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2021年9月28日 (火)

おだ仏教団、新型コロナワクチンを開発

 

 開発したのは、「己の持つ免疫酵素こそが最高の新型コロナワクチンである」との考え方である。

 生活習慣(運動、睡眠、お風呂)と食生活を見直して自分の持つ免疫力を向上させる取り組みこそが、新型コロナワクチンである。それは同時に、がん対策、認知症対策、万病対策にもなる取り組みである。それが守銭奴生活、餓鬼生活、奴隷生活、洗脳生活からの脱却である。自分の内なる力を信じよう。それがおだ仏教の教義である。

 

調律

 人としてあるべき姿から逸脱するから、コロナ菌にスキを突かれて、感染と言う負けを喫する。生活を律して、正しい状態に戻せば、コロナに負けない身体になる。

 生れてから、親から躾けられ、学校の集団生活で学び、実社会で人間関係を鍛えられてきた。しかし何時しか、その正しい規律が乱れてしまった。ピアノでも、工場出荷時から時間がたつと音程が崩れてきて、調律が必要になる。乱れやすい心をもった人間は、世間の誘惑に負けて乱れた生活となる。だから自分を律し直す機会をもつべきだ。

 今日(2021年9月28日)、3年ぶりにピアノの調律をしてもらった。かなり音程が乱れていた。人間様も同じで、定期的に師から、自分の生きざまを修正してもらうべきだと感じた。

 

自律

 自律神経とは良く名付けられた名称である。体の自律神経が働き、体を正常に保っている。意識しなくても体が、体内に侵入した外敵に対して、異常を検知して免疫酵素が出撃して戦っている。その免疫力を弱めてしまう原因が、「狂った生活」、「狂った食事」である。誰のせいでもない。己の自堕落な生活が、コロナに負けてしまう体制を作ったのだ。自律した生活を維持する心掛けが、真のコロナ対策である。

 自律や規律を無視して、集団で長時間の宴会をすれば、感染して当然である。そんな異常事態の状態では、免疫酵素の戦力半減である。

 

自分教

 人生は、おだ仏教に帰依すれば救われる。おだ仏教でなくても、各人の正しい「自分教」に帰依すればよい。私は、おだ佛教で自分を律している。それだけである。そうすれば救われる。

 人として生まれた以上、最低一人は迷いから救い、幸せにする義務がある。その一人が自分である。己が教祖として、自分を導くべきだ。現代社会は、その自分と言う教祖が、マスコミや世間の狂祖から洗脳されて「狂った生活」の地獄道をさ迷っている。

 

 人間という輩は、自分の体内に免疫酵素があることを意識もせず、金儲けに熱中して、新型コロナワクチンを有難がり、体内の免疫酵素に感謝などサラサラしない。

124k8a10911s  馬場恵峰書「佐藤一斎著 言志四録」より

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 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩坐像

 虚空蔵菩薩は、寅年の守り佛である。

 

2021-09-28  久志能幾研究所通信 2163   小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月26日 (日)

「悪魔のささやき」との闘い

 

 確かに「そんな小さなこと」は黙っていた方が、波風が立たず、平穏無事に社会は流れていく。「あっしには関係ないことでござんす」と言えば済む話である。私も非難されず、傷つくこともない。「あの人はできた温厚な方だ」と褒め殺しをされ、なあなあで慕われた方が楽だし、平穏な老後が送れる。

 「そんな小さなことは黙っていなはれ」という「悪魔のささやき」が耳元で聞こえる。人生はそれとの闘いである。その闘いは、己の魂の叫びと悪魔のささやきの闘いである。

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  松本明慶大仏師作 「魂(オニ)」

 

 リーダーは嫌なこと(正しいこと)を指摘して、なんぼの世界である。そうしないと組織が崩壊する。黙っていれば、その病気は他のグループに伝染する。新型コロナのように。 

 蟻の穴から堤も崩れる。堤防が決壊するのは、小さな蟻の穴からだ。組織も自分も同じである。

 

