c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2021年6月20日 (日)

一攫千金の錬金術に嵌り、千攫一泡の不覚

 

 「不覚」とは、仏教用語で仏様の智慧がない状態を表す。それに対して「本覚」とは「本来覚っている」を表す。人には、本来仏の心が具わっている。しかし私たちの現状は、煩悩に覆われ、妄念に囚われている。不覚とは無明である。何もわかっていない状態、真理が見えない状態である。その状態で自分の気に入ったモノだけに執着して、都合の悪いことを排除しようとする。それが「業」を作り、その「業」に縛られて、自らが苦しむことになる。それが「不覚」である。

 

 

「202X年総予想」誌は八卦見占い以下

 私は愚かにも一攫千金を夢見て、その類の雑誌を長年買ってきたが、儲かったのは売る方の雑誌社で、雑誌を買う方は儲かったためしがない。やっと目が覚めた。

 書いてあることは、今まで新聞や雑誌で発表した内容をかき集めただけで、どうでも解釈できる表現に終始している。それで一攫千金が叶うわけがない。

 雑誌社にその道の情報の達人が集結しているが、烏合の衆の有様で、綜合的な賢さがない。だから予想が当たらない。自分より能力のない記者達がまとめた結果である。その記事を信じる方がバカなのだ。

 コロナ、大震災、大洪水、米大統領の選挙予想の逆転、また逆転、首相の突然辞任である。ひと昔、やれ石油が枯渇するので大変だと予想があれば、いつのまにか脱石油で電気自動車が爆走するとのご神託の大狂乱報道である。全く予想外の展開ばかりで、「202X年総予想誌」の予想が当たったためしがない。

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自分の予想を信じる

 ド素人の経済評論家のいう事を信じず、自分の経済予想を信じるべきなのだ。真剣に経済を見れば、真実が見えてくる。宇宙根源の理に照らせば、真実が予想できる。如何にマスコミが嘘を報道しているかが見えてくる。

 

マスコミは錬金魔術使、電気自動車は「不覚」

 例えば、電気自動車の成長予想が大氾濫であるが、世の中の車の全てが電気自動車になれば、電気が枯渇して、電気料金が5倍になるという試算がある。生産から廃車までの総合エネルギー消費は、ガソリン車も電気自動車も変わらない。却って電気自動車の方が、エネルギー消費量が多い。質量の大きな自動車(1トン)を動かす仕事量(エネルギー量)は、ガソリン車も電気自動車も同じである。どうやって電気を作るのだ。中学の物理の授業を思い出すべきだ。今のマスコミは錬金術の魔術を信じているようだ。

 仕事量=力×移動距離(F×L)

 一トンの車を動かすエネルギーは、石油か火力発電か原子力発電を使って生み出すしかない。それはガソリン車も電気自動車も同じ条件である。

 だからそのうち、宇宙根源の理に目覚めて、揺り戻しが来るはずだ。中学校の物理学を思い出せば、マスコミの嘘が分かる。それが先を見る賢さである。だから私は電気自動車を買うつもりは全くない。

 その電気自動車ブームが沸く間、誰が儲けようとしているか、よく観察しよう。少なくとも、中国は電気自動車に不可欠な希少金属で世界を支配しようとしている。テスラの時価総額が1年で7倍になり、トヨタより大きくなるなど常識的に異常である。それはバブルで、バブルは何時か破裂する。

 欧州や米国は日本のすり合わせ技術に勝てないので、組み立てが簡単な電気自動車を法律の盾にして、欧米車を守り、日本車を追い落とそうとしている。このままでは、日本は技術で勝って、戦略で負ける。今までの経済戦争で敗戦してきた反省がまったくない。まさに千攫一泡の不覚である。

 その仕掛けに嵌った日産やホンダは潰れるだろう。

 

真の対策

 地球保護のために必要なことは、ガソリン車廃止ではなく、人間社会の贅沢な暮らしの見直しである。電気自動車化は対処療法で、効果のない対策である。まるで降圧剤の処方と同じである。少しも地球環境の保護にならない。必要なのは、地球環境との共生である。

