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2019年3月17日 (日)

毘沙門天になろう

 毘沙門天とは、別名「多聞天」とも呼ばれる。多聞天の名前の由来は、日に何度も「法」を聞くことから名付けられている。

 「法」とは「三水」の「水」「去る」と書く。水が上から下に流れるのは、何時でも何処でも誰にでも当てはまる法則である。その行為がその自然界の法則に合っているか、それを自問すれば、時間節約の答えは自ずと見える。法に反した行いは時間ロスの最たるの。人生の「法」程式を覚えよう。人生の受験勉強には、法程式を記憶するに限る。

 

阿恵と吽形

 毘沙門天の足元にいる邪鬼界の阿恵と吽形は、悪さの限りをしていたのだが、「そんな悪さをしていて、お前の3000万年後の人生(鬼生?)はどうなるのか。上の界(人間界)に生まれ変わりたくはないのか。今のままでは畜生界か地獄界へ落ちるしかないではないか」と仏のお諭しとお導きで改心して仏心を得た姿を象徴している。その姿の現れとして、毘沙門天の足元で、阿恵と吽形が足場として支えている。毘沙門天は本来、岩に上に鎮座されているものだが、阿恵と吽形が自分の背中を差し出して、毘沙門天に足場を提供している。決して毘沙門天に踏みつけられているのではない。

 江戸時代の毘沙門天像の多くの像は、阿恵と吽形が悪の象徴として踏みつけられている形で造形されている。松本明慶先生は、それを新しい解釈で、毘沙門天に足場を提供しているとした。こういう考えも「創造」である。

 

六界

 六界とは、天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界である。群青と赤の阿恵と吽形は陰陽の世界も象徴している。どんなものでも裏と表、プラス・マイナス、良い点、悪い点があることの象徴でもある。目の前に現れる事象には、いい面も悪い面もあり、それを総合判断して法により判断しろとのメッセージでもある。人生の経営者にはそれを見極める能力が求められる。そのためには、法を学ばねばならない。

 

この世が地獄

 六界は、あの世の話しではない。この世でも修羅界も畜生界も餓鬼界も、時には地獄界さえ経験する。この世は、時としてあの世以上に鮮烈である。

 年間3万人弱の自殺者、子供のいじめ虐待被害が13万件、ガン患者が年間99万5千人、認知症患者は65歳以上で15%。此の世が地獄である。地獄を逃れるためにも、それが起きた原因を「法」に基づいて学ぼう。自殺に追い込まれる原因、いじめが発生する精神構造の変化、ガンが発生する環境、認知症の発生原因、それの「法」を学んで、自己防衛しよう。

 三好輝行先生とのご縁があり、次の毘沙門天像を拝ませていただいた。

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松本明慶先生作 毘沙門天  三好輝行先生蔵

    『命の器で創る夢の道』P104より

 

2019-03-17 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月16日 (土)

仕事は自分を写す鏡、義子先生の命の仕事

 宗教も仕事も、自分の魂を昇華させる燃料である。自分の心の状態がプロジェクターで投影されるように、宗教や仕事に反映される。みほとけとは自分の心のある考えの象徴である。仕事を通して完成されるのが自分の魂である。未完の自分をいかに高めて次のステージに移るかが、この世で問われる課題である。人生に完成はない。いかに理想に近づけるかが、腕(魂)の見せ所である。出あった仕事をどう解釈するかで、その人の生き様が変わる。

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雑用

 言いつけられた用を雑にするから、雑用になる。その仕事だけを取り組んでいる人にとって、雑用はない。その「雑用」で、心を込めて取り組めば神聖なご用となる。どんな雑用も人のためになる「仕事」なのだ。

 渡辺和子シスターが、若い頃アメリカの修道院で修行をしたとき、食事前の準備でテーブルに皿を並べる「雑用」を言いつけられた。彼女がその雑用をそこそこにこなしていると、それを見ていた修道院長から、「何を考えて皿を置いていますか」、何も考えていません」、「お皿を置くときに、なぜ、その席に座る人の幸せを祈れないのですか。お皿を置くごとに、「お幸せに、お幸せに」とお祈りしながらお皿を置きなさい」と叱られたという。皿をテーブルに並べるという雑用が、心を込めることで神聖な仕事に昇華する。

 

解釈

 師や上司からある用を言いつけられた時、その用をどう解釈するかである。修行と見るか、罰と見るかで、その後の人生が変わる。過去の苦役・不運を、自分を高める修行と見ることができれば、未来は明るい。

There is no facts, only interpretenstion.

事実はない、あるのは解釈だけ。  ニーチェ

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命をかけた最期の仕事

 河村義子先生は、2018年12月8日(米原)、12月15日(大垣)のクリスマスコンサート(白鳥の湖)の音楽監修を最後の仕事としてされた。12月25日の死の2週間前の病床で、私が撮影したビデオ映像を見ながら、病をおしてその音楽監修をされた。それを12月15日の大垣音楽堂でのコンサートに反映できるように、音楽監修でその修正指示をされた。12月16日は再入院であった。12月17日に、義子先生の自宅に大垣公演の編集無しのビデオを届けた。

 12月15日の大垣でのコンサートをビデオで見て、「素晴らしかったよ」と愛弟子の小林朱音さんのピアノ演奏ぶりに涙を流して喜ばれた。それが義子先生への餞となった。義子先生の後継者育成の仕事が終わった。

 義子先生の命をかけた魂の仕事ぶりが、クリスマスコンサートに反映されたのを嬉しく思う。多くの子供たちも喜んでくれた。コンサートの写真撮影、ビデオ撮影で、そのお手伝いの一部をさせて頂いたのは光栄である。撮影当時は、そんな状況とは露知らずであった。そういう撮影のご縁を頂いたことに感謝です。

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2018年12月8日 米原公演、リハーサル

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2018年12月15日 大垣公演、リハーサル

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2018年12月15日 大垣公演、本番

出演は、林葉子バレエアカデミーの皆さん

         『命の器で創る夢の道』P103より

 

 2019-03-16 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月13日 (水)

地獄を見る

 地獄はあの世ではなく、今の世に地獄がある。今の世で地獄を経験してこそ人間として成長できる。地獄を見た人間は強い。地獄を見るとは、自分の持つ業が消えたときである。甘えが消えたときである。人(魂)は地獄の試練を受けないと浄化されない。この世で地獄を経験していない極楽トンボが、あの世で地獄に堕ちる。人は六道輪廻(天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)の法則で、地獄も一度は通過しなければならない宿命である。あの世で経験するかこの世で経験するか、遅いか早いかのわずかな差でしかない。地獄の時期は長くはない。修行と思って耐えよう。宗教の脅しに屈してはならない。