前職の会社のモラル崩壊

 40年前、職制会の宴会の後、ある課長が「どうせ会社の金だ。タクシーで次の店に行こう」と言って仲間とタクシーで二次会の場へ去って行った。

 役員の経営がルーズになると、下の課長たちも金使いがルーズになる。それが原因のモラル崩壊の現実を目のあたりにした。

 その30年後、会社はコンペチターに吸収合併され、市場からその名が消えた。当時の私の力では何ともならなかったが、その前兆はひしひしと感じていた。

 私は自分の部下の範囲で、間違ったことを防ぐ抵抗を続けていた。だから部下の不正は見逃さなかった。そうしたら上司もそういう不正をやっていて、私は飛ばされた。宮仕えの厳しさである。会社では正論を通せば、それが正しい行動であるわけではない。なにせ社員には家族がある。黙っているしかない場合が多い。

 

会社の不正と崩壊

 三菱自動車、三菱電機の不正でも同じである。

 タカタでも、エアバック死亡事故の発生当初は、正論を言った社員は飛ばされた。タカタは米国でエアバッグのリコール問題を起こした原因で、その対応の失敗から倒産に至った。ささいな指摘を会社の社長が抹殺したのが原因である。

 

2021-09-26  久志能幾研究所通信 2161  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月24日 (金)

人生を閉じる前の闘い、一生モノと異星人の選別

 

 私には人生の終わりがうっすらと見えてきた。そのため、身近で接するものを入手する時、残り人生を価値あるものにしてくれるか、そうでないかで峻別するようになった。ビデオ番組でも映画でも、それを見て自分の人格向上につながるか、情報が豊かになるかで判断して選択している。厳しく峻別すれば、その分、人生を閉じるまでの時間が豊かになる。

 

 だからくだらないビデオソフトやテレビ番組は、最初から除外している。ビデオソフトでも最初の5分間を見て、「見る価値無し」と判断したら、即削除である。続けて見れば、時間が勿体ない。残り時間がエイリアンに喰われてしまう。

 

 雑誌やネットの記事も同様である。最初の題名とトピックセンテンスを読んで、それで読む価値ありや無しを「審判」している。全部の記事を読んでいれば時間が足りなくなる。読んですぐ理解できなければ、著者に読者が理解できように書く能力がないのだ。要は著者の頭が悪い。そんな記事は読む価値がない。時間の無駄である。

 

 私はホテルに泊まっても、まずテレビの電源は入れない。先回、愛知県がんセンターの特別室(一泊3万2千円で高級ホテル並み)に1か月間、入院したときも、テレビの電源は一度も入れなかった。死との闘いの最前線に身を置かれると、軽薄なワイドショーばかりのテレビなど見る気も起きない。

 

 病院待合室のテレビで流しているワイドショーなどは、思考の穢れになるので、席を移動してテレビが見えない位置で考え事をしている。下手にそういう番組を見ると洗脳されてしまう。

 

「もの」という名のエイリアン

  私は新しい「もの」を入手する時、それを死ぬまで手元に置くに値するかを考えて入手している。「もの」には、品物だけでなく、人物もお店もソフト(映画等)、イベント、雑用、場、時間さえも含まれる。「もの」とは全て己の時間を侵略するエイリアンなのだ。その侵略が、お互いの価値を高めてくれれば良いが、そうでない場合が多い。だからこそ、選別が必要だ。

 気に入って長く使えば、買い直すための時間、新たに選択するための時間が節約できる。だから高くても良いものを買えば、結局お得なのだ。

 

エイリアンに喰われた人

 10年程前、店子の奥さんが亡くなり、契約更新のため店子の本宅を訪問した。その時、その家ではテレビがつけっぱなしになっていた。私は大事な話の最中なのにテレビの音が耳障りであったので、主人に苦情を呈した。そうしたら、「妻が亡くなり、一人で家にいると寂しくて仕方がないので、テレビをつけっぱなしにしている」という。結局、お客の私がいるのに、テレビの電源は切らなかった。

