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2022年2月 3日 (木)

運命を良くする方程式

人生の極楽方程式

 U=α×ε×C×S

   U: 人生の運の良さ

   α= フットワーク力×諦めない心力

   ε: ヒットする確率(人は誰でも同じ値)

   C: 決断回数、出会いの回数

   S: 行動の速度

    (この式は、私の人生経験から出した式)     

 

 この方程式によれば、個人の運を良くするには、

  決断力を試す回数を増やす

  多くの人と出会う

  多くの本を読む(学ぶ)

  多く発信する。それに批判されれば、多くの学びがある。

  多くの失敗をする

  多くの場所に出かける

  急がなくてもよい、確実に早くやる

 

事実

 運のいい人も、悪い人もいない。

 人生の運の総量は誰でも同じ

 運がいいと思っている人と、運が悪いと思っている人がいるだけ。

 どちらも事象に出会う確率は同じ。

 多く動けば、多くの事象に出会える。

 その出会いをどう解釈するかの問題。

 失敗を学びの機会と考える人が成功する。

 

人間の能力の差

 頭の良し悪しは、運の良し悪しとは関係ない。

 むしろ愚直で誠実な人が成功する。

 有名大学出だから運が良いわけではない。

  有名大学を出て、悪政や会社を破綻させた政治家や経営者が多い。

  陸軍大学の秀才が日本を戦争に駆り立てた。そして敗戦。

 小学校しか出ていなくても、運が悪いわけではない。

  当時の納税日本一は、小学校しか出ていない松下幸之助翁。

 江戸末期の偉人は、その幕末の混迷期、多くの人と出会っていた。田舎にくすぶっていた人で偉人はいない。福沢諭吉も渋沢栄一も海外に出て、見識を広めて明治時代府を支えた。

 大垣の文人・江馬細香の恋人であった頼山陽は、大垣に来て江馬細香と恋に落ちた。彼は日本各地を歩き、多くに志士に影響を与えた。それで江戸幕府が倒れ、今の新しい日本が生まれた。

 

他流試合

 地方の剣術の名家の当主は、江戸の小さな道場主に負ける。それは江戸の道場主は多くの道場破りの野武士たちが訪れ、多くの他流経験をしているからだ。経験の量の差である。

 

国家の運勢、企業の運勢

 人生の運勢も国家の運勢も同じである。日本が高度経済成長期で絶頂期であった1970年代は、GNP比で世界1高い科学技術費や研究開発費を投じていた。技術開発は水物で成否の確率は半々である。金をかければ、その分、多くの失敗もするのだ。当時はそれを許容する企業文化であった。

 私も当時は研究開発部に席を置き、豊富な研究開発費で多くの失敗と経験を積ませてもらった。

 当時の企業は多くの研究開発費を投じていたから、その結果として、世界一の製造業の地位を確立した。

 それがバブルがはじけ、研究開発費をケチり、さらにグローバル経済主義の導入で、失敗が許されなくなり、短期に成果を上げねばならなくなり、長期の研究開発には金を投じなくなった。その結果が長い経済の停滞である。悪循環で、対GNP比で研究開発費が先進国中で最低となった。

 同時に、政府が公的に支援する教育費が先進国中で最低となった。だから失われた30年が生まれた。誰のせいでもない。そういう政治家に投票した我々国民の責任である。

 

大垣の運勢

 大垣も東大出の市長が20年間、市政を独裁的に運営したのが原因で没落した。記憶力だけが頼りで偉くなると、教科書に書かれたこと以外はしないという行政になる。減点主義の政治では、新しいことは絶対にしない。失敗すれば、左遷だからだ。部下は上司を見て、ヒラメ状態になる。事なかれ主義の横行となる。

 その結果、大垣は没落した。都市の価値は、公示地価を見れば一目瞭然である。大垣はこの20年間で公示地価が半値以下に暴落した。要は大垣の運勢が悪くなったのだ。

 

大垣が悪運になった原因

 誰のせいでもない。その市長に投票した我々市民の責任である。東大出だから優秀だろうとの洗脳が、日本や大垣を没落させた。50年前の記憶力テストの成績だけの結果で、大垣の未来を任せた市民の責任である。

