死鬼衆としての親
川崎市の中1惨殺事件(2015年3月)には目を背けたくなる。主原因は主犯の18歳少年の両親の後姿である。主犯の少年の父親はトラック運転手で、子供にタバコを吸わせ、「タバコを吸うのは俺が認めている」と学校に恫喝に行くほどの非常識さで、息子が非行に走っていても黙認である。親としての躾も放棄して悪に道に誘うことを教える鬼畜である。父親は週刊文春の取材に応じて、一言の謝罪もなく言い訳のみに終始であった。鬼畜の子に鬼畜の親ありである。父親はキャバレーで知り合った今の母親と結婚し、母親の同僚のホステス達が家に昼間からたむろって、いつも酒を飲んで騒いでいた。共犯の17歳の少年の母親は、パチンコや居酒屋に、毎日繰り繰り出し深夜まで家を空けることが多かった。こういう環境で子供がまともに育つわけが無い。
こういう親を誰が育てたのか。親の子供への躾の放棄は二世代後に、凄惨な因果が回ってくる。誰のせいでもない。犯人の親の親が己の後姿で、30年後の今の親を作り、その親の子が親の背中を見て育ち、今の凄惨な結果を作った。
マスコミ(魔巣塵)という死鬼衆
日本のマスコミはイスラム国の人質殺害ビデオをそのまま流した。イスラム国に意図通りの宣伝になる行為を援助して平然としている。今回の事件もイスラム国の邦人殺害事件が影響している。テレビ局は視聴率稼ぎの金儲け主義・成果主義で、映像倫理も考えず、過激な画面も平気で流す。欧米のマスコミは、事件は報道したが、殺害時のビデオをそのままは流さなかった。子供への簡単な洗脳教育は、価値観が未確定の年少時に悪い映像を見せ続けるに限る。それが今回の凄惨な事件で証明された。
1985年にスウェーデンに出張時に見聞した現地テレビ界では、暴力シーンは子供の教育上で放映禁止である。ところが今でも日本では、刑事番組で殺人事件を毎日平然と流している。こんな場面を毎日見せられれば、子供も血を見ることに不感症になる。人はこの世で一番多く見たことを学習する。少年の凄惨な犯罪が増えて当たり前だ。金儲け主義のマスコミに責任がある。
鬼母誤情
子供を堕落させる一番の方法は、多額の金を与えて愛情を注がないこと。女優の三田圭子の息子が大麻事件を起こした時、彼女は警察に怒鳴り込みに行って「息子には月50万円の小遣いを与えているので、不良なんかになるわけがない」、「母が女優ということで未成年である息子の事件が報道されてかわいそう」と放言した。無知な鬼母は、金さえ与えておけば子供が育つと妄信していた。良妻賢母役を演じた三田圭子に騙されたファンの人を見る眼の無さが情けない。2007年11月15日、次男が覚醒剤所持現行犯で三度目の逮捕をされ、翌日の会見で「すべては私たち夫婦の教育の失敗」「今も月70万円の小遣いを渡している」と平然と言う。大女優としてちやほやされると誰も忠言しない。聞く耳さえ捨てる。
「みのもんた」の息子は、親の贅沢放埓の生活の後姿を見て育ち、親のコネで放送局に入社して、事件を起こした。全て親の責任である。その後の彼の言動を見ると、それを理解できていない。偉そうなことを放言しても、己への諫言には耳を塞ぐ。そんな「みのもんた」を育てた親の教育状況を知りたいと思う。
親は人生で最高の師
2015年3月5日、たまたま大垣に立ち寄ったPHPのI部長との世間話をしていて、私の性格の形成には両親の影響が大きいとの指摘を受けて、おぼろげに感じていた師としての両親の大きさを感じた。川崎市の中学1年生の惨殺事件や近頃の嫌な事件の背景を見るにつけ、裕福ではなかったが勤労精神に溢れた両親に育てられた幸せをつくづくと感じた。
人生で一番長く「師」として後姿で教えてくれるのは両親である。それも生まれてから脳の神経が形成される一番大事な時期に、人としての姿を後姿で教えてくれる。人は6歳までに80%の脳が完成される。後年の師との出会いでの教えとは桁違いの量である。そこで子供への人生教育が決まる。両親とは、ありがたい師の佛様である。
親の後ろ姿
父は普通のサラリーマンで特別の趣味もない口数の少ない親だった。会社勤めの傍ら、休日にも内職で洋裁の仕事をしていた。父は大晦日から正月三が日の昼間に家にいたことがない。仕事である。正月は休日出勤手当てが100%増しで出るので、そのために出勤である。仲間は正月出勤を嫌がるので、却って職場からは喜ばれた。父からはシベリア抑留の話を全く聞かなかった。当然、恨みもあったろうに、まったくと言うほど話をしなかった。
母も食べるのが趣味か、子供の成長を願うのが趣味みたいな親だった。10人家族の長女とうまれて、しっかりものの女傑でもあった。私はしっかり躾をされた。母も洋裁ができて、両親が共に内職で洋裁をしている家庭であった。その後姿を見ていると、とてもじゃないが贅沢をする気にはなれない。それを今は感謝している。当時、インスタントラーメンが流行り出した頃で、母が作るインスタントラーメンが楽しみであったが、一袋全部を食べさせてはもらえなかった。野菜で増量し、汁を増量し、麺を二つに分けて母と分け合って食べたラーメンである。まだまだ貧乏な時代であった。
小学生の頃、今の今上天皇陛下の婚礼の儀(1959年、私が9歳)を見るため、社宅内で見栄のため(?)母は頑張ってテレビを買った。テレビの購入が競争になっていた良き時代でもあった。その後、数年でテレビが壊れてしまったが、買い直すこともなく、大学入学までテレビの無い家庭生活を送ることとなった。別にテレビを見たいとも思わなくなり、今もテレビの無い生活をすごす幸せを得ている。今にして母の見栄を満足させ、子への教育を考えた上での深慮遠謀ではなかったかと思う。くだらない番組で時間と言う「命」を無駄遣いせずに生きてこられた。ありがたいこと。
両親の後姿を見て育ったせいか、親から「勉強をしろ」とは一度も言われなかった。言われなくともやらざるを得ない家庭環境であった。
図1 『週刊文春』2015年3月12日号
図2 脳の発達と心の発達
2017-07-29
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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