の人なら50年間で、20回×365日×50年=365,000回も、その決断が毎日繰り返されて、カチンカチンに強固になった固定観念が形成されている。そういう「訓練」を無意識にしてきた。

 例えば、自分が優柔不断な性格というなら、50年間、優柔不断な決断を、日常生活の決断に於いて36.5万回もしてきたのだ。例えば、昼食にソバかウドンかの選択でも、優柔不断でなかなか決められなかったはずだ。もし夢の中でハーレムや後宮に行くとしても、A女かB女かの選択で迷ってしまうだろう。私なら迷わない。両方選んでしまう(?)。だから50男になって、優柔不断にならないほうがおかしい。

 だから一度くらい思いついた考えで、おいそれと人は変わらない。変えられない。思いついた考えは氷山の一角で、その下にある固定観念に人間は支配されている。

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崖から翔べ!

 真剣に自己改革をしたいなら、固定観念で己を命令するもう一人の自分を振り切り、自分を断崖絶壁に追い詰めて、もう一人の自分を崖下に突き落とさねば、変わらない。自分は38兆個の細胞からなる体の支配者として、覚悟を示さねばならぬ。それでこそ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、である。

 私は癌になり余命宣告されたので、死んだ気になって、何でもできる。崖から翔べたのだ!(嘘です(笑)。それで変われれば苦労はない)

 

「真」の意味

 変わるために「真剣に」とは、自分の生首をかけることだ。「真」とは、人間の胴体から首を取った形を表した象形文字である。その昔、戦争で敵を打ち取って、その数を数える時、首のない胴体を数えた。それが「真」の象形文字の起源である。

 

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アイデア創造

 龍は追い詰められると真珠の玉の様な汗をかく。それが時間の創造の結晶である。

 アイデアも締め切りを設け、自分を追い詰めないと出てこない。だから漫画家や流行作家は、編集者からホテルに缶詰めにされて、やっと原稿の締め切りが守れる。会社の仕事でも納期があり、上司から責められるから、やっと納期を守るのだ。人間とはそんな弱い存在である。

 仕事でアイデアが必用なら、とにかくアイデアを最低100個出すことを自分に課し、紙に書き出すことだ。ただし真珠のようなアイデアは101個目にしか出てこない。

 エジソンも電球のフィラメントの発明で、9999個のアイデアを考え、実験を繰り返し、失敗を繰り替えして、10,000個目のアイデアで成功した。エジソンは天才ではなく、汗の人なのだ。凡人の我々は、それ以上の努力が必要だ。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊

 

2020-09-22 久志能幾研究所通信 1760  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月23日 (水)

知に働いて角を立てよ 大垣市が死亡事件隠蔽

磨墨知352.  

 情に竿さして流されるより、知に働いて角を立てたほうが、時間が創造できる。

 

 「知に働けば角が立つ。情に竿させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」 夏目漱石著『草枕』

 

 西郷隆盛は情に竿さし西南戦争を起こし、多くの人の命と時間を浪費した。大久保利通は知に働いて、角を立てて、自分の命を捧げて、日本の近代化の志を全うした。それで近代日本の時間を豊かにした。人間の格の高さが、立てた角を丸くしてくれる。

 トランプ大統領は、中共ウイルス問題、ウイグル族・チベット族の人権問題、知的財産泥棒問題で、知を働かせ、中共に角を立て、経済戦争を始めた。

 中国との関係で金儲けを企む日本の媚中派議員・財界は金と情に流されて、米国が始めた米中経済戦争のさ中、何方に付くかで右往左往である。まるで守銭奴コウモリだ。

 

日本の病状

 現代日本の閉塞感の原因は、小賢しい役人どもが、問題が起きないように、起きないようにと、何かあると「隠蔽」してしまうからだ。自分達の保身で汲々としているからだ。だから病状が深刻化する。