 

日本刀の地獄

 日本刀も砂鉄の素材が、劫火に焼かれて真赤になり、刀鍛冶師により何百回も何千回も叩かれ鍛えられて、鋼の粘りある名刀に変身する。それは素材の砂鉄にとって地獄の試練である。鍛えていない日本刀は簡単に折れる。

出会いは一瞬で決まる。その時のために、自分を日本刀として鍛えよう。名刀は一瞬で勝負を決することができる。切れない日本刀は一番始末が悪い。

 

天獄

 理想の天国は、天獄でもある。一日中、気持ちのいい音楽ながられる中、お花畑でフワフワ浮いていれば、やることもなく、私なら気が狂う。昔の仲間がみんな地獄に行った。だれも話し相手のいない天国は、地獄である。生きているから、いろいろあるのだ。だからそれで良いのだ。見通しても砂漠以外の風景がない砂漠を、誰にも会わずとぼとぼと、一生の間、歩いていくなど、地獄である。

 

臨死体験

 人生で一度地獄を見ると、その後の生き方に覚悟ができる。一度、臨死体験をすると、モノの見方が変わる。一度死線をさ迷うと、今生きている事、出会うご縁の全てに感謝できる。そのご縁の真贋が見えるようになる。それは自分を捨てて、もっと高い見地から物事を俯瞰できるようになるからだ。

 死線をさ迷うと、生きていてよかったとしみじみと実感する。その体験に比べれば、世の騒動は雑事である。是非、地獄を見よう。

 

 『命の器で創る夢の道』p102より

2019-03-13  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月12日 (火)

トヨタ教の経典で真贋を判別

 今回の新興宗教団体とのトラブルで、その宗教の真贋をトヨタ教の教えで判断した。この判定法は、宗教団体の真贋鑑定だけでなく、車のディーラー、保険会社、病院、営業マン鑑定、人物鑑定等でも、今まで私が人生の生存競争を生き延びてきた道具である。

 

トヨタ教

 私はトヨタ教(トヨタ生産方式 The TOYOTA WAY)の「現地現物」を大事にしている。それはトヨタ自動車を世界一の会社にした根本原則である。しっかり自分の目を見開いて、素直に見て、足で見て(「見」は「目」に「足」が付いた象形文字)、過去の知見を総動員して、衆智を結集して、物事の真贋を見極めよう。宗教に入信とは、自分の命(時間)を捧げることであり、人生の存亡に影響する。来る縁が全て善とは限らない。気を緩めたとき、妄信したとき、恐ろしい誘惑が襲って来る。勧誘側にもノルマがある。

 

現地現物 :Go and See for Yourself to Thoroughly Understand the Situation. Observe the production floor without preconceptions and blank mind. Repeat“why”   five times to every matter. Taiichi Ohno (as quoted in The Toyota Way Document)

                                JEFFREY K.LIKER“THE TOYOTA WAY”

 現地現物とは、自分で現地に行き、自分の目で見て、状況を完全に理解することである。先入観なく、素直な心で生産現場を観察せよ。そして5回のナゼを繰り返せ。(大野耐一)(「現地現物」の説明として、ミシガン大学リッカー教授の英語訳は出来色である。)

 

・仏師の考察

 松本明慶大仏師はwikipedia でも詳細に説明されている。この某教団の釈迦如来像、仁王像は人間国宝○○○作とあるが、wikipedia では「○○○」を検索できない。Webでも百科辞典でも、画像も図書もネットオークションでも検索できない。そもそも中国に人間国宝の制度はない。共産国家にとって、宗教よりも共産党主席が最優先なので、邪魔な存在のはずである。仏様より毛沢東主席、習近平主席が偉いのである。そんな共産党という宗教が、仏像彫刻文化を保護して人間国宝と言う称号は作らない。共産国のソ連でもキリスト教も迫害されていた歴史がある。中国も同じである。

 

・中華人民共和国[編集]での仏教

 第二次世界大戦が終わり、中国国民党が台湾に逃れて、共産党により中華人民共和国が成立すると、仏教は国家による多大な弾圧を受けた。(マルクス主義は宗教を否定する。旧ソ連でも同様に教会は政府に破壊された)特に1960年代の文化大革命には極端な弾圧と破壊が行われ、中でもチベット地域では、多数の寺院が破壊され、多数の僧侶が虐殺され、ダライ・ラマを初めとするチベット政府はインドへ逃れざるを得なかった。

 21世紀現在では、中国政府は文化大革命の非を認め、政府の統制の元にある中国仏教協会を中心とした活動を公認し、開放政策に方向転換をしている。日本との国交正常化直後には中国国内の仏教寺院は荒れ果てていたが、現在では日本の寺院や華僑の援助によって沿海部を中心に復興を遂げている。(Wikipedia より 2013/09/17)

 

共産中国での仏教

 かの地で仏教は公認されているが、日本のように文化庁が人間国宝の制度まではない。だから「人間国宝○○○作」という表現は嘘である。仏像彫刻も文化である。最近、中国での仏教への迫害はなくなったが、荒れ果てていた仏教寺院に、芸術が再び育つには長い年月が必要であろう。

 

人生の原理原則

ブッディストの3条件  

  1. 人と比べない
  2. 神仏に頼みごとをしない
  3. 世間様に迷惑をかけない

斑目嚝談『日経ビジネス』1997.0908「有訓無訓」

 

 仏教の教えでは、信徒の勧誘は禁止されている。あくまで自分の意思での帰依である。だから誰も出家しろとは言わない。キリスト教でも同じである。それを某新興宗教団体の教義では、信徒を3名勧誘しないと極楽浄土に行けないとは、仏教の教義違反である。法律の面でも、法に書いてないことは、善意で解釈すればよいが法律の原則である。

 日本国憲法でも、宗教の自由が保障されており、退会も自由である。それが退会すると「無間地獄」に堕ちるでは、日本人をやめなくてはならない。ましてや、大きさを誇って他と比べてはいけない。

 また「無間地獄」に堕ちるには、生前に殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒人・父母殺害、阿羅漢殺害他の罪を犯さなくてはならない。脱退だけではその資格がなく無間地獄に入れてもらえない。最近は地獄の入門も入所者数が多いのでセキュリティが厳しくなっている。入門に証明書が必要です。(このことは私の師である元大学教授のH先生より教えて頂いた。師は、今は乞われてある寺院の住職をされている。

 

