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2020年4月15日 (水)

論語に学ぶ人生論、大垣市の経営論

 本を読む時は、初め(序章)から終わりの頁(結論)へと読む。

 スリラー小説でも、最初から読み、どんでん返しの結末に向かう。

 日本語の文書は起承転結での構成である。結論が最後である。

 しかしビジネス文書(テクニカルライティング)では、最初に結論を書き、その次に裏付けデータを書く。最後に結論が来ては、時間の無駄なのだ。それが国際標準の書き方である。こう書かないと、海外では読んでもらえない。

 

人生経営という書籍

 ビジネスや会社経営は、日本語の文書形態とは逆である。最初に結論、最終目的、経営理念、社是を宣言し、それに向かって、使える資源を最大限に活用して、目的を達成する手段を講じ、それに向かって全員で邁進する。

 人生経営も同じである。最初に志を立て、そのために学び、自分の使命・天命を自覚し、それに向かって全身全霊で、己の命を捧げる。それが人間としての生き方である。

 そうでないと死ぬ時に、人生を振り返り、「あの時に、やっておけばよかった」という後悔だけが残る。

 成り行きで生きては、動物である。それでは、人間として生きたことにならない。生き永らえただけである。何も世に残せない。

 

小川敏の論誤人生

 小川敏の当初の目的は、大垣市長になることのようであった。大垣市長になって何をやるかは、二の次であった。彼は目的と手段を取り違えたようだ。当初の公約がHPで残されていないので、それは推測でしかない。

 現在、大垣市のHPで公開されている公約から推察すると、小川敏に市長になるときに、明確な志があったとは思えない。その公約は、大垣市立図書館(現在、新型コロナウイルスの影響で閉館中)で、後日調べる予定である。

 小川敏は入社後6年で伊藤忠を退社し(追われ?)、超零細企業の家業を継いで、暗い道を歩いていたようだ。何が哀しくて超一流会社から、ド田舎の超零細企業に身を落とさねばならぬのか。それから40年が経ったが、今でも家業は超零細企業のままである。その会社のHPでは、会社規模も従業員数さえ記載していない(出来ない?)レベルなのだ。彼が有能なら、家業を大きくできたはずだ。だから現実は、伊藤忠にいたたまれなくなって退社したと推定される。

 彼が家業を継いで20年後、そこに偶然、前市長が急死をされ、それなら「市長でもやるか」で、大垣市長になったようだ。

 

最期の大団円で大金が消えた

 小川敏が、大垣市制100周年記念行事で、金をドブに捨てるように3億5千万円も浪費し、県内一豪華な新市庁舎(124億円)を建設するとは、まるでスリラー小説で最期の大団円で大金が消えるようなものだ。本来、大垣市のために志を立てて、この金を未来への投資で使うのが、正論である。今までの歴代市長が積み上げた実績を、自分の功績のように浪費するのは、結論と当初の志の順序が逆である。

 

市長が描くビジョン

 市長は、担当する街の未来ビジョンを描かなければならない。小川敏が公約で謳う大垣市の未来ビジョンには、総花的な展望で、どういう街にしたいかが全く見えない。その公約から「大垣」の名を消せば、どの街にも通用できる特徴のない公約である。それは小川敏のビジョンには志がないからだ。

 だから、小川敏が市長に就任以来、志がないから、無為無策の無能政治に迷走した。公示地価が19年間も連続で暴落し続け、大垣駅前商店街の80%が店を畳むシャッター通りになり、幽霊がさ迷う街になった。大垣中心市街地活性化計画は大失敗であった。

 それでいて小川敏は、自分たちの給与を岐阜県下一の高さにして、教職員の給与を県下最低にした。児童生徒一人当たりの教育費を県下最低レベルに落とした。元気ハツラツ市や芭蕉楽市で、園児児童を36度の炎天下で躍らせて、園児児童虐待が日本一となった。それも9年間も継続している。

 治水は放置され、市民のお安全が脅かされている。小川敏は、ドローン墜落人身事故でも説明責任を果たさず、ドローンである。それにつれて街が汚くなった。たまに大垣に帰省する人が、駅周辺の汚さを見て呆れている。小川敏はケチの精神で掃除費を削減しているからだ。

 市場の評価は、神の如くである。それほどに、志を立てることが大事なのだ。

 その小川敏の公約は、全てが惨憺たる結果である。政治は結果が総てである。小川敏は19年間も市長をやって結果が出せないので、無能なのだ。だから大垣市は県下一の没落を記録してしまった。

 

論語

 子曰、「吾十有五にして学に志す。

  三十にして立つ。

 四十にして惑はず。

 五十にして天命を知る。

 六十にして耳に順う。

 七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」。

 

孔子は、この節で一生を回顧して、人間形成の過程を述べている。

 子曰く、

 「私は十五歳のとき学問に志を立てた。

 三十歳になって、その基礎ができて自立ができた。

 四十歳になると、心に迷いがなくなった。

 五十歳になって、天が自分に与えた天命が自覚できた。

 六十歳になると、人の言うことが素直に理解できるようになった。

 七十歳になると、自分のしたいことをそのままやっても、

 人の道を踏み外すことがなくなった」と。

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 馬場恵峰師の人生

 次の論語の書は平成26年、恵峰先生から贈って頂いた。馬場恵峰先生は、「私はこの通りに生きてきた」と長崎県民栄誉賞受賞の祝賀会で、この論語を引用されて挨拶をされた。祖父、父と3代続いての県民栄誉賞受賞である。本来、馬場恵峰師は叙勲されてしかるべきだが、中国との政治環境の悪化の影響で、棚上げとなっている(県は国に叙勲の申請はしている)。

