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2021年9月16日 (木)

福禄寿の法(5)パルスオキシメーターで懐を計る

 

 コロナ対策で、万が一に備えてパルスオキシメーター(血液中の酸素濃度測定器)の購入を検討した。量販店では入手不能であったので、ネットで探したらすぐ見つかった。問題はどの価格レベルの製品を買うかだけである。価格は1,268円から6万円程の製品が目白押しである。高いのは日本製で、その他のほとんどが中国製である。発注前に、どれを選ぶかで悩んでしまい、それで己の懐具合が見えてしまった。

 まあ妥当な線で7,800円の売れ筋製品を仮選定したまでは良かったが、それから考え直して悩んでしまった。

 

なぜこんなに安い製品があるか。

なぜ日本製はこんなに高いのか。

 

オキシメーターの位置付け

 オキシメーターは命にかかわるモノだ。オキシメーターを国防に例えれば、敵の外国から発射されるミサイルを検知するレーダーに相当する製品である。それの製品が仮想敵国製で良いのかを考えるべきだ。大袈裟だが、命に係わる製品である。外国製品を買えば、国内メーカが弱体化し、健康の国防(国内の経済、産業、雇用)が弱体化する。

 その問題は、先の新型コロナ騒動の初期でマスク争奪戦争において、世界的な大騒ぎでも明らかになった。マスク生産でも外交の武器になるのだ。マスクを自国内で供給が出来るか否かで、国民の命が左右される。国防の問題である。

 

食糧問題も同じ

 同じことが食料問題でも顕著になっている。現在は日本の自給率は40%を切っている。売国政治家は、工業で儲けて、食料は買えばよいと言うが、危機状態の時、近隣敵国が、食料を売ってくれるかは保証の限りではない。食糧輸出を制限すれば、日本は干上がり、危機状態に陥るのだ。危機状態では、食料は武器になる。だから欧米先進国の食料自給率は100%以上である。1970年当時のオイルショックの状況を食料危機に置き直して考えるべきだ。

 

コロナ死、ガン死、認知症の原因は同じ

 コロナ死は、コロナ菌と戦った免疫細胞の死骸が血管に詰まって、酸素を運ぶ血が流れなくなったのが原因である。

 がんの発症原因は、免疫力の衰退である。血管内部が飽食、悪食でプラークがたまり、血がうまく流れず高血圧となる。それで免疫酵素が毛細血管の末端まで行かなくなり、がんの増殖の原因となる。

 認知症の発症原因も同じである。血管の内部が飽食、悪食やジャンクフードでプラークが蓄積して、血管内径が細くなり、必要な酸素が脳細胞まで十分に行かなくなり、脳細胞が死ぬのが、大きな要素である。

 自分の人生がうまく行かなくなるのも、安いものばかり買うから、自分の考え方が貧乏くさくなり、前向きの行動がとれなくなった。人生が負のスパイラル降下になったのだ。そういう人間が増えたため、それが原因で国民を支えてくれる日本経済をじわじわと衰退したのが原因である。「風が吹けば桶屋が儲かる」と同じ連鎖が起きたのだ。

 

人は資源

 日本が、この30年間の経済戦争が敗れた一原因は、人件費を経費として、海外の安い労力を求めたことにある。それが今の家電業界の「敗戦」の一原因である。技術防衛をせず、機密情報がダダ洩れになったことだ。家電の敗戦は、労賃が安いからと、国内工場を海外に移転させたのが最大の原因である。人へ払うお金は、経費ではなく、投資なのだ。人が付加価値を何倍にもしてくれる存在である。

 

モノを買う意味

 どれを選ぶかは、自分の生き方を選ぶことになる。モノを買うとは、自分を買うことだ。モノを買うことで、自分の生き方を訓練している。安いものを買うのは、安物買いの人生の訓練をしている。そんな人生しか送れないことは情けない。何かが間違っていたと悟ることだ。

 安物買いは、日本経済の足を引っ張る拝金主義者の勢力を応援することになる。それでは将来、日本はますます貧しくなる。大河に一滴を注ぐつもりで、日本製を買うことを続けたい。

 血の巡りは、酸素を含んだ血が頭に回らないと、よくならない。日本経済も国内に血(お金)が回らないと、活性化しない。安い製品は、敵国の経済を活性化するだ。その分、日本の経済が負の活性化となる。いわば自分で自分の首を絞めている。それがこの30年間の日本経済停滞である。その責任の一端は、国の保安を考えず、安ければよいと考える国民にもある。

 