 それは役人を筆頭に、利害関係者が失うもの(利権)を多く抱えているからだ。そんなしがらみを捨てられないから、日本経済が停滞する。

 中韓の問題でも、問題が起きないように、起きないようにと相手の言うことに反論もせず、曖昧に対処するから、慰安婦問題、南京事件問題、竹島問題、領空侵犯事件がこじれてしまう。

 

大垣市が死亡事件を隠蔽

 問題があるなら晴天の下に晒して、大騒ぎをすればよい。それを大垣市商連の餅つき大会(2020年1月19日)での老人の死亡事件のように、問題にならないように、ならないようにと隠蔽するから、問題が大きくなる。この事件は大垣市HPで公式に広報した行事である。その行事で、大垣市の不手際で老人が死亡したのだ。大垣市長にその説明責任があるのに、それを小川敏は隠蔽逃走である。

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  大垣市のHP

 

角を過度に立てよ

 私は、現在、宮使えの会社を離れ、世俗を離れ、因習を手放したので、自由な時間を謳歌している。

 夏目漱石が亡くなったのは49歳である。それよりも私は長く生きてきたので、文豪と言われた人の49歳の考えの幼さを客観的に見る事が出来る。明治時代の因習に束縛されていては、進歩がなかろう。

 抵抗勢力に盾突いて、角を立てないと、改革はできない。それは前職の会社で業務改革のため御旗を立てて角を立てまくった経験から得た智慧である。表では、業務改革派として振舞う部長だが、裏に回ると私の足を引っ張るのだ。そんな痛い経験を何度もした。

 

50にして49の非を知る

 五十にして天命を知る(論語)であるが、夏目漱石は天命を知る前に天に召されたようだ。天命を知れば、角を立てるくらいは何の問題もない。

 年齢、学歴、世間体、親戚、固定観念のシガラミを捨て、角を立てることを気にしなければ、時間は創造できる。どうせ文句を言ってくる人間は、後30年もすれば死ぬのだ。どうせ己もいつかは死ぬ身で、死ぬ時は裸である。少しでも世のため、自分のためになるなら、角を立てよ。後は野となれ山となれ、で頑張ろう。

 

P1000710s   馬場恵峰書

2020-09-22 久志能幾研究所通信 1759  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月22日 (火)

磨墨知650. 脚下照顧。テスラ狂騒曲、日本没落、認知症への道

 行き先ばかり見ても、足元が定まっていないと、小石に躓いて痛い目に会う。また手戻り、やり直しが発生する。世の中の動きに振り回されては、道に迷う。やり直し、出直し、出戻りほど無駄な時間損失はない。

 

脚下照顧

 求めるものを他に探しに行かなくても、お宝は自分の足元にある。足元にお宝が埋まっている。何年、人間をやっているの? 自分の中には学んで、集めて、脚元に埋まっている資源が膨大にある。その発掘に努めよう。もっと自分の持っているものを有効活用しよう。自分の周りは資源の山である。探しに行くのにも時間がかかる。自分の中に探せば時間が短縮できる。最大のリソースとは、人財という自分である。青い鳥は他の家にいない。自分の家にいる。

 

株価

 株価ほど、世の動きに乱反射して人を惑わす事象はない。株価は所詮、金儲けに血迷った亡者が見る蜃気楼である。株価など見なくても、その企業の足元を見れば、10年後の株価が分かる。

 株を買うなら、DNAのしっかりした会社を選ぶことだ。トヨタ自動車と日産を比べれば、この20年間の歩みでその差は、一目瞭然である。

 

テスラ株狂奏曲 PER160倍

 電気自動車のテスラが米国株式市場で連日上場以来高値が更新した。時価総額は、トヨタ自動車、フォルクスワーゲン、ダイムラーの上位3社を足しても及ばない水準になった(2020年8月23日、日経新聞)。

 なぜまだ黒字にさえなっていないテスラがトヨタの上なのだ。バブルである。時価総額が他の上位自動車会社の3社の総額の時価総額を抜いたが、所詮、蜃気楼の現象である。

 電気自動車が増えれば、電池の原料であるレアメタルの生産が中国の生産に依存するので、増産に支障が出てくるはずだ。今の中国は、工業生産で公害を垂れ流してきたので、対処療法で排ガスの少ない電気自動車にのめり込んでいるだけである。