 やるなら無駄で痴呆的なテレビ番組の削減である。マスゴミの排除である。飽食を止めて、西洋化の食事を制限し、医療費43兆円の削減である。付加価値を産まない利権官僚・政治屋の削減である。

 

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)

2021-06-20   久志能幾研究所通信 2065  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月18日 (金)

良く死ぬために、生前葬を(6/7)

 

 自分が死んでから、いくら多くの人に来てもらっても自分は対応できない。それなら元気なうちに生前葬をすればよい。生前葬と言っても、気心の知れた仲間と食事会をすればよい。単に元気なうちに、気軽にやればよい。それさえ出来なくなる日が、必ずやって来る。

 相手だっていつ死ぬか分からない。しばらく連絡がないと思っていたら、新型コロナで死亡なんて、最近よく聞く話である。

 相手が師であるなら、通常は年長者である。年功序列の原則で必ず、先に逝かれる。毎回、会う時を生前葬として、心して会い、会話を噛みしめるべきだ。

 同世代の友であっても、自分の健康管理に自信を持ち、相手が先に逝くと考えて(私は固くそれを信じて生きている?)、今回会う機会を最後として対処すべきだ。何事も一期一会なのだ。死んでからでは、会話もできない。

 そんな会話の場で相手を無視してスマホをいじるなんて、狂気の沙汰である。自分に残された時間の流れは、命の刻みなのだ。

 だからこそ、恥も外聞も打ち捨てて人生の大事を急ぐべし。

 

生前葬の回数

 あと何回、その相手と会えるのか。計算してから面会しよう。今70歳とし平均寿命80歳と仮定すれば、月に1回、生前葬として会食するとして、12回/年×10年=120回しか会えないのだ。年に一回の面会なら10回もない。ましてやその相手が病気持ちなら、その数は激減する。遠方の人なら数回しかない。

 

恵峰先生の生前葬

 馬場恵峰先生は、90歳の2016年12月8日、生前葬として生まれ故郷の波佐見町で「卒寿記念写経書展」を開催された。多くに人が来展され、多くの人と歓談をして、有意義な生前葬をされた。私もこの写経書展の写真をまとめて『馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」(2016年12月9日)』を出版することができて、先生の恩返しができて良かったと回顧している。ただし大赤字である。

 

恵峰先生の決意

 人間は、父母、所、時を選ばずして、この世に生を受け、生老病死を経て、浄土に旅立つ。人は生きている間に、多くのお世話とご縁を頂く。恵峰先生は、その報恩感謝の気持ちをこの写経書展で示された。恵峰先生は、それができるのも「今のうち、生きているうち、日の暮れぬうちで、感謝の表現をするなら、生きているうちにすべきとして卒寿記念として写経書展開催の決意をされた。

 恵峰先生は、「生まれ故郷で写経書展を開催できる佛縁とそれに足を運んでくれる人との佛縁は、天の計らいである。これから生涯の旅をする皆様が、写経書展で佛法の花の一端に触れて頂き、現実の歩みの半生と先祖供養の一端として受け止めて頂けたら本望だ」と言われる。

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰先生は力説される。

 人間の持つ生活模様の多様性が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚構上に舞う華やかな虚像に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される。「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、一歩一歩しっかりと踏みしめて欲しい」と恵峰先生は訴える。

 恵峰先生は、この写経書展を総括して「老人の身は従容として、時を刻む流れに任せる人生なれば、諸冊に学び、残れし人生、その所、時を大切に、余生を楽しむ歩みこそ大切なり」と写経書展を回顧して漢詩を揮毫された。

4k8a8735s  写経書展で「生きて」挨拶をされる馬場恵峰先生

4k8a8688s  写経書展開催の挨拶 馬場清治若先生

4k8a8740s   写経書展開催のテープカット

 

4k8a8724s お祝いに中国から駆けつけた書家・朱さんの祝書

4k8a9017s 漢詩で弔辞?

