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2022年3月18日 (金)

幸運方程式 「自分は運がいいと信じる」と成功する

 

幸運の方程式

 運の良さ=μ×C

     μ=一定(成就する確率)

     C=出会いの回数

     C∝フットワーク力、取り組み回数

 

 結論: 運を良くするには、C値を大きくすればよい

  つまり多くの人に会い、多くの本を読み、数多く旅行をして見聞を広めれば運が良くなる。

 運が良くなってくると、μも大きくなってくる。つまり出会うご縁を幸運に変換する能力が大きくなる。相乗効果である。

 その逆は負のスパイラル降下である。

 

チャンスは平等

 日頃の行動の積み重ねが運に影響する。自分は運がいいと信じて、フットワークを良くるすること。オダ仏教を信じて、前向きに行動すること(トヨタさんなら豊田教。つまり自分教)。その自己暗示力が人生を開拓する。思いがあるから行動に出る。そう思わない人は行動などしない。

 沢山の人と出会い、沢山の取り組みをして、沢山の失敗をする人が成功する。全てで成功するはずがない。失敗分は勉強代、損切分と思えばよい。それがあるから知恵がつく。そのうち一つでも成功すれば、大成功である。

 

「成功する人の習慣」

 日本は災害の多い国である。そのため慎重な性格な人が生き残っている。不安遺伝子を持っている人は70%近い。米国では20%もいない。

 自分が運のいいと思っている人と運が悪いと思っている人に、クジを購入させたら、当たった確率はどちらも同じだった。

 科学的には運の良し悪しは平等である。チャンスはその人がどれだけ運を掴む振る舞いをしているかで決まる。確率の問題である。

  脳科学者・中野信子氏の講演会「成功する人の習慣」

  十六経済懇談会で 2019年10月3日

 

ダーウィンの法則

 変革期には多くの人と会うことだ。幕末期、倒幕で活躍した英雄は、多くの国を回り、多く人と話し合い、情報収集をしていた。

 変革期は優秀なエリート人材が運を掴んだのではなく、最もその環境に適合した人が、新天地で生き延びて新しい世をリードした。その人たちは、多くの経験をして、多くの本から知識を得て、多くの世界を見たので、その運を掴めたといえる。

 当時のエリートはその地位に安住して動かなかった。エリートは地位が安泰で、動く必要がないのだ。エリートは動いてはダメなのだ。体制の現状維持してこそエリートの座が維持されるからだ。

 これはスペンサージョンソン著『チーズはどこに消えた?』の江戸幕末期版の寓話である。

 

ドーパミンによる快感

 「自分は運が良い」と思うと、ドーパミンが分泌されて、幸せな気分になり積極的な行動がとれるようになる。そのためも自分は運がいいと思い、人に夢を語ることだ。それは自分自身への暗示ともなる。それが自分を活性化してくれる。それで運が良くなる。自分教を信じよう。

 

2022-03-17  久志能幾研究所通信 2335号  小田泰仙

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2022年3月 4日 (金)

アウシュビッツ収容所の教え、本箱を2個新購入

 

 私の生きるための糧の一つは情報、本である。それが増えるのは私に喜びである。その胃袋が満腹となると、餌を食べたくても、食べられなくなる。本箱も同じで、本を置く場所が無くなると、本を買えない。

 2022年2月7日、本箱を2個追加導入した。幸せである。今回購入した本箱は、幅80cm、高さ180cmのスチール製の本箱で、一個1万円ほどの製品である。別宅で場所が確保できたので購入した。これで別宅には合計11個の本箱が鎮座する。

 この一個の本箱に約150kgの書籍が入る。今までに本宅、別宅に約4トンの本や資料が溜まっている。これでプラス300kgの資料を入れる余裕が出来た。

 

新しいコップ

 新しい情報を入れるためには、空きを作らねばならない。いくら良い情報でも、頭が空っぽでないと受け入れられない。洗脳で頭が凝り固まっていると、新しいことは受け入れない。それを老化という。コップに一杯水が入っていると、それ以上には水は入らない。水を出すか、新しコップを用意しなければならぬ。だから私は新しいコップを用意した。

 常に書籍や雑誌から新しい情報を仕入れて、そこから生きる元気をもらうのが私の健康法である。

 