 この20年間、全世界の企業が、公害対策をしなくても金儲けができるというので、中国に殺到して工場を造りまくった。だから中国の空気と川が汚れた。その対処療法で、電気自動車への切り替えである。電気自動車ならガソリン自動車よりも簡単に量産化できるから、技術的に遅れている中国は、それを選択した。政府命令でEV化は共産主義の独裁国家だから出来ることで、先進国では、あり得ないことだ。もうじき、化けの皮が剝がれるだろう。

 中国政府が、電池の原料であるレアメタルの輸出制限をかければ、すぐテスラは干上がってしまう。

 

自動車の電気化(EV化)

 欧州では2021年から排ガス規制で、欧米諸国の自動車メーカ13社に排ガス罰金が科せられることになり、大騒ぎをしている。そのため更なるEV化推進狂奏曲が鳴り響き、大騒ぎである。しかしその根本原因は、フォルクスワーゲンのジーゼルエンジン排ガス不正である。また真面目に排ガス対策の技術開発をしてこなかった欧米諸国の怠慢が原因である。EV化は、CO2排出税対策で、自動車メーカが対処療法で行っている泥縄である。だから欧米諸国の自動車メーカは、足もとを見ずに経営していると断言できる。

 

排ガス罰金額

 フォルクスワーゲン  45億 400万ユーロ

 日産・ルノー・三菱  10億5700万ユーロ

 トヨタ自動車        1800万ユーロ

 

総CO2排出量

 EV化しても、ガソリン車もEV車も車一生の間の総CO2排出量は大差ない。EV化しても、見かけの排ガス量が減るだけだ。どこで電気を作るのかを忘れている。そのリサイクルでのCO2排出量さえ無視している。エントロピーの世界では、ガソリン車も電気自動車も総使用エネルギーは同じである。

 日本ではトヨタが頑張っているから、なかなかEV化は進展しない。電気自動車が販売されて10年経った現在でも、電気自動車の販売量はガソリンエンジン車の100分の1である。市場の声は神の如くである。

 トヨタ自動車は脚下照顧して、地道に排ガス対策、ハイブリッド車開発、水素エンジン車開発をしている。トヨタ自動車は、CO2排出税負担が最低だし、赤字にもなっていない。

 

日本の足元

 日本の景気も蜃気楼である。いくら金をバラまき、景気対策をしても、足元の人財育成に金をかけないから、経済成長ができるはずがない。それが日本の「失われた30年」の結果である。人財こそ、日本を成長させてくれる資源なのに、日本政府も日本企業も、成果主義、内部留保に狂い、人を削減し、社員の教育費を削減した。だから日本は経済停滞をした。

 日本はデジタル化再教育で公的支援が、OECD中で最低である(2020年9月22日、日経新聞)。だからその結果が、日本の成長率が1%で、欧州が2%、米国が3%なのだ。

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 日本経済新聞 2020年9月22日

 

拝金主義で日本空洞化

 日本の企業は、欧米の拝金主義、グローバル経済主義に洗脳されて、安い労働力を求めて、競って工場を海外に移転した。だから日本の産業が空洞化した。日本が貧乏になって当然である。もっと足元の日本を見直さないと、日本再生はあり得ない。

 日本には2020年現在、44万人の職のない若者がいる。それなのに、何故外人労働者を入れるのか。

 日本の25-34歳の失業者は、昨年と比較して39万人から44万人と5万人も増えている(2019年4月と比較)。(2020年5月29日、「労働力調査(基本集計) 2020年(令和2年)4月分結果」の発表。)

