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2022年2月25日 (金)

人生訓「先入れ先出し」で若くして高台に上らず

 

 「先入れ先出し」(トヨタ語録)は、生産の原則でもあるし、人生の大原則でもある。それを逆らうと、人生の逆境に見舞われる。それは先に入庫した材料から順番に使うと言うだけの法則である。そうすれば賞味期限切れなどは起こらない。品質管理も容易である。それが人生の品質管理ともなる。良き人生品質を保って生きるべし。

 

「年と共に人間の佳境に入るのが本当である。」安岡正篤師

 人は人生の山谷を歳に応じて上り下りして一人前になってくる。若くして高台に上るから、人生の登山道を誤る。

 

人生の三大不幸の一つは、「若くして高台に上る」である。年功序列の意味は重い。

 当時の私の若い部下は、エリート校を出たためエライさんにちやほやされていた。私が係長であった時、10歳も若い彼は依怙贔屓でパリ見本市の海外視察団に選別されて、得意げになっていた。従来の慣習では、その年に私がパリでの見本市視察団に選ばれることになっていた。しかし私は除外され、10歳も若い部下がその視察団に選ばれた。私は有名大学出ではなかったので、私より上司のひいきの大学を出た部下が可愛いようで、人事の辻褄を合わせるため、その選別後、私は他部に異動になった。私の心の痛みを上司は関知しない。エリートと呼ばれる輩は利己主義者で、そんな心の機微はない。

 ところが仏さまの絶妙な計らいで、私が会社の創立〇〇年記念論文募集で最優秀を獲得し、その副賞でその海外視察団と一緒に出張できることになった。それは上司には想定外であったようだ。

 その後の、依怙贔屓された若造の20年後の末路は窓際族であった。依怙贔屓してくれる役員がいなくなると、彼は冷遇された。彼は、頭は良かったが、人間性に欠ける冷たい人だった。彼は精神を病み、エリートコースから外された。

 そんな「若くして高台に上る」人事を優先した会社は、決断力のない経営者が選ばれていた。そんな経営者では、大事な経営決断ができず、時代の変化に対応できないため、衰退していった。そして市場からその名前が消えた。

 私も当時は悲哀を味わい目いっぱい落ち込んだ。今は、人生の辛酸を数多く舐めて、「若くして高台に上る」の意味を噛みしめている。安岡正篤師の言葉に感服している。

 

「来たもの順で処理」 出口治明氏(立命館アジア太平洋大学学長)

 仕事の優先順位を付けるより、来たものをその場で処理するのが一番の方策である。要は、「先着順」である。それを変に構えるから、宇宙根源の理に反して、軋轢が起こり、事故が発生する。

 

 の運行は一瞬も休まず、止まることがない。月日の運行も春夏秋冬の巡りも、人の生老病死も、ただひたすら粛々と運行する。だからこそ休みことなく精進せねばならぬ。目の前に死が迫っている。日暮れて途遠し。やり残したことを完成させよう。

 大病を経験し、老いて死が見えてきて、初めてわかる心境である。人生は走馬灯のような映像の連続である。順番にその場面、場面が変わり、その舞台で主人公として、また脇役として最大限の力で演じ、次の場面に移っていく。それを拒否し、勝手に退場することは許されない。送り込まれた場面で、最大限の演技をして、次の舞台に移る。それが人生の春夏秋冬である。最後の舞台で幕が下りるまで、生涯現役として演技をしたい。

 

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  馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊 より

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2022-02-25 久志能幾研究所通信 2315号  小田泰仙

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2022年2月19日 (土)

智慧を使って青春を謳歌

 

 人生の品質向上のために必要なのは、智慧である。智慧を出さないから、ドジな人生を送るのだ。知恵でスマートな人生を謳歌するべきだ。人生では、最低一人を幸せにする義務がある。その一人とは自分である。

 

 そのためには、物事の切り替えを早くすることだ。それが人生の智慧である。いつまでも過去に囚われ、愚痴っていても人生は拓かない。それは智慧がない。愚痴とは、愚かにも「知」が病気になった状態である。

 

 そのために無理な考えを持たない事。心豊かな人は無理をしない。無理とは宇宙根源の「理」に反すること。成功者は無理をしなくても幸せになれる。人として、やるべきことをきちんとこなしていれば、愚痴になることは起こらない。当たり前を当たり前にこなす。それが人生の智慧である。やるべきことをショートカットするから問題が起こる。