アウシュビッツ収容所の青春

 人は肉体が老いても、精神的に元気な人なら青年と同じである。しかし肉体が若くても、精神的に老いれば、老人と同じで死は近い。第二次世界大戦下、アウシュビッツ収容所でも、若いユダヤ人が絶望してどんどんと死んでいった。精神医師のヴィクトル・E・フランクルは、強制収容所を出た後の人生を夢見て、元気を装い強制労働をこなして、ドイツ敗戦後、死のアウシュビッツ収容所から生還した。

 ドイツ強制収容所の死亡率79%、ユダヤ人の死者434万人。

 

 ドイツ強制収容所から生還し、その体験を記した『夜と霧』の著者(心理学者)、ヴィクトル・E・フランクルがとった行動とは、

 

◇ 働ける体であるように見せる

   働ける状態でなければ、自動的にガス室行きである。彼は常に若く見えるように、立ったり歩いたりする時は背筋をピッと延ばしていた。若く見えるように髭を毎日剃った。最後のパン一切れを人に与えても、ガラスの破片で髭を剃ってもらった。

◇ 病気にならない

   病人になれば、自動的にガス室行き

◇ 常に未来を信じる

    近い将来、講演会で自分が演説している姿を思い浮かべた。

◇ 収容所での苦しみは意味があると認識

     無意味だとすると生きることの価値が無くなる

◇ 愛する人との魂での会話

◇ 感動を失わない

     沈みゆく太陽の夕焼けの風景に感動

◇ ユーモアを失わない

     自分を見失わない魂の武器

 

 私も3年前に癌で余命宣告された。アウシュビッツ収容所に収監された心境である。こんなことで死んでたまるかと、元気を作る取り組みをしている。その糧の一つが本である。だから家を買い、本箱を買った。

 

P10104401s 馬場恵峰書

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2022-03-04 久志能幾研究所通信 2322号  小田泰仙

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2022年3月 1日 (火)

オダ仏教の慈愛投資

 

1 相手に頼みごとをしない

 自分で課題解決に取り組まないと、問題解決力が付かない。

 それを裏技で、ショートカットするから問題が更にこじれる。 

 人に頼るとは、自分を堕落させる。

 使わない器官(問題解決能力)は退化する。 

 またそれは他人の時間を奪う事。人に迷惑をかけてはならない。

 逆に頼まれたら断ること。それが慈愛である。

 

2 相手の時間を無駄にしない(迷惑をかけない)

 時間は命。相手の時間を無駄にするとは相手の命を奪うこと

 命とは、この世で使える時間の総量である。

 明日の命は分からない。新型コロナに罹れば、明日の命は分からない。

 私もガンになり余命宣告されていたので、命の大事さが身に染みる。

 

事例

 今日(2022年3月1日、家電量販店で相談しようと出かけた。馴染みに店員が、中年おじさんに30分以上もかかりきりで相談できなかった。後で聞くと、43インチTVの買い替えなのに、その決断ができずグズグズしている。彼は妻の了解をもらうため10分以上も電話をかけていたという。店員はその間、他の客の相手が出来なかった。その結果、彼の営業成績が下がってしまうのだ。たかが10万円のテレビの選択で決断をできず30分以上も店員を拘束するとは、相手に迷惑をかけること。自分の人生時間も無駄にしている。

 

3 相手の立場を理解する

  金銭的な損得より、自尊心を傷つけられた恨みは大きい。無視された恨みは深い。愛の反対は憎悪でなく、無視なのだ。人の恨みを買うとは、未来の時限爆弾を抱える事

 

4 喰う餌を与えるより、捕り方を教える

 飢えた相手に魚を与えるよりも、魚の取り方を教える。

 魚を与えると、永遠に魚を与え続けなければならない。

 

5 毒を食わせない

  来客したお客さんに、毒を食わせてはならない。甘いもの(糖分)は毒なのだ。和菓子ならともかく、ショートケーキや脂分の多い洋菓子は毒である。

 コーヒーフレッシュも毒である。砂糖も毒である。出すならブラックコーヒである。

 毒を喰わせるとは、時限爆弾を相手の体に仕込む事。

 

6 怠けない

  怠けないとは、学んで自分に投資をすることだ。人生で最大の投資先は、自分である。人生は投資した分が利子を付けて返ってくる。

 自分が怠けている間も、敵の「時間」は容赦なく先に行ってしまう。失ったお金なら稼げば取り戻せるが、失った時間は、命の喪失である。二度と取り戻せない。人間としての勤めは、死ぬまでに、最大限に魂を向上させ、佛の境地に近づける精進である。人間は犬畜生とは違うのだ。学ばない人間は、犬畜生に落ちる。日々精進、それが己への慈愛である。

