ma_人生経営・会社経営 Feed

2018年8月25日 (土)

人生道を走る三貨車の教え

 仏教の教えに「三貨車」がある。これは仏教とは限らない人生の例えである。三貨車とは、人生を3つの車が走るさまと例えた。人生道を走るとは、前の車に駆動され、自分は真ん中の車に乗り、後ろに荷物を載せて走る生きざまを表している。

 徳ある人は、前の車に経典(人生の指針)を乗せ、それをカーナビとして正しい道を走る。その後ろに自分の遺徳・遺産を載せて走る。

 徳なき人の人生は、前の車に欲望という鬼を乗せ、己はそれに引きずられて暴走させられる。カーナビCPUの暴走である。後ろの台車には、金と女と酒が満載で腐臭をまき散らせている。

 

経営の指針

 名経営者は、駆動車に経営理念を乗せ、己は真ん中に堂々と座って、会社を経営理念に沿って走らせる。後ろの車に自社の製品と社会貢献を乗せる。前車に経営理念があると、何が道に飛び出してきても迷いはない。経営理念に沿ってハンドルを切ればよいからだ。医薬品メーカで、事故が起これば採算度外視しで顧客の命を守る。それが正しい経営のハンドルさばき。

 強欲な経営者は、駆動車に金儲けの御旗を掲げ、己はふんぞり返って、暴走する。後ろの台車には金は満載されているが、通った後はぺんぺん草も生えない。まるで目の前にぶら下がったニンジンをめがけて走る馬のごときである、そのレベルの経営者は、金儲けのために、排ガス不正も車検不正も、金が儲かる方にハンドルを切る。後ろに乗った社員には悲劇である。

 

大垣市の三貨車

 大垣市長は、どういう理念を載せて、どこへ市民を連れていくつもりなのか。前に乗せたものを見ても、名誉欲、利権優先、市長椅子への執着等ばかりで、理念に沿うものが見当たらない。哲学も思想も見当たらない。大垣市長は真ん中の車でふんぞり返り、後部台車には、けばけばしいお祭りの旗を立て、大垣市衰退の嵐の中を、ヒラメの職員が舞い狂い、負の遺産を積み上げている。声なき大垣市民は無視され、大垣駅前商店街は衰退の一途で、商店主は6割がひき殺された。子供たちは、将軍様の自己満足のため炎天下で踊らされている。

 行政の暴走状態は、ドライブレコーダーという市民の目、新聞、マスコミで正確に記録されている。天に目あり、地に耳ありである。

 

自分の三貨車

 自分は何に引きずられて人生道を走っているのか。後ろの荷台に何を乗せているのか、何を載せたいのか。その荷物を死んだあと誰に残すのか。

 間違った駆動車なら、取り替えればよい。全ては己の意思次第である。年に一度くらい、地蔵盆祭りの8月24日に、人生駆動車を車検に出すべきだ。意思さえあれば、駆動車を換えるのは容易である。私の町内では、台風20号の影響で今日の8月25日に地蔵盆祭りに順延された。自然は天の声を声なき経として奏でている。問題があれば、変更すればよい。

 

地蔵菩薩信仰

 前の車次第で、己の人生の行き先が変わる。誰しも来世では地獄には行きたくない。しかし現世でさえも、引っ張られる車次第で地獄を見る。全ては己の責任である。

 お地蔵さんは、この世で、同じ視線で我々を見守り、あの世で子供を助け、生前の己の善行を弁護してくれる。地蔵菩薩は地獄に人事異動(仏事異動?)で赴任されると裁判官の閻魔様に変身される。いわば弁護士と裁判官がお同じ佛様なので、救ってもらえるという地蔵菩薩信仰が生まれた。日本の仏教の話には救いがある。

 

佛の存在

 そもそも地蔵菩薩や地獄の世界を考え出したのは人間である。その己の中に、佛も住めば鬼も住むのを知り、地蔵菩薩という仏さまが生まれた。仏様とは己が理想とする存在である。そういう仏様を生み出した先人に感謝をしよう。あの世に地獄も極楽も仏ない。己の心の中に佛も地獄も存在する。自分の理想とする生き方を仏に見る。智慧ある先人が、人の潜在意識におわします理想を仏の形にしたのが宗教である。

 

最高の愛情表現

 親として、教師として、最高の愛情表現は見守りである。お地蔵さんが道端で見守っていてくれる。お墓で見守ってくれている。あの世で見守ってくれる。親でも教師でも、黙って子供を見守るのが最高の愛情表現である。その象徴がお地蔵さんなのだ。

 

2018-08-25  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月24日 (金)

詐欺師を目指して精進

Googleギフト(iPad Air2)に当選

 最近、立て続けにホップアップ画面「Google ユーザのあなた、おめでとうございます!」という通知が表示されて、「Googleギフト(iPad Air2)に当選した」というGoogle当選ページが表示される事例に遭遇した。今朝で3回目である。

 私は、最初の画面で疑問を感じ画面を遮断した。しかし画面を閉じたくても、その閉じるのクリックが効かず、困って最後は強制電源断で対処した。メールでも「50万円が当選しました」等のハッキリと偽情報と分かるのもあるが、これは手が込んでいる。

 よく見ると、まずアドレスがgoogle ではない。またGoogleのマークが少しおかしい。日付が「8月216月24」と異様である。詐欺の常套手段で、人数制限と締め切り制限で攻めてくる。

Google  当選を知らせる画面

ネット情報

 ネットで調べると、この件に関して多くの注意喚起情報が出ている。上の嘘情報を信じて進むと、個人情報・クレジットカード・メールアドレス・パスワードなどの情報を入力する画面に続いていくようだ。皆さんもご注意あれ。

 

詐欺師の確率計算

 そもそも景品法で、買った金額の何倍までと、景品額には上限の制限がある。それが一銭も出していないし、応募もしていないのに、当選なんておかしい。そう思わないと、また詐欺にあう。仏教の因果応報の教えに反している。

 多くの人は疑問を感じて画面を閉じるから良いが、確率的に1万人に一人でも詐欺に引っかかれば、それで詐欺師は損益計算上でペイする。詐欺側は、そういう確率計算をして詐欺を行っている。ご用心、ご用心。世の中、そんなうまい話があるわけがない。

 

詐欺師になろう

 世には、常識で考えれば詐欺だと分かるのに、欲に囚われるとそれが見えなくなる人がいる。人は、「貴方だけが幸せになれる」、「貴方は特別扱いです」とコチョコチョとされると簡単にオチル。だから、やるなら詐欺師にひっかかるより、ひっかける方に回れば、簡単に人が釣れる。だから自分の夢をぶち上げて、皆さんを巻き込んで新事業を立ち上げるのも、挑戦し甲斐がある事業である。

