l0_命の器で創る夢の道 Feed

2019年5月20日 (月)

あれ食えこれ食え 痴呆CM 癌が増え

知足者富

 食べ足りないで早死する人よりも、食べ過ぎて寿命を早める人が多い

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馬場恵峰書

 

 テレビの番組は、CMで、食い物、食べる行為の氾濫である。どんなものも美味そうに食べているタレントばかりが登場する。

 ジャンクフード、スィーツ、清涼飲料水、お酒、ハンバーガー、マーガリン、油、ソーセージ、ラーメン等、全国各地のグルメ紹介、食べ放題特集、大食い番組等の氾濫で、国民が痴呆的にテレビを見てつけられている。まるで洗脳教育で、何かおかしくないのか。

 癌を予防し、肥満、糖尿病、高血圧等の病気にならないためには、食べてはいけない食材ばかりである。テレビ番組制作者は、スポンサー企業の顔色を見て、金儲けのために、そんなことは無視である。

 日本には食料ばかりの話しで、お心肥の話題がない。もっと心を養わないと、日本は衰退の一途である。

 この痴呆的なCM攻撃には自己防衛するしかない。自己防衛できない子供たちを、親は守る義務がある。しかし、その親が堕落しているのが現代日本社会である。自分が癌に罹患して、世の中に発癌性食材の氾濫を見て、その思いを強くした。

 

飽食の罪

 その昔、学校で悪さをすると、罰として水の入ったバケツ2杯(約10kg)を持たされ廊下に立たされた。それが今は、長年の飽食の罰として、肥満になると脂肪の塊(10kg)が身につけさせられる。天からの罰として、バケツの水と同じ重さを持って働かされていると同じである。肥満になれば、高血圧、糖尿病、脳梗塞、ガン、通風等の病気になるのは自然の理である。飽食が万病の元である。その結果、医療費も高騰の一途をたどり、40年前に総額10兆円であった日本の医療費は、現在、40兆円を超えた。医学が発達しても患者は増えている。これは人の食生活が贅沢になり、本能のまま旨いものばかりを求め、心の修養を怠った結果である。その罪悪の履歴(閻魔帳の記録)が体に付いた脂肪の重さで「情報公開」される。誰でも閲覧可能な情報である。見れば分かる。閻魔帳はあの世に無い。今の己の体が、閻魔帳として存在する。

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飽食の連鎖(food slave chain)

 テレビでは連日、グルメの番組、料理番組、行列のできる飲食店の特集、絶品食品の宣伝、スイーツ・ジャンクフードのCMが目に付く。締めくくりとして胃腸薬の宣伝を大々的に展開する。ここに「飽食の連鎖」で食い物の奴隷に成り下がった現代人を垣間見る。食い物を食い物にして、金儲けに走る企業の戦略が透けて見える。

 その結果が、日本の男性の40代~50代で肥満者が30%を超えている。20年前に比べると3割も増加である。肥満は病気である。この結果が、医療費40年間で、3.7倍への肥満化である。現代社会は病気製造の片棒を金儲け主義の企業が担いでいるといえる。更に製薬会社と医療産業まで金儲けで目の色が変わっている。人の命をネタに金を稼ぐのは、吸血鬼ビジネスである。

 最初は崇高な理念で始めた徳田氏の徳州会病院も、2012年に、その娘の堕落で世にそのスキャンダルを晒した。旨いものばかりを食って太った中年太りの姿は醜態そのものである。

 その誘惑に負けた食い意地の履歴が、己の肥満として閻魔帳に記録される。美味しいものには毒がある。それを防ぐのが克己心。何のために生かされた命かを自問しよう。

 

足るを知らず

 満腹したライオンは、目の前をウサギが通っても襲わない。それが自然の摂理である。ライオンでも本能として「足るを知る」のである。ところが現代人は、満腹でもあるだけ食べてしまう。テレビも食べろ食べろとグルメ番組の氾濫である。これでは、人間様も犬畜生にも劣る存在に落ちぶれる。その罰を糖尿病、高血圧、ガン、認知症として受けている。世の中では最高のことしか起こらない。ガンでさえ、己の細胞の「火事」を最小限に防ぐために命が起こす自衛活動である。病気になるのも、みほとけからのメッセージである。それに聞く耳を持たないのが現代人である。

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 痴呆的グルメ番組がオンパレード。それを視聴続ける人が情けない。

 面倒見のよいマスコミでは、胃腸薬の宣伝も怠り無く?

