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2019年3月 4日 (月)

創る人は獣道を行く

高塚画伯の哲学

 高塚画伯の持論、「よい絵を描くには、批判眼を持たねばならない。『上手い絵』は描いた量に比例し、『良い絵』は考えた量に比例する。」

 私はあるアウトプットを評価するのに、「美しい□□」との表現を好む。これは「良い(絵)」との表現と同意語である。この表現は全てに当てはまる。文章、作曲、スポーツ等、およそ人間のなす仕事に全てに包括されるようだ。我々技術者は、持てる時間を汗に変え、頭で汗をかき、その思考量に依存した「良い仕事、美しい仕事」を完成させたい。それが美しい時間の使い方、創り方である。

 

師の指導

 「人を指導するのは難しい。先生とは指導する役目柄、何かを生徒に言うが、無言の先生もときにはいる。平櫛田中教授は、生徒の作業中を見回るだけで一言も発しない。あるとき、2人の生徒が勇気を持って自作を教授室に持ち込んで批判を乞うたら、先生はじゅっくり見てから、「もう少し何とかなりませんか」と言ったそうです。ある意味では、もっとも誠実な指導者かもしれない」、と高塚画伯は回想する。自分の人生は自分が創らねばならない。師は方向性が正しいかどうかを教えるが、走るのは自分である。

 

獣道を行く

 独自の人生道を歩くには、我が道、獣道を行かねばならぬ。高塚画伯は「君の絵には汗の匂いがない」と先輩に批評され、それから心して汗の匂わない女を描くことに心掛けたと言う。芸術家としての確固たるポリシー・自我がないと、そうはいくまい。女性を描くことでの、作者の伝えたいコミュニケーション内容は作者の明確なポリシーがないと、評価されない。

 「学ぶのは舗装道路。創るのは獣道」と高塚画伯は断言する。芸術家と科学者、研究者の置かれた立場は同じだ。累々たる失敗の屍の山の中で、自己の実現は難しい。それをやり遂げるのが芸術家だ。優しく美しい女性群の絵の影に、画伯のそんな孤高な姿と、強固な意思を垣間見る。


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 高塚省吾著『高塚省吾の絵の話』(芸術新聞社刊1996年2000円)

『命の器で創る夢の道』p210、『磨墨智383-1.モジリアーニを演じよう』

2019-03-04  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

人生の信号機

 高塚省吾画伯の「信号機」3枚の裸婦画は、意味深長な組み絵である。人生の赤信号とは何か。人生の信号が赤で不運のときである。その時は、自分を見つめ実力の内部蓄積を図って過ごして、信号が青になるのを待つ。その背景から危険が浮かび上がってくる。まず足元を見よ。脚下照顧。黄信号とは何か。襟を立て、上から状況を確認して注意して進む準備をせよ。緑信号は真っ直ぐ前を見て、安全を確認して進め。赤があって緑が映える。

 

高塚省吾画伯の絵を購入

高塚省吾画伯の緑の「セーター」を衝動買いのように入手して、その後、赤の「ショール」を勧められたが(画廊で売れ残っていた)、気乗りがしなかった。「ショール」の女性の目が俯き気味で陰気さがあり、いつもの高塚画伯の描く真っ直ぐ前を見つめる明るい目の女性画でなかったからだ。かなり躊躇をしたが強く勧められて購入することになった。2枚揃うと信号機を連想して、「黄色があるといいね」と画商に冗談で言ったら、その1年後に高塚先生がその黄色の「新涼」を描いてきてしまった。今更、要らないとも言えず、購入資金をかき集めるのに大変だった。嘘みたいな話であった。だから冗談でこの3枚の絵を「信号機」と呼んでいる。

 

芸術作品との出会いは一期一会

これもご縁でしょう。20余年の時間が過ぎて、今にして良い絵を入手で来て良かったと思う。時間が経たないと、そのご縁のありがたさは分からない。もし今の時点で欲しいといっても手に入らない。特に芸術作品との出会いは一期一会である。このことで、欲しいと思った芸術品、ご縁や機会には躊躇せずに決断ができるようになった。その決断の訓練代と思えば、少々の出費ではあったが価値ある絵であった。また資金を捻出するため、『生活VA』という作品(約150頁)が完成した。それ以降、時間とお金の無駄遣いはしない習慣がついた。

 

Photo_2   高塚省吾 「セーター」10号  

Photo_3   高塚省吾 「ショール」10号

『命の器で創る夢の道』p210、『磨墨智383-1.モジリアーニを演じよう』より

2019-03-04  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

目は命を語る

モジリアーニの描く女性の顔は、極端に引き延ばされ、空白な目が虚ろにこちらに目を向ける。黒い眼は外をみつめ、黒目のない空白の眼は、自分自身の内面を見つめている象徴である。自分自身を内観をして自分を見つめ直そう。自分を見つめる事で、未来の時間が創造できる。答えは自分の中にある。

 

目の修正のお願い

  昔、高塚省吾画伯にイメージを伝えて絵を描いてもらったら、完成した絵の目が気に入らなかった。その目は、今まで高塚画伯が描いてきた澄んだ、真っすぐ前を見ている目ではなかった。それで、お願いをして修正してもらった。そのとき、画商に、絵の目の意味を教えてもらった。同じ絵でも、たった一つの瞳の描写如何で、顔の印象が劇的に変わる。今にして、大画伯に大それた厚かましいお願いをしたものだと思う。それを快く修正して頂いたことに感謝である。

 

目のメッセージ

人間の目も同じである。自分の目の輝きというメッセージを相手に伝えよう。目の輝きが人生の希望を示す。若者でも、未来の希望を失い目の死んだ者がいる。老いても、目が輝いている人もいる。

河村義子先生は、命の期限を切られてから、最後の日まで音楽の夢を実現するため一歩でも前進しようと目を輝やかせて生きた。義子先生は志半ばで、走りながら斃れられたが、その志の灯は弟子に受けつがれた。義子先生は、青春の時間を過ごしたのだ。

 自分は時間を真剣に見つめる目を持ちたい。自分を見つめる目、過去と現在、そして未来の自分を見つめる目はどんな目?