 

 ジックリと余裕をもってモノを見ていく心が、「情」けである。心が若ければ、人は青年のように青いのだ。「情」とは、心と青で構成される。青年のような熱い情熱が無くなるから、心の熱さも消える。情熱を失わなければ、何時までも青年で、青春である。心の持ち方が青年か老年かをきめる。

 

 人生は、赤(赤ん坊)→青(青年)→紅(壮年)→白(老年)→黒(死)と色で表現される。

 

煩悩と経典

 心の老化を促進させるのが、108個の煩悩である。多くの煩悩を断ち切るためには宝刀が必要だ。宝刀で煩悩を断ち切れば、人間の心が豊かになる。今、悩んでいる悩みなどは、実体のない妄想である。色即是空である。その煩悩を断ち切る宝刀を右手に持ち、その知恵の集約した巻物を左手に持って、文殊菩薩は我々を見守っている。

巻物には経典やお経が書かれている。今風に言えば、万巻の内容を集約した電子辞書である。しかし、この巻物には今風の電子辞書には書かれていない人生哲学が書かれている。

経典とは、

 

 釈迦が人生の中で実践し考え抜いた末の認識を弟子たちが書物にまとめたのがお経、仏典です。その中でも法華経には実に多くの学ぶべき知恵が詰まっていると感じ、私自身の行動や思考の指針としています。

 哲学とは存在と時間を考える学問です。そうした本来の意味の哲学を説いた宗教があるかというと、仏教以外にはないだろうと思います。

 たとえばキリスト教は、つまりはイエス・キリストの一代記です。人間の愛について、虐げられたユダヤの民への共感をベースに説いている教えですが、そこに哲学はありません。あとからギリシャ哲学を援用してきて、神学というものが出来上がったにすぎません。

 これに対して仏教は、たとえば時間の推移が存在の形を変えていくという認識を世界で初めて説きました。それを端的に表した言葉が「色即是空 空即是色」です。

 石原慎太郎著『老いてこそ生き甲斐』幻冬舎文庫

 

Dsc065732s 松本明慶大仏師作 文殊菩薩

Img_57321s 馬場恵峰書

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2022-02-19 久志能幾研究所通信 2309号  小田泰仙

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2022年2月14日 (月)

「うまい、安い、早い」決断力を付ける

 

 人生有限会社の社長である己の決済箱に、稟議書が置かれている。稟議書の決済を早くしよう。早く回さないと、そこで人生の時計が止り、人生が回らない。

 決断をする以上、良い決断をしたい。決断をするにもコストがかかっている。決断しないと、無為な時間が流れ、余分なコストが発生する。早く決断をすれば、低コストで人生の新しい扉を開くことができる。

 

 決断力という力は、思考力とは別次元である。決断をするとは、自分の目で見極める事。自分の考えで選ぶこと。そういう目を日頃から養っておかないと、決断ができない。

 決断の良否も、決断の総量で決まる。だからよい決断をするには、決断をする機会を沢山作る事。小さな決断を沢山すれば、大きな決断は簡単に出来る。小さな決断で、多くの失敗をすれば、大きな決断力を得られる。

 

 いくら考えても、決断して前に進まないと、何事も進展しない。エリートと呼ばれる指導者たちが新しい決断ができないのは、教科書に書いてあることしかやらないからだ。減点主義の政治の政界では、失敗すると経歴に傷がつく。それをエリートたちはを恐れるから、新しいことを決断できない。変革に時代では、そんな指導者をトップに頂くと、その組織は没落する。大垣市のように。

 自分の人生がそんな減点主義社会の人生であってはならない。

 

決断力を付けるには、日頃の決断の練習

 正直になる

  自分の潜在意識の声を聞こう。

  それに沿わないと、後で必ず後悔する。

 素直になる。

  素直に現実を見る。真っ白な心で、現実をみる。

  汚れた心で見れば、ものが変に染まって見える。  

 勇気を持つ

  動機善なりや、と自問する。

  その決断に対して、何を迷っているものを見極める。

  間違ってもどうせ大した損害は出ない。

  損害が出ても、それは学びだと思えばよい。

  失敗したら、損切だと思ってやり直せばよい。

 自分を客観的に眺める

  決断とは、自分を客観的に眺める練習の機会。

  損得を捨てる。

 利己よりも利他を優先した判断をする。

  どうせ大した差ではない。

  そんな差は、考えるだけで時間損害が増える。早く決断がお得。

 決断は2時間以内

  それ以上時間をかけても意味がない。堂々巡りするだけ。

  迷った時は、何方を選んでも、大差がない。

  決断をしないのが最大の過ちである。

  即断をしても、そんなに大きな間違いはない。

  その背景には、今までの経験が裏付けにある。

  大事な決断程、簡単に短時間で決めよう。

  潜在意識のもう一人が正しい決断を教えてくれる。

  もう一人の自分を信用しよう。

 .