 己の子孫が、後年これを見たら先祖を軽蔑するだろう。

 これこそ河原こじきの仕事である。昔の芸人とは河原こじきのこと。

 

飽食の奴隷

 「足るを知る」を忘れ、自然との共生を忘れ、己の利益だけを追求するグローバル経済主義の影響で、食品メーカが人の健康は無視して少しでも食べさせて売上を高めることに奔走する。飽食と食品CMの氾濫に踊らされている現代から見ると、中世の貴族の食事を笑えない。人間は恵まれ過ぎると不幸になる。

 金持ちになり、美食を漁り、食べ過ぎ、生活習慣病になる。グルメと飽食を追求した結果は、毎日が辛い・・・とまるで悪魔のサイクルである。それなら最初のところを「足るを知る」に変えると、我慢もいらないし、生活習慣病にもかからない。毎日を楽しく過ごし、認知症にも罹らず長生きすることができる。

 現代の医療費の異常な膨張は、天からの警告である。認知症に罹った身内を見て反省しない人間が、同じように認知症の道を歩む。

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 「お心肥」 紙切り師 林家二楽氏作  「サライ」2013年3月号

 「お心肥」は、欲望のまま旨いものばかり食べず、切磋琢磨して知識や技術を身につけ、心を肥やすべしと説く。

 

 『命の器で創る夢の道』より

 

2019-05-20   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年4月27日 (土)

春風秋雨

 ああいい梅が咲いたな,明日にでも花見に行くか、と思っていたら春風が吹いて一夜で全ての花が散ってしまった。ああ美しい椿の花が咲いたな、明日にでも見にいこうかと思っていたら、夜に秋雨が降り、全て散ってしまった。

 「春風秋雨」とは,「今,ここの精神でやらないと,時間は待ってくれない」との警句である。明日があると思うな。次ぎがあると思うな。一期一会と同じ言葉でもある。

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馬場恵峰書

 

春風

 会社の組織長は、普通3年で交代の不文律がある。それでも普通はその1,2か月前に事前の話があるもの。上司から前の組織変更の話を聞いたのが、2001年4月5日(木)午前11時、実際の組織変更は、4月9日(月)からという(書類上は4月1日付)。その日の午後、私はずっと会議で、実質1日しかない慌ただしい組織変更を通告された。グループのリーダーとして、次ぎにあれもやりたい、これも段取りしようと思っていたが、メンバーとの別れは1年余で突然にやって来た。

 この組織異動の話があって、何故か昔にNHKで「家族の写真」とかのドキュメントを見た記憶が鮮明に甦った。思いついて週末に家族の写真を写真館で撮ってもらった。

 そのNHKドュメントでは、毎年家族そろっての写真を撮りつづけ、その家族の歴史を綴っていた。家族の出生や病没による増減、家族の老いなど、楽しい記録や辛い記憶などが綴られていた。私の家族を振り返ると、各個人では写真を撮っているのだが、いざ家族揃っての写真というと無いのである。カメラは持っているから、たまには撮るのだが、親が年老いてから家族揃ってというと、意外と無いことに気づいて愕然とした。父の入院の前日に、今しか撮る機会はないかもと思い、写真館に行った。今後は毎年か隔年くらいで家族揃っての写真を撮ろうと心に決めた。

 現実問題として、後からやろうとしても出来ないのだ。時間は人を待ってくれない。結局、2001年3月に撮ったこの写真が最初で最後の家族写真となってしまった。そして、この写真が父の霊前を飾った。それでも、縁ある番組との出会いで、父の元気な姿の写真が間に合って良かったとドキュメント番組の出会いに感謝している。

 

 小才は、縁に出会って、縁に気づかず。

 中才は、縁に気づいて、縁を活かさず。

 大才は、袖すり合うた縁をも活かす。   

       柳生家の家訓   柳生石舟斎

 

 今にして、父にシベリア抑留の話をもっと真剣に聞いておけばよかった後悔している。しかし、ご縁があり、丸順の今川順夫最高顧問のお話が聞ける巡り会わせを2014年8月2日に頂いた。これもみほとけからの計らいと感じている。

 

秋雨

 2018年11月17日、河村義子先生からの「退院しました。30分のレッスンを再開しました」のメールを受けた。「体調が戻られたら退院お祝いで一席を」と返信したら、12月16日になって、

「それが、、Uターンです。またお近く通られましたらのぞいてください。

 クリコン、撮影などありがとうございました。病院でもみれるようにポータブルのものを買いました! やはりまだまだブルーレイは広まってないようです。^^大垣のもの、お待ちしてます。私の自宅へおくってくださる?」

とメールがあり、その病院が先生宅の近所で、文面からそんな緊急事態とは夢想だにしていなかった。それが最後のメールとなった。

 義子先生が愛知県がんセンターを退院され、自宅静養に入られたが、華やかな先生もやつれた顔を人に見せたくはないだろうと、もう少し元気になられたらと思っているうちに、12月25日、突然の訃報である。大きな大事な花が散ってしまった。春風秋雨に茫然自失である。