結論

 自分の歳を考えて、そんなにも長く生きられるわけではないが(精々37年?)、最期まで自分らしく生きたい気持ちを再確認した。

 結論として、2~3万円程の日本製を買うことにした。それが世の為、人の為、日本経済活性化に役立つのだ。

 

2021-09-16   久志能幾研究所通信 2151  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月15日 (水)

白衣観音、オニの明慶師を笑顔に変える

 

 大仏師松本明慶先生は、仕事のオニ(魂)である。オニとは「鬼」が「云う」と書いて「オニ(魂)」である。私はこの10年間、全国のデパートで開催される松本明慶仏像彫刻展に、追っかけで走り回っている。その折、いつも松本明慶先生とツーショットの写真を撮らせてもらっていた。

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 オニ(魂)  松本明慶大仏師作

 

明慶先生の変身

 松本明慶先生は、当世の仏師の第一人者として、いつも威厳ある趣の顔でツーショットであった。しかし今回、名古屋・名鉄百貨店で開催された松本明慶仏像彫刻展(9月8日~13日)では、すこし勝手が違った。

 私とツーショットを撮る前、先生は婦人たちとの記念写真で、明慶先生はご婦人たちに「もっと笑って、笑って」と言って一緒に笑顔で写真に納まっていた。

 次に私とのツーショット時も、「小田さん、もっと笑って、笑って」である。この10年間で、こんなことは初めてである。私もいつもの真面目くさった顔を、今回は少し緩めて笑顔で写真に納まった。周りのお弟子さんたちも、明慶先生と私の笑顔をみて、素敵な顔ですねと世辞?を言う。

 

白衣観音のご指導

 聞けば、先生の白衣観音様(奥様・華明さん)から、「人生の後半になったのだから、もっと笑顔を見せて過ごすように」と、お叱りと言うか、お小言をされたようだ。今まで松本工房の統領として、40人の弟子の前では厳しい指導をするため、笑顔が少なく、顔つきも厳しくなっていたようだ。しかし、いま仏師として日本一の名声も得たし、後継者も成長したし、全国各地に大仏も数多く建立したし、高野山中門に四天王の納佛という大仕事もできた。それで華明さんが、明慶さんの行動を見かねて笑顔に関する助言されたようだ。

 

笑顔の力

 笑顔でいれば自然と仏様から愛される存在となる。笑顔で顔の筋肉を鍛えれば、幸運をつかむ力なる。笑顔は「顔施」といって、七布施の一つである。それで運命がよくなる。

 人は幸せだから笑うのではない。笑うから幸せになれるのだ。

 明慶さんの仏像の素晴らしさを見て、笑顔になれば幸せである。仏像を見て笑顔にならなければ、その出来が悪いというようなものだ。

 人は、人に恵むことで初めて救われる。幸せは、人から奪うことでは達成できない。お釈迦様は、托鉢でまわるなら、貧しい人の所に行きなさいと言われる。貧しいからこそ、ほんの少しでも人に恵むことで幸せになれる。それが顔施である。それが出来ないようでは、人生の成功はあり得ない。

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  馬場恵峰書

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私の顔😐  2011年9月13日 名鉄百貨店で

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私の顔😐  ‎2017‎年‎1‎月‎11‎日  富山の名鉄百貨店で

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私の顔😊 2021年9月13日 名鉄百貨店で

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 馬場恵峰書

2021-09-15   久志能幾研究所通信 2150  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月13日 (月)

癌は佛様の化身。 佛様と出会い、生まれ変わる(2/2)

がんは佛さまの化身

 私はがんになって、船戸先生の指導でリボーン(生まれ変わり)ができた。がんに感謝である。リボーンせずそのままの狂った生活を続けていれば、別の病気で早死にしていただろう。

 がんは仏さまの化身である。仏様はがんに正しく向き合えと言っている。がんを患い、治療と再発防止を真剣に考えるとは、真剣に自分の生き方に向き合うことだ。自分に祈ることだ。病気を治すために自分に課した戒律を自分に百万遍誓うことだ。その誓いを守れないようでは、仏さまも味方になってくれまい。

 自分の戒律として、良眠生活、良食生活、加温生活、運動生活、微笑生活を誓っている。健康でなければ、何もできない。

 

戒律ある生活

 文殊菩薩は、宝刀で俗世間の煩悩を断ち切り、宝玉に詰まった知恵を授ける。多くの医師の知恵を借り(文殊の知恵)、その智慧を賢く選択して治療にあたる(普賢菩薩)。世の中の智慧は玉石混交である。自分の見識で一番正しい道を選ぶ事が、自分のまつりごと(御政道)である。