 人から見れば、自分の夢は詐欺まがいである。日本一になるんだと、何千回も言って、永守重信社長はちっぽけな町工場の日本電産を1兆円企業に成長させた。ホンダの創業者・本田宗一郎はミカン箱に乗って、社員の前で未来の夢を語り世界一のバイクを作った。悪い例では、オウム真理教の教祖は、頭の良い若者達を騙して絞首刑の階段に登らせた。

 

なるなら偉大な詐欺師になろう

 嘘みたいな夢でも、それを100万回言えば、それが本当になる。一番疑り深い己を騙して、自分の夢を実現しよう。それには人を騙す緻密な工夫がいる。夢の実現の最大の障害は、固定観念でカチンカチンになった己の頭なのだ。それを打破し、実現の為に智慧を絞る精進が、夢を実現させてくれる。そんなことを示唆してくれた詐欺広告でした。猛毒でも、微量なら、精力剤として使える。毒を食らうなら、毒を作る側になろう。モノを作ることで、智慧がつく。

 

2018-08-24  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月22日 (水)

車販売店の観相占い(お店診断)

 人相を見れば、その人の人格がわかるように、お店の面構えをみれば、そのお店の経営状態が診断できる。車を買うとは、お店を買うこと。自分を買うこと。

 

事後処理

 私の車は、窒素ガスが入ったタイヤなのに、車検の時、普通の空気を補充したのが大垣北トヨペット店である。私の車のタイヤには、窒素が入っていることを示すマークが入っていた。そのお店の整備マンはそれを知らなかった。そのお店には窒素を入れる設備もない。なおかつその後始末もしてくれなかった。怒り心頭であるが、これでは言っても無駄だと思い、自分で別のトヨタ店に行き、自己負担で窒素を補充し直した。その後、大垣北トヨペット店には、二度と行かない。それ以降の車検を別の系列のトヨタ店に変えた。

 

殿様商法

 その昔、三河でトヨタマークⅡかクレスタかチェイサーを買おうかと、選定でお店を回り、トヨペット店とビスタ店、チェイサー店を回った。そのトヨペット店は殿様商売の有様で、営業マンの態度がデカかった。「マークⅡはベストセラーで売れているんですよ」と。営業マンのでかい態度から、売ってやるという姿勢が鼻につき、不愉快になった。それと値引きが少なかったので、私はビスタ店でクレスタを購入した。

 

再発防止

 そのビスタ店で自車のある部分の修理を依頼した。その時、一緒に別に項目の修理を依頼した。車の修理を終わった状態で、確認したら、その最初の大事な方の項目が修理されていなかった。指摘すると、整備マンは勘違いで忘れており、慌ててすぐ修理しますといったが、たかが2項目の修理で、その一番大事な項目の修理を忘れるなんて、と怒り心頭で、「もう頼まない」と怒鳴りつけてお店を後にした。そのレベルでは、お店への技術レベルの疑惑と往復時間と待つ時間が勿体ないと判断したのだ。

その1時間後、店長と担当者が自宅に詫びに飛んで来た。訳を話したら、後日、再発防止として、修理のチェック表を導入するとのこと。怒りを鎮めて、そのお店とは長い付き合いとなった。トヨタ生産方式として、再発防止をする会社は信用できる。それができるお店は少ない。

 

良いセダンがない

 18年間乗っている自車を買い替えようと、トヨタ店を回った。カローラ店ではカムリも検討したが、聞けばハイブリッド仕様車しかない。なおかつカムリはFF車である。私はハイブリッド車が好きでないし、FR車が欲しいので、それは諦めた。ハイブリッド車は、確かに燃費は良いが、私は遠出をあまりせず、燃費は気にしない。ハイブリッド車は、機構が複雑である。重いし、その分、故障と修理費がかかる。機械はシンプルが良い。だからハイブリッド車は選択枠から除外している。

 私はセダンが好きだが、よいセダンがない。マークχも検討したが、モデルが無くなるという噂である。サイも検討したが、FFで、しかもこれも無くなる噂がある。

 販売店はトヨタに対して、ユーザの声を伝えるべきだ。セダンが売れないのは、その声が届いていない。

 

お約束すっぽかし

 今度(2017年当時)、新しいクラウンが出るというので、トヨタ店に行き、検討をしていた。当時(2017年)、次の出る予定の新クラウンの情報をネットで見ていて、その顔の自己主張がごつすぎて気に入らず、迷っていた。

 営業マンは「実車を見ればイメージが変わりますよ。新車が出たら必ず案内をします」と言っていたが、新車が発売(2018年7月)されても、その連絡がない。クラウンは社用車のニーズが多く、個人客に売らなくても勝手に売れてしまう車である。私みたいに個人客で、前期高齢者で、買うかどうか曖昧な客は、重要視しないようだ。それでお店の姿勢がわかった。客はお店をシビヤに観察していることを忘れないように。

 

客と営業マンの対応

 私の担当営業マンは、若い主任クラスであった。その年代の営業マンでは、私のレベルに役不足である。会話内容をこちらが選ばないといけない。相手を見て、それに見合った営業マンを対応させないと、売れる車も売れない。それでお店の姿勢もレベルもわかる。営業マンの知的レベル・話題レベルの向上が必要だ。

 聞けば、最近の営業マンは企業回りもしないようだ。車以外に話題をできるかが、営業力である。その切磋琢磨を怠っているようだ。

 名古屋のネッツトヨタ店では、営業マンに、車の販売とは直接関係ない教育を定期的にしているという。有名講師を招いて講話を聴かせているとか工場見学に行くとか。だから儲かっているようだ。

 

テレビが喚く

 トヨタ店、カローラ店、ネッツ店、トヨペット店の多くのお店で、テレビが一人で喚いている。広い店内で、誰もテレビを見ていないのに、大型テレビが鎮座して、くだらないワイドショーを放映したままにしている。椅子に座ると見たくもない番組が目の前に飛び込んで来て、目障りである。テレビの音も耳障りである。だれがそんな番組を見るために車販売店に行くのか。その電気代や設備費が、回りまわって客に押し付けられる。お店の雰囲気で、お店の姿勢がわかる。私はそんな店には行かない。

 

一時間車検

 三河地方では当たり前の一時間車検が、大垣地区では普及していない。一時間車検にすれば、代車も不要で、客もお店にいく二度手間が無くなる。お店も儲かる。大垣のディーラは時間の大切さを理解していないようだ。これでは儲からない。大垣の意識革命と時間の効率化が、大垣市の発展に不可欠である。