 馬場恵峰師は、2000年には中国浙江省(人口8000万人)から、教育に貢献したとして栄誉市民賞が贈られている。

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 馬場恵峰県民栄誉賞受賞祝賀会で

 2013年12月23日    長崎インターナショナルホテルで

039a12102s 馬場恵峰書 平成26年 2014年

 

2020-04-12 久志能幾研究所通信 1534 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年4月13日 (月)

運転が一番難しい車を、辛抱して乗りこなす

 朝起きて、生きているとは、何と素晴らしいことか。

 この世には、朝になっても、起きてこない人もいる。明日、事故・天災に襲われるかも知れぬ。人生、明日は分からない。

 その素晴らしい人生でも、生きていれば、壁にもぶち当たろう。壁にぶち当ったら、焦らず小休止すればよい。

 その壁を乗り越えるためには、自分が変わらなければならない。自分が変わろうとしない限り、何も変わらない。その小さな壁さえも乗り越えられない。幾らボヤいても、立ちはだかっている壁は、永遠に変らない。

 どんな車よりも構造が複雑で、運転が難しい車とは、「自分という名の車」。その車の一生の運転手は自分である。

 その車は、正しく運転すれば、高い壁さえ乗り越えて天馬のように飛躍する。正しい狂気を持てば、飛ぶ車にも変身させられる。

 しかし、自省と堪忍がないと暴走する車でもある。暴走したら、ブレーキも効かず、皆を道連れに地獄に直行である。小川敏の大垣市長車のように。

  馬場恵峰師の言葉(編集、加筆)  2006年5月28日 明徳塾3で

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    馬場恵峰書  平成11年(1999年)

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  馬場恵峰書  平成29年(2017年)

2020-04-13 久志能幾研究所通信 1533 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年4月10日 (金)

癌の再発を恐れて、ヒコウに走る

 ヒコウと言っても非行ではなく、若い頃に熱中した模型飛行機への邂逅である。

 2020年3月19日、仕事の関係で美濃市に立ち寄った折、そこの街の商店街で創業90年の模型飛行機店ヨシダを見付けて、その展示してある模型飛行機に見入ってしまった。昔の飛行機マニアの血が、ふつふつと噴き出してきた。まるで焼け木杭には火が付いたようだ。そのお店の二代目店主は、私と同年代で、つい昔話になり話が弾んだ。

 私は童心に帰って、2つのゴム動力の飛行機キットを買った。一つはスゥーデン製のゴム動力ヘリコプターである。もう一つは室内飛行機である。これは韓国製だが、日本製では良いものがないそうで、韓国製が一番よいとか。少し残念である。しかし、それを作るのが惜して、外箱を見て、飾って楽しんでいる。

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    模型飛行機店ヨシダ

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   模型飛行機店ヨシダの店内

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  購入した模型キット

50年前の想い出

 家に帰って二階の押し入れの隅を見たら、未組み立ての模型グラインダーのキットを見付けた。買ったことをすっかり忘れていた。50年ほど前の中学生か高校生の時に買った商品である。これを作って居間に飾ろうと思う。わが青春の再現である。青春という辞書には、癌という言葉はない。

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  未組み立ての模型グラインダーのキット

 

ガン予防

 癌の予防には、童心に帰って、好きなことに没頭するのがよいという。ストレスから解放されて、癌や病気になる確率が下がる。童心に帰って遊ぶと免疫細胞であるナチュラル・キラー細胞が増える。ナチュラル・キラー細胞は、癌細胞をやっつける細胞である。

 私はそれを言い訳に、若いころの飛行機マニア少年に原点復帰して、趣味に没頭することにした。おちおち惚けてなどいられない。癌なんかに負けていられない。

 

天与の時間

 今は時間があるのだ。今は、宮仕えの身ではない。残り人生を楽しまなくては、古希の歳近くまで生きてきた甲斐がない。私は、前職を定年まで勤めて、社会への義務としてのお勤めが終わった。今はご褒美で与えられた第二の人生の時間である。仕事の疲れは、仕事で取るのが、私の方針だが、たまには童心に帰って趣味を楽しむのも良いものだ。

 会社時代、一緒に仕事をした仲間が24名も死んでいる。古希とは、古来希なる歳である。ご先祖のお陰で、生かされていることを感じる。

 

何のために人生か

 大垣市長の小川敏ちゃんは、何の楽しみに生きているのだろうか。政治屋は、汚れ仕事の政治の汚川の中を姑息に泳いでいる。その小川敏が不敏にみえる。市長は激務である。土日もなく、自分の時間などはない。そうまでして、市長の椅子にしがみ付いて、なんの喜びがあるのだろうか。彼には、人生哲学は皆無のようだ。高学歴の官僚には、そんな人が多いようだ。金が出来ても、市長退任後、それを使う時間があるのだろうか。人生はお金ではないのだ。歴代大垣市長は短命である。全員、現役で死んでいる。他人の人生ながら、気の毒になる。それも自分で選んだ人生である。

 

