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2019年4月13日 (土)

進行ガンで、余命2年を宣告された

 2018年12月25日の河村義子先生のガン死に出会い、胸騒ぎがして、2019年1月7日、検診を受けたら、進行性のガンと診断された。河村義子先生のご主人の助言で、大垣市民病院ではダメだと、義子先生が入院した愛知県がんセンターを紹介され、そこで2月12日に手術を受けた。手術は無事に終わった。もう少し、検診が遅れていれば手遅れとなるところだった。河村義子先生の霊が助けてくれたと思う。

 ガンはステージ3であった。それでも自覚症状はなかった。だからガンは怖ろしい。それがガン検診を受ける気になったのは、義子先生のお陰である。

 しかし術後の経過が悪く、予定の倍の期間の1ヶ月余の入院となり、3月9日にやっと退院できた。しかし体調が戻らず、今は自宅で寝たり起きたりの生活を送っている。体重も13キロ減である。腹囲は10cm減である。さすがに1か月で13キロも痩せると体力が無くなり、体がだるい。3日に一度の頻度で嘔吐している。

 先日、松本明慶さんに会いに、松本明慶美術館に出向いたが、地下鉄丸田町駅から美術館までの500mの距離が歩けず、タクシーを使った。我ながら情けなく、体調は絶不調である。

 

5年後生存率

 2019年4月10日、主治医から5年後の生存率は、ステージ3だから53%と宣告された。計算上で2.7年である。死の直前の緩和医療、終末治療を考えると実質2年の余命である。同じ病状の人が、5年後には半数が死ぬ。

 ただ不思議と冷静に自分を見つめることが出来ている。ガン宣告されても、冷静に対応できたのに、我ながら少し驚いた。人の話しでは、頭が真っ白になると言うが、そんなことはなかった。

 

決断

 4月10日、転移防止のため術後の抗がん剤治療を受ける予定であったが、それを断って、薬物科の主治医とは喧嘩別れをした。当初は、抗がん剤治療を受ける意向であったが、本で抗がん剤の効用と副作用の問題に目が覚め、その可否について悩み、茶摘み畑に迷い込みそうになった。しかし「自分の城は自分で守れ」とのトヨタの基本思想に立ち返り、拒否を決断した。その判断に悔いはない。あくまで自己責任である。

 

吾が人生

 思えば、父(享年86歳)よりは短いが、母(享年69歳)よりも、ほんの少し長生きできそうである。両親の功徳のお陰で、両親の倍は密度の高い生活を送らしてもらえた。

 私は、会社の仲間よりも2倍か3倍の密度の高いサラリーマン生活を送ったと自負できる。人よりも仕事を愛し、人よりも多く働き、人よりも本を沢山買い、読み、人よりも沢山書き、研修も人よりも多く受け、講演も人よりも多く聴いた。人よりも多くの距離を、世界中で走り回った。人よりも多くの美術館を回った(世界の美術館80館以上)。やるべきことはやり切った思いがあり、悔いはない。

残った人生を、今まで蓄積した知識・智慧・遺産を皆さんに役立つように遺せばよいと達観している。私は「人の価値は、集めたものより、与えたものに価値がある」と信じている。

 

素直

 余命が分かれば、恐いものはない。言いたいこと、言うべきことを言える立場になった。人や世間を慮って、発言や行動を遠慮する必要はない。人間として、当たり前のことをすればよい。今まで見えないシガラミに囚われていた己が、愚かであった。これからは素直な人間に変身したい。素直とは「狂」である。世の天才は全て「狂」である。凡才の己も、「狂」を演じて、多少は良い人生作品を残したい。

 

時間

 今まで以上に「時間は命だ」を感じる。一刻でも時間を無駄にしたくない。縁なき衆生とも、徳なき親類とも縁を切り、残された時間を有意義に使いたい。時間観念なき人とは、縁を切らねばならぬ。時間は命なのだ。死を意識すると、時間への感性が研ぎ澄まされる。無為に時間を流すつもりはない。貪欲に時間を創る道を探したい。今からでも遅くない。人間は、死ぬまでが学びと成長である。

 

ご恩返し

 ガンや病気を治すのは専門医に任せればよい。しかし、それは対処療法である。その治療方法が正しいか、自分に合うか合わないかは、自己責任で判断すればよい。

 それよりも大事なことは、ガンや病気にならない生活を送ることである。それが根本治療で、危機管理である。私はガンにならない食事、生活等をこれから研究して、皆さんに報告していく予定です。それが今まで自分を育ててくれた世間への恩返しである。それが自分の未来の時間を創造することになると信じている。

巻き返し

 現在、ガンの発生原因、標準治療法、代替治療法等を研究中で、本は20冊ほど購入した。まず発生原因の真因をつかまないと正しい手が打てない。対処療法ではダメなのだ、それで打てる手はすべて打つ予定である。そのために情報収集として全国を走り回っている。こんなことで死んでたまるか、という思いで取り組んでいる。

 しかし、それでガンと闘うつもりはない。ガンは己の細胞が変化した身内である。そういう風に変えたのは、己の生活習慣、食生活、考え方である。全ての原因は己にある。仏様はそれを直せと助言してくれている。ガンと闘うのではなく、共存して生きていきたい。ガンは生き方を変えることを教えてくれた仏様である。 

 自分がガンになったからこそ、ガンの闇の門を叩くご縁に出会った。ガンの鬼門に入り、ガンにならない智慧を皆さんと分かち合えとの仏様の啓示である。

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馬場恵峰書039a1551 馬場恵峰書

2019-04-13  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月28日 (木)

