l1_吾が人生の師天王 Feed

2017年8月13日 (日)

己を支え、人を支えてこそ人の道

 重き荷を背負おわされるのは、佛様からの慈しみである。重いからこそ人生を歩く力が付く。受験勉強もスポーツも、頭の筋肉、足腰の筋肉をつけるには負荷をかけないと、筋肉は強くならない。自分を甘やかした生き方では、弛んだ人生しか歩めない。人生力とは、重き荷を背負ってこそ向上する。その重き荷を遠くに長く運んでこそ人の道である。

 

己を支えるのは自分

 背負う荷が重いのではない。背負う力が弱いのだ。軽くする智慧がないのだ。遠くに運ぶ知識が欠けているのだ。己の人徳がないから回りから助けてもらえないのだ。頭の汗をかいて、智慧を出す能力を鍛えてこそ、人生を力強く歩める。負荷をかけないと、極楽トンボの生活に陥り、認知症への道をまっしぐらである。持国天は国を支えている。総理大臣は国を動かしている。己は自分を支えている。天はあなたに総理大臣の仕事をしろとは言っていない。それに比べれば、凡人の持つ荷など軽いもの。己を支えるのは自分である。天は自ら助けるものを助ける。東西の教えは同じ事を言っている。

 

智慧ある仕事

 μとは仕事と大地(世間)との滑り摩擦係数。仕事量ロスを減らすには、摩擦係数を小さくすれば良い。摩擦係数を小さくする技が、知識であり、智慧である。人と人との間の摩擦を減らす潤滑剤は笑顔である。苦渋に満ちた顔つきで力任せに運んでも、笑顔の智慧を使った仕事には及ばない。己が非力ならば、みんなの力を借りて智慧を出せば、大きな仕事ができる。

 一人で運ぶから大変なのだ。一人で荷を持つから、遠くには運べない。重い荷はみんなで運べば、遠くに少しは楽に運べる。笑顔があれば皆が協力してくれる。みんなで協力して運べば、重い荷も軽くなる。

 

組織の力

 松本明慶先生が、一人で悩んでいた岩田明彩師に言った言葉、「何を一人でもがいているんや、みんなそばにいるぞ。みんなを信じてもっと頼りなさい」。仲間は人生の宝である。身の回りには宝が一杯ある。宝が目の前にあるのに助けてもらわないのは、米蔵の前で餓死するようなもの。己の心を開き、人生の門を開けば、みんなの笑顔が出迎えてくれる。赤信号、みんなで渡れば怖くない。重い荷物、みんなで持てば軽いもの。それが組織の力である。

 人は及ばないから、少しでも良くなろうと努力をする。金も力も有り余ってあれば、努力などしまい。そうなれば堕落の道しか無い。及ばないから、みんなで足りないところを補い合ってこそ、人間社会である。人に頼むのに躊躇するのは、己の我があるからであるだ。我を無くせばうまく行く。

 

仕事量Jは下記の式で表される。

  J=μ×W×L

     μは摩擦係数

   Wは仕事の重さ

     Lは運ぶ距離

 

楷の木とは

 「皆」とは「比」+「白」からなり、「比」とは人が並んでいる様を表し、「白」は、モノを言う意味と、人が声をそろえて言うの意味から、みな、ならぶ、とも、の意味を表す。「偕」とは、「人」+「「皆」で共にするから、「つよい」である。一人の人間は弱いが、皆が集まれば強い組織となる。力ある人は我を張らない。我があると揃わない。「喈」は「口」+「皆」で、人が声を揃えて言うで、気心が揃って和らぐの意味を表す。「楷」とは「木」+「皆」で、枝や幹が正しく並ぶ木の名を表す。転じて整った手本の意味を表す。曲阜(山東省)の孔子廟に子貢がみずから植えたといわれる木の名である。

 「楷の木」が大垣市スイトピアセンター内の図書館横に植えられている。学名「トネリコバハゼ」、和名「久志能幾」と言う。中国山東省曲阜の聖廟に、孔子の高弟子貢の手植えの「楷の木」二世が、今も鬱然と繁り紅葉するところから黄連樹とも呼ばれる。この公園に植えられた樹は、曲阜聖林から採取発芽させた東京湯島聖堂内苑の樹から取り木された唯一の木で、学問文化に深い由緒をつなぐ名木である。

 

楷の木とのご縁

 この樹は戸田公入城350年(昭和60年・1985年)を記念して、大垣文化連盟が、スイトピアセンター内の公園に植樹した。封建時代の藩主を称えて植樹されるのは、戸田公が大垣の学問文化の発展に多大の貢献をされ、その威徳が未だに輝いている証である。1985年は、私が初めての海外体験としてスウェーデンに4ヶ月間の出張をした年である。

 この樹は春には緑豊かな葉を飾り、夏は蝉の抜け殻を抱き、秋には紅葉が鬱然と繁る。冬は全ての葉が落ち、まる裸となる。それは次の春に向けて内部蓄積をする姿でもある。人生の春夏秋冬を表している姿は、一つの教えである。

 

図1 摩擦係数と力

図2~5 楷の木の春夏秋冬

 

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2017年8月 3日 (木)

開眼後の四天王像を拝観

 松下幸之助経営塾のOB会が、高野山開創1200年祭の期間中に高野山で開催されるご縁があり、2015年4月24日、開眼後の四天王像を撮影する目的も兼ねて泊り込みで高野山にでかけた。

