2018年5月26日 (土)

自分の命の値段はいくらか?

 還暦を迎えた自分の命の値段は、いくらで評価されるのか? 若く働き盛りなら、金に渋い銀行も2千万円や3千万円のローンを組ませてくれる。しかし己が60歳になったとき、いくらの金を銀行が貸してくれるか、その金額が自分に対する社会からの評価額である。

 

還暦で一億円の借金

 馬場恵峰師は60歳(1988年)の時、私財を投じ日中友好親善と社会奉仕活動の一環として日中文化資料館を建設された。建設費用(1億円)は銀行からの借入で、350坪の敷地に、日中文化資料館と図書館が建てられた。波佐見の実家・土地を抵当に入れての借金である。銀行に高額な生命保険にも入らされた。

 生命保険料が高いとこぼされながら、再婚するなら相手は保険金目当てだろうとご夫婦で冗談を交わされるユーモア精神が豊富である。24年間をかけて、2010年にその借金を完済された。完済時、御歳84歳であった。完済時には清治若先生と手を取り合って喜ばれた。

 建設当時は「荒瀬町」という名の通り先生宅しかなかった小山の寒村だが、現在は住宅地として多くの家が立ち並ぶ。今は大村市の高台に建つ図書館の二階から、大村湾と長崎空港、九州高速道路の夜景を見ながら、静かに思索にふけるのが楽しみと言われる。

1img_3558   日中文化資料館  

2 敷地への入り口 右手が図書館

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 玄関に12仏が並ぶ 201142

4img_3492 中国古代の石器が並ぶ。模造品だが、今はそれも手に入らないほど貴重品

5img_3605 図書館二階の書斎からの眺め

自分を値踏みして

 自分が還暦の身で、銀行から数千万円でも借りようとしても、おそらく貸してはくれまい。それを思うと、馬場先生の信用と言う黄金の器がまぶしい。そういう師にご縁ができるのは幸せである。私は人生の目標にしている。

 

後ろ姿の教え

 恵峰師が還暦の時に、一億円の借金をして24年間で返済されたという事実は、弟子たちに大きな励みを与えたようだ。岩手県と宮崎県の知人の社長が相次いで還暦を過ぎたのに、一億円以上の資金をつぎ込んで新し事業を始めた。二人とも功成り名を遂げている地方の実業家である。

 私も勇気をもらって、新しい仕事に一歩踏み出すことに背中を押してもらったようだ。66歳の身で出版業と写真業を始める勇気をもらった。感謝。

 

元気の源

 師の口癖は、「生涯現役、一生青春」である。福沢諭吉の訓言「世の中で一番」の「楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つ事である」を実践されている。そのために、書の仕事一筋である。前に紹介した「身閑夢亦安養心」も師の信条である。

 そのための健康面の配慮で、日頃から少食で、間食はしない。酒はほんの少々。日に朝晩、2回(一回30分)の庭の草取りで体を動かす。庭師もされる。庭と言っても350坪の敷地である。広大な敷地に草一本生えていない。多くのお弟子さん(女性)に囲まれて、書道を教える合間に、人生のお話しをお弟子さん達に、ユーモアを交えてされる。この人気が高い。だから女性にもてるんです。これが健康維持とボケ防止に最高に良いようだ。

 結果として、月に一回国立病院に検査に通われるが、血圧正常、目も正常、悪いところはないという。95歳まで運転免許も保証された。

 昭和2年4月生まれの先生は、2018年現在、92歳、現役である。東奔西走で走り回ってみえる。今までに240回、中国に行かれた。全て自費である。

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2018-05-26

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年5月25日 (金)

グローバル経済主義教の大垣市長

 現在はグローバル経済主義競争という宗教が、世界中で猛威を振るい、従来の価値観を破壊しつつある。特に世界の大企業は、この宗教に帰依しないと生き残れないとして、この「宗教活動」の布教に邁進している。この宗教が国家の時間を食いつぶしている。次のステージは暴動、国家崩壊である。国民が不幸になるために働く社会が正常であろうか。

 行き過ぎたグローバル経済主義競争の結果が、一部の特権階級が99パーセントの富を独占し、貧富の差を拡大し、年功序列の価値観を破壊し、国民の多くを不幸にしている。成果主義の過度な増長である。ゴーン社長のように年収10億円の社長がいる一方で、生活保護者が2,163,394人(2016年)もいる。これは、100人に2人の貧困者割合であり、何かおかしい。40年前はそんなことなど、話題にも上らなかった。

 

サラリーマン平均年収の推移

 日本政府の無策で、日本のサラリーマンの年収は下降を続けている。1997年に比べて50万円も下落した。

 1995年 457万円

 1996年 461万円

 1997年 467万円

 1998年 465万円

 1999年 461万円

 2000年 461万円

 2001年 454万円

 2002年 448万円

 2003年 444万円

 2004年 439万円

 2005年 437万円

 2006年 435万円

 2007年 437万円

 2008年 430万円

 2009年 408万円

 2010年 412万円

 2001年 409万円

 2002年 408万円

 2003年 414万円

 2004年 415万円

 統計元:平成26年 国税庁 民間給与実態統計調査結果

 

安さの追求の果て

 企業が人件費の安さを求めて海外進出をすることで国内の生産を減らし、結果として国内労働市場を縮小させ、非正規社員を増加させている。非正規雇用労働者は、15.3%であった昭和59年(1984)から急増し、以降現在まで増加を続けて、現在の非正規雇用労働者は、雇用者全体の37.3%(2017年)と二倍以上に増えている。さらにフリータを増やし(152万人、2017年)、失業者を増やし、自殺者(年間3万人前後)を増やしている。

 私が新入社員の頃の40年前は、派遣社員の方が、自由に仕事ができて収入が多かった。腕に自信があると、独立をして派遣で働いたもの。今は、時代が変り、古い価値観が崩壊している。儲かっているのは特定の企業のみである。多くの人が不幸になる「宗教」とは正しいのだろうか。新興宗教でも教団だけが金持ちになり、信徒が貧乏になる構図と同じである。

