l0_命の器で創る夢の道 Feed

2018年6月 7日 (木)

飽食・餓鬼道を驀進中の日本(3/4)

母の言葉が、生きる力を与えた言霊

  今川氏は、母を小学3年生の春に亡くされた。学校に行っているとき家から呼び出しがあり、急いで帰ったが母の死に目には会えなかった。その母は生前、「お母さんは死んでもあんたを護ってあげる。」と言っていた。その言葉を寝られない夜に思い出して、シベリア抑留を耐えたという。零下60度では収容所内のペチカをいくら燃やしても隙間から侵入してくる冷気のため、宿舎のベッドで眠られぬ夜を過ごさねばならなかった。その時思い出すのが、前記の母の言葉であった。言葉には言霊という力がある。たった一言で命が救われることもある。元気をもらうこともある。母の言葉が救いの力であった。

60  今川氏の講演会で母の一言の大事さに思い至った。

  今川順夫著『夢への挑戦の礎』より

 

大脳に良い習慣

 目や耳でキャッチした画像情報は、一時的に頭の後ろの方にある視覚中枢、聴覚中枢に送られる。脳の表面の大脳皮質にあるたくさんの神経細胞を通って、前頭前野に情報が送り込まれる。前頭前野は、人間と動物を区別するポイントとなる重要な場所で、ここで情報を判断したり認識したりする。

 もう一つの情報の伝達ルートは、大脳皮質の神経細胞から脳の奥にある視床下部を介して、A10神経群と呼ばれる部分を通過し、前頭前野に達するルートである。A10神経群とは、次のようなさまざまな役割をもった神経核の集まりである。

・海馬回  学習、ものを覚えたりする短期記憶の中枢を担う。

・扁桃格  感動や身の危険などの危機感を覚える部位です。

・側坐核  好き嫌いを感じたり、愛情を高めたりする。

・尾状核  感情を覚え、複数の言語も操る。

 A10神経群に属する様々な神経核を情報が通過する間に、「好き」「嫌い」「生きたい」「死にたい」「おもしろい」「興味がある」といった感情が生み出される。その中でも、特に「好き」「感動的」といった前向きな感情を含んだ情報は前頭前野に到達すると生きた情報となる。特に極限状態では、自分は母に護られているという気持ちは、生きる力を駆り立てる。その前向きな気持ちを生み出すのに、ドパーミンの分泌を促すドパーミン神経群が大きく関係していて、前向きな人ほど考える能力が高いと言われる。(この項、『脳に悪い7つの習慣』林成之著より) 

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馬場恵峰書

2018-06-07

久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年6月 5日 (火)

飽食・餓鬼道を驀進中の日本(2/4)

丸順の最高顧問と面会

 2014年7月31日午後、図書館を抜け出し、本書『命の器で創る夢の道』を、秘書を通じて株式会社丸順の今川順夫最高顧問に進呈するため丸順を訪問した。秘書の小野さんと面談中に、今川氏から携帯に電話が入り、想定外に今川最高顧問との面会が実現した。当初は、8月末の面会を予定していた。訪問したときは、明後日(8月2日)の講演会(聴衆500人)の準備で、頭が一杯の状態であったそうだ。1時間半ほど面談をして、恒久平和の碑の除幕式の写真や、父も写っていたダモイ会の写真等も見せていた。

 氏はシベリア抑留中も、帰国後に会社を起こすとの夢を抱いて重労働に耐えてこられた。その夢があったから生きて帰国できたようだ。また言うに言われぬ御仏の計らいで命が助かった場面も多くあったという。その後、関連会社を含めると4,000名を超える社員を抱える会社に成長をさせらたた。現在(2014年)、91歳で矍鑠とされている。

21 発行:岐阜新聞社

講演会ビデオ撮影の準備

 面会後、15時ごろ図書館に戻ったら、クーラが故障とかで、今夏一番暑い午後を過ごすことにはなったが、それを2時間は免れた。その後2時間ほど図書館で勉強したが、若い人たちは熱さにもめげず、汗をかきながら帰宅もせず勉強をしていた。「オニ」の眼ではないが、私も帰りそびれて17時まで受験勉強をする羽目になった。やはり他人の眼は必要である。

 今川様よりビデオ撮影の許可も頂いたら、前に注文してあったビデオカメラも当日に入荷しており、急遽知った講演会の準備は整った。当初は8月16日用のビデオ撮影のための準備であったが、なにか仏様のお導きのようだ。

 

今川順夫最高顧問の講演会

 2014年8月2日、ソフトピアジャパン情報工房ホールで、約550名の聴衆を前にして講演会「負けてたまるか シベリア抑留を生き抜いた男の人生」があった。偶然2日前に今川氏と面会したご縁で、この非公開の講演会の存在を知り、参加させて頂いた。今川氏は「こんな所で死んでたまるか、オレは帰国して起業するんだ」、という夢、志があったから、シベリアの地獄の抑留地から生きて帰国できたと回想される。

22 当日配布された冊子 

シベリア収容所の地獄

 シベリア収容所では零下60度の中での重労働で体を酷使させられる。建前では零下40度以下の屋外労働は禁止だが、実際は建前無視で屋外の重労働に駆り出された。多くの若い仲間は、朝起きるとベッドで冷たくなっていた。死亡した仲間を弔う役目を申し出て、カチンカチンに凍った6名の戦友の遺体を大八車で運び、埋葬した。極寒の抑留地では凍土で被せる土もない。僅かに手に入ったコケを戦友の遺体の顔の上に乗せるのが、せめてもの供養であったという。その後、その同じ大八車で、今日食べる食料品を屋外の倉庫から収容所のバラックに運ぶ労働に従事させられた。シベリア収容所とは、そういう残酷な状況の連続である。