最後の中国旅行

 2018年10月、恵峰先生はこれが最後の中国旅行だとして、北京、武漢、浙江省の縁地に中国の友人たちにお別れの旅に行かれた。死を覚悟されていたようだ。後から推察すると、武漢では新型コロナ菌が拡散しつつあった時のようで、仏様のご加護で、恵峰先生は感染せず、滑り込みセーフで無事帰国された。

 そして馬場恵峰先生は、写経書展から4年後、最後の中国旅行から2年後の2021年1月1日に逝去された。理想的な死への段取りであった。

 

辞世の句

 今日死ぬつもりで、相手と最後のつもりで面会しよう。一期一会。永遠に生きるつもりで、お互いの想い出を作ろう。そして後世に残る仕事を残そう。明日の命は誰にも分からない。

 

親思う心にまさる親心 今日のおとずれ 何と聞くらん

 吉田松陰の辞世の句

 

2021-06-18   久志能幾研究所通信 2063  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月16日 (水)

良く死ぬために、無財の七施と知施・技施(5/7)

 

 死んだ後でその人が評価されるのは、集めたモノではない。世の中に施したもので評価される。

 仏教では、施しによる奉仕が説かれていて、お金のない人にも可能な「無財の七施」が勧められている。

 

「無財の七施」   『雑宝蔵経』巻6

  眼施    目による施し

  和顔悦色  笑顔による施し

  言辞施   言葉による施し

  心施    まごころによる施し

  身施    体=労働による施し

  床座施   席を人に譲ることによる施し

  房舎施   住まいによる施し

 

知施

 私はこの七施以外に、情報化社会に適合した「知施」を追加している。「知施」は、自分の体験したことや考えを文章としての知的生産物として人に施したり、情報の伝達、価値ある情報の掲載された雑誌等を進呈する。これは直接的にはお金がかからず、無財の七施に合う行為であると思う。ただし、この種の体験にお金がかかった場合には、少々の情報料をいただいている。

 このブログも知施である。皆さんに健康の情報、病気・事故・不幸を避けるための情報(危機管理)を提供している。

 この情報で皆さんが成仏できれば、私は嬉しい。人は成仏するために精進をしている。人は死んで、ほとけさまになる。生前に、ほとけさまになれれば極楽である。畜生として、死んでは、ご先祖が悲しむ。

 

技施

 私は恵峰先生の書に惚れた。私が先生に提供したのが、私の写真技術である。芸術家は記録を残さない。私は技術者だから、必ず記録を残すのが習性となっている。私は見るものを出来る限り写真にとって、製本し、先生に提供した。金儲けが目的では決してやれない。やればやるほど赤字になるからだ。

 持てる技の提供、つまり技施である。出来ることをやればよいのだ。私は先生に書道では太刀打ちできないが、私が記録魔ゆえに、写真・文章の技を提供できた。それで先生も喜んでくれた。

 

Img_64011s 馬場恵峰書 2006年

2021-06-16   久志能幾研究所通信 2061  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月14日 (月)

良く死ぬために、断縁捨利離業(4/7)

 

悪縁が人生を狂わせる

 朱に交われば赤くなる。悪縁を断つべし。

 良き師につけば、薫習でよき習慣が身につく。習慣は第二の性格である。

 

 悪縁の中にあっても、泥沼の蓮のような存在をめざせ。

 高貴な蓮の花は、泥沼で清らかな花を咲かす。

 だからお釈迦様は蓮の花の上に乗っておられる。

 それに対してワサビは清流の中でしか咲かない。

 人間はワサビの人生であってはならない。

 人間は清濁があってこそ、人間である。

 

利己主義は畜生界への道

 利己を捨て、利他で生きよ。死ぬ時は、何も持って逝けない。

 人生では与えたものが、倍返しで返ってくる。時として時間を置いて、子孫に返ってくる。それでよいではないか。

 

死とは人生で最大のプロジェクト

 人は裸で生まれて、裸で死んでいく。人は必ず死ぬ。人は必ず老いる。

 いくら金があっても、体力的に使えない時がくる。

 私もがんの手術をしてから、金があっても沢山食べられないし、旅行したくても動けないし、モノも買えない。モノを買うにも体力がいる。神仏にすがるにも体力がいる。死んでもいいから健康が大事である。死ぬにも体力、気力、知力が必要だ。死とは人生で最大のプロジェクトである。立派に死にたい。認知症で死にたくはない。

 