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高塚省吾 「新涼」  10号

   『命の器で創る夢の道』p210、『磨墨智383-1.モジリアーニを演じよう』より

 

2019-03-04  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月 3日 (日)

「飽食の罠」が日本人をガン集団自殺化へ

シベリア抑留での食事量を示されると、現代日本の「飽食の罠」に思いを馳せざるを得ない。病気になるのも、全て、食べすぎ飲みすぎ、薬漬けが原因であると私は確信している。

 

食物罠で、日本列島ガン収容所化

 テレビではグルメ番組の氾濫、食い物のCM、行列のできる飲食店の探求番組ばかりである。これでは国民が肥満になり、病気になるも故あること。己を諌める四天王が薬物で麻痺させられている。

 私は、現代の金儲けに重点を置いた商業ベースの食の生産体制が、ガンの増加を招いていると確信している。この40年間で、医療費は4倍に増えたが、ガン患者は減るどころか、逆に3倍に増えた。

 今日本人の99万5千人がガンに罹患する。年間に100万人が生まれ、100万人が死んでいく日本で、99万5千人がガンに罹患するのは異常である。いわば日本人全員がガンになるのだ。日本人の死因の半数がガンである。40年前と死因が激変している。

原因推定 

 この40年間で激変したのが、食生活である。生活環境は良くなっているのにガンが増えている。労働環境の激変で、ストレスが急増している。それもガン発生の一要因であろう。それだけでは、この急増は説明できない。

 このガンの急増を推理すると、食の急激な欧米化に、日本人の2000年かけて培った体のDNAが対応できていないために、体が悲鳴を上げ、体の組織が反抗してガンが急増したと推定される。西洋では2000年来、オリーブ油が使われているが、日本では油料理が普及しだしたのは、明治以降である。特に戦後の食生活の欧米化は急激であった。まるで草食動物の馬が、急に肉食生活をさせられたたようなものだ。それがガン増加の原因と思う。

 

対処療法の限界

 日本政府は、ガン治療の対処療法に力を入れているが、その真因の根本対策を放棄している。それには利権が絡んで、政府も及び腰である。まるで日本人全員が、ネズミの集団暴走で海へ突撃して集団自殺するように、ガンという死の海に猛進しているようだ。

 

肉の生産での発癌物質

 金儲けの為、過密状態で飼育される牛や豚、鶏には、病気を防ぐため、過剰な抗生物質が投与される。効率的な飼育の為、成長ホルモンが投与され、それが牛乳や肉に入り、人間の体に入り込む。牛には仮想妊娠として女性ホルモンが投入され、それが牛乳に入り込む。それは乳がんを誘発させる。日本女性の乳がんの増加の一因と言われている。

 

至福のポイントの罠

 人の健康は度外視して、売れるために「至福のポイント」を人工甘味料、糖分、脂分、油分等で味付けした食品が氾濫している。「止められない、止まらない」と食べ過ぎが誘発される。「うまい安い早い」で、わずか280円で牛丼が提供される。家庭でどう逆立ちしても、あんなうまい牛丼は出来ない。それには、怖しい人工調味料が多量に使われている。それが体にいいわけない。肉は上記の状況で飼育されている。劣悪工場のような畜舎で、大量生産される肉には、自然放牧のような良質の肉は存在しない。防腐剤も多用される。

 

糖分、脂分、油質分の殺人幇助罪

 お饅頭やてんぷら、スィーツ等の御馳走は、その昔は盆暮れお正月くらいしか食べさせてもらえなかった。当時はがん患者も少なく、認知症も少なく話題に上らなかった。

 私はその間接原因を、糖分、脂肪分、脂分だと思う。これらの成分が、血液を汚し、血管内部にプラークと呼ばれる壁膜を作り、血液の流れを阻害する。血液がうまく流れないので、体は自己防衛本能で血圧を上げる。これが高血圧の仕組みである。それを対処療法で降圧剤を飲むから、流れるべき血液が流れなくなる。血液には免疫酵素が含まれ、それがガン細胞等の病気の繁殖を防いでいる。

 だから、私は断糖、断油、断脂の食事療法で、高血圧症を治した。だから私は、禁「お饅頭」です。つらい!です。世の鉄則、美味しいものには毒がある。

 

タバコの発癌性

 タバコがガンの誘発要因であることは明白なのに、喫煙者の国会議員がその対策を妨害している。売国奴である。ヘビースモーカの橋本氏が首相になったのは、日本が健康意識の後進国の象徴なのだ。有権者が、喫煙者の候補者に投票するから、日本列島のガン化が収まらない。自分で自分の首を絞めているのだ。

 2015年には、JTカナダ子会社などに計1.4兆円超の賠償命令がカナダ裁判所から下された。喜ばしいことだ。

 

酒の発癌性

 昨年、英国で、酒には発癌性があるとの論文が発表された。アルコールは体内に入ると、肝臓で薬物と同じように分解処理をされ、アセトアルデヒドに変換される。そのアセトアルデヒドに発癌性がある。普通の食物は胃で消化されるが、アルコールは肝臓で分解される。だから酒は少量でも毒である。「酒は百薬の長」は酒のみがほざいた戯言である。世界保健機構(WHО)は酒を薬物に分類している。だから通常の宴会とは、薬物パーティなのだ。がん患者が増えて当然である。