 真の宝物とは智慧である。我々が正しく生きるためには、「苦」が必要なのだ。人は必ず生老病死苦である。与えられた「苦」を昇華するためは、変わらなければならぬ。仏様は変えろと言われる。この世の全ては無常である。全てが無常であることは、「全ては変わる」、「全ては変えられる」。だから必然の変化(生老病死苦)に合わせて自分を変えればよい。それが仏様の教えである。

 自分を変えられない人は、時間が止まった状態である。それは死の世界。そういう人は、世を恨んで死んでいく。そんな人生を送ってはならない。

 

寂滅

 生は偶然で、死は必然である。ご縁も同じで出合いは偶然で、別れは必然である。我々は必ず死ぬ体を抱えて生きている。生とご縁を大事に労わりたい。生かされている以上は、人として志を高く掲げて、少しでも長生きして、少しでも多くの貢献を世に残したい。生かされた命を無為に生きてはならない。お釈迦様は死ぬ時に、あの世が有るとも無いとも言われなかった。だだ「精進せよ」とだけ言われて寂滅された。

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 虚空蔵菩薩 松本明慶大仏師作

Dsc065732s 文殊菩薩 松本明慶大仏師作

Dsc065662s 普賢菩薩 松本明慶大仏師作

Sjpg 馬場恵峰書

2021-09-13  久志能幾研究所通信 2149  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月 6日 (月)

福禄寿の法(3) 私の顔相占い、動く墓石を観察

 

動くお墓

 墓標のような風体で世間を歩くべからず。

  顔を見れば、どれだけ苦労、学問をしたかが、顔の刻みでわかる。

 体を見れば、怠慢、飽食で過ごしてきた過去が、刻まれている。

 話し方を聞けば、どれだけ脳を鍛えてきたか、露見する。

 話しの内容を見れば、教養が滲みている。

 何を育ててきたかが、脳の溝に刻まれている。

 それが話に出てくるから、隠しようがない。

 態度を見れば、どれだけ教養を養ってきたかが分かる。

 顔に家の書棚が透けてみる。

 

玄関に骸骨(がいこつ)

 顔は人生の客を迎える玄関である。それなのに、偉そうに見せるため苦味走った顔を晒していては、まるで骸骨を玄関先にぶら下げるようなものだ。まるで動く墓石である。福沢諭吉翁は「学問のすすめ」で、その件を警告する。それでは人は寄ってこないし、人生を拓けない。笑顔のない顔はゾンビの人生である。福は笑顔からである。

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 私は馬場恵峰先生の「笑い」の字にほれ込んだ。象形文字として笑いをそのまま素直に表現した形である。

 

私の顔相占い

 顔にはその人の思想、歴史が刻まれている。それを見て、付き合い方を考えることは、自分の福禄寿を向上させてくれる。自分の人生の危機管理にもなる。

 人の顔を見て鑑定するうえで、ほうれい線は一つの判断基準である。ほうれい線とは、鼻から両側の口先に伸びた皮膚の線を言う。この線のハッキリ具合で、その人の歴史が分かる。

 ほうれい線は、多くの場合、40歳代になるとハッキリとしてくる。ほうれい線が明瞭にくっきり出ている人は、仕事が正確緻密にできる。仕事運がよく、天職に就き、やりがいのある仕事に携わる。反面、厳しいところもあるため、付き合いづらい面もある。

 それに対して、 40代になってもほうれい線がぼやっとハッキリしない人は、地に足が付かない生き方で、責任感もあまりないようだ。ある意味自由奔放に生きているようだ。

 ほうれい線が出来るかどうかは、人に会って笑顔を見せるとか、顔の表情を変化させる筋肉訓練をして来なかったためだと私は推察する。要は使わない器官は退化するである。ほうれい線の薄い人は笑顔を作る筋肉を使わなかったのだ。人に対して冷たかったのだ。

 

顔の責任を持て

 リンカーン大統領が、推薦されたある人の採用を断った。その理由は、顔が気に食わなかったという。リンカーンは「40過ぎたら顔に責任を持て」といったのは意味深長である。顔に人格と生きざまの全てが出る。

 

趣味は人間ウォッチング

 私の趣味は人間ウォッチングである。事件がありマスコミを賑わすと、その顔写真をファイルしてデータベース化している。それで顔をじっくりと眺めて、事件と顔を記憶にとどめる。長年、それを続けてきた。それから得られる感性が、私の人を見る目を養ってきた。それで得はないが、損をさせる人物や危険人物の感知はできた。君子危うきに近寄らず、である。

