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2022年4月22日 (金)

「宇宙根源能理経」に学ぶ(2) 積み重ね

 

7 ものごとは微細な積み重ねである。

  千里の道も一歩から。 

 

 花も一夜には咲かない。どんなことも毎日毎日の血の滲む鍛錬をして達成できる。「鍛」とは千日、「錬」とは万日の修行を言う。千日とは約3年間、万日とは約30年間の事だ。それだけの修行をして初めて達成できる。どんな長い冬も何時かは春が来る。

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馬場恵峰書

 

ゲタ履き人生

 人生を生きるには、多大な苦労がいるの。それなのに闇所からゲタを履かせてもらい、その修行をショートカットするから、KK息子は実力が付かず、弁護士試験に受からない。過保護ほど人を堕落させるものはない。特別扱いは、その人を最終的に不幸にする。

 KK息子は実力がないようだが、一般的なエリートは学力があるが、サイコパス気味の人が多いようだ。サイコパスとは、共感性の欠如で、回りの人の悲しみを理解できない人のこと。エリートは自分がゲタを履かされて有頂天になり、回りの人の悲しみに共感できる感性が消滅していくようだ。

 

 私は何度も受験に失敗して、涙にくれた。おかげでそのサイコパスとは逆の感性が豊かになった。それで生きていく力を付けた。それがあったから、なにクソの精神で、皆が遊んでいる私学の大学時代に猛勉強をして特待生を獲得し、卒業時は総代で卒業証書を受け取った。その後も、有名校派閥のある企業で苦労はしたが、相応の評価を獲得はした。

 

天之機緘不測

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。天は因果応報を運行している。

 

 当時はこの言葉を知らなかった。これは馬場恵峰先生の卒寿記念で写経写真集を出版した時、知った言葉である。宮仕えの当時、私は会社の派閥大学出の若手を依怙贔屓する上司から冷遇されていた。私が海外見本市視察に行ける年に他部署に飛ばされた。ところがその上司役員が邪魔した海外見本市視察、海外大学との交流出張に、運命のからくりで参加することが出来た。

 

 当時の上司役員は私を海外出張に行かせる気が全くなかった。その年、私の直属上司が海外大学との交流出張にいく予定であった。しかし上司は直前に糖尿病を発症して海外出張ができなくなり、私が行くしかない状況となった。

 

 海外の見本市視察も、上司の役員が強引に若手エリートを抜擢し、私の出番は無くなった。ところが後日、私が社内懸賞論文で最優秀を取ったので、私もその海外の見本市視察に行けることになった。まさに「天之機緘不測」であった。地道な努力をするものだと納得した。

 

末路

 その上司役員が目をかけた若手エリートは後日、会社に後ろ足で泥を掛けるように辞めてしまった。彼に同大学での役員がゲタを履かせまくった様は、まるでKK息子の様を見るようであった。ゲタを履かせても、サイコパスの気があると使い物にならない実例を見た。学校の成績と会社の仕事は別なのだ。

 ゲタの厚みには、血と涙の積層である。それを簡単にショートカットしても、後から落とし前を払うのだ。

 

 

洗脳教育

 それより大きな被害は、この会社の役員たちは、有名大学出が人格とも、経営的にも優秀だと思い込んでいることだ。それは洗脳と同じである。エリートはそれを自負して、回りの状況が激変しているのに的確な経営判断ができず、会社を危機に陥れ、吸収合併の憂き目に合わせた。

 ソニーも役員に東大出が多くなってきて、精神的に病む社員が増えたと社員が証言している(週刊誌記事)。それと共にソニーはその輝きを失っていった。

 

 国も企業も、一将によって興り、一将により滅ぶ。それを目のあたりにした。今、私は天之機緘不測の意味も噛みしめている。

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 馬場恵峰書

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2022-04-22 久志能幾研究所通信 2367号  小田泰仙

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2022年4月 4日 (月)

景気回復? 疫病内閣は決断できない?