 

人生の花

 自分にとって人生の花見とは何なのか。何時かと思っているうちに、いつしか歳月は過ぎ、歳をとり、病気になりガンになり、花見にも、大事の人の死に目にも会えない日がくる。

 花見より大事なことは、自分の花を咲かせることだ。その花を見ずして死ぬに死ねない。その花も一瞬には咲かない。何年もの時間をかけて、蓄えた精進があって、ある日、花が咲く。そのためには、今からでも遅くないから、思うことは始めることだ。始めないと、何事も進まない。

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 馬場恵峰書

 

『命の器で創る夢の道』 p146

2019-04-27   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年4月 6日 (土)

社会ガン組織が、日本人を皆殺しにする 2/2

第二部:原因と結果

 グローバル経済主義狂の氾濫で、食品メーカが金儲けの為、至福のポイントの開発にしのぎを削り、人の健康など無視して暴走している。そうなったのも、日本人の精神が劣化して、拝金主義、成果主義に染まり、顧客の健康など知ったことではないというレベルの人格に劣化したのだ。

 昭和20年、太平洋戦争終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、War Guilt Information Program(WGIP)を、日本占領政策の一環として行った。それは「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」である。日本が二度と米国に立ち向かってこないように日本人に戦争罪悪感を植え付ける洗脳教育である。それで日本人の精神が崩れ、利他から利己的になった。その悪影響が、今になってボディーブローのように効いてきたのだ。世の中は、最高の事しか起こらない。その最高の結果が、日本人のガン患者の急増である。

 

ガン・マフィアの存在

 総額40兆円の医療費の内、20兆円が抗がん剤関係で使用されると推定される。日本人がガンになれば、ガン・マフィアは儲かって仕方がない。ガン・マフィアにとって、日本人のガン患者が増えることは喜ばしいことだ。だからこの40年間、ずっとガン患者は増えてきてホクホクであった。ガン・マフィアとは、医療業界、製薬メーカ、大学関係、医療機器メーカ等である。

 ところが、1977年に米国でマクガバン報告書が出て、肉類の過剰摂取がガンを誘発する、抗がん剤、放射線療法ではガンを治せない、との結論が出て、米国のがん治療の方針が変更された。米国は代替療法と食事の改善に向かい1994年以降にガンは減ってきて、ガンマフィアには死活問題である。ガン・マフィアにとって、日本は残された稼ぎ場所なのだ。だから日本は、ガン・マフィアがガン治療の変更を邪魔しているので、いつまでたってもガン患者は減らない。減らないどころか、急増である。

Photo_3  日米のがん死の推移

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政府の問題

 米国政府は、マクガバン報告で米国人の食生活の改善を提案して、その対策に国を挙げて取り組み、その効果が上がってきて、アメリカではがん患者は減っている。ところが、日本の官僚は、国民の命を軽視して、日本食の欧米化に走り、がん患者が急増中なのだ。悪いことに、厚生労働省が農薬、添加物、公害廃棄物の規制を緩く放任をして、事態を悪化させた。日本では、トランクス脂肪酸の規制なしが典型的な失敗事例である。サリドマイド事件、イタイイタイ病、森永ヒ素ミルク事件、カネミ油事件もその派生事件である。

 要は、役人が国民の命を守らなくなったのだ。国民の知る権利を妨害して、情報を隠蔽する輩に落ちぶれた。日本の精神の崩壊である。

 

お役所仕事

 日本人の木真面目さが、会社の効率化のため、せっせと農薬や添加物の申請を増やした。業界と癒着したお役所が、そのまま認可して、世界一の農薬、添加物使用の天国となった。ドイツ、英国では認可された添加物数は30種前後、アメリカでも130種程度だが、日本では、1500種前後と、桁違いの数である。役人は業界と癒着して、己の天下り先を確保している。官僚は日本社会の最大のガン組織である。厚生省のデータねつ造事件等が続き、日本人の劣化が止らない。

 

抗がん剤メーカの問題

 金を生む抗がん剤を売るために、業界が医療関係者を取り込んで、他の有効な療法を排除している。薬事委員会の理事は、薬品メーカの紐付きばかりである。医師も業界の掟には逆らえない。他の療法では、健康保険が利用できず、ガン患者は路頭に迷っている。製薬メーカだけが、笑いが止まらない。なにせ、抗がん剤市場は20兆円とも言われる巨大産業である。当然、その利権がすさまじい。薬剤メーカの営業マンは、成果主義で、国民の健康など考えず、抗がん剤の売り込みに忙しい。この種の製薬会社も営業マンも国のガン細胞である。

