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2020年5月 3日 (日)

「人の上に立つ」とは、

 

 人の上に立つということは、真っ白な衣を着て、ぬかるみを歩くようなものだ。泥を撥ねまいとして、一歩一歩細心の注意をして歩く。その繊細さがなければ、その団体は知らず知らず堕落していくのだ。  (P363)

  神渡良平著『一粒の麦 丸山敏雄の世界』致知出版社

 

私の管理職としての反省

 私も会社時代、管理職として出世欲があったせいで、つい良き意味での暴走をしたこともあった。堕落をしたわけではなく、功名心、正義心を出し過ぎて失敗した。これは正しいことだと全力で前を向いて突走っていて、ふと後を振り返ったら、誰も付いてきていなくて愕然としたことが多々あった。それは会社が要求する理想と現場が乖離していたのが原因である。私はその失敗から、経営学と人間学の勉強にのめり込んだ。

 一人の中間管理職がいくら頑張っても、会社は動かない。実務を動かすのは社員である。方針決定は社長である。全員がその気にならないと、業務改革は進まない。

 

支配欲

 中間管理職でも、人はつい人を支配したいという欲にかられる。人を支配する心の動きは、競争心であり、創造の力ではない。それでは人を動かせない。会社や社会を変えるのは人である。世の中は正しいことが、常に通るほど単純ではない。もっとドロドロした世界である。それを体験したことが良き経験である。それで智慧が付いた。

 

綺麗ごとだけでは、世の中を渡れない

 私が管理職として心がけたことは、不正に手を染めない事だ。後日、仕事の身体検査をされ、不正が露見することは恥であり、絶対に避けねばならぬ。不正だけは絶対にしてはならない。これだけは自負を持って取り組んだ。逆にその正義感から、会社生活では、足をすくわれた。皮肉なもの。会社はそんなに綺麗ごとばかりでない。

 正しいことが、常に正しいことではない。ハーレムで泥棒をしてはいけないと叫んでも、狂っていると思われるだけだ。ハーレムでは泥棒をしないと生きていけない。

 人殺しは犯罪だが、国家間の戦争になれば、真面目に人殺しをしなくてはならない。戦争では人殺しは正義となる。一人を殺せば犯罪だが、10万人を殺せば、英雄である。東京大空襲・日本大空襲を指揮して非戦闘員100万人を虐殺した。米軍の将軍は、戦後、日本から勲章を授かった。昭和天皇は、その授与式を拒否された。本人も言う。「米国が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」と。

 

小川敏の市長としての立場

 小川敏の大垣市政を見ていて、とても小川敏の行動が上記の「人の上に立つ」というレベルとは思えない。彼にあるのは、支配欲と名誉欲だけである。私は過去の経験に照らして小川敏の心境がよく見える。

 下記はその堕落だらけの状況である。これでは大垣市の没落も必然である。大垣市の復活には小川敏のリコールが必用である。

 

小川敏市政の堕落

 ドローン墜落人身事故で責任放棄して逃走

 行政の予算使用用途のマル秘条令を制定

  市制100周年記念行事の不明朗会計

  市制100周年記念行事の会計報告がマル秘

  元気ハツラツ市での会計報告なし

 岐阜県下一贅沢な新市庁舎建設

  それと対照的な大垣駅前の極貧ビル群

  その上で、金が足りないと寄付を募集。恥さらし

 岐阜県下一給与の高い大垣市役所職員

  それでいて、児童生徒一人当たりの教育費が県下最低

  なおかつ、教職員の給与が県下最低

 大垣市長5選。無投票当選で連続3選。

  対抗馬が出れないように、大垣財界に事前工作

  長期政権で腐敗しなかった例は歴史上にない。

 19年間に及ぶ独裁政治で、役人がヒラメ病状態になっている。

  その弊害に気が付けば、5期も市長の座に座るのは狂気である。

  ヒラメになれば不正も見て見ぬふりをするようになる。

  ヒラメ病症候群は、新型コロナウイルスのように職員に蔓延する。

  19年に及ぶ小川敏独裁政治では、何を提案しても却下される。

  あるのは予算カットだけ。

  大垣は日本と同じでデフレ経済に陥っている。大垣没落である。

  諦め病ウイルスが、大垣市職員に蔓延している。

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  馬場恵峰書

 