 要は、その老人はテレビに洗脳された状態である。テレビという「もの(エイリアン)」に取りつかれたのだ。それでは人生の暗転があるのみである。人生時間という「もの」が食いつぶされている。本人は気にならないので、幸せである。エイリアン(宣伝企業)の思うつぼである。まるで麻薬中毒で自殺していくようだ。そんな「もの」を取り込んではダメである。

 

名画・名品

 名画、名品と呼ばれる芸術品が美術館に展示されているが、私から見て名画に相当する作品は皆無に近い。私の「名画の基準」は、終生そばに置きたくなるような作品である。作品をみていると、心が癒され、励まされて、力となるのが名画である。棺に一緒に入れてもらい、火葬場で灰となって欲しくなる作品が名画・名品である。

 下世話的に言えば、捕まってもいいから盗みたくなる絵を名画と言う。幸いなことにそんな名画には美術館で巡り合わなかったので、今も逮捕されずに暮らしている。私は世界の美術館の80館以上を回ったが、そんな名画には出会えなかった。いくら名画で値段の付かないような「モナリザ」を家に飾ろうとは思わない。いくら名画の誉れが高くても、100号もあるバカでかい絵を我がウサギ小屋に飾るわけには物理的にできない。いくら高価で儲かると言われても、西洋古典の暗い絵は、和室には似合わないし、家の中が暗くなる。人生が暗くなる。

 

2021-09-24  久志能幾研究所通信 2159  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月23日 (木)

学びの舎を整備

 

 先日(2021年9月21日)、別宅に100インチスクリーンの設置が終わって、学びの舎の仮設置が完了した。まだ内装が未整備で、机や椅子が仮設置で不統一であるが、形としては収納人員15人が集会できる場が完成した。その活用を模索している。

 

備品

  資金不足の関係で、机は寄せ集めである。2つの机は「やまじ工房」の山路先生が無償で提供してくれた。一つは某旅館で長年使われていたトチの一枚ものの机である。一つだけが新作の机である。クラッシックな椅子は高級飛騨製で中古である。6脚セットを1万円で分けていただいた。本来なら30万円はするはず。残りはパイプ椅子の借り物で済ませた。

 このトチの机を見た方は、みんな机の立派さに驚かれる。トチの木の一枚もので、オーダーメイドである。すこし鼻が高い。

 

スクリーン

 100インチスクリーンとプロジェクターは本宅で使っていたのを移設した。100インチは自宅8畳の居間では大きすぎたが、30畳のこのホールでは程よい大きさである。100インチスクリーンは、自宅居間で3メータ離れて見ても、長く見ていると船酔いのような気分になってくる。画面は大きければよいわけではないことを思い知った。

 

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  仮完成の学びの舎

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「学び」とは

 学びの要素として、場が必要である。「學」とは、「子」が学びの舎(ワ)の屋根の下で、喧々諤々の議論をしている様の象形文字である。舎の場の上で、互いに向き合い、議論として「××」は言葉が飛び交っている様である。

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 この部屋の状態を見て、20年前に、前職の新入社員教育で、「修身」の講義をしたことを思いだした。多分、修身の授業は会社でも会社創業以来はじめてのことのはず。当時、よく思い切ってやったと自分で自分を褒めたあげたい。その10年後に、定年の挨拶まわりで各部署に回った時、今は中堅社員に成長した女性から、そのお褒めの言葉を頂き、嬉しかった。

 

Img_0590s1  新入社員教育で「修身」の講義中の著者 2003年

 この舎からの生成物を楽しみにしている。まず道具の整備として一歩は前進した。それで満足である。あせらずボチボチとやっていく予定である。学びの場の提供は、世のためには少しは貢献するだろ。私のモットーは「千里の道も一歩から」。

 

2021-09-23  久志能幾研究所通信 2158  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月22日 (水)

「人生の閉じ方」を決める 

 言葉にも出会い(2/2)

 

 人は、人とも出会うが、言葉にも出会いがある。それに啓発されて人生が変われば、それがご縁である。

 

