人生の見直し、超ミニ内観
私は過去の雑誌の記事、新聞記事、パンフレット、等をボックスにファイルして、何度も見直している。過去のイベントの記録ファイルを見直しもしている。その資料や雑誌等は50年分が在庫としてあり、書棚にファイルしている。大体、一日に1時間ほど内容を見直して、新しい発想を得ている。
その記事は、過去の50年分の日経ビジネス、週刊ダイヤモンド、東洋経済、文芸春秋、週刊誌等から抜き出した記事である。どんな雑誌でも、読むべきか所は精々数ページである。残りは廃棄である。僅か数百円の雑誌で、隅から隅まで価値ある情報が掲載されているわけがない。ゴミのような記事を読んでいては、時間ロス、人生ロスである。時間という強敵は、待ってはくれない。
一度読んだ雑誌等を、大事な分だけ取り出してファイルしている。
昔の記事を今の目で見直すと、その都度、新しい発想が生まれている。それを新たな知見としている。
後ろ向きの人生
人生は小さなボートの櫂をこいでいるようなものだ。うしろ向きに座っているので、進む方向の視野は見えない。見えるのは、今まで進んできた過去の航路だけである。
人生では、その航路(過去)を振り返って、新たな発見があれば、こぐ方向を変えればよい。当時思ったことと、今思う事の差を見れば、自分の成長が分かる。人の成長とは、ものを見る視点を上げること。そうすれば今まで見えていなかった点が見えてくる。たんなる肉体の成長なら犬畜生でも成長する。人間だから魂の成長が求められる。
日日好日
日々新たに、人生は無常、昨日の自分と今日の自分が同じであるはずがない。日々成長しなければ、霊長類として恥ずかしい。魂の成長がなけなければ、犬畜生と同じである。
エアレースパイロット室屋義秀さんは、それと同じような手法をとっていた。その記事を最近読み、感銘を受けた。これは内観の手法である。それと比較すると、私の手法は超ミニ内観である。小さな内観の継続である。
人生に思いを巡らせて
高校野球の夏の甲子園大会をはじめ、全国規模のスポーツ大会や音楽コンクールが中止となり、多くの人たちがモチベーションの維持に苦しんでいるでしょう。
(中略)
実は大会中止より、つらかったのはスランプに陥り、人生の方向が分からなくなったことです。
そんなとき自分に課したのは毎日16時間、8日間部屋にこもって自分の人生に思いを巡らせることでした。自分のことは自分で分かっているようでいて、実は親や社会など外部からのイメージや期待と混同し、見えにくくなっている場合もあります。(エアレースパイロット室屋義秀さん)
2020年6月4日 岐阜新聞
2022-01-22 久志能幾研究所通信 2281号 小田泰仙
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