 

 私は大垣市の没落する姿に危機感を覚え、私のブログでその原因と真因を暴き、6選出馬を阻止する行動を起こした。6選が阻止出来て良かったと思う。

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 冬夜  大垣市図書館横の公園にて  2011年1月17日撮影

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2022-02-03  久志能幾研究所通信 2293号  小田泰仙

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2022年2月 2日 (水)

田中角栄の言霊、30年間の航跡

 

1 人間は努力することが大切であり、努力すれば必ず成果が上がる。

2 成果が上がった分だけ、他人は羨む、妬むことに気づかなければならない。

3 他人の嫉妬心に気づいたら、それに対して配慮しなければならない。

4 人間は、いかなる場合でも、嫉妬する側でなく、される側に立たなくてはならない。 

   田中角栄

    

  この言葉に出会ったのは、米長邦雄著『人生一手違い』(祥伝社 1989)を読んだときの30年も前のことである。それ以降、これを書き留めたカードを何度も読み返している。

 

 角栄の言葉は、「名門・ジョージタウン大学 世界のエリートが学ぶ”至高のリーダー論”」で指導される世界とは別次元である。「サム・ポトリッキオが説く勝ち残る指導者の条件」では出てこない考え方である。

 西洋の価値観との違いに、田中角栄の言葉には考えさせられる。この言葉を聞いて、日本人に生まれて良かったと思う。

 西洋版のリーダーが育つから、グローバル経済主義が蔓延し、貧富の格差の拡大、力による覇権、利己主義の拡大で世界経済が混乱している。田中角栄が世界政府の大統領になったとしたら、多少は世界が変わるのではないか。田中角栄の集金方法は決して誉められはしないが、政治家としての考え方は共感できる。

 上に立つ人は、競争に負けた人にも目をやらねばならない。しかし現在は、格差100倍の黄金の椅子に座ったエリートが、貧困層を無視して世界を支配している。

 

 残念ながら、田中角栄の手腕に嫉妬心をいだいた米国に、田中角栄ははめられた。あの政策を続ければ、今頃、日本は米国を凌駕した国になっていたと残念に思う。

 どんなに栄華を誇っても、人がほめたたえても、そんなことは虚の世界である。それを角栄は身をもって示してくれた。平家物語は何時の時代にもある。

 

 その後の後始末の不手際で、日本は失われた30年になってしまった。保身の官僚に支配されて、日本の未来に投資もせず、緊縮財政だけに終始したので、日本の未来は失われた。

 

 田中角栄が小学校の教師の給与を上げる法律を作った。それに反した政策を実行したのが大垣市の小川敏である。子供に投資をしないことが、政治家として全てをあらわしている。だから大垣市は彼の20年間の政治で没落した。

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 馬場恵峰書
 

2022-02-01  久志能幾研究所通信 2291号  小田泰仙

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2022年1月31日 (月)

「リーダー候補の8つの目標」に違和感あり

 

 『Newsweek 2018.6.18号』での特集で「名門・ジョージタウン大学 世界のエリートが学ぶ”至高のリーダー論”」に目が引かれこの週刊誌を購入した。サブタイトルは「サム・ポトリッキオが説く勝ち残る指導者の条件」である。その表紙デザインに引かれて、つい衝動買いをしてしまった。 

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 しかし、内容を読んで落胆して書庫にしまい込んだ。先日、それを再度読み直して、改めて呆れた。これは西洋のリーダー養成論であるようだ。私が求めていた内容ではない。

 

 私は、世界のリーダーとはどういう教育をされるかと、この記事に飛びついたのだが、得るものがなかった。名門・ジョージタウン大学の名前と『Newsweek』の表紙デザインとキャッチコピーに騙されたわけだ。

 西洋の価値観では、この説は間違いではないが、最高のリーダー論ではないと思う。こういうリーダーが育つから、グローバル経済主義が蔓延し、貧富の格差の拡大、力による覇権、利己主義の拡大で世界経済が混乱しているとしか思えない。ここには、徳や人格などの話はない。指導力の話もない。

