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2019年4月21日 (日)

人格の体温測定 → 冷血人間にならない

 体の体温が1度下がると、免疫力が30%下がるという。それを知っていたから、ガン予防対策、病気対策で、毎日2回、お風呂に入っている。シャワーではなく、40度か41度のお風呂に10分~15分も浸かっている。

 冷たいものを飲むのも良くない。私はアイスコーヒーを飲まない。水も氷なしで飲んでいる。勿論、アイスクリームはご法度である。死んでもいいが?、健康管理は大事である。

 健康管理として、毎朝、体温計で体温を測り、記録することを始めた。これは血圧測定より重要である。だから入院すると必ず、朝晩、検温がある。この取り組み1か月の成果で、体温36.4 度が36.5度に上がった。わずか0.1度、されど0.1である。体温の目標値は37度である。

 4月22日の検温結果は、36.7度であった。成果あり。

 若い人や結核患者は、ガンにかからないという。それは体温が高いのでガンにならないという。低温だと病気やガンにかかりやすい。

 そうやって私は体温を上げる取り組みをしている。体が温かいと、心も豊かになる。冷え性では、幸せになれない。

 

礼状なし

 河村義子先生の音楽会やイベントの写真撮影をして、ビデオのブルーレイディスクや写真プリントを関係者に差し上げても、礼状はおろか、お礼の一つも伝えない人が多い。数十人にBDや写真プリントを差し上げても、今までお礼が来たのは、この5年間で、せいぜい2、3人である。それもほとんどが電子メールで、である。相手は貰って当然と思っているようだ。私は、彼らにとって写真撮影係の奴隷なのだ。ディスクも写真プリントの費用も、私の人件費も持ち出しである。カメラの減価償却費も半端ではない(機材総額200万円)。私は別に儲けるためにやっているわけではないので、気にはしていないが、お礼の一つもないのは、悲しい。

 それが馬場恵峰先生のお弟子さんに写真等を贈ると、全員から必ず手書きの手紙、時には毛筆の礼状が届く。それと対比すると、考えてしまう。

 それも、多くの弟子を持つ先生と言われ人でも、礼状一本、お礼一言寄こさない。病気見舞いの言葉もなく、ましてや病気見舞いなどに、来るはずがない。今まで、年賀状のついでの書き足しで、お礼がきたのが一回だけ。そんな先生に教えられる生徒たちの将来が不安である。大垣の未来の未来を背負う若者が心配だ。

葬儀の写真を贈る

 2018年12月25日の河村義子先生の葬儀の時の写真CDを、二人の先生に贈った。一人の先生の住所・氏名が分からず、名古屋ヤマハ店の人に託して、贈った。お店の人は、相手が確かに受け取ったというが、私には何の連絡もない。もう一人の先生からも、何の連絡もない。

 

義子先生が草葉の陰で泣いている

 しかし河村義子先生からは必ず、礼状とお礼の品が来た。義子先生がこの弟子たちの実態を知れば、悲しまれるだろうと思う。先生は何のためにお弟子さんたちを教育してきたのかと、その現実に嘆かれるだろう。音楽を教えるとは、人格教育の一環のはずなのだ。義子先生が草葉の陰で泣いている。

 

そんなことは私が許さない

 その昔、河村義子先生の主催するピアノ発表会で、ある人の写真を撮ってあげたが、そのデータメディアの返却がないので、義子先生にボヤいたら、「そんなことは私が許さない」と早々に相手をド叱って、相手からは慌てて礼状が来たことがある。今の状況を義子先生が知れば、「私は、そんなことは許さない」と言われるのだろう。義子先生の弟子にしては情けない状況だ。

 今までは、義子先生への恩と義理があったから、演奏会を喜んで撮影していた。しかし、義子先生が亡くなって、弟子の指導者たちの冷血な本性が明らかになったので、今後の付き合いを考え直している。

 

某音楽家の例

 懇意にしている音楽家の演奏会で、毎回、撮影を担当している。彼とカルテットを組む仲間にも、撮影・編集した写真BDを贈っているが、今だかって、誰からも礼状が来たことがない。

 

仁の村の仕打ち

 2019年1月22日、岩村に馬場恵峰先生の佐藤一斎の言葉の板書を3枚、思い込めて寄贈したが、今だ岩村から礼状は届かない。情けないことだ。寄進をして頂いた方に申し訳ない気がする。私の顔の泥を塗ったのだ。言志四録読みの言志四録しらずである。

 

人格体温測定

 私としては、BDや写真プリントを差し上げて、その反応で人格の体温を測定している。それで、今後の付き合い方を考えればよい。血の通った温かい人と付き合わないと、自分も冷血になってしまう。厚情に何も反応しないのは、冷血な「無視」なのだ。愛の反対は「憎悪」でなく、「無視」である。こちらが厚情を注いでも、相手が「無視」をするなら、付き合わない方が、お互いに幸せである。

 人が病気になっても、お見舞いどころか、見舞いの言葉一つない知人が多い。なんと冷たい人かと、その人の非常識さが分かり、初めてその人の人格の体温が判明する。これが今回、私がガンになって、周りの人の反応を見て判明したことだ。人格とは人情の温かさに比例する。

 

教師の人格教育の堕落

 2016年、母校の北高の合同同窓会があり、そこで音楽部の後輩達が、先輩の卒業後50周年を祝って歌を歌った。私はその姿を撮影して、各人の写真を印画して校長宛に送った。費用は数千円である。しかし、誰からも礼状一つ来なかった。大垣で一番の高校なのに、人格教育は校長を筆頭にして、なっていなかった。吾が母校も堕落した。

 2018年、大垣少年少女合唱団の「大垣の歌」のお披露目があり、私はその写真撮影をして、リーダの人に写真CDを贈った。しかし、何の礼状も来なかった。

 2018年、地区の敬老会で、中学校と小学校の音楽部の生徒が慰問として歌を歌った。私はその風景を撮影してリーダの先生に写真CDを贈った。何の礼状も来なかった。

 

リトマス・マフラー

 先の年末、親戚に家に行ったとき、その家にマフラーを忘れてしまった。親戚は忘れたことを知らせてくれたが、それを送り返すことはしてくれなかった。わざわざ、遠方の親戚の家まで取りに行くのも大変で、そのままにしておいた。時は冬である。この冬はマフラーなしで寒い思いをした。それでその親戚の体温の冷たさを知った。

 

日本社会の冷血化

 こんなに日本社会が劣化して、冷たくなっては、日本復興はあり得まい。何とかしたいと焦っている。日本社会の体温が下がっているのだ。社会が冷たくなれば、ガンに相当する社会の病気が蔓延する。無責任体制、拝金主義、事なかれ主義、利己主義、忘恩の人格である。だから大垣市は衰退している。これが日本全体に広がらなければと危惧している。

 余命2年の身だから、言うべきことを言っておかないと、日本のため、後進の為、悔いが残ると思い書いている。

039a32691  馬場恵峰書

 

2019-04-21   久志能幾研究所 小田泰仙

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