 高野山では松下幸之助翁が定宿にしていた西禅院に宿泊した。住職さんのご挨拶後、「今なら、時間的に御本蔵の薬師如来様が拝めるので是非ご参拝と」との話しがあり、急遽予定を変更して、金堂の薬師如来座像(高村光雲作)を拝観した。80年前に建立されたが、秘仏として今まで誰も見たことがないとのこと。今回、高野山開創1200年を記念して、初めてご開帳となった。次のご開帳は何時になるか未定で、多分、50年後だろうという。現高野山管主でさえも見たことのない秘仏である。今回の拝観で、僧侶の皆様も涙を流して喜ばれたという。今回よきご縁に出会えて幸いであった。当然、写真撮影は禁止です。

 翌日、6時半からの朝の勤行にも参加をしてすがすがしい気持ちとなった。その前に、早朝の人気のない再建された中門で、開眼後の四天王像を拝観した。前回、納佛前に松本工房で見た四天王であるが、晴れ舞台の威容という感じで、素晴らしい迫力の四天王である。惜しむらくは、足下の邪鬼が、柵が邪魔してよく拝観できない。松本工房での撮影はよきご縁であった。

 

図1 西禅寺  

図2 再建された中門  高野山  2015年4月25日06:05 

図3 開眼した増長天(大佛師松本明慶作) 2015年4月25日

図3 開眼した広目天(大佛師松本明慶作) 2015年4月25日

 

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仏像の著作権は松本明慶師にあります。

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2017年8月 2日 (水)

平成の四天王像を彫る(2/2)

平成の増長天、広目天の創造

 明慶師は四方を守護する四天王像のそれぞれの役割に思いをめぐらせた。増長天が槍を持っているのは、邪悪なものから守るためだ。その象徴として胸の甲冑にトンボをあしらった。トンボは前にしか飛ばない。決して退却しないぞ、という強い意思を示した。広目天の胸にはセミをとまらせた。悪鬼や怨霊を排除する気迫の象徴として、お寺の鐘が遠くまで鳴り響くように、佛法の教えが響き渡るように、との象徴である。広目天は、広く見渡すのが役目だ。どこまでも声が届くセミによって存在感を示し、「全てを見ている」ことを表現した。いずれも、伝統的な四天王像にはなかった形態である。

 「強さを表す四天王の顔は、怒るだけではだめ。見つめられたら嘘をつけない。そう思わせる表情にしなければ」と。師は木の中にいる仏をいかに引き出すかに、心を砕いた。「開創1200年の節目に遭遇し、佛師として最も充実しているときに携わることができた。ご縁以外のなにものでもない」と師はその喜びを語る。

 完成した二体は精緻を極め、膨れ上がった腕の血管や鎧の形状などがリアルに表現された。「私としては最高の出来栄えになりました。今後千年以上、中門で耐えてくれるでしょう。高野山を守り続けてほしい」。明慶師は「平成の四天王像」を見上げながら願われた。 

己の邪鬼

 邪鬼とは己の醜い心の象徴である。邪鬼とは脇役で、主人公の天を見栄えよくするお役目がある。歌舞伎でも脇役がいて初めて主役が映える。人生舞台は主役ばかりでは、幕が上がらない。己が一人多役で処々の役割を演じて、人生劇場が移り行く。己が邪鬼のときもあれば、佛のときもある。人の心は諸行無常で流転する。己の醜い心があるからこそ、同居する美しい心が映える。人の心に陰影があってこそ、人格に深みが滲み出る。

 人生の四方の守りを固め、その姿を四天王の姿で象徴する。己の世界(国)を支えるため(持国天)、大きく成長し(増長天)、種々の眼を世界に向けて(広目天)、法を日に何回も聞き(多聞天)、佛の王国を護るため己の欲望という敵と闘う。時として頭をもたげる我儘な心(邪鬼)を己が足で踏みつけ、法と筆で己という佛を守る。その邪鬼も菩薩行として背中を差し出し、足場を供する佛に変身する。邪鬼としての邪心があるから、心の菩薩行が修行となる。邪心がなければ、最初から佛様であり、修行をする必要はない。欲望があるから人間なのだ。谷に落とされても欠けないものが「欲」である。欲を無くしては、生きる甲斐がない。人は生を受ければ、成長しようという欲を持つことだ。その欲を夢に昇華してこそ現世の佛である。

平成の邪鬼の創造

 その邪鬼を能舞台で主役を支える脇役として、明慶師は平成の邪鬼として「創造」した。その解釈の差は、江戸時代作の持国天と多聞天に踏んづけられた邪鬼の姿と対照すると興味深い(図6,7)。明慶師のアドバイスで、絶妙のポイントから邪鬼を撮影することができた。現在は高野山中門の柵の中に安置されているため、柵が邪魔してこのような写真は撮れない。良きご縁でした。(図4,5)

天は目で語る

 今回、松本明慶先生が製作された広目天、増長天は、目が素晴らしい。天の前に立つと、己を睨みつける目が飛び込んでくる。己の邪気に満ちた心を見透かすような恐ろしい目である。その目の中に佛の心を観る。江戸時代に製作された大佛は、目の視線が6m上で、真っ直ぐ正面を見ている目なので、その大佛の心が伝わりにくい。それが江戸の大佛と平成の大佛の大きな差である。拝観者を睨みつける目の姿勢に、明慶先生が創造した平成の大佛の付加価値がある。目の彩色は仏像彩色師の岩田明彩先生がされた。

