法要とは、魂の人間ドック・自分の葬儀
法要の意味
仏教では、故人の為に一周忌、三回忌、七回忌、13回忌、17回忌、23回忌、27回忌、33回忌、50回忌まで法要を行う。その意味を理解せず、最近は七回忌くらいで止めてしまう風潮のようである。情けない話だ。
私は欠かさず年忌法要を執り行っている。私は昨年、祖父の100回忌を執り行うことが出来て良かったと思う。
成長の確認
法要とは、親の教えに対する自分の成長具合の確認の機会である。親は自分のために、無償で多くの支援と教育を自分のために施してくれた。親は自分が幸せになることを望んでいた。
多くの人は、日頃の忙しさにかまけて、自分の成長具合の確認はしにくいもの。法要とは、その成長具合を、仏前に手を合わせ、振り返り、1年、3年、7年、13年、等々と要所要所で確認していく儀式である。年を追うごとに親が亡くなった歳に、自分も近づいていく。その親を超えられたのかと自身に問う機会が年忌法要である。最低でも、親の歳までは健康で生きたい。それが親孝行。
人が成人すれば、師が親代わりである。師の死後、何時、自分は師を超えることができたのか。師を追い抜いてこそ恩返しである。その確認時期が法要の時である。
魂の人間ドック
親が死んで33年、自分は親と同じ歳となったが、親より幸福になり、豊かになり、長寿(健康に)に過ごせたのか。それを確認するために、静かに手を合わせて、霊前に報告する行事が法要である。
またその法要をできる幸せを感じよう。健康でお金に余裕がなければ、その法要もできない。法要とは、魂の人間ドックである。
自分の葬儀
親や師の法要とは、過去の未熟な自分を見送る葬儀である。親や師の教えに対して、過去の未熟な自分に別れを告げ、新たな決意の元、新しく生まれた自分が、今後の生き方を霊前で誓う儀式である。親や師の教えに報恩感謝する厳かな儀式である。
馬場恵峰書
2022-01-25 久志能幾研究所通信 2284号 小田泰仙
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