 世界のリーダー論などは百家争論で、多くの説があるだろうが、この「リーダー候補の8つの目標」が、その中で上位に来るとは思えない。これは下っ端のマネージャーの目標値である。これでは、世界は平和にならないと思う。リーダーとして、もっと大事なことがあるはずだと思う。

 

 

リーダー候補の8つの目標(サム・ポトリッキオ)

1 毎週、最低3冊の本を読む努力をすること。一冊は伝記もの。1冊は小説や詩など。

2 できるだけネットではなく紙に書かれた情報源を使う事。

3 スマホの使用時間を1日20分以下にする。。

4 旅行先として躊躇しがちな場所を1年に2か所訪問すること。

5 仕事上の人的ネットワークは150人規模を維持してみよう。

6 最低30人の知人を新しく出会った人に紹介し、知人たちの仕事が向上するアドバイスを与えてもらう。

7 6人のメンター(頼れる助言者)を持つこと。

8 起きている時間の10%を、苦手に感じる分野での知的活動に充てること。

               『Newsweek 2018.6.18号』より

 

  

問題点

 私はこの「リーダー候補の8つの目標」を見て、がっかりした。

 

 違和感を覚えたのは、サブタイトルの「サム・ポトリッキオが説く勝ち残る指導者の条件」である。勝ち残るとは、弱肉強食の世界の戦術である。まさに西洋式生存競争の世界である。結果として、1%のリーダーが幸せになり、99%の人が不幸になる社会のリーダの姿ではないのか。

 リーダーに必要とする心構えや志については記述がない。何のためにリーダになるのだ?、もない。りーダーとして何をやるのだ?、もない。小手先の手段だけの記述では納得出来ない。これは課長クラス、係長クラスの指導者養成のレベルである。西洋のエリートとして、金儲けに邁進するマネージャーの養成コースである。なんのためにリーダーとして働くかの?である。

 

私の指導者論

 私が、馬場恵峰師から明徳塾と松下幸之助経営塾で学んだ指導者論とは、世界が違うようだ。

 今回の記事で、東洋の指導者と西洋の指導者の違いが分かり、多少は勉強になった。

 

 リーダーが必要とされるのは、リーダーが世のためにチームをまとめて、大きな役立つ仕事をする。それが結果として自分にも良い結果となる。ジョージア大学のリーダー論は、自己だけの話に終わっているようだ。だから小手先の技術論で、そのため違和感を覚えたのだ。

 自分の中には108人の煩悩人が蠢いている。そのリーダーとして、その煩悩を抑えないと、価値観の違う組織の仲間など引っ張れないだろう。西洋のリーダー論には、そういう観点が欠如している。

   

2022-01-31  久志能幾研究所通信 2290号  小田泰仙

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2022年1月30日 (日)

暴走運転手と未知なる自分の対話

 

どんな車よりも構造が複雑で、運転が難しい車とは、「自分」という名の車である。一生の運転者は自分である。

   2006年5月28日 明徳塾で 馬場恵峰師談

 

 最近、私は自分の内面との会話を毎日、1時間以上かけている。未知なる自分との対話である。過去の資料を見直し、当時の自分と対話している。それは内観である。

 「で、今のあんたならどうするのか? 今は何をしたいのか? 本当に欲しいものは何か?」と毎日自分という運転手を問い詰める。そこに未知なる自分が出現する。

 

未知学び

 一日の運転をする前に、朝は志を確認するため仏前でお勤めである。昼に写経をして生きかたを確認する。夜は無事に生きられた一日を感謝して眠りにつく。現役時代は、そんな時間的な余裕もなく、暴走運転の日々であったと反省する今日である。

 

 実際に車を運転する場合は、「三貨車」で運転するごとくに慎重に、である。少し油断をすると自分という車は暴走する。暴走を防ぐため先頭車にナビの経典(戒め)を乗せ、自分は中央車に乗り、欲望という貨車を引っ張って走る。ナビ経典の指示通りに運転すれば、暴走はしない。油断すると欲望という貨車が先頭に出て暴走する。シェイクスピア製のムスタング(じゃじゃ馬ならし)は、運転が難しい車である。