 

毒物提供

 車販売店に行くと、必ずコーヒ等の飲み物と一緒に菓子類が提供される。それが砂糖やマーガリン、ショートニング、植物油の添加物(毒物)の入った美味しいスウィーツである。しかし世の常識として、美味しものには毒がある。それは長期的に体に悪い影響を与える。ショートニングやマーガリンは欧米では禁止制限があるが、日本の菓子類には無制限である。私は食べないが、それ含んだ菓子を出すかどうかでお店の姿勢がわかる。なおかつその分の菓子代がお店の経費に上乗せされ、車の値段が上がる。

 

お店の展示雑誌コーナ

 お店で雑誌コーナを見れば、その店のレベルがわかる。ゴシップ満載の週刊誌を置いているお店には、つい足も遠のく。知り合いのネッツトヨタ店の店長さんは、店長自らが雑誌を選定して、下品な雑誌は置かないと言っていた。それでお店の雰囲気が変わる。

 あるホンダ系列のお店は、その雑誌の選定・展示が下品であった。その社長との面会の約束もすっぽかされ、その人格も疑問視されたので、縁を絶った。一事が万事で、雑誌コーナを見るだけで、その社長の人格がわかる。

 

トイレ

 お店の評価では、トイレを見れば一目瞭然である。これはどの業種でもいえること。きれいで清潔なトイレのお店は、全体が気持ちがよい雰囲気である。

 

お店の宣伝ニュース誌

 冷やかしでレクサス店を回った。あるお店では、そのニュース広報誌にクラシックコンサートや料理教室、陶芸教室等の話題が掲載されていた。さすがレクサス店だと感心した。

 ある別系列のレクサス店では、その紙面の冒頭に、営業マンの顔写真付きで紹介記事があり、私は1児のパパで、趣味はなんだかんだ、である。レクサスを買う人間が、営業マンの趣味など知ったことではあるまい。その紙面の下半分にお店で提供するスウィーツの紹介である。これでお店の経営方針が垣間見える。これは営業企画の失敗である。客が営業マンの趣味相談やスウィーツ目的で、お店に来るわけがない。そんな情報を求めて紙面など見ない。

 そのお店には待合室に立派な応接室があり、大型テレビが、鎮座して喚いていた。私はご免こうむりたく、その場を退散した。レクサスを買うレベルの人が、そんな環境で不愉快にならないのかしら。

 

系列の崩壊

 トヨタも、トヨタ車でありながら、系列が違うとその車が買えない。そんなおかしな商売が続くわけがない。トヨタの業務改革のスピードは速い。これからは系列の垣根がなくなり、どの店でも同じ車が買えるようになるはずだ。その時に、お店の営業力が問われる。店長の経営能力の差が問われる。

 営業マンは車の知識だけあれば、車が売れる時代は終わった。それは車に限らない。ネットで買えば済むのは、ごく一部の商品だけだ。ものを買うとは、その営業マンを買うのだ。高くても、営業マンの人格を買って、商品を手に入れる。それが理解できないディーラが多くて、困ったものだと泣く私が悪いのか、そうでないかは近未来にわかる。そういうレベルのディーラは淘汰されるだろう。

 

延命処理

 私が新車を買う目的は、最新の安全装置の追加である。しかしその装置は後付けではできず、それを買うと、「おまけで」新車が付いてきてしまう。困っている。

 だから18年間乗っている今のクレスタを延命処理に取り組んでいる。聞けば、大事に乗れば、60万キロ、100万キロは乗れるとか。長崎でタクシーに乗ると、平気で70万キロのクラウンにあたる。

 それで自車に衝突防止装置としてイスラエル製のカメラを追加した。なかなかの優れもので、お値段も優れもの(?)、20万円ほどかかったが、性能に満足している。それで一件でも事故が減れば安いもの。そういう装置の販売を考えて欲しい。この装置は地元では買えず、豊田市の会社に取り付けに行った。

 

2018-08-22  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月20日 (月)

大村智博士「私の半生記」(6/6)エピソード

サイン会

 講演が終わって拍手で大村博士の退席を待っていたら、大村博士は退席せずに演台の下の机に座ってサインを始めた。司会者が先生の著書『私の履歴書 ストックホルムへの廻り道』(日本経済新聞社刊)を受付で販売しているとのアナウンスがあったので、それで大急ぎで本を購入して、先生にサインをもらうため列に並んだ。無事、先生から本にサインをしていただき、幸せ!

 見ていると折角のサイン会なのに、著書を買ったのは10人もいなかったようだ。それでも大村博士は、子供たちのために優しい目でパンフレット等にサインをされていた。

 こんなよきご縁は滅多にないのに、本代1,600円を惜しんでそれを見逃す人が多いのには、呆れるばかり。大村博士からサインをもらった生徒たちは、今後の励みになったと思う。感謝。

61p1110290

 

想定外

 200億円の特許料が入ったのは、大村博士がお金を稼ごうとして研究をしたわけではない。ご縁と少しの才覚の賜物である。自分の研究に熱中したら、結果として世のためのワクチンが発見でき、ノーベル賞が頂けたに過ぎないという。大村博士は、定年後はゆっくりと好きなことをして過ごしたいと思っていたが、ノーベル賞受賞後は、まるで嵐に巻き込まれたようで、現役時代より忙しいという。それが伊藤秀光氏の講演依頼を当初、断った理由のようだ。これは翌日の朝食会で伺った。

トヨタ センチュリーのご縁 

 この講演で大村先生が書をされることを知り、自著の馬場恵峰書『百尺巻頭書作選集』を贈ることを思いついて、先生が宿泊されるホテルに届けた。そこに行く途中で、大村先生がトヨタのセンチュリーから降りて大垣の料亭に入っていく姿に出くわした。後で聞くと、大垣の某企業から県会議員の伊藤秀光氏が運転手付きで借りたとか。私は前職で、そのセンチュリーのエンジン部品(ダンパープーリ)の開発に携わったことがあるので、ご縁を感じて少し嬉しくなった。

 これは2012年12月5日に大垣に行幸された天皇皇后両陛下が乗ってこられた御料車センチュリーと同じタイプである。そのセンチュリーもこの2018年にモデルチェンジされた。

63p1040198 天皇陛下の御料車の後を随行するセンチュリー 2012年12月5日 大垣市

 