 「終りが来ることはわかっています。しかし、目の前の音楽に、決して終りがありません。極限というものがまったくないのです。ベートーヴェンやシューベルトの声が聞こえてくる限り、私はきっと、感激続けるでしょうし、発見し続けるでしょう。そして私は変わらず弛まず、ピアノ前に座り、鍵盤の上に手を置くのです。」 室井麻耶子氏談『サライ 2021年秋号』小学館

 

 私は室井さんの言葉に感銘を受けた。言葉との出会いも、人と出会う以上の出会いである。私はこれに感化を受け、次のように人生の閉じ方を決めた。

 

 「終りが来ることは分かっている。息をしている限り、目の前に道がある限り、決して人生修行の歩みを止めることはない。極限というものもない。お釈迦さまの教えが聴こえる限り、私は精進の道を歩き続ける。お釈迦様は死に接して、弟子たちに「だた精進をせよ」とだけ言い残された。

 私はこれからも多くの人に出会い、夢を追い求め、人とのご縁に感激をし続けるだろう。私はあいかわらず、写経で佛道を学び続けるだろう。自然は声なき経を奏でている。経は人生の舞い方を教える。

 大きな夢でも、千里の道も一歩から。歩き始めるのに遅すぎることはない。希望を持ち、目標を立て、宇宙根源の理に従って進める。

 偉大なる仏を信じ、己が仏として振舞う。己が自分教の教祖として精進する。信徒は己一人で良い。それを50年続ければ仏になれる。できなくても来世で続きをやればよい。

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  馬場恵峰書

2021-09-22  久志能幾研究所通信 2157  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月21日 (火)

人生計画、実行してなんぼの世界

 言葉にも出会い(1/2)

 

 人は、人とも出会うが、言葉にも出会いがある。それに啓発されて、人生が変われば、それこそがご縁である。

 私は『サライ 2021年秋号』(小学館刊)で、ピアニスト室井麻耶子さんの言葉に出会って、人生を触発された。室井さんは現在100歳、現役のピアニストである。記事を読んで驚いたのは、室井さんが、90歳で家を新築したことだ。

 

 「その年齢で家をたてたのですか? 普通じゃありません」と呆気にとられる人が多くて、こちらの方が驚きました。

 90歳を過ぎたら我慢しなくちゃいけないなんて、そんな決まりはありません。人生の計画ばかり立てて楽しいかしら。『サライ 2021年秋号』

 

夢を見る

 私は室井さんの言葉に触発された。そう、人生は計画だけでなく、実行してなんぼの世界なのだ。年齢は関係ない。それで私も遅まきながら80歳で、家を新築する計画を立てた。それも70歳で、今より1.5倍も広い別宅の家を買ったばかりである。別宅の入手は10年前から計画していて、2020年に実現した。しかしそれは中古の家をリフォームした物件である。自分の思い通りの設計をして、家を新築するのが長年の夢である。

 これは自分でも呆れる思いである。それを室井さんの言葉が背中を押してくれた。夢に向かって生涯挑戦するのは、人生の活性化の為にも、ボケ防止によいだろう。

 まず夢を見なければ、何事も実現しない。今のピアノの入手もピアノ室建設の実現も、夢を抱いてから40年も経ってから実現した。

 

来世を考える

 棒ほど願って針ほど叶う。それでよいではないか。現世で実現しなくても、取り組んでいれば、人生が明るくなる。何か行動を起こせば、何らかの具体的な答えが出てくる。また来世もあるではないか。

 この世は100年の寿命だが、来世は500年の時間がある。此の世は無常である。だから生あるものは、何時かは死である。無常であるから、その死もいつまでも続くわけではない。私はこの10年程、仏像彫刻、仏教、歴史、神話等を研究して、オダブツ教として?そう思うようになった。真偽は別にして、そう信じて前向きに生きられるだけでも良いことだ。人生は希望を持って、光の方向に歩いて行けば、道は拓かれる。千里の道も一歩からである。

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第一世代のピアノ室(2014年完成)

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第2世代のピアノ室(2021年完成)

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第三のピアノ室(計画中)

 

2021-09-21   久志能幾研究所通信 2156  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月20日 (月)