己という敵

 高野山という一つの国の中門で、四天王が四方を護りで固めている。それを個人に当てはめる象徴として四天王がある。我を滅ぼすのは我である。己の退廃が、人生を台無しにし、自分の所属する国を滅亡に導く。己を護るのは己である。

 持国天とは国を支える、労働の姿の佛である。汗水たらして働いて税金を納めることで国を支える。それを親の脛をかじって遊びほうけたり、働けるのに生活保護を受けたりして、税金を納めないのは無賃乗車である。血の税金で建設したインフラ(道路、橋、空港、電気ガス水道、国の体制等)を無賃で使うというキセル行為である。年金生活者でも、働くことはボランティアでも道の掃除でも多くの方法がある。働かない後姿を子孫に見せるから、子供が堕落する。

 増長天とは成長する自分である。大きくならないと見えない世界がある。小さな世界に考えがとどまっていると、自己中心的な動物界の存在に陥る。目の前に見えている壁の向こう側を、成長して観えるようにしなければならない。体だけ大きくなっても、見識が高くないと、見えるものも見えない。小人(ことな)から大人(おとな)になる修行をつむことである。

 広目天とは、種々の眼を世界に向けて観る佛性である。佛性は己の中にある。その佛性でものを見るとは、目先に囚われず時間軸の長い目で観ることだ。一面だけで見ず多面的、全面的、広角的に見ることである。枝葉末節の囚われず、根本の本質を見ることだ。今のマスコミは、あまりに枝葉末節の事象を、針小棒大に書き立てる。日本のマスコミは増長天のようには成長していない。その広目天は筆と巻物をもって、人生の邪悪から自分を護っている。その武器は剣ではない。筆で書いたものが自分を守り、他の不正を明らかにする。筆で書いたものこそが、自分の生きた証である。それが最大の自己防御となり、自己実現の一つとなる。

 多聞天とは、世の中の法を何回も聞く仏のことだ。世の真理は法に書いてある。何時でも何処でも誰にでも通用することが「法」である。それを無視して行動するから、世の中で失敗する。人は忘却の天才である。だからこそ、大事な人生の「法」は耳にタコが出来るくらい何回も聞くことだ。多聞天は佛でありながら、何回も「法」を聞く姿を表している。佛でない人間なら、多聞天のその数十倍は聞かねばなるまい。四天王は護るための剣は持っていない。己を護るのは剣ではない。筆であり、法であり、成長であり、目である。

 

図1:広目天  松本明慶先生作。目は岩田明彩師の彩色

図2:増長天  松本明慶先生作。目は岩田明彩師の彩色。

        ピンポイントの拝観位置にて

図3、4:足元の邪鬼は脇役である。踏みつけられているのではない。

   脇役がしっかり主役を支えている。邪鬼はお役目に生き、目が活きている。

図5、6:修復された持国天と多聞天  江戸時代の作

図7:見る視点の差

 

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2017年8月 1日 (火)

平成の四天王像を彫る(1/2)

 松本明慶先生が作られた四天王が、来週にも高野山に納佛されるので、間近で拝観できるのは今しかないとのお話しが、三好輝行先生(福山市)からあり、松本工房(京都市大原野)に出かけた(2014年10月8日)。

 広目天と増長天が今回、新たに造佛された。広目天と増長天は江戸時代に焼失した大佛であるが、今回、高野山の中門が再興されるのを機に、明慶先生に造佛が依頼された。残存していた持国天と多聞天は江戸時代に製作された大佛であるが、傷みが激しいので松本工房で大修復の作業が行われて、仁王立ちの威容の姿が復活した。

 四天王とは、欲界の六欲天の中、初天をいい、この天に住む仏教における四尊の守護神をいう。この四天王が住む天を四王天ともいう。この天に住む者の身長は半由旬、寿命は500歳で、その一昼夜は人間界の50年に相当する。

持国天 - 東勝神洲を守護する。乾闥婆、毘舎遮を眷属とする。

増長天 - 南瞻部洲を守護する。鳩槃荼、薜茘多を眷属とする。

広目天 - 西牛貨洲を守護する。龍神、毘舎闍を眷属とする。

多聞天 - 北倶廬洲を守護する。毘沙門天とも呼ぶ。

中門再興のご縁

 高野山は、816年に空海が開いた真言密教の聖地である。壇上伽藍を中心とする宗教都市はユネスコ世界遺産でもあり、2015年4月には開創1200年を迎えた。その記念事業として計画されたのが、172年前に焼失した「中門」の再興である。「中門」は密教の聖域である「曼荼羅世界」への正門にあたる。その「中門」に四天王像を安置すべく制作者として松本明慶師に白羽の矢が立った。明慶師は「慶派」と称される平安時代から続く一派の継承者である。運慶や快慶などの流れを汲む、現代の仏像彫刻の第一人者である。