責任をもって使え

 それを前提に稼いだ金は、責任をもって使いきって死ね(生きよ)。老後のために爪に火を点す生活は愚かである。そんな人に老後はやって来ない。直ぐ病気で死んで、残った金を遺族が散財する。

 お金はお足なのだ。足止めすると、お足に復讐される。

 

人生はバイキング料理店

 バイキング料理店では、食べても食べなくても料金は同じである。人生もまたバイキング料理店と同じで、やっても、やらなくて、時間は同じように過ぎていく。その終着点は死である。

 人生の取り皿に入れた物件で稼ぎ、その稼いだ金を使わないと、何のために時間(命)をかけて稼いだか無意味になる。死後、無駄飯食いの役人が、税金として没収して無駄遣いしてしまう。それでは自分の人生が徒労になる。稼いだカネを使わないなら、人生で無駄な時間を使ったのだ。その時間を使ってもっと楽しめたはず。

 

高級レストラン

 若い時は体力に任せてバイキング料理店でもよいが、熟年ともなれば、高級レストランを目指して、自分の品格を研ぎ澄ますべきだ。オリンピック選手でもないのだから、体力ではなく、人は人格で勝負をするべきだ。その人格以上の人生は作れない。人格を高めれば、お金は自ずと寄ってくる。

 

金を稼ぐのは簡単

 金を稼ぐのは簡単だ。真剣に仕事に精力をかければ、大抵成功する。しかし稼いだ金を有意義に使うのが難しい。下手に金を残すと子孫が不幸になる。

 稼いだ金が少なかったら、真剣さが足りなかったのだ。今にして、今までの真剣さが足りないと自覚するなら、今から真剣になればよい。人生で決断が遅すぎることはない。死ぬ1日前でも、心を変えれば、1日の進歩がある。

 人は集めた金ではなく、使ったもので評価される。天界に行く人と、地獄界、畜生界に行く人の差は、カネの使い方である。人間と生まれたのなら、天界を目指せ。畜生界に堕ちてはならない。

 今の世界の混乱はグローバル経済主義が放つ利己主義・拝金主義が原因で畜生界のような様になっている。グローバル経済主義が進展して、人間の格もその格差が拡大している。

 

身に付いた業を消すには、悪縁を断ち、利他で生きよ

 人生の最終目的は、佛になること。

 人間は神を目指してはならない。神とは完全無欠な存在。

 神は人ではないので、「ひと で なし」である。

 だから人は神を目指してはならない。

 佛とは、人間味溢れた「ほとけさま」のこと。

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煩悩を消す必要はないが、少なくせよ

 生物として、生きたいという欲まで消せば、殺されてしまう。

 欲があってこそ、人間である。レベルの高い欲を持て。

 色欲まで消せば、人という種が滅んでしまう。色も必要だ。

 程よい色欲で、こんがりと人生を焦がせ。

 

積善の家には必ず余慶あり

 積善は、子孫のためにすること。自分がその恩恵を受けようと思っては罰が当たる。ご先祖の積善があって、今の自分がある。徳の循環である。

 自分が孤児であったら、今の(昔の人の生活に比べれば)贅沢な生活はできていないはず。両親、ご先祖に感謝である。

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  馬場恵峰書

2021-06-14   久志能幾研究所通信 2059  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月12日 (土)

良く死ぬために、反・断捨離(3/7)

 

 良く死ぬとは、良く生きること。つまらない断捨離など止めて、人生を謳歌して、全力で生きよう。いくら頑張っても生物学的に120歳までしか人間は生きられない。我々にできることは、後世に良き遺伝子を残すことだけである。

 愚かな人間は、やってはいけないことは、やってダメだと体験しないと分からない。それが智慧である。やらないで後悔するより、やって失敗して生きた方が良き人生だ。失敗しない、動かないとは、死の世界である。死ぬ前に、死んだ人生を送ってどうすのだ。

 

人生じまい

 子孫に美田を残さず。子孫に金を残せば、不幸の種を植えることになる。自分の思い出こそ人生である。断捨離なんて、自分の人生を捨てることだ。人生じまいである。断捨離なんて、死後、ほんの少しの金で業者がやってくれる。

 