堪忍袋の緒を切り、「うるせい、この糞ばばあ」と怒鳴りつけ

 

 先日の日曜日、町内の公園の草取り行事があった。それに私が参加中に、83歳の老婆が寄ってきて、「おい、電灯保全係! あそこの街灯が切れている」とその老婆が私に命令調に指示したので、それを無視した。そうしたら、「あんた耳が遠いのかね」と言う。それで表題にように怒鳴り返した。

 堪忍袋の緒が切れたのではない。意志を持って切ったのだ。堪忍袋には無価珍という計り知れないお宝の知恵が入っている。それを放出するため、私は堪忍袋の緒を切り、「うるせい、この糞ばばあ」と怒鳴り付けた。

  何故か、その後が爽快な気分なのだ。何故、もっと早くこの叱りつけをしなかったのかと、反省までした。言うべきことを言わないと、相手は何時まで経っても愚人のままである。それは世のために良くない。その間、その洟垂れ婆が、害毒を社会に流しているのだ。住民の皆が迷惑をするのだ。上司としてド叱るのは義務である。

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老婆がボスとして君臨

 モノには言い方がある。頼み方がある。古希を超えた長に言うべき話し方ではない。それで、言い返した。そのくらいしないと人品卑しい老婆は目が覚めない。多分、それでも目が覚めないだろう。今まで町内老人会のボスとして君臨しているので、逆らう町内住民は誰もいないのだ。

 

 うちの町内には人品卑しい老婆が権勢を奮っている。私がこの町内に移住して、1年程、私が毎朝、出会って挨拶をしても、その老婆から全く無視をされ、挨拶の返しなどなかった。1年程、我慢したが、それ以来、私もその老婆を無視した。

 この老婆は、町内のボスとして老人会を取り仕切っている。私から見て、どうしようもない人間である。

 

自治会の公金

 町内自治会の公金さえ、自分達の町内老人会で使い放題である。会計報告もデタラメである。コロナ禍で行事が無くなり、金が余ったからと、「厚生費」という名目にして、めだたないようにして、老人会の全員に品物を配った。姑息なやり方である。予算内で金を使うのだから非難はされないが、守るべき道義からは外れている。その行動が常識という範囲から外れるから、異様に見える。

 町内の他の子供会、運動部会等は、コロナ禍で行事や会合が出来ず、お金が余ったからと自治会に返金している。それに比較すると、町内老人会の下劣さが目立つ。それでは子供会等に示しが付かないだろう。その指示をしたのがそのボス老婆である。その件もあり、私は腹に一物を持っていた。

 

老害

 このボス老婆は83にもなり、体が不自由になったのに、ボスの座を手放ささない。醜態である。やはりボスとは利権があるようだ。政治の政界でも同じだし、老人会の世界も娑婆の縮図のようだ。65歳以上は15%が認知症である。75以上は25%が認知症である。行動を見ると認知症まがいである。そんなボスに町内の老人たちは唯唯諾諾である。情けない。

 

老人が尊敬されるワケ

 昔は、老人は尊敬された。それは人数も少なく、仁徳あふれた人が多かったのだ。昔は、人品卑しい老人は、健康管理ができず、早死にしていた。ところが現在は、医療が進んで、どうしようもない下劣老人までもが生き永らえて、その数が溢れている。社会問題である。観察していると、その家の子供もその悪影響を受けているようだ。社会の大問題である。

 

敬老の日

 長く生きたからと言って、それが尊敬に値するわけではない。長く航海した船長は尊敬されるが、出航した後、嵐に襲われて湾の中で長く波に翻弄されても、長い航海をしたとはいえまい。狭い世界で権限を振るっても経験豊かとはいえないと同じである。

 9月20日は敬老の日であるが、現在の日本で敬老に値する人は少ない。新聞紙上では、老人の犯罪、痴行が連日報道されている。

 先日は勲章までもらっていた90歳の飯塚被告が、池袋でアクセルとブレーキを踏み間違えて暴走死傷事故を起こした。その非をトヨタ車の故障だと言って、自分の罪と認めない醜態を演じたばかりである。