23 上図:今川順夫著『夢への挑戦の礎』より

神仏のご加護

 過酷な屋外重労働が続いたが、あるとき第二シベリア鉄道の枕木への穴あけ用錐の修理で、その才が認められ、工具修理のため工場内の作業に回されたのも生還できた一因だという。芸は身を助けるである。亡くなった母親と仏様が守ってくれたと回想をされた。極限状態を体験された方は皆、神仏の存在を感じるようである。私の父も洋裁の腕があったので屋内工場でミシン作業に回されて、生還できた。それで今の私の命がある。神仏に感謝である。

 今川氏は、もともとお元気の体ではあるが、それだけで生きて帰れるわけではない。運命と気力が命を長らせられた。故郷を思い、明日の夢を抱き、忍耐をして帰郷され、現在(2014年)91歳で、耳はすこし遠いが元気で矍鑠としてみえる。

 

死に直結する飢餓状態

 収容所では、三度の食事は最低限の量しか供与されない。それで毎日重労働を強いられる。栄養失調になり下痢をして医務室の運ばれる戦友がいたが、薬がなく戻ってこない戦友が多くいた。栄養失調で倒れれば、死へ直行である。

 一日の食料は、朝は雑炊で茶碗に半分の量である。昼食はシャビシャビのスープと黒パン350グラムであり、夕食も雑炊である。翌日の昼食のパンは夕食時に配給されるため、夕食時や空腹に耐えかねて夜の間に食べてしまう仲間も多い。そうなると次の夜まで食べるものは何もなく、栄養失調で倒れる者も多く、帰らぬ人となった仲間も多い。残酷なパンの支給方法である。

24 今川順夫氏 手にしているのが350グラムのパンの量

 これで一食一人分の配給 

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26 上図:今川順夫著『夢への挑戦の礎』より

 

死への罠

 収容所の近くに、保存食の塩漬けのニシンを入れた樽が置いてあった。その樽の後ろ側が壊れていてニシンがはみ出していた。飢えた戦友はそれを衛兵の目を盗んで取り口に入れて食べるのだが、衛兵も見て見ぬ振りをしていたそうだ。しかし塩漬けのニシンはそのまま空腹の胃に入るとてきめんに下痢である。それは死を意味する。誘惑に負けて斃れた仲間が不憫でならないという。

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 今川氏のシベリア抑留体験談を紙芝居で構成して演じてくれた。

28201408021 講演する今川順夫最高顧問 2014年8月2日

シベリア抑留後に起業

 今川氏は、大垣市林町で生まれ、帰国後、林町で1952年に起業された。私も1歳の時(1951年)に彦根から大垣に来て18歳まで、大垣市林町の近江絹糸の社宅で過ごした縁がある。その後、今川氏は室村町4丁目にも住み、室村町4丁目のお地蔵様の周りで遊んだという。

 父は生前、シベリア抑留の話を私にしたことはない。今川氏によれば、抑留経験者は皆同じで、言うに言えない社会的な雰囲気であったという。父も話せないような辛い体験をしてきたのだと、今回の今川氏の講演を聞いて感じた。今は(2014年当時)私には試験直前の貴重な時間であるが、それを上回る価値ある時間であった。今川氏のお話を聞かせて頂いて感謝である。

 

2018-06-05

久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年6月 3日 (日)

飽食餓鬼道を暴走する日本(1/4)

肥満人からの被害

 2014年7月28日、3回目の眼の手術(網膜への注射)を名古屋市立大学病院で受けるため、朝6時54分大垣発のJR通勤電車に乗ったら、肥満問題に直面した。途中から対向席に肥満体の30前後の男性が座った。その人の横幅が普通の人の1.4倍ほどあり、隣の人が窮屈な思いをして、私の前側空間が窮屈になった。

 人迷惑な問題は、その男性が途中からイヤフォンで音楽を聞きながら眠りコケ、大きないびきをかき始めたこと。肥満体だから、当然、声帯も肥満になり、「人間楽器」としてのいびきがモノ凄い。満員電車という密室内で、目の前で他人迷惑も甚だしい。自分だけは音楽を聴きながら極楽夢うつつである。これは音の暴力である。人の読書や考える時間を奪う犯罪である。人を不愉快にさせる暴力である。日本人の良識の消滅である。良識があるなら、人の迷惑にならないように立っていなさい、である。その分、消費エネルギーが増えて減量の助けになるのに。肥満になった意思薄弱な人間は、それすらできるはずがない。

 

肥満に起因する損害

 その人の肥満度は、体重が人の2倍ほどであるので、交通機関の消費エネルギーや、消費食料の量、医療費、場所代等が、普通の男性の分よりも多くかかる。肥満であるとどうしても、食後の睡魔に襲われる確率が、人の倍はあるはずである。それでは電車の中で本でも読もうと言う気さえ起こらないだろう。その分、日本の生産性が落ちるのだ。これは日本社会の損失である。

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 肥満者が席の中央から大幅にはみ出し(赤線が席の中央ライン)              

 隣の人が肩身の狭い思い。いびきが凄い

米国の肥満問題

 アメリカでは人口の4割が肥満で大きな社会問題になっている。私は肥満問題が、アメリカを亡ぼす要因だと睨んでいる。ローマ帝国も飽食で亡んだ。日本がその二の舞を踏んではならない。肥満は、食欲にまかせての自己満足だけの食べ過ぎが原因である。利他・知足・感謝があれば肥満にはならない。感謝の不足と意志薄弱が原因なのだ。

 

認知症患者からの被害

 名古屋市立大学病院で手術室内に案内されると、4名が手術室内の扉の前の席で順番待ちをしていて、私は2番目の手術の順番であった。私の前の人が、年齢70代くらいの男性で、手術室の中に入ってなかなか出てこない。前の手術の経験では、10分もあれば終わる手術である。患者が手術室から出てくるまでにおよそ25分を要した。少し開いた手術室の扉から、医師・看護婦と患者の会話が漏れ聞こえきた。それから判断すると、患者と医師の会話がうまく成立していない。どうも認知症が進んでいるような雰囲気であった。私の場合は10分弱で手術は無事に終り手術室を後にした。認知症の患者みたいな人と場を同じくして考えてしまった。

