老いとは何か
歳を頂く
つまり経験を神様、ご先祖様から頂くのだ。
経験を活かし、ご縁を大事にする心と求める心がないと、良き齢は頂けず、老醜をさらす。体は大人で、精神が子供のままになる。
練れる道を歩く
つまり流行に惑わされず、思想を深める。
しかし現代は年寄りがいのない人が多くなった。
自己修練をしていない人が多い。だから認知症が増えた。
考え方を充実していく。
自己の人生の完成を方向付ける。己は何のために生まれてきたのか。己の使命は何か。これでいいのだろうかと自他に問う。その考えが生まれている状態が老いである。
馬場恵峰師 知己塾にて 2012年12月
大垣市長を考察
市長の分際で、一営利企業であるギネス社の金儲け商売に騙されて「水饅頭共食いのギネス記録」にうつつをぬかすなんて、分別ある年長者のやることではない。ミッキーマウスの商売にそそのかされて、美女を引き連れ,、星条旗を掲げたサイドカーに先導されて大垣大パレードなどするのは、日本全国に恥を晒すもの。子供である。それに便乗するマスコミも幼稚になった。だから新聞購読部数の減少が止まらない。
馬場恵峰書 2011年
2020-04-29 久志能幾研究所通信 1556 小田泰仙
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