2020-05-03 久志能幾研究所通信 1564 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月 2日 (土)

リーダは夢を語れ

 

夢を語れない人はリーダではない。

夢を語ってビジョンを出していくのが、リーダ優れた資質だ。

 堀紘一の経営者十番勝負⑧ 『週刊朝日』1997年10月31日号

 

私の夢への挑戦

 私は自身を構成する37兆個の細胞を運営する主人公で、その経営リーダである。自分はご先祖様のDNAを受け継ぎ、ご先祖様の期待を背負い、現代を走る代表選手として生かされている。生きているのではない。生かされた自分の使命を自覚して、利他の精神で活動している。

 自分の夢を見て、人に夢を語り、日々、一歩でも、0.1歩でも前進する取り組みをしている。新型コロナウイルスの緊急事態宣言が出ようが出まいが、やることが山積で、おちおち死んでなんかいられない。「外出自粛、自宅待機で、やることがない」と言う人が信じられない。

 

小川敏は夢を語る能力がない。リーダ失格である。

 小川敏は、市長として大垣の夢を語る能力がない。彼は左脳だけが発達している。彼の50年前は、記憶力だけは良かったから最高学府に進学できたが、知恵が必要とされる実社会では使い物にならない。彼は創造的な夢を語れない。彼には夢がないから、彼の顔に笑顔がない。だから大垣の未来は暗い。だから大垣は没落した。

 私は、小川敏からその夢を聞いたことがない。小川敏の語る公約は、夢のレベルではない。小賢しいオリコウさんでは、夢を語れない。その公約さえ守れなかった。

 

悪夢

 小川敏は夢として、市民に「安心安全を」を公約した。「安心安全を」は市長としての当然の責務で、できて当たり前である。

 その小川敏は、夢どころか悪夢を見させてくれた。ドローン墜落人身事故、その責任逃れ不祥事、室村町アンダーパス水没事故、市庁舎の非常用電源なしの露見、元気ハツラツ市で園児虐待等である。

 小川敏は、夢として「子育て日本一」という大嘘をついて、児童生徒一人当たりの教育費を県下最低にした。子供の教育で最大の功労者の教職員の給与を県下最低にした。その財源を自分たちの懐に入れてしまった。大垣市の市民は、子供に夢を託せなくなった。

 小川敏は夢として「元気あるまちづくり」と言いながら、大垣を県下最低の商業地に落としてしまった。大垣は投資に値しない街にしてしまった。地価を半分に暴落させた。大垣市民は夢も希望もなくしてしまった。小川敏は、大垣駅前商店街に「中性子爆弾」を落として、80%の店が閉店するというパンデミック(感染爆発)状態にした。大垣駅前商店街は幽霊通りになってしまった。汚川から発する衰退病原菌で大垣の産業は爆発的感染汚染である。大垣駅前商店街の従業員8,000人が、夢も希望を無くして、大垣を去った。

 

「大垣市未来ビジョン」で見る地獄

 小川敏は、「大垣市未来ビジョン」を作ったが、これはお役人の縦割りの行政機能で各部署に作らせた「お作文」である。当たり前を絵に描いた餅である。お役人が、今の延長線上で出来なくても責任を問われれないように書いた絵である。腐った餅である。フルカラー版の143頁の「お作文集」を作っただけ税金の無駄遣いであった。今が正常な政治が出来ていないのに、未来が創造出来るはずがない。

 副タイトルが「みんなで創る 希望あふれる産業文化都市」とある。小川敏が勝手にこの冊子を作った。小川敏の19年間の悪政で、大垣が衰退した。公示地価は暴落し、産業は衰退し、文化は衰退し、児童生徒一人当たりの教育費は県下一最低になり、未来の希望が無くなった。

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 「大垣市未来ビジョン」の冊子     フルカラー版の143頁

 今が衰退の一途なのに、こんな未来があるわけがない。

 ロボットに支配された大垣なんぞ、不気味である。

 ロボットのように感情の無い小川敏には、夢も情熱もない。

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  馬場恵峰書 2014年

2020-05-02 久志能幾研究所通信 1561 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月 1日 (金)