 

大垣の惨状

 大垣市長の差配で、大垣市役所だけは124億円もかけて立派になるが、大垣駅前商店街はシャッター通り化してスラム街になりかけている。大垣市長がそういう政策を推進したのだ。

 大垣市の2014年の平均所得は、311万4153円で、全国市区町村ランキング300位で下位に位置する貧しさだ。全国平均平均所得415万円に比べて大きく見劣りする。それだけ大垣市の経済が活性化していない。それどころか衰退の一途である。大垣市長が長期政権に胡坐をかき経済活性化の策を講じない。大垣市長の無為無策の結果で、大垣市は貧困地域から這い上がれない。

 

グローバル経済主義という名の宗教

教祖   欧米の特権階級、各企業のトップ、行政のトップ

御神体  拝金主義が求めるマネー

経典   グローバル経済主義と拝金主義という教義

      金儲けが最優先、勝者のルールを弱者に押し付け一人勝ち

      1%人が99%の富を独占するのが自然の法則という定め

      貧困層が激増するのも神の思し召し

      (経済学と科学が浸透すれば、貧困は無くなるはずだが?)

寺院   大企業、グローバル企業、お役所

信徒   大企業の経営者、官僚 (中小零細企業の経営者は対象外)

異教徒  一般大衆

 

ジニ係数

 ジニ係数とは、主に社会における所得分配の不平等さを測る指標である。ローレンツ曲線をもとに、1936年、イタリアの統計学者コッラド・ジニによって考案された。所得分配の不平等さ以外にも、富の偏在性やエネルギー消費における不平等さなどに応用される。係数の範囲は0から1で、係数の値が0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味する。ちなみに、0のときには完全な「平等」つまり皆同じ所得を得ている状態を示す。社会騒乱多発の警戒ラインは、0.4である。

 

1975年→2014年 ジニ係数の推移

 アメリカ  0.32 →  0.40

 英国    0.27 →  0.36

 日本    0.30 →  0.33

 フランス  0.28 →  0.29

 ドイツ   0.25 →  0.29

 スウェーデン 0.21 → 0.28

 

ローレンツ曲線が示す貧富の差

 もっとも平等な社会はジニ係数が0で下図の緑線で示される。不平等ほど下凸の曲線で、示される。完全不平等ではジニ係数が1の赤線で示される。この場合は99人が貧乏で、1人が富の99%を独占している状態を示す。下図の縦軸は富の累積値で横軸は収入である。

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 アメリカではグローバル経済主義で拝金主義が横行して、貧富の差が急拡大している。中国ではジニ係数が0.61(2012年末)になり、暴動発生寸前の状況である。これも経済特区を作り、経済最優先で驀進して、中国特有の特権階級が富を独占しているからである。金持ちは益々金持ちに、貧乏人は益々貧乏になっていく。高福祉国家のデンマーク、フィンランドはジニ係数が低い。フランス、ドイツ、日本はまだ平均的なジニ係数の値である。

 

中国のジニ係数

 北京大学「中国民生発展報告2015」によると、12年のジニ係数は0.49と国家統計局の数値0.474を上回り、また保有資産でみたジニ係数は、95年0.45から2012年0.73に上昇。上位1%の層が社会の3分の1の富を保有する一方、下位25%の層は1%の富しか保有していない。家計調査や失業率推計で定評のある西南財経大学家庭金融研究センターの2014年調査では、13年に所得上位10%が社会の富の60%強を保有しており、ジニ係数は0.717だ。

玄冬舎HP「低すぎる?中国国家統計局が公表する「ジニ係数」への疑念」金森俊樹著2016.2.29より(https://gentosha-go.com/articles/-/2342

 

貧富の格差の拡大の影響

 2014年8月、米国・ミズーリ州で黒人青年の警察官による射殺事件をきっかけに抗議デモ、暴動や略奪行為が起こり、夜間外出禁止令も出る騒動になっている。この背景にはグローバル経済主義の行き過ぎがもたらす貧富の格差の拡大による貧困層の不満の爆発がある。世界最富裕の国で暴動、夜間外出禁止令である。世も末で、米国も中国を笑えない。その状況に危機感を持った米国民がトランプ氏を大統領に選んだ。

 

合成の誤謬

 「合成の誤謬」とは経済用語で、個々の場合には正しいが、全体となると正しくないことを意味する。グローバル経済主義は、個々の企業には都合が良いが、社会全体には不都合な結果をもたらす。

 大垣市政の個々の政策は、いかにも市民のためであるように見えるが、全体では市民を貧困に陥れる政策なのだ。それを「合成の誤謬」と呼ぶ。だから大垣市は衰退に一途をたどっている。大垣市長とその取り巻きは「豪勢の誤謬」に浸って悦にいっている。

 

大垣市のグローバル経済主義

 大垣駅前商店街の衰退も大垣市ベットタウン化も地価下落も、大垣市政の大型小売店舗優先、大企業優先、弱者切り捨ての政策が影響している。大垣市は、市民のためと誤魔化して役人、大企業を優先して、市民を貧困に誘導する政策に終始している。それは正にグローバル経済主義者の行動そのものである。

 なにせそれが役人には楽なのだ。大義名分も立つ。仕事を大企業に丸投げすれば、役人は苦労をしなくて済むのだ。事故が起きれば業者に責任を押し付ければよいのだ。ドローン墜落人身事故のように。大垣市民の我々は、大垣市役所の仕事ぶりに監視の眼を向けねば、己の生活が破壊される。

 

2018-05-25

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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お礼 ブログ1周年達成

 お陰様で昨年の5月26日に本ブログを立ち上げて、今日でまる1年が経ちます。ここまで来れたのは皆さまが、本ブログを閲覧して頂けたこととご意見のメールを頂いたことが励みとなっています。深くお礼申し上げます。

 今日の24時で累積閲覧総数は 28,900(予定)(実績28,898回)

 記事総数 667件(予定)

 

 一記事、A4版で約3ページですので、A4版で総計2,000ページ程の分量になります。400字詰原稿用紙で約8,000枚です。

 今後ともよろしくお願いいたします。ご意見をお待ちしております。

 

2018-05-25

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

2018年5月23日 (水)

文化を破壊する大垣共立銀行

 大垣市には、「郭町通り」という70年を超える由緒ある名前があった。国宝であった大垣城があって「郭町」と「郭町通り」が存在する。それを大垣共立銀行は、強欲に自己誇示のため、「OKBストリート(大垣共立銀行通り)」に名前を変えてしまった(2013年)。市民が知らないうちに、裏で金が動いたのやも。あまりの非常識に先代の頭取が草葉の陰で泣いている。

 

名前「郭町通り」の所有権は?