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 馬場恵峰書

2022-03-01 久志能幾研究所通信 2319号  小田泰仙

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2022年2月28日 (月)

プーチン砲 たった一発で コロナ雲散霧消

 

ニュース激変

 今まで連日連夜、マスコミは新型コロナウイルス騒動で大騒ぎであった。ところがロシアのウクライナ侵攻が起きたら、YouTubeのニュース等で新型コロナウイルス報道が消えてしまった。まだ新型コロナウイルスが消滅したわけではないのに、だ。今はウクライナ報道一色である。マスコミのえげつなさに呆れた。

 

痴呆バラエティー番組狂騒

 いつものことで、マスコミは大騒ぎするだけで、実際の真の対処法に関しては、無知極まりない報道ぶりである。見るからに知性のなさそうなタレントが、したり顔でニュース解説をする。人畜無害なニュースだが、国民の大事な時間を浪費させる番組である。無為に痴呆的にテレビを見ていれば認知症へまっしぐらである。

 

合間に金儲けはしっかりと

 その番組の合間のコマーシャルで、ガンや糖尿病、循環器系の管病の原因になる食品をさりげなく放映する。スポンサーのCMだらけで、健康に害があることが明白でも、ディレクターは止めるわけにはいかない。

 スポンサーの手前、コロナで死んでいる数よりも37倍も多いがん死亡者数のことなど知ったことではないのだ。

 今は、マスコミは騒動になる話題に乞食や餓鬼のように群がりつく。騒動乞食である。マスコミにとってコロナよりも、もっと美味しい餌のウクライナ侵攻が出てきたので、現状のコロナ報道をおっ放り出して、ウクライナ侵攻報道に乗り換えただけである。

 

後日の邂逅

 10年後、自分の人生を俯瞰したら、そのニュース騒動は夢のようなむなしいものと思うのではないか。

 

戦争を知らない先生たち

 その昔、日露戦争があったことを知らなかった大学教授がいた。幕末生まれで物理学者、原子構造研究の先駆者の長岡半太郎である。彼は明治29年に留学先のドイツから帰国後に東京帝国大学(現在の東京大学)の教授になる。当時の物理学はレントゲンによるX線の発見など大変革期であった。

 明治33年、パリで万国物理学会が開かれた。ベクレル、キューリー夫妻、ポアンカレ、ギョームらの一流の物理学者とともに、日本からは長岡が招待された。  明治36年に長岡が発表した原子模型の論文は、現代物理学初期の日本人最初の業績として著名である。彼の研究に邁進する姿から周囲の人々から

 「あいつは研究熱心で研究室に篭もりきりだから日露で戦争が勃発したことも知らないんじゃないか」と噂され、それが世間に広まった。

 そう噂されるとは名誉である。

 

天命

 我々はマスコミや世間のばか騒々しさからすこし離れるべきだ。そのニュースに振り回されて、自分が向上するのかを自問しよう。自分に与えられた天の使命(天命)に目覚めて、その道に邁進すべきだと思う。

 ニュースに振り回されている時期も「人生の本」の一ページである。無駄なペーである。無為に人生の頁がめくられていく。そして最期の時に後悔するのだ。

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039a34461s 馬場恵峰書

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2022-02-28 久志能幾研究所通信 2318号  小田泰仙

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2022年2月27日 (日)

サガミで「食い逃げ犯」扱いされた

 

 「ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。

 無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

    Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken,    damn hard to put back together again to its original form.

       “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

 

 昨年の5月ごろ、大垣のサガミ北店で食事の注文した後、財布を自宅に忘れたことに気がついた。慌てて店員のその旨を告げ、財布を取りに帰ろうとしたら、「担保としてスマホを置いていけ」である。まだ料理も出てこず、食べてもいないのにも関わらず、である。当方もその後の予定があり財布が必要であったから、何も考えず、スマホをサガミに預けて、財布を取りに帰宅して、サガミに戻った。運転中に事故であったら、スマホがなく問題になったはずだと気がつき怒りが出た。