 飲酒は、喫煙よりも社会損失額が大きい。政府はもっと酒に関して規制をすべきなのだ。喫煙は4兆円、飲酒は6.6兆円の社会的損害である(厚労省調べ)。

 そんな有害物質なのに、マスコミの宣伝では大きな顔をしている。政府が酒の宣伝を規制するべきだ。禁酒法とはいかないまでも、何らかの規制が必要だ。スェーデンでは、17時までアルコールの販売が法律で禁止されている。

 私は2年前から完全禁酒とした。

 

農薬の被害

 お米の生産には農薬を大量に使われ、欧米の3倍の農薬が残留する。日本人一人当たり6キロの農薬を浴びている。

 最近は、日本人は死んでも腐らなくなったという。それは防腐剤や農薬が体に入っているからなのだ。だからガンが増えたと推察される。

 

精神の荒廃というガン細胞

 そして異常な事件が起こるのも、昼間から刑事ドラマで殺人事件を頻発させ、人殺しが日常茶飯事のように映像で流れ感覚が麻痺させられている。視覚、思考感覚の麻痺である。テレビゲームでは殺し合いがゲームとなり、死んでもリセットすればゲーム再開。これでは実社会で殺人事件が起きても不思議ではない。そんな鬼の社会を我々は目指してきたのだろうか。

 

仕事の目的

 仕事とは、生きる目的と生きる糧の獲得である。松本明慶先生曰く「私は、みほとけを謹刻することによってのみ生かされている」

 アウシュビッツやシベリアの極限状態では、生きる目的を持った者だけが生き延びた。生き延びるとは、ご先祖から頂いた命を全うすること。私の父もシベリア抑留から生き延びて帰国した。それで今の私の生がある。零下30度の極寒労働地、極貧の食事、劣悪な極酷の労働条件。朝,目を覚ますと若い戦友が隣のベッドで冷たくなっている。半分の戦友がシベリアの土に消えた。アウシュビッツでは20人に一人しか生き延びられなかった(致死率95%)。シベリア抑留開始の初期は、ロシア側の準備不足があり、致死率は80%にも達した。最終的には10%の致死率である。しかしその極限条件下でも生き延びた人達がいる。下記はドイツ強制収容所から生還し、その体験を記した『夜と霧』の著者(心理学者)、ヴィクトル・E・フランクルがとった行動である。

 

◇ 働ける体であるように見せる

   働ける状態でなければ、自動的にガス室行き。仕事をするには健康が必須。

◇ 常に未来を信じる   未来になすべき仕事を天命と信じて。

◇ 収容所での苦しみは意味があると認識  仕事のための試練と受け止める。

◇ 愛する人との魂での会話

◇ 感動を失わない     良き仕事は感動する心が必要。          

◇ ユーモアを失わない            

 

 現代は、飽食と痴呆的な環境が蔓延し、遅延性の毒として脳を蝕み、現在、65歳以上の15%が認知症となっている。生きる目的と仕事を放棄した結果である。

 

食品業界の「業」

 仕事は、世のためになってこそ仕事である。仕事とは「事」に「仕える」のだ。「事」は世のためになるものである。現代の商品業界は、拝金主義に侵され、金儲けが主目的になり、消費者の健康を害している。食品業界のそれは、「仕事」ではなく作業で、人間の「業」を「作って」いるのだ。

 その命を無視する経営が、日本を滅ぼしかねない。中国の侵略の脅威より、北朝鮮の核ミサイルよりも怖ろしいのが、日本人の精神の荒廃である。金儲けのためなら、売る商品で日本人の健康を害しても知ったことではないのだ。その結果が、ガン患者の急増である。私は、河村義子先生は食品業界に殺されたのだと思う。

 

日本人の集団自殺

 その添加物、抗生物質、防腐剤、農薬等の「毒」の使用を自社だけ止めれば、自社製品が高くなり、自社だけが売れなくなり、倒産してしまう。だから自社だけでは、「毒」の使用が止められないのだ。まるで集団自殺をする小動物「レミング」のように、日本人全体が、死の海に向かって暴走しているようだ。

 これは政府が全食品業界を指導して法律で規制しどうしない。その政府も議員が業界の利権に取りつかれて、規制に動かない。マスコミも食品業界の広告費が大きな割合を占めるで、真実を報道できない。だから日本の集団自殺の暴走が止らない。

 

2019-03-03  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月28日 (木)

お金の意味

お金は単なる数値の羅列でしかない。独居老人が亡くなって、床下から数千万円の札束が出てきたという新聞記事を良く見かける。お金の真の意味を理解していない人は多い。お金は使ってこそ価値が出る。お金は道具でしかない。その道具のために、働くのはお金の奴隷となること。手段と目的を取り違えるから起こる間違いである。下手にお金を後進に残すと、財産争いが起こる。働く意味を理解できないと、10年後に子孫を醜い相続争いで不幸にすることになる。それはお金からの復讐である。

必要以上に金があると、使うのに労力がかかり、死んでしまうくらい疲れる。毎日10万円の食事をすれば、病気になるのは必然。旅行をすれば疲労困憊で、死んでしまう。人は食べて1升、飲んで一升、寝て畳1畳である。金を使うのも大変だ。だれかのように数百億円も貯めても、まともには使えない。

死ぬときに、預金通帳の残高が100万円多いか少ないかなどは、何も持たずあの世に旅立つ身には、煩わしい雑事である。人生では小さな問題である。

「人生で生きていくのに必要なのは、勇気とsome moneyである。」(チャップリンの言葉)

