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2019年5月18日 (土)

花屋の信用という佛花が散った

 私の町内でも住民の高齢化が進み、町内でお守りしているお地蔵様像のお花のお守りに負担がかかるという話が聞こえてきた。お世話の当番が、花を買いにいくのも負担だという。

 2018年初、それで近所のK花店のEさんに話したら、「毎月、うちでお花を買ってくれれば、私(E)がお花を配達して、お地蔵様の花活けに花を活けてあげる」という話になった。それなら、町内会の費用も増えず、お互いにメリットがある。今まで、お花当番はこの花屋以外でも買ってきているので、K花店にもメリットがある話である。このEさんは、毎年の地蔵盆祭りの時、お花を段取りして供えてくれていた。

 お花を準備して、それを花立に入れるだけをK花店が担当して、そのお花の水やりと廃棄処分だけ、当番の班長さんが行えば、お花を買いに行く手間が省けて、お花当番の班長さんの負荷が減る。そういう段取りを、担当者のEさんと半年ほどかけて、事前打ち合わせをしていた。

 

裏切り

 ところが2018年の春、この話しを正式にK花店に持っていったら、別の店員が出てきて、この話は社長に話さないと受けられないという。後日、社長から断りの電話があった。

社長曰く「お地蔵様のお花の段取りは、特別の信仰心ある人でないと出来ない。うちの店には、そんな人はいないので、この話は受けられない」である。

 では今まで、8月の地蔵盆祭りでお花を活けてくれたK花店のEさんは何なんだ、である。お店の言葉と思っていたEさんと私との約束は、何だったんだ、である。

 

ビジネスの原理原則

 店員はその店の社長の代理として働いている。客もそう信じてモノを買っている。それが店員と社長の意見が違うのなら、客は店員の言う事は信用できなくなる。それでは、お店としてビジネスが成り立たない。

 普通の会社でも、一社員が一歩外に出れば、会社の代表として、仕事の発言をする。相手も会社の代表の言葉として受け止める。それがビジネス社会である。その原則を、K花店は裏切ったのである。

 私は信用を裏切った人と取引をしない。その後、このお店は信用できないとして、私はこのお店と縁を切った。今まで自家の仏壇のお花をこのお店で買っていたが、大規模小売Aでお花を買うことに変更した。お陰で、今までより安く入手している。

 

信用金庫は私の信念

「ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。

無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

    Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken, damn hard to put back together again to its original form.

     “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

 

 この「ビジネス」という言葉は、「人間関係」すなわち「信用」の意に置き直すことができる。また、茶道の「一期一会」にも通ずる言葉である。人との付き合いは大きな財産である、その価値を高めるためには、信用を守ることが最優先だ。そのためには、小さな約束を確実に果たすことが最優先である。なにせ、大きな約束は嫌でも守らざるを得ないはずである。

 私は小さな約束でも、守らない人とは付き合わない。それが信条である。

 己はお地蔵様が見つめる眼に堪えられるだろうか。お地蔵様は、閻魔大王の化身である。お地蔵様の懐には閻魔帳がしまわれている。

039a21501s 松本明慶作 童地蔵

 

2019-05-18   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

幽霊にされた顧客の怒り

 私は、岐阜トヨペット大垣北店の不誠実さ、技術のお粗末さに呆れて、別の販売店に乗り換えた。だから5年以上も大垣北店では車検も定期点検も受けていない。それなのに、岐阜トヨペット大垣北店から、車検の案内がまだ来て、不愉快である。車検案内のハガキを見るたび昔の怒りが思い出される。それは、私から時間を奪う悪魔行為となる。二度と岐阜トヨペット大垣北店に行くものかと思っている私は、岐阜トヨペットでは幽霊顧客なのだ

 

ダイレクトメールの裏事情

 そのダイレクトメールは、大垣北店ではなく、岐阜トヨペット本部から送られてくるらしい。つまり、末端の岐阜トヨペット大垣北店が、私がまだ車検・定期点検を受けている顧客として登録してあり、その登録が本部データベースから抹消されていない。要するに、顧客管理が杜撰なのだ。それが杜撰だから、仕事も杜撰であるとの結論に至った。一事が万事である。

 なんらの付加価値を生まない私宛のダイレクトメールは、日本経済の足を引っ張る犯罪である。出す方も、受け取る方も、配達する郵便屋さんも、日本経済にも何の付加価値を生まない。そんな工数があるなら、日本の未来への付加価値を出す取り組みをすべきだ。あるのは岐阜トヨペットの自己満足だけである。

 

ゾンビ営業

 5年間も岐阜トヨペット大垣北店で車検を受けないのに、なぜ来店しなくなったかを、考えず、その対応ができない営業では、先が知れている。2025年、トヨタ車の車種が、全てのチャンネル販売店で売れるようになれば、淘汰されても致し方あるまい。