ダンパープーリ的な人生

 ダンパープーリとは、エンジンのクランクシャフトの回転振動を減少させる役目を持つ。エンジンの回転を、ダンパープーリを介してポンプを回して、エアコンやパワステを作動させる役目も持つ。

 そのダンパープーリの設計で、センチュリーのダンパープーリの設計は、一般車のそれより難しい。なぜ難しいかと言えば、センチュリーの様に、後ろに座った高貴な方が乗り込まれるまで、ひたすら待って、エンジンを低速でかけたまま、待機している時間が長いためである。高速で回転している時は、ダンパープーリの負荷として条件が良く、振動も少なく、冷却の風も当たり、ダンパープーリの防振ゴムに対して負荷が少ないからだ。ところが待機中では、振動も大きく、冷却空気も少なく、ゴムに対して逆に過酷な条件になる。それがセンチュリーのエンジン用ダンパープーリの設計で難しいところ。 

 

鍛錬

 これはまるで人生の試練のようだ。30年間の鍛錬の時間あっても人生で晴れ舞台は一瞬である。その時間までひたすら過酷な練習、鍛錬をして機会を待つ。それが人生だ。晴れ舞台のほうが楽なのだ。その日のために、ひたすら鍛錬をする。鍛を千日、錬を万日として、己に厳しい修行を課す。

 宮本武蔵著『五輪書』には「鍛錬」の語源として「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とす」とある。「鍛」は熱い思いを叩いて形にすること、「錬」は一つの道を練って歩くこと。「鍛」には千日(約3年)を要し、「錬」には万日(約30年)を要する。継続的な努力・精進の大切さを説いた言葉である。この鍛錬の修行を経て、大村先生はノーベル賞を授与された。

 大村博士は、昭和30年に山梨大学でスキーを始め、物事の取り組み方をスキーの横山天皇と呼ばれた先生に学び、30年の鍛錬を経て、昭和60年にヘキスト・ルセル賞(微生物学会)を受賞した。博士のエバーメクチン発見等の業績が国際的に評価された。まさに30年間の鍛錬の成果であった。

64img_4213

馬場恵峰書 2011年

 

翌日のエピソード

 翌日2018年8月8日、第4回カナデノワコンクールが、大垣市スイトピアセンタの音楽堂で開催された。私はカメラマンとして会場に赴く前、朝食を大村智先生と秘書の鈴木さんとご一緒できるご縁をいただいた。大村先生には、その食事の場で自著の馬場恵峰書『五重塔が照らす智者の言霊』を贈呈した。

 先生はその本を見ながら「これでは金儲けではできませんね。これは趣味の世界ですね」と褒めて(呆れて?)頂いた。『五重塔が照らす智者の言霊』の内容は、現在、ブログで随時連載中です。先生の言葉に勇気づけられて急遽、この本の出版を早めることにした。

 大村智博士とは、馬場恵峰師の現住所が「大村」市で、作成した著書名が「智者」となにか不思議なご縁を感じ、急遽、大村博士に自著を贈呈することを思いついた。また馬場恵峰先生が、山梨の武田信玄公の四天王である馬場春信公の末裔であることもご縁であった。

65p120170413

  贈呈した自著(全112頁)

 

空振りの涙

 朝食で大村先生から人生のエネルギーをいただき、その後、元気一杯で演奏会会場に向かった。会場で、大村先生とのツーショトの写真を関係者に見せて、エッへんと自慢した。しかし、分野が違うせいか、話がかみ合わず、(へーそうなの、で終わり)大落胆でした(😿)。音楽コンクールの場所では、世界的ピアニストと会食したという話題(?)でないと、自慢できないようだ。皆さん、👀をもっと世界に向けよう。

66p1050278

2018-08-20  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月19日 (日)

大村智博士「私の半生記」(5/6)研究を経営

 経営とは、過去から受け継いだDNA・資産と現在持てる資産の全てを持てる全智慧を使って利益を創り、現在と未来に伝承する人が行う尊い佛行である。

 単なる金儲けは経営ではない。利益(りやく)とは、仏教用語で、仏菩薩などが衆生など他に対して与えた恵みである。この言葉から派生して、現在の利益(りえき)の言葉となった。

 以上は、私(小田)が考えた定義である。それを大村先生は忠実に実行されている。

 

経とは

 経とは、横糸と縦糸を紡ぐ機織り機の象形文字である。縦糸という歴史の時間の流れを、横糸という今の時代の「色」に合わせて布(製品)を織る。それが経営である。

 

営とは

 営とは夜の陣中に廻らすかがり火の意味である。宮は「部屋の多い家屋の意味を表す。周囲にかがり火を廻らした陣中を意味する。会社や組織は、多くの部署を持ち、営業活動をしている。経営とはその営みを表す。

 

過去の資産とは、組織の持つDNAとは

 北里柴三郎の学問研究の目的は、「全ての学問研究の目的は、学者の単一な道楽ではない。研究の結果はなるべく適切に実地に応用して国利民福を増進することにある」(結核予防協会演説 1917)と述べているように、北里研究所のDNA はこの宣言にある。それこそ縦糸の過去の資源であり、持てる資産である。未来への投資とは、後進への投資である。

 

大村博士の故郷が生んだ経営者の言葉

 「金がないから、何もできないという人間は、金があっても、何もできない人間である。」(小林一三(1873~1957) 山梨県生まれ 東京電灯・東宝を経営、宝塚歌劇団を創始)

 

 大村博士は、北里研究所で研究を経営するとは、研究のアイデアを生み出し、その実現のために資金を投入、人材育成、得られた成果を社会還元という4つが大事だ、と考えた。

 

アイデア

 アイデアは、世界の一流の研究者たちとのセミナーを500回も開催して北里研究所の研究者たちを啓蒙していた。この項と人材育成は、前項の「教育への情熱」にその詳細を述べた。大村先生は、経営者として人材育成にあたっていた。現在の日本企業の経営がパッとしないのは、欧米に比較して人材に投資していないためである。日本の経営者は口では教育は大事というが、金の使い方を見ると嘘ばかり。私の前職の会社も、それが一因で消えた。

 

アイデア実現

 アイデアの実現のためは、資金があってもそれをうまく回さないと実現できない。それが経営である。経営とは人・モノ・金・時間の運営である。

 大村博士は、北里研究所の経営が倒産の危機に瀕していることに気が付いて、その経営に大村先生は没頭することになる。自分から手を上げて副所長に就任する。自分から役職に手を挙げたのは、後にも先にもこの時だけであった。北里研究所を経営分析してで、負債が大きく倒産寸前であることを発見して、それを分かりやすく皆さんに説明して理解を得たという。