 今回の四天王像の修復・新進に際して、平成24年夏、高野山の高僧たちが松本明慶師宅を訪ね、両像の造立を依頼した。「先生しかしおりません。ぜひともお受けいただきたい」。修復・新造には、二年半あまりの歳月が費やされた。修復した二体は、持国天像と多聞天像で、中門が焼失した172年前の火災から奇跡的に救い出された。二体の修復に師は、「江戸時代の手法に従い、忠実に修復することを心がけました。作業中は常に、先達の仏師たちと語り合うような気持ちでいました」と語る。

天の創造の模索

 一方、増長天像と広目天像の二体は、明慶師が一から彫りあげた。「鎌倉時総の仏師・運慶の仏をどうやったら超えられるのか。依頼を受けてから悩み抜きました」。伝統の呪縛を打ち破るべく、明慶師はイタリアへ向かった。目的は、ミケランジェロの代表作「ピエタ」に向き合うこと。明慶師は、ミケランジェロが何を求め、何故、死の間際まで「ピエタ」を彫り続けたのかを探りたかった。明慶師は「ピエタ」を長年見たいと思っていたが、己の腕がミケランジェロのレベルに達するまでは、と我慢をして修行に励んでこられた。師はその「ピエタ」に対面して衝撃を受け1時間も身じろぎせずに双眼鏡で凝視を続けた。そして、自分は一何を目指して仏を彫るのか。イタリアでの自問自答を経て、ようやく二天像の構想が固まり、制作ヘ向かった。その経過はNHKBSプレミアム『旅のチカラ---ミケランジェロの街で佛を刻む松本明慶イタリア』に詳しい。四天王の復元、製作の過程を松本明華さんが会報『苦楽吉祥』に執筆されている。ご縁があり、私は松本明慶師と2010年に大垣の「ヤナゲン創業百年記念 松本明慶仏像彫刻展」で出会い、その9日後、定年退職記念旅行でローマに飛び、「ピエタ」に出会い衝撃を受けた。明慶師がローマに飛ぶ5年前である。

カエルの人生

 どんな四天王を作るべきなのか、「口は出さない。思う存分造ってほしい」が高野山側の答えだった。明慶師は、「飛鳥・天平以来、千数百年の伝統をもつ仏像製作の世界にあって、文化は進化していく」という持論を持たれる。「自らも現代の文化を担う一人」という気構えで製作にあたった。

 「カエルを彫るときはカエルの人生まで考えて彫る」というのが明慶師の心構えである。実際、松本工房でカエルを飼ってその生態を観察してまでして、カエルの彫刻をされる。竹の上で雄雌のカエルの求愛の姿を、もてる術を全て投入されて彫られた。右下の雄カエルが、左上の雌カエルを見つめる目が愛おしい。作品は一見、竹に見えるが、櫻の木の一木彫りである。お値段は小型乗用車一台分と同じである。(図5)

 

図2:バチカン サン・ピエトロ大聖堂  2010年11月10日

図3:ピエタ像  2010年11月10日 (撮影著者)

図4:高野山中門 開眼法要後  2015年4月25日_

図5:青竹に蛙  (櫻/薄彩色/総丈23cm)2015年5月11日

   宇都宮東武「大佛師松本明慶佛像彫刻展」パンフレットより 

 

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2017年7月29日 (土)

死鬼衆としての親

 川崎市の中1惨殺事件(2015年3月)には目を背けたくなる。主原因は主犯の18歳少年の両親の後姿である。主犯の少年の父親はトラック運転手で、子供にタバコを吸わせ、「タバコを吸うのは俺が認めている」と学校に恫喝に行くほどの非常識さで、息子が非行に走っていても黙認である。親としての躾も放棄して悪に道に誘うことを教える鬼畜である。父親は週刊文春の取材に応じて、一言の謝罪もなく言い訳のみに終始であった。鬼畜の子に鬼畜の親ありである。父親はキャバレーで知り合った今の母親と結婚し、母親の同僚のホステス達が家に昼間からたむろって、いつも酒を飲んで騒いでいた。共犯の17歳の少年の母親は、パチンコや居酒屋に、毎日繰り繰り出し深夜まで家を空けることが多かった。こういう環境で子供がまともに育つわけが無い。

 こういう親を誰が育てたのか。親の子供への躾の放棄は二世代後に、凄惨な因果が回ってくる。誰のせいでもない。犯人の親の親が己の後姿で、30年後の今の親を作り、その親の子が親の背中を見て育ち、今の凄惨な結果を作った。

マスコミ(魔巣塵)という死鬼衆

 日本のマスコミはイスラム国の人質殺害ビデオをそのまま流した。イスラム国に意図通りの宣伝になる行為を援助して平然としている。今回の事件もイスラム国の邦人殺害事件が影響している。テレビ局は視聴率稼ぎの金儲け主義・成果主義で、映像倫理も考えず、過激な画面も平気で流す。欧米のマスコミは、事件は報道したが、殺害時のビデオをそのままは流さなかった。子供への簡単な洗脳教育は、価値観が未確定の年少時に悪い映像を見せ続けるに限る。それが今回の凄惨な事件で証明された。

 1985年にスウェーデンに出張時に見聞した現地テレビ界では、暴力シーンは子供の教育上で放映禁止である。ところが今でも日本では、刑事番組で殺人事件を毎日平然と流している。こんな場面を毎日見せられれば、子供も血を見ることに不感症になる。人はこの世で一番多く見たことを学習する。少年の凄惨な犯罪が増えて当たり前だ。金儲け主義のマスコミに責任がある。

