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2021年6月 6日 (日)

恵峰先生を偲ぶ(9)みほとけからのご褒美

 

 馬場恵峰先生は、2013年度長崎県教育文化功労賞を受賞された。2013年12月23日に長崎インターナショナルホテルで、出席者123名で盛大に祝賀会が開催された。私にはこの12月は3度目の長崎行きの御縁であった。主催者の幹事(自民党県幹事長)と大村市長、李長崎駐在総領事の祝辞の後、恵峰先生のお礼のご挨拶があったが、そのご挨拶があまりにカッコ良すぎて、しびれてしまった。

 

 恵峰先生は和服でビッシと決め(高価そうな和服)、背筋をピンと伸ばし冒頭に「私は論語為政篇の『15にして志あり、学びて30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知り、60にして耳に従い70にしてその欲するところを従う』」の通りに生きてまいりました」と挨拶をされた。

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祝賀会での恵峰先生の挨拶姿    2013年12月23日に長崎インターナショナルホテル

 

3代続く県民栄誉賞

 波佐見町で学校を卒業した仲間の大半は、この世を去り、残った者も入院か足腰が弱って歩くのもおぼつかない状態である。同期の方が出席されていたが、あまりに恵峰先生との体の健康状態の格差が大きすぎる。人間の偉さは、どれだけ長く現役で社会に貢献できるかである。先生の後姿が全てを物語る。それが87歳現役での県民栄誉賞受賞である。それも祖父、父、恵峰先生と3代続く県民栄誉賞受賞である。

 自分のためにだけ生きてきた人間は、定年後に直ぐ駄目になる。先生にように世のため人のために、身銭を切り、体を張って日中国際親善の40年間に渡り活動してきた人には、仏様が健康で生かしてくれる。今回の受賞は、仏様からの仕事に対するご褒美である。

 

叙勲の仕組み

 市の表彰、県の表彰で、その後の順序として、国の叙勲の正規の手続きであった。しかし、叙勲の申請を何度もしたが、叶わなかった。中国との政治関係の悪影響がでたようだ。また強力に後押しする国会議員がいなかったためのようだ。

 国の叙勲は点取り虫方式である。国立大学の学長を何年やって〇〇点、国の委員会議長を何年やって〇〇点等、とその合計点で叙勲の位が決まる。学校でテストの点を稼いで、エリートコースを突っ走ってきた点取り虫たちが考えそうなことである。生きた仕事をして、社会のための価値創造に命をかけた人への評価は低い。

 この面での仕組みが改善されないと、日本は真の文化国家にはなれない。

人の存在意義

 動物は生殖をして後世に種を残す役目が終るとその命が終る。人間は生殖が終ってもなお生き永らえる。それは人間が、生物的に未熟のため生まれたままでは生きていけないので、社会として幼い命を支える社会システムを構築したためである。人が働くのも間接的に人の種の存続を助ける役割を持っている。それなのに、定年になり何もせず無為に過ごすことは、社会から必要とされなくなったこと。生物的に淘汰されるのは自然の摂理である。年老いても社会に貢献して生きる人が長生きをする。こういう御縁に接することが幸せである。

 

 健康こそ、社会への貢献である。最後まで健康で現役で社会に貢献すれば、国への医療費の負担も減らせる。結果として馬場恵峰先生は93歳7か月まで現役で活躍された。

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山田町議会昆議長は、被災地の幼稚園児がお礼として書いた色紙「げんき」を恵峰先生に贈呈

恵峰先生の横は李長崎総領事

039a12071s  この書は、2015年に恵峰先生より頂いた。

2021-06-06   久志能幾研究所通信 2051   小田泰仙

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