キリスト教も120宗派ある

 米国では、最近は地獄の入門以前に、犯罪者が激増して刑務所が足りず、入所待ちの受刑者が多いという。世も末である。それもグローバル経済主義万能を信奉するので、結果として貧富の差が激しくなり、犯罪が増えたに過ぎない。そのご利益で、新興宗教の活躍の場が広がった。米国では、同じキリスト教といいながら、120の分派がある。その分派ごとに教祖が存在するのであろう。

 

十六小地獄 (無間地獄)とは

 十六小地獄とは、仏教の地獄に伝わる八大地獄の周囲に存在する小規模の地獄で、地獄に落ちた亡者の中でもそれぞれ設定された細かい条件(生前の悪事)に合致した者が苦しみを受ける。条件は当時の倫理観や仏教の教えに沿っているため、中には現在の倫理観や社会風俗などに合わないものも存在する。

 ここでは、生前に殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒人・父母殺害、阿羅漢殺害他の罪を犯したものが落とされる無間地獄の小地獄を解説する。なお、特に断りがない場合、種類と描写は「正法念処経」の記述に従う。(この項 Wikipedia 2013/09/24 より)

 

 日頃は科学万能の現代社会に生きていながら、急に地獄の話を信じるのも、それで脅すのも滑稽である。人間は太古の時代から精神面では少しも進歩していない。

 

・仏像のお顔を人相学的に考察

 松本明慶先生作の釈迦如来座像のお顔は端正である。お釈迦様のお顔であるので端正は当たり前である。大日如来像のお顔なら、その姿は宇宙根源の象徴だから、美しくないはずがない。松本明慶先生作の釈迦如来座像や他の仏像のお顔は慈悲に満ちた眼差しで、思わず手を合わせたくなる。

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 松本明慶先生作 釈迦牟尼佛座像(上)、虚空蔵菩薩坐像(下図)

 

某教団の仏様のお顔

 それに対して、某教団の釈迦如来像を人相学的に観察すると、ぶ厚い唇は生命力に溢れ、物欲性欲も強いとされるので、仏様のお顔としては、異様である。この仏様のお顔は上品ではない。また上唇の厚みが下唇よりも薄くバランスが悪い。これは我が強いことを表している。私の昔の上司がこの唇のタイプであった(私は苦労をさせられた。言い出したらきかない性格であった)。上に反った唇のカーブも不気味である。

 少しつり上がった目は、何か信用を置けない雰囲気を与える。垂れ目のタレレントの萩本欣一さんは憎めない親しみを感じる顔相であり、欣ちゃんの垂れ目がそれを表している。この仏像の目とその表情からは、ありがたい眼施をされているとは思えない。

太い鼻柱は強い強欲さを感じさせる。二重顎(三重顎?)は肥満ぎみの証である。食欲を自制できていないのか。ほうれい(鼻と口の間)が短いので、あまり良い人相とは言えない。ほうれいの長い人は長命といわれ福相である。頬のふくらみもなにか異様である。私は冷たい印象を受けた。耳の形と大きさも意味があるのだが、なにか異様である。        

 全体的なお顔の印象が、東大寺の大仏や明慶大仏師作の仏像に比べると不気味である。ありがたみがほとんど感じられないのは私だけであろうか。お釈迦様のお顔であるので、端正であるはずである。それが感じられない。

某教団の釈迦如来像は、キンキラキンの金箔仕上げで、分厚いまぶた、分厚い唇等と、日本人の私には違和感がある。そのお顔の造りはインド人、中国人系である。浄土では金とか物欲とは無関係の世界であるが、黄金の釈迦如来像ではあまりの俗世間的である。

 

仏像はその国の文化

 仏像や宗教はその国の文化なのだ。その国が醸成した思想や文化がそのまま宗教に反映されてその象徴として仏像の姿に現れる。厳しい砂漠の自然が、厳しい掟のあるユダヤ教を生んだ。目には目を歯には歯を、である。そういう戒律で縛らないと生きて行けない自然環境である。温和な自然の中で生まれた仏教とは、環境が異なり、違った雰囲気を伝えている。同じ仏教でもインド、中国の仏教と日本の仏教とは大きな差が出てきている。それが仏像のお顔に表れる。それが文化の差の表れなのだ。

Photo_3日本の宮廷文化 京都・御所 

Photo_4東大寺の大仏

 『命の器で創る夢の道』p96より

2019-03-12  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月11日 (月)

学ぶとは自分探し

 学ぶために記憶するとは、単に個別の項目を覚えるのではない。個々の項目と他の項目の関連を学ぶことなのだ。本を読んで新しい知識を得るのは、今まで学んで構築した脳内のネットワークを強固なベースにする手段である。単なる一項目を覚えても、人生では何も役立たない。それが自分の人生とどういう関係があるかまで、掘り下げて学ぶことが学問である。単に覚えることは受験勉強の抹消の技でしかない。学ぶ以上は、自分自身の癖や性格までを直さねば、本当の学問ではない。受験勉強はその入り口での練習なのだ。

 

読む

 本を読むだけが学びではない。自分で考えなければ、本を読むのがかえって害になる。考えることが最大の学びなのだ。母親が、乳児に乳を与えながら、生命の神秘を考えることは、万遍の書を読むよりはるかに価値がある。

 

科学とは

 科学の「科」とは、「禾」偏に「斗」と書く。稲を収穫して、それを秤で計測することを意味する。科学は幹を枝に分解して、枝を葉と花に分解し、花を花びらと雌しべに分解し、細かく細分化して本質を究明する学問である。現代は、余りに細分化しすぎてがため本質を見失いがちになっている。病気になり西洋医学がその病名を探求し治療法を開発するのだが、病気は治りました、病人は死にましたということも起こりがちである。

 

経済の細分化

 経済を究極に細分化した果てが、グローバル経済主義で、理論的には正しく、個別には成功するが、社会全体は不幸になる理論である。個人主義の欧米では、経済万能主義に行き着き、これに邁進中である。ねずみが集団となり、狂ったように暴走していき、海に突撃して行き全部が滅亡する様を思い描いてしまう。

 哲学や宗教、そして東洋思想は、その末端からその根源に向ってその源を探る学問である。木を見ず森を見て、その本質を究明する。東洋医学は西洋医学と違い、その病気のもとになった原因を探し、元から治していく治療方法である。

 

歴史を学ぶ

 歴史を学ぶとは、人間の営みを学ぶことである。2000年前の人間の行動と現代人の行動に、差などはない。史記、十八史略、三国史、ローマ史を読むと、人間の行動は変わっていないことが良く分かる。

 