後は野となれ山となれ

 この句は、此の世でやるべきことをやりきって、全ての執着心を捨てて、あの世に旅立つ心境である。ある意味で「人事を尽くして天命を待つ」を裸の本心で表した言葉である。人生の最期で到達する心境である。

 人は裸で生まれて、裸で死んでいく。あの世には何も持って行けない。それが分かってからが、本当の人生のスタートである。それが分からない御仁がゴマンといるから、遺産相続関係で醜態が絶えない。死に際が見苦しい。

 何に執着して、此の世に未練があるのか。「後は野となれ山となれ」の心境こそ、悟りの心境である。いくら金があっても、死の間際では体力的にも、精神的にも金など使えない。だから未練が残る。だからこそ、使える時に、世の為、人に為、己のためにお金を使ってこそ、お金の価値が出る。それで悔いを残さず、「後は野となれ山となれ」の心境になれる。

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   馬場恵峰書

 2019-03-28 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月26日 (火)

福岡市政と大垣市政を比較し、絶望の極み

 福岡市政と大垣行政を客観的データで比較する。数値で比較すると、大垣の未来が絶望的になる。データは、高島宗一郎著『福岡市を経営する』ダイヤモンド社(2018年)より引用した。

Photo上図は高島宗一郎著『福岡市を経営する』ダイヤモンド社刊(2018年)

 

福岡市長の前職はアナウンサーで、政治家を目指して修行。

視野が広い。ビジョンあり、志あり。

   ド田舎の大垣で、東大出だけの理由で、市長に推された。  

   大垣市長の前職は零細企業の社長で視野が狭い。

   ビジョンなし。志なし。市長の座にしがみ付くだけが望み。

 

福岡市長になったのは福岡市を改革するのが目的。

福岡市をアジアのリーダー都市にしたい。

   大垣市長になったのは、自己満足と自己顕示欲を得るのが目的

 

福岡市長は命の使命を知っている。

   大垣市長は命の使命など知らない。

 

高嶋福岡市長は全体最適を目指し、8年で日本一となった。

   小川敏市長は部分最適を目指し、19年で大垣を衰退させた。

 

チャレンジブルな福岡市長。

   何もしない大垣市長。

 

火中の栗を拾う福岡市長は当初は評判が悪い。しかし仕事はする。

   何も決めない大垣市長は、当初は評判だけは良い。

   仕事はしない。

 

福岡市長は8年で結果をだした。

   大垣市長は、5期19年でも結果をだせない。

 

福岡市は税収収入増加率で全国一。

   大垣市は年率1%の経済衰退で、税収減少。

 

福岡市の観光客数は2年連続で過去最高を更新。

   大垣市は閑古鳥。幽霊通りの駅前商店街。

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P1120281 大垣駅前商店街の中心地 新大橋の商店街  2019年1月31日

P1120283   大垣駅前のヤナゲン前 2019年1月31日

 

福岡市は新規開業率7%で日本一

   大垣市はお店の閉店率日本一(そう思えてしまう)

   この8月には駅前の百貨店・ヤナゲンが閉店

        大垣駅前商店街の61%がシャッターを下した。

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福岡市は税収が5年連続最高を更新

   大垣市は経済が衰退して、減収

 

福岡市の地価の上昇は、東京、大阪の2倍

   大垣市だけが名古屋圏で唯一、地価下落。数字は正直だ。

 

福岡市の人口増加率も東京を抜いて一位

   大垣市は上石津町を2006年に合併した。

   それで人口が増えているように見えるだけ。

   中心部は実質的に人口減少。

   上石津町は過疎地で、123km2、人口6,379人。(2006年当時)

   元の大垣市の面積は183km2、人口150,000人。

   他の市も合併予定が、小川敏市長の人柄に反発して実現せず。

 

福岡市はチャレンジが多く、批判も多い。

批判を恐れては市政が停滞するとして、果敢に業務改革をする。

   大垣市は何もしないことで失点をなくしている。

   表敬訪問の記念撮影や行事に顔出しばかり。

   いかにもやっていると誤魔化し。

 

福岡市長は決断をする

   大垣市長は決断をしない。

   だから小学校のエアコン設備率が2.1%の県下最低。

   それでいて岐阜市よりも2倍も豪華な市庁舎を作る。

 

福岡市は有事での対応が素早い。(台風等の緊急時)

   大垣市は非常電源装置が貧弱のまま放置。

   先の台風時、市役所が停電で、右往左往の醜態。

 

福岡市長はシンプルに伝える能力あり

   小川市長の演説はくだくだと何を言っているのか意味不明

   小川市長は秘書室の作る原稿をバカにして読まない

 

福岡駅前陥没事故で全世界にツイッター等で情報を発信、

全員で力を合わせて復旧に全力投球で短時間に復旧させた。

   大垣市室村町アンダーパス水没事故で、情報隠蔽。

   何が原因なのか、市民に発表無し。

   大垣市長と棚橋国会議員が視察をしたと醜聞を美談に捏造する。

   すべて業者任せの大垣市役所。現地の立ち合いも業者だけ。

   無責任体質が露見した。

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P10904552017年10月23日、大垣市室村町アンダーパス水没事故。

基幹道路なので大垣市内の交通が麻痺。頻繁に起こる。

現場には業者だけで、市役所の職員不在。

 

福岡市は福岡駅前事故でも逃げない。

   大垣市は、2017年のドローン墜落人身事故で、無責任。

   その責任を業者に押し付け市の職員担当者はドローン。

 