 

 今日(2022年4月4日)、久留米市の真島消化器クリニックに定期検診に行ってきた。

 朝、名古屋発7時6分の新幹線で久留米に向かった。グリーン車8号車には私を含めて3名しか乗っていなかった。新大阪から博多までも4名だけである。 隣の車両の7号車(指定)も4名だけの乗車である。まるで新幹線の貸し切り状態である。まだまだコロナ禍の影響があると納得した。

 ところが博多から久留米までの九州新幹線では、さくら号の自由席は結構客席が埋まっていて、いつもと変わらない状況であった。

 

 帰りの新幹線(久留米発14:34のさくら号の自由席、博多発15:15発のぞみの車両には、客がそこそこ埋まっていて、京都から名古屋までは、グリーン車9号車の2列席の全席が埋まっていた。

 半分はジネス客以外で、観光が復活したようだ。朝の時間帯はビジネス客なので、まだまだ客層が復活していないが、日中の観光はそこそこ戻ったようだ。

 

 やっと日本経済が目覚めたと感じて嬉しかった。たまには娑婆?に出て、世の景気をこの目で確認するのも良いことだ。

 

洗脳教育

 いままで新型コロナに対して政府からの洗脳教育で家に居すぎたようだ。ワクチン接種で洗脳されていたが、ワクチン接種しても感染する。それも3回どころが、4回目の画策までしている。どう考えても利権としか思えない。

 新型コロナの扱いを5類に下げて、どの診療所でも診察できて、何処でも治療薬を出せるようにすれば、死亡者も重症者も減るはずである。それで全て解決である。今まで暴利をむさぼっている診療所が困るだけだ。

 それをやらず、検討ばかりして決断しない岸田政権は、コロナより質の悪い疫病内閣である。指導者に必要なことは、検討するよりも決断することだ。人生の経営で最大の過ちは、決断しないこと。

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 馬場恵峰書

 

2022-04-04  久志能幾研究所通信 2352号  小田泰仙

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2022年3月27日 (日)

仏法ご聴聞の心得

 

一つ、この度のご縁は 今生初めてのご縁と思うべし。

一つ、この度のご縁は 私一人のためのご縁と思うべし。

一つ、この度のご縁は 今生最後のご縁と思うべし。

 青山俊董著 『道元禅師・今をいきるとは』大法輪閣 p186

 

青山俊董師

 著者の青山俊董師は、私の叔母の師である。尼僧として修行していた時の師が、青山俊董師であったという。青山俊董師は愛知尼僧堂の堂長である。叔母はその尼僧堂での修行のあと、京都の祇園にある尼寺の住職になった。

 2018年頃、その叔母から多くの青山俊董師著の本を頂き、それから道元禅師の教えを学んだ。その中で印象に残っている言葉が上記である。

 私はこの言葉を大事にしている。そのご縁で1734年から続く家系図を作るきっかけも頂き、その結果としてお墓を3基も改建することも出来た。どんなご縁でも大事にしてきたことへの佛様からのご褒美と解釈している。

 

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 東景寺

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スマホの腐れ縁

 だから私はどんな場合も、出会ったご縁と真剣に向き合っている。だから、人と話している時に、着信があったからとスマホをいじくる人を見ると、その人の人格を考えてしまう。今のご縁を大事にしない人は、自分との縁を大事にしない。目の前の小さなご縁を大事にしない人が、大きなご縁など大事にするはずがない。

 

ウクライナ戦争の啓示

 ウクライナ侵攻も、日本には今生初めてのご縁なのだ。日本のために起きたご縁である。これがC国、R国、K国の侵略攻撃に目覚めさせる最後のご縁なのだ。それで目覚めないと日本が亡ぶ。今までも毎日、刃物を持ったヤクザが家の周りをうろうろしていると同じ状態が続いていたが、お花畑状態の日本人は目覚めなかった。C国の意を受けた媚中派が、検討使で国のトップに居座るようでは、国が亡ぶ。ウクライナ侵攻は、それを教えてくれた大事なご縁なのだ。目の前のご縁をもう一歩掘り下げて、真実を観よう。これが佛様からの最後の通告なのだ。