 

2021-09-06   久志能幾研究所通信 2143  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月 5日 (日)

福禄寿の法(2) 印鑑は0番目のご神体

 

 印鑑には上下の目印を付けないこと。自分の名を刻んだ印鑑は自分自身の象徴である。それに目印を付けるとは、自分の身に傷をつけるのと同じである。目印がないため印鑑の上下をしっかり確認して、慎重に押す習慣となるからよいのだ。

 そんな焦って印を押してどうするの? 押印は慎重にしよう。ハンコ一つで人さえも殺せる。法務大臣の押印で、死刑執行がされるのだ。印に上下に目印がないのは、安易な押印を避けるための先人の知恵である。

 印鑑は自分の城を守るご神体である。幸せを守るため、「禄(財産)」を脅かすものに最大の注意が必要だ。

 

保証人

 昨年、偶然のめぐり合わせで別宅の事務所が手に入った。それは仏様の導きとしか思えない。神様仏様ご先祖様に感謝である。その事件は前所有者が、保証人として印を押したために起きた。その相手の会社が倒産して、前持ち主はその家を手放さざるを得なくなった。その家の建設費、リフォーム工事費を計算すると、二束三文で手放したようだ。家に限らず、どんな物件でも売る時は二束三文である。

 だからモノを買うなら、それと心中する覚悟で買うべきだ。その物件が自分の一部となって、己の人生を助けてくれるのかを考えて買うべきだ。保証人になるなら、「相手を見極め、自分の身のほどを考えた上、相手と心中してもよい」と考えないと印を押してはダメである。

 

借金の保証人を頼まれたら

 先人の知恵で、借金や保証人を請われたら、相応のお金を進呈して断った方がよい。その金は返ってこないものとして贈呈すればよい。相手の債務を全て被るよりもましである。

 私は借金が嫌いで、ローンも組んだことがない(ボーナス払い、クレジットは別)。いつもニコニコ現金払いである。今までの高額商品購入は、全て現金一括払いである。今回の別宅も現金一括払いである。本当はローンにしたかったが、無職の高齢者に金を貸してくれる銀行はない。だから資金繰りが大変であった。それが現実だ。だから自分の城は自分で守る。

 

保証人なしの決断

 トヨタの中興の祖であった石田退三氏は親戚の児玉一造氏から、「悪いことに使うのでなければ、金は何とかなる。金を惜しんで、時期を失することほど愚かなことはない」と教えられた。氏はその教えを守って、ケチに徹して経営を進めたが、貧乏な(当時)トヨタに不相応な大きな設備投資をしてトヨタを大きくした。トヨタの経営は、小さな無駄を地道に省くことを継続して(カイゼン)、金を溜め、大きな投資をする、である。

 私は今回の別宅を買うにあたって、その教えを信じて決断した。要は「無駄を省いて贅沢を」である。だから後悔はしていない。

 

恵峰先生の借金

 馬場恵峰先生も保証人を頼まれたことが数多った。しかし、それをほとんど断ったようだ。断ったのが正しい道であった。恵峰先生に保証人を頼みに来た人の殆どが破産しているという。金のない馬場恵峰先生に保証人を頼みに来るのがおかしい。

 馬場恵峰先生は日中文化資料館を建てるため、60歳の時、1億円の借金をされた。実家の家屋敷を担保にいれ、生命保険をかけて銀行から金を借りた。それを24年かけて返済をされた。完済時は84歳である。今では銀行はこんな融資はしないという。それだけ馬場恵峰先生には徳があった。仏様が応援した。またその返済の苦労を知っているから、敢えて保証人の印を押さなかったのだろう。

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2021-09-05   久志能幾研究所通信 2142  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月 4日 (土)

福禄寿の法(1) 表札は0番目の墓標

 

 表札とは、人生の本陣で掲げる錦の御旗である。錦の御旗として、正しい表札を掲げよう。自分の名前とは、両親がこういう人間になって欲しいと願って付けた名前であり、出世して欲しいと願って付けた名前だ。だから表札に字を彫ってはいけない。それは墓石と同じである。墓の字は、本人が死んだからもう変わることがない。だから名前を石に彫る。碑文も過去のことで変わらないから、永遠に変わらないことを石に字で刻む。

 