経営とは

 経営とは、人間の歴史を学ぶことである。「経」とは、縦糸と横糸の関係を象形文字として現している。いままで連綿として営まれた歴史を、現代という流行の横糸で織りなした状況を、盛んに火を燃やして陣屋のなかで活動している様を表現した字が「営」である。今起こっている事象は、過去の事象の流れのなかで、今の事象はどういう関係にあるかを解明するのが、学びである。今の事象だけに振り回されていると、本質が分からず、間違った対応をすることになる。そのために、その関連を学ぶことが、歴史と経営を学ぶことなのだ。オックスフォード大学には経営の学問はない。経営は歴史を学べば、不要であるという考えである。

 

自分を見失わない

 学びを怠った民族は、滅亡するしかない。その事例は歴史の上に死屍累々と山積する。今の中韓の歴史の対応をみていると、考えさせられる。歴史は繰り返すので、歴史を学ばない愚かな国に振り回されることはない。

 自分探しを怠ると、己を見失い自虐的にも、攻撃的にもなる。挙句にうつ病に罹り、幽霊となり、認知症にもなる。学問をするとは、自分を見失わないための手段である。人として、当たり前のことをして、頂いた命を全うしたい。少しでも魂を磨いて世に貢献したい。来世でご先祖にあっても、胸を張ってただいま還りましたと言いたい。

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下図の巻物の文面に気に入り、恵峰先生にお願いして板書に書いて頂いた板書

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 『命の器で創る夢の道』p163より

2019-03-10 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月10日 (日)

某宗教法人の経営診断

招き猫が、私を宗教蟻地獄に堕ちるのを助けてくれた。

仏教は来世で成仏を目指す。新興宗教は現世で成仏させる。

 

ある宗教法人の経営戦略           

・ターゲット顧客  富裕層(顧客の収益性が高い)が主の顧客。

                     貧困層は対象外。貧困層は手間がかかり販売効率が低い。

・客寄せ商品   星占い、サイコロ占い、霊感ある壷や仏像、霊感商法、除霊商売等。客寄せ商品で開業資金を稼ぐ(詐欺商法で告訴されてもめげずに)

・キャッチコピー

  「あなたは特別に選ばれた人なのです。入信すれば子や孫まで代々、来世で特別扱いを受けます。普通は六道輪廻で阿弥陀仏のところには鈍行列車で回るべきところを、特別扱いの場合、直行便で阿弥陀仏のところに行ける身になります。六道輪廻も免除です。普通では入会したくても入会できないのです。この話を聞けるのも貴方の功徳なのです。この地区で貴方だけが選ばれたのです。この地区は霊気が高く、多くの人が入会しています。あの社長さんや歴代の経営研究会の会長さんも信徒です。 この教団だけがお釈迦様が教えた仏教の真髄を学べるのです」と。

  (顧客に自分は特別だと思い込ませる販売戦術)

 

・インターナルマーケッティング

  勧められれば断れない人や世間で信用されている人(社長、上司、会長、親族)が販売員として勧誘をする。信徒になれば、3名の新会員を入会させないと成仏できないと洗脳され、自動増殖機能を発揮する。(ネズミ講方式)

  全国の各地区に支部として30余箇所の別院が建設されていて、その別院に責任者が存在する。当然、各支部に会員勧誘のノルマが課せられると推定される。全国販売店支店長会議相当の会議があり、成績が悪いとその場で糾弾されるのだろう。

 

・販売戦略  高額の差別化戦略(安売り、多量販売はなし。ピンポイント販売)

 勧誘時は、「月2,000円の会費のみで、活動に参加は自由で仕事には影響ない」としか言わない。私の場合、これも言ってもらえなかった。

 

・収益(高付加価値商品販売)

 秘密の入会儀式 38万円(一般成人の場合で。特別富裕層は別途)

  地区の寺院に月参り 1万円×3回×12ヶ月(年間36万円)

  特別参拝 年に3回×10万円(年間30万円)

  特別回向 1万円×4回(年間4万円)、法名百万円、勧進百万円

  仏像や壷、仏具の販売で数百万の出費。

   寄進で1千万円や1億円を貢ぐ金持ち、経営者も多い

   それ故、離婚や家庭崩壊に至った信徒も多い

 

  以上のイベントが、顧客とのマーケティングでの関係強化の具体策(クロスセリング(関連購買)、節目需要、アフターマーケティング)である。この教団は企業経営理論のマーケティング手法に従って経営されている。だから高度成長ができた。

 

・危機管理体制 情報統制  

  入会秘密儀式内容を漏らすと六道輪廻に逆戻りと脅し。

  当宗教団体を告発するHPは弁護士を通じて脅迫して削除、閉鎖へ。

   (敬虔な仏教徒のはずの総本山が裁判で訴えるのも異常である)

  Wikipediaも都合の悪いことは信徒が改竄する。

  総本山は、寺院は観光寺ではないと信徒のみの入場制限。

  事前見学も、要所要所で、人数点検があり、勝手に動けない。

  広大な寺院内の掃除は、信徒の強制割り当てである。

 遠方からでも、参加せねばならない。そんな話は、入会前にはない。

 事前見学者は、掃除当番と口を利かないように段取りされる。

 入会しても、それを親族に漏らすと「地獄に堕ちる」と口止め

  「組織を通して与えられた情報を疑ってはならない」と通達。

 「2チャンネルやWEB情報を見てはいけない」と禁止。

  会前の私も言われた。(被害者の告発が一杯掲載されているから)

  「自分で考えてはいけない」、「あれこれと考えてはいけない。我を捨てて頭を真っ白にして素直に聞くこと」と指導する

 

・顧客の繋ぎ止め  

 退会の意思を出すと、地区の信徒達が家に押しかけて来て「無間地獄に堕ちるぞ」と脅迫してやめさせない。これは脱退信者に対する脅しではなく、この繋ぎ止めのため動員された現在の信徒への見せしめである。もし脱退しようとすると、恐ろしい目にあうことを見せ付けにしている。それを目の当たりにすれば脱退の意思が萎える。押しかけた信徒も真面目に脅迫しないと、自分が脱退を疑われるので真剣である。

 オウム真理教のサティアン内で、脱退信者が麻原死刑囚(当時は教祖)の指示でポア(リンチ殺害)された事件があった。これも他の信徒への見せしめである。脱退しようとするとどうなるかを全員の信徒に見せ付けたのである。

 

・顧客教育

  秘密入会儀式で2日間の監禁状態で心理学の治療手法を応用した洗脳教育をおこなう。真っ暗な部屋のなかでガンガンと洗脳されればまともな神経もおかしくなる。TVでCMを繰り返し視聴させられると同じである(貴方も日頃洗脳教育をされている)。

 

・テーマパークとしての広告塔

  壮大な寺院を建造して、威容で圧倒させて妄信させる広告塔

  巨大な本堂、仁王像、塔、本堂、仏像等を誇示

  開業30年にして日本最大級の本社ビル(総本山)を建設。

   奈良の老舗、興福寺は創業1300年です。信用が置けます。

 