 

2022-03-27  久志能幾研究所通信 2344号  小田泰仙

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2022年3月26日 (土)

マイ経典を書く

 

 自分は自分教(おだ仏教)の教祖である。あなたが豊田さんならトヨタ教である。その自分の信念を書き出せば、それはマイ経典となる。今まで自分が正しいと思って行動してきた規範を書き出すだけである。それは親や師から学び指導されたことだ。その教えられた行動で生きてきて、地獄に落ちていないなら、それは間違ったことはない証である。親や師の後姿から学んだ薫習の成果である。それが立派な生きた経典である。

 

仏教徒のたしなみ

 人間として人に迷惑をかけない。人と比べない。人に尽くして、自分も幸せになる。たったそれだけの教えでもマイ経典である。

 企業での経典なら、経営理念であり、家の教えなら家訓である。自分の経典がマイ経典である。

 

パブロフの犬

 その逆に毎日、一方的にテレビからの洗脳放送を聞かせされ続ければ、考えることもなく、軽薄な信徒が出来上がる。無意識にファーストフードにありつくようになる。酒を飲み、煙草を吸い、飽食に走れば、後はがんになるのは自然の流れである。そうやって毎年、37万人が癌で死んでいく。がんを発生させる食品を売る会社は、テレビ局には大事な広告主なのだ。テレビ局は、信徒に美味しい食品のCM(経典)を聞かせねばならぬ。CMを見る方は、まるでパブロフの犬である。

 

自分のあるべき姿

 毎日、自分の有りたい姿を目に見えるかたちに書き出すことを続ければ、段々とあるべき姿に収束していく。それがマイ経典である。

 ありたい姿を何回も書いていれば、そのことを何回も熟慮することになり、洗練された姿になっていく。書いてあれば、それが脳に刻み付けられ、そういう人間に向かって成長していく。

 

何が分からないか

 分からないことを紙に何回も書いていれば、自ずと答えは潜在意識が出してくれる。何が分からないかを明確にすることが学びである。分からないことを自覚することが真理への第一歩である。自分は全能の神ではないのだ。分かるようになっていく過程が自分の経典である。

 十篇読むより、1回書いた方が悟りになる。だから百回でも千回でも万回でも書いて、悟りに近づこう。

 

書いてこそ

 毎日、エッセイ(ブログ)を書いていると、右往左往しながらも一つの方向に行き先が定まってくる。それも修行であろう。それは私にとって読経であり、写経である。自分のあるべき姿を書けば、それが規範として身を引き締めざるえを得ない。

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 馬場恵峰書

 

2022-03-26  久志能幾研究所通信 2343号  小田泰仙

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2022年3月21日 (月)

神様経営のプロジェクト

 

 経営の神様松下幸之助氏は若者から「国の政治と会社の経営は同じものか」と問われ、「同じだ」と答え、「業種を問わず、会社経営に成功するには三つの条件がある」と続けた。

 一つは絶対条件で、経営理念を確立すること。これができれば経営は50パーセントは成功したようなものである。

 二つは必要条件で、一人ひとりの能力を最大限に生かす環境をつくること。これができれば、経営は80パーセント成功である。

 三つは付帯条件で、戦略戦術を駆使すること。これを満たせば経営は100パーセント成功する。

   藤尾秀昭著『小さな人生論1』より 致知出版社  2003年

 

 私はこの言葉を人生全てに通じると信じて、自分の全ての行動、プロジェクトに適用して生きている。自分の人生経営も然り、プロジェクトの遂行も然り、商品購入の実行も然り、食事もしかり、生活全般も然りである。