 大村先生は、自分の研究よりも、北里研究所の再建が最重要と考えたのだ。北里研究所は日本の宝である。そのために、後に引かない決意として大学教授を辞めて、副所長として経営に選任することにして、周囲を驚かした。給与はドーンと下がったという。

 元山梨大学学長の安達禎氏からは「何事も千畳敷のど真ん中でやれ」と教えられたという。

 

社会還元

 特許料で研究する学者はいるが、病院まで建てたのは、大村先生が初めてであろう。これも経営がうまくいったためで、金だけあっても病院は建たない。経営がうまくいって440床の病院が建設できた。それには社会還元するという理想があったからだ。

 現在の日本の企業が不振なのは、金を貯めるばかりで社員に還元せず、投資を行っていないためである。日本の社員の生産性が低いと言うが、単に給与が安いにすぎない。給与が安いと、計算上で付加価値額が低くなる。

 

大村博士の経営の勉強

 大村先生は、経営について独学で猛勉強をしたが、それだけでは良くわからないので、日本女子経済短期大学の井上隆司先生について、月に1回のペースで食事をしながら教えてもらったという。

 

自分を経営する

 人生では、会社経営よりも自分株式会社の経営が一番難しい。人生経営とは、自分が持つ資源を最大限に使って、自分の人生を全うすること。それが経営なのだ。自分の持てる資産を使い切らず、人生を終える人がなんと多きことか。

51p1040034  馬場恵峰書

2018-08-19  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月18日 (土)

大村智博士「私の半生記」(4/6)教育への情熱

自身の育成

 大村先生は、山梨県の農家に生まれ、風光明媚な場所で幼年期をすごされた。詩人の大岡信氏は「眺望は人を養う」と説いている。幸せな環境で育ってよかったという。また神を敬い、ご先祖を崇める精神も根付いている風土に育ったのも良かった。

 大村先生は、子供のころ、両親が農家を継がせるつもりのため農作業に厳しい時期を過ごした。小さい体でそれをこなすのは大変だったという。ノーベル賞学者のコンラート・ローレンツが「子供の時に肉体的に辛い経験を与えないと、大人になって人間的に不幸だ」と言っている。厳しい農作業のおかげで、体力も精神力も鍛えられて幸せだったという。

 「子供を不幸にするために一番簡単な方法は、いつでも、何でも、手に入るようにしてやることだ。」とフランスの思想家ルソーが言う。そういう点でも、素直に親から言われたことに従ったのがよかったようだ。

 

教師としての支援

 大村先生が夜間の定時制高校で教えていた時の話。夜間で学ぶ生徒は、仕事との両立が大変で、35人が入学しても卒業時は20人、15人と減ってしまう。それを大村先生は「とにかくこのクラス皆で卒業しよう」と絶えず声をかけて、結果として33名で卒業させた。この数値は、今までの黒田高校で一番とか。大村先生の熱意が生徒の通じたのだ。だから今でも卒業生と交流があるという。

 

若手の育成、一流の空気に触れる

 大村博士は教授になってから、若手を教育するのに、世界でトップクラスの講師を招いて北里ミクロビアル・ケミストリー・セミナーを30年間で500回も開催した。自身がスキーで山梨の国体選手にまでなり、何回も優勝までしたので、トップになるにはトップクラスの空気に触れないと、超一流になれないと感じていたからだ。米国に留学して、一流の学者たちと交流しないと、研究が一流にならないことを肌で感じていたからだ。

 

人の育成

 科学技術は大進歩を遂げたが、心の問題が置いてきぼりとなっている、と大村先生は悩まれて、人の教育には人一倍の情熱を傾けられた。大村先生は、学生の心の教育と心のヒーリングの一環として、北里病院内に絵を飾ったり、音楽会を開催されたり、美術館を作ったり、絵を購入・寄付と社会に貢献をされた。

 「芸術を楽しむことにより、情緒が高められたり、品性が陶治される。」(哲史)として、大村博士は、芸術に触れる環境を学生のために作ってきた。大村博士は、教育には特に力を入れて学生の学びの場には本物の絵を飾って、芸術に触れる環境を作った。本物という世界で一流の芸術に触れさせた。

41p1110267_1

42p1110267_2 学生の学ぶ場に絵が飾られている。(講演スライドより)

 

大垣との比較

 大垣の音楽関係のボランティア活動では、「世界で一流の音楽を楽しむ会」で、世界で一流の音楽家を招いて、子供たちに「足ながチケット」を無料で贈って、音楽会に招待している。子供たちに超一流の音楽を触れさせて、子供の音楽への情操教育の一環としたいためだ。有志が大垣市内の企業に協賛金をお願いするため走り回って、この会を運営している。

 2017年9月29日は世界のトップチェリストのTIMM をドイツから招いて、その音楽会に120人の子供たちを大垣音の楽堂に招待した。今年2018年9月17日は、世界的ピアニスト、サラ・ビュクナーの演奏で、同じく子供たちを120名招待する演奏会が計画されている。私はそのカメラマン役で忙しい。サラ・ビュクナーのコンサートがこの前の9月に、京都で5回連続で開催されるので、事前調査で私は大忙しである。

434k8a3400_1

444k8a3400_2

 2017年9月29日 TIMMを招聘して「足長コンサート」。子供達120名を招待。

45dsc08858 サラ・ディビスのコンサート 2018年5月29日 多治見市でのコンサートで

  私の事前調査、撮影  

 

大垣市政の芸術への冷淡さ

 小川市長は、こういう芸術教育活動や子供の教育環境向上には金を出し渋る。それでいて愚劣な大垣市制100周年記念行事には3億円余も散財である。それも会計報告もなしに。根本の問題は、小川敏市長には芸術への理解がないから。そしてわずか2週間の命の愚行「水まんじゅうギネス記録」に血税900万円もかける。何が「子育て日本一を目指す」なのか、お笑いである。

 子供たちには、芸術に触れさせる教育が必要なのだ。小川市長はそれがわからない。だからギネス毒水饅頭を食べて、痴呆的に笑い転げる様を晒す。

 

大村博士の意向

 大村博士は、伊藤秀光氏が大垣講演を頼んでもなかなか受けなかったという。伊藤氏が山梨の倫理法人会を通して、やっと講演会を引き受けて頂いたという。その時、大村博士は、子供達に話をするなら、という条件で引き受けられた。それで今回、約100名の生徒達を招待しての講演会である。座席も会場の中央部を生徒達のために空けて用意をした。

 

小川敏大垣市長の血迷い?