30年後の因果応報

 両親よりも良い暮らしをしてこそ、亡き両親も喜んでくれる。元気に働いて稼ぐ。それが最大の供養である。良い暮らしをしてこそ、ご先祖の法要もすることが出来る。貧乏では法要もままならぬ。

 両親より貧しい生活では、自分がこの30年間、人並み以上の努力・精進をしなかった証である。親が贅沢を我慢して己を上の学校に行かせてくれたのだ。その感謝の念があれば、勉学に励むことが出来たはず。それを遊び惚けるから、貧乏になるのだ。30年後の因果応報である。佛様は良く観ておられる。

 

日本の高度経済成長期

 私は両親が必死に働いていた後姿から、多くを学んだ。その両親が遺した記録を捨てるのは忍びない。私が小さい頃、父は正月三が日に家にいなかった。大晦日、正月三が日を出勤して、休日割り増しを稼いでいた。皆は正月に出勤することを嫌がったので、父は皆から感謝された。それで贅沢な生活などしていない。全て子供の私の為であった。そんな親の姿を見れば、遊んでいなんかいられない。勉強をした。そういう姿が、日本を高度経済成長させたようだ。

 

仕事じまい

 仕事こそ人生である。生涯現役で働くつもりなら、惚けることのない。そのお手本を馬場恵峰先生は示してくれた。

 

墓じまい

 ご先祖の墓まで、墓じまいをしてどうするのだ。一日でも長く生きて、稼いで(世の中に貢献して)、ご先祖を供養する。それが子孫にできる最大の供養である。

 どうせ墓じまいをしなくても、お寺に護持会費を納めなくなれば、お寺がお墓をたたむ。墓地はお寺からの借地で買ったものではない。また逆に、護持会費を滞納すれば、お寺はお墓を撤去することができる。お墓の土地とは、そういう契約である。これもお墓を改建して体得した知識である。お墓を改建しなければ、知らないまま死ぬところであった。

 

反・断捨離

 死ぬまでにモノを買いまくり、金を使いまくって行動し、日本の景気に刺激を与えよう。それが年長者に出来る社会貢献である。今、日本経済が停滞しているのは、金を持っている老人が金を使わないからだ。

 使わず残った金は、国が強奪して役人がまた無駄遣いをする。ますます日本が衰退する。

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2015‎年‎1‎月‎12‎日 馬場恵峰先生の教室にて

 

2021-06-12   久志能幾研究所通信 2057  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月11日 (金)

良く死ぬために、ボスが君臨するサル山を下りる(2/7)

 

自己の価値観

 群れたがる人とそうではない人の差は、若い時からの勉強量の差とその継続性の有無である。人生で危機感を持って自ら学んできた人は、自尊心の明確化と価値観の確立がある。だから無意味な集まりに群れることもない。

 群れたがる人はあっちにフラフラ、こっちにフラフラとさ迷っている。それでボスの金の引力で群れ社会に入ることになる。それでは主人公の生き方ではなく、奴隷の人生である。

 群れるとは、サル山の支配者ボスに迎合し、従い、ボスを人生の師とすること。朱に交われば赤くなる。それでは悪縁を招く。

 私も一度、その群れ社会の宴会に参加したことがあったが、同席者と話が合わず苦痛であった。まるでヤクザの襲名披露宴であった。それは会社のОB会で、旧上司が威張り、昔の上下関係が変わらず、その場の話題が、病気や嫁の悪口ばかりであるのとよく似ている。

 

ヤクザの襲名披露宴への招集令状

 1975年頃、やり手のM上司が次長に昇格して、関係部員約100名を招集して泊りがけの大宴会があった。そんな事例は初めてで、私は行きたくはなかったが、立場上で拒否はできない。宮仕えは辛いもの。仲間の多くは「これはヤクザの襲名披露だ」と陰でボヤいていた。たかが宴会で、その場で全員集合の襲名披露記念写真?まで撮った。やり過ぎだ!