2020-04-10 久志能幾研究所通信 1530 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年4月 5日 (日)

「河村義子先生、何故そんなに頑張るの?」

「つなげたいから」がその答えであった。

 

 どんな偉大な人でも、その事業やプロジェクトは一代限りである。後継者で、創業者と同じかそれ以上の能力、熱意がある人が存在することは稀である。つなげようというのは儚い希望である。後継者の誰にも、そんな能力はない。どんな帝国、会社、宗派、学閥、芸道門でも、同じである。

 

後は野となれ山となれ

 一代で栄華を極め、全てを置いて消えていく。誰からも認められなくても、真っ黒になり働き、静かに消えていく「後を継ぐ人はいない」と覚悟するからこそ、自分で出来る限りのことをして、あの世に旅立つ。後は野となれ山となれ、である。それが世の常である。無常こそがこの世の定めである。その人の能力が高いほど、熱意が多き程、その落差は大きい。

 今回、河村義子先生がご逝去された後の事象を見ていて、つくづくと無常を感じた。今川順夫最高顧問のご逝去後の状況も同じであった。後進で付き合うに値する人がいないのだ。それを利用しようとする人も存在することを知っただけ、賢くなった。私は煮え湯を飲まされて、その人たちと縁を切った。

 

生き方の再確認

 自分の事業も後進に託さず、自分で自分の道の後始末をして旅立ちたい。人生は一期一会である。期待するから裏切られる。人知れず世のためになる事に全力で尽力し、あるがままに生きる。ご縁のあった人に清風を感じてもらえば、それでよい。それが河村義子先生の最期の教えであった。死を覚悟して、力を振り絞り最後の頑張りをする河村義子先生と出会えたことに感謝である。

Dsc04341s  河村義子先生の最後の公式公演 ドレスデントリオとの共演

 クインテッサホテルでのニューイヤーコンサート  2018年1月13日

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 馬場恵峰書 2006年

 

2020-04-05 久志能幾研究所通信 1524 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年4月 3日 (金)

優れたリーダの素質

 優れたリーダとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人である。持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。

   塩野七生著『ハンニバル戦記 ローマ人の物語Ⅱ』新潮社 1993(P286)

 

 「海は水を辞せず、故に能くその大なることを成す。山は土を辞せず、故に能くその高きを成す。明主は人を厭わず、故に能くその衆を成す。」管子

 

シーザーの素質

 ジュリアス・シーザーは学歴が優秀であったわけではない。東大に相当する学校を出たワケではない。彼の教育は母親からの家庭教育だけである。彼が品行方正であったわけではない。シーザーが手を付けた女は数知れず。彼が借金をして踏み倒した金額は半端ではない。それでも女にも、人からも恨まれず、ローマの政界を渡り歩いた。彼には、彼ならばという人間の魅力があった。リーダとしての素質があった。だから彼はローマ帝国を作り上げることができた。

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 ローマ文明博物館で (著者撮影)

 

福岡市長の素質

 福岡市の市長の髙島宗一郎氏は、市長としてリーダーシップを発揮して、福岡市を「経営」して、全国一の元気な市に変えた。連続5年間、連続税収が過去最高を更新である。それと小川敏を比較すると、大垣は年率1%で経済が縮小し続けている。その差は明白である。小川敏は大垣市を「経営」していない。

 髙島宗一郎氏は東大出ではない。だから学歴は問題ではないのだ。彼には、福岡市を良くしたいという明白な目的意識と智慧がある。部下を信用して任せるという信頼関係がある。それは政治にはとらわれず、組織の長として持たねばならぬ素質である。

 

リーダとしての小川敏の分析

 大垣市の小川敏帝国は、ローマ帝国に比べれば、吹けば飛ぶような存在である。有能なリーダの彼らに比較すると、小川敏は東大を出て学歴だけは立派である。小川にあるのは、今までの言動から推察すると、長期に市長の座に座っていたいという名誉欲だけである。小川敏にはリーダーとしての素質がない。

 それも自分が一番偉いと思っているから、人を見下し、人の意見は聞かないから手に負えない。。彼は頭を下げることが大嫌いなのだ。私も彼に会って、その傲慢さを直に感じた。彼に面会した知人でも、多くの市会議員でも同じ意見である。

 だから誰も彼に諫言しない。諫言しても無駄だからだ。部下は施行する政策が市民から批判されることが分かっていても、そのまま政策を実行する。市の職員は、責任は市長が取ればよいと達観している。だから、職員のやる気をそぎ、市の行政内容が停滞している。小川敏のリーダーの素質は、シーザーや髙島宗一郎氏のその素質とは別次元なのだ。

 小川敏は、部下が馬鹿に見えて仕方がなく、部下の進言を聞こうとはしない。部下も下手なことを言うと、お殿様のご機嫌を損じて飛ばされてしまうので、何も言わなくなっている。ヒラメの世界である。

 小川敏は秘書室が用意した行事の演説原稿を無視して、彼はアドリブでしゃべるので支離滅裂である。聴衆も馬鹿として見下しているから、勝手にだらだらとしゃべり、話の論理構成がなっていないのだ。

 

反面狂師

 私が、彼は素晴らしいと評価するのは、リーダとして、経営者として、反面教師としての教材を豊富の提供してくれることである。私には書くネタが尽きない(笑)。彼は、リーダとはどうあるべきかを考えさせてくれる教材である。

 