 

テレビ局、マスコミの問題

 テレビ局は、大食い大会、グルメ番組をどんどん流すが、食品メーカが大スポンサーなので、それに逆らう報道はご法度である。2015年にWHОが加工肉に発がん性があると発表したが、その後のCMで、それが制限されたような雰囲気は感じられない。なにせスポンサー様がアメリカファーストよりも「ファースト」なのだ。

 木真面目に視聴者に受けるため、グルメ番組が氾濫するのは、ナチスが生真面目に強制収容所で、人殺しを生真面目に超効率的に遂行したのとよく似ている。その実行者は、どこにでもいる普通のドイツ人であった。現在の日本人とよく似ている。本人は少しも罪悪感が無いのだ。がんは外から来たウイルスではなく、己の組織が異常分裂した結果なのだ。木真面目にグルメ番組を推進するテレビマンも、日本国のガン細胞なのだ。

 

ファーストフードショップ、外食産業

 売るために、ファーストフードには至福のポイントを極めるため、添加剤、人工調味料がふんだんに使われている。それが消費者の健康に影響あるかどうかは、検討対象外なのだ。拝金主義に染まった外食産業も、国のガン細胞である。

 

個人の問題

 家の崩壊、道徳、モラルの崩壊で、食、セックス、娯楽に溺れて日本人は退化した。そのため虚楽的なグルメ、大食いの氾濫で病気になるのも、自然の流れである。昔は、お米は88回の手間をかけて作られるとして、米粒ひとつも粗末にしなかったのに。今は粗末にし過ぎである。これは個人のモラルの問題である。

 

ほとけの警告

 官僚、マスコミ、テレビ、食品メーカ、外食産業、製薬メーカが拝金主義、成果主義に走り、各人の虚楽主義、モラルの欠如の総合作用が、現在の日本の病状を招いていると推定される。個人ではなく、日本の組織全体が、がん細胞に犯されている。

 再度、欧米のガン死のグラフを掲載する。現在の日本では33%がガン死である。現在、日本はガン死が世界一なのである。このままの傾向が続けは、120年後に日本人は全員がガン死となる。本来、文明国の理想的な死は老衰である。その老衰は数%しかいない。一人一人が意識をして、この危機に立ち向かわないと、このままでは、日本は滅びる。敵は中国や北朝鮮ではない。国内の身内に敵が居る。最大の敵は、危機意識無き、美食に目の無い己である。 

一燈を掲げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め。

               言志晩録第13条

Photo  欧米と日本のガン死の推移

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 2019-04-06   久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年4月 5日 (金)

社会のガン組織が、日本人を皆殺しにする 1/2

第一部:飽食という名の臭癌症

 現在、日本人の二人に一人がガンになり、脳梗塞、心筋梗塞が死因の一位、ガンの死因が3人に一人で2位の状況で、この40年間、医療費は増大の傾向が続き、ガンも減るどころか、増加の一途である。実に日本人の99万5千人がガンに罹患する。ガンに罹患すれば、「強制収容所としての」ガン病棟に収容される。その数は日本の新生児とほぼ同じ数である。欧米ではガンは減っているが、先進国で日本だけがガン患者が急増である。このままでは、日本人全員が癌になる。何かおかしいのだ。異常な現象があれば、必ず原因がある。その原因をこのブログで探りたい。

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   欧米と日本のがん死亡者数の比較

 船瀬俊介著『あぶない抗ガン剤』共栄書房 2018年 より

 なぜ、アメリカは1994年以降にガン死亡率が減る傾向になり、日本は、どんどんガン死亡率が増える傾向なのか?

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バケツ2杯の罰

 その昔、学校で悪さをすると、罰として水の入ったバケツ2杯(約10kg)を持たされ廊下に立たされた。それが今は、長年の飽食の罰として、肥満になると脂肪の塊(10kg)が身につけさせられる。天からの罰として、バケツの水と同じ重さを持って働かされていると同じである。

 肥満になれば、高血圧、糖尿病、脳梗塞、ガン、通風等の病気になるのは自然の理である。飽食が万病の元である。その結果、医療費も高騰の一途をたどり、40年前に総額10兆円であった日本の医療費は、現在、40兆円超えまで増えている。医学が発達しても患者は増えている。がん患者は2倍に増え、乳がんは4.7 倍に増えている。

 これは人の食生活が贅沢になり、本能のまま旨いものばかりを求め、心の修養を怠った結果である。それをテレビが煽っている。その罪悪の履歴(閻魔帳の記録)が体に付いた脂肪の重さで「情報公開」される。誰でも閲覧可能な情報である。見れば分かる。閻魔帳はあの世に無い。今の己の体が閻魔帳である。

