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2022年5月10日 (火)

ご縁の特別列車に飛び乗り、PCに狂う

 

 ご縁の特別列車が来たら、迷わず飛び乗るべし。その列車は早からず、遅からずやってくる。「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命の時刻表は、人知では到底はかり知ることはできない。だからこそ、日々大切に、来るご縁を大切に、生き活かされる人生を全力で生きたい。

 天の定める時刻表は人知には及ばない。天網恢恢疎にして漏らさず。これは良き意味にも悪い意味とも解釈し、よき行いは何時かは天が拾ってくれると信じている。悪は天が裁いてくれると信じて生きたい。

 

 しかし日頃、志や夢を明確に抱いていないと、その列車の到着が見えない。その列車は銀河鉄道夢電車だ。それはまるで流れ星のようだ。それが見えたら直ぐ飛び乗らないと、銀河鉄道夢電車は発車してしまう。

 

 その電車が霊柩車に見えることもあるかもしれない。しかし、それを拒否せず、まず来た電車に乗らないと、次の夢電車には乗り継げない。敢えて霊柩車や満員電車に乗らねばならぬこともある。それが人生だ。私はそう思って、奴隷のような宮仕え生活を耐えた時期もある。それが20年後の花開き、それに感謝したこともある。奴隷の時代は、私の修行の時代と解釈すれば、その分、大きく成長できたとプラス思考で生きていける。

 

 その運命の電車が来ても、その電車に乗るには、乗車券という金が要る。その金を日頃から貯めておかねば電車に乗れない。だから日頃の節約精神が大事である。決断力を日頃から養わねば、飛び乗る事も出来ぬ。

 

パソコンに狂う

 1984年頃、当時年収が500万円ほどのとき、定価400万円のパソコン(10 Mのハードディスク付き。実質オフコン)を趣味の領域で買った。それは当時会社で業務用に使われていたオフコンである。追加で購入したハードディスクが40M(40Gではありません)で100万円もしたのには、目が飛び出た。また5インチ1Mのフロッピーディスクが1枚で2000円であった。今なら40Mのメモリなど千円以下だ。

 技術の進歩が、決して幸せをもたらせてくれるわけではない。それほど技術革新が激しい時代を我々は生きてきた。当時、こんな高額のものをよくも買ったものだと、当時の私の狂気に呆れている。しかしそれは正解であったと今は解釈している。

 今は全く使わないが、そのパソコンを捨てる勇気がなく、今は私の技術遺産、衝動買い遺産として、玄関に展示している。それを見る度、自分の暴挙を懐かしく思い出して、勇気を貰っている。

 

 当時、パソコンの主流であったPC9801に5メガのハードディスク付きモデル(PC9801M4)が新発売された。それが40万円ほどであった。パソコンとオフコンの差は歴然としていた。PC9801は1ジョブだが、オフコンは今のwindow10と同じマルチタスクで、裏で別の仕事をしてくれた。それを好きで使いこなし、コンピュータの勉強に励んだ。普通の家庭用のPCのBASIC言語とオフコンの構造化BASIC言語とは、次元の違う世界で私を楽しませてくれた。この構造化BASIC言語にはFORTRANとCOBOLの機能も含まれていて、言語スキルも身に付いた。

 

 その当時、私はプログラム作りに熱中し、それがその後の仕事に役立ち、業務改善のBASICプログラムを作って仕事に役立てた。また後年、それを活用して、SQCの本に掲載され、その本が日経図書賞を受賞した。儲かりはしなかったが、何事にも代えがたい経験と必要なものは高額でも買ってしまう度胸が付けられた。

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  富士通 9450Ⅱ

 

特別列車に飛び乗り

 最近は、身近の大垣行政の傍若無人ぶりを見逃さず、その現象を冷静に観察してきて、それを他市や他国の状況を研究することで、多くの学びがあった。それも私が経営の勉強や統計学の勉強の「電車」に飛び乗った経験があるからだ。

 私は大垣市小川電車に乗せられて、その暴走運転ぶりで、多くの学びをさせてくれた。感謝である。

 英語の勉強では、テクニカルライティングのミシガン大学の夏季セミナーに科学工業英語1級の資格がないと参加できないと思い込んでいた。しかし金を用意すれば参加できることが分かり、100万円の自費で参加した。その後、それを機に猛勉強して、49歳で科学工業英語1級に合格できた。当時でも全国で累計350人しか合格者が存在いない超難関試験であった。英検1級合格者が数万人もいる世界とは別世界である。試験では、論理構成がないとTOEIC900点を取っている英語達者でも合格しない。