 これは経験価値マーケティングの手法である。経験価値マーケティングとは、消費者の経験を刺激するマーケティング手法で、五感、喜怒哀楽、思考、行動、他人と交流の5つの消費者の経験領域に対して、広告・製品・ウェブサイト、モニュメントなどによって、新たな経験領域を提供する。この場合、巨大な寺院を見せ付けて、情緒的・主観的な方法で攻める手法である。そこには従来の合理的・客観的な方法とは一線を画する。経験価値マーケティングに沿った商品として、ディズニーランド等のテーマパーク、高級ブランドをイメージすると良い。これらは必ずしも機能的・経済的価値により販売されるものではない。持つ喜び、参加する喜ぶである。宗教の場合、入信したことに対して巨大寺院のスケールで自分を納得させる手法である。

 また38万円という価格設定も意味ある心理的価格設定(企業経営理論用語)である。ターゲット顧客は功成り名を遂げた中小企業の経営者が多い。脇目も振らず事業に没頭し、はっと気づいて先祖の供養もしなければ、と思ったとき、入信の勧誘の話がきた。入会金額が微妙である。高すぎては身分不相応と思われるし、安すぎてはそれ相応の人の自尊心をくすぐれない。すこし高いがポケットマネーで出せない金額ではない。では試しに入ってみるか、である。素晴らしい価格設定戦略である。

 

 神がかり的な教祖が、貴方を優しく右手で抱え、左手で懐から札束を抜き取るのです。

 

命(時間)の召し上げ

 この法人の顧客になると時間(命)とお金が教祖に捧げられる?

 あなたの命は誰のものですか?

 なぜ自分の頭で考えてはいけないのか?

 般若心経には、苦の原因を探し自分で考えて解決せよと書かれている。

 般若心経には、拘りを捨てろと説かれているが、自分を捨てろとは書かれていない。

 上記企業の顧客になって幸せだろうか?   

 何の功徳もしていない自分が、なぜ来世で特別扱いされるか?

 貧しいが人徳ある人が、なぜ地獄の堕ちなければならないのか?

 なぜ5万人もの信徒がそんなに簡単に入会するのか?

 日本国憲法では宗教の自由が保障されている。入るも自由なら、脱退するのも自由であるはずである。自分の頭で考えることが時間創造です。

 

 この経営手法を自分の会社に応用すべきである。こういう知恵を使えば、売上不振も解消し、急成長と高収益が間違いなし? これは企業経営理論のマーケティングの事例問題です。この経営手法は企業経営理論を学んだことのある人には常識の事項です。

 以上の項目はインターネットから情報を収集して記述しました

 

    『命の器で創る夢の道』p93より

2019-03-10 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月 8日 (金)

命の末路 「幽霊友の会」からのお誘い

 命を大事にしたいなら、未来を切り開く生き方を続けること。「幽霊友の会」には入らないこと。最近、会社のOB会のお誘いがあり、K市での懇親会に参加をして後悔をした。そこで会った昔の仲間達が幽霊に見えたのである。OB会は「幽霊友の会」であった。

 

幽霊とは

 幽霊とは、足を地に付けず、手を下向きにして、後ろ髪を振り乱し、上目遣いで、うらめしやと囁く人たちである。遇った人の多くは年金生活で、特に日々やることもなく過ごしているという。そういう人は無精ひげを生やし、服装もだらしがない。目も精彩がない。まさに地に足がついていない生活である。後ろ髪を惹かれるがごとく過去の思い出を語り、仲間と酒の席で時間を潰す。前向きの明日の話はせず、病気や妻の愚痴、家庭菜園、ゴルフ、釣り、旅行の話しばかりに身を入れる。正に手を下に向けての身の上話しである。

 こういう病気になったとの話題に花が咲くが、病気は己が不節制で体を痛めて、体の部位が故障したに過ぎない。それを人ごとのように神仏のせいにして、うらめしや、とぼやく様は幽霊である。定年退職したはずなのに、未だに当時の職位のままに対人関係で酒の席を回っている。まだ後ろ髪を引かれている。

 

『現代の平家物語』を語る

OB会で、昔の仲間が足に地を付けない生活に堕ちて、過ぎ去りし恨み話や過去の肩書きで話に興じて、手を下向けて病気や妻への愚痴の未来なき話に興じる様は、幽霊の所業である。幽霊まで行かなくても、片足が棺桶に入っている。目の前にいる相手が幽霊と見えないのは、己が盲目の琵琶法師「耳なし芳一」のように、壇ノ浦に沈んだ平家武士の怨霊を前にして、昔話を弾き語っているのと同じである。『現代の平家物語』が、栄光と没落の会社物語として語られる。会社の寿命は30年である。未来への投資を怠った会社は、合併で消え幽霊となった。幽霊の仲間に取り囲まれ、過去の話に加わると、己にも幽霊の「気」が乗り移る。朱に交われば赤くなる。幽霊に交われば、陰気になる。あの世が近くなる。

自分の体中から「元気」と「未来」という陽気を発して、幽霊を追い払おう。掌を上に向けて、来る縁をプラスに受け止めて、前向きに生きる仲間と議論をしよう。そうすれば少しは長生きができる。

P10406492  平家物語歴史館(高松市)にて

 

50年ぶりの中学時代の同窓会

仏像彫刻美術館の館長さんが50年ぶりで、中学時代の同窓会に参加した。同期の約200名のうち、33名が既に鬼門に入っていた。残りの大半は、前記OB会の仲間のようにラフな格好で、話題も病気や家庭菜園、ゴルフ、釣り、旅行の話しばかりだという。残りの10%がまともな格好で、まともな話しをする仲間であった。人の真の評価は、60歳からと感じたという。

 笑い話として、館長さんが仏像彫刻美術館に勤めている話しが、仏壇屋の番頭をしているという話しに化けていて、それを打ち消す説明に四苦八苦したという。自分の世界に閉じこもり、仏像美術と言う世界を知らないし、理解しようともしない。広く知識を得ようとしない。まさに認知症の世界の入り口をさ迷っているようだという。60歳過ぎても仕事をしている幸せを感じたという。仕事をしていれば多くの人と出会える。仕事をしなければ惚けるの当然である。

 

会社の同期会

その後、私は同期会にも誘われた。同期なら意気が合うはずと参加したが、状況は前のОB会をあまり変らなった。みんな人の良い爺になっていて、病気や孫の話しばかりで、未来の話が全くないのだ。私みたいな現役は私を含めて3名しかいなかった。同期会の一人に、元役員がいたが、ふんぞり返っていて、会社をつぶした経営者の一人との認識が無いようで、一緒に話すに値しないと判断した。