 「郭町通り」という名は、大垣市民の歴史としての財産である。大垣共立銀行が独断で占有できるものではない。名前変更の審議でも地域の住民の意見も封殺して、商店街のひとたちだけで、こそこそと名前を変更してしまった。それで良いものなのか? 大垣市役所は何も指導をしないのが不思議である。それは大垣の歴史文化の破壊行為なのだ。

 

「郭」とは

 「郭(くるわ)」とは城やとりでの、周囲を土や石などで築き巡らしてある囲いを言う。また、その内側の地域を意味する。江戸時代になって「郭」の字もあてるようになった。

 山城では背後を削り取り,その土を前面に盛って造成する。単なる屋敷地や畑の段と異なって防御用の平場とするために、壁面を急傾斜の切岸状にしたり、縁辺に土塁を盛り上げたり、外周や尾根続きに空堀を掘って外部から遮断する。近世城郭では天守を備えた中心の郭を本丸、その外側に隣接した城主の館邸が設けられた郭を二の丸、その外側の家臣屋敷などが並ぶ郭を三の丸と呼ぶ。その他の諸郭に西の丸などの方角、あるいは人名を冠した呼称が用いられる。

 「郭」は遊郭の意味ではない。周囲を塀や堀で囲ったところから、遊女屋の集まっている地域として「遊郭」という名がある。大垣市の廓町はお城の囲いの意味である。

 

名前の重たい意味

 名前とは、その対象に対して思いを込めて、その成功、成長、幸せを祈って付ける符号である。それなのに、大垣駅前商店街に銀行の名前を付けて、商店街の発展があるはずがない。事実、この5年間、大垣駅前商店街は衰退の一途で、昼間にシャッターを下している店は61%にも達した。

 たかが名前、されど名前である。私はテクニカルライティングからの学びで、文書でも人の名でも、建物でも、名前が一番大事だと悟った。それは何事にも通じる真理である。文書の名前を見れば、書いた人の人格と思いが分かる。人の名を見れば、その人の目指す姿が見える。親は、子供に思いを込めて名前を付ける。

 それなのに商店街の商売繁盛と発展を祈念して付けるべき名前に、「OKBストリート」では非識である。銀行屋には、大垣駅前商店街の発展など知ったことではないのだ。大垣共立銀行を知らない人が見たら、横文字でさっぱり意味が分からない。知っている人なら、ついにこの商店街も左前になって銀行支配になったかと思ってしまう。これでは発展などはできない。企業が左前になると、経営が銀行支配になるのは世の常識であるからだ。

 

名前変更の劇的効果?

 2013年12月2日、商店街のアーケド街の名前は、大垣共立銀行の強欲から、「郭町通り」から「OKBストリート」に変えられた。2018年現在、5年経っても大垣駅前商店街の衰退は止まらない。それどころか衰退のスピードが加速している。地元銀行としてもっと別の支援する方法があるだろうと、この寂れた風景を見るたびに思う「銀行は晴れの日に傘を貸し、雨が降れば、その傘を取り上げる」という通説が頭をよぎる。

 2018年3月10日には、「OKBストリート」の中心部に店を構え、街の商売上でも、大垣駅前商店街組合活動でも理事として運営をリードしていた大型衣料店「正札堂」が事業を停止した。負債総額2億円。1952年創業で、岐阜・滋賀県下に13店舗を構え、一時は28億円の売り上げを誇ったお店である。

 この5年間だけで、それも郭町だけで、靴店、鞄店、菓子店、煎餅屋、カメラ店、傘店、タクシー、コンビニが消えた。新たに開店したのは、コンビニの跡に持ち帰りすし屋だけである。

 さらにトドメの象徴的な事象として、「OKBストリート」の中心に店を構える商店街組合理事長のお店が、今年、廃業に追い込まれた。それでも理事長としての責任は取らない。無責任である。衰退も故あること。

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1p1100404   2018‎年‎4‎月‎28‎日(土曜日)‏‎16:52 大垣駅前商店街の衰退の惨状。土曜日の休日で!

   中央の「正札堂」は2018年3月10日に営業停止となった。頭上の「OKBストリート」の看板が虚しい

 

銀行の横暴

 新しい建屋や新設の通りには命名権として、お金を出してスポンサーの名前を付けることがある。それは許される。しかし歴史的に由緒ある名前を、己の金儲けのために、己の銀行の名前にすることは許されまい。商店街の支援をするなら、金だけ出して、己の名は片隅に、寄付者として名前を入れるのが世界の常識である。それが、世界の富裕層が地域の文化を育成してきたやり方である。この自分の名を誇示するやり方はド田舎の成金者の下品さである。

 文化・芸術に造詣が深かった大垣共立銀行の先代の頭取なら決してしなかったであろう。これは欧米の拝金主義者・グローバル経済主義者の行為である。でっぷりと太った今の頭取のやり方に疑問を感じる。欧米では肥満体は自分の体さえも管理できないものとして、管理者失格と見なされ出世できない。現代のグローバル経済で競争が激化している現在、世襲の頭取では先が思いやられる。

 

後ろめたい?