 その経験が後年の仕事で大いに役立った。あの時、電車に飛び乗らなかったら、英語検定試験への挑戦も無く、合格も無かった。その後の世界での展開も無かった。 

 経営の勉強では、ご縁があり、松下幸之助経営塾に出会い100万円の受講料を使った。別の経営の勉強では計300万円程を使った。良き学びの電車であった。それで馬場恵峰先生との出会いもできた。電車に飛び乗ったおかげである。あの時、来た電車に飛び乗らなかったら、馬場恵峰先生からの学びはなかった。馬場恵峰先生は私の永遠の人生の師である。

 

 

2022-05-10 久志能幾研究所通信 2381号  小田泰仙

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2022年5月 5日 (木)

ガンになったことに感謝

 

 2018年12月25日に河村義子先生ががんで亡くなり、私はそれで胸騒ぎを覚え、2019年1月初にがんの検診を受けた。それで私にガンが見つかり、愛知県がんセンターで2月12日に手術を受けた。自覚症状がなかったため、発見が遅れ、手遅れ寸前であった。手遅れ前に見つかり、仏様に感謝である。

 

 宇宙根源の原則では、宇宙の中はプラス・マイナスでゼロである。マイナスが大きければ、プラスも大きい。今回、癌になって人生の大きなマイナスを受けた。しかしそれに応じた大きな恩恵を受けて、今はがんになったことを感謝である。

 

がんになって命(時間)の有限性を再認識

 がんの自覚症状がなく、発見されたときは、ステージが進んでいて、余命宣告までされた。5年後の生存率は51.3%で、同じ病状の人の半分が死ぬ状態であった。

それでいつまでもあると持っていた命の有限性を再確認させられた。時間の大切さは常々意識していたが、それが更に強固になった。

 

自分の人生を考え直す時間

 愛知がんセンターの病室で、約1か月間、静かに考える時間を持てたことは、長い人生で良いことであった。病室はテレビも完備であったが、一度も電源を入れなかった。ひたすら読書をして過ごした。娑婆に居ると、回りの雑音に迷わされて、静かに考えることが少ない。

 

 弾の飛びかう生死の境の戦地では、俗世間のスキャンダルにも関心が向かない。窓の外からの眺めで、目の前には天白区の広大な墓地が広がっている。考えてしまう。

 

 がんになったため、人生の後始末も事前に出来て良かったと思う。戒名の拝受、葬儀の段取り、葬儀のお金の支払い、戒名の墓誌への刻字も済ませた。さあ後は死ぬだけとなると、覚悟が出来る。人は生れ、成長し、老い、病気になって死んでいく。それだけである。それ以外に、自分のやってきたことを残せれば、万々歳である。

 

回りの人の人格の真贋が露見

 がんになって周りの人の対応で、その人間性が露見して、人間観察の良き経験をした。その後の付き合い方を考え直すことが出来て、今後の人生を有意義に過ごせそうだ。そのため無為な付き合いをしなくてよい。

 それで縁を切った親戚や仲間もいる。人さまざまな対応に、人間模様を見るようで、よき人間観察の勉強になった。

 

 人は何になるために生きているか。人は「人に成る」ために生きて精進をしている。成人式とは「人」に成ったお祝いである。しかしそれは単に物理的に18歳になったから、「成人」というだけで、人間として、本当の「人」に成ったのではない。それが人の生死の境目の対応でその真偽が露見する。

 

 がんになり生死をさ迷い、入院生活をがんセンターで過ごすとは、人生の戦争なのだ。戦争の時、助けてくれなかったら、敵である。それは渡部昇一先生の言葉だ。 

 

地獄はあの世ではなく此の世にあり

 私はがんになっても、「ああこの人体部分が故障してしまった」と考えて、そんなにも焦ることはなかった。しかし故障なら、その対処と、その原因と再発防止をすればよい。その過程で日本のがんの実態を調べることが出来たのは幸いだった。自分が当事者にならないと、そこまで真剣にがんの研究をしなかっただろう。

 