 決断には知恵を多く出し、それから賢く選択して、慈悲ある決断をしよう。

語源:「決」とは水編に「夬」(分ける)と書く。堤防を切り裂く水の勢いが決断である。水は大きな堤防をも破壊する。

 

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 馬場恵峰書

2022-02-04  久志能幾研究所通信 2304号  小田泰仙

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2022年2月12日 (土)

本の選択方法 「書評のメンター」

 

 私の本の選択は、雑誌、新聞等の書評欄を重宝している。気になる本の紹介とか、広告を見たら、新聞や雑誌から切り取り、クリアファイルに入れて保管している。もう40年間ほど続けている習慣である。

 書評にはその本の概要が記されていて、頭に入りやすい。効率的な読書の手助けにもなる。

 時折、そのファイルも見直して、その中から書籍を購入している。特に日本経済新聞社の「リーダー 本箱」は各界の指導者たちが読書歴を語り、愛読書を紹介している。指導者たちは、どんな本を読んで成長したかが分かり、大変参考になる。

 少しの事にも先達はあらまほしきことなり(徒然草 仁和寺の法師 第52段)

 これは自分の本箱と対比できて、大変参考になっている。共通した愛読書があると嬉しいものだ。

 

ご縁は一期一会

 だだし昔の本を注文すると、往々に絶版になっていることが多い。気になった本はすぐ買っておくべきだと痛感している。本との出会いも、ご縁である。その時に気になったのは、魂の琴線にその題名が触れたのだから。 

 

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本の価値

 本に書いてあることを、師から直接学ぼうとすると膨大なお金がかかる。その本の内容を自分で体験しようと思えば、数年と膨大な金がかかる。それが千円チョットで手に入るのだ。そのガイドが書評である。

 

メンターとしての本

 本は、若い時に読んだ印象と、年長者になった時に読んだ印象と違う。それは自分が成長して、行間に書いてあることが理解できるようになったのが原因である。本は己の成長に合わせて付き合ってくれる。生涯の友である。

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 歴史

 ファイルをめくって40年分の書評を振り返ると、時代の変遷での当時流行した本の位置けが見えてくる。その中で、名著と言われる本は、時代が変わっても相変わらず、推薦されていることを発見する。

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私の人物観察

 私が人の家を訪問する時は、必ずその家の本箱を観察する。本箱を見れば、その人の考え方、歴史が見える。それで付き合うに値する人か、教えを乞うに値する人かの判断ができる。本箱がないということは、本とは無縁の人だから、私とは縁がない人だと判断できる。

 

2022-02-12  久志能幾研究所通信 2302号  小田泰仙

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2022年2月 9日 (水)

般若心経を讃訳  英文・和文で読経して理解

 

 般若心経の原文(スンクリット語)を漢文に翻訳したのが、現在の般若心経である。それよりも、サンスクリット語から英文に翻訳し、それを日本語に翻訳した方が、原文に近い意味が伝わる。それで読経すると、般若心経が体に染み込んでくるようだ。

 最近、私は写経として、般若心経を音読し、英文で音読し、和文を音読し、それから写経をしている。今までちんぷんかんぷんであった般若心経がおぼろげながら分かってきた。写経するのは、一日2行である。馬場恵峰先生が、写経は一日2行で良い。それを続けることが大事だと言われた。毎日1枚の般若心経を写経すれば、1時間はかかる。それでは続かない。

 

結論

 般若心経の結論、平家物語の結論、敦盛、アラブの真言は全て同じである。

 

般若心経の結論 「物質や精神は皆、実態がなく、空の状態である」

 

平家物語 敦盛の最期

「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。」

 

織田信長の「敦盛の舞」

 「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生をうけ 滅せぬもののあるべきか~」

 