 現在、65歳以上の老人の15%が認知症、グレーゾーンの認知症患者を入れると約28%が認知症か認知症予備軍である。恐ろしい時代に我々は生きている。恐ろしいと思わない人は、脳死状態にある。私は認知症の原因の一つが、添加物まみれの悪食、飽食、グルメの痴呆番組を垂れ流すテレビにあると考えている。

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 名古屋市立大学病院の外来手術室の扉 2014年月7月28日09:11

 

堕落のグルメ番組

 その翌日(2014年7月29日)、地元の眼科医で術後の確認診察を受けた。診察を受け、会計を待つ間、待合室のテレビがモーニング番組で、フローズンヨーグルトのグルメ番組を流していた。無精ひげを生やした不細工な中年のおっさんが(グルメのプロレスラーとか)、「これねうまい」と絶叫の連続である。これを放送するTV局も情けないが、これを見ている国民が情けない。国民のレベルは、テレビ番組を見れば分かる。こんな番組ばかりを見ていれば、国民は痴呆になる。洗脳教育として、見境なく食べ続ける痴呆状態に陥る。先の戦争では、国のため、銃後の家族のために命を捧げた戦没者が数知れず。情けない現状である。

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     当日、病院待合室で流れていたグルメ番組

 シベリア抑留の碑に父と叔父を発見

 その眼科医で術後の確認診察を受けた後、思いついて近くの大垣濃飛護国神社にお参りをした。すぐ横に立つ「恒久平和祈念の碑」を眺めているうち、思いついて碑の裏に回ってみると、そこにシベリア抑留者名簿が掲示されていた。そこに父の名を発見して、言い知れぬ衝撃を感じた。

 1991年8月にこの碑が建立され、私が2010年秋に大垣に帰郷してから4年間、毎朝、この碑の前を散歩で通るが、父の名の掲示には気がつかなかった。「魂(オニ)」が納仏された日に、「今川順夫氏のシベリア抑留講演会」の回覧が来たご縁で、恒久平和祈念の碑の裏を見るご縁となった。なにかに導かれたようだ。ここで父がロシア52地区カダラで抑留されたことを知った。

 後日、彦根市の護国神社内にある「恒久平和の碑」の裏のシベリア抑留戦没者名簿をみて、そこに父の弟の戦没者の名前を発見して更に衝撃を受けた。

 シベリア抑留では飢えと寒さで、戦争が終わったのに捕虜にされ強制労働で10万人の邦人が帰らぬ人となった。父の弟は、日本軍の無謀なビルマインパール作戦で、飢えとマラリアの病魔に襲われて病戦死をしている。今、彦根の護国神社に祀られている。太平洋戦争での戦没者の60%強(140万人)が餓死である。すべて日本政府・軍が後方支援を怠った無策が原因である。

 戦死した英霊の二人の叔父は、飽食・餓鬼道を暴走する現代日本人を何と見ているのだろうか。

4dsc01448  恒久平和祈念の碑(大垣公園内)

5p1070131 平和の礎(彦根護国神社内)

6 大垣濃飛護国神社前の碑

 

2018-06-03

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年5月27日 (日)

老いの器を律する

 最近は老いの醜態をさらす市長、官僚、経営者が跋扈している。嘆かわしことだ。他山の石として、自分の身を正したいと思う。

 

経験

 老いとは、仏様・ご先祖様から歳を頂く幸せである。還暦という歳を頂けずに、鬼門に入る人も数多い。老いとは、経験を積むことを意味する。その経験から生まれた智慧を己の器に入れるのである。痛い思いをして得た経験を智慧のレベルに昇華しないと、同じ過ちを死ぬまで繰り返す。それは歳の取りがいのない醜態である。

 

智慧

 老いとは、練れる道を歩くこと。流行に惑わされない思想を深めること。シナ・ローマの歴史を紐解くと、2000年前の先人と現代人の行動に差などはない。人間的に少しも進歩していない現実に愕然とする。人は先祖の霊を受け継ぎ生まれるが、記憶はオールリセットされる。それ故、ゼロから学んで自己鍛錬をして成長するしかない。その学びを放棄して、年よりがいのない人が多い。TVやゲームに流され練れない日々を送り、認知症への道を歩む人が多い。

 智慧ある老いとは、敏鈍の使い分けができること。我儘も言え、都合が悪くなったら惚けの振りをすること。息子が「グレてやる」とほざいたら、「それなら俺は惚けてやる」と逆に脅すことができる才覚である。

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  百舌鳥の鳴き  馬場恵峰書   

 老いとは、考え方が充実していく過程である。自己の人生を振り返り、これでいいのかと自に刃を向けて問う生き方である。それが「心」「刃」を向ける「忍」という文字である。そこから「認」という文字ができた。己の愚かさをしみじみと認められる歳になるのが老いである。現代社会は、あまりに人にばかり刃を向けて、己には刃を向けない人が多すぎる。年よりがいがない。それを「年寄り害」という。

 自分に刃を向けず、理想論で実際に政治を動かしたら、選挙公約が机上の空論であったことを露呈させたのは民主党政権であった。

 

人徳

 老いとは、若き人を叱る人徳の力の獲得である。己が若造で同じ言葉で、若い人を叱っても反感を持たれるだけ。しかしそれ相応の歳を頂くと、若い人を叱っても反感を買われることが少なくなったことを実感する。若き人を叱るのは年長者の務めである。それは己の経験を若い人に伝えること。

 

悟り

 老いとは、素晴らしい人生ではなかったが、素晴らしく楽しむ活き方であったとの悟りを得る境界である。人は必ず老いる。老いて人生を振り返ったとき、そう思える人生を歩みたい。