福岡市長は情報の公開を積極的に推進。

   小川市長は、条例で市の行事の使用用途費をマル秘扱い。

   元気ハツラツ市の会計報告もされない。汚職が疑われる。

   最近、市の幹部が飲み屋街で頻繁に見かけるようになった。

 

福岡市長は時間の無駄だから賀詞交歓会に出ない。

   大垣市長は新年互礼会を市内中で掛け持ち駆け巡る。へろへろ。

   だから挨拶が支離滅裂で聞くに堪えない。

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2019年の新年互例会で寝とぼけた挨拶をする小川敏市長

  

福岡市長は表敬訪問等の儀礼的な行事を断る。

   大垣市長はどんどんの名を売るために新聞社に掲載させる。

   岐阜新聞、中日新聞は、大垣市の御用新聞に成り下がっている。

 

福岡市長は個人的面会を全て断る

   大垣市長は、個人的面会を新聞で自慢げに掲載させる。

 

福岡市役所はカフェあり

   大垣市役所はカフェなし。市民へのサービス精神無し。

 

福岡市役所にWi-Fiあり

   今時、大垣市役所にWi-Fiなしで情けない。

   あるのは、2週間で記録が破られた恥さらしな「毒饅頭共食いギネス記録達成」の垂れ膜だけ。10か月前の「事件」をまだ掲示していて羞恥心なし。これが「文化都市を目指す」都市のやることか! これが小川敏市長の人間性の発露である。この会計報告も疑惑が一杯。会計報告は、小川敏市長の作った条例で非公開である。不正な金が流れたとの巷の噂である。

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福岡市は国際会議の開催件数は政令指定都市では一位

   大垣市はアニメサミット、お城サミット等の愚劣ものばかり。

   アニメサミットなどしているから、子供たちが本を読まなくなる

   小川市長は大垣の文化を破壊している。

 

福岡市は元気な市役所

   大垣市は、ヒラメの軍団がたむろう市役所

 

福岡市は外郭団体との46億円の契約の9割を競争入札に変更

   大垣市は癒着が疑われる業者ばかり。

   元気ハツラツ市でも一部の業者オンリーで運営される。

 

福岡市は、難問の課題解決に分かりやすく市民に説明

見える行政に力を入れる。例:「こども病院」の移転問題

   大垣市は、難問は先送り、説明なし。

   見えない愚政で市民を迷わせる。

   赤字続きの大垣競輪問題、小学校エアコン問題等、

 

福岡市は、今日よりも明日が良いと確信できる

福岡市は希望の都市

   大垣市は、今日よりも明日が良いとはとても思えない

   大垣市は絶望の都市

 

市長が変われば大垣も変わる。一国を興すは一将にあり。一国を滅ぼすのは一将にある。それは会社も都市行政も、家庭にも当てはまる原則である。

小川敏市長を反面教師として、自分自身の人生経営を見直そう。

  

2019-03-26 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年3月21日 (木)

病気お見舞いの心得

 その昔、私が入院した時、3人の見舞い人が立て続けでお見舞い品にお花を持ってきた。それもケースに入ったかさ張るドライフラワーであった。さすが3つとなると、かさ張りすぎるので、病室に飾るのにも支障があり、退院時に持って帰るのが大変だと焦ってしまった。それでお見舞い訪問予定者に電話をして、お花のお見舞い品辞退のお願いした次第である。

 入院していて、一番うれしいお見舞い品は、手ぶらで本人が来て話をしてくれること。病院に見舞いにくる時間、交通費を考えると、1秒1円で計算すると、数万円の価値がある。わざわざ、己の命の時間を削って見舞いに来てくれたのだ。お金に代えがたい価値あるお見舞い品である。

 お見舞金などもらうと、後での快気祝いが面倒である。そのままお金で返すのも気が引け、却って病後の本人に負担をかける。お見舞いは相手の身になって、考えてしよう。

 

信用金庫

 来てくれるはずの人が来ないと、その人との今後の付き合い方を考えざるを得ない。「見舞いに行きます」と言った人が来ないと、人間性を疑ってしまう。その言動から、良きリトマス姿を得たと考えよう。

 

生生流転

 病気入院は、人生や人間関係を考え直す良き機会である。長い人生、たまには静養して人生を見直そう。長い人生、たまには正規の人間ドックに入って、体を保守修繕していると考えよう。病気になったのもお陰様、その事実を見つめよう。全てを受け入れ、医師、仏様に全てを委ねよう。命には寿命がある。それを悟らせてくれるのが病気である。

 

 2019-03-21 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年3月19日 (火)

悪縁の匂いプンプンの営業マン

 私の留守中に、玄関の戸に名刺を「訪問の証しとして」貼っておいたドジな営業マンがいて、私は怒り心頭であった。

 私が10日程、家を空けるので、泥棒対策で外から留守が分からないように、新聞を止め、郵便物を局止めにして、家の電気は自動点滅するように段取りをしておいた。

 それを無頓着に、自分の都合だけを考えて、「小田さん、近くを通りましたので、ご挨拶に伺いました。」とのメモを書いた名刺を、玄関のドアに、嫌でも目に入るように、ご丁寧に「外から見えるように」に張り付けて置いてあった。まさに言語道断の行為である。訪問した証を示したいのなら、郵便ポストに名刺を入れればよい。これで私の留守がわからないようにした段取りがフイになった。

 人の迷惑を考えず、自分の都合だけ考える営業マンが仕事をできるはずがない。彼は、以前に面会時間を2時間もすっぽかして、私は出入り禁止にしていた御仁である。本人はその自覚が全くないようだ。こちらで「縁を切った」営業マンであった。それが言われなければ分からないようでは、どうしようもない。今回は腹に据えかねて、電話で「二度と来るな!」と怒鳴りつけた。