 ある意味、地獄を見ることになったが、冷静に周りを見て、地獄とはあの世ではなく、この世の状況にパニックになることだと再確認した。

 30年前、母が脳梗塞になり、20年前、父がガンになり、その時の対応で地獄を見た。自分が癌になり、以前に地獄をみてきたので、今回はそれを正視して冷静であった。両親がそれを教えてくれたようだ。

 

狂った食生活、狂った生活習慣

 癌になった原因を調査して、その原因が、「狂った食生活、狂った生活習慣」であることを、南雲吉則先生と船戸先生から教えてもらった。原因が分かれば、対策は容易である。がんにならなければ、心筋梗塞、脳梗塞や別の病気でもっと早く死んでいたと思う。ガンになり、がんを研究することで、健康管理を見直して、長生きをできそうだ。

 今までのがん対策が、対処療法ばかりであって、日本人のガンが増加している原因だと確信した。もっと早くわかっていれば、父をがんで無くすことはなかったのにと、後悔である。

 その対処療法で、金儲けをしている軍団を知ることができた。日本人の劣化を見た。それは日本人社会の劣化を示す指標であった。

 

病院の真偽が露見した

 がんになって、がんの標準治療しかしない病院と真因を探してその対策をする病院の差を発見した。良き知見ができてよかった。

 対処療法で、逆に命を縮める抗がん剤治療を、担当医師と喧嘩別れをしてまで拒否をした。医師からは「抗がん剤治療をしないと命の保証はしない」と言われたが、よく拒否をしたと自分を褒めてやりたい。

 唯々諾々と医師の言うままにならない自分を発見して、良かったと思う。それも父の手術で、医師の言うまま決断した失敗があってのこと。亡き父が私の命を救ってくれた。

 

Img_63871s 馬場恵峰書

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2022-05-04 久志能幾研究所通信 2378号  小田泰仙

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2022年4月26日 (火)

「宇宙根源能理経」に学ぶ(5) 易、占い、運命

 

占い

 決断に迷った時、占や、易、教祖のご神託とかに決断を託すことがある。一国の指導者さえ自分で決断をできないこともある。それを無責任にも神に託すのだ。

 一国の王の元には必ず占い師や神事を行う神官がいた。その神官に軍事を占わせて、兵卒を率いて戦いに挑んだのは常識である。一番、それを信じていないのは、一国の将軍である。そんなことを信じるほど、ふやけた頭では、数多く歴戦を戦って将軍になどなれない。占いは部下を信じさせるために使う方便なのだ。

 古代中国の有名な名君は、高給で占い師を雇って身辺に置いておいたが、生涯一度もその占い師を使ったことがなかったという。国は名君に平穏に統治された。それが正しい占いの使いかたである。

 

 占いは「売れない新興宗教団体」の販売促進ツールなのだ。それに騙されてはならない。お釈迦様は占いで教えを広めようとしたことはない。またあの世があるとも、ないとも言われず、ただ「精進せよ」とだけ言われて寂滅された。

易経 

 『易経』は、古代中国の書物。著者は伏羲とされている。商の時代から蓄積された卜辞を集大成したものとして易経は成立した。 『卜』が動物である亀の甲羅や牛や鹿の肩甲骨に入ったヒビの形から占うものであるのに対して、『筮』(めどき/めどぎ)は植物である『蓍』の茎の本数を用いた占いである。 現代では、哲学書としての易経と占術のテキストとしての易経が、一部重なりながらも別のものとなっている。中心思想は、陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。

 

 なぜ『易』という名なのか、古来から様々な説が唱えられてきた。ただし、「易」という語がもっぱら「変化」を意味し、また占いというもの自体が過去・現在・未来へと変化流転していくものを捉えようとするものであることから、何らかの点で “変化” と関連すると考える人が多い。

 

 有名なものに「易」という字が蜥蜴に由来するという “蜥蜴説” があり、蜥蜴が肌の色を変化させることに由来するという。

 

 また、「易」の字が「日」と「月」から構成されるとする “日月説” があり、太陽と太陰(月)で陰陽を代表させているとする説もあり、太陽や月、星の運行から運命を読みとる占星術に由来すると考える人もいる。

 この項、wikipediaより(2022/4/26)

 

 

人間の進化

 人は過ちをしながら、学んで成長する。人は60にして59の過ちを知り、善に向かい進む。人は還暦にならなければ分からないことがある。古希にならねば分からぬことがある。それまでの過ちを知れば、それを正して進めばよい。その間違いを犯さないと分からない。決して無駄な過ちではない。