千夜一夜物語の言葉

 ある博士が、王様から万巻の書を調べて、人生とは何かを明らかにせよと命じられた。博士が30年かけて出した結論は、「人は生れ、老い、死んでいく」である。その言葉は、王様の死の床に届けられた。今でも50年前に読んだ「千夜一夜物語」で、強烈に記憶に残っている言葉である。

 

自分の解釈

 人生は夢のような儚いもの。だからこそ一生懸命に夢を現実のものにしよう、である。

 

4k8a93811s 馬場恵峰書

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般若心経の要約

 下記の3言語の「般若心経」の訳は、次の書を総括して作成した。まだ一部ぎこちない訳の箇所があり、日々更新している。

 

竹村日出夫著『般若心経は英語で読むとよくわかる』みやび出版、

山田無文老大師「しあわせへの道 羯諦写経」の和文、

菅原研州師の訳文 (https://sousei.gr.jp/8619/)、

馬場恵峰師書「般若心経和文書」

 

 

摩訶般若波羅蜜多心経

偉大なる智慧の完成についての心髄の経

 

 

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 

When Avalokitesvara, the Bodhisattva of Compassion, was practiding the deep Prajanaparamita.

ずっと昔、観音様が深い叡智を完成するという「深般若波羅蜜多」を修行していた時、「物質や精神は皆、実態がなく、空の状態だ」ということを悟り、すべての苦しみから抜け出されました。

 

 

舍利子

Yo, Sariputra, Listen up!

舎利子よ、

 

 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

Form is nothing more than emptiness.

Emptiness is nothing more than form.

Form is exactly emptiness.

And emptiness is exactly form.

この世における物質は、実態のないもの(空)であり、空ということは、物質(色)以外にはあり得ない。すなわち物質は実態のないものであり、実体のないものが物質なのです。

 

 

受想行識亦復如是

The same is true of feeling, thought, will, and consciousness.

そして感受作用・表象作用・形成作用・識別作用といった精神もまた同じことである。

 

 

舍利子

Yo, Sariputra, Listen up!

舎利子よ、

 

 

是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

All things are empty.

Nothing is born, nothing dies.

Nothing is pure, nothing is inpure.

Nothing grows and nothing shrinks.

あらゆる存在は空を特質としているから、生じることも滅することもなく、汚れることも清まることもなく、増えることも減ることもない。

 

 

是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

So, in emptiness, there is no form. No feeling.  No thought.

No will. No consciousness. No eyes, ears, nose, tongue, body, or mind.

No sights, sounds, smells, tastes, object of touch, or dharma.

是の故に、空の中には色も無なく、受も想も行も識も無く、眼、耳、鼻、舌、身、意もなく、色、声、香、味、触、法も無い。

 

 

無眼界 乃至無意識界 

No realm of the eyes. Untill we come to no realm of consciousness.

眼界もなく、乃至、意識界も無い。

 

 

無無明 亦無無明尽

There is no ignorance. No extinction of ignorance.

無明も無く、亦無明の尽くることも無い。

 

 

乃至無老死 亦無老死尽 

There is no aging and death. There is no suffering, no cause of suffering.

また老も死も無く、また老死の尽くることも無い。

 

 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

No end to suffering, no path to the end of suffering,

There no wisdom, and attainment.

There is nothing to be attained.

苦も集も滅も道も無く、智も無く、亦得も無し、得る所無きを以ての故に。

これらの感覚器官の対象である形・音・香り・味・触れられるもの・心の対象の法も存在しない。

 

 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙

The Bodhisattvas rely on the Perfection of Wisdom.

And so with no delusions.

They feel no fear.

He leaves distorted dream-thinking far behind.

Ultimately Nirvarnal!

All the Buddhas, Past, present, future, attain anuttara-samyak-sambodhi, relying on prajnaparamita.

範疇としての眼から、意識にいたるまでの十八界もない。智慧が無い状態もなければ、智慧が無い状態も尽きることもない。

罣礙無きが故に恐怖有ること無く、一切の顛倒せる夢想を遠離して涅槃を究竟す。

 

 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 

Therefore know that the Perfection of Wisdom is;

A great Pritual mantra.

A great bright mantra.

A great supreme mantra.

An unequalled mantra.

It can remove all suffering.