 世間的には素晴らしい生き方をした偉いさんは多いが、実際は死んだような生き方であった方も多い。ハンコを押すだけが仕事であった偉いさんが、認知症に罹りやすいという。校長先生、警察署長にその例を多く見る。

24k8a02491   馬場恵峰書  2013年

布施

 老いの道を歩むには、もらう人から与える人に変わりたい。器に中身や金が無くとも七施ならできる「無財の七施」(『雑宝蔵経』巻6)とは、

   ・ 眼施    目による施し

   ・ 和顔悦色  笑顔による施し

   ・ 言辞施   言葉による施し

   ・ 心施    まごころによる施し

   ・ 身施    体=労働による施し

   ・ 床座施   席を人に譲ることによる施し

   ・ 房舎施   住まいによる施し

 

名器

 人間とは土でできた器である。土で出来た人間の体は、いつかは老い、死んで土に還る。生きている間に、その器に何を入れるかが問われる。いくら集めても、入れるべき器は、いつかなくなってしまう。来世に持って行けない。器に入れたお宝が雲散しないように、世のために昇華させるのが、老いてからの仕事である。

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床下愚器

 独居老人が亡くなって、床下から数千万円の札束が出てきたという新聞ニュースを良く見る。お金をいくら己の器に入れても昇華ができない。お金は使ってこそ価値がでる。貯めるだけの人生は、お金の奴隷になった人生である。

 

2018-05-27

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2018年5月26日 (土)

自分の命の値段はいくらか?

 還暦を迎えた自分の命の値段は、いくらで評価されるのか? 若く働き盛りなら、金に渋い銀行も2千万円や3千万円のローンを組ませてくれる。しかし己が60歳になったとき、いくらの金を銀行が貸してくれるか、その金額が自分に対する社会からの評価額である。

 

還暦で一億円の借金

 馬場恵峰師は60歳(1988年)の時、私財を投じ日中友好親善と社会奉仕活動の一環として日中文化資料館を建設された。建設費用(1億円)は銀行からの借入で、350坪の敷地に、日中文化資料館と図書館が建てられた。波佐見の実家・土地を抵当に入れての借金である。銀行に高額な生命保険にも入らされた。

 生命保険料が高いとこぼされながら、再婚するなら相手は保険金目当てだろうとご夫婦で冗談を交わされるユーモア精神が豊富である。24年間をかけて、2010年にその借金を完済された。完済時、御歳84歳であった。完済時には清治若先生と手を取り合って喜ばれた。

 建設当時は「荒瀬町」という名の通り先生宅しかなかった小山の寒村だが、現在は住宅地として多くの家が立ち並ぶ。今は大村市の高台に建つ図書館の二階から、大村湾と長崎空港、九州高速道路の夜景を見ながら、静かに思索にふけるのが楽しみと言われる。

1img_3558   日中文化資料館  

2 敷地への入り口 右手が図書館

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 玄関に12仏が並ぶ 201142

4img_3492 中国古代の石器が並ぶ。模造品だが、今はそれも手に入らないほど貴重品

5img_3605 図書館二階の書斎からの眺め

自分を値踏みして

 自分が還暦の身で、銀行から数千万円でも借りようとしても、おそらく貸してはくれまい。それを思うと、馬場先生の信用と言う黄金の器がまぶしい。そういう師にご縁ができるのは幸せである。私は人生の目標にしている。

 

後ろ姿の教え

 恵峰師が還暦の時に、一億円の借金をして24年間で返済されたという事実は、弟子たちに大きな励みを与えたようだ。岩手県と宮崎県の知人の社長が相次いで還暦を過ぎたのに、一億円以上の資金をつぎ込んで新し事業を始めた。二人とも功成り名を遂げている地方の実業家である。

 私も勇気をもらって、新しい仕事に一歩踏み出すことに背中を押してもらったようだ。66歳の身で出版業と写真業を始める勇気をもらった。感謝。

 

元気の源

 師の口癖は、「生涯現役、一生青春」である。福沢諭吉の訓言「世の中で一番」の「楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つ事である」を実践されている。そのために、書の仕事一筋である。前に紹介した「身閑夢亦安養心」も師の信条である。

 そのための健康面の配慮で、日頃から少食で、間食はしない。酒はほんの少々。日に朝晩、2回(一回30分)の庭の草取りで体を動かす。庭師もされる。庭と言っても350坪の敷地である。広大な敷地に草一本生えていない。多くのお弟子さん(女性)に囲まれて、書道を教える合間に、人生のお話しをお弟子さん達に、ユーモアを交えてされる。この人気が高い。だから女性にもてるんです。これが健康維持とボケ防止に最高に良いようだ。

 結果として、月に一回国立病院に検査に通われるが、血圧正常、目も正常、悪いところはないという。95歳まで運転免許も保証された。

 昭和2年4月生まれの先生は、2018年現在、92歳、現役である。東奔西走で走り回ってみえる。今までに240回、中国に行かれた。全て自費である。

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2018-05-26

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2018年4月24日 (火)

2. 人心小器

大佛の器

 大佛とは多くの人の悩みを受け止める大きな器である。それに対して、人の心は様々な人のご縁を受け止める小さな器である。人の寿命に限りがあるがため、その心の器の容量は、大佛のそれに比べればはるかに小さい。ご縁には良縁もあれば悪縁もある。その総量は一定である(ご縁の総量一定の法則)。一つご縁を受け止めるには、時間も労苦も必要である。一つのご縁のため、交通費も使い、身なりも整え、心構えも正し、時間をかけなければ、そのご縁は手に入らないし維持もできない。人の命には限りがある。それ故、悪しき縁を遠ざけ、良きご縁を多く心の器に満たしたいと思う。

  