 それが過ちであったと気が付かず、そのまま無為に過ごし、死を迎えるよりは、はるかによい。死の直前でもその過ちが正せたのだ。

 

 科学技術は発達したが、人間の精神レベルは2000年前とあまり変わらない。むしろ科学技術に頼り過ぎて劣った面さえある。昔は筮竹で占ったが、現代は科学技術の先端技術で、AIで占う。AIと言ってもその中身は、統計と回帰分析の応用である。しかしそれでも当たらない。その確率は昔と変わらない。

 

 所詮、人間様の行動など当てにならない。一人に狂人が動けば、戦争などあっという間に起きる。ウクライナ侵攻をAIが予想したとは聞いていない。

 

選択・決断

 人生でぶつかる案件は、A案とB案が49対51の稟議案件なのだ。その選択と決断をするのが、社長、国王、指導者である。どちらがいいかなど、神様でも分からない。だから腹をくくって取り組むしかない。

 気力が運命を上回れば、鬼神さえも退く。物事に断固たる決意で取り組めば、49対51の差はどうにでもなる。人間界で起きる事象の成否は、全て心の強さが決める。世の中を良くしようとするエネルギーがあれば、ものごとは進化する。物事は良く成るように進化発展している。それをそっと後ろから押すだけである。

 しかし、その逆も真なりで、その気が無ければ、選択に誤り、運命に逆行して衰退するしかない。

 

運命とは

 心に弱きが出た時、占いや人に頼ろうとする。その時は、そんなものに頼らず、籠ることだ。心を落ち着けてから決断すればよい。心が正しくなれば、正しい決断ができる。心がこの世で一番大きな宇宙である。それが宇宙根源の理である。

 運命とは大河の流れのようなものだ。大筋の流れは見えるが、それが占いの全てである。それは占わなくても、常識で見える。運命の定めで、全てで決まっているなら、努力も人為的工作もいらない。その流れを変えるのが、人の意思である。その意思は心が作る。

 「運」とは、長い坂道を車に荷物を乗せて押して上る様を表した象形文字である。その車には自分の命を乗せているのだ。

 何事にも一生挑戦し続ければ、心も強くなる。それが運命を拓く力となる。

 

 

2022-04-26 久志能幾研究所通信 2371号  小田泰仙

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2022年4月25日 (月)

「宇宙根源能理経」に学ぶ(4) KK息子は分不相応

 

 万物は常に変化する。その変化は分に応じて起きる。その変化を良きものにするために、その分の格を上げるべきだ。上がった格に応じて、変化は起きる。分を上げるとは、人格の向上、教養の向上、つまり学んで人間性を上げる、である。

 自然界でも、ライオンならライオンとして生態系の中で生きて、蟻は蟻として生きている。人間だけが生態系や秩序を過剰に侵略して生きている。秩序を無視して分不相応に振舞うから、地球温暖化、戦争、人間関係の軋轢が起きるのだ。

 

 実力がないと、分不相応で、その変化は逆に身を傷める害となる。人生の三大不幸の一つは、「若くして高台に上る」である。

 スペースシャトルを打ち上げるロケットだって、3段式ロケットで、順番に機体の速度を上げて、地球の引力を脱して宇宙空間に突入する。一段目のロケットだけでその任務が全うされるわけではない。

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下駄ばき人生 

 エリートとして人生経験がないのに、ゲタを履かせてもらって、チヤホヤされて高台に上っても、その土台は砂上の楼閣である。裏口入学で、その地位を確保しても、何時かは化けの皮が剥がれる。KK息子でも、その化けの皮が剥がれかかっている。

真の成果

 成功が成果ではない。成功にたどり着くまでの経験が真の成果なのだ。涙と血の汗が宝なのだ。だから失敗も経験として大きな成果である。その失敗の過程で多くの智慧を得たのだ。

 私を踏み台にして高台に上った前職の時の若造でも、KK息子の例でもそれを見れば、それはよくわかる。彼らには、実践の宝の蓄積がない。

 

 成果がなかったということは、無意味だったということではない。例えば恋愛に成功しなかったということが、無駄だったとか、心を痛めただけだったいうことの意味しているのではない。なぜならば、その苦悩の中で人はたくさんのものを得るからだ。苦悩があるから成熟する。苦悩したからこそ、新たに成長できる。喪失、艱難、苦悩は、人に豊かなものを与えてくれるのだ。