 運転しながら、冷静に考えて、なんで千円の昼食代の担保に、スマホを預けないといけないのかと、さらなる怒りが沸いてきた。要は、客を信用せず食い逃げ犯疑いをされたのだ。接客業としたあり得なことだ。お店は街中でなく郊外店で、車でないといけないお店である。車で来ている客が食い逃げをすると思うのか。

 

 店に戻って席についても、料理が準備されているわけではなく、そこから料理を作りだしたようだ。店員はこの顛末に気が付かないのか、謝りも説明もない。

 私は食事の後、店長を呼び出し、苦情を言った。店長は謝りで「お金は不要です」と言ったが、因縁を付けるのつもりはないので、食事代金を払い、「もう二度とサガミには来ない」と宣言して店を後にした。

 

正しいお作法

 私が店員なら、「代金は今度来店された時で結構ですよ」と言う。これは、日本のどの飲食店でも対応する常識的な対応である。客とお店は、お互いに信頼関係である。わずか千円の食事代である。それをサガミの店員は「(お前は信用できないので)担保としてスマホを置いていけ」は異常である。料理はまだ出来てもいないし、私は食べてもいないのだ。

 

権限無移譲

 それもそんなレベルの事を、わざわざ上司にお伺いを立てて、スマホ預かりの顛末である。実は「携帯の電話番号を聞いとけ」の指示を勘違いしたようだ。問題はわずか千円の決済権も店員にはないのだ。店員が店長から信用されていないお店であることが露見した。

 そのお伺いを立てて、回答が来るまでに10分はかかる。時間コスト一分100円として客に1000円の人生価値を失わせてしまう。だからこんなお店で食事など、今後まっぴらである。

 

日本人の劣化

 このサガミの客の扱いは、日本の飲食業の下記の病気を表している。

 サービス産業の生産性の低さ、それが向上しない原因

  要は権限委譲がされていない

  従業員をロボットとして信用しない体制

  日本人の劣化(自分の頭で考えれなくなった)

  社員が作業員(ロボット)に成り下がる現象

  社員教育の劣化

  金儲け主義の蔓延

 

 今回の事件で、サガミの従業員教育レベルが判明した。マニュアル化されて洗脳された従業員は、客を客として見ていない。客は工場ライン上の仕掛品なのだ。また、サガミは接客業なのに、店員は自分の頭では考えられない状態となっている。どうすればお客に喜んでもらえるかを考えない。これは日本人全体に広がっている業病である。こんな状況だから、失われた30年が生まれて、日本の生産性が停滞しているのだ。特にサービス産業の生産性が伸びない。

 

生老病死

 あれから10か月が経つが、私はサガミには行っていない。もう二度と行くことはない。1991年9月にサガミが名古屋2部に上場したころから、私はサガミが気に入っていて、月に2,3度はサガミに通っていた。当初は、週末のテニススクールの後、食事のため近くのサガミ知立店に毎週通っていた。知立店から始まり、高浜店、橿原店、大垣店の30年間のサガミとの縁はこれで終わった。どんなものも生まれ、成長し、老い、病気になり、死ぬ。それは企業でも同じである。経営者が異変に気が付かなければ、予定より早い死があるのみだ。

 自分でも、人との信用関係を大事にしたいとの思いを新たにした。

 

 

2022-02-27 久志能幾研究所通信 2317号  小田泰仙

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2022年2月25日 (金)

人生訓「先入れ先出し」で若くして高台に上らず

 

 「先入れ先出し」(トヨタ語録)は、生産の原則でもあるし、人生の大原則でもある。それを逆らうと、人生の逆境に見舞われる。それは先に入庫した材料から順番に使うと言うだけの法則である。そうすれば賞味期限切れなどは起こらない。品質管理も容易である。それが人生の品質管理ともなる。良き人生品質を保って生きるべし。

 

「年と共に人間の佳境に入るのが本当である。」安岡正篤師

 人は人生の山谷を歳に応じて上り下りして一人前になってくる。若くして高台に上るから、人生の登山道を誤る。

 

人生の三大不幸の一つは、「若くして高台に上る」である。年功序列の意味は重い。

 当時の私の若い部下は、エリート校を出たためエライさんにちやほやされていた。私が係長であった時、10歳も若い彼は依怙贔屓でパリ見本市の海外視察団に選別されて、得意げになっていた。従来の慣習では、その年に私がパリでの見本市視察団に選ばれることになっていた。しかし私は除外され、10歳も若い部下がその視察団に選ばれた。私は有名大学出ではなかったので、私より上司のひいきの大学を出た部下が可愛いようで、人事の辻褄を合わせるため、その選別後、私は他部に異動になった。私の心の痛みを上司は関知しない。エリートと呼ばれる輩は利己主義者で、そんな心の機微はない。