 経営とは、自分の使える資源(能力、財産、人脈、環境、徳、家の歴史)を最大限に活かすことである。親の遺徳も大事な資源である。自分の徳を後世の子孫に残すのも経営の要件である。

 

人生

 人生はまず生き方の方針を確立すること。何のために生きるかを明確にする。そのため、自分の能力を最大限に活かすため、自分への投資を怠らないこと。生きるための渉外事項は単なる付帯事項である。人との付き合いは、自分がしっかりしていれば、付き合う相手も自然と決まってくる。それをしっかりと維持すればよい。

 

食生活

 日常生活の食事でも、何のために生きるか、何のために食べるかを人生目的で明確にすれば、それで生きる方法と食事生活の50%は完結する。後は技術的に最適な方法(食材・料理法)を選択するだけである。後の戦略戦術は付帯事項である。生きる目的が明確なら、好き嫌いも言わず、毒(タバコ、酒、糖分)などは見向きもしないようになる。

 食事の目的が健康な生活を維持し、健康な体つくりであると定義すれば、安いからと遠方まで時間をかけて食事に行くことは無くなる。時間の無駄であるし、安い食材は、往々に体には悪い成分が入っている。本末転倒の結果となる。それは食事の経営方針がなっていないのだ。

 

モノを買う

 モノを買うにも、そのプロジェクトの経営理念さえ明確にすれば、後は自動的に目的に向かって走り出す。それで50%が完結する。値段の高い安いは付帯事項である。安物買いの金失いでは、その購入の経営方針に反する。

 安い中国製の電子製品を買って得した気なっても、それで中国の少数民族の奴隷労働の手助けとなり、日本の技術が盗まれ、日本の雇用を無くし、10年後の日本経済が破壊されれば、本来の購入の経営方針に反する。それで中国が金を稼ぎ、その金で日本を狙うミサイルを整備されたら、本末転倒どころか、日本沈没である。

 

 「日本や在日米軍、海上の米艦艇を攻撃できる地上配備型の短・中距離弾道ミサイルを中国は約1900発保有しているが、米国の保有数はゼロだ」

 オバマ米前政権で核・ミサイル防衛担当を務めたブラッド・ロバーツ元国防次官補代理談  聞き手 編集委員・佐藤武嗣

「日本攻撃可のミサイル、中国に2千発」

2020年3月23日   朝日デジタルより

https://www.asahi.com/articles/ASN3Q77H0N34ULZU016.html

 

経営不振の大垣新市庁舎

 2020年1月に竣工した大垣市新市庁舎のプロジェクトもその建設の経営が不適である。何のために建てるのかの目的が曖昧になっている。結果として役人たちの自己満足のための建設となってしまった。だから人口減が予想されているのに、過剰な大きさと過剰な豪華な設備となった。使い物にならないIT機器を、自分達の自慢の為に導入した。新市庁舎の建設の経営方針がデタラメであったためだ。

 

ピアノ導入

 現在、コンサート用ピアノの購入計画を練っているが、その運営の経営理念が明確だから、ブレることなく前進している。金を作るのは付帯事項である。悪いことに使うのでなければ、金は何とかなるものだ。そのための各要素を最大下に発揮する段取りをするだけである。

 

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 馬場恵峰書

2022-03-21  久志能幾研究所通信 2338号  小田泰仙

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2022年3月18日 (金)

幸運方程式 「自分は運がいいと信じる」と成功する

 

幸運の方程式

 運の良さ=μ×C

     μ=一定(成就する確率)

     C=出会いの回数

     C∝フットワーク力、取り組み回数

 

 結論: 運を良くするには、C値を大きくすればよい

  つまり多くの人に会い、多くの本を読み、数多く旅行をして見聞を広めれば運が良くなる。

 運が良くなってくると、μも大きくなってくる。つまり出会うご縁を幸運に変換する能力が大きくなる。相乗効果である。

 その逆は負のスパイラル降下である。

 