   フランクル『死と愛』

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 馬場恵峰書

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2022-04-25 久志能幾研究所通信 2370号  小田泰仙

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2022年4月24日 (日)

「宇宙根源能理経」に学ぶ(3) 幾に慎む

 

 事物も言行も必ず「きっかけ」がある。この幾(機会、前兆、きざし)の啓示に触れたら、状況の変化を嗅ぎ分け行動を慎むがよい。物事は微から顕にいたるきっかけを大切にすれば、大事には至らない。

 

穢れのきざし

 MM息子、MM子問題でも、その騒動のきざしを察知していて、事前に行動を慎んでいれば、こんな大騒ぎにはならなかっただろう。それを予見できなかった管理監督者の責任だ。立場を忘れて、自由教育の名で放置した因果である。きざしを分かっていて、それを止められなかった971庁の職務怠慢である。職を賭けて日本を守る気概ある官僚が日本に居なくなったのも原因だ。日本人の精神が劣化した兆しである。

 その決断ができなかった為、NYでの警備費で年間8億も血税を秘密裏に投入する羽目になり、恥を世界にさらした。公金への穢れである。

 

 先日、さるお方が伊勢神宮に行かれ、神聖な鳥居をくぐられた。しかし、まだご尊父の喪中である。穢れを伊勢神宮に持ち込んではならないのに、それが断行された。今後の日本で起きる象徴の大波乱の幾だと観察した。

 

冬のきざし

 私の母からは、「自分の親の死は、人生での最大の不幸。その時期は身を慎め」と教えられた。その母が亡くなった直後、私は突然、職場を異動させられた。私が仕事で失敗をしたわけではない。エリートと称される新入社員の厚遇のための工作のようだ。不本意な異動であったが、何も言わず受け入れた。一サラリーマンでは、人事異動に抵抗などできない。その年は、身を慎んで行動を制限した。それが喪に服することのようだ。それで災難から逃れられる。

 

 その結果、逆にサイコパスな上司の元から逃れられて、その後の運が開けていった。塞翁が馬である。人生は春夏秋冬で、冬の時もある。その時は、身を慎めばよい。天が傘をさせと言っている。雨が降れば傘をさせばよい。濡れて、黙って涙を拭えばよい。

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 馬場恵峰書

 

2022-04-24 久志能幾研究所通信 2369号  小田泰仙

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2022年4月22日 (金)

「宇宙根源能理経」に学ぶ(2) 積み重ね

 

7 ものごとは微細な積み重ねである。

  千里の道も一歩から。 

 

 花も一夜には咲かない。どんなことも毎日毎日の血の滲む鍛錬をして達成できる。「鍛」とは千日、「錬」とは万日の修行を言う。千日とは約3年間、万日とは約30年間の事だ。それだけの修行をして初めて達成できる。どんな長い冬も何時かは春が来る。

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馬場恵峰書

 

ゲタ履き人生

 人生を生きるには、多大な苦労がいるの。それなのに闇所からゲタを履かせてもらい、その修行をショートカットするから、KK息子は実力が付かず、弁護士試験に受からない。過保護ほど人を堕落させるものはない。特別扱いは、その人を最終的に不幸にする。

 KK息子は実力がないようだが、一般的なエリートは学力があるが、サイコパス気味の人が多いようだ。サイコパスとは、共感性の欠如で、回りの人の悲しみを理解できない人のこと。エリートは自分がゲタを履かされて有頂天になり、回りの人の悲しみに共感できる感性が消滅していくようだ。

 

 私は何度も受験に失敗して、涙にくれた。おかげでそのサイコパスとは逆の感性が豊かになった。それで生きていく力を付けた。それがあったから、なにクソの精神で、皆が遊んでいる私学の大学時代に猛勉強をして特待生を獲得し、卒業時は総代で卒業証書を受け取った。その後も、有名校派閥のある企業で苦労はしたが、相応の評価を獲得はした。

 

天之機緘不測

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。天は因果応報を運行している。

 

 当時はこの言葉を知らなかった。これは馬場恵峰先生の卒寿記念で写経写真集を出版した時、知った言葉である。宮仕えの当時、私は会社の派閥大学出の若手を依怙贔屓する上司から冷遇されていた。私が海外見本市視察に行ける年に他部署に飛ばされた。ところがその上司役員が邪魔した海外見本市視察、海外大学との交流出張に、運命のからくりで参加することが出来た。