 通りの名前が変わった直後、現頭取が郭町商店街の一軒、一軒を訪ねてお礼に回ったという。「よほど嬉しかったようだ」とは担当銀行員の話である。この一軒一軒にお礼に回った行為自体に、私は違和感を覚える。いかに舞い上がってしまったかを感じる。後ろめたさもあったのだろう。世間の常識から見て、まともな行動ではない。会社は公器なのだ。己の自己顕示欲のためにあるのではない。

 

文化・芸術とは

 文化・芸術では飯は食えない。だから昔の貴族や王族は芸術家に支援をして、文化・芸術を育てた。それで金儲けをしようとはしなかった。だから欧州でオーストラリアやフランス、イタリアで芸術の花が開いた。それがルネッサンスである。その支援したスポンサーは、芸術の表に出しゃばることはなかった。陰で芸術家を支えたのだ。それが教養ある金持ちの素養である。

 

十六銀行を過剰意識

 大垣共立銀行は、十六銀行を過剰意識して、本社ビルを「16を超えよ」と17階建てにした。岐阜県のトップ都市銀行として、大人げない行動である。このビルは、経営者として最適な設備投資の意思決定をしなかったことを示す恥さらしな物証である。その無駄な汗を大垣発展・駅前商店街復興に向けて欲しいと思う。

 

大垣共立の異様なライバル意識

 (大垣共立銀行は)岐阜市に本店を構え、県を代表する地銀の十六銀行とは何かと対照性を見せる。例えば、1973年(昭和48年)に大蔵省(当時)の反対を押し切って建設した17階建新本店(建設時は地銀本店として、また東海地方の高層ビルとして最も高いビルであった。なお、この階数は“16(十六)を超える”意味があるとされる)の象徴性など、ライバル意識が強い。このライバル意識は、融資競争における低金利傾向(岐阜金利)の遠因ともされている。

 消費者からの評価については、前述のように大垣共立が高い評価を受ける一方、現在の財務指標においては、行員一人当たりの業務純益が大垣共立の593万円に対して十六は975万円、総預貸金利鞘の0.18%に対して0.5%、不良債権比率は4.54%に対して4.19%等、十六がより安定的な優位性を見せる。(数値は2006年3月末決算)(この項、wikipedia 「大垣共立銀行」2018/5/22より)

 

コップの中の鍔迫り合い

 日本経新聞記事「しのぎ削る岐阜2行」(2018年5月18日付)によれば、愛知県の金融経済規模の2割しかない岐阜県で、大垣共立銀行と十六銀行の都市銀行間で過当な覇権争いを繰り返しているという。日本、世界の全体の森としての経済の流れを見ずに、小さな木しか見ずに、金の奪い合い合戦である。まるでコップの中で戦略・戦術を間違えて同士討ちをしているようだ。

 「OKBストリート」商店街のど真ん中に位置する三菱UFJ銀行の大垣支店は、大人(たいじん)のように鷹揚としている。まるで大垣共立銀行の小人(ことな)の愚行など眼中にないように。なにせ三菱UFJ銀行の預金量は124兆円、大垣共立銀行は5.5兆円で、その格差は大きい。格が違うのだ。

 現在、リニア新幹線の効果で、岐阜も大垣も名古屋駅前の経済圏にストローに吸われるように、客が名古屋駅前に流れ、経済が衰退している。岐阜も大垣も駅前の商店街は閑散としている。大垣共立銀行には、もっと視野を広げて地域経済の発展と日本経済の発展に寄与すべく知恵を絞るべきなのだ。伝統ある商店街の通りの名前を利己的に変えるような思考レベルでは、大垣の発展などあり得ない。大垣共立銀行の発展もないだろう。大垣共立銀行は、大垣の文化を破壊する利己的な売名行為に忙しい。

 

共立の意味

 グローバル経済主義は利己主義なのだ。古来、日本は利他の心で生きてきた。グローバル経済主義教に犯されると、利他の心は消える。大垣経済と大垣駅前商店街の立て直しには、利他共生の心が必要だ。大垣共立銀行の「共立」の名が泣いている。大垣共立銀行の創業者は、思いを込めて、この名を付けたはずだ。創業者は草葉の陰で泣いている。

 

2018-05-23

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2018年5月22日 (火)

神楽軕は神話の世界

 2018年5月12,13日の大垣まつりは、試楽の12日が16万人、本楽の13日が6万人の総計22万人の人出で賑わった。13日は雨になって人出が少なかったが、雨でなければ、総計30万人の人出となったと言われて、残念であった。雨にも関わらず6万人もの人出で、いつもは閑散としている大垣市内で、その人出の多さに私は驚嘆した。大垣の人口が16万人であるので、どこにそんな人がいたんだと云うくらいの人が集まった。去年より5割増しの人出である。こういう伝統行事を活用して大垣の活性化につなげて欲しい。

 

三輌軕の歴史

 神楽軕は大垣まつりの13軕の行進で、先頭を行くので別名「いち軕」、「お祓い軕」とも呼ばれる。大垣まつりでは、この神楽軕と大黒山、恵比寿山車を三輌軕という。延宝7年(1679)に3代藩主戸田氏西公が、この3輌を八幡神宮に奉納したのが起源である。本町、中町、新町が1年交代で担当する。当番に当たるとその町は2つの軕を受け持つので大変である。

 

町内渡し・組合町渡し・前触れ

 三輌軕は試楽の2日前から出して、氏神様への奉芸と町内渡しを行う。町内渡しは、自町の町内を曳いて廻ること。その後、組合町渡し・前触れを行う。前触れは市内を曳き廻すこと。これが大垣に初夏の訪れを知らせる風物詩となっている。この時、奏でられる曲「帰り軕」は名曲中の名曲である。

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 2018510日 前触れ  大垣市御殿町付近

神楽軕の構成

 三輌軕は棚車で、飾り軕という素朴な造りで、屋形や、からくりを持たない軕である。神楽軕は、車輪が内輪で、前輪は後方にあり、手古棒は八の字にとりつけられている大垣独自の形式の軕である。水引は戸田家の九曜の紋、横幕も軸には本軕とは異なり、赤、黄、青の縦縞模様となっている。