 うがった見方をすれば、登録を抹消すれば、お店の登録顧客数が減り、社長から営業の活動成績が問われるからだはないか。だから誤魔化しの営業活動なのだ。だから儲からない。ゾンビのような販売店が、その店と縁を切ったはずの客の時間を奪っている。心して販売店を選ばないと、一生ゾンビに取りつかれる。知性のないゾンビは怖しい。

 

ダイレクトメールはリトマス紙

 ダイレクトメール一つで、その会社を診断できる。心して付き合うお店を選ぼう。それは車だけに限らない。私がそのお店の対応に激怒して、行くのを止めた店からも、ダイレクトメールが頻繁に我が家に襲来する。頻繁にそのお店に行っていたのが、急に来店しなくなったのだから、お店はその理由を考えなければいけない。それが考えられないのは、知性なきゾンビ店である。

 

幽霊顧客名簿

 己が「自分株式会社」の社長として、人生営業活動の顧客名簿とは、年賀状送付名簿ではないか。それの中に幽霊名簿の人はいないだろうか。その人は、これからの自分の人生に付加価値を与えてくれる人だろうか?

 

残り時間を意識

 受け取る年賀状の中で、ダイレクトメールのように、表も裏も印刷の年賀状を出す人は、自分の人生に付加価値を与えてはくれまい。それも会社名が入った社用年賀状では、救いがない。年に一回の限られた便りで、両面印刷で済ませる人の人柄が窺える。だから私は、その人とは縁を切るようにしている。

 以前に、松下幸之助経営塾で知り合ったある経営者から、年賀状を受け取った。その年賀状は両面印刷で、会社名の入ったご用達年賀状であった。「年賀」の文字を外せば、まさにダイレクトメールであった。それについて少し苦情を言ったら、翌年は年賀状が来なかった。それでその経営者の薄っぺらさを知った。そういう輩は口先だけは、立派である。

 年賀状の虚礼だけで付き合うのは、癌で余命宣告をされた状況で、自分の残り時間を考えると、とても耐えられない。

 

2019-05-18   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月14日 (火)

癌に教えられる

物への執着心が消えた

 モノには精霊が籠っている。それを使わず、閉じ込めて使わないのは、精霊が悲しむことになる。精霊を悲しませて、己は幸せにはなれまい。

 私は癌になり、医師から「余命2年」と宣告された。そうなると、モノへの執着心がなくなった。どうせ来世にはもっていけない。この世で、自分を幸せにしてくれるものだけが、身近にあればよいではないか。物置になっていた自宅二階の一室から、約100kgの不用品を出して、惜しみなく捨てた。着られもしない服が大量にあった。色があせたシャツなど今更着られない。今まで、如何に不要なモノを保管していたかが、呆れるほどである。

 好きな絵も、選択して手放した。死後のモノの行き先も決めた。

 

お金への執着心が消えた

 癌になって、お金の執着心も消えた。死ぬときになって、預金通帳に100万円が多いか少ないかは、大した問題ではない。お金は、自分を幸せにしてくれる道具なのだ。Some moneyと稼ぐ能力があればそれでいいではないか。それを使わず、預金通帳に閉じ込めておくから罰が当たる。そう思うと、お金に最大限のお役目を果して欲しいと思う。もっと自分と他人を喜ばせていきたい。

 

人への執着心が消えた

 極限状態では、付き合ってきた人の真贋が見えてきた。今まで、誠実と思っていた人が、不誠実な人であったことが露見して、興ざめである。去る者は追わず、来る人が福の神である。縁なき衆生は、不義理という雑音を放出している。

 

誰のお陰で

 今、自分があるのは、先祖の親の師の友人の御恩があって、今の自分が生きている。ゆめゆめ自力とは思うまい。それに気が付かされた。

P1070060s   馬場恵峰書

時間への執着心

 余命2年と宣告されると、時間への意識が研ぎ澄まされる。時間に無頓着な人との付き合いは、今まで以上に避けるようになった。今できることは、今しないとできなくなる日が近い。思いついたら、すぐ実行するようになった。それでだめなら、方法転換をすればよいのだ。

 

弱者の眼

 癌の手術後、15キロも体重が減り、食べるに食べれない。悪循環で体力が激減である。歩いても、子供連れの親子に追い抜かれる情けなさである。弱者にならないと見えてこないものがある。如何に今まで自分が強者で、自己中心的に考えて行動した来たかを考えると恥ずかしい。癌になったのは、仏様のご差配であると悟った。今まで、見えてなかった真実に気付かせていただいた。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)

 