 

 当時の上司役員は私を海外出張に行かせる気が全くなかった。その年、私の直属上司が海外大学との交流出張にいく予定であった。しかし上司は直前に糖尿病を発症して海外出張ができなくなり、私が行くしかない状況となった。

 

 海外の見本市視察も、上司の役員が強引に若手エリートを抜擢し、私の出番は無くなった。ところが後日、私が社内懸賞論文で最優秀を取ったので、私もその海外の見本市視察に行けることになった。まさに「天之機緘不測」であった。地道な努力をするものだと納得した。

 

末路

 その上司役員が目をかけた若手エリートは後日、会社に後ろ足で泥を掛けるように辞めてしまった。彼に同大学での役員がゲタを履かせまくった様は、まるでKK息子の様を見るようであった。ゲタを履かせても、サイコパスの気があると使い物にならない実例を見た。学校の成績と会社の仕事は別なのだ。

 ゲタの厚みには、血と涙の積層である。それを簡単にショートカットしても、後から落とし前を払うのだ。

 

 

洗脳教育

 それより大きな被害は、この会社の役員たちは、有名大学出が人格とも、経営的にも優秀だと思い込んでいることだ。それは洗脳と同じである。エリートはそれを自負して、回りの状況が激変しているのに的確な経営判断ができず、会社を危機に陥れ、吸収合併の憂き目に合わせた。

 ソニーも役員に東大出が多くなってきて、精神的に病む社員が増えたと社員が証言している(週刊誌記事)。それと共にソニーはその輝きを失っていった。

 

 国も企業も、一将によって興り、一将により滅ぶ。それを目のあたりにした。今、私は天之機緘不測の意味も噛みしめている。

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 馬場恵峰書

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2022-04-22 久志能幾研究所通信 2367号  小田泰仙

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2022年4月 4日 (月)

景気回復? 疫病内閣は決断できない?

 

 今日(2022年4月4日)、久留米市の真島消化器クリニックに定期検診に行ってきた。

 朝、名古屋発7時6分の新幹線で久留米に向かった。グリーン車8号車には私を含めて3名しか乗っていなかった。新大阪から博多までも4名だけである。 隣の車両の7号車(指定)も4名だけの乗車である。まるで新幹線の貸し切り状態である。まだまだコロナ禍の影響があると納得した。

 ところが博多から久留米までの九州新幹線では、さくら号の自由席は結構客席が埋まっていて、いつもと変わらない状況であった。

 

 帰りの新幹線(久留米発14:34のさくら号の自由席、博多発15:15発のぞみの車両には、客がそこそこ埋まっていて、京都から名古屋までは、グリーン車9号車の2列席の全席が埋まっていた。

 半分はジネス客以外で、観光が復活したようだ。朝の時間帯はビジネス客なので、まだまだ客層が復活していないが、日中の観光はそこそこ戻ったようだ。

 

 やっと日本経済が目覚めたと感じて嬉しかった。たまには娑婆?に出て、世の景気をこの目で確認するのも良いことだ。

 

洗脳教育

 いままで新型コロナに対して政府からの洗脳教育で家に居すぎたようだ。ワクチン接種で洗脳されていたが、ワクチン接種しても感染する。それも3回どころが、4回目の画策までしている。どう考えても利権としか思えない。

 新型コロナの扱いを5類に下げて、どの診療所でも診察できて、何処でも治療薬を出せるようにすれば、死亡者も重症者も減るはずである。それで全て解決である。今まで暴利をむさぼっている診療所が困るだけだ。

 それをやらず、検討ばかりして決断しない岸田政権は、コロナより質の悪い疫病内閣である。指導者に必要なことは、検討するよりも決断することだ。人生の経営で最大の過ちは、決断しないこと。

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 馬場恵峰書

 

2022-04-04  久志能幾研究所通信 2352号  小田泰仙

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2022年3月27日 (日)

仏法ご聴聞の心得

 

一つ、この度のご縁は 今生初めてのご縁と思うべし。

一つ、この度のご縁は 私一人のためのご縁と思うべし。

一つ、この度のご縁は 今生最後のご縁と思うべし。

 青山俊董著 『道元禅師・今をいきるとは』大法輪閣 p186

 

