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2020年4月19日 (日)

春うらら 流れに漂う 死の匂い

 2020年4月10日、天気も良く穏やかな日和であるので、約1.5㎞先の食堂に散歩をかねて出かけた。帰りは少し疲れたので喫茶店に寄ったが、新型コロナウイルスの時節柄、客は私一人であった。その帰り道で、思いにふけりながら、「四季の路」を歩き、春の風に散りそうな桜を愛でながら散策をした。その穏やかな風景に死を意識した。

 

死の風

 水門川の流れを見ながら歩くと、死を意識する。時節柄、死期の道(四季の路)には誰も歩いていない。自分に残された時間が、水門川の水が過ぎ行く永遠の時間の中では、たったのひと時であることを痛感する。人はそんなに長く生きられるわけではない。私の命も、明日はわからない。38年後かもしれない。いくら長生きしても、後50年も生きられない。生は偶然だが、死は必然である。

P1130682s 2020年4月10日       四季の路(大垣) 昼間の静寂な空間

 

 ゆく川の 流れは絶えず 水門川

  

一日無事

 うららかな春の陽の下、今日一日が無事であることが、如何に幸せかを、愚かな人間は、その幸せを失って初めて気が付く。私も大病をして、それを痛感した。

 新型コロナウイルスが猛威をまき散らしても、自然の大地は、悠久の時を刻んでいる。水門川の流れは変わらずとも、明日は明日の風が吹く。ある朝、春一番が吹いて、花は散る。一瞬一生、春風秋雨、光陰矢如、である。人間の明日は分からない。

 

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師の最期の教え

 ここ1年で、私は大事な師を4人も見送った。亡くなられた師の遺言が「貴方も何時か死ぬのですよ。やるべきことをやり遂げて、悔いのないようにしなさい」であった。昨日が馬場三根子先生の49日であったが、コロナウィルスで全国に緊急事態宣言が発動され、法要に参列できなかった。向こうの迷惑を考えて九州に行くのを遠慮した。こちらで手を合わせて三根子先生のご冥福をお祈りした。生きている自分を振り返り、生かされている幸せを感じた。

 

残り時間

 市長の小川敏はもう70である。彼にも残された時間はそんなにも多くないはず。それなのに、彼は6選に向けて事前選挙活動に余念がない。市長職は、激務である。自分の時間が持てないほど多忙である。自分の残り少ない人生で、何を血迷って、自分の時間を放棄して、残時間をドブに捨てるのかと、他人事ながら哀れを感じる。

 小川敏は19年間も大垣市長をやって、全く成果が出ない。出ないどころか、やることなすこと大垣の没落に拍車をかけている。小川敏は、自分のことしか見えないので、無能なのだ。東大を出たという驕りで、回りの諫言に全く耳を貸さない。名馬も老いれば、駄馬に劣る。伊藤忠を若くして、追われるような性格なので名馬ではない。老いで、自分の無能さがますます分からなくなったようだ。権力を持っているので、認知症まがいでも、市民には凶器のような存在となる。更に後4年間の恥の上塗りをすることとは、情けない。大垣市民が悲惨である。

 

無私

 今まで、多くのトップを見てきた。有能かそうでないかは、”私”の有無で決まるようだ。名誉欲、利己欲が前面に出て、利他、無私の精神がなくしたトップが世の中に汚泥を流している。まるで汚川のようだ。不敏である。

 

究極の差は“私”の有無

 同じしっかりした人で、失敗する人と成功する人とは結局どこが違うのかをせんじつめていくと、失敗するほうには”私“があり、成功するほうには”私“がないということである。

   松下幸之助翁発言集4(PHP) p164,205

 

他山の石

 生は偶然だが、死は必然である。明日は我が身である。汚川の流れを横に、他川の水の教えとして、自分の人生の大事を急ごう。死ぬことから逆算して、残り人生を設計しないと、死の床で後悔する。

 いくら彼が5期連続の市長職を誇っても、いつかは召される運命である。驕る平家、久しからずや。栄華を誇った豊臣秀吉でも、家康に豊臣神社も歴史も抹殺されてしまった。その徳川家さえ、260年の命であった。

 私はこの世に、私にできる最大の貢献をして静かに去りたいと思う。有名でなくてよい、真っ黒になって世のために働き、時がくれば、人に迷惑をかけず、静かに去っていく。倒れる時は、前向きで倒れたい。最期まで前進したい。それが人間の美学である。

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  馬場恵峰書「百尺巻頭書作選集」(久志能幾研究所刊) p116より

 

2020-04-19 久志能幾研究所通信 1539 小田泰仙

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