本、番組、行事とのご縁

 その本や行事に接して、今後の自分の生き方に糧になるのかを考えてから、選択して接する様になり、無駄なことに時間を無駄遣いすることがなくなった。ある番組を見終わってから、なんとつまらない時間を無駄にしたかに、後悔することが増えた。だからその前に、それを防ぐ智慧が付いた。番組途中でもスイッチを切ることにした。如何に今まで、付加価値が薄い情報に接してきたかにである。時間は命なのだ。

 

2019-05-14   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

「新しい風」を吹かせよう

 中島潔画伯のリトグラフ「新しい風」に私は人生を感じて、この絵を購入した。時に大垣まつりの日である。中島潔画伯は、この絵のリトグラフを東日本大震災の被災地の各街に贈ったという。

 絵の右側の子供たちは、過去の不幸(東日本大震災)に対して悲しみを堪えて、亡き人を供養している。その手には「cheer up! Japan」の袋を持っている。中島潔画伯は「がんばれ! 日本」では、おかしいので、「cheer up!  Japan」としたという。

 絵の右側の悲しみの子供達の姿に対して、左側は、子供たちが遠い未来の希望を見つめる姿を表している。それは悲しみを乗り越えて、新しい風を吹かせようとする姿である。

 純真無垢な子供たちは仏様と同じである。子供たちが未来を作ってくれる。自分も素直な気持ちに立ち返り、人生をやり直すつもりで、未来に向かって歩いて生きたい。

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  中島潔画伯作「新しい風」

P1070046s    未来への眼 (部分)  

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  過去の眼(部分)

 

投影

 今回の私の癌罹患は、私にとって東日本大震災に相当する大事件であった。その不幸の状況がこの絵と重なりご縁を感じた。私は、左側の子供達の未来を見つめる目に引かれた。何時までも過去に囚われず、これからの人生に新しい風を吹き込む姿勢に引かれた。

 

清水寺の壁画

 清水寺では、中島潔画伯の襖絵で、広間を飾ってある部屋がある。一度お参りに行きたいと思っている。年に2回しか、公開されないので、清水寺の広報に注意である。

Dsc059431  第一室 襖絵12枚に華やかが天女が踊っている。

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 第二室 「故郷」 故郷の四季 童が踊っている。

 

2019-05-14  久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年5月 4日 (土)

「霊柩車」を購入

 2018年3月6日、私は暗号コード名「霊柩車」を購入した。「霊柩車」とは、「人生の中で最後に乗る、一番豪華なクルマ」と定義した車のことである。人には「霊柩車を買った」と吹聴して煙に巻いて楽しんでいる。私の真面目な日頃の言動のせいか、本気で信じてくれる人が多くて(?)時折、慌てて言い訳をしている。人徳でしょうか。

 最近は、霊柩車も地味な黒のベンツ車が多いが、昔はキンキラ金の霊柩車が多かった。今は本物のキンキラ金の霊柩車は人気なく、市場で余っていて中古で100万円もあれば買えるようだ。アジアでは、日本の霊柩車は、「動く寺院」として人気があるという。

P10609351 水木しげる「幽霊電車(霊柩車)」 ed.622/800    2018年入手

   鬼太郎は、悪人を瞬時に地獄に送り届けることが出来るのです。

 

車を運転できる余命

 私も人生の最終期に近づき、最後に買う車の選定で、良い車を買おうと決心した。私も次回の運転免許更新時では、70歳以上になり、チーチーパッパの認知症試験と実技試験を自動車学校で事前に受講しなければならぬ。それが済まないと、運転免許更新所に行けない。70歳以上の免許更新は、法律改正で厳しくなった。また自分の体調を考えると、体力や、目の能力でいつまでも車を運転できるわけではない。残された時間を、有意義に安全に快適に運転するために、高級車が選択肢に入ってきた。

 

シガラミを振り切って

 だからどうせ人生で最後に買う車なら、「高くて一番良い車」である。宮仕えなら、回りや上司への気兼ねがあったが、退職後なら、何の気兼ねもいらない。近所の気兼ねもいらない。今まで、なんという多くのしがらみに縛られていたのか、に思い至った。

 当初、ニュークラウンも候補に挙がったが、岐阜トヨタ大垣店に見切りをつけ、「霊柩車」である霊草主恵琉得主を買った。

 実際の霊柩車では、本人は寝たまま運ばれるが、私が買った「霊柩車」はオーナズカーとして、自分で運転して極楽(?)に行く。それは高級車と呼ばれるカテゴリーの車である。それも最高の車種でフル装備である。高いモノにはワケがある。なにしろ、運転していても、周りが気にしているようで、私の近くには寄ってこない。だから安全運転で快適にとばせるのだ。私でも、ベンツ等の高級車には、車間距離をいつも以上に空ける。それが人情だ。