智慧のない政策

 小川敏の頭にあるのは、記憶力だけで集めた情報のみである。その知識を経験と現状の経済状況に結びつける能力がないので智慧が出せないのだ。流行に乗って世間受けをするイベントやIT整備をすることにだけ熱を上げる。それが成果を出せるか否かは二の次である。打ち出す政策は、教科書に載っているお役人用のシナリオしか書けない。

 教科書通りに街の活性化目的に「元気ハツラツ市行事」を10年も継続するが、経営の基本のPDCAを回さないので、少しも成果が上がらない。儲かるのは、それに便乗した業者だけである。その間に、大垣駅前商店街は衰退が続き、その80%がシャッターを下ろした。

 小川敏は、IT化推進として、出来合いのロボットを買ってきて、IT化・AI化でございます、で金だけを湯水のように使い、打ち上げ花火だけは上げるが、費用対効果のことは絶対に口にしない。それで儲かるのは、それを示唆したIT業者だけである。

 どの市もそんな金食い虫の先端IT整備は、様子を見てすぐには導入しないのが正常な経営判断である。その導入は5年早いのだ。そんな有様だから大垣市の経済状況が好転する政策が打ち出せないのだ。

 

行政の通信簿

 政治家は結果が総てである。市場の評価が、全てである。市場の評価は神の如くの評価をする。

 だから公示地価は、小川敏が市長に就任して以来、19年間、連続で下落をして、現在半分以下に暴落した。他市の地価は上昇しているのに、だ。

 大垣駅前商店街の80%が店を閉めた。

 大垣経済が年率1%で下落の一途である。

 市民の人心が小川敏から離散した。

 大垣の文化芸術活動が地に落ちた。

 教育問題で大垣市の酷さが露見した。

  小中学校のエアコンの設備率の県下最低であることが露見。

 児童生徒一人当たりの教育予算が県下最低であることが露見。

 登校してくる児童達を寒空の下、既定の時間まで教室に入れないという冷酷な問題。教員の労働環境も問題である。市の職員は県下一の年収だが、教職員は岐阜市よりも200万円も低い待遇であることが露見。

 小川市制の治水の放置・怠慢が、2018年のアンダーパスの水没、久瀬川の氾濫で、危機管理対応の無策ぶりが露見した。

 災害時の市役所には非常用電源さえないことが台風の停電で露見。

 ドローン墜落人身事故で、小川敏市政の無責任体制、説明責任のなさの傲慢さが露見した。

 出すべき費用をケチるから、掃除が行き届かず、大垣が汚くなった。数年ぶりに帰郷する人が大垣駅前の汚さに驚いている。トイレの汚さは日本一である。

 

10年前に蒔いた種

 今の状況は、10年前にこうなることは分かっていた。10年前に小川敏が悪い種をまいたことが、今あだ花として咲いているのだ。良い種も、悪い種も10年経つと、その真価が見える。

 こんな低レベルの市長が、次期の市長選に6選を目指して立候補すると表明したというのだ。大垣市民の見識が、問われている。全国の目が大垣市に注がれよう。

 

2020-04-03 久志能幾研究所通信 1522 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年3月28日 (土)

智慧とはご縁の芸術作品

 智慧=【知識】×【熱意】+【経験】

  経験は感受性の強弱により、大の経験にも小の経験にもなる。

        松下幸之助翁の言葉

 

 熱意がなければ、何事も成し遂げられない。熱意がなければ、二階には上がれない。熱意のすべては己の心が決める。経験も心がその気になって足が動き、経験を積む行動になるから、知恵を得る経験となる。

 私は人生の事象は芸術だと思う。その事象には正邪はない。それをどう解釈するかである。

 There is no fact, only interpretation.

 事実はない、あるのは解釈だけ。 ニーチェ

 

ご縁の解釈

 例えば、自分が癌になった。天災に巻き込まれた。交通事故に遭遇した。それをご縁の出会いとして捉え、感謝するか、学びとするか、災難として捉えるかで、その後の人生が変わる。

 事件が起きてそれが美しい事象と感じるか、醜態な事象と感じるかは人の芸術に対する感受性の差である。だから(人生の)経営者は、美術、音楽等で芸術の感性を磨くべきだ。だから私は、その感性を磨くため美術品の鑑賞を続けている。私は、世界の80の美術館・博物館を回った。すべては学びのためである。

 昔の経営には美学があった。今は拝金主義が満開で、腐敗の匂いが漂う。とても経営の美学とは言えない。

 

名画とは

 残念ながら、私が回った美術館群の中に名画はなかった。私の名画の定義は、「捕まってもいいから、盗んで家に飾りたくなる絵」である。名画と言われる絵は、その美術館では映えるが、日本の狭い日本和室では、絵の持ち味が死んでしまう。だから世界の美術館の中に、(幸いにも?)盗みたくなる絵はなかった。あれば私は犯罪者になっていたかもしれない(?)。

 100号近くの大きな、ゴテゴテした油絵を日本の小さな和室に飾るわけにはいくまい。ルーブル美術館にあるナポレオンの戴冠式の絵を盗んでも、自宅には大きすぎて入らない。もしそれが入ったとしても、自宅が貧民窟の部屋のように見えるだろう。ムンクの「叫び」を自宅に飾り、毎日眺めていたら、悲しみで死んでしまいそうになる。