 私の同僚は、体質的にそのM上司と合わないと感じた。彼はそのM上司の時代が今後長く続くと予想して、会社を退職して、受験勉強をして大学院の編入試験を受け、進学して別の人生を歩んだ。それも人生の選択であった。

 その上司は、予想通り、その後も飛ぶ鳥を落とす勢いで出世をして、役員にまで上り詰めた。そんな羽振りによい上司であったが、最後は女に手を出して失脚した。

 

ヤクザのライバル

 当時、そのM上司の出世ライバルであった石田課長と大谷次長を出世競争から蹴とばした。石田課長は石田三成の末裔である。大谷次長は、関ヶ原の合戦の西側大名・大谷吉嗣の末裔である。

 石田課長の名言。「俺は君が仕事をしやすいように環境は全て整えてやった。後、やるかやらないかは、君次第だ」この言葉は忘れられない。

 私の当時の指導主任は石田課長の薫陶を受けた。そんな石田課長とそのM上司が、そりが合うわけがない。そのM上司が更に出世したら、早々に石田課長を社外に飛ばした。

 大谷次長(当時)は、今でも毎年夏、関ヶ原の合戦場に先祖供養に行かれる。私はその親戚が経営するアパート大谷荘で16年間お世話になった。

 

北欧出張で群れを強いられ苦痛

 1985年、仕事の関係で北欧の自動車メーカに4か月間、設計担当として機械納入で出張をした。その時、機械据え付けの担当者達と一緒であった。そこでの苦痛は、夜のホテル生活である。私は、夜、部屋でゆっくりしたいのだが、現場担当者達のボスがそれを許してくれず、一部屋にみんなと群れて過ごさねばならなかった。私は出張責任者として、彼らがつむじを曲げると困るので、嫌々付き合った。今風に言うと、思考の多様性を否定されたのだ。

 仕事が終わってホテルに着いてから、毎晩、一緒に食事に出かけ、10時ごろまでボスの部屋で群れて「拘束」されると、自分の部屋に帰ってからの寝るまでの時間がほとんどない。自分の勉強時間が無くなるのだ。それが一番苦痛であった。

 

うつ病対策?

 現場の人たちは別の価値観の世界で生きている。今にして思うと、海外出張では、現場の人は孤独には弱いようだ。精神的に弱いから、ノイローゼ(うつ病)になるのを防ぐために群れていたようだ。現場のボスは、それを知っていたから、夜は半強制的に一緒に過ごすようにしたようだ。それと比較すると私は精神的にタフであった。鈍感だったかも?

 

一人になる幸せ

 1か月後、機械の据え付けが予定通り終わり、彼らが帰国した。私は現地で一人になってホッとした。彼らは私が一人になることを気の毒がっていたが、全く逆であった。それから夜は、快適なホテルの部屋で、仕事をしたり、読書をしたり、漢文の勉強や、英語、スウェーデン語の勉強をしたりと充実した時間を過ごせた。

 私はスウェーデン滞在中に、テレビも酒も嗜むことはなかった。

 ホテルのテレビも興味ある番組は全くない。スウェーデンのテレビでは暴力場面禁止、セックス場面禁止で、討論会の番組ばかりで極めて真面目でつまらない。スウェーデンのテレビは、日本の扇情的な番組と大違いである。おかげでテレビを見なくても済んだ。

 私は酒に弱く、そんなに酒が好きでないので、酒に溺れることもなかった。またスウェーデンはアル中が多いので、酒の販売規制が厳しい。外人はパスポートがないと酒が買えない。スウェーデン人でも17時からしか酒は買えない。酒屋は17時から長蛇の列である。

 

「群」の語源

 左編は「口」+「尹」。尹は神事をつかさどる族長の意味。のりとの意味を表す口を付し、きみの意味を表す。「羊」はさまよう家畜の意味である。

 音符の「君」はむらがるの意味。むらがるひつじの意味から、群れ(むれ)の意味。

 要は、「群れる」とは、ボスに支配された世界を表す漢字である。

 インテリなら、サルに支配されるのは恥である。

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」 久志能幾研究所刊

 

2021-06-10   久志能幾研究所通信 2056  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月10日 (木)

良く死ぬために、主人公になれ(1/7)

 