 高級車は安全装備も完璧である。これではなかなか死ねない? 人生最後の車としては、良い車である。良き思いをしている。

 

小川敏大垣市長の霊柩車

 小川市長は、トヨタ・マジェスタ2台を公用車として使っている。小川敏市長は、その後部座席にふんぞり返って、寝ているようだ。だから、後ドアの窓ガラスはスモークが張ってあり、内部は見えない。まるで霊柩車のようだ。

 天皇皇后が国民の父母と例えられるため、その御料車の後席は、国民から見られるように、オープンである。

 大垣市長は、市民の父ともいえる存在であるが、小川敏市長は、市民との会話を拒否するがごとく窓を閉めて、内部が見えないように霊柩車に乗っている。やましい心があると隠したくなるのだ。失政を恥じて、顔を隠していると推察している。市民に顔向けできなくなったら、市長もおしまいである。国民から慕われる天皇陛下と大違いである。

 名古屋の河村市長は、公用車を廃止して、自分の軽自動車で走り回っている。贅沢で、税金無駄遣いの大垣市長と大違いである。小川敏市長は、節約節約というが、実体は、節約とかけ離れた政治をしている。

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 後部ドアの窓にスモークを張った小川敏市長の公用車

6  後部座席がオープンの御料車

老人よ、大死を抱け

 お金は使ってなんぼである。お金はあの世に持って行けない。私も高級車を買って、日本経済活性化のささやかなお手伝いができたようだ。今の景気が悪いのは、老人が金を貯め込んで使わないからだ。老人が、今の消費の5%でも使う金を増やせば、景気は回復する。お金を使えば、幸せが感じられる。預金通帳を眺めても、幸せにはなれない。

 老人よ、大金を抱いて、金を使え。贅沢は敵ではなく、素敵だ

 今まで頑張ってきたのだ、ここで自分にご褒美をあげよう。

 お金を使いたくても、使えなくなる日が近い。

 「欲しがりません、死ぬまでは」は死語にしたい。

 

後日談

 この高級車「霊柩車」には、2018年10月、馬場恵峰先生ご夫妻を乗せて、彦根と関ヶ原合戦場跡と大垣を案内することができたのが幸せであった。この車を買ったのは、昨年であるが、2019年1月7日にガンが発見され2月12日に手術をした。今にして、「霊柩車」を買っておいてよかったと思っている。今なら、手術前後のドタバタで、とても買える状況ではない。この車を買ってなければ、馬場恵峰先生ご夫妻に良い思いをさせて頂く機会もなかっただろう。

 また水木しげるの「幽霊電車(霊柩車)」も絶版で、もう手に入らない。水木プロが、水木しげるさんの全ての絵の販売を、2018年10月31日をもって終了した。これを買えたのもご縁で、めぐり合わせである。

 今回の唯一の悔いは、河村義子先生を乗せて、退院祝いの食事会に行けなかったこと。

 今回、つくづくと「春風秋雨」を実感した。「霊柩車」は人生に華をそえる一輪の花である。自分の人生を芸術作品として創っていきたいと思っている。

P10609341 馬場恵峰書

 

2019-05-04   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年4月21日 (日)

人格の体温測定 → 冷血人間にならない

 体の体温が1度下がると、免疫力が30%下がるという。それを知っていたから、ガン予防対策、病気対策で、毎日2回、お風呂に入っている。シャワーではなく、40度か41度のお風呂に10分~15分も浸かっている。

 冷たいものを飲むのも良くない。私はアイスコーヒーを飲まない。水も氷なしで飲んでいる。勿論、アイスクリームはご法度である。死んでもいいが?、健康管理は大事である。

 健康管理として、毎朝、体温計で体温を測り、記録することを始めた。これは血圧測定より重要である。だから入院すると必ず、朝晩、検温がある。この取り組み1か月の成果で、体温36.4 度が36.5度に上がった。わずか0.1度、されど0.1である。体温の目標値は37度である。

 4月22日の検温結果は、36.7度であった。成果あり。

 若い人や結核患者は、ガンにかからないという。それは体温が高いのでガンにならないという。低温だと病気やガンにかかりやすい。

 そうやって私は体温を上げる取り組みをしている。体が温かいと、心も豊かになる。冷え性では、幸せになれない。

 

礼状なし

 河村義子先生の音楽会やイベントの写真撮影をして、ビデオのブルーレイディスクや写真プリントを関係者に差し上げても、礼状はおろか、お礼の一つも伝えない人が多い。数十人にBDや写真プリントを差し上げても、今までお礼が来たのは、この5年間で、せいぜい2、3人である。それもほとんどが電子メールで、である。相手は貰って当然と思っているようだ。私は、彼らにとって写真撮影係の奴隷なのだ。ディスクも写真プリントの費用も、私の人件費も持ち出しである。カメラの減価償却費も半端ではない(機材総額200万円)。私は別に儲けるためにやっているわけではないので、気にはしていないが、お礼の一つもないのは、悲しい。