 何を血迷ったか、大垣倫理法人会の顧問である小川敏市長が、講演前に祝辞を述べた。その時間わずか1分24秒。時間が短かすぎて、その話には内容がなかった。司会者が「多くの祝辞を頂いていますが、大村先生の講演時間を多く取りたいので割愛します」とした。それに割込ませたのは、小川敏市長への忖度である。聴衆は市長の挨拶を聞くために来たのではない。

 

人生の経済ロス

 市長の話は、たった1分24秒間で、単に自分が3回も全国市長会で話を聞いて感動したという自慢話であった。その挨拶で、市長紹介を含めて約2分間を無駄にした。一人1分100円の時間コストとして、400人の聴衆で合計80,000円のロスである。無駄な挨拶はないほうが良い。挨拶である以上は、付加価値を生まないと意味がない。それは講演会の情熱を削ぎ、大きいロスとなった。

 

倫理に反する

 倫理とは人としてあるべき姿の追求である。道徳の追求である。市長の割り込み挨拶はその道から外れている。講演会の市長挨拶は、売名行為である。顧問という立場なら、身内の行事に祝辞を口上は倫理に反している。顧問という立場なら、他の役員のように脇に座るべきである。それを生徒達が座るエリアのど真ん中に座った。会場中央部は、大村博士の意向で子供達のために空けていた。

 私は、小川敏氏が倫理法人会の顧問であることを今回初めて知った。今まで、市長がこの会の講演会に参加したことを見たことがなかった。

 

大村先生は実践躬行、小川市長は言うだけ番長

 大村博士は教育、芸術、実践、縁の大事さを講演会で説かれた。それを「実践躬行」という信条で表現された。小川市長は、その話を過去に3回も聞き、「今までで一番感動した講話」と持ち上げた。

 しかし小川敏市長は、大村先生の説かれる実践躬行を理解できないようだ。大垣市政では節約ばかりで、大垣の子供への教育をないがしろにして、芸術にも理解がなく、実践がなく、ご縁を大事にしない。未来を背負う子供の教育に、もっと力を入れて欲しいが、私の願いである。

 

小川敏氏の精神分析と学び

 小川敏氏を精神分析すると、自己顕示欲が強いので、行事では何か言わなくては収まらない。人の話を聞かず、自尊心だけは高いので、間違ってもその修正をしない。その演説をぶった分だけ、聴衆の時間の無駄。大垣の不幸である。

 今回の大村博士の講演を聞いて、実践の人と言うだけの大垣市長との差を見ることができた。今の状況では大垣市の子供に科学技術の心は育たない。子供の育成には、トップの姿勢が一番大事なのだ。それを大村博士の講演で学んだ。

 

小学校エアコンの事例

 大垣市議会の自民クラブと市民運動での陳情書からの突き上げで、県下最低の周回遅れで、2018年8月10日、大垣市長はやっと小学校にエアコン導入計画を声明した。大垣市長は、人から言われないと実行しない。小川市長の言動は、実践躬行と大きな乖離がある。大村博士の講演から何を学んだのか。これでは子供達は「未来に羽ばたく大垣」に貢献できまい。

当に心を以て字無きの書を読むべし。乃ち洞して自得する有らん。

 字面に捉われず心眼を開いて社会の実相を読め、必ず自らに資する何ものかが見えてくるであろう。(佐藤一斎 言志四録  後録138)

 

2018-08-18  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月17日 (金)

大村智博士講演「私の半生記」(3/6)ご縁

学校は出たけれど

 大村先生が卒業の1958年は、不況の真っ只中で就職口がなく、何とか東京都の夜間定時制高校の教師になった。その競争率は30倍の難関であった。その学校では、中小企業に勤めている子が、仕事のため夜に遅刻しながらも学校に通ってくる。ある試験の日、遅れてきた学生が、まだ手に油汚れがある手で試験問題に取り組んでいる姿を見て、大村先生は、自分の怠慢さを反省して、大学院で再度勉強をしようと決心された。そんなご縁を作ってくれた夜間定時制高校の学生達である。

 

路頭に迷う

 山梨大学で研究生活を送っていた時、東京理科大学で助教授の口があるというので、山梨大学の助手を辞めたら、東京理科大学の助教授が予定通り転出できなくなり、その口が無くなってしまった。しまったと思っても後の祭りで、先生には大失敗であった。そうしているうち、北里研究所で新卒の募集があるというので、採用試験を受けることにした。大学を卒業して7年がたっていたが、何とか2名の枠に入ることができたという。それが無ければ、細菌学の研究には入らなかったかもしれない。そうすればノーベル賞にも縁がなかっただろう。何が幸いするやら。ご縁の不思議さである。

 

人生の分かれ道

 1971年、大村先生は米国ウエストレーヤン大学に、客員研究教授として留学する。その留学先の選定に当たり、5カ所に手紙を書き、留学先を検討した。結果として提示された中で一番年間給与が安く、給与が他の半額程度のウエストレーヤン大学を選ぶことになる。その理由を、大村先生は、電報ですぐ応じてくれたし、先に米国旅行の時、「大人物だな」との印象を受けて人間的な魅力を感じたと思ったのが、決め手となった。「給与が低い分、何か別にいいことがあるのではないか」とも思ったという。妻が「給与が一番いいところにしましょう」と言うのに従わずに決めた。

 それが将来の大村先生の進路に影響することになる。正に運命の分かれ道であった。大村先生は目先の利益に囚われず、素直なご縁を選んだ。

 

大村先生の廻り道

 大村博士が、ご縁を大切にするという姿勢で、結果として、夜間の定時制高校の先生や、山梨大学で助手の研究生活をして、人生の回り道というべき道を歩まれながら、同期よりも7年も遅れて新卒として北里研究所に入所して、技師補から出発して、今の研究成果を上げられたのは、奇跡のような経緯である。

 北里研究所への入社試験合格もはたから見れば、奇跡のような出来事であった。なにせ大学卒業後、7年目での就職試験である。世に出る人は、なにか神仏のご加護があるように感じる。

 

阿弥陀仏のご加護

 大村智先生の御尊父は、地元の願成寺の阿弥陀三尊像を守った功徳がある。地元の願成寺は武田氏の祖・武田信義公の菩提寺である。武田信義公から16代目が武田信玄である。

 その寺が明治時代の廃仏毀釈の影響ですっかり寂れてしまい、尊父が青年時代に、檀家総代や村の長老たちが寺の運営費をねん出するため、阿弥陀三尊像(阿弥陀如来像と脇尊の観世音菩薩像、勢至菩薩像)の売却を決めてしまったという。この仏像は平安時代末期の作で、ヒノキ材寄せ木造りの貴重な作品である。尊父はそれを聞いて、尊父が中心になり、村の青年たちで売却反対運動をして、それが功を奏して仏像は寺に残ることになった。その仏像は1939年には国宝に指定された。尊父が最も自慢にしている出来事という。