幸運がやってくる4つの原則

  1. 相手の立場で物事を考える。
  2. 相手に頼み事をしない。
  3. 相手に無駄の時間を使わせない。
  4. 相手を爽やかな気分にする。    (P115) 

    小林恵智著『ツイている人になる“未来4行日記”』青春出版社

自分の場合

 幸せになるために、自分を客観的に見よう。過去の私には、その観点が足りなかった。

 頼むより頼まれる人となれ。貴方がいなくては困るという人になれ。今、そうなるように精進中です。

 時間は命。他人の時間も命である。他人の時間も大事にしよう。これこそ、私の信条である。それで自著『時間創出1001の智慧』が生まれた。

 不機嫌な仏頭面では、門にドクロをぶら下げているようなもの。意識して笑顔を見せよう。顔は人生劇場での己の性格を表す最大の衣装である。顔を見れば、その人間の心が見える。

 私の過去のスナップ写真を見ると、結構、苦み走った顔をして写っているケースが多い。昔は構えていて、自分の弱みを見せまいと壁を作っていたのだと、今になって反省がしきりである。壁を作るとは、弱いのだ。ベルリンの壁、ソ連の鉄の壁等は、虚弱な共産主義経済圏を守るためにあった。それこそ弱さの表明である。

 

大垣市の小川敏の場合

 下記の様な小川敏が市長では大垣市が没落して当然。良き反面教師である。

 小川敏が市長である限り、大垣に幸運はやってこない。

 

1 立場

 小川敏は寄付の依頼ばかり。伝聞では、小川敏は頭を下げるのが大嫌いのようだ。人を見下して、命令ばかりである。

 小川敏は、自分のために施策を行っている。市民にはピント外れの事ばかり。大垣市の地価は暴落だが、それでいて大垣市の税金は高い。

 

2 頼み事

 小川敏は園児に灼熱地獄の「元気ハツラツ市」への出演依頼ばかり。依頼ではなく、行政命令である。幼稚園の園長先生は、小川敏に人事権と予算で縛られて拒否できない。

 市民への寄付を募集が頻繁にあるなど、市長として醜態である。寄付は自発的な行為で募集するものではない。

 

3 時間価値

 小川敏は無駄な行事、下らない挨拶で、市民の時間を奪っている。

 小川敏は、大垣を没落させ、市民の不動産財産価値を暴落させた。両親が汗水、時間をかけて貯めた金で買った不動産財産を破壊した。不愉快極まりない。

 

4 仏頭面

 小川敏の不機嫌そうな仏頭面では、玄関にドクロをぶら下げているようなもの。小川敏は滅多に笑顔を見せない。市民は不愉快である。

 Img_3134sjpg   2011年1月9日 出初式で

  この顔で19年間も君臨すれば、大垣が没落して当然。

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  寄付を受け取る小川敏。  岐阜新聞 2020年3月12日

  寄付を下々から受け取ってやるのだ、という尊大な顔である。下々に寄付をさせても、ニコリともしない。

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福沢諭吉著『学問のすすめ』から

第17編 「人望論」 顔つきをあかるくすること

 「人の顔色は、いわば家の門口のようなものだ。広く人に交わって自由に客を引き寄せるには、まぜ門口を開放して、玄関を掃除し、ともかくも人を来やすくすることが肝要であろう。

 人に交わるのに、顔色を和らげようともせず、かえって偽善者の風を学んで、わざと難しい顔つきをみせるのは、家の入口に骸骨をぶら下げ、門の前に棺桶を据え付けるようなものだ。」

 当時の日本の人口が約3千万人の時、400万部売れた。今に換算すると1200万部の超ベストセラーである。

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 馬場恵峰書  2006年

 

2020-05-01 久志能幾研究所通信 1559 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年4月30日 (木)

現状打破、自殺防止、敵前逃亡

 やったことだけだよ。後に残るのは。

 とにかく実績を作れ。

 動け。

 仕掛けよ。

 投資せよ。

 書類を書け。

 人に会え。

 声を出して、話せ。

 メールを書け。

 プレゼントせよ。(時間、情報、情、言葉)

