2018年8月 5日 (日)

私の生前葬50回忌を欠席

 今日、2018年8月5日は私の生前葬50回忌のパーティがあった。私が高校を卒業して、今年が50年目である。50年前、1969年の東京大学安田講堂事件で東大入試が中止になり、その余波で散々な目にあい、もみくちゃにされて大学に滑り込んで、わが純真な青春が葬られた。会社に入り現実に目覚め、会社に人生を支配され、仕事に没頭して、定年を迎えた。そしていつの間にか50年間が過ぎた。

 今振り返ると50年前に夢多き己の青春の亡骸を、自分の手で葬ったのだ。50年前に、純真に夢見た未来のビジョンが、今、どれだけ実現したかを振り返ると忸怩たる思いである。

 同窓会の幹事から連絡があり、今夏、同窓会で卒業50年の祝賀式典と祝賀パーティを開催するとの案内状が届いた。同窓会会長が「最大規模の総会としたい」とあり、一度は出席の回答をしたが、冷静に考えて、アホらしくなって欠席連絡を出した。

 

耳なし芳一の壇ノ浦の怪談

 過去に参加した多くの同窓会を振り返っても、その場の話題は自分の病気自慢、過去の自慢話、親の介護、嫁さん悪口、家庭菜園、孫の話、趣味の話、仲間の死である。話題が後ろ向き、過去の思い出ばかりで、未来への展望の話がなく、創造的でなく、時間の無駄なのだ。

 まるで平家物語の耳なし芳一が語る、壇之浦怪談話である。壇之浦に沈んだ平家の落人が過去の栄華の語る姿である。手を下向きにして「昔は良かった、恨めしや」である。私は、昔の仲間と話をするなら、手は上向けてウェルカム、前向き、未来の話に花を咲かせたい。

 

会社のOB会の怪談話

 会社のOB会の宴会はさらに酷い。会社を離れて数年たっているのに、今だ、当時の上司を「〇〇部長、◇◇専務」と当時の役職でゴマすり如くに呼んでいる人が多い。昔の仲間に、その姿を見ると情けなくなる。その宴会の余興も、趣味の世界が全開なのだ。そんな余興よりも、仲間と語りたいと思うが、幹事が手配をした余興の大騒音で話もままならぬ。

 昔の仲間に「今なにをやっている?」と聞いてもだらけた服装に無精ひげで「別に何もやっていない」と返事をされると寒気がする。その目は死んでいた。昔の上司が、私に卑屈な言葉遣いで話されると不快である。それでOB会に出て後悔をした。今も仕事に燃えている人は、会社OB会などは、出るものではない。私は一回出ただけで、それ以来、参加を止めた。

 

同窓会の無為な計画

 今回の同窓会の計画を見ると、合同同窓会総会、懇親会、同期だけの同窓会の3部構成で、14時から19時までの5時間の行事である。私は昨年、その合同同窓会に駆り出されて実情を見ており、今回の計画を見てアホらしくなり、欠席を決めた。

 昨年は延々と来賓の議員の祝辞、現高校校長の挨拶、現状の進学状況、現と次期の会長の挨拶、現役生徒の校歌の披露が続き、大宴会では聞きたくもないバンドの演奏で、盛沢山(無理だくさん)であった。

 総勢500人の大宴会など、大都会の雑踏の中で孤独を感じる様である。参加者は卒業期が違う見知らぬ卒業生が大多数のため、興ざめである。同窓会に参加するにしても、せめて3時間である。会いたければ個別の人と会食をすればよい。ホテルを儲けさせるためのバンド演奏など不要である。幹事の見識が疑われる。

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価値観の共有

 高校卒業以来50年間も社会で揉まれ、辛酸を舐め自分の価値観が明確になった。今更、己の価値観と異なる人と話を合わせるために、己を殺し、我慢して時間を過ごすのは苦痛である。今は宮仕えの時代ではない。50年前の仲間で、己と価値観を共有できる仲間に出会うのは稀である。だから過去のしがらみで縛られて5時間(前後を入れると7時間)も、価値なき時間を拘束されるのは、拷問に近い。そう思わない人がノー天気で出席する。だから価値観が違うのだ。

 

生前葬90回忌に向けて

 しがらみの同窓会に出ても、今後の人生に新しい付加価値は生まれないと結論付けた。同窓会に出て、聞けるのは同窓会会長の自慢話だけである。今から自分の創造的活動で、価値観を生み出し、新しい世界を作りたい人間には、時間の無駄使いである。その時間を自分の創造活動に向けたい。自分にはまだ、己の生前葬90回忌に向けて、やることが山積みである。

 

2018-08-05  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月 4日 (土)

36度の灼熱地獄で園児を踊らせる「鬼の小川敏市長」

園児に火傷

 

 201884日、午前9時54分から約22分間(予定は30分間)奥の細道むすびの地記念館前で、36度の炎天下の灼熱地獄さながらの「おおがき芭蕉楽市」演台で、みつづかこども園の園児が、大垣市行政命令で、「大垣の歌と踊り」を強制的に踊らせられた。園児たちは顔を赤くし(火傷状態)、疲労でいやいやしながら歌って踊っていた。他の園児たちが踊っていた時、控えていた園児の中に、座り込んでへばっていた園児もいた。しかし、この演技は、先生や親が見ているので園児は拒否もできない。歌ったり飛んだり跳ねたりといやいや演技をして、終わった後、園児たちは汗だくである。誰も倒れなかったのが、不幸中の幸いである。 

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02dsc02208  2018‎年‎8‎月‎4‎日、0‏‎9:54