 安い外人労働力を入れれば、更に日本の給与水準が下がって、貧乏になるのだ。もっと日本の足元を見るべきなのだ。

 外人労働者の導入は、パソナで金儲けをしようとしている竹中平蔵が元凶である。竹中平蔵は、自分の会社だけが儲かれば、日本の事は知ったことではないのだ。現代日本には、そういう輩が跋扈している。こんな男が政府の高官に就くから日本は没落した。

 

大垣の足元

 大垣の小川敏行政も蜃気楼のようである。小川敏は、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費を県下最低にしたから、大垣の未来はマッ黒ケである。だから小川敏が市長である限り、大垣の景気が回復するはずがない。だから大垣の経済成長率はマイナス1%である。

 小川敏は、大垣活性化の対処療法として、元気ハツラツ市行事、大垣市中心市街地活性化計画、大垣市制100周年記念行事、大垣未来ビジョン等を推進した。小川敏は口先だけの詐欺師としていかにも市民に利益があるかのように浮かれた話をしても、根本対策で、足元の人財の教育を無視した。だから、大垣経済はジリ貧で没落した。足もとも見ず、19年間も無為無策で迷走すれば、大垣が没落して当然である。最大の大垣の不幸は、小川敏が、それに気が付いていないこと。自分が一番頭がいいと思っているから、人の意見は全く聞かない。

 

日本のサラリーマンの没落

 日本のサラリーマンの年収はこの30年間、ずっと下がり続けている。日本人が人生を迷走しているのは、日本人のサラリーマンが自己投資をしてこなかったためだ。年間2000時間を働き、帰宅すると疲労困憊で勉強する時間も気もなくなる。30年間、仕事以外に勉強時間をかけなかったので、その結果が、今の己の姿である。欧米のサラリーマンは、自己投資時間が、日本の数倍である。だから経済成長率が日本の2倍も3倍もある。それがそのまま自分の成長の程度になっている。

 日本はこれだけ頑張っているから、成長しないのはおかしいと、ますます体の汗をかいて労働しても、欧米の頭脳労働者は頭の汗をかいて付加価値を高めているから、日本が勝てない。

 そういうサラリーマン生活を続けれ、当然、定年になれば「終わった人」になり、あとは認知症にもなるしかないだろう。

Img_63911s  馬場恵峰書

 

照観脚元菩薩

 貴方は大丈夫? もっと足元を観よう。他人を羨み、浮利を追う者は、足元をすくわれる。浮利を追えば、人生の迷いも増える。悪銭身に付かず、である。地道な自己研鑽が、時間創造につながる。それが遠回りでも確実な人生の金儲けである。私は自分が「照観脚元菩薩」になった気で人生を歩んでいる。

 多くの人は遠くに輝く浮利ばかりを見て、自分の足元は観ないのだ。だから躓いて怪我をする。人は大きな石では躓かない。小さな小さな小石でつまずくのだ。人と比較するから、不幸になる。

P1000115s 松本明慶大仏師作 聖観音菩薩(別名 照観脚元菩薩?)

 

2020-09-22 久志能幾研究所通信 1758  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月17日 (木)

磨墨知649.野鴨であれ。愛人を崖から突き落とせ

過保護が生命力を弱くし、活きる力(時間)を弱くする。

 

 「デンマークにジーランドという場所がある。大変、景色のいい所だ。その湖に毎年、野性の野鴨たちが翔んできていた。

 たまたま、この湖には人の好い老人が住んでいた。その老人は、大変な距離を翔んでくる野鴨たちに、遠くから大変だろう、と美味い餌を用意する。美味い餌と最高の景色。鴨たちにとって、この湖で過ごす季節は豊かで楽しく、健康的で恵まれていた。

 しかし、野鴨は渡り鳥である。一つの湖に住みつくことはしない。ある季節を過ごした後は、餌を求めて次の湖へ翔び立っていたのだが、その野鴨たちが、だんだん考え始めた。

 こんなに景色がいい、こんなに美味い餌がたくさんあるのだから、何も大変な苦労をしてまで餌を求めて次の湖へ翔び立つことはないではないか。豊かで楽しくて、健康的で恵まれた毎日。いっそのこと、この湖に住みついてしまえば良いではないか。野鴨たちは翔ばなくなった。

