運命を良くする方程式
人生の極楽方程式
U=α×ε×C×S
U: 人生の運の良さ
α= フットワーク力×諦めない心力
ε: ヒットする確率(人は誰でも同じ値)
C: 決断回数、出会いの回数
S: 行動の速度
(この式は、私の人生経験から出した式)
この方程式によれば、個人の運を良くするには、
決断力を試す回数を増やす
多くの人と出会う
多くの本を読む(学ぶ)
多く発信する。それに批判されれば、多くの学びがある。
多くの失敗をする
多くの場所に出かける
急がなくてもよい、確実に早くやる
事実
運のいい人も、悪い人もいない。
人生の運の総量は誰でも同じ
運がいいと思っている人と、運が悪いと思っている人がいるだけ。
どちらも事象に出会う確率は同じ。
多く動けば、多くの事象に出会える。
その出会いをどう解釈するかの問題。
失敗を学びの機会と考える人が成功する。
人間の能力の差
頭の良し悪しは、運の良し悪しとは関係ない。
むしろ愚直で誠実な人が成功する。
有名大学出だから運が良いわけではない。
有名大学を出て、悪政や会社を破綻させた政治家や経営者が多い。
陸軍大学の秀才が日本を戦争に駆り立てた。そして敗戦。
小学校しか出ていなくても、運が悪いわけではない。
当時の納税日本一は、小学校しか出ていない松下幸之助翁。
江戸末期の偉人は、その幕末の混迷期、多くの人と出会っていた。田舎にくすぶっていた人で偉人はいない。福沢諭吉も渋沢栄一も海外に出て、見識を広めて明治時代府を支えた。
大垣の文人・江馬細香の恋人であった頼山陽は、大垣に来て江馬細香と恋に落ちた。彼は日本各地を歩き、多くに志士に影響を与えた。それで江戸幕府が倒れ、今の新しい日本が生まれた。
他流試合
地方の剣術の名家の当主は、江戸の小さな道場主に負ける。それは江戸の道場主は多くの道場破りの野武士たちが訪れ、多くの他流経験をしているからだ。経験の量の差である。
国家の運勢、企業の運勢
人生の運勢も国家の運勢も同じである。日本が高度経済成長期で絶頂期であった1970年代は、GNP比で世界1高い科学技術費や研究開発費を投じていた。技術開発は水物で成否の確率は半々である。金をかければ、その分、多くの失敗もするのだ。当時はそれを許容する企業文化であった。
私も当時は研究開発部に席を置き、豊富な研究開発費で多くの失敗と経験を積ませてもらった。
当時の企業は多くの研究開発費を投じていたから、その結果として、世界一の製造業の地位を確立した。
それがバブルがはじけ、研究開発費をケチり、さらにグローバル経済主義の導入で、失敗が許されなくなり、短期に成果を上げねばならなくなり、長期の研究開発には金を投じなくなった。その結果が長い経済の停滞である。悪循環で、対GNP比で研究開発費が先進国中で最低となった。
同時に、政府が公的に支援する教育費が先進国中で最低となった。だから失われた30年が生まれた。誰のせいでもない。そういう政治家に投票した我々国民の責任である。
大垣の運勢
大垣も東大出の市長が20年間、市政を独裁的に運営したのが原因で没落した。記憶力だけが頼りで偉くなると、教科書に書かれたこと以外はしないという行政になる。減点主義の政治では、新しいことは絶対にしない。失敗すれば、左遷だからだ。部下は上司を見て、ヒラメ状態になる。事なかれ主義の横行となる。
その結果、大垣は没落した。都市の価値は、公示地価を見れば一目瞭然である。大垣はこの20年間で公示地価が半値以下に暴落した。要は大垣の運勢が悪くなったのだ。
大垣が悪運になった原因
誰のせいでもない。その市長に投票した我々市民の責任である。東大出だから優秀だろうとの洗脳が、日本や大垣を没落させた。50年前の記憶力テストの成績だけの結果で、大垣の未来を任せた市民の責任である。
私は大垣市の没落する姿に危機感を覚え、私のブログでその原因と真因を暴き、6選出馬を阻止する行動を起こした。6選が阻止出来て良かったと思う。
冬夜 大垣市図書館横の公園にて 2011年1月17日撮影
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2022-02-03 久志能幾研究所通信 2293号 小田泰仙
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