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 馬場恵峰書

2022-01-30  久志能幾研究所通信 2289号  小田泰仙

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2022年1月28日 (金)

株で儲けるために 仏定歩合を上げる

 

 人生の究極の目的は、自分の株を上げることだ。自分の株価を上げれば、世間の評価が上がる。評価が上がれば儲かるのだ。評価を上げるためには、仏様からの信用度を上げればよい(仏定歩合を下げる)だけだ。

 一般に金を儲ける手段として、株、債券、外貨、土地、不動産、マンション、金、ビットコイン、絵画、ワイン、新興宗教等と多くの投資先と手段がある。その選択と己の才覚でいくらでも金が稼げる。下記の方程式に則とり実行すればよい。短期で見れば、需要と供給(市場の人気投票)に左右されて価値の乱高下があるが、長期で見れば、この方程式通りである。

 

 人の場合でも、上司の人事評価で職位が乱高下するが、長い目で見れば、相応の人は相応の評価をされる。長い人生だから、同じ能力でも抜擢人事もあれば、左遷人事もある。人事とは、鴨川の流れに浮かぶ泡沫と同じである。それは人間社会の好き嫌いから生まれた世界ある。宮仕えは所詮、上司のからの好き嫌いの評価が決まる世界である。究極の価値の査定方程式は、下記である。仏様からの人事評価こそが大事である。

 

国家の価値   =(税収÷公定歩合)   ×(需要÷供給)

会社の株価   =(安定配当÷公定歩合) ×(需要÷供給)

師の価値    =(師へ投資額÷仏定歩合)×(需要÷供給)

自分有限会社株価=(年収÷仏定歩合)   ×(需要÷供給)

 

 日本国は財政破綻する危険性が低いので、国債の金利がコンマ何%と低い。いくら日本国の借金が多くても金利が低いのは、世界が日本を信用しているからだ。それに対して、世界には、国債の金利が8%とか、10%と高い発展途上国がある。金利の高さは国の信用度の低さであり、国の財政破綻を危惧されているからだ。金を貸す相手に不安があれば、金利を高くするのは闇金融では当たり前。

 

 同じように、会社の価値(株価)は、安定配当と公定歩合から計算される。

 株価の乱高下とは、だれが美人かの人気投票のドタバタ劇である。鴨川の流れに浮かぶ泡沫と同じである。時代の流行で、だれもその行方は分からない。

 同じように、自分という有限会社の株価は、年収と仏定歩合から計算される。

 

 公定歩合とは、日本銀行が定めた金利である。

 「仏定歩合」とは、佛様から金を借りようとした場合の金利である。

 

 師の価値とは、師にどれだけの金を使って教えを受けたいかである。

 「仏定歩合」とは、目に見えない信用度である。要は、自分にどれだけ信用が世間的にあるかである。自分自身の信用度である。大企業に勤めて、手に技術があり、健康であり、前向きの生き方なれば、銀行は喜んで金を貸してくれる。無職の無気力な男に銀行は金を貸さない。貸すのは闇金融である。その金利はド高い。

 

人生最大の投資先 

 人生で最大の投資先は、自分自身である。それが一番儲かる投資先である。

 ドラッカーは、「人こそがものの価値を2倍にも10倍にもできる資源である」という。日本はその資源に対する投資を怠ってきたので、失われた30年が生まれた。誰のせいでもない、そういう政治家に投票した我々国民が悪いのだ。グローバル経済主義という流行り病にかかったのも、病状を悪化させた一因である。それを邁進させた政治家や経営者を追放するのが最大の投資術である。

 大垣市も、未来に投資をしない無能市長が無為無策で20年も居座って、大没落した。この20年間で、大垣の公示地価が半値以下に暴落した。今から再建である。

 

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 馬場恵峰書「百尺巻頭書作選集」久志能幾研究所刊より

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2022-01-28  久志能幾研究所通信 2287号  小田泰仙