 その後、大村先生の慶事の折などは、尊父は「阿弥陀さんのおかげだ」とよく言っていたという。大村先生は、尊父の影響で歴史好きになり、そこにロマンを感じるようになったという。

31img_4413   馬場恵峰書 2012年

 

2018-08-17  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月16日 (木)

大村智博士講演「私の半生記」(2/6) 座右銘

人真似はしない

事例1 スキーで攻める

 大村先生は山梨大学時代、スキーに熱中して、指導の横山隆策先生(横山天皇、伝説のスキーヤーと呼ばれた方)から薫陶をうけた。当時、新潟にいた横山先生は、当時の最強の北海道のチームからいろいろと教えてもらうのだが、なかなか勝てる様にならない。それで「北海道の真似をするのはやめよう」と決断して独自の練習方法に切り替え、みんなで話し合い、工夫を重ねることで、勝てるようになったという。スキーは力があれば勝てるわけではない。頭を使わないと勝てない。

 その結果として大村先生は、多くのスキー大会で優勝をされている。同時に、大学の単位も同級生の中では一番多く取られている。

 これは研究や全ての分野にも通じることで、まずレベルの高い人たちの中に入らないとダメである。その上で、真似事だけでは絶対にダメで、独自の方法を取り入れて、初めて相手を超えられる。後に大村先生が研究室を主宰するようになってからは、自分のコピー人間は作らないように心がけたという。

 

事例2 ゴルフを攻める

 大村先生は、北里大学の教授になったころ、仕事のやりすぎで体調を崩し、医師からパチンコでもゴルフでもして気を休めなさいと指示された。大学教授なのでパチンコというわけにもいかず、ゴルフを始められた。素晴らしいのは5年でシングルのハンディになるという目標を立てられたこと。

 普通の人は練習をしてコースに出て腕を上げるのだが、大村先生は、事前の練習はしない。その代わりコースに出た後に、必ず当日の反省をしながら練習をされた。それで目標通り、ハンディ18でスタートして、5年後にハンディ5の腕になった。これは参考になる秘伝である。人と同じことをやっていては、進歩がない。大村先生の取り組みは理詰めである。

 

座右の銘「実践躬行」

 言うだけでは誰も信用しない。大村博士は実行が大事だと「実践躬行」を座右の銘にされている。「実践躬行」とは、理論や信条などを、自身の力で実際に踏み行うこと。「躬」は自ら、自分での意。

 当時、北里研究所は倒産寸前の財務状態であったという。それで北里研究所の経営を立て直すため、大村博士は手を上げて、副所長に立候補して、教授職を捨てて、背水の陣で、自分を追い込んで経営に没頭された。しかし副所長になると教授職より給与が下がるのだ。それをあえて、経営学、財務を独学で学んで、経営者として北里研究所の経営にあたり、経営を正常化させた。大村博士は単なる学者ではなく、名経営者である。

21p1110259

 講演会でのスライドで

 

座右の銘「一期一会」と師

 大村博士は師の大事さを、母親と道元禅師の言葉を引用されて説明された。教えを受けた人、支援を頂いた人とのご縁を大事にする姿勢「一期一会」が、科学技術の発展に不可欠という。

 大村博士は、祖母の影響を強く受けているという。祖母からは「人の振り見て我が振り直せ」「情けは人のためならず、巡りめぐって己がため」が一番大切だと繰り返し教えられたという。

 大村博士の母親は小学校の教師で、母からも多くを学んだという。「教師の資格は自分自身が進歩していること。」(母(文子)の日記帳より)と並みの母親ではない。

「正師を得ざれば、学ばざるに如かず」曹洞宗開祖 道元禅師「学道用心集」

 大村博士は、今ある自分は、師との出会いとその導きだと回顧されている。その師との出会いを一期一会で大事にされて、今の実績を作られた。

224k8a0254

 馬場恵峰書 私の自宅で

 

三年かけても師を探せ

 それと同じことを、私は馬場恵峰先生に揮毫していただいた「3年かけても師を探せ」で感じている。私が自分の半生を振り返ると、テクニカルライティングで、日本の第一人者・篠田義明先生に出会い学び、そのご縁で世界的権威のスチブンソン教授、マセイズ教授(ミシガン大学)に直接、教鞭を頂いたことは、何事にも代えがたいこと。おかげで思うことが思うように書ける技(テクニカルライティング)を手に入れた。同じレベルの教鞭を後藤悦夫先生にもいただいた。これもご縁がご縁を呼んだ例である。

 私は55歳に馬場恵峰先生に出会い、人生を考える道を教えていただいている。

23img_43851

 馬場恵峰書

 

不動心

24p1110273

 講演会でのスライドで

 私は大村先生の講演スライドで先生の実家に掛けられた書を見て、少し嬉しくなった。「不動心」の書は清水公照(東大寺別当)、「生きる」松原泰道師の書である。私の師の馬場恵峰師と同じ傾向の書を掲げておられからだ。

25p1030119

 馬場恵峰書

 2018-08-16  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月15日 (水)

大村智博士講演「私の半生記」(1/6)

 2018年8月7日、大垣市のソフトピアジャパンにて大村智先生の講演会が開催された。約400人弱の聴衆が聞き入った。招待された生徒・学生も約100名が熱心に聴講した。

11p1110239

12p1110274

13p1110253

大村博士の「生きる心得」

 大村智先生は、講演の最後に先生の「生きる心得」を公開された。その心得の中心に趣味を位置づけた。それを生かすためには、健康であらねばならぬ、それを通じて社会貢献(研究開発)をしたい、趣味こそ一期一会で得られるご縁である。つまり健康管理・一期一会・研究推進の3つのバランスの中で生きるが、大村先生の生きる心得であるという。

14p1110272

 大村先生の生きる心得を考えると、私は、その中心を「好続」としたい。それに取り組んで、「好きで一生続けられるもの」である。それは仕事でも研究でも、芸術でも何でもよい。大村先生はそれを趣味と名付けた。私は趣味では、軽い気がして、すこし抵抗がある。それを想うと、福沢諭吉翁の「世の中で一番」という言葉に通じる。やはり日本人には、生きるとは仕事をすることと思う。よく聴けば、大村先生の趣味は研究のようである。

15img_63601

 馬場恵峰書

 