ご縁の「整理・整頓・清掃・清潔」

 人の器の容量が一定であるから、悪い縁が一つ器に侵入すると、器の中に入れるべき良きご縁の一つが入らなくなる。悪縁は更なる悪縁を呼び、悪魔のサイクルが生まれる。だからそんな縁は断ち切らねばならない。ご縁の「整理・整頓・清掃・清潔(4S)」が必要だ。それは己の意思次第である。意志薄弱な人が悪縁を呼び寄せる。すべて己の責任である。心が良きご縁に満たされた人には、良きご縁に縁のある人が集まってくる。身近で起きた「火事」とのご縁から、その法則を体得した。悪縁にはマイナスのエネルギーがあり、人の眼を曇らせ、行動を鈍らせる。そんな場からは、一刻も早く逃げることだ。運命を変えたいなら、付き合う「人」を変え、居る「場」を変え、過ごす「時」を変えることである。そうすれば「心」が変わる。心が変われば人生が変わる。

 

心の改築

 それゆえお金を払ってでも、悪縁は切らねばならない。悪縁という白蟻の喰われた「心」の改築には、お金と時間と決断が必要である。ヤクザの世界から身を引くためには、落とし前が必要だ。指をつめるより良いではないか。

 『修証義』に曰く「三世を知らず、善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず」と。人生でのトラブルに対して、裁判に訴えて勝てる見込みがあっても、得るものが少なく、人生の時間ロスが極めて大きい。そんなことに時間を取られるより、金で解決して、自分の人生の大事に没頭したほうがよい。そのために道具としてのお金が存在する。自分の人生の残り時間は、余命30年として30×365日=10,950日しかない。益少なきことに時間をかけるのは、人生で無駄である。

過ぎ去る時間は命の刻み。一刻の値は血の一滴。

日暮れて道遠し、人生の大事を急げ。

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       ご縁の総量一定の法則

    悪い縁が一つ入ると、良き縁が一つ出て行く

 

2018-04-24

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2018年2月24日 (土)

「仏心大器」の佛に出会う

 2018年2月23日、広島県廿日市市宮島町にある大願寺に納佛されている松本明慶師作の総白檀の不動明王坐像(八丈大仏・約5m)を拝顔した。その大仏を制作する過程を記録した『仏心大器 平成の仏師・大仏に挑む』をビデオで7年ほど前に見て、感銘を受け、いつかは参拝したいと思っていた。今回、馬場恵峰先生宅を訪問した帰路、厳島神社に寄って、不動明王の尊顔を拝み、手を合わせて、なにかほっとした。長年の思いが叶った喜びである。

 不動明王はいかつい顔つきで拝む者を睨んでいるが、その顔は怒りと慈愛に満ちた厳父のような雰囲気である。右手に持って剣で、我々の煩悩を断ち切り、左手に持った羂索で、我々を迷いの世界から救い上げる。不動明王は救いの仏様である。

 大願寺の不動明王像は撮影禁止のため、映像はNHKオンデマンドで『仏心大器 平成の仏師・大仏に挑む』をご参照ください。ビデオの画像も著作権者が多く存在する理由で、NHKは画像のブログ等への掲載を一切禁止しています。

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 大願寺は船着場から厳島神社内の回廊を通って、その出口の前に位置する。

 

仏師の仕事・人生の仕事

 その松本明慶師の大仏製作の記録は、仕事とは何か、人生とは何か、を考えさせられた。明慶先生の手による目の彫りの工程で、図面も下書きもなしに、直接、眼をノミにて彫りにいく様は神業としか思えない。神業でも人間としての迷いを持ちながらの彫りの工程である。またそこにもドラマがあった。「今日の自分は最高の自分ではないかもしれない」と、自分を超える自分に遭うため、日を改め、時を待つ姿がそこにあった。

 彩色師の長谷川智彩師が、不動明王座像の目に瞳を描き入れる時、不動明王座像を見つめる彼女の眼には凄みがあった。

 今まで不動明王像には、なにか近寄りがたいものを感じていた。しかしその眼差しは、怒りで慈悲を表していることをこの記録が教えてくれた。その静かな怒りは上品なのである。その両方を表現するために、全神経を集中させている明慶先生と長谷川智彩師の姿に感動である。大佛の寿命は千年、人の寿命はせいぜい百年である。それゆえ千年の間、人の評価に耐える大佛を作るために、佛師は命をかけて刀を入れる。

 松本明慶先生は、(技のレベルを上げるため、ミケランジェロが第二の師匠になるかもしれないが「それを学べるなら命に代えてもいい。絶対に無駄にはしません」とまで言いきる(NHKBSプレミアム 松本明慶ミケランジェロの街で仏を刻む『旅のチカラ』2013年)。

 人生で、一番多くの時間を費やすのが仕事である。人生において、命を賭けられる仕事に出逢えるのは、人生冥利に尽きる。それも生涯現役で働けられれば最高である。仕事は生活の糧を得る手段だけではない。

 

佛像彫刻の基本

 「佛像彫刻をすると皆さんはすぐお顔を彫りたがる。たとえば佛像彫刻で佛様の鼻を彫ろうと思ったら、まず回りを彫らないといけない。直接鼻を彫って高くしようと思ってもうまくいかない。周りを彫ると自然と鼻が浮かび上がってくる。耳を彫る場合でも周りを彫れば耳ができてくる。彫りたい箇所を直接攻めるのではなく、周りから彫っていく。口元を掘る場合も同じだ。これは根回し、段取りの仕事である」(小久保館長)

 「松本工房の佛像は、概略のデザインを師匠が行い、細部はお弟子さんが彫っていく。基本のお顔は師匠がすべて仕上げる。木の材料には、節や傷が必ずあるのでそれを避けて、材料取りのデザインを師匠が行う。これが難しい」(小久保館長)

 