主人公

 人間として生まれたのなら、人生の主人公を目指すべきだ。年長者になれば、群れて金魚の糞のように振舞うのは恥である。それは年長者の証ではなく、単に長く生き永らえただけのこと。船が出港しても、嵐に翻弄されて、湾の周りを漂っていただけでは、長く航海したとは言えまい。

 寂しいから群れるのでは、自主性がない。群れていれば、考えなくてもよいから楽なのだ。群れる仲間は同類だから刺激がなく、人間としての成長がない。それでは認知症への道である。餌(宴席、酒、女)に釣られて群れるようでは、人間として卑しい。群れる人間は卑屈である。何のために今まで人生修行をしてきたのだ。人間なら、人生の「主人公」として、毅然として生きていきたい。

 

孤独力

 群れる人間には、孤独力がない。上に立つ人間には、孤独に耐える力が必要である。一国の将は、万人が反対でも、自分を信じて一人先頭に立って行かねばならぬ。

 自分は37兆個の細胞の集合体である人間の将なのだ。群れたいという煩悩を抑制せねばならない。自分は108人の煩悩という部下の指導者なのだ。自分は連綿と続くご先祖様達の現代の代表なのだ。だから一人でいても寂しくない力を付けねばならぬ。

 何時かは一人になる。死ぬ時は、必ず一人である。一緒にあの世に行ってくれる人は、心中相手以外にはいない。

 人生で主人公になるとは、佛になることだ。その師は天であるべきだ。人生の最終目的は成佛である。佛は、人に頼らず、迎合せず、忖度せず、他と比較せず、悟りを目指し、自分の菩薩道を一人歩む。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」 久志能幾研究所刊

 

2021-06-10   久志能幾研究所通信 2055 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月 8日 (火)

乳がんの増加はカナリアの叫び

 

 女性は男性よりも体力的にも病魔の抵抗力に対して弱い。まるで炭鉱の異常ガスを検知するカナリアのようである。日本女性の乳がんの増加は、日本人全体に対するカナリアとしての警告である。この40年間で、乳がんは4倍に増えた。日本人の2人に一人が癌になる時代である。これは異常すぎる。

 40年前は、癌になる人などほとんど聞かなかった。

 私は河村義子先生のがん死によって、胸騒ぎを覚え、自分のガンを発見することが出来た。河村義子先生のがんはカナリアとしての警告であった。

 

真因

 現代社会は、食生活、生活習慣、精神文化が狂っている。それの自覚がないまま、飽食に流されて生きている。飽食が悪いと思っていても、誘惑が強すぎて、それに負けている。癌は生活習慣病である。

 日本中の拝金主義に染まった企業が、それを助長している。マスコミも広告費が欲しい為、真実の報道はしない。儲かれば、日本人の健康など知ったことではないのだ。食品企業もマスコミも死神である。

 

いじめの問題

 その狂った習慣とは、食べ過ぎ、運動不足、夜更かし、糖分の取り過ぎ、油分の取り過ぎ、防腐剤等の添加物の取り過ぎである。その全ての習慣が、自分の免疫細胞への「いじめ」である。自分の免疫細胞は必死に、己の体を脅かす敵と戦っている。悪習慣は、その味方の免疫細胞を、後ろから銃で撃つようなものだ。

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 愛知県がんセンターの研究資料より

P10702501s  馬場恵峰書

2021-06-08   久志能幾研究所通信 2053 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月 6日 (日)

恵峰先生を偲ぶ(9)みほとけからのご褒美

 

 馬場恵峰先生は、2013年度長崎県教育文化功労賞を受賞された。2013年12月23日に長崎インターナショナルホテルで、出席者123名で盛大に祝賀会が開催された。私にはこの12月は3度目の長崎行きの御縁であった。主催者の幹事(自民党県幹事長)と大村市長、李長崎駐在総領事の祝辞の後、恵峰先生のお礼のご挨拶があったが、そのご挨拶があまりにカッコ良すぎて、しびれてしまった。

 

 恵峰先生は和服でビッシと決め(高価そうな和服)、背筋をピンと伸ばし冒頭に「私は論語為政篇の『15にして志あり、学びて30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知り、60にして耳に従い70にしてその欲するところを従う』」の通りに生きてまいりました」と挨拶をされた。