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2022年1月25日 (火)

法要とは、魂の人間ドック・自分の葬儀

法要の意味

 仏教では、故人の為に一周忌、三回忌、七回忌、13回忌、17回忌、23回忌、27回忌、33回忌、50回忌まで法要を行う。その意味を理解せず、最近は七回忌くらいで止めてしまう風潮のようである。情けない話だ。

 私は欠かさず年忌法要を執り行っている。私は昨年、祖父の100回忌を執り行うことが出来て良かったと思う。

 

成長の確認

 法要とは、親の教えに対する自分の成長具合の確認の機会である。親は自分のために、無償で多くの支援と教育を自分のために施してくれた。親は自分が幸せになることを望んでいた。

 多くの人は、日頃の忙しさにかまけて、自分の成長具合の確認はしにくいもの。法要とは、その成長具合を、仏前に手を合わせ、振り返り、1年、3年、7年、13年、等々と要所要所で確認していく儀式である。年を追うごとに親が亡くなった歳に、自分も近づいていく。その親を超えられたのかと自身に問う機会が年忌法要である。最低でも、親の歳までは健康で生きたい。それが親孝行。

 

 人が成人すれば、師が親代わりである。師の死後、何時、自分は師を超えることができたのか。師を追い抜いてこそ恩返しである。その確認時期が法要の時である。

 

魂の人間ドック

 親が死んで33年、自分は親と同じ歳となったが、親より幸福になり、豊かになり、長寿(健康に)に過ごせたのか。それを確認するために、静かに手を合わせて、霊前に報告する行事が法要である。

 またその法要をできる幸せを感じよう。健康でお金に余裕がなければ、その法要もできない。法要とは、魂の人間ドックである。

 

自分の葬儀

 親や師の法要とは、過去の未熟な自分を見送る葬儀である。親や師の教えに対して、過去の未熟な自分に別れを告げ、新たな決意の元、新しく生まれた自分が、今後の生き方を霊前で誓う儀式である。親や師の教えに報恩感謝する厳かな儀式である。

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 馬場恵峰書

2022-01-25  久志能幾研究所通信 2284号  小田泰仙

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2022年1月24日 (月)

朝起きて、生きていることを喜ぶ

 

朝起きて、生きているとは、何と素晴らしいことか。

     2006年5月28日 明徳塾で 馬場恵峰師談

 

 朝、目が覚めて息をしていれば、この世でまだやることがあるとの仏様からのメッセージである。それに喜びを感じなければ認知症である。そうなっては生きている価値がない。

 朝になり、息をしていない場合が一生に一回だけ訪れる。それが死。

 

 元気で現役であった馬場恵峰先生も94歳の直前に倒れられ、ベッドから起きられなくなり、1ケ月ほど寝込まれて、2021年1月1日に亡くなられた。

 昨日(2022年1月23日)に先生宅で、一回忌と三根子先生の三回忌が執り行われた。40名ほどのお弟子さんが参列された。別途10名ほどがお参りに来られたようだ。新型コロナウイルス蔓延の関係で、規模を縮小して行われ、その後の会食も中止になったとのこと。

 私の腰痛の持病再発のためと長崎県と岐阜県が新型コロナウイルスの蔓延防止県指定となり、今回は長崎に行けなかった。

 

 この1年間で、恵峰先生が遺された多くの書や資料を振り返り、先生から学んだことを思いだしている。その教えから、多くの実践ができたことを喜びたい。それだけ成長したのだ。一回忌の法要とは、師の教えに対して、一年後の自分の成長を確認するための機会である。

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 馬場恵峰書

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 49日の法要 2021年2月27日 日中文化資料館にて

2022-01-24  久志能幾研究所通信 2283号  小田泰仙

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2022年1月22日 (土)

人生の見直し、超ミニ内観

 

 私は過去の雑誌の記事、新聞記事、パンフレット、等をボックスにファイルして、何度も見直している。過去のイベントの記録ファイルを見直しもしている。その資料や雑誌等は50年分が在庫としてあり、書棚にファイルしている。大体、一日に1時間ほど内容を見直して、新しい発想を得ている。