 昔はそんなことはなかった。どんな社会でも2・6・2の比率で人が存在する。敬老に値する人格者は2割だけである。下の2割に相当する下劣な老婆が長寿会でボスになると、その会は悲惨である。他の老人たちは人格者だから、何も言わない。ボスのやりたい放題である。

 

対処

 老いたら、愚かな老人を他山の石として、自分の行動を省みたい。

 狂った老人は、社会の常識が認知できないのだから、幼児と同じである。怒鳴りつけて教えるしかない。情けない時代になったものだ。

 老人の認知症問題は、世界一の老人大国・日本の大きな課題である。

 

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  馬場恵峰書

2021-09-20   久志能幾研究所通信 2155  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月19日 (日)

悪性コロナ菌、ドンキ化して「客の声をガン無視」 

 

 3月31日に、アピタ大垣店の生鮮食品売り場で、スマホで会話をしながら、食品に唾を飛ばしながら買い物の品定めをしている主婦がいた。アピタ大垣店内には、そんな買い物客が多いので、事務局に住所氏名を明記して対策お願いの手紙をだした。しかし半年経っても改善もないし、その回答さえもない。顧客の声がガン無視された。それもコロナ対策の人の命に係わることでだ。

 3か月後くらいに、変化があったのは、歩きながらスマホの注意喚起だけである。それなら平和堂でも、JRでも、どこでもやっている。

 ユニー(アピタ)は2019年、ドン・キホーテの資本下に組み込まれた。それが病気の原因のようだ。

 アピタ大垣店の経営に、鈍気呆手の人命軽視ウイルスが侵入し、その猛威が営業姿勢に影響が出てきた。客の声「コロナ感染の危険あり」という警告をガン無視する症状である。

 

賊報 携帯狂のオバタリアン、コロナ菌をバラまく?

スマホに洗脳された狂母、コロナ菌をばらまく?

 

 

ガン無視体質の原因

 ユニー(アピタ)はドン・キホーテに吸収された。そのドン・キホーテの前社長は、株式不正取引で逮捕された。そんなレベルの社長の影響で、客の声など聴く気はない企業体質に染まっていたのだろう。

 組織は全てトップの器量で決まる。組織の荒廃の例では、日産のゴーン、倒産したタカタ、三菱自動車、民主党政権時代の鳩山や菅、大垣の市長しかりである。

 組織はそのトップ以上の格にはならない。

 国は一人の将によって興り、一人の将によって滅ぶ。

 歴史に刻まれた鉄則である。

 

吸収合併の悲惨さ

 会社が吸収合併されると、吸収されたほうは、惨めなものだ。相手の企業文化を押し付けられ、プライドをないがしろにされる。吸収合併後、アピタの社内には、社長が違法行為で逮捕されるような劣悪な社風がはびこったようだ。

 私もそういう境遇を味わったので、当事者の悲惨さがよく分かる。私の場合も、私の元職場の同僚の室長、部長クラスが、合併の5、6年後、ほとんど中国、欧州や外国に飛ばされた。建前は、現地のトップであるが、体の良い外払いである。合併相手の同じ仕事の室長、部長クラスは全員、国内勤務のままである。

 三菱東京UFJ銀行(現:三菱UFJ銀行)の場合も、吸収された方の銀行マンは、人間扱いされなかったという話をよく聞かされた。

 それほどに、企業文化は大きな影響をあたえるのだ。

アピタはドン・キホーテに吸収された

 アピタは2019年1月、ドン・キホーテに吸収された。ドン・キホーテの前社長は、2020年12月3日、株式不正取引で逮捕された。

 客の声をガン無視する社風は、金儲けの為なら客の命など知ったことではないというトップの影響なのだろう。

 ドン・キホーテの店内に入ると、異常な感覚に襲われる。私は二度と行きたくない。激安というには、ワケがある。ドンキでは、人の命も激安扱いである。

 

・キホーテ社長逮捕

 ディスカウントショップ大手「ドン・キホーテ」を運営するパン・パシフィック・インターナショナルHDの大原孝治前社長(57)が2020年12月3日、東京地検特捜部に逮捕された。