 

善後策

 私が当事者なら、相手がお詫びの面会はしてくれそうもなくても、お詫びの手紙か何らかの手段で詫びをするのが、正しい営業マンの姿勢である。人は失敗をどう挽回するかを評価される。その点でも、この営業マンは失格であった。その後、全く音信不通である。こんな営業マンと付き合っているとろくなことはない。彼からは、以前に悪縁を3件ももらっていた。そんな無神経の心掛けだから、悪縁を吸い寄せてしまうのだと悟った。

 

悪縁の匂い

 その営業マンが所属するG経営研究会は、某新興宗教の魔の手が伸びており、その経営研究会の幹部の多くが、その新興宗教に染まっていた。私も元会長の誘いで、新興宗教の入信寸前まで追い詰められて、危ないところであった。

 その関係かどうかは、分からないが、ベンツを乗り回すセレブ某会員が宴会ドタキャンの踏み倒し、香典の礼無し、某会員紹介の白アリ対策のトラブル等で、度々私は身近にその被害を被ってきた。やはり悪縁の影響が各所に及んでいると感じた。悪縁の匂いを感じたら、君子危うきに近寄らず、避けるのが人生の智慧である。

 

2019-03-19 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月18日 (月)

私の金銭哲学、人生哲学

 金が出来たら、自分の成長のために金を使え。そのためには無駄遣いをするな。自分の一部となって、自分を助けてくれるモノに金を使え。能力向上、能率アップ、時間創造、機会創出のために金を使え。

 買うなら一番高いものを買え。一生使えるモノに金を使え。必要なら無理しても金を作って買え。悪いことに使うのでなければ、金は何とかなる。高いモノには、創造者の汗と涙と魂が籠っている。金は時間(命)を全うするための道具である。道具だから使いこなせ。金を残して死んでも、誰のためにもならない。時間(命)を活かして使え。時間が命を創造する。

 

お金は女性名詞

 そのために「生き金」を使え。「死に金」はお金を泣かすこと。「お金」は女性名詞である。女を泣かせて幸せは掴めない。お金を活かし、お金に喜んでもらえるように使え。お金に神仏が宿る。使い方によって、恩返しもあれば、罰当たりもある。お金は目的をもって、感謝して貯めよ。

 無駄金を使え。使ってみて、無駄だと悟れば、次からその無駄が無くなる。その勉強代だ。無駄をして無駄だと分からないと、永遠に無駄だと分からない。それが格物致知である。

 

お金の使い方は人格そのもの

 お金を感謝の気持ちで送り出せば、お友達を連れて帰ってきてくれる。

 お金(体、時間、命、ご縁)は、神仏よりの一時的な預かりもの。それを有効に使うのも、無為に使うのも、全て自分の人格のなせること。

 

あぶく銭

 あぶく銭を追うな。ギャンブルは厳禁である。パチンコ、競馬、競輪、宝くじも禁止である。どんなギャンブルも儲かるのは胴元だけ。くじ類にも近づくな。所詮、それはその会社の金儲けの餌にしかすぎない。それに左右されるのは、時間の無駄である。保険もギャンブルの変身妖怪である。その分を不慮の事故に備えて貯金せよ。安易な保険依存症が、生活を堕落させ、事故や病気の遠因となる。事故や病気になったら、神仏からの警告と受け止めよ。

 

ゲーム中毒は人生の廃人

 PC,スマホゲームをしない。ゲームは何の付加価値を生まない。金儲けと対極の時間すごし。人生での最大の無駄である。WHOはゲーム依存症を麻薬中毒者と同じとしている。

 

裏切り

 人から約束を裏切る行為を受けたら、二度とその人物に近づくな。将来、もっと大きな損害を被る。その被害は、事前調査費と考えて忘れよ。自分は人との約束を絶対に守れ。自分で自分に課した約束も守れ。それは閻魔様が観ている。それが自分信用金庫の信用となる。

 

お金は道具

 どんな時代でも、生きていくための糧を得る能力を作れ。お金は日本銀行が破産すれば紙くずである。しかし自分で身に着けたお金を稼ぐ能力は、決して消えない。手に職を作れ。その能力を作るために金を使え。

 

ご縁

 ご縁を得るのにはお金がかかる。しかしそのご縁には、将来の将来生きていくための種が埋まっている。だから金を惜しまず、大事な人には会いに行け。私は躊躇せず、自費でニューヨーク、ワシントン、デトロイト、ウィーン、東京、青森、長崎に飛んだ。それで今の自分がある。現在でも、私は長崎と東京には月に一度のペースで飛んでいる。

 

経営者

 自分を人生の経営者として、生涯現役として働け。労働者は労働基準法が適用されるが、経営者には適用されない。24時間、365日、働けるだけ働け。私のモットーは生涯無休、生涯現役である。労働者の苦役は法律で保護されるが、経営者は仕事は喜びとして自由に取り組める。仕事の疲れは、仕事で取れ。

 

体が資本

 体をメンテする費用には金を惜しむな。いくら金を貯めても体を壊したら、何の意味もない。24時間、365日、働けるだけ働いても、22時になったら、良い子は就寝する。最低でも、0時の教会の鐘がなったら、シンデレラボーイとして眠れ。

 そのベッドは一生の内、三分の一を過ごす大事な保全用の「治療室」である。深夜に体から成長ホルモンが出る。若い時は、成長ホルモンが体を作るが、歳とると、その成長ホルモンが寝ている間に傷んだ細胞を修繕してくれる。夜更かしは、それが阻害される。だからシンデレラボーイを目指せ。