 

 その記事は、過去の50年分の日経ビジネス、週刊ダイヤモンド、東洋経済、文芸春秋、週刊誌等から抜き出した記事である。どんな雑誌でも、読むべきか所は精々数ページである。残りは廃棄である。僅か数百円の雑誌で、隅から隅まで価値ある情報が掲載されているわけがない。ゴミのような記事を読んでいては、時間ロス、人生ロスである。時間という強敵は、待ってはくれない。

 一度読んだ雑誌等を、大事な分だけ取り出してファイルしている。

 昔の記事を今の目で見直すと、その都度、新しい発想が生まれている。それを新たな知見としている。

 

後ろ向きの人生

 人生は小さなボートの櫂をこいでいるようなものだ。うしろ向きに座っているので、進む方向の視野は見えない。見えるのは、今まで進んできた過去の航路だけである。

 人生では、その航路(過去)を振り返って、新たな発見があれば、こぐ方向を変えればよい。当時思ったことと、今思う事の差を見れば、自分の成長が分かる。人の成長とは、ものを見る視点を上げること。そうすれば今まで見えていなかった点が見えてくる。たんなる肉体の成長なら犬畜生でも成長する。人間だから魂の成長が求められる。

 

日日好日

 日々新たに、人生は無常、昨日の自分と今日の自分が同じであるはずがない。日々成長しなければ、霊長類として恥ずかしい。魂の成長がなけなければ、犬畜生と同じである。

 エアレースパイロット室屋義秀さんは、それと同じような手法をとっていた。その記事を最近読み、感銘を受けた。これは内観の手法である。それと比較すると、私の手法は超ミニ内観である。小さな内観の継続である。

 

人生に思いを巡らせて

 高校野球の夏の甲子園大会をはじめ、全国規模のスポーツ大会や音楽コンクールが中止となり、多くの人たちがモチベーションの維持に苦しんでいるでしょう。

(中略)

 実は大会中止より、つらかったのはスランプに陥り、人生の方向が分からなくなったことです。

 そんなとき自分に課したのは毎日16時間、8日間部屋にこもって自分の人生に思いを巡らせることでした。自分のことは自分で分かっているようでいて、実は親や社会など外部からのイメージや期待と混同し、見えにくくなっている場合もあります。(エアレースパイロット室屋義秀さん)

           2020年6月4日 岐阜新聞

 

 

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2022-01-22  久志能幾研究所通信 2281号  小田泰仙

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2022年1月21日 (金)

古い足踏式ミシンを断捨離せず 

 

 自宅には父が使っていた古い足踏式ミシン(約70年前の製品)が保存してある。父が会社務めをしながら、内職で使っていたミシンである。父の死後、20年余も経つが、保管に場所も取り、今後も使う予定もないが捨てられない。今後も保管の予定である。 

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 認知症の症状とは、家族間、夫婦間、社会とのつながり、自分と人生のつながりの記憶を失った状態である。断捨離でそれらの記録を全て捨てることとは、自分の過去の記憶を捨てる事、感謝を捨てることである。断捨離とは自分で認知症になる一歩を踏む出すことである。私は断捨離をしない。

 

供養

 このミシンには父の汗がしみ込んでいる。ミシンを踏む技量(洋裁の技術)があったから、地獄のシベリア抑留になっても、工場内労働に回されたので、生還できた。そのお陰で今の私の生がある。同じくシベリア抑留された父の弟は、シベリアの土になった。戦後、父はその汗で私を育ててくれた。両親に感謝である。その汗のしみ込んだミシンを保存して、両親の働きかたを思い出すのが供養である。

 そういう苦労をした父と比較して、己はどれだけ働いているのか、それを確認するのが供養である。両親は子が幸せになってくれることを願って働いていた。今は感謝しかない。

 

想い出こそ人生

 自分の想い出や家族との記録こそ人生である。想い出や記憶が無くなったら、生きる屍、つまり認知症と同じである。だから現在、流行の断捨離には反対である。捨てても良いものとそうではないものもある。その区別もせず、無節操な断捨離だけには反対である。