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飾り人形

 神楽軕は神明造りの祠に天照大神をお祀りし、進行方法の右側に猿田彦命、左に天鈿女命をお祀りしている。

 猿田彦命は、瓊瓊杵尊が天孫降臨をする時に先導を務めた国神様である。天鈿女命は、天孫降臨にお供した神様である。高天原の天岩戸の前で神懸かりに躍ったと伝えられている神様である。瓊瓊杵尊は天照大神の孫である。天孫降臨は『日本書紀』の神話である。

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神楽軕の掛け芸

 神楽軕上で舞をする人形は2体あり、人形の芯となる長さ1.5m、直径7㎝ほどの竹に、竹で編んだ人形を取り付け、先端に人形の首を取り付ける。左右の肩から50㎝ほどの細い付けを垂らし、それを腕として先端に手を付けてある。

 腕には、腕を操るための1.3mほどの細い竹が取り付けてある。これに衣装を着けたのが神楽の人形である。操作者は、人形の芯となる竹の下端を腹の帯にのせて、腕につながる竹を操って人形を舞わせる。これは「直扱い」と呼ばれ、全国でも珍しい。巫女の重量は9.8キロ、山伏は7.6キロと重量があり、巫女を優雅に舞わせて、山伏は激しく動かしてと、操作者は大変である。それが操作者の誇りでもある。

 青装束の巫女は「市」と呼ばれている。巫女は右手に鈴、左手に扇を持って神楽を舞う。昔、八幡神社の近くに「いち」という名の美しい娘がいて、祭りで神楽を舞って評判になった。神楽軕で舞う巫女は、その名をとって「市」と呼ぶようになったという。

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 2018512日の大垣まつり試楽で  昨年と少しお顔と服装が違う。

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 2011年5月11日の大垣まつりで 099l4a0011

   2017514日の大垣まつり本楽で 

 次に、白装束の山伏が鳥居下の桶を湯桶に見立て、両手に笹を持って激しく神楽を舞う。その舞いに合わせて、山伏が湯ノ花の代わりに紙吹雪を舞わせる。

 湯立て神楽は、煮えたぎる釜の湯を青笹で祓い、その飛沫を氏子に降りかけて穢れを清めるという神事を舞楽とした。

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 2018年5月12日の大垣まつり試楽で 

 

  夜宮では、神楽軕に飾られた提灯に明りが灯り、山伏が散らす紙吹雪が明りに照らされて幻想的である。

14dsc08550  夜宮に出発前で待機中   2018年5月12日17:39

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 夜宮の奉芸前に八幡神社に後ろを持ち上げ礼をする神楽軕

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 紙吹雪が提燈の灯に映える

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裏話

 本来、軕を曳くのは当番の町衆であるが、今は街中に若い衆も少なく、サラリーマンが多いので、仕事を休んでもおられず運営がままならぬ。体力のない今の中年男性が重い軕を曳いて一日中歩くと、疲れ果てて次の日は仕事にならないという。軕は縁起物だから、遠い町からも来て欲しいとの要請もあり、3キロ以上も離れた町まで軕を曳いて出かけるという。年寄りは、付いて歩くだけでへばってしまう。だから大学の運動部の学生達にお願いして、お祭り前の1週間ほどを専任して、お祭りで軕を曳いてもらうという。大垣まつりは大垣市、地元有志の寄付、地元企業・商店からの寄付で成り立っている。町内の涙ぐましい努力で、大垣まつりの伝統を守っている。感謝である。

  他の都市でも、お祭りの運営は同じようだと聞いた。これも少子高齢化の影響である。

参考文献:浅野準一郎著『大垣まつり』(風媒社)

 

2018-05-22

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2018年5月21日 (月)

自殺は最悪の人殺し

 最近(2018年)、ジェイアールが頻繁に遅れる。その原因が、いたずらによる踏切警報機の発信、電車と人との接触事故等による迷惑行為に起因する。最近のJRの定時運航の乱れ具合が、日本人のモラルの低下を表している。電車と人との接触事故は、表現は穏やかであるが、鉄道飛び込み自殺である。

 自殺とは、自分というこの世で一番大事な人間を殺すこと。人と生まれたら、最低でも、自分だけは幸せにする義務がある。それが己を此の世に遣わせてくれたご先祖に対する恩返しである。

 

鉄道事故に遭遇

 久留米の真島消化器クリニックで診察を受けた翌日、2016年10月15日、知人と会食のため名古屋に向かった。午前10時過ぎに大垣駅に着くと東海道本線が人身事故で上下線とも不通になっていた。10時頃に、岐阜駅と木曽川間で人が列車と接触したとのこと。飛び込み自殺である。人は必ず死ぬ定めであるが、人に迷惑をかけて死んではなるまい。当事者はそれどころの心境ではないだろうが、人として最後の一線として、その掟は守りたいもの。しかしその鉄道自殺が頻発している。現代は人の最低限度のモラルが低下している。

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道ずれ旅客機墜落事故

 2015年、ドイツの機長が乗客を道ずれにして旅客機ごと墜落させたジャーマンウイングス9525便自殺事故があった。ジャーマンウイングス9525便墜落事故は、2015年3月24日、西・バルセロナから独・デュッセルドルフに向けて飛行していたドイツのLCC・ジャーマンウイングスの定期便がフランス南東部に墜落した航空事故である。世界の精神の荒廃を垣間見る。

 

親の因果が子に報い

 鉄道自殺は、遺族に塗炭の苦しみを与える。関係のない鉄道利用者に大迷惑である。鉄道関係者もその遺体の後始末が大変である。また子、孫にもその影響が及ぶ。その昔、親戚の叔父が鉄道自殺をしたが、その日が息子の入社日であった。それで息子の人生が暗転した。さらに40年後に孫が日本の最高学府を卒業しても就職できないという因果をこうむっている。

 