出世

 人が生きていれば、名前も変わる。名前が変わるとは出世である。だから表札に名前を墨で書くのがよい。彫らなければ、印刷でも構わない。歴史を見ても、出世して名前を変えた有名人は多い。名前を変えたから出世したともいえる。斎藤道三も名前を何回も変えた。それで京都の一介の油売りが美濃の国の主に上り詰めた。要は国を盗んだ。それは司馬遼太郎著『国盗り物語』に詳しい。お魚だって、名前が変わるのは、出世魚である。ブリは出世魚の代表である。

 「出世」とは仏語で、仏が衆生を救うためこの世に現れること。

 

ブリの出世

 ブリの呼び名は成長に合わせて、次のように変わる。

 モジャコ、ワカシ、ワカナゴ、ツバス、イナダ、ハマチ、フクラギ、ワラサ、メジロ、ブリ

 

出世としての雅号、芸名、戒名

 人生で名前を変えるのが、出世である。それが戒名しかないのは情けない。せめて会社を辞めて第二の人生を歩むとき、雅号を持って新しい道を歩もう。

 雅号や第二の名で世の為に尽くすことは、仏が衆生を救うためこの世に現れることと同じである。私は馬場恵峰先生に出会い、雅号を頂いたのは幸せであった。

 

街の表札

 街中を見て回って、石の表札に刻印してある玄関を見ると、墓を玄関に据えているように見えて気の毒になる。

 当家も昔は、石塀に埋め込まれた石の表札に、字が刻印してあった。リフォームした折、塀を取り除き、馬場恵峰先生に揮毫をして頂いた木の表札に変えた。何か人生が変わった。

 その表札の字は、伊勢神宮の御神水で磨墨した墨で書いて頂いた。そのお水は、伊勢神宮の雅楽殿の水場で手に入れた。還暦後に、この歳まで生かせてもらったお礼の奉納をしたときに手に入れた。

 

2021-09-03   久志能幾研究所通信 2141  小田泰仙

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2021年8月31日 (火)

人生道で背負う袋は、生活袋? 堪忍袋?

 

 松下幸之助翁は「人生は90%までが、いわゆる人知を超えた運命の力によって既に決まっている。人間の知恵才覚で左右できるのは、残りの10%に過ぎない。そう考えれば、人生、得意のときも、淡々と素直に謙虚に、わが道を歩んでいくことができよう。」と運命を断じた。しかし今回のお墓作りとご先祖探しの旅で、私は人知を超えた運命の力は90%どころか、99%にも及ぶことを感じた。人間の人生とは、運命を運ぶ大黒天に背負われた大黒袋ではないかと思うようになった。

 

授けられた生活袋

 人は生まれたときに、天より人間という形の生活袋が授けられる。その袋は運命を運ぶ大黒天によって担がれて、ひたすら死という終着地に向かって運ばれてゆく。人間にその行き先を拒否はできない。人生旅の終着地に着いたとき、大黒様はその袋を火葬場にお役目として放り込む。お釈迦様を含めて一人の例外もない。袋としての人間に、死後で残るのは僅かな灰でしかない。人間として生きた証として、運んでもらっている間に、その袋の中に何を入れ、それをどう昇華するかが問われる。袋に入れて集めた多寡が問われるのではなく、集めたものをどう活用したかが問われる。

 還暦を過ぎ、人生の終わりが見えてこれば、生活袋の中のものを少しずつ下ろしていくことが求められる。それを怠ると、遺族が大迷惑をする。多すぎる遺産なら、遺族を不幸にさえする。使いきれない財産が残れば、遺族が財産争いをするだけだ。隣国では、総帥の死後、兄弟間で財産争いの裁判沙汰、長男は刑務所行きである。何のために必要以上の汗を流して稼いだのかと、死ぬに死ねまい。

 人生の下り坂を降りるときになれば、少しずつ荷物を下ろしていく。天はそのために体を少しずつ弱らせて、負荷を減らせと教えている。80歳になり20歳の若者と同じ元気さでは、無念で死ぬに死ねないだろう。

 

生活袋と堪忍袋

 人間の多くは、欲望が多く詰まった生活袋を担ぐ。生活袋の中には、人生を送るのに必要な道具一式とそれにまつわる欲望が入っている。

 それに対して弥勒菩薩の化身と言われる布袋様は、堪忍袋を担ぐ。堪忍袋には「無価珍」という計り知れないお宝が入っている。それが飛び出さないように、布袋様は堪忍袋の口をしっかりと握りしめている。それが人間様と違うところ。少しは布袋様を目指して精進しよう。

 