 死ぬときは電気椅子でもよい(?)が、毎日を全力で生きて働くには、電気ベッド(医療器具)を使うべきだ。その電気ベッドは高価であるが、普通の布団やベッドよりも、はるかに安眠できる。高いモノにはワケがある。電気ベッドと羽毛布団で、100万円近い金がかかったが、一生の内、三分の一を過ごす部屋代と思えば、納得できる。

 

食品の罠

 金ができても、食品の選別には最大限の注意を払え。贅沢三昧で美味飽食をすれば、死の病気が必然である。病気にならずに、稼ぐためには、食品の知識を持て。美味の至福の罠に堕ちると、脳梗塞、心筋梗塞、ガン、糖尿病、失明、認知症の地獄に堕ちる。金儲けどころではない。

 私は、スィーツ、糖分、油分のある食品、肉、乳製品、酒、煙草、を極力取らない生活をしている。

 

2019-03-18 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年3月14日 (木)

死の床で会いたい人

死の床に呼んでもらえますか?

  その昔、大病を経験し死を覚悟したことがある。その時、病院の死の床で会いたいと思った人(肉親等は除く)を思い浮かべると、60年間も生きてきて、数人しかいないことに気が付いて、愕然とした覚えがある。

 同じ質問を知人にすると、一番の親友はゼロだという。他の知人の数人に聞いても、やはりその数は数人止りのようだ。

 

死の床に呼びたい人の条件

 会っていて毒気や嫌味を感じない人。

  毒気のある人は変なオーラが出ている。

 素直な人、明るい人

  会っていて、こちらが楽しくなる人。

  こちらが相手の毒気の影響を受けて、陰鬱になる人は除外である。

  会っていてこちらが元気をもらえる人。

 いつも温かく見守ってくれた人

 魂のきれいな人、純粋な人

 恩義を感じてくれる人、義理堅い人

  飯を食わせたり世話をしたのに礼状一つよこさない人はお断り。

 師には会いたくない。

  なにか畏れ多くて、自分が死にそうなとき、気が重く負担になる。

 人が良くても、何もない人は駄目。

  生きている付加価値を感じる人でないとダメ。

 

自分は「あの人」の死の床に呼ばれる資格があるか?

 自分の言動、性格を俯瞰して、そういう死の床に呼んでもらえる人かどうか自省したい。そうなるように精進をするのも、魂を昇華させる一手段であろう。

 

河村義子先生の場合

 河村義子先生は、2018年12月25日に逝去された。その死の10日前の12月16日に、「体調が戻られたら、退院お祝いで一席でも」との返信で、

「それが、、Uターンです。岐阜清流病院の緩和病棟601にいます。17.18.19はいません。またお近く通られましたらのぞいてください。  クリコン、撮影などありがとうございました。病院でもみれるようにポータブルのものを買いました!やはりまだまだブルーレイは広まってないようです。^^大垣のもの、お待ちしてます。私の自宅へおくってくださる?  河村義子」

というメールが来た。これが義子先生の最後のメールとなったが、鈍感な私は、義子先生が死の床のあるとは夢想だにせず、退院されたらお祝いをしようと思っていた。「緩和病棟」という文字を見落とした。悔いである。またやつれた女性の方の病院見舞いは男性として躊躇があり、華やかさのある先生もそんな姿を見せたくないはず。義子先生のご夫君の意見としても、会わなかったのが良かったようだ。この世では、義子先生の「死の床」のご縁がなかったと思う。私としては、何時までも元気な義子先生の面影を心に抱くことができてよかったと思う。

 義子先生が、死の床で、私を会いたい人の一人に選定してくれたことを嬉しく思う。自分の体験と照らし合わせて、それを実感した。

 

死の床での出会い 

 死の床で会いたい人とは、仏様のような人だ。もし幸いにして死の床から復帰できたら、その後の人生で、大事にしていくべき人なのだ。その人を手本として生きていくべきだ。

 死の床に来てくれた人、来なかった人、そこから多くの学びがある。

 

転衣

 転衣とは仏教の学びの結論である。転衣とは、生まれ変わる、あるいはよりどころが変わる、価値観が変わるという意味である。死の床を経験することで、「転衣」して良き友をよりどころにして生きていくと、新しい人生が開けてくる。

 

2019-03-14 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月 6日 (水)

私はこれ(小指)で、※※をやめました

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神仏の啓示

神仏は己のためにメッセージを発信している。心を澄ませてその声を聴こう。大事な人生を無駄にしないために。

 

チャーミングな招き猫との出会い

・伝説

 私の生まれ故郷の彦根は、招き猫の産地(?)として有名である。彦根藩二代目藩主井伊直孝が豪徳寺(東京都世田谷区)の近くを通りかかったとき、猫が手招きをしたため、お寺に入ったところ、丁度激しい雷雨が降りだし落雷の難を危うく逃れたという逸話がある。そのため和尚の法話を聞くことができ、後に豪徳寺を井伊家の御菩提所としたといわれる。一説には招き猫発祥の地ともされている。

 豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置いている。招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。

Photo_2    豪徳寺

 その経緯で、この近辺と彦根城の近くには、招き猫を中心とした猫グッズ専門店が多くある。ちなみに招き猫は右手で招くものと左手で招くものがあり、右手がお金を、左手が人(お客)を招くそうだ。この招福猫児は右手を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫である。緩キャラの雄、ひこにゃんもこの伝説から派生しているようだ。

