不幸は神仏とご先祖様の啓示
不幸、失敗、不遇、病気、事故を神様とご先祖様の啓示として捉えたい。それを梃子に転戦しよう。それをばねに良い方向に運を向上させよう。事故、不運を善意に解釈しよう。事故には、善悪の意図はない。それを人がどう解釈するかだけである。
There are no facts, only interpretations.
事実はない。解釈があるだけ。 ニーチェ
生き方を切り替えよう。考え方を切り替えよう。それで運を転換しよう。与えられた最悪の状況で、己はどう戦うのか、それを神仏は試している。神仏は親切である。今の与えられた運と仲良く「楽しめば」、次に良き運と仲良くなれる。愚痴を言っても「運さん」は変心しない。
運さんを、命の限りを尽くして運ばねばならぬ。それを運命という。「運」とは、「軍(戦車)」を人生の岐路(十字路・シンニュウ)でめぐらせる、を表した象形文字である。
冬の時代は、力を蓄える時とわきまえ下へ下へと根を伸ばせ。
加藤梅香先生書 1980年頃
馬場恵峰書
命の恩人
馬場恵峰師は小学校の時、教師から叩かれ、鼓膜を破られて耳が不自由になった。そのため軍隊に行かなくても済んだ。
学校の指導で、恵峰師だけ熊本大学に志望校を変えさせられた。馬場恵峰師はそれに従った。学友は長崎大学に行き、原爆で命を落とした。馬場恵峰師は熊本大学に進学して、原爆から逃れられた。天の差配は人知を超える。
2012年12月14日 日中友好書画交流展にて 馬場恵峰書
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天之機緘不測
「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰師は力説される。
人間の持つ生活模様の多様性が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚構上に舞う華やかな虚像に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される。「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、一歩一歩しっかりと踏みしめて欲しい」と恵峰師は訴える。
馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」(久志能幾研究所刊)より
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レッドオーシャンからブルーオーシャンへ船出
私が大学受験をした年、東大入試が安田講堂事件で中止になり、大波乱があった。東大に行く学生が京大に、京大に行く学生がその下の大学へとドミノ現象である。私はカスカスで国立に入れる学力であったが、その影響で国立大学の受験は全て失敗した。父の定年の関係で浪人はできないため、不本意ながら、私立大学に滑り込んだ。
国立大学に行けない悔しさがあり、その巻き返しとして、最初から全科目、全優を目指し「仕事として」真面目に勉強をした。当時の大学生は、特に私立の大学生は、受験勉強から開放されて遊んでいた。その環境で少し頑張って勉強をすれば一番を取れる。それで特待生になって、授業料免除を獲得した。卒業式で総代として卒業書を受け取れた。
私は団塊の世代の最後の年代で、受験戦争では四当五落の世界であった。それはレッドオーシャンでの血みどろの戦いであった。血まみれの海では、労多く、益が少ない。しかしブルーオーシャンでは、過当競争もなく、勝利を得ることが出来た。経営的にも、過当競争は非効率な戦いだ。非力な自分は、敵のいない所で勝負するしかない。並みの才能で、人より抜きんでるために、正面突破など愚かである。それが実証できて、良き学びの期間であった。
私の癌、塞翁が馬
私は昨年、癌が見つかり、その手術をした。従容として、現時点で最善の方法を選んで、対応した。当時は失意のどん底に落ちた。覚悟を決めて葬式の段取り、戒名を決め、支払いまですませて手術に臨んだ。幸い、無事に手術もすみ、回復出来て神仏に感謝している。
もし今、癌が見つかったとしても、手術をしようにも、新型コロナウイルス騒動で、医師達が忙殺され、手術をしてもらえないという。そうなれば、私の癌も手遅れになり、転移も発生して、今頃死んでいるかもしれない。
そうなれば知人も病院封鎖で、お見舞いにも来られない。先の入院の騒動で真の交友関係が明らかになり、交友関係の良き「整理整頓」ができた。今にして、今回の癌の発見は、ご先祖が私に目を覚まさせるために授けた事象だと思う。結果として私の命を守っていただき、今までの狂った生活を見直すことができた。生かされた命を大事にして世のために使いたい。
2020-04-24 久志能幾研究所通信 1547 小田泰仙
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