袋は伸縮自在

 幸いなことに、その生活袋は人間の成長に合わせて伸縮自在に変貌する。その変貌の程度は自己鍛錬に依存する。その袋の中に何を入れて、何を入れないか、入ってきた縁の整理整頓清潔清掃(4S)ができるかである。入ったものをどう昇華するかが問われる。その如何によってその袋が宝袋にも劇薬袋にもなる。

 

袋の強度

 その袋の布は、血も肉も通う生身の生命体である。その袋に過度な美食美酒を入れすぎて、袋がアルコール侵蝕されて穴があくこともあろう。その袋は天からのリース物件である。大事に使わないと、契約途中で天から解約通知が舞い込む。大事に使っても、最長100年後には、天に返さねばならぬ。自分の体はご先祖が手配してくれたリース物件である。それを忘れて、酒池肉林、甘味飽食に溺れるから、契約違反としてリース途中で解約となる。

 

 その袋に分不相応に財を入れすぎて、袋の底が破れ、破綻することもあろう。己の器の大きさを自覚せずに、棚ボタの財宝を入れすぎたためだ。集めることだけを考えて、利他で分けることを忘れた天罰である。

 その袋を目掛けて飛んでくる試練という矢で傷つき、破損することもあろう。どれだけ袋の表皮の強度を上げる鍛錬をしたかである。試練という鍛錬をしない限り、か弱い袋のままでは、価値あるものを袋に入れられない。天は心という器だけは、傷つきやすい裸のままに創られた。それを自覚して人生を歩まねば、言葉と言う凶器で心が傷つけられる。その自覚なき人生では道半ばで沈没する。

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  人生の生活袋

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布袋 松本明慶大仏師作(「仏心」小学館より)

 松本明慶仏像彫刻美術館の掲載許可を得ています。

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 布袋 馬場恵峰書

 

2021-08-31   久志能幾研究所通信 2137  小田泰仙

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2021年8月29日 (日)

「罵倒観音」と「褒め殺し観音」のせめぎ合い

 

 心の「食事(栄養素)」は、プラスの言葉である。エリック・バーン博士の唱えた「対人交流(心理学)」では、プラスの言葉をストロークと言い、マイナスの言葉をディスカウントと言う。心の容器に入る量は一定である。マイナス分が入ってくると、プラス分が出ていく。だから心の中をプラスの状態にしておくには、決してマイナスの言葉を発してはならない。どんな逆境にあっても、自分を励まし、勇気づける言葉を自分にかけ続けることだ。春の来ない冬はないのだ。

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  ご縁の総量一定の法則

    悪い縁が一つ入ると、良き縁が一つて行く

    心の中も同じ原理である

 

 

褒め殺し

 「私は出来る」、「よくやった」と、自分を勇気づけ、褒めることが成功の鍵である。いくら自分で自分を褒めても、誰も文句を言わない。お金もかからない。褒め得である。それで成果が上がるなら、褒めないと損である。褒めてほめて、出来ないと思っている「ダメな自分」を殺してしまえ。殺すのに刃物は要らぬ。それが「褒め殺し観音」。それは福の神。

 

聖観音菩薩さま

 どんな事象でも、動けば音が出る。心の動きも観音菩薩はその「音」を観る。常に観音菩薩様は己を見守ってくれている。だから観音菩薩さまは、衆生の助けを求める声を聞けば、衣を右手で少し持ち上げ、手を差し伸べて、右足を少し前にだして、いつでも踏み出せる姿勢を取っている。

 

ディスカウント

 「どうせ自分なんて」、「どうせ俺は犬猫と同じ野垂れ死にだ」、と自分を罵倒しては、言葉が潜在意識に働きかけ、その通りになってしまう。自分で自分を傷つけてはならない。当然、他者に対しても同様である。「罵倒観音」は恐ろしい。人は思ったようになる。だから悪いように願いを叶えてくれる。それは貧乏神。

 ディスカウントショップは、正当な価格以下で販売して(値引き、安売り)、商売世界の秩序を破壊する。どこかで誰かが大損をする工程を踏まないと、価格破壊はできない。

 現代社会では、その多くが中共のウイグル族に対する人権侵害の奴隷労働等があって、価格破壊の商品が作られている。それで日本の雇用が失われている。賃金レベルが下がり、ますます皆が貧乏になっていく。儲かるのは、中共の幹部だけである。

 