Img_5732s  馬場恵峰書   

東日本大震災の直後、2011年4月2日、先生宅を訪問した折、お土産で頂いた。

2020-03-28 久志能幾研究所通信 1516 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年3月26日 (木)

磨墨知33-1 タイマツを掲げよう(2)

 タイマツとは、志・夢・憲法・方針である。それが自分の行き先、組織の目指す先を示す。暗夜の中、タイマツが行き先を照らす。ニューヨークの入り江に建つ「自由の女神像」の掲げる燈火が、アメリカに移民してきた人々に勇気を与え、心を鼓舞させて、自由の国を造った。

河村義子先生の夢が、大垣の音楽芸術活動のタイマツとなった。大垣の未来を背負う子供たちに夢を与えた。 4k8a3399s  チェリストTIMMを招いてのコンサートに、120名の子供たちを「あしながチケット」で招待して、子供たちに一流の音楽に接しさせた。演奏会の前に挨拶をされ、子供たちのためにベーゼンドルファーのピアノをやさしく解説された河村義子先生。子供たちをこよなく愛した先生であった。(2017年9月29日 大垣音楽堂で)

今川順夫氏のシベリア抑留で生まれた負けじ魂の炎が、大垣の恒久平和の願いとなった。氏は子供達の為に多くの寄付をされた。Dsc04619s  地獄のシベリア抑留の講演会で、支給されていた一食分のパンの量を説明する今川順夫最高顧問。これで極寒の中の重労働に耐えて生還した。「この地獄を生きのびて日本に帰り、会社を創るのだ。こんなところで死んでたまるか」と、その負けじ魂で、シベリアから帰国後に会社を創立して、5000人の会社を作り上げた。(2014年8月14日 大垣興文地区センターにて)

安岡正篤師や渡部昇一師の著書や多くの偉人の書が、私の心に灯をともした。 

憲法の威力

 日本国憲法が戦後の日本の行動を決めてきた。日本憲法は、アメリカが二度と日本が立ち直れないようにした自己縛りの憲法である。70年前の敗戦の混乱のさなかに作られた憲法で、アメリカから押し付けられた憲法である。賞味期限が切れている。北朝鮮、韓国、中国からの侵略行為に対して、国を守るには無力の憲法である。ドイツでも戦後、数回の憲法改正を行っている。改憲しない方がおかしいのだ。

 大垣市民憲法が、大垣の行く末を決めてきた。大垣市民憲法も、小川敏が2009年に大垣市民憲法を改悪してから、大垣の没落が始った。必然の流れである。

 

行き先明示

 後に続く人が先頭を走る人が斃れても、先人が掲げたタイマツの方向が分かっていれば、後進がその方向に進路を向ければ、何時かは目的地に到達する。行き先が分かっていれば、部下は安心してリーダについていく。

 自分の行先の目的地をタイマツで明確にしよう。そうすれば寄り道をしなくても済む。寄り道が最大の時間ロスである。タイマツを掲げれば、周りからの援助もある。仏様からの援助もある。何処へ行くか分からない放浪人を、誰も援助はしない。

 己の人生の行き先は、天命、使命に示されている。

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 馬場恵峰書

 

2020-03-26 久志能幾研究所通信 1514 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年3月23日 (月)

企業経営は経営理念。人生経営は志・夢

 企業の経営方針、行動、会社の行く末を決めるのは経営理念である。それがお粗末だと、儲かっても堕落一途である。

 自分の生きざま、行動、行く末を決めるのは、志、夢である。それに向かって日々0.01歩ずつでも前進すれば、いつかは志や夢が実現する。

 だから経営理念、志、夢は、日に何度も声を出して繰り返し、社員や自分自身に対してアルファ―メーションとして、魂を揺さぶる言葉でなければならぬ。それも納得できる言葉でなければならぬ。だから簡潔に、直接的に伝わる言葉であるべきだ。その言葉は、利己でなく利他の共感できる精神でなければならぬ。

 

経営理念のあるべき姿

 社員を鼓舞して、共感でき、利他の精神で、使命感に目覚めさせ、会社の行き先を決める理念であるべき。自分の志・夢でも、同じである。

 

簡潔に、明瞭に

 日本調剤のくだくだと書かれた経営理念では、読む気にもなれない。何が言いたいのだ。それは時間泥棒の経営理念。それでは社員や顧客の心に響かない。社員や顧客の心を打つには、畳に畳針を通すように、ぐいぐいと心に突き刺さすような言葉でなければ、通じない。

 自分の志・夢は、自分を自分で鼓舞するためにある。その文言は、簡潔・明確であるべき。

 

 トヨタ自動車と日本調剤の経営理念を比較すると、その差がよくわかる。(文末の資料参考)

 

共感できる文言で

 利己主義丸出しの「医薬の分業」では、利他の共感もない「医薬分業で、オレは薬だけ出すから、医療行為は知ったことではない、医師に丸投げしたのだ」が、日本調剤㈱の経営理念の本音である。これではとても共感など得られない。薬局が患者のことを考えず、薬を垂れ流すから、薬害が増える一方である。

 

睡眠薬殺人

 医師・薬局が無神経に処方する事例を挙げれば、睡眠薬が挙げられる。本来睡眠薬など必要がない。それが病気になる原因だと思う。私の父も長年、高血圧の薬と睡眠薬を飲んでいた。それが癌の発生原因だと、今になって思い至った。薬が父を殺した。なぜ医師・薬剤師は睡眠薬を飲まなくてもよくなる生活指導をしないのか。高血圧症も、睡眠薬依存症も、生活習慣病である。それは生活習慣を正せば治るのだ。