 ところが仏さまの絶妙な計らいで、私が会社の創立〇〇年記念論文募集で最優秀を獲得し、その副賞でその海外視察団と一緒に出張できることになった。それは上司には想定外であったようだ。

 その後の、依怙贔屓された若造の20年後の末路は窓際族であった。依怙贔屓してくれる役員がいなくなると、彼は冷遇された。彼は、頭は良かったが、人間性に欠ける冷たい人だった。彼は精神を病み、エリートコースから外された。

 そんな「若くして高台に上る」人事を優先した会社は、決断力のない経営者が選ばれていた。そんな経営者では、大事な経営決断ができず、時代の変化に対応できないため、衰退していった。そして市場からその名前が消えた。

 私も当時は悲哀を味わい目いっぱい落ち込んだ。今は、人生の辛酸を数多く舐めて、「若くして高台に上る」の意味を噛みしめている。安岡正篤師の言葉に感服している。

 

「来たもの順で処理」 出口治明氏(立命館アジア太平洋大学学長)

 仕事の優先順位を付けるより、来たものをその場で処理するのが一番の方策である。要は、「先着順」である。それを変に構えるから、宇宙根源の理に反して、軋轢が起こり、事故が発生する。

 

 の運行は一瞬も休まず、止まることがない。月日の運行も春夏秋冬の巡りも、人の生老病死も、ただひたすら粛々と運行する。だからこそ休みことなく精進せねばならぬ。目の前に死が迫っている。日暮れて途遠し。やり残したことを完成させよう。

 大病を経験し、老いて死が見えてきて、初めてわかる心境である。人生は走馬灯のような映像の連続である。順番にその場面、場面が変わり、その舞台で主人公として、また脇役として最大限の力で演じ、次の場面に移っていく。それを拒否し、勝手に退場することは許されない。送り込まれた場面で、最大限の演技をして、次の舞台に移る。それが人生の春夏秋冬である。最後の舞台で幕が下りるまで、生涯現役として演技をしたい。

 

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  馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊 より

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2022-02-25 久志能幾研究所通信 2315号  小田泰仙

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2022年2月19日 (土)

智慧を使って青春を謳歌

 

 人生の品質向上のために必要なのは、智慧である。智慧を出さないから、ドジな人生を送るのだ。知恵でスマートな人生を謳歌するべきだ。人生では、最低一人を幸せにする義務がある。その一人とは自分である。

 

 そのためには、物事の切り替えを早くすることだ。それが人生の智慧である。いつまでも過去に囚われ、愚痴っていても人生は拓かない。それは智慧がない。愚痴とは、愚かにも「知」が病気になった状態である。

 

 そのために無理な考えを持たない事。心豊かな人は無理をしない。無理とは宇宙根源の「理」に反すること。成功者は無理をしなくても幸せになれる。人として、やるべきことをきちんとこなしていれば、愚痴になることは起こらない。当たり前を当たり前にこなす。それが人生の智慧である。やるべきことをショートカットするから問題が起こる。

 

 ジックリと余裕をもってモノを見ていく心が、「情」けである。心が若ければ、人は青年のように青いのだ。「情」とは、心と青で構成される。青年のような熱い情熱が無くなるから、心の熱さも消える。情熱を失わなければ、何時までも青年で、青春である。心の持ち方が青年か老年かをきめる。

 

 人生は、赤(赤ん坊)→青(青年)→紅(壮年)→白(老年)→黒(死)と色で表現される。

 

煩悩と経典

 心の老化を促進させるのが、108個の煩悩である。多くの煩悩を断ち切るためには宝刀が必要だ。宝刀で煩悩を断ち切れば、人間の心が豊かになる。今、悩んでいる悩みなどは、実体のない妄想である。色即是空である。その煩悩を断ち切る宝刀を右手に持ち、その知恵の集約した巻物を左手に持って、文殊菩薩は我々を見守っている。

巻物には経典やお経が書かれている。今風に言えば、万巻の内容を集約した電子辞書である。しかし、この巻物には今風の電子辞書には書かれていない人生哲学が書かれている。

経典とは、

 