 

幽霊にならない人はゾンビになる

 もっと恐ろしいのは生きたままゾンビになること。認知症になり、わが子も認識できなくなり、脳死同然の状態で、親の仮面を被って夜な夜な、ベッドから抜け出し徘徊するさまはゾンビである。精魂込めて介護しても、「お前はだれだ、俺をベッドに縛り付けてお前は鬼か」と罵られては、わが子は心身ともに疲労困憊である。手塩をかけて育てた子供から虐待をされ、家族からはゾンビと思われるのも、全て己の不摂生が招いた因果である。この世の地獄である。

 

 在宅介護する家族の80%がストレスを感じており、35.5%が憎しみさえ感じている。虐待したことがあるかの質問に、12.3%がイエスと答えている。重い認知症の場合、は26.9%がイエスと答えている。

   (調査は連合加盟の労働組合からの1381件の有効回答より 2014821日 産経ニュースより)

 

妖怪ばばあ

2014911日朝7時半ごろ、散歩の道中の喫茶店に寄ったら、老女4名が大声で吼えていた。曰く「薬を飲みテレビを見ていて寝てしまった。テレビが付けっ放し。そのため夜に寝むられず、睡眠薬を飲んだ」。静かな朝の喫茶店内でゾンビ行動である。歳はとってもボケたくはない。淑やかであったはずの日本女性も歳を取ると化け物になる。

 

次の川柳を笑える人は幸せである。そのうち、笑えなくなる日がやってくる。それが一日でも遅くなるように精進をしたいもの。

起きたけど寝るまで特に用もなし

Photo_2馬場恵峰先生書  2013214

 

 『命の器で創る夢の道』p233より

2019-03-07  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

グローバル経済主義狂の牙

 現在はグローバル経済競争という宗教が、世界中で猛威を振るい、従来の価値観を破壊しつつある。特に世界の大企業は、この宗教に帰依しないと生き残れないとして、この「宗教活動」の布教に邁進している。この宗教が国家の時間を食いつぶしている。次のステージは暴動、国家崩壊である。国民が不幸になるために働く社会が正常であろうか。大垣市も市長の悪政のせいで、グローバル経済主義狂の病に冒されている。

 

貧富の差の拡大

 行き過ぎたグローバル経済競争の結果が、一部の特権階級が99パーセントの富を独占し、貧富の差を拡大し、年功序列の価値観を破壊し、国民の多くを不幸にしている。成果主義の過度な増長である。ゴーン元社長のように年収10億円の社長がいる一方で、生活保護者が216万5000人いる。これは、100人に2人の貧困者割合であり、何かおかしい。それでいて、ゴーンのように保釈金10億円を平気で払える身分の人種がいる。

 

生活保護者の増加

 日本の生活保護受給者は約216万5000人で、高齢者世帯がおよそ半数を占めてる。生活保護費負担金は3兆8431億円で、国が75%を負担し、自治体が25%を負担している。(2014年9月現在、厚生労働省)

 実に国の予算の3%が生活保護に向けられる。国の政策が根本的におかしい証拠である。国の政策は、日本人全体を貧困家庭化するようだ。

 

国の「宗教」政策

 企業が海外進出をすることで国内の生産を減らし、結果として労働市場を縮小させ、非正規社員を増加させ(1,850万人 全体の36% 2013年)、フリータを増やし(178万人 2009年)、失業者を増やし、自殺者(年間3万人強)を増やしている。古い価値観が崩壊している。儲かっているのは特定の企業のみである。多くの人が不幸になる「宗教」とは正しいのだろうか。

 新興宗教でも教団が金持ちになり、信徒が貧乏になる構図を表している。

 

食の安全危機もグローバル経済主義が原因

 金儲けだかが最優先で、食の安全は二の次になる。これが日本のガン患者の増加になる。

 

大垣の文化の貧困化もグローバル経済主義狂が原因

 拝金主義なので、文化芸術活動への協賛金は儲けにならないと経費削減の目の敵にされ、最低限の金しか出さない。大垣財界が結託して、文化関係の寄付には横並びで雀の涙金しか寄付しない。これが大垣の文化を貧困化させる要因である。

大垣市への寄付は売名行為

 大垣市は、大企業の売名行為の寄付ばかりである。寄付をして小川敏市長とツーショット写真を岐阜新聞、中日新聞に掲載してもらえば、企業の宣伝となる。それには百万単位の金を出すが、金儲けにならない文化・芸術関係には殆ど金を出さない。出しても2万円である。それもグローバル経済主義狂の影響である。金儲けのためには、余分な経費は出すな、である。

 大垣市の大企業にとって、大垣市への寄付は宣伝広報費なのだ。小川敏市長に媚びを売って、政治的に便宜を図ってもらう為の経費なのだ。本来、市民税をやりくりして、大垣市の行政運営をしなければならないのに、小川敏市長は企業に寄付を強要し(そうとしか思えない)、己と寄付企業の宣伝を岐阜新聞、中日新聞に掲載してる。二つの新聞社もグルなのだ。その金が何処に消えたか、不明である。

 赤い羽根共同募金でも、小川敏市長が音頭をとり、金を集めているが、その金の2割は使途不明金である。寄付金として集めた金額の7%は、集めた団体にキャッシュバックされ、宴会費用や研修会という名目の温泉宿への大名旅行の費用に使われる。

 頻繁に、小川敏市長と寄付企業のツーショット写真が、岐阜新聞、中日新聞に掲載されれば、寄付は売名行為として子供たちにもそれが分かり、道徳が廃れる原因となる。本来、寄付は陰徳で、名前を出すのは厚かましい行為である。

 

グローバル経済主義という名の宗教

教祖   欧米の特権階級、各企業のトップ

御神体  拝金主義が求めるマネー

経典   グローバル経済主義と拝金主義という教義

      金儲けが最優先、勝者のルールを弱者に押し付け一人勝ち

      1%人が99%の富を独占するのが自然の法則という定め

      貧困層が激増するのも神の思し召し

      (経済学と科学が浸透すれば、貧困は無くなるはずだが?)