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ひこにゃん   彦根城の天守閣の石垣の前でポーズ

(2011/01/08)  ウィキペディア  http://ja.wikipedia.org/wiki/

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伊藤石材店(彦根市)の店頭で

・出会い

 父の三回忌(2004年)を終えて、彦根の城下町を歩いているとき、偶然、招き猫専門店「招福本舗」を見つけ、そこで「もりわじん」の招き猫(全高20cm)を一目見て気に入り、連れて帰った。36,000円もした高価な猫である。これも出会いである。部屋に飾って眺めているが、会社で嫌なことがあっても、上品で柔和なこの三毛猫の顔を見るとなぜか心が安らぐ。会社に行くときもこの顔をみると元気になって出発できる。私の守り神(招猫観音)様である。今は仏壇のある座敷のテーブルの上に鎮座して、訪問されるお客様を見守っている。

 これは芸術作品である。一点一点焼いて製作した陶器ですから、同じものはない。また毛並みの描きこみも絶品ものである。数ヵ月後、親戚の叔母に贈ろうと買いに行ったら、値段がかなり上がっており、一回り小さいサイズの猫しか手に入りません。「もりわじん」の猫は人気商品になったようである。その後、この種の猫を探しましたが、これ以上の魅力ある猫ちゃんにはお会いしていません。いい時期に出合えたと思う。芸術作品の出会いは一期一会。これもご縁である。井伊直弼の言葉は、「一期一会 余情残心」。

 

出世ぶり

 201117日、彦根の街に出向いて、7年ぶりに「招福本舗」を訪れて、「もりわじん」の猫と再会した。なんと同じサイズの猫の値段が、当時より7倍にも跳ね上がっており、20万円では手に入らない。お店の人に聞いたら、人気が出て高騰しているとか。当時のことを話すと、「ずいぶんお値打ちに入手されましたね」と感心された。いつの間にか、お宝探偵団に出せるお宝になっていた。氏の作品は東京で専門のギャラリーを作られてそこでも展示がされているとか。

 あまりの「出世?」ぶりに敬意を表して、特注ガラスケースにいれて「箱入り猫」として、大事に飾ることにした。また出入りの畳屋さんが、専用の敷き畳も作ってくれるご縁を頂いた。座布団に座った猫ちゃんには畳の上が似合うようです。


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  自宅の招き猫「箱入り猫」

「もりわじん」のプロフィール

 1957年、日本生まれ。カルカッタ、ソウル、ニューヨークなど、世界の各都市で個展を開催。生命形態作家として、独自の活動を展開中。生命(生き物)をテーマに、平面、立体を問わず、あらゆる手法で生命の大切さや生きることの心地よさを表現しています。(以上、第二回来る福招き猫まつり解説より転載) 特に猫や招き猫をモチーフにした作品は、その独特な雰囲気やユーモア感で、高い人気があります。(2010/12/21)

http://spysee.jp/%E3%82%82%E3%82%8A%E3%82%8F%E3%81%98%E3%82%93/1564975/#lead

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・招き猫の恩返し

 ある日、某経営研究会の元会長が自宅を訪問して、彼が帰った後、片付け中にこの招き猫のいる座敷の真ん中で滑って転び、右小指を骨折してしまった。60年間も生きてきて自宅内での骨折事故である。

当時、全国組織である某経営研究会(会員数約4,200名 20139月現在)に入会したばかりである。そこで知り合った元会長からある宗教団体を勧められて承諾をして、入会の秘密の儀式の出向く段取りが進んでいた。相手が信用できると思われた元会長である。その紹介者も大きな会計事務所の会長で、事務所4階の大きな会長室で教団の素晴らしさを説法されてしまった。試しに入会して駄目ならすぐ退会すればいいと安易に考えての入会承諾であった。

この骨折でなにか胸騒ぎを感じ、その宗教団体を調べたら、危ない新興宗教であることが判明した。入会金は38万円だが、その後のお布施の額が半端ではないし(概算計算で数百万円を超える)、退団はとても難しい(信者が自宅に説得に大勢押しかけてきて、「退会すると地獄に堕ちるぞ」と脅迫する)ことが判明し、訴訟も数多く起こされていることが判明した。急遽、入会を断った次第。骨折は、招き猫からのメッセージとして受け止めた。この招き猫は、招猫観音である。

 この2年後、私は白内障手術の後、網膜はく離を患った。目の耐力が人よりも弱いようである。この教団の修行として太陽を直視する行があるようだ。もし入信していたら、その修行で失明していた恐れがある。私を勧誘した元会長は、以前に眼底出血で失明寸前になったという。元会長は何も言わないが、この修行が原因であると私は推測している。恐ろしい事態になるところであった。

私は小指の骨折の啓示で、事態の不審さに気づき、某宗教団体への入団を取りやめることができた。合掌。

 

後日談

後日、松本明慶仏像彫刻美術館の館長さんから次の話を伺った。「以前にその教団から仏像製作の依頼があり、10体の仏像(一体5百万円)を納仏した。それがわずか1カ月で、教団内で全て完売した。それも売値は3倍である。その仏像を教団の専門販売店に展示して、そこに教祖が来て「この仏像は素晴らしい」と囁いたら、信徒達が争うように買い求め、10体の仏像が瞬く間に売れてしまった。1ヶ月間で売上1億5千万円、純益1億円。また他の仏具も同じ手口で「囁く」とのこと。趣旨が違うので、以後の注文は全てお断りした。」

 

 心を澄ませて、耳をそばだてよう。無心になれば神仏の無言のメッセージが聞こえる。ご先祖様は自分を守ってくれるため、メッセージを発している。この世では全て最高のことしか起こらない。病気も怪我も自分を守るための最高の事象である。それに気がつくと大事な自分の命(時間)を永らえることができる。

