私の生前葬50回忌を欠席
今日、2018年8月5日は私の生前葬50回忌のパーティがあった。私が高校を卒業して、今年が50年目である。50年前、1969年の東京大学安田講堂事件で東大入試が中止になり、その余波で散々な目にあい、もみくちゃにされて大学に滑り込んで、わが純真な青春が葬られた。会社に入り現実に目覚め、会社に人生を支配され、仕事に没頭して、定年を迎えた。そしていつの間にか50年間が過ぎた。
今振り返ると50年前に夢多き己の青春の亡骸を、自分の手で葬ったのだ。50年前に、純真に夢見た未来のビジョンが、今、どれだけ実現したかを振り返ると忸怩たる思いである。
同窓会の幹事から連絡があり、今夏、同窓会で卒業50年の祝賀式典と祝賀パーティを開催するとの案内状が届いた。同窓会会長が「最大規模の総会としたい」とあり、一度は出席の回答をしたが、冷静に考えて、アホらしくなって欠席連絡を出した。
耳なし芳一の壇ノ浦の怪談
過去に参加した多くの同窓会を振り返っても、その場の話題は自分の病気自慢、過去の自慢話、親の介護、嫁さん悪口、家庭菜園、孫の話、趣味の話、仲間の死である。話題が後ろ向き、過去の思い出ばかりで、未来への展望の話がなく、創造的でなく、時間の無駄なのだ。
まるで平家物語の耳なし芳一が語る、壇之浦怪談話である。壇之浦に沈んだ平家の落人が過去の栄華の語る姿である。手を下向きにして「昔は良かった、恨めしや」である。私は、昔の仲間と話をするなら、手は上向けてウェルカム、前向き、未来の話に花を咲かせたい。
会社のOB会の怪談話
会社のOB会の宴会はさらに酷い。会社を離れて数年たっているのに、今だ、当時の上司を「〇〇部長、◇◇専務」と当時の役職でゴマすり如くに呼んでいる人が多い。昔の仲間に、その姿を見ると情けなくなる。その宴会の余興も、趣味の世界が全開なのだ。そんな余興よりも、仲間と語りたいと思うが、幹事が手配をした余興の大騒音で話もままならぬ。
昔の仲間に「今なにをやっている?」と聞いてもだらけた服装に無精ひげで「別に何もやっていない」と返事をされると寒気がする。その目は死んでいた。昔の上司が、私に卑屈な言葉遣いで話されると不快である。それでOB会に出て後悔をした。今も仕事に燃えている人は、会社OB会などは、出るものではない。私は一回出ただけで、それ以来、参加を止めた。
同窓会の無為な計画
今回の同窓会の計画を見ると、合同同窓会総会、懇親会、同期だけの同窓会の3部構成で、14時から19時までの5時間の行事である。私は昨年、その合同同窓会に駆り出されて実情を見ており、今回の計画を見てアホらしくなり、欠席を決めた。
昨年は延々と来賓の議員の祝辞、現高校校長の挨拶、現状の進学状況、現と次期の会長の挨拶、現役生徒の校歌の披露が続き、大宴会では聞きたくもないバンドの演奏で、盛沢山(無理だくさん)であった。
総勢500人の大宴会など、大都会の雑踏の中で孤独を感じる様である。参加者は卒業期が違う見知らぬ卒業生が大多数のため、興ざめである。同窓会に参加するにしても、せめて3時間である。会いたければ個別の人と会食をすればよい。ホテルを儲けさせるためのバンド演奏など不要である。幹事の見識が疑われる。
価値観の共有
高校卒業以来50年間も社会で揉まれ、辛酸を舐め自分の価値観が明確になった。今更、己の価値観と異なる人と話を合わせるために、己を殺し、我慢して時間を過ごすのは苦痛である。今は宮仕えの時代ではない。50年前の仲間で、己と価値観を共有できる仲間に出会うのは稀である。だから過去のしがらみで縛られて5時間(前後を入れると7時間)も、価値なき時間を拘束されるのは、拷問に近い。そう思わない人がノー天気で出席する。だから価値観が違うのだ。
生前葬90回忌に向けて
しがらみの同窓会に出ても、今後の人生に新しい付加価値は生まれないと結論付けた。同窓会に出て、聞けるのは同窓会会長の自慢話だけである。今から自分の創造的活動で、価値観を生み出し、新しい世界を作りたい人間には、時間の無駄使いである。その時間を自分の創造活動に向けたい。自分にはまだ、己の生前葬90回忌に向けて、やることが山積みである。
2018-08-05 久志能幾研究所 小田泰仙
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