 

稼ぐ能力

 人生で必要なのはお金ではなく、お金を稼ぐ能力と使う才覚である。両方が身に付けば、お金のほうから擦り寄ってくる。お金も人間が作り出した人の子である。お金にも魂があり、現金なものである。お金は経済状況が変われば消えてしまうことがある。しかし身につけたお金を稼ぐ能力は、どんな経済状況になっても消えない。その能力がお金に勝る財産である。

 母方の祖父は、銀行に預けた虎の子の退職金が、戦後の新円切替(1946216日)で、紙くず同然となった惨めな体験をした。私の生まれる4年前のことである。母がその話を何回もしてくれた。その時期、母と結婚前の父は、シベリア抑留の身であったが、洋裁の才能という芸があったので生きて帰国できた。

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Wikipedia  2014/9/19より

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 お金は道具であるから、悪縁を切るための道具として使えばよい。札束で相手の頬をひっぱ叩いてやれば、道具としてのお金の価値が出る。悪縁の人に金を貢いで金を浪費させられても、それを縁切り金と思えば、安いもの。それで今後、自分の大事な時間を邪魔されない体制がとれえるのだ。それで相手が目を覚せば救いがあるのだが、縁なき衆生度し難し、で目を覚ましてくれないのが現実である。

 

金は道具

仕事は「使命感」をもって取り組むもの。しかし、「使金感」をもって生きるとは言わない。言うのは「資金力」であり、お金が道具、手段であることは明白である。そのお金を人生の目的にするから、にわか成金が晩年を汚すのである。

 

ご縁の貯金

お金も大事に扱ってあげて、心を込めて旅出せてあげれば、お金がお友達をつれて帰ってきてくれる。お金を貯めるばかりで、使わないから幸せになれない。可愛い子(お金)には旅をさせよ、である。

 人生はお金ではないのだ。お金より大事なのが、どんな時代でも生きていける知恵と稼ぐ能力である。貯めるべきは智慧とご縁である。

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馬場恵峰書 2014

 

 『命の器で創る夢の道』p33より

2019-02-28  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月26日 (月)

米国の未来の肥満は反面教師

 「2030年には、米国人の42%が肥満になる」と言う見通しがワシントンで開かれた米疾病対策センター(CDC)の肥満に関するフォーラム(2012年5月)示された。今後20年間で、医療費だけで44兆円の負担増になるという。

 44兆円とは、世界一の軍事力を持つ米国軍事予算50兆円に相当する。内なる敵が米国を攻めている。その防衛費が44兆円越えである。日本の国家予算の半分である。肥満になれば、高血圧、糖尿病、認知症と医療費は高騰し、頭は働かなくなるし、社会の無駄な消費は増えるし、社会の活力は失われる。国の衰退である。その件を下記に考察した。

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帝国の繁栄

 近代の歴史では100年間、繁栄が続いた帝国はない。帝国の繁栄は、スペイン、オランダ、大英帝国と続いた。大英帝国は一時、日の沈むことはないと誇示した広大な植民地を築いた時代もあった。

 それに楔を打ち込んだのが太平洋戦争である。これによりアジアの植民地が解放された。美味しい餌を奪われる結果になった欧米が、日本を憎む原因がここにある。その陰湿な仕返しが東京裁判である。しかし戦後長く続いたアメリカの繁栄も、時代の流れには逆らえない。その繁栄を崩壊させるのは己の食欲さえ制御できない意志の弱さである。敵は内にある。それを考えると、1000年の間、続いたローマ帝国は驚嘆である。その帝国も国民の退廃で滅亡した。ローマには、歴史を考えるヒントが溢れている。

 

肥満と痴呆化

 日本はアメリカの流行の10年遅れで動いている。他山の石として、警戒すべきである。その兆候があちこちに出ている。その兆候の最たるものが、肥満化と頭の痴呆化である。現代社会が金儲け主義の企業の跋扈のため、飽食の罠と痴呆化の罠を作り出している。動物に近い強欲さで生きている狩猟民族が、近代化という錬金術で手に入れた金のせいで、肥満化と頭の痴呆化になるのは、神がしくんだ落とし穴である。

 

苦役と働く喜びの差

 欧米の労働感では、働くとは神がアダムとイブに課した苦役である。だから金が出来たら早く引退してのんびり暮らしたいという欲望がその背景にある。欧米の労働に対する価値観は、働くことが尊いという日本の価値観とは対極の位置にある。その金を得る為、人の金を強奪するための正当化の教義として、グローバル経済主義が生まれ、その結果として1%の富者が99%の富を独占すると言う社会が生まれた。

 

ローバル経済主義者

 その典型が、日産のゴーン氏の破格の給与が以前から問題になっていて、今回の逮捕事件(2018年11月19日)となった。どう考えても、トヨタの役員全員の給与総額が15億円なのに、ゴーンが一人で20億円をかっさらうのはまともではない。拝金主義の極まりである。それは戦前の植民地強奪戦争を思い起こさせる。その後継者がグローバル経済主義者である。

 

日本文化継承の務め

 しかし日本には、おかげさまで、自然との調和、共生、知足、利他の心という文化がある。日本食という健康に良い文化もある。欧米化した悪しき教義を見直して、新しい時代を創るのが、年長者に課せられた「仕事」である。それも後姿を見せるだけでいい。新しい時代を「創る」のであるから、血みどろな戦いが必要である。しかし認知症に犯された老人には無理である。

 年長者が生涯現役で働けば、歳を取り遊んでいる欧米諸国に勝つことが出来る。地道に働くだけである。ウサギと亀の競争を思い出そう。繁栄の資源は、己の内にある。

 