 釈迦が人生の中で実践し考え抜いた末の認識を弟子たちが書物にまとめたのがお経、仏典です。その中でも法華経には実に多くの学ぶべき知恵が詰まっていると感じ、私自身の行動や思考の指針としています。

 哲学とは存在と時間を考える学問です。そうした本来の意味の哲学を説いた宗教があるかというと、仏教以外にはないだろうと思います。

 たとえばキリスト教は、つまりはイエス・キリストの一代記です。人間の愛について、虐げられたユダヤの民への共感をベースに説いている教えですが、そこに哲学はありません。あとからギリシャ哲学を援用してきて、神学というものが出来上がったにすぎません。

 これに対して仏教は、たとえば時間の推移が存在の形を変えていくという認識を世界で初めて説きました。それを端的に表した言葉が「色即是空 空即是色」です。

 石原慎太郎著『老いてこそ生き甲斐』幻冬舎文庫

 

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Img_57321s 馬場恵峰書

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2022-02-19 久志能幾研究所通信 2309号  小田泰仙

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2022年2月14日 (月)

「うまい、安い、早い」決断力を付ける

 

 人生有限会社の社長である己の決済箱に、稟議書が置かれている。稟議書の決済を早くしよう。早く回さないと、そこで人生の時計が止り、人生が回らない。

 決断をする以上、良い決断をしたい。決断をするにもコストがかかっている。決断しないと、無為な時間が流れ、余分なコストが発生する。早く決断をすれば、低コストで人生の新しい扉を開くことができる。

 

 決断力という力は、思考力とは別次元である。決断をするとは、自分の目で見極める事。自分の考えで選ぶこと。そういう目を日頃から養っておかないと、決断ができない。

 決断の良否も、決断の総量で決まる。だからよい決断をするには、決断をする機会を沢山作る事。小さな決断を沢山すれば、大きな決断は簡単に出来る。小さな決断で、多くの失敗をすれば、大きな決断力を得られる。

 

 いくら考えても、決断して前に進まないと、何事も進展しない。エリートと呼ばれる指導者たちが新しい決断ができないのは、教科書に書いてあることしかやらないからだ。減点主義の政治の政界では、失敗すると経歴に傷がつく。それをエリートたちはを恐れるから、新しいことを決断できない。変革に時代では、そんな指導者をトップに頂くと、その組織は没落する。大垣市のように。

 自分の人生がそんな減点主義社会の人生であってはならない。

 

決断力を付けるには、日頃の決断の練習

 正直になる

  自分の潜在意識の声を聞こう。

  それに沿わないと、後で必ず後悔する。

 素直になる。

  素直に現実を見る。真っ白な心で、現実をみる。

  汚れた心で見れば、ものが変に染まって見える。  

 勇気を持つ

  動機善なりや、と自問する。

  その決断に対して、何を迷っているものを見極める。

  間違ってもどうせ大した損害は出ない。

  損害が出ても、それは学びだと思えばよい。

  失敗したら、損切だと思ってやり直せばよい。

 自分を客観的に眺める

  決断とは、自分を客観的に眺める練習の機会。

  損得を捨てる。

 利己よりも利他を優先した判断をする。

  どうせ大した差ではない。

  そんな差は、考えるだけで時間損害が増える。早く決断がお得。

 決断は2時間以内

  それ以上時間をかけても意味がない。堂々巡りするだけ。

  迷った時は、何方を選んでも、大差がない。

  決断をしないのが最大の過ちである。

  即断をしても、そんなに大きな間違いはない。

  その背景には、今までの経験が裏付けにある。

  大事な決断程、簡単に短時間で決めよう。

  潜在意識のもう一人が正しい決断を教えてくれる。

  もう一人の自分を信用しよう。

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 決断には知恵を多く出し、それから賢く選択して、慈悲ある決断をしよう。

語源:「決」とは水編に「夬」(分ける)と書く。堤防を切り裂く水の勢いが決断である。水は大きな堤防をも破壊する。

 

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 馬場恵峰書

2022-02-04  久志能幾研究所通信 2304号  小田泰仙

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2022年2月12日 (土)

本の選択方法 「書評のメンター」

 

 私の本の選択は、雑誌、新聞等の書評欄を重宝している。気になる本の紹介とか、広告を見たら、新聞や雑誌から切り取り、クリアファイルに入れて保管している。もう40年間ほど続けている習慣である。