 現代人は、飽食という病気に罹り、一億総痴呆、一億総玉砕にまっしぐらである。このままでは日本は滅亡である。

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 この宣伝ほど人を馬鹿にしたものはない。この会社は日本人が節操がなく、餓鬼にように食らう人種だと見下している。この製薬会社にとって、日本人はカモなのだ。

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 この種の番組ほど、日本人を愚弄したものはない。我々はこんな痴態を世間様に見せる程、劣化したのだ。

 

飽食の連鎖(food slave chain)

 テレビでは連日、グルメの番組、料理番組、行列のできる飲食店の特集、大食い番組、絶品食品の宣伝、スイーツ・ジャンクフードのCMが目に付く。締めくくりとして胃腸薬の宣伝を大々的に展開する。ここに「飽食の連鎖」で食い物の奴隷に成り下がった現代人を垣間見る。食い物を食い物にして、金儲けに走る企業の戦略が透けて見える。

 

日本人の肥満

 その結果が、日本の男性の40代~50代で肥満者が30%を超えている。20年前に比べると3割も増加である。肥満は病気である。この結果が、医療費40年間で、3.7倍への肥満化である。現代社会は病気製造の片棒を金儲け主義の企業が担いでいるといえる。更に製薬会社と医療産業まで金儲けで目の色が変わっている。人の命をネタに金を稼ぐのは、吸血鬼ビジネスである。

 その誘惑に負けた食い意地の履歴が、己の肥満として閻魔帳に記録される。美味しいものには毒がある。何のために生かされた命かを自問しよう。

 

足るを知らない

 満腹したライオンは、目の前をウサギが通っても襲わない。それが自然の摂理である。ライオンでも本能として「足るを知る」のである。ところが現代人は、満腹でもあるだけ食べてしまう。テレビも「食べろ食べろ」とグルメ番組の氾濫である。これでは、人間様も犬畜生にも劣る存在に落ちぶれる。その罰を糖尿病、高血圧、ガン、認知症として受けている。世の中では最高のことしか起こらない。ガンでさえ、己の細胞の「火事」を最小限に防ぐために命が起こす自衛活動である。病気になるのも、みほとけからのメッセージである。それに聞く耳を持たないのが現代人である。

2019-04-05   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月26日 (火)

命の限度

 今回(2012年)の眼の病気で痛感したことは、命には限りがあるのは同然だが、自分の持つ各器官にも、個別の命の寿命がある事実である。全ての器官が均等に弱っていくわけではない。一番弱い器官に負荷がかかり、寿命を決める。今までもいろんな病気にかかったが、人生も還暦を過ぎると、病気を受け止める気持ちが若いときに比べれば深刻である。そのためには、両親から頂いた大事な命は、自分で管理して大事に使い恩返しをしなくてはならない、という使命感が湧いてきた。

 

病気というお手紙

 医師は診断と治療はするが、病気を直してくれるわけではない。病気を直すのは患者自身である。「病気」と言う仏様からのメッセージをどう受け止め、どのように今後の生活姿勢を正すかは、自分の自己管理責任である。

 その原因が生活習慣にあれば、それを正すのが、まず病院に行くのと併行して進めねばならぬ。人生を有意義に生きるためには、死んでもいいが、健康は自分がしっかり管理維持しなければならない。生死は神仏の管轄であるが、健康管理は自分の責任である。幸福はまず健康からである。

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この楯は、東日本大震災で倒壊した神社の復興時に使った桧の端材で作成されている。

馬場恵峰書、2012年入手

 

   『命の器で創る夢の道』P74

 2019-03-26     久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月24日 (日)

眼の手術の研究

 2012年春に白内障の手術を受け、その直後、網膜剥離を患った。その白内障の手術に不具合があり、その修正手術を三好輝行先生(福山市、三好眼科)にして頂いた。その後、網膜静脈閉塞症を患い、三好先生の紹介で、中部地区ではその第一人者の名古屋市立大学病院の小椋祐一郎教授に治療をして頂いた。

 それで手術に対して目が覚め、自分の目に対する手術の概要を知ろうと、医学専門書を捜して購入した。手術の概要を知ることは、自分の体をよく知ることになり、有益だと感じたからだ。自分の体に施される「工事」内容を知ることは、「施工主」として今後の治療方法の選択時の決断と予防の心構えに貴重な情報源となる。

 