 それが馬場恵峰先生のお弟子さんに写真等を贈ると、全員から必ず手書きの手紙、時には毛筆の礼状が届く。それと対比すると、考えてしまう。

 それも、多くの弟子を持つ先生と言われ人でも、礼状一本、お礼一言寄こさない。病気見舞いの言葉もなく、ましてや病気見舞いなどに、来るはずがない。今まで、年賀状のついでの書き足しで、お礼がきたのが一回だけ。そんな先生に教えられる生徒たちの将来が不安である。大垣の未来の未来を背負う若者が心配だ。

葬儀の写真を贈る

 2018年12月25日の河村義子先生の葬儀の時の写真CDを、二人の先生に贈った。一人の先生の住所・氏名が分からず、名古屋ヤマハ店の人に託して、贈った。お店の人は、相手が確かに受け取ったというが、私には何の連絡もない。もう一人の先生からも、何の連絡もない。

 

義子先生が草葉の陰で泣いている

 しかし河村義子先生からは必ず、礼状とお礼の品が来た。義子先生がこの弟子たちの実態を知れば、悲しまれるだろうと思う。先生は何のためにお弟子さんたちを教育してきたのかと、その現実に嘆かれるだろう。音楽を教えるとは、人格教育の一環のはずなのだ。義子先生が草葉の陰で泣いている。

 

そんなことは私が許さない

 その昔、河村義子先生の主催するピアノ発表会で、ある人の写真を撮ってあげたが、そのデータメディアの返却がないので、義子先生にボヤいたら、「そんなことは私が許さない」と早々に相手をド叱って、相手からは慌てて礼状が来たことがある。今の状況を義子先生が知れば、「私は、そんなことは許さない」と言われるのだろう。義子先生の弟子にしては情けない状況だ。

 今までは、義子先生への恩と義理があったから、演奏会を喜んで撮影していた。しかし、義子先生が亡くなって、弟子の指導者たちの冷血な本性が明らかになったので、今後の付き合いを考え直している。

 

某音楽家の例

 懇意にしている音楽家の演奏会で、毎回、撮影を担当している。彼とカルテットを組む仲間にも、撮影・編集した写真BDを贈っているが、今だかって、誰からも礼状が来たことがない。

 

仁の村の仕打ち

 2019年1月22日、岩村に馬場恵峰先生の佐藤一斎の言葉の板書を3枚、思い込めて寄贈したが、今だ岩村から礼状は届かない。情けないことだ。寄進をして頂いた方に申し訳ない気がする。私の顔の泥を塗ったのだ。言志四録読みの言志四録しらずである。

 

人格体温測定

 私としては、BDや写真プリントを差し上げて、その反応で人格の体温を測定している。それで、今後の付き合い方を考えればよい。血の通った温かい人と付き合わないと、自分も冷血になってしまう。厚情に何も反応しないのは、冷血な「無視」なのだ。愛の反対は「憎悪」でなく、「無視」である。こちらが厚情を注いでも、相手が「無視」をするなら、付き合わない方が、お互いに幸せである。

 人が病気になっても、お見舞いどころか、見舞いの言葉一つない知人が多い。なんと冷たい人かと、その人の非常識さが分かり、初めてその人の人格の体温が判明する。これが今回、私がガンになって、周りの人の反応を見て判明したことだ。人格とは人情の温かさに比例する。

 

教師の人格教育の堕落

 2016年、母校の北高の合同同窓会があり、そこで音楽部の後輩達が、先輩の卒業後50周年を祝って歌を歌った。私はその姿を撮影して、各人の写真を印画して校長宛に送った。費用は数千円である。しかし、誰からも礼状一つ来なかった。大垣で一番の高校なのに、人格教育は校長を筆頭にして、なっていなかった。吾が母校も堕落した。

 2018年、大垣少年少女合唱団の「大垣の歌」のお披露目があり、私はその写真撮影をして、リーダの人に写真CDを贈った。しかし、何の礼状も来なかった。

 2018年、地区の敬老会で、中学校と小学校の音楽部の生徒が慰問として歌を歌った。私はその風景を撮影してリーダの先生に写真CDを贈った。何の礼状も来なかった。

 

リトマス・マフラー

 先の年末、親戚に家に行ったとき、その家にマフラーを忘れてしまった。親戚は忘れたことを知らせてくれたが、それを送り返すことはしてくれなかった。わざわざ、遠方の親戚の家まで取りに行くのも大変で、そのままにしておいた。時は冬である。この冬はマフラーなしで寒い思いをした。それでその親戚の体温の冷たさを知った。