 書評にはその本の概要が記されていて、頭に入りやすい。効率的な読書の手助けにもなる。

 時折、そのファイルも見直して、その中から書籍を購入している。特に日本経済新聞社の「リーダー 本箱」は各界の指導者たちが読書歴を語り、愛読書を紹介している。指導者たちは、どんな本を読んで成長したかが分かり、大変参考になる。

 少しの事にも先達はあらまほしきことなり(徒然草 仁和寺の法師 第52段)

 これは自分の本箱と対比できて、大変参考になっている。共通した愛読書があると嬉しいものだ。

 

ご縁は一期一会

 だだし昔の本を注文すると、往々に絶版になっていることが多い。気になった本はすぐ買っておくべきだと痛感している。本との出会いも、ご縁である。その時に気になったのは、魂の琴線にその題名が触れたのだから。 

 

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本の価値

 本に書いてあることを、師から直接学ぼうとすると膨大なお金がかかる。その本の内容を自分で体験しようと思えば、数年と膨大な金がかかる。それが千円チョットで手に入るのだ。そのガイドが書評である。

 

メンターとしての本

 本は、若い時に読んだ印象と、年長者になった時に読んだ印象と違う。それは自分が成長して、行間に書いてあることが理解できるようになったのが原因である。本は己の成長に合わせて付き合ってくれる。生涯の友である。

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 歴史

 ファイルをめくって40年分の書評を振り返ると、時代の変遷での当時流行した本の位置けが見えてくる。その中で、名著と言われる本は、時代が変わっても相変わらず、推薦されていることを発見する。

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私の人物観察

 私が人の家を訪問する時は、必ずその家の本箱を観察する。本箱を見れば、その人の考え方、歴史が見える。それで付き合うに値する人か、教えを乞うに値する人かの判断ができる。本箱がないということは、本とは無縁の人だから、私とは縁がない人だと判断できる。

 

2022-02-12  久志能幾研究所通信 2302号  小田泰仙

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2022年2月 9日 (水)

般若心経を讃訳  英文・和文で読経して理解

 

 般若心経の原文(スンクリット語)を漢文に翻訳したのが、現在の般若心経である。それよりも、サンスクリット語から英文に翻訳し、それを日本語に翻訳した方が、原文に近い意味が伝わる。それで読経すると、般若心経が体に染み込んでくるようだ。

 最近、私は写経として、般若心経を音読し、英文で音読し、和文を音読し、それから写経をしている。今までちんぷんかんぷんであった般若心経がおぼろげながら分かってきた。写経するのは、一日2行である。馬場恵峰先生が、写経は一日2行で良い。それを続けることが大事だと言われた。毎日1枚の般若心経を写経すれば、1時間はかかる。それでは続かない。

 

結論

 般若心経の結論、平家物語の結論、敦盛、アラブの真言は全て同じである。

 

般若心経の結論 「物質や精神は皆、実態がなく、空の状態である」

 

平家物語 敦盛の最期

「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。」

 

織田信長の「敦盛の舞」

 「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生をうけ 滅せぬもののあるべきか~」

 

千夜一夜物語の言葉

 ある博士が、王様から万巻の書を調べて、人生とは何かを明らかにせよと命じられた。博士が30年かけて出した結論は、「人は生れ、老い、死んでいく」である。その言葉は、王様の死の床に届けられた。今でも50年前に読んだ「千夜一夜物語」で、強烈に記憶に残っている言葉である。

 

自分の解釈

 人生は夢のような儚いもの。だからこそ一生懸命に夢を現実のものにしよう、である。

 

4k8a93811s 馬場恵峰書

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般若心経の要約

 下記の3言語の「般若心経」の訳は、次の書を総括して作成した。まだ一部ぎこちない訳の箇所があり、日々更新している。

 

竹村日出夫著『般若心経は英語で読むとよくわかる』みやび出版、

山田無文老大師「しあわせへの道 羯諦写経」の和文、

菅原研州師の訳文 (https://sousei.gr.jp/8619/)、

馬場恵峰師書「般若心経和文書」

 

 

摩訶般若波羅蜜多心経

偉大なる智慧の完成についての心髄の経

 

 

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 

When Avalokitesvara, the Bodhisattva of Compassion, was practiding the deep Prajanaparamita.