オオカミ少女

 人間として心に魂の言葉を吹き込まねば、人間の感情のないオオカミ少女になってしまう。1920年にインドで発見されて保護された二人の孤児の少女は、オオカに育てられて、人間の心を持っていなかった。面倒をみた神父が親身に育てても、二人は人間社会になじめず、二人とも若くして死んでしまった。彼女はオオカミに育てられたので、心の育成が出来なかった。誉める、けなすにしても言葉が無ければならぬ。オオカミ少女にはそれがなかった。パワハラ上司は、オオカミ人間と変わらない。

 

心が体を支配し、言葉は運命を変える

 思考に気をつけなさい、それは、いつか言葉になるから。

 言葉に気をつけなさい、それは、いつか行動になるから。

 行動に気をつけなさい、それは、いつか習慣になるから。

 習慣に気をつけなさい、それは、いつか性格になるから。

 性格に気をつけなさい、それは、いつか運命になるから。

   -マザーテレサ-

 

 マラソン選手の有森裕子は、アトランタ五輪のマラソン大会で、3位でゴールして、「自分で自分を誉めてあげたい」と名言を吐いた。それは彼女の練習中には、常に心の中に次の歌があったからだ。

 「自分で自分を誉めるのはとても自然なこと。頑張ったのは君だから」

   「自分をほめてやろう」作詞 高石ともや

 

褒めることがテストステロンの分泌を促す

 テストステロンは、男性的な活力を与えるホルモンである。それは自分を認め、励ますことで、自信につながり、それで背筋が伸びて闘えるようになる。態度が公明正大に堂々となると、テストステロンの分泌が更に上昇する。これは同時に非常に社会性を与える重要なホルモンでもある。これはリーダーシップにもかかせないホルモンで、不正やインチキを憎み、世の為、人の為に生きることになる。これが男性ホルモンの高い人間の行動である。これが有森裕子さんの活力を上げ、オリンピック入賞に導いた。

 自分をもっと褒めてあげよう。自分は褒めてあげるだけの努力をしているはずだ。そうでなくても褒めていれば頑張るようになる。その逆の未来は悲惨である。

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 松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像

 

2021-08-29   久志能幾研究所通信 2135  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月25日 (水)

感染爆発は問題ではない。課題は何か? 道徳崩壊(2/3)

 

 今の問題は、日本の衛生であるべき姿が描けないのが大問題だ。感染爆発の問題は、人モノ金を正しく投入すれば、解決する。それをケチり、不正を放置するから問題(事象)の鎮静化ができないだけだ。

 

矛盾だらけの日本医療体制

 日本では医師と病院が余っているのに、医療崩壊や診療拒否などが起きるとは、何かが狂っている。それは制度と政策が狂っているからだ。それに付け込んで、モラルなき医療関係者が金儲けのため、入院拒否、診療拒否の事態が起きている。

 2021年8月23日には、厚生労働省と東京都が、都内の全医療機関に新型コロナウイルス患者の受け入れを要請した。この非常事態宣言下で、何を今更!である。なにかが狂っている。今まで中小の病院の経営者の多くは、新型コロナウイルス患者の受け入れで経営悪化を恐れて、受け入れ拒否をしてきたのだ。これは医療の問題ではなく、医療関係者のモラルの問題だ。

 

日本の最重要課題

 それよりも重要な日本の課題とは、疫病が広がらない社会づくりである。そのために何をやるか、そのために政府機関で、防疫戦略を立てる部署や人が必要だ。今、それがない。それが問題なのに、政府は誰も口に出さない、議論もしない。

 

使命感なき為政者たち

 その最大の原因は、官僚が自分の仕事に使命感を抱いていない事だ。利権への誘惑、天下り先への気兼ね、製薬会社との癒着、医療機関との関係で、本来あるべき政策を打たなかった。だから役人に修身教育が必要なのだ。役人は拝金主義に犯されて、利己主義の塊になっている。

 日本は世界汚職度ランキングで、全世界183カ国中で18位(2019年1月現在)で、先進国中では下位である。情けない国になったものだ。それは家庭と学校で人格教育がなされていないためだ。だから金儲けだけの人間が育ってきた。

 

 管総理も、目先に支持率狙いで、やってはならないオリンピック開催を強行した。菅総理に国民の命を護るという使命感がないのだ。為政者として国民の命を考えていない。頭にあるのは支持率向上だけのようだ。リーダ失格である。

 

一手先さえ読めない政治家

 対新型コロナ戦でもワクチン戦法一本やりで、それで失敗したらどうするかまで考えていない体制である。あまりの単細胞的思考で考えが浅い。戦争で最大の戦略は、孫子の戦わずして勝つ兵法である。それは疫病が蔓延しない体制を作ればよいのだ。