チャンスは平等

 日頃の行動の積み重ねが運に影響する。自分は運がいいと信じて、フットワークを良くるすること。オダ仏教を信じて、前向きに行動すること(トヨタさんなら豊田教。つまり自分教)。その自己暗示力が人生を開拓する。思いがあるから行動に出る。そう思わない人は行動などしない。

 沢山の人と出会い、沢山の取り組みをして、沢山の失敗をする人が成功する。全てで成功するはずがない。失敗分は勉強代、損切分と思えばよい。それがあるから知恵がつく。そのうち一つでも成功すれば、大成功である。

 

「成功する人の習慣」

 日本は災害の多い国である。そのため慎重な性格な人が生き残っている。不安遺伝子を持っている人は70%近い。米国では20%もいない。

 自分が運のいいと思っている人と運が悪いと思っている人に、クジを購入させたら、当たった確率はどちらも同じだった。

 科学的には運の良し悪しは平等である。チャンスはその人がどれだけ運を掴む振る舞いをしているかで決まる。確率の問題である。

  脳科学者・中野信子氏の講演会「成功する人の習慣」

  十六経済懇談会で 2019年10月3日

 

ダーウィンの法則

 変革期には多くの人と会うことだ。幕末期、倒幕で活躍した英雄は、多くの国を回り、多く人と話し合い、情報収集をしていた。

 変革期は優秀なエリート人材が運を掴んだのではなく、最もその環境に適合した人が、新天地で生き延びて新しい世をリードした。その人たちは、多くの経験をして、多くの本から知識を得て、多くの世界を見たので、その運を掴めたといえる。

 当時のエリートはその地位に安住して動かなかった。エリートは地位が安泰で、動く必要がないのだ。エリートは動いてはダメなのだ。体制の現状維持してこそエリートの座が維持されるからだ。

 これはスペンサージョンソン著『チーズはどこに消えた?』の江戸幕末期版の寓話である。

 

ドーパミンによる快感

 「自分は運が良い」と思うと、ドーパミンが分泌されて、幸せな気分になり積極的な行動がとれるようになる。そのためも自分は運がいいと思い、人に夢を語ることだ。それは自分自身への暗示ともなる。それが自分を活性化してくれる。それで運が良くなる。自分教を信じよう。

 

2022-03-17  久志能幾研究所通信 2335号  小田泰仙

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2022年3月 4日 (金)

アウシュビッツ収容所の教え、本箱を2個新購入

 

 私の生きるための糧の一つは情報、本である。それが増えるのは私に喜びである。その胃袋が満腹となると、餌を食べたくても、食べられなくなる。本箱も同じで、本を置く場所が無くなると、本を買えない。

 2022年2月7日、本箱を2個追加導入した。幸せである。今回購入した本箱は、幅80cm、高さ180cmのスチール製の本箱で、一個1万円ほどの製品である。別宅で場所が確保できたので購入した。これで別宅には合計11個の本箱が鎮座する。

 この一個の本箱に約150kgの書籍が入る。今までに本宅、別宅に約4トンの本や資料が溜まっている。これでプラス300kgの資料を入れる余裕が出来た。

 

新しいコップ

 新しい情報を入れるためには、空きを作らねばならない。いくら良い情報でも、頭が空っぽでないと受け入れられない。洗脳で頭が凝り固まっていると、新しいことは受け入れない。それを老化という。コップに一杯水が入っていると、それ以上には水は入らない。水を出すか、新しコップを用意しなければならぬ。だから私は新しいコップを用意した。

 常に書籍や雑誌から新しい情報を仕入れて、そこから生きる元気をもらうのが私の健康法である。

 

アウシュビッツ収容所の青春

 人は肉体が老いても、精神的に元気な人なら青年と同じである。しかし肉体が若くても、精神的に老いれば、老人と同じで死は近い。第二次世界大戦下、アウシュビッツ収容所でも、若いユダヤ人が絶望してどんどんと死んでいった。精神医師のヴィクトル・E・フランクルは、強制収容所を出た後の人生を夢見て、元気を装い強制労働をこなして、ドイツ敗戦後、死のアウシュビッツ収容所から生還した。