 

2022-01-21  久志能幾研究所通信 2280号  小田泰仙

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2022年1月17日 (月)

知恵の真実を求めて  智慧の方程式

 

 松下幸之助翁は知恵を下記に定義した。彼はその思想で、一代で大松下電器を作り上げた。

  知恵=知識×熱意+経験

 経験は感受性の強さにより、大の経験にも小の経験にもなるという。松下幸之助翁は誰よりもその感受性が高かった。目に見えない宇宙の根源様を祀り、祈っていた。

 私の知恵の解釈は

  智慧=慈悲×知識×熱意+経験×感受性

 人が有名大学で学び、どんなに多くの知識を得ても、かつ熱意があってもそれを世のために使おうという慈悲の心が無ければ罪人である。それどころか、悪智慧を使って稼いだ金が己を傷つける刃にもなる。

 いくら熱意があっても、オウム真理教のように間違った方向に使えば、悪智慧の極みとなってしまう。

 いくら頭が良くて知識が有っても、ホリエモン商売をすれば、社会悪である。刑務所行きである。

 いくら高学歴で官僚になっても、その知識で保身と利己の政治をすれば、日本衰退の政治となる。それが今の失われた30年の日本である。失われた大垣の20年である。今の官僚や政治屋は知識や学歴はあっても、頭が悪いのだ。智慧がないのだ。教科書の前例のある政治しかできない。創造性がないのだ。政治は結果が総てである。結果が悪ければ、頭が悪いという証明である。

 バカと知識はハサミ次第である。茶筒を横に切れば真円、縦に切れば長方形である。バカと知識は賢く切らねば、使い物にならない。

 失敗は誰でもする。失敗を経験智まで昇華せねばサーカスの調教された犬畜生と同じである。失敗を智慧にするには、感受性が高くなければならぬ。感受性を高めるには、感動することだ。涙を流すことだ。人との熱い交際をすることだ。芸術を愛し、芸術に接することだ。

 いくら知識が無限に有ってもその中から、最適な解を選択する賢さが無ければ、その多くの知恵はゴミである。またその智慧に利他の心が無ければ毒となる。

虚空蔵菩薩

 「虚空蔵」はアーカーシャガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩」という意味である。寅年生まれの守り佛である。33年目の閻魔様の最後の審判の時、己の生前の善行を弁護して頂ける仏さまである。菩薩の中では一番位が高い仏様である。

十三仏信仰

 「十三仏信仰」は江戸時代から始まったとされる。冥界の審理に関わる13の仏(仏陀と菩薩)が、初七日(不動明王)、二七日(釈迦如来)、三七日(文殊菩薩)、四七日(普賢菩薩)、五七日(地蔵菩薩)、六七日(弥勒菩薩)、七七日(薬師如来)、百か日(観音菩薩)、一周忌(勢至菩薩)、三回忌(阿弥陀如来)、七回忌(阿閦如来)、十三回忌(大日如来)、三十三回忌(虚空蔵菩薩)が仏の国に旅立った故人が極楽浄土に行けるように、追善(故人に善業を積んで送る)法要を営むとされている。

 俗世間的に言えば、各法要で、その担当佛様が、故人が極楽に行けるように弁護士の役割をされる。最後の法要が三十三回忌で、その担当弁護士が、虚空蔵菩薩である。

 

宗教

 宗教を信じるか信じないかは、人の価値観の違いである。「宗」とは自分の祖先のことである。宗教とは、自分の家の教えである。

 その真実は死んでみないと分からないのだから、信じて生きていた方が心の安らぎが得られ、メリットが大きいと思う。そんな安らぎは不要という強い人が羨ましい。人間は見えないものに畏敬の念をもって手を合わす。そんな弱い人のほうが信用が置ける。

 人は強くなければ生きていけない。弱さが無くなれば人間味と感受性が無くなる。

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  馬場恵峰書

039a01111s 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩像

2022-01-17  久志能幾研究所通信 2276号  小田泰仙

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