三世の諸仏も般若波羅蜜多に依が故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。

 

 

故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 

得るところのものが何もないからこそ、菩薩は智慧の完成に依るのであり、心には妨げるものがなく、心に妨げるものがないからこそ、恐怖があることもない。

誤った考えや夢想を超越して、涅槃を究めるのである。また、過去・現在・未来の諸仏も、智慧の完成に依るからこそ、無上なる完全なさとりを得るのである。

 

 

究竟涅槃 

It is genuine, no false.

だからこそ知るべきである。

 

 

故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

This is why the Mantra of Prajanaparamita was spoken.

Say it like this:

般若波羅蜜多とは、大いなる真言であり、大いなる悟りの智慧の真言であり、この上ない真言であり、比べるものがないほど素晴らしい真言である。よく一切の苦悩を除き、それは実在であり、虚ろなものではない。

だからこそ、般若波羅蜜多を讃える真言を、ここで説こう。

 

 

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

般若心経

Gone! Gone! Gone beyond! Gone completely beyond!

Awake! So it be it!

(Gate! Gate! Parasamagate! Bodhi! Svahal!)

End of The Heart Parajnaparamita Sutral!

往ける者よ、往ける者よ、彼岸に共に往ける者よ、悟りよ、幸いあれ。

ここに完全なる偉大なる智慧の心が完成する。

心髄の経

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 馬場恵峰書

2022-02-09  久志能幾研究所通信 2299号  小田泰仙

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2022年2月 3日 (木)

運命を良くする方程式

人生の極楽方程式

 U=α×ε×C×S

   U: 人生の運の良さ

   α= フットワーク力×諦めない心力

   ε: ヒットする確率(人は誰でも同じ値)

   C: 決断回数、出会いの回数

   S: 行動の速度

    (この式は、私の人生経験から出した式)     

 

 この方程式によれば、個人の運を良くするには、

  決断力を試す回数を増やす

  多くの人と出会う

  多くの本を読む(学ぶ)

  多く発信する。それに批判されれば、多くの学びがある。

  多くの失敗をする

  多くの場所に出かける

  急がなくてもよい、確実に早くやる

 

事実

 運のいい人も、悪い人もいない。

 人生の運の総量は誰でも同じ

 運がいいと思っている人と、運が悪いと思っている人がいるだけ。

 どちらも事象に出会う確率は同じ。

 多く動けば、多くの事象に出会える。

 その出会いをどう解釈するかの問題。

 失敗を学びの機会と考える人が成功する。

 

人間の能力の差

 頭の良し悪しは、運の良し悪しとは関係ない。

 むしろ愚直で誠実な人が成功する。

 有名大学出だから運が良いわけではない。

  有名大学を出て、悪政や会社を破綻させた政治家や経営者が多い。

  陸軍大学の秀才が日本を戦争に駆り立てた。そして敗戦。

 小学校しか出ていなくても、運が悪いわけではない。

  当時の納税日本一は、小学校しか出ていない松下幸之助翁。

 江戸末期の偉人は、その幕末の混迷期、多くの人と出会っていた。田舎にくすぶっていた人で偉人はいない。福沢諭吉も渋沢栄一も海外に出て、見識を広めて明治時代府を支えた。

 大垣の文人・江馬細香の恋人であった頼山陽は、大垣に来て江馬細香と恋に落ちた。彼は日本各地を歩き、多くに志士に影響を与えた。それで江戸幕府が倒れ、今の新しい日本が生まれた。

 

他流試合

 地方の剣術の名家の当主は、江戸の小さな道場主に負ける。それは江戸の道場主は多くの道場破りの野武士たちが訪れ、多くの他流経験をしているからだ。経験の量の差である。

 

国家の運勢、企業の運勢

 人生の運勢も国家の運勢も同じである。日本が高度経済成長期で絶頂期であった1970年代は、GNP比で世界1高い科学技術費や研究開発費を投じていた。技術開発は水物で成否の確率は半々である。金をかければ、その分、多くの失敗もするのだ。当時はそれを許容する企業文化であった。

 私も当時は研究開発部に席を置き、豊富な研究開発費で多くの失敗と経験を積ませてもらった。

 当時の企業は多くの研究開発費を投じていたから、その結果として、世界一の製造業の地位を確立した。

 それがバブルがはじけ、研究開発費をケチり、さらにグローバル経済主義の導入で、失敗が許されなくなり、短期に成果を上げねばならなくなり、長期の研究開発には金を投じなくなった。その結果が長い経済の停滞である。悪循環で、対GNP比で研究開発費が先進国中で最低となった。