   2007年8月17日

 

 以上は当時、閉塞感に押しつぶされそうになった自分を勇気づけるために書いたメモカードである。

 当時、私は仕事に悩んで鬱病寸前になっていた、その疫病神と闘うのでなく、仲良くなって、それを克服して今の私がある。その敵は自分自身の中にある。薬では治らない。医者に行けば、薬漬けで余計にひどくなる。

 自分の中のもう一人の自分を敵視してどうするのか。多くの人がブラック企業の環境の中で悩んでいる。それを冷静に直視せよ。実態を見極めれば、対応策は無限にある。負けまいと頑張るから、泥沼にはまり込み、病状が悪化する。プライドを捨て、負ければよいのだ。なるようにしかならないと、達観することだ。

 

ニュートンの第一法則

 無駄と思っても、まず動いてみることだ。具体的に動けば、具体的な回答が出る。動けば、頭も動くようになる。動かなければ、ニュートンの第一法則で、永遠に止まっている。

 

自殺

 それを悩むから自分で自分を自殺に追い込んでしまう。ダメならそこから逃避すればよい。逃げる時は、恥も外聞も全て捨てることだ。命があれば再起できる。難破した船からの脱出と同じである。

 以前に電通の東大出の女性社員が自殺をしたが、なぜ逃げなかったかが不思議である。頭が良すぎると、逃げるという動物的本能まで麻痺するのか。プライドを捨てられなかったのだろう。

 私だって、悩んで何度もビルから飛び降りたいと思ったことか。悪いことに、職場のビルの5階には、飛び降りるのに最適に出窓があった。しかし意気地がなく、動物的本能で恐怖心が起こり思いとどまった。それなのに死を選んだ彼女が不憫でならない。

 今にして思うことは、自分は何とアホみたいな些細なことで悩んでいたことか。泥沼に引きずり込まれるような状態を脱出するのは、自分で自分を泥沼から引きずり出すしかない。泥沼は幻想なのだ。自分を第三者の目で見よう。

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 一時は3万人が自殺をしていた。今でも毎年2万人ちかい人が自殺をしている(2019年の自殺者数は、19,959人)。それもその半数は分別ある中小企業の社長や管理職である。新型コロナウイルスでの死亡者どころではない。その自殺対策で、政府や企業は対処療法のみで、真の対策をしていない。

 

逃げろ

 逃げることは恥ではない。ウサギがライオンに睨まれたら、正しい戦術は猪突猛進ではなく、脱兎の如く逃走である。いくら力を出してもウサギがライオンに勝てるわけがない。会社を辞めればよいのだ。逃げても誰も非難などしない。ウサギがライオンに突撃など狂気の沙汰である。それで自然界のウサギが、自殺したなどは聞いたことない。一社員が大企業に、命を掛けて抗議など狂気の沙汰である。何よりも命が大事である。

 かの織田信長だって、負け戦となれば、後を秀吉に託して真っ先に逃げた。組織は信長のように非情である。だから信長は命を永らえ、天下を統一した。逃走軍のしんがりを勤めた秀吉の部下は死屍累々である。犠牲になるのは、いつも一兵卒である。

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   馬場恵峰書  2012年

 2020-04-30 久志能幾研究所通信 1557 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年4月29日 (水)

老いとは何か

歳を頂く

 つまり経験を神様、ご先祖様から頂くのだ。

 経験を活かし、ご縁を大事にする心と求める心がないと、良き齢は頂けず、老醜をさらす。体は大人で、精神が子供のままになる。

練れる道を歩く

 つまり流行に惑わされず、思想を深める。

 しかし現代は年寄りがいのない人が多くなった。

 自己修練をしていない人が多い。だから認知症が増えた。

考え方を充実していく。

 自己の人生の完成を方向付ける。己は何のために生まれてきたのか。己の使命は何か。これでいいのだろうかと自他に問う。その考えが生まれている状態が老いである。

 馬場恵峰師  知己塾にて  2012年12月

 