青山俊董師

 著者の青山俊董師は、私の叔母の師である。尼僧として修行していた時の師が、青山俊董師であったという。青山俊董師は愛知尼僧堂の堂長である。叔母はその尼僧堂での修行のあと、京都の祇園にある尼寺の住職になった。

 2018年頃、その叔母から多くの青山俊董師著の本を頂き、それから道元禅師の教えを学んだ。その中で印象に残っている言葉が上記である。

 私はこの言葉を大事にしている。そのご縁で1734年から続く家系図を作るきっかけも頂き、その結果としてお墓を3基も改建することも出来た。どんなご縁でも大事にしてきたことへの佛様からのご褒美と解釈している。

 

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 東景寺

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スマホの腐れ縁

 だから私はどんな場合も、出会ったご縁と真剣に向き合っている。だから、人と話している時に、着信があったからとスマホをいじくる人を見ると、その人の人格を考えてしまう。今のご縁を大事にしない人は、自分との縁を大事にしない。目の前の小さなご縁を大事にしない人が、大きなご縁など大事にするはずがない。

 

ウクライナ戦争の啓示

 ウクライナ侵攻も、日本には今生初めてのご縁なのだ。日本のために起きたご縁である。これがC国、R国、K国の侵略攻撃に目覚めさせる最後のご縁なのだ。それで目覚めないと日本が亡ぶ。今までも毎日、刃物を持ったヤクザが家の周りをうろうろしていると同じ状態が続いていたが、お花畑状態の日本人は目覚めなかった。C国の意を受けた媚中派が、検討使で国のトップに居座るようでは、国が亡ぶ。ウクライナ侵攻は、それを教えてくれた大事なご縁なのだ。目の前のご縁をもう一歩掘り下げて、真実を観よう。これが佛様からの最後の通告なのだ。

 

2022-03-27  久志能幾研究所通信 2344号  小田泰仙

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2022年3月26日 (土)

マイ経典を書く

 

 自分は自分教(おだ仏教)の教祖である。あなたが豊田さんならトヨタ教である。その自分の信念を書き出せば、それはマイ経典となる。今まで自分が正しいと思って行動してきた規範を書き出すだけである。それは親や師から学び指導されたことだ。その教えられた行動で生きてきて、地獄に落ちていないなら、それは間違ったことはない証である。親や師の後姿から学んだ薫習の成果である。それが立派な生きた経典である。

 

仏教徒のたしなみ

 人間として人に迷惑をかけない。人と比べない。人に尽くして、自分も幸せになる。たったそれだけの教えでもマイ経典である。

 企業での経典なら、経営理念であり、家の教えなら家訓である。自分の経典がマイ経典である。

 

パブロフの犬

 その逆に毎日、一方的にテレビからの洗脳放送を聞かせされ続ければ、考えることもなく、軽薄な信徒が出来上がる。無意識にファーストフードにありつくようになる。酒を飲み、煙草を吸い、飽食に走れば、後はがんになるのは自然の流れである。そうやって毎年、37万人が癌で死んでいく。がんを発生させる食品を売る会社は、テレビ局には大事な広告主なのだ。テレビ局は、信徒に美味しい食品のCM(経典)を聞かせねばならぬ。CMを見る方は、まるでパブロフの犬である。

 

自分のあるべき姿

 毎日、自分の有りたい姿を目に見えるかたちに書き出すことを続ければ、段々とあるべき姿に収束していく。それがマイ経典である。

 ありたい姿を何回も書いていれば、そのことを何回も熟慮することになり、洗練された姿になっていく。書いてあれば、それが脳に刻み付けられ、そういう人間に向かって成長していく。

 

何が分からないか

 分からないことを紙に何回も書いていれば、自ずと答えは潜在意識が出してくれる。何が分からないかを明確にすることが学びである。分からないことを自覚することが真理への第一歩である。自分は全能の神ではないのだ。分かるようになっていく過程が自分の経典である。

 十篇読むより、1回書いた方が悟りになる。だから百回でも千回でも万回でも書いて、悟りに近づこう。

 

書いてこそ

 毎日、エッセイ(ブログ)を書いていると、右往左往しながらも一つの方向に行き先が定まってくる。それも修行であろう。それは私にとって読経であり、写経である。自分のあるべき姿を書けば、それが規範として身を引き締めざるえを得ない。