 人生で、長期にわたって睡眠薬を服用させるなど犯罪である。毒を盛るようなものだ。医師と薬局はその睡眠指導をするべきだが、それでは儲からないので、睡眠薬を出し続ける。医師も薬剤師も患者の命はどうでもよく、儲かりさえすればよいのだ。

 それより自己防衛で、眠たくなるまで、仕事をすればよい。良く働いた一日は安らかな眠りを誘う。心配しなくても、何時か永遠の眠りがやってくる。その時に寝だめ(?)をすればよい。寝だめをすれば、来世で生まれ変わった時、すっきりと目覚めるだろう。

 

社会貢献につながる訴えを

 その経営理念を実行すると、企業、個人として社会に貢献する活動ができるのか。それが社会、個人に夢をあたえるのかを自問すべきだ。その観点で日本調剤㈱の経営理念は恥知らずである。恥を恥とも思わない会社が、人の命に関係する薬を出している。怖ろしいことだ。

 その結果として、日本人の癌や病気は増え続け、医療費(薬代も含め)、年々増加の一途である。2018年度のそれは42.6兆円を超えた。税収は60.3兆円である。借金の新規赤字国債が33.7兆円である。国の予算94兆円のうち40%が、医療費である。収入からみれば、その70%が医療費など異常すぎる。だから日本調剤が「医薬分業の実現」を経営理念に掲げ、患者の命を無視して、金儲けに邁進した結果が今の国の予算でる。

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 使命感のある行動で

 会社とは公器である。会社にも命がある。人のためにその命を使わなければ、その会社の存在意義がない。中小企業は、5年後の生存率が14.8%とされている。 10年後は6.3%になり、さらに20年後は0.4%、30年後は0.021%となる。その結果は、使命感で経営をせず、金儲けだけで企業運営をした報いである。市場が、その会社の存在価値が無いとして、排除したのだ。市場の評価は神の如く正確である。

 自分はご先祖が一族の代表として、この世に派遣させられた存在である。その命を使って世のために働かなければ、人として恥ずかしい。だから利己だけに生きた人は早く召される。

 

 青燃(青年)よ、大志を抱け。大きな夢を見よ。志と夢の実現に汗をかけ。青燃(青年)とは、歳では定義できない。青く燃える夢さえ持ち続ければ、青年であり続けられる。

 私は齢を重ねても、人から「青いね」と言われたい。盛んに燃える赤い炎は、燃え尽き寸前のように見える。その炎には、人の邪念が透けて見える。だから私は青い炎を燃やし続けている。

 

039a12131s   馬場恵峰書

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参考 トヨタ自動車と日本調剤の経営理念比較

豊田綱領 (豊田の5つの精神)

1.上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし

1.研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし

1.華美を戒め質実剛健たるべし

1.温情友愛の精神を発揮し家庭的美風を作興すべし

1.神仏を尊崇報恩感謝の生活を為すべし

 

日本調剤株式会社の企業理念

日本調剤の企業理念「真の医薬分業の実現」

 「医薬分業」とは、それぞれの分野の専門家である医師と薬剤師が、日本の医療システムの中で明確な役割分担と強固なチームワークを持って、患者さまをサポートする医療制度であり、信頼される医療システムに不可欠な仕組みとして位置づけられています。日本調剤は、創業以来一貫して「真の医薬分業の実現」を企業理念として掲げて、自ら「医薬分業」の先駆けとして全国に展開してきました。

 形式としての「医薬分業」は、分業率が7割を超え※、全国へ普及しつつあるものの、本来の機能としては不十分な状態が続いています。国民の医療を支える大切な役割であるにもかかわらず、まだ十分に浸透しているとはいえない状態です。日本の医療制度を支えるべき調剤薬局の使命は、患者さま、そのご家族、地域にとって必要とされる存在になり、日本の医療に、そして社会に貢献すること。それが私たち日本調剤が目指す「真の医薬分業」の姿です。

 社会から必要とされ、国民の皆さまから支持いただく存在へと、日本調剤は、医薬のプロフェッショナルとしてグループの総力をあげて「真の医薬分業の実現」に取り組んでいます。

※日本薬剤師会HP 「医薬分業進捗状況(保険調剤の動向)」より

https://www.nicho.co.jp/corporate/profile/philosophy/

  

2020-03-23 久志能幾研究所通信 1511 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年3月20日 (金)

ご縁に恵まれる「無財の八施」(知施と笑顔)

知施

 雑誌・本等を読んだ後は、捨てるのではなく、それを必要とする人にあげると良い。そうすれば将来何かの役にはたつはず。また日頃お世話になっている人への感謝の意味で、情報を提供する。これを私は「知施」と定義している。なにせ、雑誌や本は捨てても誰も喜ばない。ゴミが増えるだけである。古本屋に処分しても二束三文である。

 

知施の分かる人

 このモノ余りで情報洪水の時代では、モノより価値があるのは「選別された情報」である。「価値ある情報」には、その収集と選別にしかるべき費用と人工がかかっている。なおかつその情報は、将来に大きな価値への変貌を秘めている。しかし、その情報を提供しても、その価値や入手の労苦を評価できない人とは、距離を置いてお付き合いすべきだ。それが長い人生で、価値ある人財の集積密度を濃くしてくれる。