 

2019-03-06  久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年3月 1日 (金)

日本列島「アウシュビッツ収容所」化で虐殺横行

 現代日本では、「ナチス党」に変わり「グローバル拝金成果主義党」が猛威を振っている。小泉首相の構造改革以後に、労働環境が激変し、世にはグローバル経済主義教、成果主義教を妄信したブラック企業が横行し、首切り、過労死、自殺、パワハラ、鬱病、下請けいじめの拷問が頻発するようになった。

 これ以降、自殺者の年間3万人越えが10年間も続いた。自殺者もその4割は分別ある管理職、事業主である。そのうち6%が管理職で、35%が自営業者である。(平成13年度)

 

周辺の惨状

 学校では、躾・道徳・モラルの崩壊で、陰湿で凄惨ないじめで、殺されたり、自殺する児童が絶えなくなった。それが増える一方である。

 モラルが破壊された囚人のご機嫌を損じると、煽り運転で虐殺される。それも最近頻発である。

 精神的に追い詰められて、気がふれた囚人が、無差別殺人に興じている。「殺す相手は誰でもよかった。死刑になりたいのだ」という。日本アウシュビッツ収容所で追い詰められての犯行である。

 

原因と対策

 この原因は、アホな経営者が欧米の短期利益を求める株主優先の経営に舵を切ったことにある。まるでドイツがナチズム(国家社会主義)に舵を切ったように、日本は欧米の猿真似で拝金主義教に舵を切ったのだ。それでグローバル経済主義、拝金主義、成果主義が横行し、従来の日本的経営が切って捨てられた。それで日本がおかしくなり、「日本アウシュビッツ収容所」化していくことになった。日本は早く正気にならないと、西洋の没落の道ずれになってしまう。日本の道徳、精神文化、利他、修身の世界を取り戻すべきなのだ。

 

殺されないために

 その「日本アウシュビッツ収容所」で殺されないために、アウシュビッツ収容所でヴィクトル・E・フランクルがとった行動が、参考になる。でもこれは対処療法なのだ。根本対策は、修身である。日本人の精神が、まともになれば、この現象はなくなる。

 

◇ 働ける体であるように見せる

    元気がなければ、自動的にリストラ、いじめ対象である。だから元気だと見えるように、立ったり歩いたりする時は背筋をピッと延ばす。

◇ 常に未来を信じる

  どんな暗い闇夜も、いつかは明けると信じよう。

◇ 収容所(職場)での苦しみは意味があると認識

    無意味だとすると生きることの価値が無くなる

◇ 愛する人との魂での会話

◇ 感動を失わない

     沈みゆく太陽の夕焼けの風景に感動

◇ ユーモアを失わない

     自分を見失わない魂の武器

 

私のアウシュビッツ体験1(合併前)

 私の前会社で在職中に、一緒に仕事をした仲間が、在職中に24人も不慮の事故で亡くなっている。今振り返ると、これはブラック企業であったためだと思う。一時は、国会でも名指しで当社がブラックと告発されたことがある。私は、よく無事に定年を迎えれたと仏様に感謝である。

 その24人のうち、特許室のある中堅社員は、業績悪化の為、現場応援に出されて、単身赴任先の寮で、朝冷たくなっていた。残された奥さんと子供を葬儀場で見て、まともに目を向けられなかった。彼には私がミシガン大学に行った時、現地でお世話になった。社長が経営の判断ミスをして経営が赤字になったのに、泥縄式の対策で、体力のない事務職を過酷な現場作業に投入しての悲劇である。これは看守側(経営者)の責任である。しかし誰も責任を取らない。看守(経営者)にとって、囚人(社員)は人間ではないのだ。

 

アウシュビッツ部門

 当時、私の事業部に強烈パワハラの役員がいて、管理職や主任クラスがバッタバッタと鬱にされ倒されていた。部下を倒した数が多いほど、優秀な上司と言われる始末である。その役員の後姿を見て、その部下の部長もパワハラになる。私は管理部の基幹職として、倒れた課長を部下として面倒見ることになった。その課長は、同期では一番の出世頭であったのに。それが倒された。その役員は親会社では、札付きの部長で、親会社も手を焼いて、外に出したようだ。親会社から部長クラスで天下ってくる場合は、ロクな輩がいない。その部署の社員を周りの人は、憐れみで見ていた。あの部署はアウシュビッツで、絶対に行きたくないね、と。

 

アウシュビッツ水道哲学

 もう一人は、私の直属の部下で、当社を辞めて松下電器に転職して、胃がんで倒れた。当時の松下電機のリストラ騒ぎに巻き込まれて心労で胃がんになったようだ。がんが見つかった時は手遅れ状態で、50前に死亡した。松下電機のリストラ騒ぎでも、経営者は責任を取らない。パナソニック(前松下電器)はこの5年間で、毎年1万人のリストラをしている。5年まえに対して13万人も従業員が減少して、日本企業上位500社中のランキングで減少数トップである。まさに経営者の失敗である。それでもトップは責任をとらない。松下幸之助の水道哲学で、従業員は豊富にあるから、簡単に首を切れる。水は豊富にあるから、道端の水道から黙って水を飲んでも誰も文句を言わない。同じ考えで、豊富な従業員は切っても誰も文句を言わない。松下幸之助が草葉の陰で泣いている。

 

私のアウシュビッツ体験2(吸収合併された後)