 現在の役人は、ことなかれ主義・前例至上主義・責任回避主義で現在のことだけ考えて、100年後の姿など描けないから、未来のために研究開発費(ワクチンを筆頭に)をケチる。だからジリ貧となり、今になってボディブローのように感染爆発としてダメージを受ける。それは経済活動でも同じ結果である。だから失われた30年が生まれた。

 

対策

 国の為、世の為に働くことの意味を教える教育体制(修身教育)が必要だ。小手先の手だけでは、何時まで経っても問題は解決しない。それは単なる対処療法である。人が育てば、人が正しい対策をする。今は、目先のことに迷わされ、利己主義に狂っているから、後手後手の手しか打てない。

 医療体制を作る前に人を作れ。 

 

2021-08-24   久志能幾研究所通信 2130  小田泰仙

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2021年8月23日 (月)

感染爆発は問題ではない。課題は何か? 防疫体制(1/3)

 

 感染爆発は一つの現象である。感染爆発はいわば大火事である。火事であれば、火を消せばよい。それよりも、なぜ大火事になったか、なぜそれが起きたか、なぜ延焼(感染爆発)になったのかの真因を究明せず、政府が対処療法に終始する姿勢が、問題である。

 先の太平洋戦争で、なぜ米国に負けたかの解明と対策ができておらず、この70年間、政府は同じような間違いを繰り返している。それが問題である。

 

大本営は間違いを認めず

 頭がいい人(有名大学出のエリート)は、自分の間違いを決して認めない。菅総理は、8月22日投票の横浜市長選で、自分が押した候補がなぜ大敗したかが理解できないという。大垣市の前市長も同じであった。彼はなぜ大垣市が没落したかが理解できなかった。だから正しい対策が打てなかった。だから菅総理では、コロナ戦争は戦えない。

 

あるべき姿(あるべき姿との乖離が課題

 今の日本のあるべき姿は、未知の疫病菌を水際でくい止めて、国内に感染爆発が起きない体制をつくること。感染者が出ても、速やかに治療できる医療体制を整備する。これと現状との乖離をなくすことが課題である。

 あるべき姿は、火事(感染爆発)を速く消す体制作りではなく、火事が起きない体制を作る。それと現状との乖離が課題である。これが現代の日本には出来ていなかった。なぜそれが出来なかったかを解明しないと、何時まで経っても同じ問題を起こす。

 

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感染爆発は誰の問題か?

 それは国の問題である。国の為政者の仕事は、国民の命を守ることだ。防疫の不備は、為政者が治水で国を守らないと同じである。防疫は、日本政府の問題である。

 

防災への投資削減のツケ

 10年前の民主党政権は、コンクリートから人へ投資と妄言を吐いて、防災投資を削減した。そのためダムができず、10年後に各所で大洪水の被害が続出している。

 今の新型コロナ感染爆発になったのは、疫病への衛生戦争に対して正しい体制作り(人モノ金の投資)を疎かにしたのが敗戦の原因である。今は保身前例至上主義の官僚が撒いた無為無策のツケを国民が払わされている。

 コロナ感染爆発で、緊急事態宣言だけで、政府がやるべきこと(真因解明と対策)をやらず、対処療法だけをして、国民に不自由だけを押し付けるから、何時まで経っても問題が解決しない。

 

治水と防疫

 防疫で国民を守らない為政者は、治水を疎かにした政治家と同じである。「治菌」で、国民の命を守らないと、今回の新型コロナ感染爆発のように国民を疫病で死に追いやる。だから衛生管理、衛生防衛が大事なのだ。現在の日本はそれが疎かになっている。そのツケが今回の新型コロナ感染爆発で明らかになった。政府がやるべき防疫をやっていなかったのだ。なぜ戦前はあった「防疫庁」がないのか。なぜやれなかったかを解明しないと、また問題を起こす。

 

連戦連敗

 今回のコロナ戦争は、治菌敗戦、防疫水際作戦敗戦、GoToトラベル敗戦、GoToイート敗戦、空襲警報発令敗戦(非常事態宣言の乱発)、言うだけ番長敗戦(政府高官が会食ばかりで自粛を破る)、ワクチン開発敗戦、ワクチン入手敗戦、ワクチン一本やり敗戦、医療体制崩壊敗戦、オリンピック強引開催での支持率低下敗戦、…. これは政治の敗戦である。

 

2021-08-22   久志能幾研究所通信 2129  小田泰仙

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