鬼母誤情

 子供を堕落させる一番の方法は、多額の金を与えて愛情を注がないこと。女優の三田圭子の息子が大麻事件を起こした時、彼女は警察に怒鳴り込みに行って「息子には月50万円の小遣いを与えているので、不良なんかになるわけがない」、「母が女優ということで未成年である息子の事件が報道されてかわいそう」と放言した。無知な鬼母は、金さえ与えておけば子供が育つと妄信していた。良妻賢母役を演じた三田圭子に騙されたファンの人を見る眼の無さが情けない。2007年11月15日、次男が覚醒剤所持現行犯で三度目の逮捕をされ、翌日の会見で「すべては私たち夫婦の教育の失敗」「今も月70万円の小遣いを渡している」と平然と言う。大女優としてちやほやされると誰も忠言しない。聞く耳さえ捨てる。

 「みのもんた」の息子は、親の贅沢放埓の生活の後姿を見て育ち、親のコネで放送局に入社して、事件を起こした。全て親の責任である。その後の彼の言動を見ると、それを理解できていない。偉そうなことを放言しても、己への諫言には耳を塞ぐ。そんな「みのもんた」を育てた親の教育状況を知りたいと思う。

親は人生で最高の師

 2015年3月5日、たまたま大垣に立ち寄ったPHPのI部長との世間話をしていて、私の性格の形成には両親の影響が大きいとの指摘を受けて、おぼろげに感じていた師としての両親の大きさを感じた。川崎市の中学1年生の惨殺事件や近頃の嫌な事件の背景を見るにつけ、裕福ではなかったが勤労精神に溢れた両親に育てられた幸せをつくづくと感じた。

 人生で一番長く「師」として後姿で教えてくれるのは両親である。それも生まれてから脳の神経が形成される一番大事な時期に、人としての姿を後姿で教えてくれる。人は6歳までに80%の脳が完成される。後年の師との出会いでの教えとは桁違いの量である。そこで子供への人生教育が決まる。両親とは、ありがたい師の佛様である。

親の後ろ姿

 父は普通のサラリーマンで特別の趣味もない口数の少ない親だった。会社勤めの傍ら、休日にも内職で洋裁の仕事をしていた。父は大晦日から正月三が日の昼間に家にいたことがない。仕事である。正月は休日出勤手当てが100%増しで出るので、そのために出勤である。仲間は正月出勤を嫌がるので、却って職場からは喜ばれた。父からはシベリア抑留の話を全く聞かなかった。当然、恨みもあったろうに、まったくと言うほど話をしなかった。

 母も食べるのが趣味か、子供の成長を願うのが趣味みたいな親だった。10人家族の長女とうまれて、しっかりものの女傑でもあった。私はしっかり躾をされた。母も洋裁ができて、両親が共に内職で洋裁をしている家庭であった。その後姿を見ていると、とてもじゃないが贅沢をする気にはなれない。それを今は感謝している。当時、インスタントラーメンが流行り出した頃で、母が作るインスタントラーメンが楽しみであったが、一袋全部を食べさせてはもらえなかった。野菜で増量し、汁を増量し、麺を二つに分けて母と分け合って食べたラーメンである。まだまだ貧乏な時代であった。

 小学生の頃、今の今上天皇陛下の婚礼の儀(1959年、私が9歳)を見るため、社宅内で見栄のため(?)母は頑張ってテレビを買った。テレビの購入が競争になっていた良き時代でもあった。その後、数年でテレビが壊れてしまったが、買い直すこともなく、大学入学までテレビの無い家庭生活を送ることとなった。別にテレビを見たいとも思わなくなり、今もテレビの無い生活をすごす幸せを得ている。今にして母の見栄を満足させ、子への教育を考えた上での深慮遠謀ではなかったかと思う。くだらない番組で時間と言う「命」を無駄遣いせずに生きてこられた。ありがたいこと。

 両親の後姿を見て育ったせいか、親から「勉強をしろ」とは一度も言われなかった。言われなくともやらざるを得ない家庭環境であった。

 

図1 『週刊文春』2015年3月12日号

図2 脳の発達と心の発達

 

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ながい坂道で出会う佛様

 私の愛読書の一つは山本周五郎著『ながい坂』(1967年購入)である。この書に高校1年の時に出合ってから、大学時代、サラリーマン時代の長い旅の途中、悩んだときに何回も読み返していた。私は模擬体験として、もし自分がこの主人公なら、どうしただろうと考えることが多くあった。50年間共に過ごした本は色あせているが、今も大事に扱い、時折、読み返している。

坂の途中で出会う佛様

 この書から人生の多くの示唆と元気を貰った。最近、様々の曼荼羅の仏様と出あってきて、この書の登場人物は、主人公を育てるために現れた曼荼羅の佛様ではないかと思うようになった。必要なときに遅からず早からずに絶妙のタイミングで現れる主人公の相手方は、主人公に人生を教える師となっている。

 主人公が歩み道は平坦ではなく長い坂になっていた。人生の坂道で、ある所まで登らないと出会えない佛様がいる。途中の道端で主人公を待っている佛様がいる。坂の上の雲の中で、見守っている佛様がいる。道中で表われる多彩な佛様の姿が人生に色を添える。色とは縁であり人生経験であり、得られるのは佛様の智慧である。佛様に出会って縁を結ばない限り、智慧は掴めない。