大垣市長を考察

 市長の分際で、一営利企業であるギネス社の金儲け商売に騙されて「水饅頭共食いのギネス記録」にうつつをぬかすなんて、分別ある年長者のやることではない。ミッキーマウスの商売にそそのかされて、美女を引き連れ,、星条旗を掲げたサイドカーに先導されて大垣大パレードなどするのは、日本全国に恥を晒すもの。子供である。それに便乗するマスコミも幼稚になった。だから新聞購読部数の減少が止まらない。

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  馬場恵峰書 2011年

 

2020-04-29  久志能幾研究所通信 1556 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します

2020年4月26日 (日)

祈りで運命を変え、差取りを得る

どんなことでも文句を言わない。試練として全て受け入れる。

なにごとも行動を伴うお祈りをしないと成就しない。

祈ると同時に、それにふさわしい行動を取ること。

自分が変わらないと周りも変わらない。

自分が変わろうとしない限り、何も変わらない。

    馬場恵峰師  明徳塾にて 2006年5月28日

 

 祈りとは、自分に冷静に対峙すること。祈りとは、神仏の前で、謙虚に自分を見直すことである。

 批判してくれる人は神さまだ。愛の反対は憎悪でなく、無視である。己を憎悪している人は、黙って己が転ぶのを見ている。批判は自分のどこが悪かったかを教えてくれる。自分には前しか目が付いていない。批判者は、己の後ろを観察している。

 精進して、眉間の第三の目を開かせよう。菩薩とは、佛になる(悟りを開く)ために修行をしている行者である。人間界の己は、せめてこの世で、少しでも悟りの境地に近づいて、来世に行きたいものだ。「悟り」とは「差を取る」である。強欲な衆生と差をつけるのだ。

 ご先祖様は、己の未来を見据えて、病気や不幸を授けてくれる。ご先祖は物理的に何もできないので、己を病気や不幸にさせて、過ちに気が付いて欲しいと願う。ご先祖は今の道が間違っていることを、病気を通して教えてくれる。私も癌になって、狂った生活、狂った食事を送っていたことに気が付いた。

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 松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像

 

Img_5682s    馬場恵峰書、東山魁夷「道」

2020-04-26 久志能幾研究所通信 1550 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年4月24日 (金)

不幸は神仏とご先祖様の啓示

 不幸、失敗、不遇、病気、事故を神様とご先祖様の啓示として捉えたい。それを梃子に転戦しよう。それをばねに良い方向に運を向上させよう。事故、不運を善意に解釈しよう。事故には、善悪の意図はない。それを人がどう解釈するかだけである。

 There are no facts, only interpretations.

   事実はない。解釈があるだけ。  ニーチェ

 

 生き方を切り替えよう。考え方を切り替えよう。それで運を転換しよう。与えられた最悪の状況で、己はどう戦うのか、それを神仏は試している。神仏は親切である。今の与えられた運と仲良く「楽しめば」、次に良き運と仲良くなれる。愚痴を言っても「運さん」は変心しない。

 運さんを、命の限りを尽くして運ばねばならぬ。それを運命という。「運」とは、「軍(戦車)」を人生の岐路(十字路・シンニュウ)でめぐらせる、を表した象形文字である。

冬の時代は、力を蓄える時とわきまえ下へ下へと根を伸ばせ。

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 加藤梅香先生書  1980年頃

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 馬場恵峰書

 

命の恩人

 馬場恵峰師は小学校の時、教師から叩かれ、鼓膜を破られて耳が不自由になった。そのため軍隊に行かなくても済んだ。

 学校の指導で、恵峰師だけ熊本大学に志望校を変えさせられた。馬場恵峰師はそれに従った。学友は長崎大学に行き、原爆で命を落とした。馬場恵峰師は熊本大学に進学して、原爆から逃れられた。天の差配は人知を超える。

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 2012年12月14日 日中友好書画交流展にて  馬場恵峰書

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天之機緘不測

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰師は力説される。

 人間の持つ生活模様の多様性が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚構上に舞う華やかな虚像に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される。「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、一歩一歩しっかりと踏みしめて欲しい」と恵峰師は訴える。

     馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」(久志能幾研究所刊)より

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レッドオーシャンからブルーオーシャンへ船出

 私が大学受験をした年、東大入試が安田講堂事件で中止になり、大波乱があった。東大に行く学生が京大に、京大に行く学生がその下の大学へとドミノ現象である。私はカスカスで国立に入れる学力であったが、その影響で国立大学の受験は全て失敗した。父の定年の関係で浪人はできないため、不本意ながら、私立大学に滑り込んだ。

 国立大学に行けない悔しさがあり、その巻き返しとして、最初から全科目、全優を目指し「仕事として」真面目に勉強をした。当時の大学生は、特に私立の大学生は、受験勉強から開放されて遊んでいた。その環境で少し頑張って勉強をすれば一番を取れる。それで特待生になって、授業料免除を獲得した。卒業式で総代として卒業書を受け取れた。

 私は団塊の世代の最後の年代で、受験戦争では四当五落の世界であった。それはレッドオーシャンでの血みどろの戦いであった。血まみれの海では、労多く、益が少ない。しかしブルーオーシャンでは、過当競争もなく、勝利を得ることが出来た。経営的にも、過当競争は非効率な戦いだ。非力な自分は、敵のいない所で勝負するしかない。並みの才能で、人より抜きんでるために、正面突破など愚かである。それが実証できて、良き学びの期間であった。

  

私の癌、塞翁が馬

 私は昨年、癌が見つかり、その手術をした。従容として、現時点で最善の方法を選んで、対応した。当時は失意のどん底に落ちた。覚悟を決めて葬式の段取り、戒名を決め、支払いまですませて手術に臨んだ。幸い、無事に手術もすみ、回復出来て神仏に感謝している。

 もし今、癌が見つかったとしても、手術をしようにも、新型コロナウイルス騒動で、医師達が忙殺され、手術をしてもらえないという。そうなれば、私の癌も手遅れになり、転移も発生して、今頃死んでいるかもしれない。

 そうなれば知人も病院封鎖で、お見舞いにも来られない。先の入院の騒動で真の交友関係が明らかになり、交友関係の良き「整理整頓」ができた。今にして、今回の癌の発見は、ご先祖が私に目を覚まさせるために授けた事象だと思う。結果として私の命を守っていただき、今までの狂った生活を見直すことができた。生かされた命を大事にして世のために使いたい。

4k8a02411s_2   馬場恵峰書

2020-04-24 久志能幾研究所通信 1547 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年4月19日 (日)

春うらら 流れに漂う 死の匂い

 2020年4月10日、天気も良く穏やかな日和であるので、約1.5㎞先の食堂に散歩をかねて出かけた。帰りは少し疲れたので喫茶店に寄ったが、新型コロナウイルスの時節柄、客は私一人であった。その帰り道で、思いにふけりながら、「四季の路」を歩き、春の風に散りそうな桜を愛でながら散策をした。その穏やかな風景に死を意識した。

 

死の風

 水門川の流れを見ながら歩くと、死を意識する。時節柄、死期の道(四季の路)には誰も歩いていない。自分に残された時間が、水門川の水が過ぎ行く永遠の時間の中では、たったのひと時であることを痛感する。人はそんなに長く生きられるわけではない。私の命も、明日はわからない。38年後かもしれない。いくら長生きしても、後50年も生きられない。生は偶然だが、死は必然である。

P1130682s 2020年4月10日       四季の路(大垣) 昼間の静寂な空間

 

 ゆく川の 流れは絶えず 水門川

  

一日無事

 うららかな春の陽の下、今日一日が無事であることが、如何に幸せかを、愚かな人間は、その幸せを失って初めて気が付く。私も大病をして、それを痛感した。

 新型コロナウイルスが猛威をまき散らしても、自然の大地は、悠久の時を刻んでいる。水門川の流れは変わらずとも、明日は明日の風が吹く。ある朝、春一番が吹いて、花は散る。一瞬一生、春風秋雨、光陰矢如、である。人間の明日は分からない。

 