仕事の要点

 仕事でも避けなければならない難所、ポイントがある。それを見極めて、弟子に細部を任せていく。なるほどと思い、人生も仕事も同じだと納得した。佛様のお計らいで、いい話を聞かせていただけた。求めるモノを直接攻めても相手は逃げていく。周りから、そして自分の内面を充実してじっくり取り組むのが人生の正道である。これからの人生の旅の歩き方のヒントを得た。

 

仕事に必要な総合力――芸術も同じ

 「佛像を彫るには、彫刻の技量だけでは不十分で、仏教の知識、人体の知識等の総合知識力もないと、人に感動を与える本物は彫れない。なぜなら、佛様や布袋様などは架空の存在である。それを形にするには仏教の知識、人体の知識等の総合力が必要であるからだ。時には密教の経典の知識も必要となる。」(松本明慶大仏師)

 「高名な某彫刻家がいて、実在する(モデルのある)動物や人物では優れた作品を残している。しかし、架空の存在である大黒天や七福人の彫刻は形がなっていない。それは彼の彫刻の技術は卓越していても、基盤となる総合知識がないからだ。たとえば、彼の作った布袋さんの顔には品と知性がない。これではこの布袋さんに相談しに行く気が起こらない。また座っているこの像は、もし立ったらこの足の太さでは、体を支えきれない不自然な構成となっている」(松本明慶大佛師)

 2つの写真集で作品を見比べると、その高名な彫刻家の布袋さんのお顔と松本明慶大仏師の彫ったお顔には、表現できない大きな差があった。その昔、人相学をかじったことがありその知識からみれば、その違いはすぐ理解できる。

 その昔、私はCNC研削盤の開発でNCソフト開発に携わり、その経験から言うと、会計学のソフト開発でも、単にプログラミングの技量だけでは、使い物になるソフトはできない。会計学のソフト開発には会計学の知識と実務での総合知識が求められる。それと同じことが、佛像彫刻の世界や全ての仕事で、この基本は、当てはまる。

 

仏像彫刻の世界

 最近は安い労働力を武器に中国、東南アジア製の佛像が出回ってきていて、日本佛像彫刻界の脅威となっている。しかし、その大半は部品を別体で作っている。それに対して日本の本物は本尊一本彫りである。各部の継ぎ足し修正は、佛師の恥である。これは西洋の大理石の彫刻でも同じで、全て一体の大理石から彫られている。西洋でも修正のため部分の継ぎ足しは、軽蔑される。

 観音様の見えない後ろ側の御頭の髪も手抜きもなく、一本ずつ髪があるがごとく克明に彫刻する。松本明慶大佛師のお話では師の工房の技術は世界一の技術だと自負されていたが、実物をみると、技量と仏教の知識に裏づけられた彫像のありかたに納得させられる。心が洗われ、眼の保養になった。800年前の運慶・快慶の技術が、口伝により脈々と伝承されている日本の佛像彫刻伝統に誇りを感じた。ヨーロッパの彫刻文化とは一味もふた味も違う。

 私の前職の業務は工作機械事の開発業務で、5次元研削加工機を設計したこともある。それですぐに悟ったことは、5次元加工機でこの佛像をNC加工で製作することは不可能であることだ。仏像彫刻展に展示してある佛像には、手の細かい細工をしても加工が困難な部位が無数にあり、物理的に5次元加工機の刃具を干渉させずに加工はできない。しかし、人の神業にして初めて可能なのだ。

 

AIの限界

 英語と日本語を少しかじった経験から、自動翻訳がコンピュータでは無理(大雑把な訳はできる)なのと合い通じるものを感じた。人間には感情がある。仏様を彫るのにも、その人の心が現れる。翻訳するにも、原作者の心を読まないと翻訳はできない。ある意味、原作者以上の人間力がないと翻訳は無理なのだ。人間の技と頭脳は、いくらコンピュータや機械が進化しても、次元の違う神秘的な素晴らしさがある。

 

2018-02-24

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年1月17日 (水)

学ぶとは自分探し

 学ぶために記憶するとは、単に個別の項目を覚えるのではない。個々の項目と他の項目の関連を学ぶことなのだ。本を読んで新しい知識を得るのは、今まで学んで構築した脳内のネットワークを強固なベースにする手段である。単なる一項目を覚えても、人生では何も役立たない。それが自分の人生とどういう関係があるかまで、掘り下げて学ぶことが学問である。単に覚えることは受験勉強の抹消の技でしかない。学ぶ以上は、自分自身の癖や性格までを直さねば、本当の学問ではない。受験勉強はその入り口での練習なのだ。

 

西洋思想と東洋思想の差

 科学の「科」とは、「禾」偏に「斗」と書く。稲を収穫して、それを秤で計測することを意味する。科学は幹を枝に分解して、枝を葉と花に分解し、花を花びらと雌しべに分解し、細かく細分化して本質を究明する学問である。現代は、余りに細分化しすぎてがため本質を見失いがちになっている。病気になり西洋医学がその病名を探求し治療法を開発するのだが、病気は治りました、病人は死にましたということも起こりがちである。

 グローバル経済主義とは、経済を究極に細分化した果てで、理論的には正しく、個別には成功するが、社会全体は不幸になる理論である。個人主義の欧米では、経済万能主義に行き着き、これに邁進中である。ねずみが集団となり、狂ったように暴走して、海に向かって突っ込み全滅する様を思い描いてしまう。

 哲学や宗教、そして東洋思想は、その末端からその根源に向ってその源を探る学問である。木を見ず森を見て、その本質を究明する。東洋医学は西洋医学と違い、その病気のもとになった原因を探し、元から治していく治療方法である。

 歴史を学ぶとは、人間の営みを学ぶことである。2000年前の人間の行動と現代人の行動に、差などはない。史記、十八史略、三国史、ローマ史を読むと、人間の行動は変わっていないことが良く分かる。