人の道

 道連れ自殺は、犬畜生ではありえない世界である。人間の尊厳にかかわる事象で、人間の精神の荒廃を示す表れだ。動物は死を悟ると、人知れず姿を消して、静かに死を迎え、土に帰る。犬畜生にも劣るふるまいの死は避けたいとの思いを新たにした。

 親として、年長者として、後進に人としての生き方を示して死にたい。人として生まれたのなら、人を幸せにして死にたい。人を不幸にして死ぬのは、人の道に反している。まず自分を幸せにしてから、死ぬべき。

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2018-05-21

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2018年5月19日 (土)

石碑の揮毫

 彦根は書聖・日下部鳴鶴の出身地である。そのご縁ある彦根城博物館の看板石碑の文字が残念である。もっと正しい書体の豊かな感性の文字であってほしい。

 

日下部鳴鶴

 彦根城博物館には、明治の三筆の一人と言われた書聖・日下部鳴鶴の書が時折展示される。彼は、それまでの和様の書体から唐様に日本の書法の基準を作り変え、数多くの弟子を育成した。彼は書聖とも日本近代書道の父とも称される。彦根は日下部鳴鶴の出身地である。

 彼の義父の日下部三郎右衛門は、「桜田門外の変」時の護衛組長である。彼は最期まで大老・井伊直弼の籠の側で戦い、力尽きて闘死した。彼の名は、桜田門外殉死八士の碑の冒頭に名前が刻まれ、豪徳寺の井伊直弼公の菩提の後ろに祀られている。

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029l4a8378 桜田門外殉死八士の碑。向うが井伊直弼公の菩提 豪徳寺(東京)

 

 義父の死後、生活は困窮を極めたが、日下部鳴鶴は明治になって藩命により明治政府に仕え、大久保利通の第一書生として身近に接する。彼は、大久保利通を父のように思い接したという。その大久保利通は、明治11年(1878年)5月14日紀尾井坂で暗殺されるが、その第一発見者が日下部鳴鶴である。まだ温もりのある大久保利通の骸を抱きしめて、彼は天命を悟ったのだろう。義父とは言え、二人の父を政争で失ったのだ。これを機に、彼は誰にもその理由を告げず官を辞して書の道に進む。

 この彦根城博物館は明治以前の資料を展示するのが目的なので、日下部鳴鶴の書の展示が少ないのは致し方ない。しかしその日下部鳴鶴の図書も販売しているのだから、日下部鳴鶴の書を常設しても問題なかろうと思う。

 

彦根城博物館

 2018年4月12日に馬場恵峰先生をこの博物館に案内をしたが、この時は日下部鳴鶴の書の展示はなく、この秋に企画展があるということで、九州から来られた恵峰先生には残念なことであった。

 その後で、先生が指摘したのが、玄関の彦根城博物館の名前の入った看板碑の書体である。書体として残念だという。全て右肩上がりの字体で、全体バランスが取れていない。右に上がれば、左に下がる。それが自然の法則である。馬場恵峰先生にとって、日下部鳴鶴は書の師の宗家にあたる。馬場恵峰先生の師の原田観峰師が、日下部鳴鶴の書体をお手本に日本習字を創業した。だから日下部鳴鶴にご縁ある博物館の看板にこだわったのだ。

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 彦根城博物館

 

関ヶ原町歴史民俗資料館

 それに対して看板の書を絶賛されたのが、翌日の5月13日にご案内した関ヶ原町歴史民俗資料館の看板文字である。この字は、日下部鳴鶴の書のようで、今まで見た博物館の看板文字の中で一番の出来だという。

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恵峰先生揮毫の碑文

 恵峰先生には、自家の墓石と墓誌の揮毫をして頂いた。今回、その墓誌の碑文を見てもらうために先生を彦根に招待した。普通の書家は、恐ろしくて石碑の字は揮毫しないという。なにせ長期間も、字が後世に残るから嫌がるのだ。並みの書家ではない恵峰先生は、大村市内に数多くの碑文を揮毫されている。201733日、先生の案内で大村市にある先生が揮毫した石碑を見せてもらった。梅田のNTTテレパーク堂島ビルにある「大村藩蔵屋敷跡」の碑文も恵峰先生の揮毫である。

07 「大村藩蔵屋敷跡」は馬場恵峰師の揮毫

 梅田のNTTテレパーク堂島ビルにて 2015年10月8日撮影

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 「動員学徒の碑」(馬場恵峰師の揮毫)(大村市)201733日撮影

O4k8a9886 「史跡 玖島城跡」(馬場恵峰師の揮毫)(大村市)201733日撮影

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 「本経寺大村家墓碑群」(馬場恵峰師の揮毫)(大村市)2017年3月3日撮影

 

2018-05-19

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2018年5月18日 (金)

国宝「彦根屏風」を見学

 2018年5月4日、彦根城博物館で国宝「彦根屏風」を見学した。この屏風は年に4月ごろの1回しか公開されないので、なかなか見る機会がない。それ以外の時期は複製が展示されている。彦根駅の壁面にもこの実物大の写真が掲示されている。4月12日に、馬場恵峰先生をこの彦根城博物館に案内したおり、この屏風の公開日を知って、今回見学した。

 

彦根城博物館

 彦根城博物館は、1987年、彦根城表御殿跡地にその復元を兼ねて建てられた博物館である。彦根は、徳川幕府の重鎮の井伊家が代々彦根藩主を勤め、城下町として栄え、数々の歴史・文化を育んできた。井伊家には豊富な美術工芸品や古文書が伝えられている。その数は約4万5千点にのぼり、彦根城博物館所蔵資料の中核となっている。その他、彦根および彦根藩に関する資料も収集しており、収蔵資料は9万1千件を超える。

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彦根屏風

 彦根屏風は、江戸時代初期に描かれた遊里の風俗画である。紙本金地著色、六曲一隻、縦94.0cm横271.0cm(本紙のみ)の中屏風画である。当時の風俗が良くわかる絵である。近世初期風俗画の代表作の1つで、浮世絵の源流とも言われる。描かれた場面は近世初期、京都六条柳町の遊里である。