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師の最期の教え

 ここ1年で、私は大事な師を4人も見送った。亡くなられた師の遺言が「貴方も何時か死ぬのですよ。やるべきことをやり遂げて、悔いのないようにしなさい」であった。昨日が馬場三根子先生の49日であったが、コロナウィルスで全国に緊急事態宣言が発動され、法要に参列できなかった。向こうの迷惑を考えて九州に行くのを遠慮した。こちらで手を合わせて三根子先生のご冥福をお祈りした。生きている自分を振り返り、生かされている幸せを感じた。

 

残り時間

 市長の小川敏はもう70である。彼にも残された時間はそんなにも多くないはず。それなのに、彼は6選に向けて事前選挙活動に余念がない。市長職は、激務である。自分の時間が持てないほど多忙である。自分の残り少ない人生で、何を血迷って、自分の時間を放棄して、残時間をドブに捨てるのかと、他人事ながら哀れを感じる。

 小川敏は19年間も大垣市長をやって、全く成果が出ない。出ないどころか、やることなすこと大垣の没落に拍車をかけている。小川敏は、自分のことしか見えないので、無能なのだ。東大を出たという驕りで、回りの諫言に全く耳を貸さない。名馬も老いれば、駄馬に劣る。伊藤忠を若くして、追われるような性格なので名馬ではない。老いで、自分の無能さがますます分からなくなったようだ。権力を持っているので、認知症まがいでも、市民には凶器のような存在となる。更に後4年間の恥の上塗りをすることとは、情けない。大垣市民が悲惨である。

 

無私

 今まで、多くのトップを見てきた。有能かそうでないかは、”私”の有無で決まるようだ。名誉欲、利己欲が前面に出て、利他、無私の精神がなくしたトップが世の中に汚泥を流している。まるで汚川のようだ。不敏である。

 

究極の差は“私”の有無

 同じしっかりした人で、失敗する人と成功する人とは結局どこが違うのかをせんじつめていくと、失敗するほうには”私“があり、成功するほうには”私“がないということである。

   松下幸之助翁発言集4(PHP) p164,205

 

他山の石

 生は偶然だが、死は必然である。明日は我が身である。汚川の流れを横に、他川の水の教えとして、自分の人生の大事を急ごう。死ぬことから逆算して、残り人生を設計しないと、死の床で後悔する。

 いくら彼が5期連続の市長職を誇っても、いつかは召される運命である。驕る平家、久しからずや。栄華を誇った豊臣秀吉でも、家康に豊臣神社も歴史も抹殺されてしまった。その徳川家さえ、260年の命であった。

 私はこの世に、私にできる最大の貢献をして静かに去りたいと思う。有名でなくてよい、真っ黒になって世のために働き、時がくれば、人に迷惑をかけず、静かに去っていく。倒れる時は、前向きで倒れたい。最期まで前進したい。それが人間の美学である。

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  馬場恵峰書「百尺巻頭書作選集」(久志能幾研究所刊) p116より

 

2020-04-19 久志能幾研究所通信 1539 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年4月18日 (土)

コロナ非常事態に、小川敏は3密・乞食行政に狂う

 日本中に新型コロナ騒動で戒厳令?(非常事態宣言)が出されている真最中、小川敏は各所へ強要した寄付の乞食行政に忙しい。岐阜新聞2020年4月18日付の西濃欄に掲載された「大垣市長の動静」記事を見て呆れた。

 大垣市長の動静

 午前10時 一般社団法人地球文化村からの寄付贈呈式

 午後1時 県新型コロナウイルス感染症対策本部員会議

    岐阜新聞 2020年4月18日 「小川敏大垣市長の動静」より

 

 何故、この時期に不要不急の寄付贈呈式を執り行うのか。市の統括責任者がこのレベルのお粗末さでは、大垣が衰退して当然である。

 単なる寄付贈呈式なら、部長か課長クラスが対応すればよい。今の緊急事態の場合だから、人が密接触する危険性のある贈呈式など禁止である。大垣市も他の市の行事も、全て中止ではないか。

 たぶん、小川敏が寄付を強要したので、市長出席の寄付贈呈式をやらざるを得なくなったのだろう。その後、市長室で密接な懇談会もあったであろう。

 その小川敏が強要する寄付も、議員、市職員の給与を県下最高金額から適正水準に下げ、県下一豪華な新市庁舎の贅沢をヤメ、小川敏思いつきの下劣な行事を止めれば、すぐに数億円から数十億円が浮く。そうすれば各所への寄付強要をしなくても済む。