ずっと昔、観音様が深い叡智を完成するという「深般若波羅蜜多」を修行していた時、「物質や精神は皆、実態がなく、空の状態だ」ということを悟り、すべての苦しみから抜け出されました。

 

 

舍利子

Yo, Sariputra, Listen up!

舎利子よ、

 

 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

Form is nothing more than emptiness.

Emptiness is nothing more than form.

Form is exactly emptiness.

And emptiness is exactly form.

この世における物質は、実態のないもの(空)であり、空ということは、物質(色)以外にはあり得ない。すなわち物質は実態のないものであり、実体のないものが物質なのです。

 

 

受想行識亦復如是

The same is true of feeling, thought, will, and consciousness.

そして感受作用・表象作用・形成作用・識別作用といった精神もまた同じことである。

 

 

舍利子

Yo, Sariputra, Listen up!

舎利子よ、

 

 

是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

All things are empty.

Nothing is born, nothing dies.

Nothing is pure, nothing is inpure.

Nothing grows and nothing shrinks.

あらゆる存在は空を特質としているから、生じることも滅することもなく、汚れることも清まることもなく、増えることも減ることもない。

 

 

是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

So, in emptiness, there is no form. No feeling.  No thought.

No will. No consciousness. No eyes, ears, nose, tongue, body, or mind.

No sights, sounds, smells, tastes, object of touch, or dharma.

是の故に、空の中には色も無なく、受も想も行も識も無く、眼、耳、鼻、舌、身、意もなく、色、声、香、味、触、法も無い。

 

 

無眼界 乃至無意識界 

No realm of the eyes. Untill we come to no realm of consciousness.

眼界もなく、乃至、意識界も無い。

 

 

無無明 亦無無明尽

There is no ignorance. No extinction of ignorance.

無明も無く、亦無明の尽くることも無い。

 

 

乃至無老死 亦無老死尽 

There is no aging and death. There is no suffering, no cause of suffering.

また老も死も無く、また老死の尽くることも無い。

 

 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

No end to suffering, no path to the end of suffering,

There no wisdom, and attainment.

There is nothing to be attained.

苦も集も滅も道も無く、智も無く、亦得も無し、得る所無きを以ての故に。

これらの感覚器官の対象である形・音・香り・味・触れられるもの・心の対象の法も存在しない。

 

 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙

The Bodhisattvas rely on the Perfection of Wisdom.

And so with no delusions.

They feel no fear.

He leaves distorted dream-thinking far behind.

Ultimately Nirvarnal!

All the Buddhas, Past, present, future, attain anuttara-samyak-sambodhi, relying on prajnaparamita.

範疇としての眼から、意識にいたるまでの十八界もない。智慧が無い状態もなければ、智慧が無い状態も尽きることもない。

罣礙無きが故に恐怖有ること無く、一切の顛倒せる夢想を遠離して涅槃を究竟す。

 

 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 

Therefore know that the Perfection of Wisdom is;

A great Pritual mantra.

A great bright mantra.

A great supreme mantra.

An unequalled mantra.

It can remove all suffering.

三世の諸仏も般若波羅蜜多に依が故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。

 

 

故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 

得るところのものが何もないからこそ、菩薩は智慧の完成に依るのであり、心には妨げるものがなく、心に妨げるものがないからこそ、恐怖があることもない。

誤った考えや夢想を超越して、涅槃を究めるのである。また、過去・現在・未来の諸仏も、智慧の完成に依るからこそ、無上なる完全なさとりを得るのである。

 

 

究竟涅槃 

It is genuine, no false.

だからこそ知るべきである。

 

 

故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

This is why the Mantra of Prajanaparamita was spoken.

Say it like this:

般若波羅蜜多とは、大いなる真言であり、大いなる悟りの智慧の真言であり、この上ない真言であり、比べるものがないほど素晴らしい真言である。よく一切の苦悩を除き、それは実在であり、虚ろなものではない。

だからこそ、般若波羅蜜多を讃える真言を、ここで説こう。

 

 

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

般若心経

Gone! Gone! Gone beyond! Gone completely beyond!

Awake! So it be it!

(Gate! Gate! Parasamagate! Bodhi! Svahal!)

End of The Heart Parajnaparamita Sutral!

往ける者よ、往ける者よ、彼岸に共に往ける者よ、悟りよ、幸いあれ。

ここに完全なる偉大なる智慧の心が完成する。

心髄の経

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 馬場恵峰書

2022-02-09  久志能幾研究所通信 2299号  小田泰仙

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