文化を破壊する大垣共立銀行
大垣市には、「郭町通り」という70年を超える由緒ある名前があった。国宝であった大垣城があって「郭町」と「郭町通り」が存在する。それを大垣共立銀行は、強欲に自己誇示のため、「OKBストリート(大垣共立銀行通り)」に名前を変えてしまった(2013年)。市民が知らないうちに、裏で金が動いたのやも。あまりの非常識に先代の頭取が草葉の陰で泣いている。
名前「郭町通り」の所有権は?
「郭町通り」という名は、大垣市民の歴史としての財産である。大垣共立銀行が独断で占有できるものではない。名前変更の審議でも地域の住民の意見も封殺して、商店街のひとたちだけで、こそこそと名前を変更してしまった。それで良いものなのか? 大垣市役所は何も指導をしないのが不思議である。それは大垣の歴史文化の破壊行為なのだ。
「郭」とは
「郭(くるわ)」とは城やとりでの、周囲を土や石などで築き巡らしてある囲いを言う。また、その内側の地域を意味する。江戸時代になって「郭」の字もあてるようになった。
山城では背後を削り取り,その土を前面に盛って造成する。単なる屋敷地や畑の段と異なって防御用の平場とするために、壁面を急傾斜の切岸状にしたり、縁辺に土塁を盛り上げたり、外周や尾根続きに空堀を掘って外部から遮断する。近世城郭では天守を備えた中心の郭を本丸、その外側に隣接した城主の館邸が設けられた郭を二の丸、その外側の家臣屋敷などが並ぶ郭を三の丸と呼ぶ。その他の諸郭に西の丸などの方角、あるいは人名を冠した呼称が用いられる。
「郭」は遊郭の意味ではない。周囲を塀や堀で囲ったところから、遊女屋の集まっている地域として「遊郭」という名がある。大垣市の廓町はお城の囲いの意味である。
名前の重たい意味
名前とは、その対象に対して思いを込めて、その成功、成長、幸せを祈って付ける符号である。それなのに、大垣駅前商店街に銀行の名前を付けて、商店街の発展があるはずがない。事実、この5年間、大垣駅前商店街は衰退の一途で、昼間にシャッターを下している店は61%にも達した。
たかが名前、されど名前である。私はテクニカルライティングからの学びで、文書でも人の名でも、建物でも、名前が一番大事だと悟った。それは何事にも通じる真理である。文書の名前を見れば、書いた人の人格と思いが分かる。人の名を見れば、その人の目指す姿が見える。親は、子供に思いを込めて名前を付ける。
それなのに商店街の商売繁盛と発展を祈念して付けるべき名前に、「OKBストリート」では非情識である。銀行屋には、大垣駅前商店街の発展など知ったことではないのだ。大垣共立銀行を知らない人が見たら、横文字でさっぱり意味が分からない。知っている人なら、ついにこの商店街も左前になって銀行支配になったかと思ってしまう。これでは発展などはできない。企業が左前になると、経営が銀行支配になるのは世の常識であるからだ。
名前変更の劇的効果?
2013年12月2日、商店街のアーケド街の名前は、大垣共立銀行の強欲から、「郭町通り」から「OKBストリート」に変えられた。2018年現在、5年経っても大垣駅前商店街の衰退は止まらない。それどころか衰退のスピードが加速している。地元銀行としてもっと別の支援する方法があるだろうと、この寂れた風景を見るたびに思う。「銀行は晴れの日に傘を貸し、雨が降れば、その傘を取り上げる」という通説が頭をよぎる。
2018年3月10日には、「OKBストリート」の中心部に店を構え、街の商売上でも、大垣駅前商店街組合活動でも理事として運営をリードしていた大型衣料店「正札堂」が事業を停止した。負債総額2億円。1952年創業で、岐阜・滋賀県下に13店舗を構え、一時は28億円の売り上げを誇ったお店である。
この5年間だけで、それも郭町だけで、靴店、鞄店、菓子店、煎餅屋、カメラ店、傘店、タクシー、コンビニが消えた。新たに開店したのは、コンビニの跡に持ち帰りすし屋だけである。
さらにトドメの象徴的な事象として、「OKBストリート」の中心に店を構える商店街組合理事長のお店が、今年、廃業に追い込まれた。それでも理事長としての責任は取らない。無責任である。衰退も故あること。
2018年4月28日(土曜日)16:52 大垣駅前商店街の衰退の惨状。土曜日の休日で!