ワクチンで世界に貢献

 アフリカを中心に世界36か国で、オンコセルカ症が蔓延し、世界で1億2千万人を超える人たちが感染の危機にさらされている。1987年当時、その病気での失明患者は77万人も達していた。アフリカでは、この病気で一家に一人くらいの失明者がいて、アフリカが貧困から抜け出せない一因となっていた。それが、大村博士が開発したワクチン・イベルメクチンで劇的にオンコセルカ症を撲滅できた。

 大村博士が開発したイベルメクチンは、米メルクと北里研究所からの無償提供により、年間2億3千万人に投与されている。これまでの総合計額では4千億円と概算されている。ワクチンは無償だが、ビルゲイツが、ワクチンの配布の費用を支援した。それでビルゲイツとご縁ができたという。人への投与は無償でしたが、家畜へのワクチン販売で稼いだ。この功績で大村博士はノーベル賞が授与された。

 

特許契約で経営者の才覚を発揮

 米メルク社から、大村博士が開発したイベルメクチンの特許全ての権利を3億円で買い取るという提案がされた。北里研究所の担当理事も3億円をもらうべきと意見であった。3億円あれば、先生の定年までの研究費はすべて賄える。しかし大村博士は強固に反対し、売り上げに応じた特許料支払いの契約にされた。結果として当初の提示された3億円が、20年間で200億円の特許料収入となり、北里病院の建設等で多大の成果が上がった。特許収入で研究をする学者は多いが、病院まで建てた学者は、大村先生くらいだという。

 敵もさるもの。欧米の企業は、すぐ相手の足元を見て騙そうとする。騙されるほうが馬鹿なのだ。そうとは先生は言わなかったが、これは私の意見です。さすが智慧のある先生である。

 オンコセルカ症に対する開発ワクチン・イベルメクチンは、20年間、メルク社の売り上げ1位の商品になった。今までの売上総額が3兆円を超え、その特許収入が200億円を超えている。

 

2018-08-15  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月 5日 (日)

私の生前葬50回忌を欠席

 今日、2018年8月5日は私の生前葬50回忌のパーティがあった。私が高校を卒業して、今年が50年目である。50年前、1969年の東京大学安田講堂事件で東大入試が中止になり、その余波で散々な目にあい、もみくちゃにされて大学に滑り込んで、わが純真な青春が葬られた。会社に入り現実に目覚め、会社に人生を支配され、仕事に没頭して、定年を迎えた。そしていつの間にか50年間が過ぎた。

 今振り返ると50年前に夢多き己の青春の亡骸を、自分の手で葬ったのだ。50年前に、純真に夢見た未来のビジョンが、今、どれだけ実現したかを振り返ると忸怩たる思いである。

 同窓会の幹事から連絡があり、今夏、同窓会で卒業50年の祝賀式典と祝賀パーティを開催するとの案内状が届いた。同窓会会長が「最大規模の総会としたい」とあり、一度は出席の回答をしたが、冷静に考えて、アホらしくなって欠席連絡を出した。

 

耳なし芳一の壇ノ浦の怪談

 過去に参加した多くの同窓会を振り返っても、その場の話題は自分の病気自慢、過去の自慢話、親の介護、嫁さん悪口、家庭菜園、孫の話、趣味の話、仲間の死である。話題が後ろ向き、過去の思い出ばかりで、未来への展望の話がなく、創造的でなく、時間の無駄なのだ。

 まるで平家物語の耳なし芳一が語る、壇之浦怪談話である。壇之浦に沈んだ平家の落人が過去の栄華の語る姿である。手を下向きにして「昔は良かった、恨めしや」である。私は、昔の仲間と話をするなら、手は上向けてウェルカム、前向き、未来の話に花を咲かせたい。

 

会社のOB会の怪談話

 会社のOB会の宴会はさらに酷い。会社を離れて数年たっているのに、今だ、当時の上司を「〇〇部長、◇◇専務」と当時の役職でゴマすり如くに呼んでいる人が多い。昔の仲間に、その姿を見ると情けなくなる。その宴会の余興も、趣味の世界が全開なのだ。そんな余興よりも、仲間と語りたいと思うが、幹事が手配をした余興の大騒音で話もままならぬ。

 昔の仲間に「今なにをやっている?」と聞いてもだらけた服装に無精ひげで「別に何もやっていない」と返事をされると寒気がする。その目は死んでいた。昔の上司が、私に卑屈な言葉遣いで話されると不快である。それでOB会に出て後悔をした。今も仕事に燃えている人は、会社OB会などは、出るものではない。私は一回出ただけで、それ以来、参加を止めた。

 

同窓会の無為な計画

 今回の同窓会の計画を見ると、合同同窓会総会、懇親会、同期だけの同窓会の3部構成で、14時から19時までの5時間の行事である。私は昨年、その合同同窓会に駆り出されて実情を見ており、今回の計画を見てアホらしくなり、欠席を決めた。

 昨年は延々と来賓の議員の祝辞、現高校校長の挨拶、現状の進学状況、現と次期の会長の挨拶、現役生徒の校歌の披露が続き、大宴会では聞きたくもないバンドの演奏で、盛沢山(無理だくさん)であった。

 総勢500人の大宴会など、大都会の雑踏の中で孤独を感じる様である。参加者は卒業期が違う見知らぬ卒業生が大多数のため、興ざめである。同窓会に参加するにしても、せめて3時間である。会いたければ個別の人と会食をすればよい。ホテルを儲けさせるためのバンド演奏など不要である。幹事の見識が疑われる。

P1090201

価値観の共有

 高校卒業以来50年間も社会で揉まれ、辛酸を舐め自分の価値観が明確になった。今更、己の価値観と異なる人と話を合わせるために、己を殺し、我慢して時間を過ごすのは苦痛である。今は宮仕えの時代ではない。50年前の仲間で、己と価値観を共有できる仲間に出会うのは稀である。だから過去のしがらみで縛られて5時間(前後を入れると7時間)も、価値なき時間を拘束されるのは、拷問に近い。そう思わない人がノー天気で出席する。だから価値観が違うのだ。

 

生前葬90回忌に向けて

 しがらみの同窓会に出ても、今後の人生に新しい付加価値は生まれないと結論付けた。同窓会に出て、聞けるのは同窓会会長の自慢話だけである。今から自分の創造的活動で、価値観を生み出し、新しい世界を作りたい人間には、時間の無駄使いである。その時間を自分の創造活動に向けたい。自分にはまだ、己の生前葬90回忌に向けて、やることが山積みである。

 

2018-08-05  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。