 

日本社会の冷血化

 こんなに日本社会が劣化して、冷たくなっては、日本復興はあり得まい。何とかしたいと焦っている。日本社会の体温が下がっているのだ。社会が冷たくなれば、ガンに相当する社会の病気が蔓延する。無責任体制、拝金主義、事なかれ主義、利己主義、忘恩の人格である。だから大垣市は衰退している。これが日本全体に広がらなければと危惧している。

 余命2年の身だから、言うべきことを言っておかないと、日本のため、後進の為、悔いが残ると思い書いている。

039a32691  馬場恵峰書

 

2019-04-21   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年4月18日 (木)

最期の贅沢 病室の選択

 2019年2月8日、愛知県がんセンターに入院した時、人生最期の贅沢として、一番価格の高い個室A室を選択した。河村義子先生もこの部屋を選ばれた。こういう場合に、良い部屋に入院しなくて、何のために今まで金を稼いできたのか、である。

 この部屋は私の体と頭の修理ドックなのだ。体を修理した後、結果が火葬場行きか、実社会への復帰かに影響する場所である。ひょっとしたら、人生の最期の場所になるかもしれない。だから病室にお金をかけても悔いはない。

 

愛知県がんセンターの病室

 個室A 32,400円  31.2㎡

 個室B   17,290円  19.6㎡

 個室C   12,420円  15.6㎡  

 個室D    7,200円   15.6㎡  

 

病室の環境

 当初は2週間の入院予定であったが、術後の経過が良くなく、一か月余の入院となり、部屋代だけで100万円近い金額になった。しかし居心地はよく、価格相当と納得して悔いはない。長い人生、一回くらいなら奮発しよう。

 なにせ、日に6度の食事・おやつが部屋に運ばれ、日に2度、美人の看護婦さんが手を握りに来てくれて(検診で)、2時間に一度、様子を見に来てくれ(死んでいないかの確認?)、夜も私が寝ていても2時間ごとに、点滴の異常がないかを見回りに来てくれる。毎日、部屋と洗面台とトイレ、風呂場の掃除をしてくれて、1週間に一度はシーツの交換と、高級ホテル並み以上である。

 ここの看護婦さんには、大変よくして頂いた。感謝です。言い換えれば、ここは病院のレクサス店であった。ある人に言わせると、大垣市民病院は、野戦病院だという。なぜか納得である。

 

ベッド

 病室のベッドは電動ベッドで、どのクラスの部屋でも大きさと内容は同じである。この病院で電動ベッドの快適さを体験して、退院後、自宅にも電動ベッドを入れた。高かったが、思えば人生の3分の1を過ごす場所である。お金をかけても無駄ではない。このベッドでなら安らかに永眠できる。人生でたった一度だけ、目が覚めないときがあるが、毎日、熟睡できる環境を整備することは、人生への投資である。

 メーカはパラマウントベッドで、業務用でしか売っていない。その分、しっかりした性能と保守体制である。他メーカのように値引きはない。

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テレビ

 部屋には50インチくらいのテレビがあったが、結局、入院中一度も電源を入れなかった。ベッドの横にも15インチほどのテレビがあったが、これも一度も使わなかった。死を意識して、死と今後の生き方を考えるとき、チャラチャラした番組など見たくもない。病室Aにテレビは不要だと思う。

 

ソファーと机

 病室Aの特徴として、ソファーと机が設備されている。私はここで、体調が回復してから読書と仕事をした。ノートパソコンを持ち込んで、ひたすら文書を書いていた。我ながら呆れたことに、外付け2テラのハードディスクを持ち込んでいた。WiFiも使えた環境であったのは幸せであった。新聞もテレビもなくても、ニュース情報は入手できたからだ。

 重要な本として、言志四録、松下幸之助発言集第一巻(全44巻の最初)を持ち込み。毎日読んでいた。

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お風呂

 部屋はお風呂付であったが、溺れ防止のためか、腰までの深さしかなく、湯につかってもお風呂に入った気がせず、お風呂に浸かったのは、1度だけで後はシャワーで済ませた。でも病室内でシャワーが使えるのは、ありがたかった。それでも手術後10日間程は点滴があるので、シャワーも使えない状態であった。

 トイレは普通のLINIXのシャワートイレであるが、前後方向のサイズが短く快適ではなかった。

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展望

 9階の窓からの眺めは、心を落ち着かせる癒しとなった。目の前に池があり、その横に本山の大きな墓地が見える。遠くに東山のヘリポートがあり、そこから頻繁にヘリコプターが発着していた。この場所は、名古屋空港(小牧)の航路になっているようで、旅客機がよく飛んでいた。