 「流通大手のユニー・ファミリーマートHDは18年10月にTOBを実施し、ドンキをグループ会社としました。大原はその計画が公表される前の9月、知人男性に自社株を買うよう勧めたとして、金融商品取引法の取引推奨の疑いがもたれている。最近は千葉にある自宅ではなく、赤坂の高級マンションで生活していました」(司法担当記者)

   週刊文春 2020年12月17日号

 

ドン・キホーテ、アピタを吸収

 ドンキホーテホールディングス(HD)は4日、総合スーパー(GMS)のユニーを完全子会社化したと発表した。保有していた40%の株式に加え、同日付で残る60%をユニー・ファミリーマートホールディングスから282億円で取得した。有利子負債を含む業績への影響額は精査中という。買収に伴い、ユニー会長にはドンキHDの大原孝治社長が就いた。

   日本経済新聞2019年1月4日

 

2021-09-19   久志能幾研究所通信 2154  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年9月18日 (土)

福禄寿の法(7)人生の勝利は長生きにあり

 

 人生の成功は福禄寿である。幸福になり、財を作り、長生きして、世の中に多く貢献するのが、人生の勝利である。人に喜ばれて、ありがとうと言われる布施の積善こそが人生の勝利である。それが福であり、人徳の蓄積である。積善の家には必ず余慶あり。

 

守銭奴

 それが人から恨まれて集めた金では、ありがたみがない。だから、金を沢山集めたのが人生の勝利ではない。隣国の総帥のように4兆円の財産を作っても、使う段になってから6年間も植物人間のままで人生を終わるのでは、福禄寿ではない。そのうえ死後に遺族の兄弟間で裁判沙汰の財産争いを作るようでは、醜態である。

 

過当競争社会

 また総帥は己の企業を成長させるため、苛烈なる格差社会と競争社会を造り出した。多くの技術を日本人技術者から秘守義務違反で強欲に吸い取り、その技術者を使い捨てにした。そんな負の手段で得た禄では、ロクでもない。

 

経世済民

 そもそも金を稼ぐ体制の「経済」とは仏語で、「経世済民」の略である。「経」とは、全ての人を助ける真理を束ねた紐のことである。「済」とは「救う」「助ける」という意味である。広く高くその真理を広めて、充実して民を助けていくとやり方を「経済」と言う。その点で、隣国の財閥企業がグローバル経済主義を極めて業界の頂点として君臨し繁栄したが、福禄寿からは程遠い境遇である。

 

命を削る

 福禄寿のためには長生きせねばならぬ。しかし苛烈なグローバル経済競争で命を削って金儲けに成功しても、短命になってしまう。隣国の自殺率は、OECD加盟国中で1位ある。自国の企業が世界一の企業になったことを誇っても、なにかおかしい。本末転倒の異常さである。

 親から頂いた寿命を全うできないのでは、「寿」と言えない。親から頂いた命を粗末にしては、寿は全うできない。死んでもいいから健康管理である。寿が無ければ、福も禄も成立しない。

 

石垣島旅行の挫折

 このコロナ禍のおり、友人の石垣島旅行の話題を思い出し、気分転換で石垣島に旅行する計画を思いついた。しかし、いざ予約をしようとして、自分の体力の低下が著しいことに気が付いた。それでこの計画を諦めた。現地について、体力不足で歩き回れなくては、行く意味がない。体力が無ければ、何もできないことを思い知らされた。

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2021-09-18   久志能幾研究所通信 2153  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

福禄寿の法(6)電話勧誘を撃退

 

福禄寿

 人生で一番大事なものは、自分の体である。それを継続させる単位が時間である。その時間を無為に奪うものは人生の敵なのだ。

 人生で大事なことは、自分の人生を包括する時間を大事にすること。それに無頓着では、人生が崩壊する。それでは福禄寿にならない。人生を豊かにするために時間の価値を再認識しよう。

 