 

寄付の目的

 なぜ、企業が寄付をするか? それは節税対策と売名行為と大垣市の利権確保が目的と推定される。大垣経済が行き詰まり、経営が苦しい大垣の企業が、大垣市に寄付をするには、それ相応の理由があるはずだ。

 

リーダーシップは資質ではなく、仕事である。

 リーダーシップの素地として、責任の原則、成果の基準、人と仕事への敬意にすぐるものはない。

 リーダーシップとは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で確立することだ。リーダーとは目標を定め、優先順位を決め、それを維持する者である。

 「リーダーたる第一の要件は、リーダーシップを仕事として見ることである」

 ドラッカー著『プロフェッショナルの条件』「現代の経営」より

 

小川敏はリーダー失格

 小川敏は、市民の命をコロナから守る仕事にリーダーシップを発揮していない。小川敏は、この非常事態でも、市民の命を守ることより、自分の売名行為の寄付贈呈式が最優先で、それしか頭にない。

 リーダーとしての小川敏は、市長としての使命、責任の原則、仕事の優先順位を考えることを放棄している。小川敏は、リーダー失格である。大垣の恥である。

 

余興

 いつもなら、その寄付贈呈式の写真が岐阜新聞にそれみよがしに掲載されるが、さすがに岐阜新聞社もヤバいと思ったのか、市長の動静だけの情報で写真はなかった。しかし頭隠して尻隠さず、である。愚かである。

 現在は、多くの商店は国からの通達で、営業をやめて店を閉めている状況である。零細商店は明日の飯どころか、今日の飯が心配の状況である。

 それなのに、売名行為、寄付での税金対策で、大垣市に寄付して、大垣市長と贈呈式を見せびらかしのように誇示するのは、非国民である。それを記事にする御用新聞の岐阜新聞は「小川敏新聞」に名前を変えた方がよい。その小川敏が寄付をしたという話を聞いたことがない。

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  岐阜新聞 第一面 緊急事態宣言 2020年4月18日 

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  2020年4月18日付 岐阜新聞 西濃欄

  4月17日の小川敏大垣市長の動静  

  岐阜県は16日に特別警戒都道府県に指定された

 

2020-04-18 久志能幾研究所通信 1538 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年4月17日 (金)

磨墨智40-1 朝、起きたらその日の志を立てる

 一日は人生の縮図である。論語では15歳で人生の志を立てるように、毎日、朝起きたらその日の志を立てて、その日にやるべきことに邁進しよう。

 15歳には15歳の志があり、60歳には60歳の志がある。90歳にも90歳の志がある。歳は関係ない。志があれば、青春である。どんなことでも、始めるのに遅すぎることはない。毎日の積み重ねが、人生を創る。

 

小さな志

 小さな志でよい。その日の三食を正しく食べるという志でもよい。狂っていない正しい食事をするだけでも、健康な一日が送れる。人生は一日一日の積み重ね。それで人生が楽しくなる。医食同源。食事が体を作り、その体が資本で人生を創るのだから。

 

人を食う

 もっと良い食事は、おいしく食べれる「人」を食うことである。煮ても焼いても食えぬ人と付き合っていると、悪縁に付きまとわれる。

 ご縁は人が運んでくれる。付き合う人脈も、意識して上を目指さないと、同じレベルの人間同士の付き合いだけになってしまう。だからこそ、今日こそ、良き人に出会えるように、その「志」を立てて出会いを求めたい。

 

師との出会い

 アンテナを立て、波長の合った人や師を探したいもの。お互いの波長が共鳴しないと、出会っても、真の出会いにならない。師を求めて世界中を走り回っても、真の師に巡り合えるには、3年どころか30年はかかる。私が馬場恵峰師に巡り逢ったのは、56歳の時である。人生はよきご縁の積み重ねの賜物である。

 下記の書は、額がお洒落で、文言も気に入り、入手した。

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  馬場恵峰書

 

2020-04-17 久志能幾研究所通信 1537 小田泰仙

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