吸血鬼ビジネス

 なぜ米国人の肥満が減らないのか、なぜ増える一方なのか。砂糖が大量に入った清涼飲料水、スィーツの氾濫、ファーストフードに代表される工場で大量生産される食料は、利益万能主義で、いかに大量に消費者に飲食してもらうかが、企業経営の目標になっている。2014年夏、米国企業の不衛生なチキンの製造工程が露見したニュースが世界を駆け巡った。金儲けの前には国民の健康は眼中にない。

 そして太らせたカモは病気になり、医療と大量の医薬品が投入され、医療機関、薬品業界が儲かる仕組みとなる。本来、病気にならないように、悪い飲食物を規制すればよいのだが、米国のロビー活動で、それを業界は妨害する。ロビー活動とは、実質的に賄賂工作と同じであるが、ロビー活動という「美しい名前」で世間をごまかしている。これは人の生血を吸って金儲けをする吸血鬼ビジネスである。

 

節税・脱税の鬼

現 在、金儲け最優先の企業は行き過ぎた節税策を展開中である。「タックス・インバージョン(Tax Inversion) とは、節税のために本社を海外に移転させる節税策だ。合法ではあるのだが、企業倫理的には間違いである。具体的には、米国企業が米国よりも法人税率の低い外国の企業を買収して合併、その上で合併後の 新会社を書類上は外国の会社として法人税を抑制する、という手口だ。こうした動きはこの1年ほどで加速している。今年春に持ち上がった 製薬大手の米ファイザーと英アストラゼネ力の合併話(結局不成立)で、この手法が大きな注目を集めた。

 ロイターによると、節税行為の1位はゼネラル・工レクトリックで1100億ドル。以下、Microsoftは764億ドル、ファイザー は690億ドル、製薬大手のメルクは571億ドル、Appleは544億ドル、である。

 税金とは、公共の設備の利用料である。節税とはそれをキセルするという反社会的行為である。吸血鬼ビジネスに携わる業界が、この節税に熱心なのは頷ける話であり、情けない話である。

 

税金が高いのを喜ぼう

 松下幸之助翁は税金を納めるのが誇りであるというが、現代の米国企業は情けない根性に成り下がっている。これが今を時めくグローバル経済主義である。税金が高いとは、人より能力があり、収入が多いと国が認めてくれた勲章である。沢山税金を納めると、ご褒美で更に収入が増えていく。それを喜ばないから、豊かになれない。

 

2018-11-26 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年7月25日 (水)

仕事の報酬とは

 仕事の報酬は仕事である。お金ではない。お金は次の仕事のための支度金である。仕事での逆の報酬とは、左遷、窓際族、失業である。良い仕事をすれば、もっとレベルの高い仕事が回ってくる。出来が悪ければ、仕事が絶たれる。天の裁きは単純明快である。天網恢恢疎にして漏らさず、である。仕事で腕を上げて、さらに良い仕事をこなす。お金は後から追いかけてくる。そのお金があなたを追い抜いていくことはない。仕事でお金をひっぱって行くのだ。その逆の意識で、お金に引っ張られるから、ろくでもない人生になる。それを汚職という。

 豊かになれないのは、仕事ではなく作業をしているからだ。業を作っているからだ。

 

己の右腕

 そのために、人より多く仕事をすること。多くの人と縁を作ること。人より多くの失敗をすること。貴方が社長なら、右腕を選ぶのに、経験が多い人と、経験が少ない人と、どちらを選ぶか。答えは自明である。

 

お金と命を引き換え

 お金に引っ張られて銀行員の給与に目が眩み、バブル期に銀行に就職した学生は多い。しかし、50歳までに支店長になれなければ外に出されてしまう。当時、泥臭い製造業に就職した私は、マスコミから流れてくる華やか銀行マンが羨ましかった。しかし銀行マンは支店長になっても上からのノルマに死に物狂いである「お前の代わりはいくでもいる。ノルマ達成のため死ぬまで働け」と上司から言われたのは地元金融機関の元支店長である。その支店長で構成されるOB会の平均寿命は70歳弱という。日本の男性平均寿命より10年も短い。銀行マンはストレスでお金の代償として命を削っていたのだ。当時、それがわかっていれば、銀行に行っただろうか。 

 

成長モデル

 仕事をする目的は、己のスキルの向上と魂の浄化である。仕事という燃料を燃やして、魂を昇華させて、後世に残る遺作を作る。器としての己の体は、何時か土に還る。それが人の定めである。その燃料は、技術でも、芸術、スポーツ、政治、経済、宗教でも、それが世のためになるなら何でもよい。

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生きるとは仕事をすること

 生きるとは、仕事をすることだ。仕事をさせてもらうのが最大の報酬だ。その仕事がない人生は惨めである。定年で「辞めたけど、やることなくて徘徊す」では、生きながら社会から抹消されている。老いても、やることがあっても、それが社会に役立つことでありたい。

 仕事をする楽しみが褒賞である。仕事の疲れは、仕事で取るのが原則である。脳は疲れない。ただ同じ仕事ばかりでは飽きるので、気分転換で別の仕事に取り掛かればよい。

 

お陀仏教

 私は「真孝宗教(怪しい新興宗教ではない)」のオダ仏教を提唱している。オダ仏教の教祖の私に貢ぐのも仕事である(笑)。私は、貢がせたお金を社会に還元すればよいのだから。皆さんも自分の宗教教団を創ればよい。己が教祖となって、信徒は己ひとりで頑張ればよい。