殺時罪

 時間は命である。自分に関係ない勧誘電話を受ければ、一生の間で使える有限の時間(命)が無為に奪われる。殺時罪、殺人罪である。

 人と面会するのも、人に電話をするのも、どちらもその有限の時間(命)を自分のために頂いているのだ。その意識なき人を遠ざけるのが、幸せの道である。此の世で一番大事なのは時間である。

 命とはこの世で使える時間の総量である。

 自分の時間も、人の時間(命)も同じように大事にする。それが回り回って、福禄寿に繋がる。

 全ての行動で、「ありがとう」と言われない行動は、全て間違った時間の使い方である。ましてや、その行動が相手から怒鳴られたら、間違っていると反省しなければなるまい。それが分からなければ、その人も会社も終わりである。

 それを怒鳴って教えるのも人助けである。教えて上げなければ、相手は永遠に気が付かない。下記はその実例である。

 

ドン・キホーテからの電話

 今日、携帯に電話がかかってきた。「ドン・キホーテのUCSカードではお世話になっております」である。その後の話は保険の勧誘電話であった。固定電話には売り込みの勧誘電話が頻繁にかかってくる。しかし携帯電話への勧誘電話は、この20年間で初めてであった。私は怒鳴りつけて電話を切った。

 くつろいで考え事をしていたさ中、強欲な一方的な電話が、私の大事な有限の時間(命)を奪った。今時、電話勧誘など、強盗商売である。

 相手の女性は、かけた相手から怒鳴られるか、すぐ切られるのが頻繁なので、その因果を悟らねばならぬ。怒鳴りつけるは、私だけではないだろう。それだけ受けた側が激怒している。そんな商売を、上司からやらされる運命を自分で反省しないと、永遠に幸せにはなれまい。商売とは自分も喜んで売って、相手もそれ以上に喜んでもらって、世の中に貢献する。そうでなければ、悪魔の商売である。

 ドン・キホーテの前の社長は、株の不正取引で逮捕されている。社長と言えば、会社で一番偉く、一番影響力がある人物である。そんな悪事を働いて逮捕された社長が君臨した会社の社風が、良いわけがない。その悪風が社員にしみ込んでいるようだ。そんなドン・キホーテに吸収されたアピタの前途は暗い。

 

アサヒからの電話

 前日も朝日新聞から「朝日新聞の紙面が変わりました。ぜひ一度お試しください」との勧誘電話である。「俺はアサヒが嫌いだ。どこで俺の電話番号を調べたのだ」と怒鳴って電話を切った。これで2回目の勧誘電話である。新聞拡販を無差別電話で勧誘するようでは、朝日新聞も終りである。まず誤報を正しく謝罪・再発防止しないと始まらない。それがないから、朝日新聞も終りだ。何回も嘘の報道の罰を受けても、目が覚めない。オシマイである。

 

岐阜トヨペットからの電話

 1か月程前、岐阜トヨペット大垣北店から車検の案内電話がかかってきた。8年前、岐阜トヨペットで車検をしたとき、不愉快な被害を被ったので、それ以降、岐阜トヨペット大垣北店での車検を止めた。もう8年間も岐阜トヨペットに行っていないので、常識で考えればわかりそうなものだ。いまだに車検の電話案内、ダイレクトメールが届く。届いたダイレクトメールを処分するにも時間ロスである。

 二度ほど、電話口の女性にその事情を言って噛みついたが、それでも相変わらず、勧誘電話がかかってくる。その担当女性は、そのことを上司に報告しないようだ。電話勧誘して顧客から噛みつかれても、上司から言われたまま、黙って機械的に勧誘電話を繰り返しているようだ。そういうレベルの社員しか入社しないようだ。だから翌年も別の女性が、顧客リストを見て、電話をかけてくる。

 岐阜トヨペットは、そんな教育レベルの会社である。それで、上司への報告も顧客リストのメンテも社員の教育もやらない会社であることが分かる。そんないい加減な会社に大事な車検など、出せるわけがない。岐阜トヨペットは、それが分からないほど劣化した経営をしている。

 

2021-09-17   久志能幾研究所通信 2152  小田泰仙

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