方針決定は自分

 治療は医師が行うが、医師から提示された治療案の選択の決定は、自分がしなくてはならない。その知識を得るのに専門書は、貴重な情報源だ。捜した医学書は、たまたま、小椋祐一郎教授が著述された書籍で、書籍の内容のレベルから見ても、治療をお任せするのに大きな安心情報となった。2冊で43,200円と少々高価なのが難であった。この巻のシリーズの「白内障」の巻(30,000円)を以前に購入していたので、買うのに躊躇はなかった。

 この書籍に目を通して感じたことは、世の中には私以上に難しい状況に置かれた人が多くいるということ。また命の不思議さである。自分のまだ恵まれた状況を認識できた。また目の医学が進化していることを確認できたことは幸いであった。

 

ながい坂

 横田鶴良先生が杉田玄白著「蘭学事始」の写本を殿に勧めると、殿は「おれに医師になれというか」と初めに仰せられました。横田先生はそのとき「病気にかかるのは人間ばかりではない、世の中も病んでいるときがある、人体の病気も世間の病気も似たようなものだ、そうでなくても、書物というものは読んでおいて損はない」というふうに云われました。

             (山本周五郎著『ながい坂』Ⅱ p138)

 

 私はこの『長い坂』の文言に出会って以来、理工系の本ばかりでなく、医学書や自然界の現象の本にも手を出して読んでいる。人間の体は小宇宙の世界である。それを知れば、自分の生き方、経営診断にも応用できる。学ばない手はない。

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   『命の器で創る夢の道』P73より

 2019-03-24   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月23日 (土)

眼の命の代償  命の器

 現代は照明器具や、眼鏡が発達しても、それ以上に情報が氾濫し、活字、テレビ、PC等を使い、ついつい目を酷使する機会が多い。目にも寿命があることを意識して、大事に使わなければと肝に銘じた今回の目の病気(白内障、網膜剥離)のご縁であった。(2014年当時)

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京薩摩焼

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茶碗内面の蝶の絵柄 

京薩摩焼の名品

 この京薩摩焼は細かい蝶の絵柄を金、赤、青、黄の一色ずつ茶碗に色付けをして、焼く工程で仕上げる。色の数ごとに色付けをして、その色ごとに焼くという気の遠くなる職人技であった。色によって融点の温度が違うための必要な工程である。京薩摩焼は富国強兵を急ぐ薩摩藩や明治政府の日本の外貨獲得の貴重な輸出製品の一つであった。当時の職人は電球の無い時代であったため、太陽の下でこの細かい絵付け作業を強いられた。そしてみんな目をやられていった。やらなければ、後ろから刀で見張っている薩摩藩のお役人に殺される。この作品には京薩摩焼職人の眼の命がこもっている。

 

経緯

 ご縁がありこの作品は、2011年に自宅に来たが、その悲惨な製作過程を三好輝行先生に教えてもらって襟を正した。この作品は、明治初期の当時、日本を狙う欧米列強の外圧を撥ね退けるため富国強兵政策として外貨を稼ぐため、職人が命を掛けて作り欧州に輸出された作品である。2010年頃の円高の折、英国の貴族が所有していたこの作品がオークションに出て、日本に里帰りをした。2011年、これに大垣のデパートで出会って、その製作工程の気の遠くなるような凄さに感動して購入を決めた。職人の技の極致である。

 私はいまだかって骨董の陶器など興味がなかったのに、衝動買いである。それ以降も、骨董の陶器は買っていない。それほどの作品である。2019年現在まで、毎年、この展示会を見ているが、これほどの作品にはそれ以降、お目にかかれない。良きものを入手できたご縁を嬉しく思おう。

 この作品にはご縁がある。大老井伊直弼の横浜港での開国の決断のご縁が、これに結びついている。父方のご先祖は、大老井伊直弼の桜田門外の変にご縁があった。

 

   『命の器で創る夢の道』p77より

 2019-03-23  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月21日 (木)

自分の命の値段

 ある日、自分が北朝鮮に拉致されて死刑を宣告されたとする。死刑は免れないが金を出せば1カ月間の時間余裕を与えると言われた時、自分は1カ月間の余命に、いくらの金を出すのか。その金額が自分の時間価値となる。

 

余命宣告

 己の健康管理の怠慢で病に冒され、余命半年と宣告されてから「金はいくらでも出すから助けてくれ」と医者に泣きつく御仁が娑婆には多くいる。無法国家に拉致されるのと状況は変わらない。医者は治療をするが、病気は治せない。しかし、死期の予想は正確に当てる。私も父の病気の時に医者から余命1年と聞かされ、それが余りにも正確だったので驚いた覚えがある。

 東日本大震災のように、突然津波に呑まれて命を落とされた方に比べれば、余命1年があるだけ、どれだけ幸せなことか。亡くなられた方々の無念がしのばれる。

 