 

社会の現実

 1994年に自分の体験記としてまとめた『ミシガン大学セミナー体験記』、『ニューヨーク美術館めぐり』,本書『知的生産活動としての生活VA』の途中原稿等を、これはと思う人に見てもらっている。様々の人の反応は興味深いが、私から見て、これはという人からはそれに相応した反応、手紙、コメントを頂けた。これは相関係数の高い価値ある指標で、人財の価値を再認識させられた。一流の人は一流の審美眼を持っている。またその行動と考え方は美しいものだ。評価高き人財の人脈は大いなる財産であり、壊さないように大事に守っていきたい。心情的にも、人が膨大な精力と金と時間をかけてまとめた情報に、それなりの反応と敬意を示していただけるのは、知的労働に対する報酬として金銭に代えれない嬉しいものだ。

裏切り者

 しかし、反応がないのには・・・。何で「ありがとう」の一言が言えないの? この種の人が意外と多かったのは哀しい現実であった。人の期待を裏切る輩である。それは人生の裏切り者なのだ。なかには、礼一つ言わず「(読むのが)終わりました」と言って返し、私を憤慨させた常識なき若人もいた。まあ情報料を踏み倒す人よりはましではあるが。この類の裏切りもの人種と付き合って、将来得るものはあるまい。だから私はそんなレベルの人に、二度と情報を提供する気が起きない。するだけ時間の無駄であり、不快感さえ被る場合がある。人の好意に対する反応は、将来の人財の蓄積にも影響を与えるものだ。これからの情報化社会では、有形の物品より無形の知的生産財に対する感性を鋭敏にしたいもの。

知識量は関係ない 

 また私から見て、優秀に見える人(高職位、高学歴、有名大学卒、社会的資格のある)が必ずしも価値ある人財でないことが多かったのは、注目すべき事実であった。この反応から見て、常識ある人とそうでない人との棲み分けが明らかで、興味深い事実である名大学を出た人が、必ずしも「信用金庫」としてのAAA に格付される訳ではない・・・・。

人財の価値

 親しくしていただいているH先生の言葉によると、通常の人間の価値の重みづけファクターを1とすると、人の価値は 10-3~10+3 程度に分布するそうだ。つまり、価値ある人は普通より10+3倍も価値があり、逆の場合10-3倍しかない人もいる。だから価値ある馬は、価値のない人間より遙に価値があることになり、賢い馬はそうでない人間よりはるかに賢いとか。この計算式から、価値ある人脈の合計価値が、そうでない多くの人達の合計価値より、はるかに凌駕することは自明である。

 

     n                                m

     Σ(価値ある人脈の価値) ≫ Σ(普通の人脈の価値)

      i=1                               i=1

                      n<m

 

「無財の七施」の功徳

 仏教では、施しによる奉仕が説かれていて、お金のない人にも可能な「無財の七施」が勧められている。

 

無財の七施        『雑宝蔵経』巻6

・ 眼施    目による施し

・ 和顔悦色  笑顔による施し

・ 言辞施   言葉による施し

・ 心施    まごころによる施し

・ 身施    体=労働による施し

・ 床座施   席を人に譲ることによる施し

・ 房舎施   住まいによる施し

 

 私はこの七施以外に、情報化社会にマッチした「知施」を追加定義している。「無財の八施」である。「知施」は、自分の体験したことや考えを文章としての知的生産物で人に施すこと。また情報の伝達、価値ある情報の掲載された雑誌等を進呈することだと認識している。これは直接的にはお金がかからず、無財の八施に合う行為であると思う。ただし、この種の体験にお金がかかった場合には、少々の情報料をいただいている場合もある。

 

知りたることを教えざるは、金を借りて返さざるが如し(お釈迦様の教え)

 

 なお、この八施は私の努力目標で、まだ完全ではない。

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Img_64011s   馬場恵峰書

2020-03-20 久志能幾研究所通信 1508 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年3月17日 (火)

自分株式会社のR&D方針

 自分は自分株式会社の社長である。自分人生の主人公である。自分は研究開発(R&D)部門の取締役である。

 

目的・目標

 自分の人生で、研究・開発すべきことは何か?

 それは何のために開発するのか?

 それが明確なら、有意なパワーとなる。

 

 何の為に生まれてきたのか?

 何のためなら死ねるのか?

 自分の使命は何か? 

 その使命達成の為、何を研究して、何を開発すればよいのか?

