ご縁に恵まれる「無財の八施」(知施と笑顔)
知施
雑誌・本等を読んだ後は、捨てるのではなく、それを必要とする人にあげると良い。そうすれば将来何かの役にはたつはず。また日頃お世話になっている人への感謝の意味で、情報を提供する。これを私は「知施」と定義している。なにせ、雑誌や本は捨てても誰も喜ばない。ゴミが増えるだけである。古本屋に処分しても二束三文である。
知施の分かる人
このモノ余りで情報洪水の時代では、モノより価値があるのは「選別された情報」である。「価値ある情報」には、その収集と選別にしかるべき費用と人工がかかっている。なおかつその情報は、将来に大きな価値への変貌を秘めている。しかし、その情報を提供しても、その価値や入手の労苦を評価できない人とは、距離を置いてお付き合いすべきだ。それが長い人生で、価値ある人財の集積密度を濃くしてくれる。
社会の現実
1994年に自分の体験記としてまとめた『ミシガン大学セミナー体験記』、『ニューヨーク美術館めぐり』,本書『知的生産活動としての生活VA』の途中原稿等を、これはと思う人に見てもらっている。様々の人の反応は興味深いが、私から見て、これはという人からはそれに相応した反応、手紙、コメントを頂けた。これは相関係数の高い価値ある指標で、人財の価値を再認識させられた。一流の人は一流の審美眼を持っている。またその行動と考え方は美しいものだ。評価高き人財の人脈は大いなる財産であり、壊さないように大事に守っていきたい。心情的にも、人が膨大な精力と金と時間をかけてまとめた情報に、それなりの反応と敬意を示していただけるのは、知的労働に対する報酬として金銭に代えれない嬉しいものだ。
裏切り者
しかし、反応がないのには・・・。何で「ありがとう」の一言が言えないの? この種の人が意外と多かったのは哀しい現実であった。人の期待を裏切る輩である。それは人生の裏切り者なのだ。なかには、礼一つ言わず「(読むのが)終わりました」と言って返し、私を憤慨させた常識なき若人もいた。まあ情報料を踏み倒す人よりはましではあるが。この類の裏切りもの人種と付き合って、将来得るものはあるまい。だから私はそんなレベルの人に、二度と情報を提供する気が起きない。するだけ時間の無駄であり、不快感さえ被る場合がある。人の好意に対する反応は、将来の人財の蓄積にも影響を与えるものだ。これからの情報化社会では、有形の物品より無形の知的生産財に対する感性を鋭敏にしたいもの。
知識量は関係ない
また私から見て、優秀に見える人(高職位、高学歴、有名大学卒、社会的資格のある)が必ずしも価値ある人財でないことが多かったのは、注目すべき事実であった。この反応から見て、常識ある人とそうでない人との棲み分けが明らかで、興味深い事実である名大学を出た人が、必ずしも「信用金庫」としてのAAA に格付される訳ではない・・・・。
人財の価値
親しくしていただいているH先生の言葉によると、通常の人間の価値の重みづけファクターを1とすると、人の価値は 10-3~10+3 程度に分布するそうだ。つまり、価値ある人は普通より10+3倍も価値があり、逆の場合10-3倍しかない人もいる。だから価値ある馬は、価値のない人間より遙に価値があることになり、賢い馬はそうでない人間よりはるかに賢いとか。この計算式から、価値ある人脈の合計価値が、そうでない多くの人達の合計価値より、はるかに凌駕することは自明である。
n m
Σ(価値ある人脈の価値) ≫ Σ(普通の人脈の価値)
i=1 i=1
n<m
「無財の七施」の功徳
仏教では、施しによる奉仕が説かれていて、お金のない人にも可能な「無財の七施」が勧められている。
無財の七施 『雑宝蔵経』巻6
・ 眼施 目による施し
・ 和顔悦色 笑顔による施し
・ 言辞施 言葉による施し
・ 心施 まごころによる施し
・ 身施 体=労働による施し
・ 床座施 席を人に譲ることによる施し
・ 房舎施 住まいによる施し
私はこの七施以外に、情報化社会にマッチした「知施」を追加定義している。「無財の八施」である。「知施」は、自分の体験したことや考えを文章としての知的生産物で人に施すこと。また情報の伝達、価値ある情報の掲載された雑誌等を進呈することだと認識している。これは直接的にはお金がかからず、無財の八施に合う行為であると思う。ただし、この種の体験にお金がかかった場合には、少々の情報料をいただいている場合もある。
知りたることを教えざるは、金を借りて返さざるが如し(お釈迦様の教え)
なお、この八施は私の努力目標で、まだ完全ではない。
2020-03-20 久志能幾研究所通信 1508 小田泰仙
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