寺院   大企業、グローバル企業

信徒   大企業の経営者(中小零細企業は対象外)

異教徒  一般大衆

 

ジニ係数

 ジニ係数とは、主に社会における所得分配の不平等さを測る指標である。ローレンツ曲線をもとに、1936年、イタリアの統計学者コッラド・ジニによって考案された。所得分配の不平等さ以外にも、富の偏在性やエネルギー消費における不平等さなどに応用される。係数の範囲は0から1で、係数の値が0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味する。ちなみに、0のときには完全な「平等」つまり皆同じ所得を得ている状態を示す。社会騒乱多発の警戒ラインは、0.4である。

 

ジニ係数  1975年  2015年

中国          0.61

ブラジル   0.57       0.61

アメリカ   0.32     0.43

イギリス       0.27     0.37

日本             0.25     0.35

フランス       0.29     0.33

ドイツ          0.27     0.30

デンマーク      0.25     0.25(2010年)

フィンランド   0.21    0.22(2010年)

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ローレンツ曲線

 もっとも平等な社会はジニ係数が0で右図の緑線で示される。不平等ほど下凸の曲線で、示される。完全不平等ではジニ係数が1の赤線で示される。この場合は99人が貧乏で、1人が富の99%を独占している状態を示す。

 アメリカではグローバル経済主義で拝金主義が横行して、貧富の差が急拡大している。中国ではジニ係数が0.612012年末)になり、暴動発生寸前の状況である。これも経済特区を作り、経済最優先で驀進して、中国特有の特権階級が富を独占しているからである。金持ちは益々金持ちに、貧乏人は益々貧乏になっていく。

 高福祉国家のデンマーク、フィンランドはジニ係数が低い。フランス、ドイツ、日本はまだ平均的なジニ係数の値である。

 20148月、米国・ミズーリ州で黒人青年の警察官による射殺事件をきっかけに抗議デモ、暴動や略奪行為が起こり、夜間外出禁止令も出る騒動になっている。この背景にはグローバル経済主義の行き過ぎがもたらす貧富の格差の拡大による貧困層の不満の爆発がある。世界最富裕の国で暴動、夜間外出禁止令である。世も末で、米国も中国を笑えない。

 

合成の誤謬

 「合成の誤謬」とは経済用語で、個々の場合には正しいが、全体となると正しくないことを意味する。グローバル経済主義は、個々の企業には都合が良いが、社会全体には不都合な結果をもたらす。

 

『命の器で創る夢の道』p106より

2019-03-08  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月 7日 (木)

人生の回数券

 寝ていても 走りゆく 夜汽車かな

どこへ? 浄土へである。寝ても覚めても、我々を乗せた汽車は、冷酷に西に走り続けている。その人生という乗り物の行き先は、「死」である。人は、人生のレールの上を、ひたすら死の終着駅に向かって走る汽車に乗っているようである。人生の汽車の乗車券は、回数券であって、定期券ではない。人生で使える回数券の総数は決まっている。一度使ってしまうと二度と使えない。時間という回数券を全て使い切ると、死が待っている。

 

回数券の有効期限

 勉強するにも、効率的に勉強できるような回数券は、若い時しか使えない。歳取ってからでは、その回数券は期限切れで使えない。暴飲暴食や体を痛める習慣で乗車すると、回数券を余分に出す必要がある。

その回数券も有効期限付きで、時間の使い方次第で、その有効期限が書き換えられる。人生の免停(大病)があると、期限が短縮される。自分は、日ごろ、有効期限を早くする悪さをしていないだろうか。それは身内である37兆個の自分の細胞を虐めること。それを罪と言う。暴飲暴食、不摂生、夜更し、運動不足、ファーストフード、スナック菓子、清涼飲料水….

 

最後のあがき

最期になって、その回数券の枚数が足りなくなったから、「金はいくらかかってもいいから、回数券を売ってくれ」と医者に泣きつき、拒否されると、「お前は藪医者か!」と罵っても手遅れである。

 安いというだけの理由で回り道をしての買い物は、時間と言う回数券の無駄使いである。そんなことをすれば、人生の残り時間は確実に減る。お金は節約できても、人生最期の土壇場で、「時間が足りないで症候群」に陥る。その時には、時間はお金で買えない。お金で時間を買えるのは今だけ。

 

冥途行き最終列車

最近は三途の河を渡るのに、舟ではなく汽車になった。時代の流れである。三途の川を渡る列車に乗るには、お一人様1回限りの最終回数券が必要である。

最近は、三途の川へ行くのに、病院のベッドの上で、それがそのまま夜行寝台(死んだ)列車に変わって、それで浄土に逝く。病院の病室がそのまま死の寝台車となり、ベッドが棺となる。夜行寝台列車は、棺を乗せて、西に向かってひたすら浄土を目指して走っていく。

 

理想の死

死ぬ理想は、現役のまま、前のめりで斃れることだ。今はそれが難しい時代である。ちょっと油断すると、多方面から病魔が襲う。日本人の多くは病院で、多くの管を付けられて、安らかでない死である。時には暴れないように、ベッドに縛り付けられての病院暮らしである。毎年、日本人は、100 万人が生まれ、100 万人が死んでいく。毎年、995千人がガンになり、日本人の2人に1人がガンで死ぬ。理想的な死は、自宅での老衰の死だが、そんな幸せな人は1%しかない。そうなるように、親から頂いた命を大事にして精進をしたい。

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 終末医療での死。病院の病室が夜行寝台列車の客室のようだ。西の空が夕闇に包まれていく。観音菩薩様のような優しい看護婦さんが、死を見守ってくれる。(名古屋の某病院にて)

 

三途の川行き最終電車

あなたの乗る電車は、鈍行? 特急電車?

上り電車? 下り電車?

始発? 最終電車? 

自由席? 指定席? グリーン車?

単線? 複線? 

 乗り換えは何回目?

 終着駅への到着時刻は、自分の生き様で変わる。途中の成果も回数券の使い方次第。

 

めぐり逢い

めぐり合いは一瞬で決まる。早すぎず遅すぎず。しかし二度とは巡ってこない。それは命と命の巡りあい。命の存在が奇跡なら、巡り合いも奇跡である。還暦を過ぎてやっとそのことに気がついた。日暮れて途遠し。親から頂いた命を大事にしよう。

 

仏法ご聴聞の心得

一つ、この度のご縁は、今生初めてのご縁と思うべし。

一つ、この度のご縁は、私一人のためのご縁と思うべし。

一つ、この度のご縁は、今生最後のご縁と思うべし。

          青山俊董著『道元禅師・今を生きるとは』より

Photo 馬場恵峰書。明徳塾の会場で、この書を見付けて、思うところがあり、即決で入手した。2013

 

 『命の器で創る夢の道』p259より

2019-03-07  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月 6日 (水)

私はこれ(小指)で、※※をやめました

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神仏の啓示

神仏は己のためにメッセージを発信している。心を澄ませてその声を聴こう。大事な人生を無駄にしないために。

 