 故人に付ける戒名の院号とは、来世で故人が修行するために建てられた寺院の名前である。故人に対して、その寺院で修行をしてくださいと付けるのが院号である。

 だから私の戒名を「御陀仏院精進居士」としようかと思案中である(?)。「放浪院徘徊居士」と言われるようでは、人生は終わりである。

 

通行手形

 仕事から得られるお金は、現世を歩く通行手形なのだ。通行手形は1通あれば十分である。それを何枚も強欲に集めるから、利他少欲の教えに反して、世に迷うのだ。

 私のお寺の仮想通貨であるオダットコインは、あの世にはもっていけない。仕事をすればするほど、文章を書けば書くほど、仕事能力が向上し、文章能力が上がるように、お金も使えば使うほど、多くの失敗をして、貴重な経験が積めて、ご縁ができ、結果として智慧がつき、お金のほうからすり寄ってきて、幸せになれる。

 

死の商売

 お金が無ければ、借金をしてそれを踏み倒せばよいのだ(?)。大資本の銀行さんも、そのリスクを含めた金利設定なので、心配ない。借金も貯金も共に、あの世に持って行けない。

 私の友人は、銀行に騙されてアパートを建て、死ぬまででも返せない1億円を超える借金を背負ってしまい、金利支払いに追われて嘆いている。返しても返しても借金の元がちっとも減らないと嘆いている。奥さんはやけくそでスマホゲームにのめり込んで、月3万円もゲーム代を散財する。それを私にぼやく友人はもっとみじめだ。なにか仕組まれた罠のようだ。だから私は彼に、踏み倒し(?)を勧めている。

 世にいう相続税対策でアパート建設を勧めるのは、詐欺である。儲かるのは銀行と建設会社と保険会社だけである。アパートを建てる側は、火の車に乗せられるのだ。銀行から金を借りる時、家屋敷を担保に取られ、生命保険に入らされるので、銀行は絶対に損をしない。人口減のこの時代、アパート経営は大変だ。銀行が言うようにはアパート経営で儲からない。銀行は貸すだけで、あとは知ったことではないのだ。

 それなら、弱者の庶民は、居直って踏み倒せばよい。借りたほうが強いのだ。人から恨まれる仕事をしている銀行の業務とは、仕事ではない。仕事とは人々に喜ばれなくては、仕事とは言えない。銀行とは「死後と」商いをしている死の商人である。

 

お足の足止めでエコノミークラス症候群

 お金を貯めて使わないから、停滞して腐敗する。貯めすぎると使うが大変で、そのために過労死になってしまう。使わないから魂の浄化ができない。お酒のアルコール消毒ではダメなのだ。お金と水は流さないと腐ってくる。人生の目的は、お金を貯めることではない。お金は、単なる道具でお足なのだ。その足を動かさないから、お足のエコノミークラス症候群に罹ってしまう。

 人生の要点は、幸せを人に与えること、それが五右衛門風呂の定理で、回りまわって自分が幸せになれるのだ。人は何時か、必ずお陀仏となるのだから。

 

支払手形

 仕事の報酬は、神仏が発行する約束手形なのだ。その支払い日付は10年後でる。神仏は、己がどれだけ我慢できるかを試されている。焦って入手すると手形割引されて、大幅に目減りする。それが仏滅。お金持ちが支払いをせっつかないように、自分の人生の「極楽金庫」を信用すれば、焦ってその報酬を請求しなくてもよい。そうすれば神様が10年後に利息を付けて倍返しをされる。

 

2018-07-25  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月24日 (火)

仕事の意味

 仕事とは、仕事を通して自分の能力・魂を磨くことに意味がある。仕事をするとは世のために価値を作り出すこと。その価値とは人に喜びを与えること。自分が生きていることを確認できるのは、仕事しているときだ。

 「自分」という言葉は、社会全体の中の「自らの分」を表す禅語である。己の存在が、全体の中の一部であるから、利他として社会に奉仕する。それが仕事である。その反対が利己、利己主義である。利己のためにやるのは作業である。自分の利己主義としてやるから「業」を作るのだ。

 その仕事が、人に命令されてやっているだけなら、また生きる為だけにやるなら、奴隷・動物と同じ次元である。それは生きているのでなく、生きながらえているのだ。

 価値なき仕事を盲目的にさせられ、それに従うのは、奴隷と同じである。拒否できない高校生をそんな作業に従事させるのは、シベリア流刑地の看守と同じである。この現代社会で、それを命令すること自体、犯罪である。

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無視

 2018年7月22日、大垣球場で開催された高校野球岐阜大会の折、大規模小売店アピタの駐車場で、駐車禁止の看板を掲示して、一日中、その監視をさせている行為は、仕事ではない。高校生の能力向上にも、魂を磨くことにもならない。駐車場入り口で、当番の高校生の横を通る野球観戦者の家族達は、完全に高校生を無視して、高校生の魂は絶望のどん底に落ちる。

 

真夏の怪談

 座っている高校生を横目で見る人はまだ、ましである。立哨の高校生が駐禁看板の横にいることさえ、気が付かず通り過ぎていく人が大部分である。まるで目のない白い仮面を被った亡霊が、高校生の前を次々と通り過ぎてゆく様である。真夏の炎天下の怪談である。駐車場入り口で座る高校生は、8000人も通り過ぎる観客の中で一人孤独を味わう。それが炎天下で7時間も続く。見ていて、その残酷さに背筋が寒くなる。

 その「仕事」をしても誰も喜ばない。何の価値も生まない。なにせ駐車禁止と掲示しても、だから何処に駐車すればよいか、教えられないのだ。大垣市が観客用の駐車場を建設・整備していないのだ。だから人から見ればお笑いだが、本人には地獄である。だからこれは仕事ではなく、拷問である。

