老いの器を律する
最近は老いの醜態をさらす市長、官僚、経営者が跋扈している。嘆かわしことだ。他山の石として、自分の身を正したいと思う。
経験
老いとは、仏様・ご先祖様から歳を頂く幸せである。還暦という歳を頂けずに、鬼門に入る人も数多い。老いとは、経験を積むことを意味する。その経験から生まれた智慧を己の器に入れるのである。痛い思いをして得た経験を智慧のレベルに昇華しないと、同じ過ちを死ぬまで繰り返す。それは歳の取りがいのない醜態である。
智慧
老いとは、練れる道を歩くこと。流行に惑わされない思想を深めること。シナ・ローマの歴史を紐解くと、2000年前の先人と現代人の行動に差などはない。人間的に少しも進歩していない現実に愕然とする。人は先祖の霊を受け継ぎ生まれるが、記憶はオールリセットされる。それ故、ゼロから学んで自己鍛錬をして成長するしかない。その学びを放棄して、年よりがいのない人が多い。TVやゲームに流され練れない日々を送り、認知症への道を歩む人が多い。
智慧ある老いとは、敏鈍の使い分けができること。我儘も言え、都合が悪くなったら惚けの振りをすること。息子が「グレてやる」とほざいたら、「それなら俺は惚けてやる」と逆に脅すことができる才覚である。
百舌鳥の鳴き 馬場恵峰書
忍
老いとは、考え方が充実していく過程である。自己の人生を振り返り、これでいいのかと自に刃を向けて問う生き方である。それが「心」に「刃」を向ける「忍」という文字である。そこから「認」という文字ができた。己の愚かさをしみじみと認められる歳になるのが老いである。現代社会は、あまりに人にばかり刃を向けて、己には刃を向けない人が多すぎる。年よりがいがない。それを「年寄り害」という。
自分に刃を向けず、理想論で実際に政治を動かしたら、選挙公約が机上の空論であったことを露呈させたのは民主党政権であった。
人徳
老いとは、若き人を叱る人徳の力の獲得である。己が若造で同じ言葉で、若い人を叱っても反感を持たれるだけ。しかしそれ相応の歳を頂くと、若い人を叱っても反感を買われることが少なくなったことを実感する。若き人を叱るのは年長者の務めである。それは己の経験を若い人に伝えること。
悟り
老いとは、素晴らしい人生ではなかったが、素晴らしく楽しむ活き方であったとの悟りを得る境界である。人は必ず老いる。老いて人生を振り返ったとき、そう思える人生を歩みたい。
世間的には素晴らしい生き方をした偉いさんは多いが、実際は死んだような生き方であった方も多い。ハンコを押すだけが仕事であった偉いさんが、認知症に罹りやすいという。校長先生、警察署長にその例を多く見る。
布施
老いの道を歩むには、もらう人から与える人に変わりたい。器に中身や金が無くとも七施ならできる。「無財の七施」(『雑宝蔵経』巻6)とは、
・ 眼施 目による施し
・ 和顔悦色 笑顔による施し
・ 言辞施 言葉による施し
・ 心施 まごころによる施し
・ 身施 体=労働による施し
・ 床座施 席を人に譲ることによる施し
・ 房舎施 住まいによる施し
名器
人間とは土でできた器である。土で出来た人間の体は、いつかは老い、死んで土に還る。生きている間に、その器に何を入れるかが問われる。いくら集めても、入れるべき器は、いつかなくなってしまう。来世に持って行けない。器に入れたお宝が雲散しないように、世のために昇華させるのが、老いてからの仕事である。
床下愚器
独居老人が亡くなって、床下から数千万円の札束が出てきたという新聞ニュースを良く見る。お金をいくら己の器に入れても昇華ができない。お金は使ってこそ価値がでる。貯めるだけの人生は、お金の奴隷になった人生である。
2018-05-27
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
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