チャーミングな招き猫との出会い

・伝説

 私の生まれ故郷の彦根は、招き猫の産地(?)として有名である。彦根藩二代目藩主井伊直孝が豪徳寺(東京都世田谷区)の近くを通りかかったとき、猫が手招きをしたため、お寺に入ったところ、丁度激しい雷雨が降りだし落雷の難を危うく逃れたという逸話がある。そのため和尚の法話を聞くことができ、後に豪徳寺を井伊家の御菩提所としたといわれる。一説には招き猫発祥の地ともされている。

 豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置いている。招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。

Photo_2    豪徳寺

 その経緯で、この近辺と彦根城の近くには、招き猫を中心とした猫グッズ専門店が多くある。ちなみに招き猫は右手で招くものと左手で招くものがあり、右手がお金を、左手が人(お客)を招くそうだ。この招福猫児は右手を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫である。緩キャラの雄、ひこにゃんもこの伝説から派生しているようだ。

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ひこにゃん   彦根城の天守閣の石垣の前でポーズ

(2011/01/08)  ウィキペディア  http://ja.wikipedia.org/wiki/

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伊藤石材店(彦根市)の店頭で

・出会い

 父の三回忌(2004年)を終えて、彦根の城下町を歩いているとき、偶然、招き猫専門店「招福本舗」を見つけ、そこで「もりわじん」の招き猫(全高20cm)を一目見て気に入り、連れて帰った。36,000円もした高価な猫である。これも出会いである。部屋に飾って眺めているが、会社で嫌なことがあっても、上品で柔和なこの三毛猫の顔を見るとなぜか心が安らぐ。会社に行くときもこの顔をみると元気になって出発できる。私の守り神(招猫観音)様である。今は仏壇のある座敷のテーブルの上に鎮座して、訪問されるお客様を見守っている。

 これは芸術作品である。一点一点焼いて製作した陶器ですから、同じものはない。また毛並みの描きこみも絶品ものである。数ヵ月後、親戚の叔母に贈ろうと買いに行ったら、値段がかなり上がっており、一回り小さいサイズの猫しか手に入りません。「もりわじん」の猫は人気商品になったようである。その後、この種の猫を探しましたが、これ以上の魅力ある猫ちゃんにはお会いしていません。いい時期に出合えたと思う。芸術作品の出会いは一期一会。これもご縁である。井伊直弼の言葉は、「一期一会 余情残心」。

 

出世ぶり

 201117日、彦根の街に出向いて、7年ぶりに「招福本舗」を訪れて、「もりわじん」の猫と再会した。なんと同じサイズの猫の値段が、当時より7倍にも跳ね上がっており、20万円では手に入らない。お店の人に聞いたら、人気が出て高騰しているとか。当時のことを話すと、「ずいぶんお値打ちに入手されましたね」と感心された。いつの間にか、お宝探偵団に出せるお宝になっていた。氏の作品は東京で専門のギャラリーを作られてそこでも展示がされているとか。

 あまりの「出世?」ぶりに敬意を表して、特注ガラスケースにいれて「箱入り猫」として、大事に飾ることにした。また出入りの畳屋さんが、専用の敷き畳も作ってくれるご縁を頂いた。座布団に座った猫ちゃんには畳の上が似合うようです。


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  自宅の招き猫「箱入り猫」

「もりわじん」のプロフィール

 1957年、日本生まれ。カルカッタ、ソウル、ニューヨークなど、世界の各都市で個展を開催。生命形態作家として、独自の活動を展開中。生命(生き物)をテーマに、平面、立体を問わず、あらゆる手法で生命の大切さや生きることの心地よさを表現しています。(以上、第二回来る福招き猫まつり解説より転載) 特に猫や招き猫をモチーフにした作品は、その独特な雰囲気やユーモア感で、高い人気があります。(2010/12/21)

http://spysee.jp/%E3%82%82%E3%82%8A%E3%82%8F%E3%81%98%E3%82%93/1564975/#lead

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・招き猫の恩返し

 ある日、某経営研究会の元会長が自宅を訪問して、彼が帰った後、片付け中にこの招き猫のいる座敷の真ん中で滑って転び、右小指を骨折してしまった。60年間も生きてきて自宅内での骨折事故である。

当時、全国組織である某経営研究会(会員数約4,200名 20139月現在)に入会したばかりである。そこで知り合った元会長からある宗教団体を勧められて承諾をして、入会の秘密の儀式の出向く段取りが進んでいた。相手が信用できると思われた元会長である。その紹介者も大きな会計事務所の会長で、事務所4階の大きな会長室で教団の素晴らしさを説法されてしまった。試しに入会して駄目ならすぐ退会すればいいと安易に考えての入会承諾であった。

この骨折でなにか胸騒ぎを感じ、その宗教団体を調べたら、危ない新興宗教であることが判明した。入会金は38万円だが、その後のお布施の額が半端ではないし(概算計算で数百万円を超える)、退団はとても難しい(信者が自宅に説得に大勢押しかけてきて、「退会すると地獄に堕ちるぞ」と脅迫する)ことが判明し、訴訟も数多く起こされていることが判明した。急遽、入会を断った次第。骨折は、招き猫からのメッセージとして受け止めた。この招き猫は、招猫観音である。

 この2年後、私は白内障手術の後、網膜はく離を患った。目の耐力が人よりも弱いようである。この教団の修行として太陽を直視する行があるようだ。もし入信していたら、その修行で失明していた恐れがある。私を勧誘した元会長は、以前に眼底出血で失明寸前になったという。元会長は何も言わないが、この修行が原因であると私は推測している。恐ろしい事態になるところであった。

私は小指の骨折の啓示で、事態の不審さに気づき、某宗教団体への入団を取りやめることができた。合掌。

 

後日談

後日、松本明慶仏像彫刻美術館の館長さんから次の話を伺った。「以前にその教団から仏像製作の依頼があり、10体の仏像(一体5百万円)を納仏した。それがわずか1カ月で、教団内で全て完売した。それも売値は3倍である。その仏像を教団の専門販売店に展示して、そこに教祖が来て「この仏像は素晴らしい」と囁いたら、信徒達が争うように買い求め、10体の仏像が瞬く間に売れてしまった。1ヶ月間で売上1億5千万円、純益1億円。また他の仏具も同じ手口で「囁く」とのこと。趣旨が違うので、以後の注文は全てお断りした。」

 

 心を澄ませて、耳をそばだてよう。無心になれば神仏の無言のメッセージが聞こえる。ご先祖様は自分を守ってくれるため、メッセージを発している。この世では全て最高のことしか起こらない。病気も怪我も自分を守るための最高の事象である。それに気がつくと大事な自分の命(時間)を永らえることができる。

 

2019-03-06  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。