 同時に、政府が公的に支援する教育費が先進国中で最低となった。だから失われた30年が生まれた。誰のせいでもない。そういう政治家に投票した我々国民の責任である。

 

大垣の運勢

 大垣も東大出の市長が20年間、市政を独裁的に運営したのが原因で没落した。記憶力だけが頼りで偉くなると、教科書に書かれたこと以外はしないという行政になる。減点主義の政治では、新しいことは絶対にしない。失敗すれば、左遷だからだ。部下は上司を見て、ヒラメ状態になる。事なかれ主義の横行となる。

 その結果、大垣は没落した。都市の価値は、公示地価を見れば一目瞭然である。大垣はこの20年間で公示地価が半値以下に暴落した。要は大垣の運勢が悪くなったのだ。

 

大垣が悪運になった原因

 誰のせいでもない。その市長に投票した我々市民の責任である。東大出だから優秀だろうとの洗脳が、日本や大垣を没落させた。50年前の記憶力テストの成績だけの結果で、大垣の未来を任せた市民の責任である。

 

 私は大垣市の没落する姿に危機感を覚え、私のブログでその原因と真因を暴き、6選出馬を阻止する行動を起こした。6選が阻止出来て良かったと思う。

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 冬夜  大垣市図書館横の公園にて  2011年1月17日撮影

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2022-02-03  久志能幾研究所通信 2293号  小田泰仙

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2022年2月 2日 (水)

田中角栄の言霊、30年間の航跡

 

1 人間は努力することが大切であり、努力すれば必ず成果が上がる。

2 成果が上がった分だけ、他人は羨む、妬むことに気づかなければならない。

3 他人の嫉妬心に気づいたら、それに対して配慮しなければならない。

4 人間は、いかなる場合でも、嫉妬する側でなく、される側に立たなくてはならない。 

   田中角栄

    

  この言葉に出会ったのは、米長邦雄著『人生一手違い』(祥伝社 1989)を読んだときの30年も前のことである。それ以降、これを書き留めたカードを何度も読み返している。

 

 角栄の言葉は、「名門・ジョージタウン大学 世界のエリートが学ぶ”至高のリーダー論”」で指導される世界とは別次元である。「サム・ポトリッキオが説く勝ち残る指導者の条件」では出てこない考え方である。

 西洋の価値観との違いに、田中角栄の言葉には考えさせられる。この言葉を聞いて、日本人に生まれて良かったと思う。

 西洋版のリーダーが育つから、グローバル経済主義が蔓延し、貧富の格差の拡大、力による覇権、利己主義の拡大で世界経済が混乱している。田中角栄が世界政府の大統領になったとしたら、多少は世界が変わるのではないか。田中角栄の集金方法は決して誉められはしないが、政治家としての考え方は共感できる。

 上に立つ人は、競争に負けた人にも目をやらねばならない。しかし現在は、格差100倍の黄金の椅子に座ったエリートが、貧困層を無視して世界を支配している。

 

 残念ながら、田中角栄の手腕に嫉妬心をいだいた米国に、田中角栄ははめられた。あの政策を続ければ、今頃、日本は米国を凌駕した国になっていたと残念に思う。

 どんなに栄華を誇っても、人がほめたたえても、そんなことは虚の世界である。それを角栄は身をもって示してくれた。平家物語は何時の時代にもある。

 

 その後の後始末の不手際で、日本は失われた30年になってしまった。保身の官僚に支配されて、日本の未来に投資もせず、緊縮財政だけに終始したので、日本の未来は失われた。

 

 田中角栄が小学校の教師の給与を上げる法律を作った。それに反した政策を実行したのが大垣市の小川敏である。子供に投資をしないことが、政治家として全てをあらわしている。だから大垣市は彼の20年間の政治で没落した。

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 馬場恵峰書
 

2022-02-01  久志能幾研究所通信 2291号  小田泰仙

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2022年1月31日 (月)

「リーダー候補の8つの目標」に違和感あり

 

 『Newsweek 2018.6.18号』での特集で「名門・ジョージタウン大学 世界のエリートが学ぶ”至高のリーダー論”」に目が引かれこの週刊誌を購入した。サブタイトルは「サム・ポトリッキオが説く勝ち残る指導者の条件」である。その表紙デザインに引かれて、つい衝動買いをしてしまった。 