 

 「人間というものは」と宗岳も茶碗を取りながら云った。「自分でこれが正しい、と思うことに固執するときには、その眼が狂い耳も聞こえなくなるものだ。なぜなら、或る信念にとらわれると、その心にも偏向が生じるからだ」(1-p68)

 「人はときによって」と宗厳寺の老師が穏やかに云った、「――いつも自分の好むようには生きられない、ときには自分の望ましくないことにも全力を尽くさなければならないことがあるもんだ」(1-p130)

 

 今読み返すと、二人の師の言葉は、広目天、増長天、持国天の言葉のように聞こえる。主人公を鍛える彼の師の生き様が、人生曼荼羅である。若いときは全ての師は、同じように精悍に彼を指導し鍛えるのであるが、年老いてからは各人各様の佛の姿を見せる。

老いの佛様

 一番尊敬していた師は老いの醜態を晒し、出世した彼の家に金の無心に来る。酒に溺れて醜態を見せる姿に、彼は打ちのめされる。当時の颯爽として詩経を論じた面影はどこにも無い。もう一人の師は老いて少し耄碌しているが、本好きの姿勢は相変わらずで、書籍の件で彼と穏やかな会話を続ける。もう一尊は死の床にあるが、気持ちはまだ現役の城代家老のままで毅然としている。病床にあってもお家の大事を考え続けている。

 年老いて醜態を晒したくはない。多少ボケても毅然としたまま老いていきたいと思う。最近は私に直接、その醜さを教えてくれる大ボケの佛と出会う機会が増えた。昔、エリートと呼ばれた人や元上司が、その醜態を演じて見せてくれている。人生の最終の演題で、老いた仏様が演じる人生能舞台である。佛様に操られて、本人にその意識がないのが哀しい。己がそのような仏になってはならないと、反面教師としての佛様がそれを演じて、私を教え導いている。有難い佛様である。合掌。

 

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子供の未来を食う死鬼衆

 大垣市立図書館で若い子達と席を並べて学習していると、目に付くのがスマホのゲーム中毒である。このゲームの氾濫が若い子をダメにしている。私は彼らがゲーム中毒蟻地獄に足を取られる姿を見る度に、どうにかせねばと苛立っている。電車や公共の場で、多くの若い子がスマホをいじっているが、その多くはゲームである。それと同じ状況が図書館の学習室でも氾濫している。親は我が子が図書館に行っているので安心している。知らぬは親ばかり。

大垣市立図書館の惨状

 学習室でも勉強中にゲームを始めると、1~3時間くらいは連続してゲームに嵌っている。その間、無為な時間が過ぎている。無為ならまだしも、怠惰な心を植え付け、己を律する心が死鬼衆に喰われる。脳がゲーム脳に浸食される。学生時代の貴重な勉強時間が毎日数時間も侵されれば、確実に学力低下である。そんなレベルの学生を会社は採用しない。まともな就職が出来ず、アルバイトやフリータへの道へ転落である。

 ゲームは非生産的な娯楽である。思考の抵抗力のない若い人を、ゲーム機やゲームソフトでゲーム中毒にさせるのは、麻薬を売るに等しい。若い人の青春が潰れていく。「若い時の命」と言う大事な時間が大出血で失われていく。誰がその血を貪って利益を上げているのか。ゲーム機、ゲームソフトを売るメーカである。血税で運営している学校や図書館がゲームで蝕まれている。図書館の市の職員は誰も禁止をしない。公共の図書館学習室ではスマホのゲームは禁止すべきである。

 

ゲーム中毒での損害

 若い人たちが日本の未来を背負ってくれる。その若人を堕落させ、麻薬同然のゲームで金儲けするのは死の商人であり死鬼衆である。若人が世界の学生に負ければ、日本は沈没である。若いときの1時間の勉強価値は、年老いてからの1時間労働の5倍の価値(私の実感)がある。若いときに勉強しなければ、年収1000万円の課長職の給与を得られるはずが、フリータの給与で一生を過ごさねばならぬ。一生、年収は200万円である。仮に日本の1学年の全学童の10%が毎日1時間、ゲームに没頭するとだけで、1兆8250億円の日本の損失である。それが6年間も続けば10兆円を超える。それを誰が食べているのか。

  損失金額=1時間×365日×50千円×10%×100万人

      =1兆8250億円/年 (一学年で)

       (時間アワーレートを5倍の50千円で試算)

 ソニーが業績回復をゲームで稼ごうと狼煙を上げている。ゲーム業界はゲームソフト開発にしのぎを削る。そんな死鬼衆まがいのビジネスに血道を上げるソニーなんか潰れてしまえ。貧すれば鈍す。若人の生血を吸うビジネスに手を出すソニーに未来は無い。さようなら、僕達のソニー。

 

スマホのゲーム利用者は約6割・・・・うち半数が毎日ゲームを起動

MMD研究所は、「スマートフォンゲームに関する調査(利用実態編)」を実施した。

同調査によると、スマートフォン所有者のうち、ゲームを利用したことがある人は61.7%で、そのうちの51.6%がゲームを毎日起動することがわかった。

スマートフォンゲームの1日の平均起動時間は、77.1%が30分未満である一方、10.3%の人は1時間以上であった。

調査期間は、8月8日から8月11日。調査対象はスマートフォンを所有している15歳~う59歳の男女566人。(インターネットコム)(2013年8月21日 読売新聞)