 経営とは、人間の歴史を学ぶことである。「経」とは、縦糸と横糸の関係を象形文字として現している。いままで連綿として営まれた歴史を、現代という流行の横糸で織りなした状況を、盛んに火を燃やして陣屋のなかで活動している様を表現した字が「営」である。今起こっている事象は、過去の事象の流れのなかで、今の事象はどういう関係にあるかを解明するのが、学びである。今の事象だけに振り回されていると、本質が分からず、間違った対応をすることになる。そのために、その関連を学ぶことが、歴史と経営を学ぶことなのだ。オックスフォード大学には経営の学問はない。経営は歴史を学べば、不要であるという考えである。

 

歴史からの学び

 学びを怠った民族は、滅亡するしかない。その事例は歴史の上に死屍累々と山積する。今の中韓の歴史の対応をみていると、考えさせられる。歴史は繰り返すので、歴史を学ばない愚かな国に振り回されることはない。

 自分探しを怠ると、己を見失い自虐的にも、攻撃的にもなる。挙句にうつ病に罹り、幽霊となり、認知症にもなる。学問をするとは、自分を見失わないための手段である。人として、当たり前のことをして、頂いた命を全うしたい。

 

1img_44121   馬場恵峰書

2018-01-17

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2017年10月 2日 (月)

学ぶとは自分探し

 学ぶために記憶するとは、単に個別の項目を覚えるのではない。個々の項目と他の項目の関連を学ぶことなのだ。本を読んで新しい知識を得るのは、今まで学んで構築した脳内のネットワークを強固なベースにする手段である。単なる一項目を覚えても、人生では何も役立たない。それが自分の人生とどういう関係があるかまで、掘り下げて学ぶことが学問である。単に覚えることは受験勉強の抹消の技でしかない。学ぶ以上は、自分自身の癖や性格までを直さねば、本当の学問ではない。受験勉強はその入り口での練習なのだ。

 

科学

 科学の「科」とは、「禾」偏に「斗」と書く。稲を収穫して、それを秤で計測することを意味する。科学は幹を枝に分解して、枝を葉と花に分解し、花を花びらと雌しべに分解し、細かく細分化して本質を究明する学問である。現代は、余りに細分化しすぎてがため本質を見失いがちになっている。病気になり西洋医学がその病名を探求し治療法を開発するのだが、病気は治りました、病人は死にましたということも起こりがちである。

 経済を究極に細分化した果てがグローバル経済主義で、理論的には正しく、個別には成功するが、社会全体は不幸になる理論である。個人主義の欧米では、経済万能主義に行き着き、これに邁進中である。ねずみが集団となり、狂ったように暴走していき、海に突っ込んで行き全部が滅亡する様を思い描いてしまう。

 

哲学

 哲学や宗教、そして東洋思想は、その末端からその根源に向ってその源を探る学問である。木を見ず森を見て、その本質を究明する。東洋医学は西洋医学と違い、その病気のもとになった原因を探し、元から治していく治療方法である。

 歴史を学ぶとは、人間の営みを学ぶことである。2000年前の人間の行動と現代人の行動に、差などはない。史記、十八史略、三国史、ローマ史を読むと、人間の行動は変わっていないことが良く分かる。

 

経営

 経営とは、人間の歴史を学ぶことである。「経」とは、縦糸と横糸の関係を象形文字として現している。いままで連綿として営まれた歴史を、現代という流行の横糸で織りなした状況を、盛んに火を燃やして陣屋のなかで活動している様を表現した字が「営」である。今起こっている事象は、過去の事象の流れのなかで、今の事象はどういう関係にあるかを解明するのが、学びである。今の事象だけに振り回されていると、本質が分からず、間違った対応をすることになる。そのために、その関連を学ぶことが、歴史と経営を学ぶことなのだ。オックスフォード大学には経営の学問はない。経営は歴史を学べば、不要であるという考えである。

 

自分探し

 学びを怠った民族は、滅亡するしかない。その事例は歴史の上に死屍累々と山積する。今の中韓の歴史の対応をみていると、考えさせられる。歴史は繰り返すので、歴史を学ばない愚かな国に振り回されることはない。

 組織の長が自分探しを怠ると、組織の崩壊になる。己に与えられた才能は、何のために神仏から与えられたのか。組織の中の長という「分際」で、自分の役割は何かを忘れると、組織は悲惨な状態になる。自分探しの自覚がなく、組織の長として長期政権で君臨すると、回りのヒラメがイエスマンばかりになり、自分は偉いのだとの「自己洗脳教育」を17年間も受けることになる。行政経営のPDCAも回らず、反省もなく、業者との癒着にも不感症になってしまう。己の思い込みの政策が、良かれと信じ込んでいる故に、それが逆に民に苦しみを与えていても、回りの取り巻きの誰も本当のことを言わない。まるで裸の王様である。大垣市政を反面教師としたい。 

 個人的に自分探しを怠ると、己を見失い自虐的にも、攻撃的にもなる。挙句にうつ病に罹り、幽霊となり、認知症にもなる。学問をするとは、自分を見失わないための手段である。人として、当たり前のことをして、頂いた命を全うしたい。

 

2017-10-02

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2017年9月27日 (水)

人生のコンプライアンス値

 コンプライアンス値とは 1÷〔剛性値〕 で表される。機械関係の専門用語である。この剛性値とは、ばね乗数と呼ばれる数値で、ばね乗数とは1キロの加重を与えたら、ばねがどれだけ撓むかを示すばねの強さである。

 人生という乗り物のコンプライアンス値とは、悪の誘惑に対してどれだけ耐えられるかの強さの値である。自分の役職に対して贈賄側が金品を示して、見返りを要求した場合、自分がどれだけで堕ちるのか、その金額値でもある。100万円の賄賂で堕ちれば、自分の心のコンプライアンス値は100万円である。たった100万円で人生を悪魔に売ったことになる。心のコンプライアンス値を高めないと、人生航海で沈没する。

 