 ドイツ強制収容所の死亡率79%、ユダヤ人の死者434万人。

 

 ドイツ強制収容所から生還し、その体験を記した『夜と霧』の著者(心理学者)、ヴィクトル・E・フランクルがとった行動とは、

 

◇ 働ける体であるように見せる

   働ける状態でなければ、自動的にガス室行きである。彼は常に若く見えるように、立ったり歩いたりする時は背筋をピッと延ばしていた。若く見えるように髭を毎日剃った。最後のパン一切れを人に与えても、ガラスの破片で髭を剃ってもらった。

◇ 病気にならない

   病人になれば、自動的にガス室行き

◇ 常に未来を信じる

    近い将来、講演会で自分が演説している姿を思い浮かべた。

◇ 収容所での苦しみは意味があると認識

     無意味だとすると生きることの価値が無くなる

◇ 愛する人との魂での会話

◇ 感動を失わない

     沈みゆく太陽の夕焼けの風景に感動

◇ ユーモアを失わない

     自分を見失わない魂の武器

 

 私も3年前に癌で余命宣告された。アウシュビッツ収容所に収監された心境である。こんなことで死んでたまるかと、元気を作る取り組みをしている。その糧の一つが本である。だから家を買い、本箱を買った。

 

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2022-03-04 久志能幾研究所通信 2322号  小田泰仙

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2022年3月 1日 (火)

オダ仏教の慈愛投資

 

1 相手に頼みごとをしない

 自分で課題解決に取り組まないと、問題解決力が付かない。

 それを裏技で、ショートカットするから問題が更にこじれる。 

 人に頼るとは、自分を堕落させる。

 使わない器官(問題解決能力)は退化する。 

 またそれは他人の時間を奪う事。人に迷惑をかけてはならない。

 逆に頼まれたら断ること。それが慈愛である。

 

2 相手の時間を無駄にしない(迷惑をかけない)

 時間は命。相手の時間を無駄にするとは相手の命を奪うこと

 命とは、この世で使える時間の総量である。

 明日の命は分からない。新型コロナに罹れば、明日の命は分からない。

 私もガンになり余命宣告されていたので、命の大事さが身に染みる。

 

事例

 今日(2022年3月1日、家電量販店で相談しようと出かけた。馴染みに店員が、中年おじさんに30分以上もかかりきりで相談できなかった。後で聞くと、43インチTVの買い替えなのに、その決断ができずグズグズしている。彼は妻の了解をもらうため10分以上も電話をかけていたという。店員はその間、他の客の相手が出来なかった。その結果、彼の営業成績が下がってしまうのだ。たかが10万円のテレビの選択で決断をできず30分以上も店員を拘束するとは、相手に迷惑をかけること。自分の人生時間も無駄にしている。

 

3 相手の立場を理解する

  金銭的な損得より、自尊心を傷つけられた恨みは大きい。無視された恨みは深い。愛の反対は憎悪でなく、無視なのだ。人の恨みを買うとは、未来の時限爆弾を抱える事

 

4 喰う餌を与えるより、捕り方を教える

 飢えた相手に魚を与えるよりも、魚の取り方を教える。

 魚を与えると、永遠に魚を与え続けなければならない。

 

5 毒を食わせない

  来客したお客さんに、毒を食わせてはならない。甘いもの(糖分)は毒なのだ。和菓子ならともかく、ショートケーキや脂分の多い洋菓子は毒である。

 コーヒーフレッシュも毒である。砂糖も毒である。出すならブラックコーヒである。

 毒を喰わせるとは、時限爆弾を相手の体に仕込む事。

 