 毎日、この展望から空の変化を眺めて、人生を感じた。この部屋で、命の洗濯をした思いである。今まで、こんなに長時間、空を眺めて過ごしたことはない。

 河村義子先生も、どんな思いでこの景色を眺めていたかを考えると複雑な心境である。絶望され、一時、誰とも会いたくないという心境になられたとも聞いている。

   私は幸いなことに、9階の病棟の東棟に入院したこと。そのため、毎朝、朝日を浴びて起床することができた。河村義子先生が入院されたのは、同じ9階であるが、西棟である。義子先生は、夕日は拝めるが、朝日は拝めない。なにか象徴的で悲しくなった。

 

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 病室からに眺めP1060930

 馬場恵峰書

2019-04-18   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年4月16日 (火)

エディオンブログも末世

 エディオンブログ人気ランキングで、上位に競馬、釣り、ペット、ゲームが位置する。生き物を餌にし、生物の殺生で人生を虚楽することが流行するのは、世も末である。情けない思いがする。せめて世のためになることで、情報を提供して欲しいと思う。そういうブログを閲覧してほしい。このままでは日本沈没である。

Photo

2019-04-16   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

がんセンターでのお見舞い礼儀

 今回、愛知県がんセンターに一月余も入院して、お見舞いに関することで、身に染みて感じた思いが下記である。

 

お見舞いの非常識

 病院や自宅に、お見舞いのため、二人、三人と集団で来る人がいる。お見舞いを受けるほうは、複数の見舞い客では、受ける方はその分、気を使い疲れるのだ。ただでさえ、手術後やガンという病気で、心身疲労困憊な状態での面会者との対応なのだ。なぜ一人で来れないのか。お見舞いは、お付き合いや義理ではないのだ。がんセンターでの面会は、死を意識した魂の交流なのだ。

 

死後の準備

 今回は私も死を意識して、スタジオで遺影を撮影し、葬式、火葬、死後50年間の法事の事前手配と支払い、遺産の処理、遺言状、死の場合の連絡先を準備して、戒名を準備して、2019年2月8日、愛知県がんセンターに入院した。お墓は4年前に建立した。冷静に処理して、死を受け入れる準備を万端にした。

 

会話内容の微妙さ

 入院、手術、余命の件でメンタルで微妙な時に、見舞いの相手により話す内容が微妙に異なる。特にガンという病気である。ある人に話したいことがある。それを話せない人が、その人と同席していれば、話せない。それが分からないなら、見舞いに来る資格はない。これは人間性の問題である。

 

関門

 そのがんセンターの病棟は東と西に分かれているが、入院中の私でも、リハビリで病棟内を歩く時は、自分の病室のあるエリアしか歩けない。それは「プライバシーの問題で、歩いてはいけない」と言われた。病室に掲げられた名札がプライバシーなのだ。それなのに赤の他人を病室に許可なく連れてくるのは、人間性が疑われるのだ。がんセンターでのお見舞いは、普通の病院のお見舞いとは違うのだ。

 

不敬のお見舞い

 ある人は私と全く面識のない人(運転手)を連れてきた。それでは面会人に、言いたいことも言えない。本来、愛知県がんセンターでは、病室の前にナースステーションがあり、そこで面会人のチェックが行われる。事前に、看護婦が、面会人が病人に面会するかどうかの意志を確認してからしか、面会人は病室に入れない。それをその許可を得ずして、赤の他人を連れて入室するのは非常識である。特にガンというデリケートな病気の患者に不敬である。その人の人間性が問われる。

 

義理のお見舞い

 ある人は、私の病気を知り、知人のAさんが名古屋に帰ってきたら、一緒に自宅にお見舞いに来るという。何故、すぐにお見舞いに来れないのか。お見舞いにくるというのは、単なる義理の外交辞令ではないかと勘繰ってしまう。私の見舞いに知人の同行は関係ないではないか。誰かを誘わねば来れない人など、見舞いに来てほしくない。

 

虚構のお見舞い

 日ごろ懇意にしている人たちには、隠さずに私の病名を話し、愛知県がんセンターに入院すると言ってあった。その人たちは、お見舞いに来なかった。ある人は、お見舞いの来ると言っていて、来なかった。期待していたわけではないが、当方は死を意識して入院して構えていた。その人がお見舞いに来ないので、その人の人間性を見極め、今後の付き合いを見直すことにした。

 絶対に来てくれるはずの人が来なかった事実は、悲しい衝撃であった。その人は私が思っているようには、私のことを思っていなかったのだ。数年、数十年間に及ぶ付き合いは、何だったんだと愕然とした。この時になって、今までが虚構の交流であったことを思い知らされた。人が弱っているときに、会いに行かなくて、何時行くのか。

 