 

2017-07-29

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年7月26日 (水)

虚空蔵菩薩と高野山四天王のご縁

 2014年9月21日、1年弱待った虚空蔵菩薩座像(桧、5寸)が自宅に納佛された。松本明慶先生に製作をお願いした時、「いま大事な仕事にかかっているので、彼岸過ぎまで待って欲しい」と言われた。虚空蔵菩薩は寅年生まれの守り佛である。今まで無事に生きてこられたのを感謝するのと、今後の守り佛として見守ってもらうため、明慶先生に製作をお願いした。

 明慶先生の大事な仕事とは、てっきり運慶の菩提寺、六波羅蜜寺に納める阿弥陀仏だと思っていたが、そうではなく高野山1200年開創記念事業で納める四天王の製作であった。自宅に納佛された日、三好眼科(福山市)の三好輝行先生ご家族が、大原野の松本工房で納仏前の四天王を拝観された。高野山の中門再興で、その中に安置されてしまうとじっくり見るのが難しいため松本工房に来られて拝観された。その拝観日が虚空蔵菩薩像の自宅納佛日と同じであったのも、ご縁でした。三好輝行先生からの連絡で、私も松本工房へ出かけるご縁を頂いた。

虚空蔵菩薩とは、

広大な宇宙の無限の智慧と慈悲を持った菩薩である。そのため智慧や知識、記憶といった面でのご利益をもたらす菩薩として信仰されている。「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って、真言を百日間かけて百万回唱えるという修行を修した行者は、あらゆる経典を記憶し理解して忘れることが無いという。もともとは地蔵菩薩と虚空蔵菩薩が対になっていたと思われる。空海が室戸岬の洞窟御厨人窟に籠もって虚空蔵求聞持法を修したという伝説はよく知られている。日蓮もまた12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行った。また、京都嵐山の法輪寺では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く十三詣りという行事が行われている。

忘れることは人間の徳性

 忘れない人とは、神であり、「人でなし」。1979年頃、私も仕事で悩みを持ち、人生に迷っていた。ある新興宗教の教祖著の『密教入門(求聞持聡明法)』(角川選書、絶版)を読み、それに嵌りかけたことがある。しかし物理的に凡人が、真言を百日間かけて百万回唱えるという修行が出来るわけがない。冷静に考えると、記憶を絶対に忘れないとは、人間でなくなることである。過去の嫌な失敗談を何時までも覚えていては、地獄である。今まで何回、嫌なことで死にたいと思ったことか。それが人間の特性として、忘れるから良いのであって、何時までも覚えていることは決して善ではない。

60にして、59の非を知る

 当時は天中殺も流行した時代である。この新興宗教の手法を盗用して、オウム真理教が勢力を拡大して、地下鉄サリン事件(1995年3月20日)を起こした。有名大学出の若者が堕ちていった。頭が良い人は、楽をして成功を手に入れたがる。人とは愚かな存在で、歳を取らないと己の愚かさに気がつかない。人は愚かな事をしてみて、初めて愚かな事をしてはダメと気づく。人は毎日が新しい過ちを犯す。だから毎日が新しい自分の発見の日である。人は60歳にして、59歳の非を知る、である。だから人は一生修行である。

日野原重明先生の佛性

 日野原重明先生(1911年10月4日生)が、2017年7月18日、延命治療も拒否され、105歳で現役のまま亡くなられた。ご冥福をお祈り申し上げます。氏は地下鉄サリン事件のとき聖路加国際病院でサリンに曝された患者の治療に奮闘された。氏は東京大空襲の際に満足な医療が出来なかった苦い経験から、過剰投資ではとの批判の嵐の中、大災害時など大量被災者発生時にも対応できる病棟として、広大なロビーや礼拝堂施設を備えた聖路加国際病院の新病棟を断固として建設した(1992年)。この備えは地下鉄サリン事件(1995年)の際に遺憾なく発揮され、通常の機能として広大すぎると非難されたロビー・礼拝堂施設は、緊急応急処置場として機能した。日野原院長の判断により、事件後直ちに当日の全外来受診を休診にして被害者を無制限に受け入れた。同病院は被害者治療の拠点となり、朝のラッシュ時に起きたテロ事件であったが、治療現場の混乱が最少に抑えられた。この時の顛末はNHKドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』に詳しい。

 氏はクリスチャンであるが、生年と生月から、氏の守り本尊は阿弥陀如来である。阿弥陀如来は一切の衆生を救うため48の誓いを立てた仏様である。氏の一生を見ると、まるで阿弥陀如来が乗り移ったような経歴である。宗教の本質と教えはどの宗教も同じで、生まれた国とその表現が違うだけである。製造物が消費者に一番近い場所で、現地生産されるのと同じことである。合掌。

 