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祝賀会での恵峰先生の挨拶姿    2013年12月23日に長崎インターナショナルホテル

 

3代続く県民栄誉賞

 波佐見町で学校を卒業した仲間の大半は、この世を去り、残った者も入院か足腰が弱って歩くのもおぼつかない状態である。同期の方が出席されていたが、あまりに恵峰先生との体の健康状態の格差が大きすぎる。人間の偉さは、どれだけ長く現役で社会に貢献できるかである。先生の後姿が全てを物語る。それが87歳現役での県民栄誉賞受賞である。それも祖父、父、恵峰先生と3代続く県民栄誉賞受賞である。

 自分のためにだけ生きてきた人間は、定年後に直ぐ駄目になる。先生にように世のため人のために、身銭を切り、体を張って日中国際親善の40年間に渡り活動してきた人には、仏様が健康で生かしてくれる。今回の受賞は、仏様からの仕事に対するご褒美である。

 

叙勲の仕組み

 市の表彰、県の表彰で、その後の順序として、国の叙勲の正規の手続きであった。しかし、叙勲の申請を何度もしたが、叶わなかった。中国との政治関係の悪影響がでたようだ。また強力に後押しする国会議員がいなかったためのようだ。

 国の叙勲は点取り虫方式である。国立大学の学長を何年やって〇〇点、国の委員会議長を何年やって〇〇点等、とその合計点で叙勲の位が決まる。学校でテストの点を稼いで、エリートコースを突っ走ってきた点取り虫たちが考えそうなことである。生きた仕事をして、社会のための価値創造に命をかけた人への評価は低い。

 この面での仕組みが改善されないと、日本は真の文化国家にはなれない。

人の存在意義

 動物は生殖をして後世に種を残す役目が終るとその命が終る。人間は生殖が終ってもなお生き永らえる。それは人間が、生物的に未熟のため生まれたままでは生きていけないので、社会として幼い命を支える社会システムを構築したためである。人が働くのも間接的に人の種の存続を助ける役割を持っている。それなのに、定年になり何もせず無為に過ごすことは、社会から必要とされなくなったこと。生物的に淘汰されるのは自然の摂理である。年老いても社会に貢献して生きる人が長生きをする。こういう御縁に接することが幸せである。

 

 健康こそ、社会への貢献である。最後まで健康で現役で社会に貢献すれば、国への医療費の負担も減らせる。結果として馬場恵峰先生は93歳7か月まで現役で活躍された。

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山田町議会昆議長は、被災地の幼稚園児がお礼として書いた色紙「げんき」を恵峰先生に贈呈

恵峰先生の横は李長崎総領事

039a12071s  この書は、2015年に恵峰先生より頂いた。

2021-06-06   久志能幾研究所通信 2051   小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月 1日 (火)

恵峰先生を偲ぶ(8)東日本大震災での支援(4/4)

 

 グレート小鹿さんは大日本プロレスの創業者・会長である。今回の「恵峰先生を偲ぶ会」で恵峰先生の想い出を語られた。

 

 今回の大震災で、親兄弟を亡くし、子供を亡くした多くの人が、仮設住宅で一日中、部屋に閉じこもっている。小鹿さんは町長からどうしたらよいかと問われて、思わず「花を植えましょう」と答えた。花を植えれば、花が咲き、誰かが世話をしなければならぬ。そうすれば仮設住宅で引き籠っている人が、一日に一度は外に出るようになる。

 小鹿さんは4年間、山田町にひまわりの種を贈り続けた。

 小鹿さんは、恵峰先生と岩手県の被災地を一緒にまわった。自分は生きているのではなく、皆から生かされていると感じたという。それを小鹿さんが恵峰先生に話したら、

  「その通りだよ。小鹿さん。今後、どんな天災が日本を襲おうとも、皆で助け合っていくんだ。弱い人を助けるという優しい心の持ち主が、日本にもっと増えなくてはならぬ。心の教育がこれからの日本に必要だ。」

 恵峰先生が小鹿さんの耳元でささやいた言葉が今も記憶に残っているという。

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2dsc002061s  齋藤明彦氏とグレート小鹿氏

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2021-06-01   久志能幾研究所通信 2044 小田泰仙

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