中央の「正札堂」は2018年3月10日に営業停止となった。頭上の「OKBストリート」の看板が虚しい
銀行の横暴
新しい建屋や新設の通りには命名権として、お金を出してスポンサーの名前を付けることがある。それは許される。しかし歴史的に由緒ある名前を、己の金儲けのために、己の銀行の名前にすることは許されまい。商店街の支援をするなら、金だけ出して、己の名は片隅に、寄付者として名前を入れるのが世界の常識である。それが、世界の富裕層が地域の文化を育成してきたやり方である。この自分の名を誇示するやり方はド田舎の成金者の下品さである。
文化・芸術に造詣が深かった大垣共立銀行の先代の頭取なら決してしなかったであろう。これは欧米の拝金主義者・グローバル経済主義者の行為である。でっぷりと太った今の頭取のやり方に疑問を感じる。欧米では肥満体は自分の体さえも管理できないものとして、管理者失格と見なされ出世できない。現代のグローバル経済で競争が激化している現在、世襲の頭取では先が思いやられる。
後ろめたい?
通りの名前が変わった直後、現頭取が郭町商店街の一軒、一軒を訪ねてお礼に回ったという。「よほど嬉しかったようだ」とは担当銀行員の話である。この一軒一軒にお礼に回った行為自体に、私は違和感を覚える。いかに舞い上がってしまったかを感じる。後ろめたさもあったのだろう。世間の常識から見て、まともな行動ではない。会社は公器なのだ。己の自己顕示欲のためにあるのではない。
文化・芸術とは
文化・芸術では飯は食えない。だから昔の貴族や王族は芸術家に支援をして、文化・芸術を育てた。それで金儲けをしようとはしなかった。だから欧州でオーストラリアやフランス、イタリアで芸術の花が開いた。それがルネッサンスである。その支援したスポンサーは、芸術の表に出しゃばることはなかった。陰で芸術家を支えたのだ。それが教養ある金持ちの素養である。
十六銀行を過剰意識
大垣共立銀行は、十六銀行を過剰意識して、本社ビルを「16を超えよ」と17階建てにした。岐阜県のトップ都市銀行として、大人げない行動である。このビルは、経営者として最適な設備投資の意思決定をしなかったことを示す恥さらしな物証である。その無駄な汗を大垣発展・駅前商店街復興に向けて欲しいと思う。
大垣共立の異様なライバル意識
(大垣共立銀行は)岐阜市に本店を構え、県を代表する地銀の十六銀行とは何かと対照性を見せる。例えば、1973年(昭和48年)に大蔵省(当時)の反対を押し切って建設した17階建新本店(建設時は地銀本店として、また東海地方の高層ビルとして最も高いビルであった。なお、この階数は“16(十六)を超える”意味があるとされる)の象徴性など、ライバル意識が強い。このライバル意識は、融資競争における低金利傾向(岐阜金利)の遠因ともされている。
消費者からの評価については、前述のように大垣共立が高い評価を受ける一方、現在の財務指標においては、行員一人当たりの業務純益が大垣共立の593万円に対して十六は975万円、総預貸金利鞘の0.18%に対して0.5%、不良債権比率は4.54%に対して4.19%等、十六がより安定的な優位性を見せる。(数値は2006年3月末決算)(この項、wikipedia 「大垣共立銀行」2018/5/22より)
コップの中の鍔迫り合い
日本経新聞記事「しのぎ削る岐阜2行」(2018年5月18日付)によれば、愛知県の金融経済規模の2割しかない岐阜県で、大垣共立銀行と十六銀行の都市銀行間で過当な覇権争いを繰り返しているという。日本、世界の全体の森としての経済の流れを見ずに、小さな木しか見ずに、金の奪い合い合戦である。まるでコップの中で戦略・戦術を間違えて同士討ちをしているようだ。
「OKBストリート」商店街のど真ん中に位置する三菱UFJ銀行の大垣支店は、大人(たいじん)のように鷹揚としている。まるで大垣共立銀行の小人(ことな)の愚行など眼中にないように。なにせ三菱UFJ銀行の預金量は124兆円、大垣共立銀行は5.5兆円で、その格差は大きい。格が違うのだ。
現在、リニア新幹線の効果で、岐阜も大垣も名古屋駅前の経済圏にストローに吸われるように、客が名古屋駅前に流れ、経済が衰退している。岐阜も大垣も駅前の商店街は閑散としている。大垣共立銀行には、もっと視野を広げて地域経済の発展と日本経済の発展に寄与すべく知恵を絞るべきなのだ。伝統ある商店街の通りの名前を利己的に変えるような思考レベルでは、大垣の発展などあり得ない。大垣共立銀行の発展もないだろう。大垣共立銀行は、大垣の文化を破壊する利己的な売名行為に忙しい。
共立の意味
グローバル経済主義は利己主義なのだ。古来、日本は利他の心で生きてきた。グローバル経済主義教に犯されると、利他の心は消える。大垣経済と大垣駅前商店街の立て直しには、利他と共生の心が必要だ。大垣共立銀行の「共立」の名が泣いている。大垣共立銀行の創業者は、思いを込めて、この名を付けたはずだ。創業者は草葉の陰で泣いている。
2018-05-23
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
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