十二支と生誕月による御守本尊

千手観音菩薩

 子年と12月生まれ。一切衆生を救うため、千の手と千の目を具足し、目と手はその慈悲と救済のはたらきの無量無辺なことを表す。一つの手で二十五有を救うとされる。観音様の中でも功徳が大きく、「蓮華王」と呼ばれることもあります。どんな美人も生まれて人生を謳歌しても、不美人に生まれて悲嘆に暮れても、死んでしまえば髑髏である。皮一枚の出来不出来が美人、不美人を分けるが、死んでしまえば同じ髑髏である。それを千手観音菩薩は髑髏を手で持って教えている。千手観音菩薩の下のほうにある手に持つものは、現実社会での道具を表し、上側にある手に持つものほど、佛に近い世界で使う道具を表している。莫大な財産を集めても死ぬときは裸で旅立つ。

虚空蔵菩薩

 丑・寅と1・2月生まれ。虚空蔵菩薩は計り知れない智慧と福徳を具え、衆生の諸願を成就させてくれる菩薩で、頭に寶冠、手に福徳の如意宝珠、智慧の宝剣を持つ。胎蔵界曼陀羅虚空蔵院の主尊である。

文殊菩薩

 卯年と3月生まれ。「文殊の知恵」と言われ、諸仏の智慧を司る菩薩。釈迦如来の左側に侍し、右手に知剣、左手に青蓮花を持つ。普遍の悟りと智慧をもたらす。獅子に乗っている。

普賢菩薩

 辰・巳年と4月生まれ。釈迦如来の右の脇侍。白像に乗り、理知、功徳、教化、衆生を生死の苦海から救い、悟りの境地(彼岸)に導くとされる。普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味。「布施・特戒・忍辱・精進・禅定・智慧」の6つの力で迷える衆生を救うとされる。信仰する人を叱咤激励し、正しい道へと導いてくださる。尚、この菩薩の立てた十大願は一切の菩薩の行願の旗幟とされる。

勢至菩薩

 午年と6月生まれ。阿弥陀如来の脇侍。智力を象徴し、智慧の光をもって万物を照らし衆生の迷いを除き、無上力を得させ、苦を取り除く偉大な力を持つ菩薩で、悟りの境地に導いてくれる仏様です。

大日如来

 未・申年と7・8月生まれ。摩訶毘盧遮那仏。真言密教の教主で、宇宙の万物の智慧と慈悲の表徴。内は真如法界を照らし、外は一切衆生を照らす。一切の徳の総摂とされる。金剛を智法身、胎蔵を理法身とした二身を畢竟不離一体とする。

不動明王

 酉年と9月生まれ。五大明王、八大明王の一で、その主尊。種々の煩悩、障害を焼き払い、悪魔を降伏して行者を擁護し、菩提を成就させ長寿を得させるとされる。大火炎を背負い、右手に剣、左手に索を持つ。剣で衆生の煩悩を断ち切り、羂索で人を救い上げる。その目には怒りと慈しみがこもる。

阿弥陀如来

 亥・戌年と10月生まれ。一切の衆生を救うため48の誓いを立てた仏様。浄土宗、真宗の本尊で、無限の慈悲と永遠の存在と徳を与えられる。この仏を信じ、その名を唱えれば死後ただちに極楽浄土に生まれると言われる。

 

図1 松本明慶先生と三好輝行先生ご家族。 (写真は三好輝行先生提供)

   後は高野山に納佛予定の広目天・増長天像。松本工房にて(2014年9月21日)

図2 虚空蔵菩薩座像(桧、5寸) 松本明慶先生作

 

2017-07-25

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年7月23日 (日)

カテゴリー「吾が人生の師天王」を追加

 松本明慶先生に虚空蔵菩薩像の制作をお願いしたら、その納佛直後に高野山の中門に納める四天王の修復・新造佛を納佛直前に拝観できるご縁に出会った。それに関する記録と所感をまとめていたら、今までに人生の師との出逢いから様々なご縁の生成になっていることに気がついた。そのご縁のエピソードとその学びを、この冊子でまとめた。本書は私の今までの学びの集大成となった。

師天王の目からの考察

 この書で現代社会の病巣も描写した。我々は豊かさを求めて働いてきたが、それで本当に豊かになったのだろうか。身近で起きる事象を「師天王の目」からの観察すると、我々の社会がどんな風に見えるかである。

 これは私の半生記でもあり、私の人生経営書でもある。経営とは昔から連綿と続く経糸の歴史の営みの中で、己が創る今の時代の横糸を織りこんで創る曼荼羅模様の織物である。これは還暦までの第一の人生を昭和と平成の中で生きた遺書として、また第二の人生を歩く時の躓き防止のための体得知書としたい。この書が皆様の人生を考える上で、何らかのヒントになれば幸いです。

 

表紙説明

大佛師松本明慶謹彫 広目天、増長天   

新造佛が完成し、高野山に納佛直前の姿。(松本工房にて 2014年10月8日)

 

「師」とは: 「つみする」の意味である。「師」の左側は大きな肉の象徴である。つくりは「辛」(音)でその省略形が「帀」で刃物の象形である。敵を処罰するという目的で、祭肉を奉じて出発する軍隊の意味を表す。転じて指導者の意味を表す。己の間違った考えを刃物で切り取り、処罰してくれるのが師である。

「曼荼羅」とは: サンスクリット語のnandalaの音写した言葉で、本来の意味は“本質、中心、真髄などのもつもの“を表し、仏教では仏の悟りとその世界を意味する。

 

017-07-23

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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20170723