 これらが明確でないと研究開発の意味がない。

 それがないと、単なる営業の人生で終わってしまう。

 それでは人として生きた価値が残せない。

 

戦略

 何をやらないか、何にならないかの作戦を立てるのが戦略である。全方位作戦で戦っていたのでは、資源が枯渇する。命とは、自分が此の世で使える有限の時間である。不要な戦いを略さないと、時間はいくらあっても足りない。多くの人は価値なきことに時間を使って、大事なことに使う時間が足りなくなっている。それでは人生の勝利者になれない。恥も外聞も打ち捨てて、人生の大事に取り組め。

 

研究テーマ

 自分は何が出来るか、やって見なければ分からない。ご縁を大切にしてテーマを探せ。

最大のテーマは、運を強くすること

 運を良くすることではない。どんな状況でも沈没せず、運に強くなること。そのためには、見える世界だけでなく、見えない世界を研究にせねばならぬ。

 

開発

 開発とは、無いものを作り出すことではない。今ある能力で、未開発の能力を育成することだ。生まれた天分だけでは、人生は成功しない。天分の才能と心の才能を統合させて、力を発揮すればよい。天分の才能に溢れた人が世界一になれるわけではない。心の才能がないと凡人の力しか出せない。

 マラソンメダリストの有森裕子さんは、天分の体の資質が人並みかそれより劣っていた。しかし彼女の「心の資質」が世界最高であった。だから(その世界では)平凡な肉体的能力で、心の才能を最大に発揮してバルセロナ五輪で銀メダルを獲得した。彼女より天分の才能に恵まれた選手は、誰も彼女の心に勝てなかった。天分の才能は、心の支配下にある。

 私には人に自慢できる天分はない。しかし諦めない執念深さだけは、誰にも負けない自負がある。「諦めないという心」を開発するのも大事である。

 

招き猫のご縁を大切に

 開発は偶然の産物である。その偶然はご縁と執念深さに帰着する。そこで出会ったご縁から発したことを開発すればよい。人生は全て偶然である。今ある己の命も、1億円の宝くじが一億回連続で当たるよりも稀有な存在だ。

 

招き猫に九死あり

 真似気猫は、守破離である。右手を上げ、左手を上げ、両手を上げて目的達成である。最初は伝統を守り、次にそれを破り、最後に「離」で開発成功すればよい。

 招き猫に失敗、挫折は当たり前。一発で前例を破り、うまく行けば、誰も苦労はしない。殺されても殺されても生き返り、九回目に死ぬまでに開発成功すればよい。殺されても、何か掴んで生き返ればよい。野良猫が化けて、招き猫に出世する。招き猫は、手を上げるという行動をとるから、ご縁が頂ける。

 一歩前進、一歩後退、原点復帰、半歩ほふく前進、試してガッテンである。止らなければ何時かは成功する。一度で成功すれば、世の中は全員成功者である。そんなことはあり得ない。自分が成功しなくても、後進、子供・孫がやってくれると信じよう。

Img_4734s   もりわじん作の招き猫

  

ブルーオーシャンで戦う

 レッドオーシャンで過当競争するのでは、費用対効果が少ない。

 私も50年前、団塊の世代として国立大学の受験に失敗して、私立大学に行った。しかし遊ばず、勉強をして特待生を獲得した。私立大学では多くの学生が受験戦争から解放されたとして、皆遊んでいた。そのため少し勉強すれば一番になれた。そこはブルーオーシャンであった。そこで過当競争の愚を知った。学生時代の勉学は、己の基礎能力の開発と学びの習慣づけである。

 

失敗は智慧の貯金と割り切ろう

 「失敗だ! その分賢くなった。それでいいのだ~」とドラえもんになりきろう。失敗するから、智慧が付く。失敗しないのは、挑戦していないからだ。一路挑戦、一生青春。

 

アイデアを大事に育てよう

 荒唐無稽内なアイデアも千回言えば、本物になる。言霊がアイデアを育てる。大人なのだから、夢ある大人のオモチャを入手しよう。玩具がアイデアを育ててくれる。小人(ことな)は、目に見える現金しか信用しない。それでは夢は実現しない。

 

「忍」が開発の要素

 発明家の豊田佐吉翁は、開発に行き詰まると「忍」という掛け軸の前で、何時間もそれを見つめて考えていたという。心に刃を向けよ。安易な気持ちで取り組むから、うまく行かない。自分の怠惰な心を殺せ。「女殺し」より(?)、「自分殺し」のほうがたやすい。

 失敗や困難は、神仏が何かを変えよと啓示を与えている。

 

継続が開発の要

 自己開発は長い坂を登るようなもの。継続こそが、開発成功の要である。

 

 継続も忍も、堅い志が長期間にわたり維持されてこそ開発が成功する。10年後の姿を心のキャンパスに描き続けよう。夢は何時か実現する。夢みたいな話でも、夢を見て、夢を語り続けないと実現しない。

 「久」しく「志」を持ち、「能」を磨き、兆し「幾」を創ろう。

 

生涯現役

 自己開発は、生涯の開発テーマである。長生きしなければ、開発が未完成になる。長生きしても、生涯現役でなければ、生きている価値がない。それは植物人間として、生き永らえているだけ。

 65歳には、64歳では見えなかった己の未開の才能がある。年々歳々日々同じからず。日々好日。65にして64年間の非を知る。

 

健康

 健康でなければ、開発の長丁場は耐えられない。体だけでなく、心がすこやかでなければ、世のための開発はできない。最終目的は、世の中にお役に立つ人間になることだ。

 心が邪だから、サリンを開発してしまう。毒ガスをいくら開発しても、人生は拓かれない「自分には出来ない」という洗脳ガス(サリン)が自分の人生を殺す。自分の運命を拓くのは「私には出来る」という心である。有森裕子さんはそれで銀メダルを獲得した。有森さんの名言「自分で自分を褒めてあげたい」と言う為には、健康でなければその努力も出来ない。死んでもいいから健康管理である。目的達成のために、健康管理である。

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   馬場恵峰書

2020-03-17 久志能幾研究所通信 1504 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。