 しかし、そんな生活をやっていたある日、この野鴨たちに出来事が起きる。美味い餌をたくさん用意してくれていた人の好い老人が、老衰で死んだのだ。明日から、食べる餌がなくなった。そこで、この野性の野鴨たちは、何千キロも翔べる羽ばたきの力で、餌を求めて次の湖へ翔び立とうとする。しかし、どうしたことか、あの精悍だった凄まじいまでの羽ばたきはまるでなくなり、翔ぶこともできなければ、駆けることをできない。やがて、近くにあった高い山から雪を溶かした激流がこの湖へ流れ込んでくる。ほかの鳥たちは丘に駆け上がったり、飛び立つなりして激流を避けえたものの、今は醜く太ってしまったかっての野性の鴨たち、なす術もなくこの激流に押し流されてしまった。」      行徳哲男著『全生語録』より(2000年 全生塾刊)

 

1924年のIBM--「野鴨であれ」

 話は他愛ないが、この野鴨の話が強烈な哲学を生む。それがデンマークの哲学者キェルケゴールが残した「実存」という哲学である。この野鴨の訓えは、約70年前にアメリカの小さな会社の経営者トーマス・ワトソンに強烈な衝撃を与え、その社員たちとの間で合言葉を生むことになる。それが「野鴨であれ」である。1896年にタピュレーティング・マシン社として創立され、1924年にIBMと改称したこの小さな会社は、一時はコンピュータ界のガリバーと称される企業に成長する。野鴨の逞しい精神で、業界を圧倒したのであった。

 

落ちぶれた野鴨

 活力という野鴨の精神を失ない、傲慢になった企業が、どう落ちぶれたかを1992年当時のIBMが示している。「野鴨の教え」を忘れた時、企業や人は危機に陥る。当時、私は技術部のCAD管理責任者で、IBMと打ち合わせの機会が多かった。その当時、IBMの対応ぶりで、巨大企業としての横暴さに辟易していたのは、私だけではなかった。当社もその対応ぶりに担当者が不満を爆発させ、1999年、当社基幹CADがIBM製から競合製品に置き換えられた。それもIBMが野鴨でなくなった一つの象徴でもあった。その後、IBMが赤字に陥り、IBMの当社担当者がリトスラでその部ごと、別会社に移籍されたとかの生々しい激変ぶりを目の前で見せつけられるようになった。

 

2000年のIBM--VISONe--

 昔のIBM会社案内の冒頭には、この野鴨の羽ばたく写真が飾られていた。しかし、巨人企業となったIBMは、野鴨の精神をいつしか忘れたかのようであった。醜く太って動きの鈍い官僚的巨大企業となったIBMは、1992年に約50億ドルもの巨額な赤字を出す。野鴨が太ってしまい翔べなくなったのだ。そしてルー・ガスナーがCEOとなり、会社の5年越しの再建が始まった。その時を境に、そしてリクルートの関係もあり、会社案内のパンフレットもソフトトーンとなり、この「野鴨であれ」が会社案内や新入社員教育からも抜けていく。ここ10年くらいの新入社員で、この話を知っている人はほとんどいないという。2000年度の会社案内パンフレットにも野鴨の姿はない。

 

自社の鏡として

 当時(2000年)、その実状の詳細を各種の本で知って、当時感じなかった危機感を今、自分の会社に感じていた。他人は自分の鏡と言われる。同じように、他社は自社の鏡として見よう。そうしないと野鴨が業界のカモになってしまう。

 私は新規に企業との接触があると、無意識に会社案内を求め、目を走らせる。また英文の会社案内も求めることが多い。それを見れば、そこに会社の全てが「見える」からだ。会社案内がいいかげんだと、仕事の仕方、レベル、社員の姿勢もいいかげんである。これは私の経験から言っても、会社心理学(これは私の造語)から見ても間違いない。私の趣味は人間ウォッチングと会社ウォッチングである。私はこれを自己成長の学びのツールとして活用している。なにせ、「あなたは私の鏡」なのである。相手を見れば、自分と自社の良さ悪さが浮かび上がる。