6 怠けない

  怠けないとは、学んで自分に投資をすることだ。人生で最大の投資先は、自分である。人生は投資した分が利子を付けて返ってくる。

 自分が怠けている間も、敵の「時間」は容赦なく先に行ってしまう。失ったお金なら稼げば取り戻せるが、失った時間は、命の喪失である。二度と取り戻せない。人間としての勤めは、死ぬまでに、最大限に魂を向上させ、佛の境地に近づける精進である。人間は犬畜生とは違うのだ。学ばない人間は、犬畜生に落ちる。日々精進、それが己への慈愛である。

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 馬場恵峰書

2022-03-01 久志能幾研究所通信 2319号  小田泰仙

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2022年2月28日 (月)

プーチン砲 たった一発で コロナ雲散霧消

 

ニュース激変

 今まで連日連夜、マスコミは新型コロナウイルス騒動で大騒ぎであった。ところがロシアのウクライナ侵攻が起きたら、YouTubeのニュース等で新型コロナウイルス報道が消えてしまった。まだ新型コロナウイルスが消滅したわけではないのに、だ。今はウクライナ報道一色である。マスコミのえげつなさに呆れた。

 

痴呆バラエティー番組狂騒

 いつものことで、マスコミは大騒ぎするだけで、実際の真の対処法に関しては、無知極まりない報道ぶりである。見るからに知性のなさそうなタレントが、したり顔でニュース解説をする。人畜無害なニュースだが、国民の大事な時間を浪費させる番組である。無為に痴呆的にテレビを見ていれば認知症へまっしぐらである。

 

合間に金儲けはしっかりと

 その番組の合間のコマーシャルで、ガンや糖尿病、循環器系の管病の原因になる食品をさりげなく放映する。スポンサーのCMだらけで、健康に害があることが明白でも、ディレクターは止めるわけにはいかない。

 スポンサーの手前、コロナで死んでいる数よりも37倍も多いがん死亡者数のことなど知ったことではないのだ。

 今は、マスコミは騒動になる話題に乞食や餓鬼のように群がりつく。騒動乞食である。マスコミにとってコロナよりも、もっと美味しい餌のウクライナ侵攻が出てきたので、現状のコロナ報道をおっ放り出して、ウクライナ侵攻報道に乗り換えただけである。

 

後日の邂逅

 10年後、自分の人生を俯瞰したら、そのニュース騒動は夢のようなむなしいものと思うのではないか。

 

戦争を知らない先生たち

 その昔、日露戦争があったことを知らなかった大学教授がいた。幕末生まれで物理学者、原子構造研究の先駆者の長岡半太郎である。彼は明治29年に留学先のドイツから帰国後に東京帝国大学(現在の東京大学)の教授になる。当時の物理学はレントゲンによるX線の発見など大変革期であった。

 明治33年、パリで万国物理学会が開かれた。ベクレル、キューリー夫妻、ポアンカレ、ギョームらの一流の物理学者とともに、日本からは長岡が招待された。  明治36年に長岡が発表した原子模型の論文は、現代物理学初期の日本人最初の業績として著名である。彼の研究に邁進する姿から周囲の人々から

 「あいつは研究熱心で研究室に篭もりきりだから日露で戦争が勃発したことも知らないんじゃないか」と噂され、それが世間に広まった。

 そう噂されるとは名誉である。

 

天命

 我々はマスコミや世間のばか騒々しさからすこし離れるべきだ。そのニュースに振り回されて、自分が向上するのかを自問しよう。自分に与えられた天の使命(天命)に目覚めて、その道に邁進すべきだと思う。

 ニュースに振り回されている時期も「人生の本」の一ページである。無駄なペーである。無為に人生の頁がめくられていく。そして最期の時に後悔するのだ。

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2022-02-28 久志能幾研究所通信 2318号  小田泰仙

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2022年2月27日 (日)

サガミで「食い逃げ犯」扱いされた

 

 「ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。

 無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

    Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken,    damn hard to put back together again to its original form.