戦争状態

 私にとって、その人は人生の敵なのだ。少なくとも親身になって自分を心配してくれる人生の仲間ではないのが明確になったのは悲しいことだ。今までが陽炎のような付き合いであったのだ。今回のガン手術は、私には人生の戦争であった。それで白黒が明白になった。

 戦争状態で、助けに来ない人は敵である。それは故渡部昇一先生が、国際情勢の解説でよく言っていた論理である。ロシアとの戦争で、イギリスは日本を陰で助けた。だから日英同盟が生まれた。東日本大震災の時、日本の不幸を喜んで援助しなかった韓国、中国は、だから敵なのだ。人や国の本性は、病気や戦争、非常時に現れる。非常時に誰が助けてくれて、誰が助けてくれなかったか、よく見ることだ。

 

2019-04-16   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年4月15日 (月)

死神の幽霊に襲撃される

死神幽霊の言いがかり

 2019年4月13日、死神の幽霊に自宅が襲撃された。近所の鬼婆が、19年前の父の葬儀の事で、自宅に言いがかりを付け来た。それは現世の死神幽霊であった。

 なんでも父の葬儀のあと、葬儀屋から頼まれて、お下がりの菓子類の配布を頼まれたが、それを独り占めしたと噂になったという。それを私が根に持っているだろう、という。その家の名誉にかかわるので、名誉回復にきた、という。

 19年前の話しである。私は父の葬儀の喪主であったが、そんなお下がりの処理の雑事は、葬儀委員長や町内の人に任せていたので、そのこと自体、全く記憶にない。そんなことがあっても、知ったことではない。近所の班長さんに聞いてもそんな話は聞いた事がないという。その老婆の妄想である。

 

世の中の地獄

 何時までも過去に囚われていると、幸せになれにない。それが分からない亡者が世にはうじゃうじゃいる。この老婆は、昨年に夫を亡くしている。気がふれているのかもしれない。近所でも問題児の家である。その昔、その夫が私に因縁をつけて、怒鳴り付けられたことがある。相手は文句を言うのが正しいと信じ切っている。言いがかりを付けられる方は、世の地獄である。

 こちらは病後の体調不良で、立って話すだけでも辛いのに、くだくだと訳の分からない話しを長々とするから、怒れてしまった。それも相手は私がガンの手術後のことで、体調不良を知っての愚行である。私には死神の行動であった。地獄はあの世ではない。この世に地獄があるのだ。その中で生きて行くのは大変だ。

 

磨墨知451. 幽霊にならない

 丸山応挙の描いた幽霊の絵は、人間の性を表現している。あなたは何の幽霊ですか、と丸山応挙の幽霊は己に問いかけている。

 

幽霊とは

 幽霊とは、大地に足の着いていない餓鬼道に落ちた人間の象徴である。また来ぬ未来を手さぐりにして、過去に捕らわれるさまは、後ろ髪を引かれている様に表現されている。髪を振り乱し、虚ろな目で、帰らぬ過去とまだこぬ未来を見つめる。

 その目は「今、ここ」を見ていない。恨めしや、と言いながら、他人のせいにして自分の責任は考えない。この世の全ては自分が生み出したもの。今のあなたは、自分が生み出した世界の中心にいる。それは金の亡者、名誉の亡者ではないのか。自己を見直したい。

 

ゴーンは西洋幽霊

 ゴーン被告も、金の亡者となって、日産のルネッサンスを金科玉条に、裏では己の金の亡者となって金儲けだけを追求していた。ゴーン被告は、西洋の幽霊である。ゴーンが行った不要なリストラで、首を吊った人もいるのに、である。西洋の幽霊は質が悪い。自己弁護ばかりで反省の陰さえない。

 

 あなたは何の迷い人? 鏡に写る自分の姿に幽霊の気配はないか? 現地現物として、しっかり自分の姿を、鏡に写してよく観よ。鏡は世間の目である。世間の目が、自分の幽霊を映し出してくれる。

 鏡よ、鏡よ、此の世で一番正しく美しいのは誰?

 己が鏡に映る姿に、幽霊の気配が観えなければ、己は幽霊である。

 

足を大地につけて

 時間を創るには、しっかりと大地に足をつけた生き方、真っ直ぐに前を見つめる目、過去を振り切って前進する力、手を上向きにして、しっかり現実を掴む力が必用だ。今を最大限に生きれば、幽霊にならない。幽霊の人生とは、死の時間の経過である。

 生きていても、幽霊になっては、時間だけは冷酷に過ぎていく。足るを知れば、亡者にはならない。過去のしがらみを捨てれば、生き返る。人生でやり直しはできない、しかし出直しはできる。過去の亡霊を捨てて、生き返れ。再生せよ。それが人生のルネッサンス。

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 馬場恵峰書 2006年 

2019-04-15  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。