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自分がその立場なら

 もし自分がその立哨の立場になったら、どうしただろう。もし部員に立哨を指名する監督の立場ならどうしただろう。自分が己の会社で、そんなレベルの仕事を部下たちにしていないか、自問したい。

 野球部員は50名から100名はいるだろう。その中から、彼はそういう選別をされたのだ。そうなった原因を反省したい。どこまで行っても、一番以外は、ビリである。自分が活躍できる世界を見つけるように、精進するしかない。そんなブラックな世界から身を引くのが最善だ。

 

アインシュタインの言葉

 1922年、アインシュタインが来日して京都大学の学生たちと対談したとき、一人の学生が、「人間は何のために生きているのですか」と質問した。アインシュタインはびっくりしたような顔をして「他人を喜ばせるためです。そんなこともわからないんですか」と答えた。

 

生きるとは仕事

 生きるとは、仕事をすることだ。何もすることがない生活は惨めだ。定年後、「起きたけど、寝るまで特にやることなし」では人間でないのだ。老いても、やることがあっても、それが社会に役立つことであっていたい。

 その仕事が一生涯を貫く仕事であれば一番幸せである。仕事をするから楽しいのであって、仕事の疲れは、仕事が癒してくれる。そうでなければ、それは作業であって、仕事ではない。作業とは、「業」を作ること。業を産めば、疲れるのは当たり前。仕事とは、「事」に仕えること。上司に仕えることではない。「事」に仕えると思えば、上司は単なる仕事の「おくり人」である。

 

人とは

 社会とは人から成り立っている。「人」の文字は、お互い支えあって立っている様を表した象形文字である。「人間」とは、人と人との間で往来しながら生きている存在である。その通行手形が、仕事である。その通行手形を価値あるものにした人が大事にされる。

 

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2018-07-24  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月23日 (月)

仕事の目的

 仕事とは、生きる目的と生きる糧の獲得である。松本明慶先生曰く「私は、みほとけを謹刻することによってのみ生かされている」。

 アウシュビッツやシベリアの極限状態では、生きる目的を持った者だけが生き延びた。生き延びるとは、ご先祖から頂いた命を全うすること。私の父もシベリア抑留から生き延びて帰国した。それで今の私の生がある。零下30度の極寒労働地、極貧の食事、劣悪な極酷の労働条件。朝,目を覚ますと若い戦友が隣のベッドで冷たくなっている。半分の戦友がシベリアの土に消えた。アウシュビッツでは20人に一人しか生き延びられなかった(致死率95%)。シベリア抑留開始の初期は、ロシア側の準備不足があり、致死率は80%にも達した。最終的には10%の致死率である。しかしその極限条件下でも生き延びた人達がいる。下記はドイツ強制収容所から生還し、その体験を記した『夜と霧』の著者(心理学者)、ヴィクトル・E・フランクルがとった行動である。

 

◇ 働ける体であるように見せる

  働ける状態でなければ、自動的にガス室行き

  常に若く見えるように、立ったり歩いたりする時は背筋をピッと延ばしていた。若く見えるように髭を毎日剃った。 最後のパン一切れを人に与えても、ガラスの破片で髭を剃ってもらった。

◇ 病気にならない     病気になれば、自動的にガス室行き

◇ 常に未来を信じる

   近い将来、講演会で自分が演説している姿を思い浮かべた。

◇ 収容所での苦しみは意味があると認識

   無意味だとすると生きることの価値が無くなる

◇ 愛する人との魂での会話

◇ 感動を失わない      

     沈みゆく太陽の夕焼けの風景に感動

◇ ユーモアを失わない

   自分を見失わない魂の武器

 

現代のアウシュビッツ

 現代は、飽食と痴呆的な環境(グルメブーム、痴呆的テレビ、ゲーム)が何者かから押し付けられ、その結果、それに起因する病気、社会風潮が蔓延し、遅延性の毒として脳と社会を蝕んでいる。それで、現在、65歳以上の15%が認知症となっている。認知症とは、実質的な死である。その人が、その人でなくなってしまう脳死なのだ。日本の現代人が、生きる目的と仕事を放棄した結果である。それで誰がその生き血を吸っているのか。

 そして日本人の精神の荒廃、脳死を表すかのように、前頁記載のシベイア戦没者慰霊の「恒久平和の碑」の説明銘板に落書きがされている。父親が関係した碑であるため怒りが湧き起こる。それを放置している小川敏市長にも怒りが起こる。小川敏市長は、今川順夫会長に「大垣市として大事に後世への遺産として伝える」と約束したのに、それの約束を反故にしている。小川敏市長は、その碑の前で、水まんじゅうギネス挑戦の痴行に舞い上がっていた。

 この落書きがだれの仕業か不明だが、つい左翼を思い浮かべる。左翼は何でも国のために戦ったことさえも侮辱する。我々の先祖を侮辱しては、国は栄えない。そうなれば国に寄生した左翼も滅びることが分からないようだ。

1 恒久平和の碑の説明パネルの落書き

 

現代の流刑

 どんな仕事にも意味がある。それの基本は、人を喜ばせることだ。世のためになること為すことだ。その喜ばせる第一の人間が己である。その喜びが無い仕事は、やっていて虚しく、虚脱感に襲われる。それを強制する人間は、シベリア流刑地の看守レベルでしかない。

 高校生が大規模小売店アピアタの駐車場入口で、岐阜地区高校野球観戦の車の駐禁の看板を立て見張っていても、誰か駐車を遠慮するわけでもなく、高校生は相手に注意する権限もなく、アピタも駐車禁止を望んでなく、誰からも感謝されず、皆から無視されて、炎天下でただ座っているだけ。まったく意味のない仕事を囚人のようにさせられている。そこから何の付加価値も生まれない。