       “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

 

 昨年の5月ごろ、大垣のサガミ北店で食事の注文した後、財布を自宅に忘れたことに気がついた。慌てて店員のその旨を告げ、財布を取りに帰ろうとしたら、「担保としてスマホを置いていけ」である。まだ料理も出てこず、食べてもいないのにも関わらず、である。当方もその後の予定があり財布が必要であったから、何も考えず、スマホをサガミに預けて、財布を取りに帰宅して、サガミに戻った。運転中に事故であったら、スマホがなく問題になったはずだと気がつき怒りが出た。

 運転しながら、冷静に考えて、なんで千円の昼食代の担保に、スマホを預けないといけないのかと、さらなる怒りが沸いてきた。要は、客を信用せず食い逃げ犯疑いをされたのだ。接客業としたあり得なことだ。お店は街中でなく郊外店で、車でないといけないお店である。車で来ている客が食い逃げをすると思うのか。

 

 店に戻って席についても、料理が準備されているわけではなく、そこから料理を作りだしたようだ。店員はこの顛末に気が付かないのか、謝りも説明もない。

 私は食事の後、店長を呼び出し、苦情を言った。店長は謝りで「お金は不要です」と言ったが、因縁を付けるのつもりはないので、食事代金を払い、「もう二度とサガミには来ない」と宣言して店を後にした。

 

正しいお作法

 私が店員なら、「代金は今度来店された時で結構ですよ」と言う。これは、日本のどの飲食店でも対応する常識的な対応である。客とお店は、お互いに信頼関係である。わずか千円の食事代である。それをサガミの店員は「(お前は信用できないので)担保としてスマホを置いていけ」は異常である。料理はまだ出来てもいないし、私は食べてもいないのだ。

 

権限無移譲

 それもそんなレベルの事を、わざわざ上司にお伺いを立てて、スマホ預かりの顛末である。実は「携帯の電話番号を聞いとけ」の指示を勘違いしたようだ。問題はわずか千円の決済権も店員にはないのだ。店員が店長から信用されていないお店であることが露見した。

 そのお伺いを立てて、回答が来るまでに10分はかかる。時間コスト一分100円として客に1000円の人生価値を失わせてしまう。だからこんなお店で食事など、今後まっぴらである。

 

日本人の劣化

 このサガミの客の扱いは、日本の飲食業の下記の病気を表している。

 サービス産業の生産性の低さ、それが向上しない原因

  要は権限委譲がされていない

  従業員をロボットとして信用しない体制

  日本人の劣化(自分の頭で考えれなくなった)

  社員が作業員(ロボット)に成り下がる現象

  社員教育の劣化

  金儲け主義の蔓延

 

 今回の事件で、サガミの従業員教育レベルが判明した。マニュアル化されて洗脳された従業員は、客を客として見ていない。客は工場ライン上の仕掛品なのだ。また、サガミは接客業なのに、店員は自分の頭では考えられない状態となっている。どうすればお客に喜んでもらえるかを考えない。これは日本人全体に広がっている業病である。こんな状況だから、失われた30年が生まれて、日本の生産性が停滞しているのだ。特にサービス産業の生産性が伸びない。

 

生老病死

 あれから10か月が経つが、私はサガミには行っていない。もう二度と行くことはない。1991年9月にサガミが名古屋2部に上場したころから、私はサガミが気に入っていて、月に2,3度はサガミに通っていた。当初は、週末のテニススクールの後、食事のため近くのサガミ知立店に毎週通っていた。知立店から始まり、高浜店、橿原店、大垣店の30年間のサガミとの縁はこれで終わった。どんなものも生まれ、成長し、老い、病気になり、死ぬ。それは企業でも同じである。経営者が異変に気が付かなければ、予定より早い死があるのみだ。

 自分でも、人との信用関係を大事にしたいとの思いを新たにした。

 

 

2022-02-27 久志能幾研究所通信 2317号  小田泰仙

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