 着物の描写も胡紛で立体的に表現されていて細やかい。女性の髪の毛も緻密に描かれている。

 右から4人目の遊女が男性の髷を結っているが、これが後に女性全般に広がった。当時の遊女はファッションリーダーでもあった。その女性の横に描かれた洋犬は、洋犬を飼うことが当時の最新のファッシンであったことを表している。

右から2人目の女性は、濡れそぼった髪を垂らし、華やかな場に不釣り合いな芭蕉文様の着流しを着ている。世の無常を説く謡曲「芭蕉」に登場する芭蕉の精が重ね合わされている。

 屏風の中央に位置する禿(かむろ)は、屏風の絵の構成上で、室内と室外の描写をつなぐ重要な役割を担う。指先の構図の意味は、諸説がある。禿とは、遊女見習いの幼女である。禿は、最上級の太夫や、または花魁と呼ばれた高級女郎の下について、身のまわりの世話をしながら、遊女としてのあり方などを学んだ。

 タバコ盆に描かれた喫煙文化は、南蛮貿易からもたらされた。

 屏風中の後ろに描かれた屏風の画は、当時から150年も前に流行した周文様式の山水画をほぼ完璧に描いている。これなどから、この絵師が高い技量を持っていたと推定される。

製作時期

 制作年代は、類品との比較や金地の使い方などから、寛永年間、特に寛永6年(1629年)前後から11年(1634年)の間だと推測される。この時代、風紀の取り締まりが厳しくなっていき、絵のような情景は急速に失われつつあった。この絵の発注者及び絵師は、かつて自分たちが楽しみ、今無くなりつつある情景を追憶するために制作されたとも推測できる。屏風や軸は当時の考え方や思想を反映している。絵は歴史の物語を秘めている。

 

屏風の購入者

 この屏風の購入者は井伊直弼との説もあるが、その禁欲的な性格から見て考えにくく、洗練された美意識をもち、趣味も広かった井伊直亮が購入したとの説が有力である。

 以上は、彦根城博物館内の説明資料、wikipediaを参考に記述。

 

美術品の撮影許可

 この彦根城博物館では、フラッシュを焚かなければ撮影可というのが嬉しい。欧米の美術館では常識だが、日本の美術館や寺院では殆どが撮影禁止である。是非、この世界の常識を広めて欲しい。日本の美術館の常識は世界の非常識である。

 寺院でも仏像の撮影禁止のお寺が多い。仏像は日本のお宝である。寺院の自己都合で撮影禁止にして欲しくない。仏様の意向に反していると思う。

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 なおこの屏風の詳細は、彦根城博物館のHP上で、「彦根屏風」をルーペで拡大して鑑賞することができる。彦根城博物館の配慮に感謝。

「彦根屏風」 http://hikone-castle-museum.jp/collection/331.html

 

文化の恩人

 この屏風は井伊家の持ち物であったが、相続税支払いの関係で彦根から流失寸前であった。スーパーマーケットチェーン平和堂を一代で築き上げた夏原平次郎氏(1919- 2010)が、1997年に12億円を彦根市に寄付して、彦根屏風を彦根市に残す恩恵を授けた。彦根のお宝が守られて、ありがたいこと。感謝。

 

2018-05-18

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2018年5月17日 (木)

恵比須軕の歴史と伝説(4/4)

「えびす」とは

 えびすは日本の神で、現在では七福神の一員として、日本古来の唯一(その他はインドや中国由来)の福の神である。古くから漁業の神でもあり、後に留守神、さらには商いの神ともされた。夷、戎、胡、蛭子、蝦夷、恵比須、恵比寿、恵美須などとも表記し、えびっさんとも呼称される。

 「えびす」という神は複数あり、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。

 

文献上の初出と本地仏

 「えびす」の最初の記録は平安時代末期の『伊呂波字類抄』(三巻本)である。そこには広田神社の末社として10社が列記される中に「夷 毘沙門」「三郎殿 不動明王」の2社があり、夷と三郎はまったく別の神であった。少し時代が下がって鎌倉時代初頭の『諸社禁忌』には「衣毘須 不動」「三郎殿 毘沙門」とあり、両者の本地仏が入れ替わっているが、これはどちらかが単なる誤りなのか、新説として後から修正されたということなのか、もとから両説が併存していたのかはわからない。が、次第に両者が混同されて「夷三郎」という神格ができていく過程が窺われる。この広田神社の末社という2社が統合されたのが現在の西宮神社の前身と考えられている。

 

漁業神

 恵比寿自体が大漁旗の図版として使われるほどポピュラーな漁業神であるが、日本各地の漁村ではイルカやクジラやジンベエザメなどを「えびす」とも呼んで、現在でも漁業神として祀る地域が多数ある。

 

福神

 平安時代末期にはえびすを市場の神(市神)として祀った記録が残っており、鎌倉時代にも鶴岡八幡宮境内で市神としてえびすを祀ったという。このため、中世に商業が発展するにつれ商売繁盛の神としての性格も現れたとされる。同時に福神としても信仰されるようになり、やがて七福神の1柱とされる。福神としてのえびすは、ふくよかな笑顔(えびす顔)で描写されている。

 

他の神との習合

 えびすは記紀に出てこない神であるため、古くから記紀の中に該当する神を探しだす説がいろいろ出てきた。蛭子、事代主神、少名比古那神、火々出見命(山幸彦)等の諸説があるが、えびすを祀る全国の神社では蛭子説と事代主神説が圧倒的に多い。

 

蛭子命

 記紀神話において、蛭子命は3歳になっても足が立たなかったために流し捨てられたとされる。その神話を受け、流された蛭子命はどこかの地に漂着したという信仰が生まれ、蛭子命が海からやってくる姿が海の神であるえびすの姿と一致したため、2神は同一視されるようになった。このえびすを蛭子命と見る説は、室町時代のころに現われたものであり、えびすを夷三郎と呼ぶのは『日本書紀』において3番目に生まれたことによるとされるが、本来は夷と三郎は別々の神だったのが混同されたものである。