 それはシベリア流刑囚が、墓穴を掘らされ、それを埋めて、またそれを掘り起こすという刑罰としての労働と何が違うのか。

 まだ駐車する人が文句を言うならともかく、「無視」なのだ。愛の反対は憎悪でなく無視なのだ。それが一番厳しい対応なのだ。高校生がかわいそうだ。なぜ市会議員も声を上げないのだ。

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 アピタ駐車場入り口で見張りの高校生 2018年7月22日、09:43

 当日の最高気温37度で、9時から17時までの苦役

   気象庁は7月23日に開いた緊急記者会見で、連日の猛暑を「命の危険がある暑さ。」と発表した。

 

駐車場が無い野球球場で無意味な見張り

 8000人を収納する大垣北公園球場で、市のHPには「当施設の駐車場は台数に限りがあります。大会等のご利用及び観戦の場合は、公共交通機関などのご利用をお勧めいたします。」とあり、つまり今の車社会の時代に、実質的に駐車場がないのだ。これでは、他市から来た観客に、駐車場を問われて、見張りの高校生たちも答えようがないのだ。それで、駐車禁止の見張りなど、拷問である。

 高野連も大垣市も、シベリア流刑囚に対すると同じレベルの拷問を前途ある高校生に与えている。人はどんな苦しいことでも、意味があれば耐えられる。この仕事は全く意味がない。これで大垣の未来を背負う若人が育つわけがない。一事が万事で、行政の建前と本音が乖離して、被害の矛先は社会で一番弱者に向かう。これも小川敏長期政権の無為無策から来た弊害である。

 

現代社会の洪水対策とは

 現代の高度経済社会の血流というべき車の交通循環で、その車の氾濫という洪水への治水(駐車場整備、道路整備)を放置しているのが小川敏大垣市政である。この小川市政17年間で、車の治水に対して何をしたのか。お城(新市庁舎)さえ作れば、防災対策だというのは、古代思考である。

 

2018-07-23  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年6月 9日 (土)

飽食・餓鬼道を驀進中の日本(4/4)

現代の飽食の罠

 今川順夫氏が、この講演会でシベリア抑留時の一食に支給のパン350gを実物で示された。それを見ると現代の「飽食の罠」に思いを馳せざるを得ない。病気になるのも、全て、食べすぎ飲みすぎ、薬漬けが原因である。テレビではグルメ番組の氾濫、食い物のCM、行列のできる飲食店の紹介番組の氾濫である。

 愚かなことに2018年には、大垣市は市政100年にかこつけて、尊い食い物を餌にして「水饅頭食べさせ合い ギネス挑戦」に市民を躍らせている有様だ。税金の無駄遣いである。大垣市長に迎合して喜んでいる大垣市議会議長が情けない。大垣市議会議長ともあろう立場で、大垣市長の暴走・愚行を止める役目を放棄している。これでは国民が健康管理にうかつになり、結果として肥満になり、病気になるも故あること。

 そして異常な事件が起こるのも、昼間から刑事ドラマで殺人事件を頻発させ、人殺しが日常茶飯事のように映像で流れる。テレビゲームでは殺し合いがゲームとなり、死んでもリセットすればゲーム再開。これでは実社会で殺人事件が起きても不思議ではない。

 最近は、良識ある人はテレビを見なくなった。下劣な番組ばかりでテレビ離れが続く。テレビ業界の自業自得である。

41dsc04616  講演会場風景(大垣市興文地区センター) 2014年8月16日

42 今川順夫氏   手にしているのが350グラムのパンの量

 これで一食一人分の配給 

今川氏の2回目の講演会

 2014年8月2日、ソフトピアジャパン情報工房ホール情報工房で社会福祉大会の記念講演会(聴衆550人)で今川氏が講演された。その後、同じ内容の講演会「シベリア抑留を生き抜いた男の人生」が8月16日、大垣市興文地区センターで開催された。興文地区の約80名の聴衆が熱心に聴講した。その中に今川氏と同じように生きて帰国されたダモイの会の伊藤さんも聴講されていた。まだまだお元気で、シベリア抑留を生き延びられた方の人徳を感じた。

 今川順夫氏の講演後、岐阜新聞社の記者の質問「今の社会状況をどう思われますか」に対して、今川氏が述べた「刑事ドラマ等で、殺人事件を頻発させるテレビ番組はおかしい」の苦言が印象的であった。

 それから4年が経った2018年現在、少しも状況が改善されていない。

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 地獄のシベリア抑留から生還された伊藤さん

 

大垣市長の約束不履行

 こういうシベリア抑留の実話はもっと若い人にも聞いてもらいたいと思う。若い参加者が少なかったのが残念である。幸い、大垣市長もこの講演会に参加をされて、この話しに感動して大垣市のアーカイブにして若い人に聞いてもらう段取りをするという。

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46dsc04560 大垣市長の社会福祉大会での挨拶 2014年8月2日

 

 2018年現在、この講演から4年が経過したが、小川敏大垣市長がその約束を実行した噂は聞かない。2018年6月7日、今川順夫氏の秘書に確認しても、大垣市の歴史の権威に聞いても、アーカイブに登録された話は聞いていないという。

 大垣市長は、大垣の子供たちの精神に毒を盛る「水饅頭食べさせ合い ギネス挑戦」等の税金無駄遣いの愚行行事には熱心である。要は売名行為には熱心だが、シベリア抑留のような大衆受けしないが、後世の子供たちに大事な話には熱意がないのだ。教育の街・大垣の文化・歴史を破壊しているのは、大垣市長自身である。

 

2018-06-09

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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