死にざま

 松本明慶先生作の「魂(オニ)」の納佛された日(2014年7月16日)から1週間も経過しない日(7月22日)、韓国フェリー事故の船会社のオーナーが変死体で発見されたと言うニュースが入ってきた。6月には、100億円出すから中国に密出国させて欲しいと闇ブローカに交渉中とのニュースが流れていた。その最期はこの夏のなか、冬の高級コートを着て、周りに酒の空き瓶を置いての畑の中でさびしい服毒死か病死である。贅沢な生活に身を置いたが故、病身で余命は長くなかったようだ。それでも100億円の金を出して生き延びようとする。このオーナーは数百億円とも言われる財産を築きながらも、この有様である。フェリー事故で犠牲となった高校生達がかわいそうである。このオーナーは信徒9万人の新興宗教「救援派」(オカルト宗教と言われる)の教祖とも言われるのが、新興宗教では人が救えないことを教祖自身が証明したといえる。人の偉さ(醜さ)はその死に様に現れる。

 

悪縁の後悔

 余命1ヶ月の時になって後悔することが、その昔に付加価値を生まない悪縁との付き合いで、貴重な時間を無駄遣いしたことである。そのために、やりたいこと、やるべきことが一つできずに、先送りになったという後悔である。やれる歳になると、体がいうことをきかなくなる。そんな後悔を避けるために、悪縁の元を絶つことは、人生の価値を上げはできないが、下げる危惧を無くしてくれる。

 

 

 ご先祖から頂いた命は、能力を最大限に使って人生を全うしたい。安岡正篤師は、「人は学ばなくなったら、人間ではなくなる」とまで言う。吉田松陰は、「一日でも生きている限り、どんな状況においても学問か仕事に励むのだ」という。学ばないから、仕事をしないから、頭を使わないから、世の中に貢献しないから、認知症になる。「使わない器官は退化する」という自然界の摂理がそこにある。社会に貢献をしない人は、社会のお荷物である。仕事をすれば、多少なりとも税金を納め、社会に貢献することになる。脳トレをすれば認知症が防げるのではない。それは遊びと同じで、長くやると苦痛になり続かない。それは社会にとって時間とお金の無駄使いである。

 

   『命の器で創る夢の道』p75より

 2019-03-21 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月20日 (水)

一刀三礼して祈念する

 松本明慶先生が、東日本大震災(2011年3月11日)の復興祈願のみほとけの謹刻を2011年5月より開始した開始した。直径1mの楠の丸太をV字形に二分割し、一方に子安観音菩薩像を、もう一方に健やかに合掌する童子百人の群像を目指した仏像の謹刻である。松本明慶仏像彫刻美術館にて、来館者の方々に一刀ずつの造佛協力をお願いして、鎮魂と日本復興の祈りを発信する活動を開始された。

 

一刀三礼

 一刀三礼とは、「佛師は一刀彫るごとに三度合掌し念じ入るような心構えで、造佛に打ち込め」という教えである。これは明慶先生の恩師故平岡定海先生が入院されていた折、心臓にペースメーカをつけた状態にも関わらず穏やかな眼差しで諭された口伝である。どんな仕事にでも、この気持ちで一挙一動を捧げれば、良き仕事ができる。

 

一刀三礼を体験

 私も松本明慶仏像彫刻美術館を訪れた折(2011年12月18日)、若い佛師に指導をされて、子安観音菩薩像の右肩に一刀三礼をさせて頂いた。よきご縁であった。これからの仕事を一刀三礼の気持ちで取り組む第一歩としたい。

 今までに約7千人の方が刀を入れられた。それが8年がかりで仕上げ彫りが進んでいる。このご縁で、今回の大震災には合計で50万円の義援金を出させていただいた。

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松本明慶仏像彫刻美術館の子安観音菩薩像前にて。左は小久保館長。

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修学旅行で来館した中学生も、緊張して一刀三礼のノミ入れに参加

(長野県木島村木島平中学校) 

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一刀三礼のノミ入れに最年少来場者も挑戦

 

佛木との出逢い

                                                          大仏師 松本明慶

 このたびは当方の美術館にて行いました、一刀三礼運動に多くの心ある方々が協力下さり、誠にありごとうございました。遠方より、そして多忙な日々の暮らしの合間を縫って、宗派を超えた方がた像佛に参加して下さり、心より福深く御礼を申し上げます。

 復興祈願のみほとけは造佛は、今回で二度目になります。一度目は平成16年に大地を揺るがした、中越大地震でした。謹刻させて頂きました復興地蔵九体は、樹齢180年の地震による杉の倒木を材としました。それは山古志の男衆が命がけで、雪崩の危険もある立ち入り禁止地区に分け入り、降り積もった3メートルの豪雪をかき分けながら、ワイヤーをかけ引きずり出した木材を、夜を徹して新潟より、京都の松本工房に運びこまれたものでした。完成するとすぐ仮設住宅で被災者の方々と共に暮らし、現在も山古志の地域復興センターで、大切にお祀りされています。