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 馬場恵峰書

 

2022-03-26  久志能幾研究所通信 2343号  小田泰仙

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2022年3月21日 (月)

神様経営のプロジェクト

 

 経営の神様松下幸之助氏は若者から「国の政治と会社の経営は同じものか」と問われ、「同じだ」と答え、「業種を問わず、会社経営に成功するには三つの条件がある」と続けた。

 一つは絶対条件で、経営理念を確立すること。これができれば経営は50パーセントは成功したようなものである。

 二つは必要条件で、一人ひとりの能力を最大限に生かす環境をつくること。これができれば、経営は80パーセント成功である。

 三つは付帯条件で、戦略戦術を駆使すること。これを満たせば経営は100パーセント成功する。

   藤尾秀昭著『小さな人生論1』より 致知出版社  2003年

 

 私はこの言葉を人生全てに通じると信じて、自分の全ての行動、プロジェクトに適用して生きている。自分の人生経営も然り、プロジェクトの遂行も然り、商品購入の実行も然り、食事もしかり、生活全般も然りである。

 経営とは、自分の使える資源(能力、財産、人脈、環境、徳、家の歴史)を最大限に活かすことである。親の遺徳も大事な資源である。自分の徳を後世の子孫に残すのも経営の要件である。

 

人生

 人生はまず生き方の方針を確立すること。何のために生きるかを明確にする。そのため、自分の能力を最大限に活かすため、自分への投資を怠らないこと。生きるための渉外事項は単なる付帯事項である。人との付き合いは、自分がしっかりしていれば、付き合う相手も自然と決まってくる。それをしっかりと維持すればよい。

 

食生活

 日常生活の食事でも、何のために生きるか、何のために食べるかを人生目的で明確にすれば、それで生きる方法と食事生活の50%は完結する。後は技術的に最適な方法(食材・料理法)を選択するだけである。後の戦略戦術は付帯事項である。生きる目的が明確なら、好き嫌いも言わず、毒(タバコ、酒、糖分)などは見向きもしないようになる。

 食事の目的が健康な生活を維持し、健康な体つくりであると定義すれば、安いからと遠方まで時間をかけて食事に行くことは無くなる。時間の無駄であるし、安い食材は、往々に体には悪い成分が入っている。本末転倒の結果となる。それは食事の経営方針がなっていないのだ。

 

モノを買う

 モノを買うにも、そのプロジェクトの経営理念さえ明確にすれば、後は自動的に目的に向かって走り出す。それで50%が完結する。値段の高い安いは付帯事項である。安物買いの金失いでは、その購入の経営方針に反する。

 安い中国製の電子製品を買って得した気なっても、それで中国の少数民族の奴隷労働の手助けとなり、日本の技術が盗まれ、日本の雇用を無くし、10年後の日本経済が破壊されれば、本来の購入の経営方針に反する。それで中国が金を稼ぎ、その金で日本を狙うミサイルを整備されたら、本末転倒どころか、日本沈没である。

 

 「日本や在日米軍、海上の米艦艇を攻撃できる地上配備型の短・中距離弾道ミサイルを中国は約1900発保有しているが、米国の保有数はゼロだ」

 オバマ米前政権で核・ミサイル防衛担当を務めたブラッド・ロバーツ元国防次官補代理談  聞き手 編集委員・佐藤武嗣

「日本攻撃可のミサイル、中国に2千発」

2020年3月23日   朝日デジタルより

https://www.asahi.com/articles/ASN3Q77H0N34ULZU016.html

 

経営不振の大垣新市庁舎

 2020年1月に竣工した大垣市新市庁舎のプロジェクトもその建設の経営が不適である。何のために建てるのかの目的が曖昧になっている。結果として役人たちの自己満足のための建設となってしまった。だから人口減が予想されているのに、過剰な大きさと過剰な豪華な設備となった。使い物にならないIT機器を、自分達の自慢の為に導入した。新市庁舎の建設の経営方針がデタラメであったためだ。

 

ピアノ導入

 現在、コンサート用ピアノの購入計画を練っているが、その運営の経営理念が明確だから、ブレることなく前進している。金を作るのは付帯事項である。悪いことに使うのでなければ、金は何とかなるものだ。そのための各要素を最大下に発揮する段取りをするだけである。

 

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 馬場恵峰書

2022-03-21  久志能幾研究所通信 2338号  小田泰仙

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