 蛭子命の漂着の伝承は各地にあるが、その代表が兵庫県西宮市の西宮神社とされている。西宮神社はえびすという名の神を祀った神社としては現存する記録上で最古であるため、全国のえびす神社の総本宮とされる。

 以上、wikipediaより編集

 

大垣の蛭子神社

 大垣八幡神社の近くにある蛭子神社の「蛭子」とは変な名前だなと思っていたが、今回の恵比寿の歴史を調べていて、記紀神話においての蛭子命であることを知った。大垣の蛭子神社の歴史と由緒を記載した立て看板をみたら、下記の如くその旨が記載されていた。今までこの看板を真剣に見ていなかったので、蛭子と恵比寿の関係には思いつかなかった。あれども見えず、である。今回、恵比寿軕の歴史を調べて出会ったご縁である。大垣まつりも、神話に基づいた恵比寿神を祀って370年の歴史を持つ。身近には歴史が埋まっている。昨年には、この経緯も知らず、この蛭子神社にのぼりを寄進したばかりである。商売繁盛の良きご縁であった。

以下、大垣の蛭子神社の歴史の看板

 

蛭子神社の歴史と由緒の概要

 一. 天正八年(約450年前)人皇第百録第正親町天皇の御宇無二オと云う人西宮神社の御分身(恵比寿大神の御分身)をお迎えして奉斎す。御神徳高く商売繁盛の福の神として参拝者多く社頭殷舞を極めしも何時しか衰退し其の名も世上より忘れられしが昭和二十年七月二十八日の空襲時に罹災御本堂及び諸建造物焼失せり。然るに御神体は奇しくも已に御出ましありて何の異常もなかりしかば氏子総代其の奇端に恐懼し崇拝者相寄り新本殿を造営奉斎し愈々御神徳の御発揚を祈念申し上げ崇敬の誠を致さんとす。

 二. 故に今日に伝わる一部の歴史を今回兵庫県西宮市西宮大社へ持参吉位宮司殿に提出せし処先方も文献と対照の上明らかに県下に唯一の御分身たる事を証明され・御神符・御守・御みくじ等一切を下付されました。

  蛭子神社

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神話と大垣まつり

 私の学校時代は、GHQの指令のせいか、学校で神話のお話は全く聞かなかった。GHQが禁止した。禁止したことさえ私は知らなかった。だから私は「蛭子命」も知らなかった。神話は史実ではないが、その国の建国に関する文化である。神様とは我が国を守ってくれる存在だ。その後継者が天皇である。日本と国民の平和を祈るのが主な仕事である元首は、世界でも天皇陛下以外にいない。世界一長い歴史と平和を愛するすばらしい伝統のあるこの国に誇りを持つように、子供たちを教育すべきだと思う。子供たちがお祭りに参加して、その文化の一端に接することは良いことだと思う。

 日本は、ヨーロッパから勝手に移住して800万人の原住民インディアンを虐殺して建国した自由の国、米国とは違うのだ。自国民の数千万人を虐殺して建国した共産国家とは違うとの誇りを持ちたい。大垣まつりは、日本の歴史を誇りに思わせてくれる。

 

恵比寿様は笑顔の神様

 幸せな笑い顔は、えびす顔といわれる。笑顔が人を幸せにしてくれる。一部の富裕層だけが儲けて笑いが止まらず、世の富の99%も独占するグローバル経済主義では、世界は幸せになれない。

 福沢諭吉は、その著書『学問のすすめ』で「孔子の格言を信じて、ことさら渋い顔つきを示すのは、入口にガイコツをぶら下げ、門前に棺桶を置いているようなものである。これでは誰も近づかなくなる。」と明言を述べている。恵比寿様は、それを諭す笑顔の神様である。

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2018-05-17

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2018年5月16日 (水)

恵比須軕の歴史と伝説(3/4)

恵比須軕の保管

 宮町の軕収納庫には、猩々軕が保管されている。この保管庫は2軕の収納が可能な造りである。船町、伝馬町、岐阜町、宮町の4つの町は、4年ごとに当番が回ってくるので、それを想定した大きさの収納庫となっている。各町は、担当の軕の収納庫を持っている。今日の2018年5月13日の本楽は、雨であったので、宮町では、猩々軕の奉芸の披露をこの軕収納庫内で行った。

 昨年2017年5月15日の朝、何気なく伝馬町を車で走っていたら、お頭の無い恵比須軕が目に飛び込んできた。慌てて車を降りて撮影した。大垣に住んで、初めて見た光景である。聞けば、恵比寿様の御頭は地区の役員の家で大事に保管されているという。

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 昨年2017年5月15日朝 前夜の御頭渡しが終わった後、伝馬町の収納庫前に置かれた恵比寿軕。御頭は地区の役員の家で大事に保管されている。

42p1100475  宮町の収納庫

43p1050103 雨のためテントを張って展示 5月13日

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 2018年5月13日11:27  ちょうど奉芸の披露が終わった後

伝統を守る価値

 今年は、大垣まつりの本楽は雨で中止であったが、恵比須軕を含めて3軕だけは、ビニールを被って、市内を練り歩いたという。370年間、この「大垣祭の軕行事」を継続して守っている各町内の皆さんに頭が下がる。伝説は、地道に愚直に自分達の街の伝統を守ることで、生まれる。奇をてらったことをするわけではない。継続が難しいのだ。大垣の子供たちには良き誇るべき大垣の財産である。

 

後世の記録として

 私は大垣まつりの写真をこの8年間、毎年撮っているが、「お頭渡しの儀」の写真撮影が上手く撮れたのは、今回が初めてである。それでも写真の出来には、反省点が多い。私は公式のカメラマンではないので、制約が多く撮りたい写真が全ては撮れない。それでも市民の眼で伝統を記録に残したいと思う。何事も一朝一夕では成就しない。これから順次、他の12両の軕の詳細報告をします。私はこの行事の記録を文書と写真で後世に残していきたい。

 

2018-05-16

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