 今春の東日本大震災は大変広範囲にわたり、被害の様相も地震・津波・原発事故に伴う目に見えぬ放射線への恐怖という、未曽有の惨事であり、いかなるみほとけを刻めば良いのかと、私も私案に暮れていましたが、名古屋の山富木材より連絡が入り、材木市場で入手した極上の銘木が浮んだのです。

 それは末口1メートル長さ4メートルの、木味の良い見事な楠の丸太でした。木材は一本として同じ木はありませんが、材木市場で出逢った瞬間になんと素性の良いきなのかと、この楠と出逢たことに感謝しました。

 その後、製材所に運び、芯割り(年輪の中心から縦半分に割ること)した断面を見つめ、私は鳥肌が立ち身がすくみました。この木こそ、佛様がすまわれるている。年輪は一分(3ミリ)間隔ですべてほぼ均一に揃い、上部に一つ節があるだけでした。この楠より、悲しみを静かに受けとめて未来へと光を放つ観音様をお迎えしよと、決めました。

 まず芯割りした丸太をV字形に二分割し、凸形の木塊には子安観音菩薩が両手を広げたお姿を、もう一方には木塊には、百人の童子たちが合掌するお姿を彫り起こそうと、構想を練りました。これは犠牲となった方がたを大切に供養し、被災地をふるさととする子供たちが沢山生まれ育ち、将来を担う。それが復興であると思うからです。

 そして、今回の一刀三礼運動に参加して下さった皆様のお心に、震災の記憶を留めて頂き、犠牲になられた方々の分も、力強く歩み続けて下さいますことを、祈念したしております。また完成には最低5年の年月を要し、完成後は当方の美術館に安置する予定でおります。

 まだ荒彫りの段階ですので、一般の方々にもノミ入れを頂く余地がございます。この運動を美術館において、来年も継続させて頂くことにしました。入刀されておられない片は、是非ご参加頂ければと存じます。

                             合掌

  松本明慶友の会会報『苦楽吉祥』 2011年12月 第49号より

 

 『命の器で創る夢の道』p44より

 

 2019-03-19 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年3月19日 (火)

免振装置とのご縁

 人生の災難(トラブル、激震)に遭遇しても、自分の心が激動しないように、うまく滑らせてやり過ごすかが、人生のトライボロジー工学である。力んで踏ん張るから、逆に被害が大きくなる。災難に出会ったら、力を抜いてやり過ごそう。

 

仏像の耐震対策

 ご縁で松本明慶先生の聖観音菩薩像が自宅に納佛され(2011年1月)、その直後、東日本大震災が発生した(2011年3月)。それで仏像の転倒対策を心配して免振台(約80万円)を検討して、行き付けの文房具店で発注した。ところがその翌日の朝、いつものように散歩のコースの途中で南園堂に寄ったら、お寺の会報『興福』が置いてあり、その最終頁に興福寺の国宝の仏像の下に滑り方式の新免震台を設置したとの記事が載っていた。早々に興味を持って調べたら、金額が25万円と安価で、理論的にもベアリング式の免震台よりも優れていることが判明した。ベアリング式では端まで振動で台が振れると、衝撃で逆に転倒の危険がある。この開発元のベンチャー会社の社長は積水ハウスの元研究所所長であった。それで直ぐに前日に発注した免寝台をキャンセルして、新免震台を再検討した。この件を知るのが1日遅れていたら、80万円が必要で性能が劣る製品になるところであった。お陰で予算が50万円ほど浮い(ご利益)た。仏様のご配慮としか思えない。

 そのためお礼として、興福寺に寄進3万円と南園堂の講堂用に、型は古いがまだ新品同様のエアコン(家庭用では最大の容量品)を寄付させて頂いた。お盆の祭事時は、お堂にエアコンが無く、皆さん暑い思いをされていたが、それが解消されて桐ケ崎町の皆さんに喜ばれた。

Photo     産経ニュースより

免振装置

 購入した免振装置はアイディールブレーン社の製品である。東京の展示会で実物を見に購入を決めた。展示会でこの会社の社長(元積水ハウスの中央研究所の所長)に会い、技術的な議論をして納得した。私の前職は工作機械の開発設計者で、振動やトライボロジーの知識が人並み以上であったのが幸いした。これもご縁である。

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3 メーカカタログより

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設置した免震装置(自宅)

 

2019-03-19 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。