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 しかし、内容を読んで落胆して書庫にしまい込んだ。先日、それを再度読み直して、改めて呆れた。これは西洋のリーダー養成論であるようだ。私が求めていた内容ではない。

 

 私は、世界のリーダーとはどういう教育をされるかと、この記事に飛びついたのだが、得るものがなかった。名門・ジョージタウン大学の名前と『Newsweek』の表紙デザインとキャッチコピーに騙されたわけだ。

 西洋の価値観では、この説は間違いではないが、最高のリーダー論ではないと思う。こういうリーダーが育つから、グローバル経済主義が蔓延し、貧富の格差の拡大、力による覇権、利己主義の拡大で世界経済が混乱しているとしか思えない。ここには、徳や人格などの話はない。指導力の話もない。

 世界のリーダー論などは百家争論で、多くの説があるだろうが、この「リーダー候補の8つの目標」が、その中で上位に来るとは思えない。これは下っ端のマネージャーの目標値である。これでは、世界は平和にならないと思う。リーダーとして、もっと大事なことがあるはずだと思う。

 

 

リーダー候補の8つの目標(サム・ポトリッキオ)

1 毎週、最低3冊の本を読む努力をすること。一冊は伝記もの。1冊は小説や詩など。

2 できるだけネットではなく紙に書かれた情報源を使う事。

3 スマホの使用時間を1日20分以下にする。。

4 旅行先として躊躇しがちな場所を1年に2か所訪問すること。

5 仕事上の人的ネットワークは150人規模を維持してみよう。

6 最低30人の知人を新しく出会った人に紹介し、知人たちの仕事が向上するアドバイスを与えてもらう。

7 6人のメンター(頼れる助言者)を持つこと。

8 起きている時間の10%を、苦手に感じる分野での知的活動に充てること。

               『Newsweek 2018.6.18号』より

 

  

問題点

 私はこの「リーダー候補の8つの目標」を見て、がっかりした。

 

 違和感を覚えたのは、サブタイトルの「サム・ポトリッキオが説く勝ち残る指導者の条件」である。勝ち残るとは、弱肉強食の世界の戦術である。まさに西洋式生存競争の世界である。結果として、1%のリーダーが幸せになり、99%の人が不幸になる社会のリーダの姿ではないのか。

 リーダーに必要とする心構えや志については記述がない。何のためにリーダになるのだ?、もない。りーダーとして何をやるのだ?、もない。小手先の手段だけの記述では納得出来ない。これは課長クラス、係長クラスの指導者養成のレベルである。西洋のエリートとして、金儲けに邁進するマネージャーの養成コースである。なんのためにリーダーとして働くかの?である。

 

私の指導者論

 私が、馬場恵峰師から明徳塾と松下幸之助経営塾で学んだ指導者論とは、世界が違うようだ。

 今回の記事で、東洋の指導者と西洋の指導者の違いが分かり、多少は勉強になった。

 

 リーダーが必要とされるのは、リーダーが世のためにチームをまとめて、大きな役立つ仕事をする。それが結果として自分にも良い結果となる。ジョージア大学のリーダー論は、自己だけの話に終わっているようだ。だから小手先の技術論で、そのため違和感を覚えたのだ。

 自分の中には108人の煩悩人が蠢いている。そのリーダーとして、その煩悩を抑えないと、価値観の違う組織の仲間など引っ張れないだろう。西洋のリーダー論には、そういう観点が欠如している。

   

2022-01-31  久志能幾研究所通信 2290号  小田泰仙

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2022年1月30日 (日)

暴走運転手と未知なる自分の対話

 

どんな車よりも構造が複雑で、運転が難しい車とは、「自分」という名の車である。一生の運転者は自分である。

   2006年5月28日 明徳塾で 馬場恵峰師談

 

 最近、私は自分の内面との会話を毎日、1時間以上かけている。未知なる自分との対話である。過去の資料を見直し、当時の自分と対話している。それは内観である。

 「で、今のあんたならどうするのか? 今は何をしたいのか? 本当に欲しいものは何か?」と毎日自分という運転手を問い詰める。そこに未知なる自分が出現する。

 

未知学び

 一日の運転をする前に、朝は志を確認するため仏前でお勤めである。昼に写経をして生きかたを確認する。夜は無事に生きられた一日を感謝して眠りにつく。現役時代は、そんな時間的な余裕もなく、暴走運転の日々であったと反省する今日である。

 

