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2021年9月 4日 (土)

福禄寿の法(1) 表札は0番目の墓標

 

 表札とは、人生の本陣で掲げる錦の御旗である。錦の御旗として、正しい表札を掲げよう。自分の名前とは、両親がこういう人間になって欲しいと願って付けた名前であり、出世して欲しいと願って付けた名前だ。だから表札に字を彫ってはいけない。それは墓石と同じである。墓の字は、本人が死んだからもう変わることがない。だから名前を石に彫る。碑文も過去のことで変わらないから、永遠に変わらないことを石に字で刻む。

 

出世

 人が生きていれば、名前も変わる。名前が変わるとは出世である。だから表札に名前を墨で書くのがよい。彫らなければ、印刷でも構わない。歴史を見ても、出世して名前を変えた有名人は多い。名前を変えたから出世したともいえる。斎藤道三も名前を何回も変えた。それで京都の一介の油売りが美濃の国の主に上り詰めた。要は国を盗んだ。それは司馬遼太郎著『国盗り物語』に詳しい。お魚だって、名前が変わるのは、出世魚である。ブリは出世魚の代表である。

 「出世」とは仏語で、仏が衆生を救うためこの世に現れること。

 

ブリの出世

 ブリの呼び名は成長に合わせて、次のように変わる。

 モジャコ、ワカシ、ワカナゴ、ツバス、イナダ、ハマチ、フクラギ、ワラサ、メジロ、ブリ

 

出世としての雅号、芸名、戒名

 人生で名前を変えるのが、出世である。それが戒名しかないのは情けない。せめて会社を辞めて第二の人生を歩むとき、雅号を持って新しい道を歩もう。

 雅号や第二の名で世の為に尽くすことは、仏が衆生を救うためこの世に現れることと同じである。私は馬場恵峰先生に出会い、雅号を頂いたのは幸せであった。

 

街の表札

 街中を見て回って、石の表札に刻印してある玄関を見ると、墓を玄関に据えているように見えて気の毒になる。

 当家も昔は、石塀に埋め込まれた石の表札に、字が刻印してあった。リフォームした折、塀を取り除き、馬場恵峰先生に揮毫をして頂いた木の表札に変えた。何か人生が変わった。

 その表札の字は、伊勢神宮の御神水で磨墨した墨で書いて頂いた。そのお水は、伊勢神宮の雅楽殿の水場で手に入れた。還暦後に、この歳まで生かせてもらったお礼の奉納をしたときに手に入れた。

 

2021-09-03   久志能幾研究所通信 2141  小田泰仙

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