 

「鏡よ、鏡よ、鏡さん、この世で一番美しい会社はどこ?」

 

2020年の世界

 その後、20年経った今(2020年)は、GAFA(Google,Apple,Facebook,Amazon)がこの世界を席巻し、IBMの姿は昔ほどの力強さがない。IBMに替わり、野鴨精神にあふれ尖った企業がIT世界を支配している。

 その昔、ソニーも尖った企業で、モルモットと呼ばれながら、世界を魅了する製品を次々に世に出して世界を席巻した。しかし、ソニーのストリンガーが米国の経営方式を導入し、成果主義経営が蔓延するとその毒素が体に回り、チャレンジ精神は殺された。それが今のソニーの惨状の原因である。ソニーはゲームや保険で稼ぐ企業に成り下がった。

 同じように日本では、政府の間違った経済政策、学閥横行、役人の利権あさり、年功序列の横行、成果主義の横行、国を捨てて海外で雇用を造る愚策、国民の低学歴化、女性の進出の遅れ、間違った労働管理、で失われた30年が過ぎた。高度成長期、エコノミックアニマルとまで揶揄された野鴨のような日本人は、野性味を失い、飼いカモになってしまった。

 

崖淵から翔ぼう

 部下や子供を良かれと思い、安穏で楽な状態にしてあげるのは、実はその人のためには害毒である。本当にその人のことを思えば、厳しい状況に追い込んで育てるのが親心である。それが危機管理で、頭で分かっていても、実行は難しい。それはその人を崖淵に追いつめ、突き落とすことだから。

 でも厳しさを分からない人は、崖下に突き落とすしかない。能力ある子虎は谷底から這い上って来る。そんな厳しさが最近のビジネスでは求められている。

 そうしなかった咎が、企業の倒産や負け組みという形に表れる。また17歳の犯罪の激増のように、子供の教育の失敗事例にも表れている。どんな局面でも人は危機感をもって生きて欲しい。野鴨のように。部下を持つリーダは危機感を持って部下を育てて欲しい。自らも自分を危機状態に身を置いて欲しい。

 当時(2000年頃)、私は心を鬼にし、愛する部下の成長を願って部下の首を荒縄で絞めることが多かった。絞める方は快感である(?)。当時、部下の係長から「オニ!」とよく言われた(笑)。だから決してパワハラでありません。パワハラなら、部下も上司に面と向かって「オニ!」なんて言わない。

 また理念に反した行動をとった他部署や他社の人には、荒縄を真綿に持ち替えて、じんわりと首をしめることにしていた。情報漏洩で危機管理の失態を犯した一部上場の会社役員を1時間かけて泣かしたこともある。相手を怒鳴るのではなく、「そんな危機管理状態で、貴方の会社は10年後、存続できるのですか?」、「その時、貴方の部下はどうなるのですか?」と優しい口調で、グサッと相手の心に囁き続けるのだ。

 

翔べ

 「飛ぶ」とは、小さな鳥が数キロからせいぜい数十キロを羽ばたくときに使う。それに対して「翔ぶ」とは、渡り鳥のように数千キロを渡る場合に使う。崖淵に立ったとき、我々は野性の野鴨として翔ぶ力をつけないと生き延びられない。私は下記の言葉を自分に言い聞かせて生きている。

 

 青春とは年齢の多寡ではない。精神が若ければ青年である。

 醜く太った体からぜい肉をそぎ落とし、青年よ、翔べ!

 

エピソード

 大学卒業当時から30キロも太れば、醜い野鴨である。当時の姿が恥ずかしい。昨年、癌を患い25キロの減量となった。仏様から罰が当たったのだ。お蔭でスリムな野鴨に戻れた。

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 馬場恵峰書

 

2020-09-17 久志能幾研究所通信 1753  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。