造船でのコンプライアンスの設計

 船の設計で一番大事なのは、障害や荒波に対して船が傾いても、復元する力である。いかに荒波の中を安定して航海するか。何があっても平常心で安定して航行できるか、それが船の設計に問われる。

 1625年に建造された世界最大の戦艦WASA号は、処女航海で湾を出るまでに、突風に会い沈没した。船としてのコンプライアンス値が低かったのが原因である。その設計の恥さらしは、2000年代の現在もWASA号博物館内でその恥を晒している。

 人生のコンプライアンス値不足で、政財界の汚職事件で名を汚した事件簿が、歴史に刻まれて新聞の縮小版となり国会図書館に保管されている。

 

操舵装置の設計

 車の操舵装置(PS)の設計で一番大事なのは、真っ直ぐ走る能力である。曲がるのは簡単である。しかし、道路の凹凸や小石にタイヤが取られても、それに影響されずに真っ直ぐにタイヤを保持する能力がPSに求められる。PSには、操舵における剛性とあそび、そして高コンプライアンスが求められる。人生航海での必要な能力と同じである。

 

人生の操舵装置

 人生でも、誘惑に負けて、人生道で悪い方向に曲げるのは簡単である。人生を真っ直ぐに走るのが難しい。人生にはあまりに多くの誘惑が満ち溢れている。また、ささいなことに悩み自殺する人が絶えない。それも人生のコンプライアンス値が低いのだ。コンプライアンスは、遵法精神とも言われる。自分の人生で定めた「法」(戒め)に、いかに遵守するかで、人生(=命)を輝かせもし、堕落もさせる。いくら頭が良く能力の高い人でも、堕落しては人生価値がゼロになる。ゼロならまだしも、奇跡で生まれ親が手塩をかけて育てた命を地獄に落とすことになる。自殺で、大事な命を自分の手で殺めるなど、一番人の道に反している。

 

学あり智慧なき人生

 人生のあるべき道から誘われて道を誤る人が多い。洗脳教育のように、世間から、ちやほやされて、己は偉いのだとの勘違いになり、常識ある目で見たら、目を覆うばかりに愚行を繰り返す政治家が絶えない。

 伊川先生言う、人、三不幸あり。少年にして高科に登る、一不幸なり。父兄の勢に席(よ)って美官となる、二不幸なり。高才有って文章を能(よ)くす、三不幸なり。(『伊川文集』)

 年の若いのにどんどん地位が上がる。世の中はこんなものだと思う自惚れ者が出来上がる。これは修練を欠いたまま偉くなる不幸者である。実務経験が少ないのに市長になり、ヒラメの取り巻き役人により自惚れ者が出来上がる。これは官僚だけではない。親のお陰で若輩が社長になったりして、己の会社の不祥事が起こり、その記者会見で「なりたくて社長になったのではない」と愚かな居直りをする者も出る。

 今は東大をでたからと、若くて有能だと言われてちやほやされる。これは当人にとって不幸だ。記憶力が高く、司法試験に受かり検察官になるほどの才能があって、口が達者であれば、それも大きな不幸である。山尾志桜里議員は、元検察官として弁が建つはずなのに、ガソリン代過剰請求や、自身の不倫には説明責任を放棄する。人生の悪の誘惑に負けたのだ。記憶力は高くても、人生道の道徳コンプライアンス値が低いのだ。学があっても智慧がないのだ。 

 人間でも、動物でも、植物でも本当に大成するためには、「習い、知と与(とも)に長じ、化、心と与に成る。」という長い間の年期をかけた修練・習熟・修養という期間が必要である。

 

WASA号博物館

 WASA号は、1628年に当時世界最大の木造戦艦として製造された。その約100 年前の1521年にスウェーデン貴族のグスタフ・ヴァーサがスウェーデンを建国し、1523年に王位に就いた。1630年に、ヴァーサ国王の孫グスタフ2世アドルフが、リボリアを征服し、ドイツの新教徒を保護するという名目で、ドイツに侵攻して、第3期30年戦争(スウェーデン戦争)を引き起こした。その後スウェーデンは領土を拡大して、大国時代を迎えることになる。当時スウェーデンは列強に伍し、その勢力拡大を計っていが、それは長くは続かなかった。ヴァーサ号はその時代の戦艦である。その時日本は、やっと関が原の戦いが終わって、徳川の時代になったばかりである。当時の世界で、軍事大国で科学技術の先進国であったのがスウェーデンである。スウェーデンは、なんとドイツに戦争を仕掛けた歴史ある国でもある。かつ国王の名が、「アドロフ」には歴史の因縁を感じる。

 しかしヴァーサ号は設計ミスのため(頭でっかちの不安定構成)、1628年8月10日にストックホルム港から処女航海に出たところ、港湾を出る前に突風に会い、転覆沈没してしまった。大砲の積み過ぎが原因とも言われる。この点で、歴史的な名戦艦である。戦わずに平和的に?沈んだのだから、いかにも未来の平和国家スウェーデンを予見するようなエピソードと言える。とはいえ世界最大の戦艦を建造するとは、スウェーデンは当時の軍事大国であった。

 この艦は1961年に334 年ぶりに、水深31mの海底から引き上げられて修復され、現在はWASA号博物館として展示されている。沈んだ場所は分かっていたが、技術的な問題でこの時まで、引き上げることが出来なかったとか。極寒のバルト海の底に沈んでいたため、木造艦といってもあまり腐食もせず、原型をほぼ止めており、当時のスウェーデン黄金時代としての艦船装飾、彫刻像、備品等がつぶさに見えて、歴史的な鑑賞には興味深い。だだし古い木造艦のため、湿っぽく暗い雰囲気はあまり楽しいものではない。(1985年記)

 

図1 WASA号

   排水量 1300トン   大砲 64門    乗員 435人

   全高  61m    全幅  4.7m

 

2017-09-27

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