 私の前職の会社が吸収合併された後、私の元の部署(生技)の基幹職の仲間8人が、1人を除いて、全員海外に飛ばされた。露骨な差別人事が横行した。それもPМ2.5の毒ガスに満ちた中国や、タイ等の条件の悪い東南アジアの工場に飛ばされた。まるで「ガス室送り」である。看守側(吸収合併先)の同部署の基幹職は、国内勤務でぬくぬくとしていた。その生産技術部門の優秀さはでは、当社の方が上であったが、敗戦側は惨めである。

 

会社側弔意を全面拒否

 私と懇意であった温厚な営業のSさんは、敵がうじゃうじゃいる大阪本社に単身赴任を強いられ、ある朝、体調が悪いから病院に行くといって病院に行き、その日に帰らぬ人となった。妻は、夫は会社に殺されたとして、会社側の弔意を一切拒否した。

 

アウシュビッツ収容所から脱走

 名目は対等合併でも、それの比率が同一でないと、比率の多い方は人事権を握り、やりたい放題で、吸収された方は奴隷扱いである。私も合併相手先から陰湿ないじめを受けて辛かった。白髪が一度に増えた。そういう背景もあり、私は定年延長せず、60歳で収容所から脱走した。その収容所は、東海道の基幹路線から遠く外れた盆地にあった。盆地の住民は、閉鎖的な風土である。ロシアとよく似ている。

 

日産アウシュビッツ収容所

 日産アウシュビッツ収容所所長のゴーンが、8千人の人員の首を切り、社員を地獄へ突き落とした。仕入れ先を切り、出入りの業者を路頭に迷わせた。自殺に追い込まれた経営者もあっただろう。家庭が崩壊した家族もあったろう。社員の首を切って、資産を切り売りして業績を立て直すなら、素人の経営者でもできる。本来の責任は経営者にあるのに、彼らは責任を取らず安穏としている。それでいて、ゴーン収容所所長は、囚人の生き血を吸って、毎年10億円の金を会社からふんだくり、贅沢の極みをしていた。日産ゴーンの不正報酬分の50億円あれば社員8千人の虐殺は不要だった。昨年末にやっとその悪事が露見した。独アウシュビッツ収容所と同じパターンである。虐殺されたユダヤ人が生き返らないように、解雇された日産の社員の生活は戻らない。

 

SONYアウシュビッツ収容所

 SONYのリストラ劇も凄惨である。17年間で78,000人が虐殺された。わざわざ、「追い出し部屋」を作り、社員を囚人扱いしてまでしての虐殺である。その張本人は、高額の報酬を得てのうのうとしている。今の状況は、グローバル経済主義教、成果主義教を妄信して、目先に利益ばかり追い、将来の投資を無視したツケなのだ。ストリンガーにAIBOも虐殺された。最近、AIBOも生き返ったようだ。当時、虐殺されず、成長していれば、もっと素晴らしい子になったはずだ。

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2019-03-01  久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年2月22日 (金)

「自分ノーベル賞 久志部門賞」を創設

私の夢はノーベル賞を受賞すること。しかしそれは叶わぬ夢の夢だ。しかし、自分で「自分ノーベル賞財団」を創設して、世に貢献している団体に基金を贈呈することは簡単だ。毎年なら大変だが、それも一生で一回、一団体だけに贈呈なら簡単である。私が死んだときに遺産を贈ればよいのだ。そうすれば今のノーベル賞の賞金額ぐらいは贈れるだろう。これは誰でもできること。現在、日本で家・土地・貯金と預金の遺産相続の平均金額は約4,700万円という。その額は、優にノーベル賞の金額に相当する。

 

子孫に美田を残さず

子孫に美田を残さず、功あるある団体に遺すべし。私の親戚でも、親の遺産があり過ぎて身を滅ぼした輩がいる。他山の石としたい。子供は汗水たらさず、棚ぼたで手にした金で堕落する。

 

遺産処理の条件

終活の一環の作業として、遺産処理をどうするかに悩んでいた。国に遺産を取られるの避けたい。それでは役人の無駄遣いされるのがオチ。両親と私が苦労して貯めた資産が、クズ役人に貪り食われるは、両親に申し訳がない。私も我慢が出来ない。公式の役所の団体に贈っても、そのトップが変われば、どうなるか分かったものではない。

 

創造的な活用

 援助として遺産を贈るとして、それが未来のためになる組織を対象にすべきである。日本赤十字社に義援金を贈ってもその総額の2割が経費としてピンハネされる。寄付金全体の会計報告の詳細は公表されない。大災害が起きると日本赤十字社本社のある飲み屋街が賑わるという巷の噂であう。大垣市では寄付金の一部は、寄付集めに駆り出された団体に、その額の7%がキャッシュバックされるという。本来、寄付した人の趣旨を踏みにじる行為が横行している。

今困っている人を助けるため寄付しても、一時的な対処療法である。助けても助けてもきりがない。助けなければならない状況にならないような施策の未来投資が必要だ。アフリカの病気に罹った子共達のためにカネを使うのは未来に対して創造的でない。火事になったら火を消すのは対処療法である。真の対策は、火事の起きない体制を作ることなのだ。病気で悲惨な状況にならない社会体制を構築するために金を使うのが根本対策なのだ。そういう方面に私の遺産を使って欲しい。

 

「久志」部門賞

 自分は、世に貢献できる分野で、志を久しく継続して貢献している団体に、この賞を贈りたい。今後の自分の生き方で、より多く稼いで多く残せば、より多く「自分ノーベル賞財団」の資金に充てられる。それはこれからの生きる励みとなる。そのためには、皆さんのために長生きせねばならぬ。これこそ終活の極意である。これも河村義子先生が亡くなられて、気が付いたご縁である。合掌。

 

2019-02-22  久志能幾研究所 小田泰仙

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