 実際に車を運転する場合は、「三貨車」で運転するごとくに慎重に、である。少し油断をすると自分という車は暴走する。暴走を防ぐため先頭車にナビの経典(戒め)を乗せ、自分は中央車に乗り、欲望という貨車を引っ張って走る。ナビ経典の指示通りに運転すれば、暴走はしない。油断すると欲望という貨車が先頭に出て暴走する。シェイクスピア製のムスタング(じゃじゃ馬ならし)は、運転が難しい車である。

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 馬場恵峰書

2022-01-30  久志能幾研究所通信 2289号  小田泰仙

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2022年1月28日 (金)

株で儲けるために 仏定歩合を上げる

 

 人生の究極の目的は、自分の株を上げることだ。自分の株価を上げれば、世間の評価が上がる。評価が上がれば儲かるのだ。評価を上げるためには、仏様からの信用度を上げればよい(仏定歩合を下げる)だけだ。

 一般に金を儲ける手段として、株、債券、外貨、土地、不動産、マンション、金、ビットコイン、絵画、ワイン、新興宗教等と多くの投資先と手段がある。その選択と己の才覚でいくらでも金が稼げる。下記の方程式に則とり実行すればよい。短期で見れば、需要と供給(市場の人気投票)に左右されて価値の乱高下があるが、長期で見れば、この方程式通りである。

 

 人の場合でも、上司の人事評価で職位が乱高下するが、長い目で見れば、相応の人は相応の評価をされる。長い人生だから、同じ能力でも抜擢人事もあれば、左遷人事もある。人事とは、鴨川の流れに浮かぶ泡沫と同じである。それは人間社会の好き嫌いから生まれた世界ある。宮仕えは所詮、上司のからの好き嫌いの評価が決まる世界である。究極の価値の査定方程式は、下記である。仏様からの人事評価こそが大事である。

 

国家の価値   =(税収÷公定歩合)   ×(需要÷供給)

会社の株価   =(安定配当÷公定歩合) ×(需要÷供給)

師の価値    =(師へ投資額÷仏定歩合)×(需要÷供給)

自分有限会社株価=(年収÷仏定歩合)   ×(需要÷供給)

 

 日本国は財政破綻する危険性が低いので、国債の金利がコンマ何%と低い。いくら日本国の借金が多くても金利が低いのは、世界が日本を信用しているからだ。それに対して、世界には、国債の金利が8%とか、10%と高い発展途上国がある。金利の高さは国の信用度の低さであり、国の財政破綻を危惧されているからだ。金を貸す相手に不安があれば、金利を高くするのは闇金融では当たり前。

 

 同じように、会社の価値(株価)は、安定配当と公定歩合から計算される。

 株価の乱高下とは、だれが美人かの人気投票のドタバタ劇である。鴨川の流れに浮かぶ泡沫と同じである。時代の流行で、だれもその行方は分からない。

 同じように、自分という有限会社の株価は、年収と仏定歩合から計算される。

 

 公定歩合とは、日本銀行が定めた金利である。

 「仏定歩合」とは、佛様から金を借りようとした場合の金利である。

 

 師の価値とは、師にどれだけの金を使って教えを受けたいかである。

 「仏定歩合」とは、目に見えない信用度である。要は、自分にどれだけ信用が世間的にあるかである。自分自身の信用度である。大企業に勤めて、手に技術があり、健康であり、前向きの生き方なれば、銀行は喜んで金を貸してくれる。無職の無気力な男に銀行は金を貸さない。貸すのは闇金融である。その金利はド高い。

 

人生最大の投資先 

 人生で最大の投資先は、自分自身である。それが一番儲かる投資先である。

 ドラッカーは、「人こそがものの価値を2倍にも10倍にもできる資源である」という。日本はその資源に対する投資を怠ってきたので、失われた30年が生まれた。誰のせいでもない、そういう政治家に投票した我々国民が悪いのだ。グローバル経済主義という流行り病にかかったのも、病状を悪化させた一因である。それを邁進させた政治家や経営者を追放するのが最大の投資術である。

 大垣市も、未来に投資をしない無能市長が無為無策で20年も居座って、大没落した。この20年間で、大垣の公示地価が半値以下に暴落した。今から再建である。

 

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 馬場恵峰書「百尺巻頭書作選集」久志能幾研究所刊より

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2022-01-28  久志能幾研究所通信 2287号  小田泰仙

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