03dsc02216_2  大人たちはテントの下、園児は炎天下。

04dsc02234  園児は飛んだり跳ねたりと汗だく

04dsc02232  体がだるくていやいやの演技。楽しそうではない。顔が死んでいる

子供の悲鳴

 子供は自分の不調を言語で明快に説明できないので、熱中症の症状に罹っている子もいるはずだ。時間がたてば自然治癒するので、わからないだけである。まかり間違えば7月17日の豊田市の生徒が熱中症で死亡した事故の二の舞になる。

 演技が終わった後、たまたま帰り道で園児の母親と並行して歩いたとき、その母親は、「子供の顔が赤くなって心配をした。予定の30分間よりも早く終わってほっとした」と言っていた。

 

直射日光と輻射熱で火傷状態に

 園児たちは背が低いので、地面からの輻射熱を大人より4倍も多く浴びる。輻射熱のエネルギーは距離の二乗に反比例するからだ。だから園児の体温は大人より1度も高いのは生理学的に証明されている。36度の炎天下で、コンクリートの照り返しのきつい舞台で、大人よりはるかに耐力の弱い園児を踊らせるのは、園児を灼熱地獄に追い込むと同じである。傷害罪にも相当する。熱中症で死亡事故にもなれば確信犯の傷害罪か、過失致死罪である。直前の7月17に豊田市小学校生が熱中症で亡くなる事故があったのに、である。危機管理が全くできていない。これは非人道的な行事である。それが拒否できない小川市長行政命令なら、なおさらのこと。命令した当人の小川市長は現地には来ない。エアコンの効いた涼しい場所で快適に過ごしているのだろう。

 園児の皮膚の耐力は、大人とは桁違いに弱い。この時撮った写真を検証すると園児の顔の多くが、赤くなっているので、かなりの園児が火傷状態になったと推定される。僅か20分間の炎天下の踊りである。園児の体は正直で、赤くなった頬と不機嫌な顔や汗だくの顔がそれを示している。

 汗をかく子はまだましだが、汗腺が未発達だと、熱が体に籠り余計に危険な状態に陥る。再度、写真で確認すると、汗をあまりかいていない子も多い。しかし顔は赤い火傷状態なのだ。

05dsc02219  体調不良でへばった子 

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暑さで不機嫌な子

07dsc02252 疲労困憊の子、汗が流れ落ちる 

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 目が助けてと訴えている

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 火傷で赤くなった頬が痛々しい

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 疲労困憊の子、火傷の頬が痛々しい

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15dsc02267  茫然自失のうつろな目

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17dsc02271  火傷の頬が痛々しい

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 行事が終わってほっと。頬の火傷跡が痛々しい

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 行事が終わって茫然自失状態。完全に火傷状態の頬

 

園児は拒否権なし

 幼稚園・小学校の子供達は体が成長途上のため、体温調節機能が未熟で、気温の上昇に対し、汗をかいて体温を下げる機能が追いつかないことがある。自分の体調の悪さを言葉で大人に伝え難い場合もある。特に園児では、自分の身に起きている状況を言語化できないので、周りの大人の注意が必要だ。子供では降りかかった危機に対して無力なのだ。

 2018年7月17日、愛知県豊田市で、小学校1年生の男児が校外学習の後に教室で倒れ、救急搬送されたが熱中症で死亡した。途中で「疲れた」と訴えていたという。自分では危機状態を正確に大人に訴えることができなかったのだ。

 大垣の「芭蕉楽市」のステージで気温が36度を超えて、大半の園児たちがぐったりして、顔が赤くやけどのようになっている姿が、天の声である。子供の体が悲鳴を上げている。小川敏市長にはその悲鳴が聞こえない。その場には、いないのだ。

 

行政の狂気

 大垣教育委員会の通達で35度以上の生徒の課外行事は中止となっているはずだが、教育委員会と大垣市行政は、この「おおがき芭蕉楽市」は大垣市長肝いりの「大垣市制百年記念行事」の一環なので、見て見ぬふりのようだ。日本中の夏の行事の多くがこの災害と言える猛暑で、中止になっている。それなのに、大垣市は園児を命の危険に晒して、自己満足・予算消化として行事を強行している。

 例年は、8月の元気ハツラツ市も芭蕉楽市も暑さで開催しないが、今年は市長の肝いりで、市制百年記念行事として追加で開催された。災害と言うべき猛暑の中で、本来中止すべき行事を別途追加するなど、大垣市長は狂っているとしか思えない。全ては、小川敏将軍様の御指示である。

 園長先生も先生達も、市の職員なので、大垣市長に人事権生活権生存権を握られている。だから、行政命令で出演依頼が来れば、拒否はできない。可哀そうなのは園児である。園児たちはふらふらになりながら、汗だくで不機嫌な顔で踊っていた。

 親たちは、炎天下を避けるテントの下で、子供が炎天下で踊っているのをビデオ、スマホでのんきに撮影に熱中していて、この子供の置かれた非常事態に気が回っていない。それでも親か! なぜ止めさせないのか?

 行事の進行司会の市職員も、テントの中の涼しい中で、園児たちに歌を強制していた。鬼!

 

関係者の無関心

 某県会議員がこの「芭蕉楽市」に顔を出していたが、園児のステージには近寄らず、一瞥しただけで去っていった。スイカの屋台を見て、別の屋台に行きその業者と「私は〇〇理事と知り合いです」と挨拶を交わして去っていった。アホ!

 大垣財界の有力者である某社長も回ってきたが、園児の演技の時は姿がなかった。そんな気配りしかできなくて、会社が経営できるのか。

 

事後の危機管理

 演技が終わった後、私は園長先生と先生達に「子供の命をなんと考えてるんだ」と怒鳴りつけたが、大垣市から行政命令で出演依頼がくれば拒否できない弱い立場だと思うと気の毒になった。しかし、言うべきことは言うべきとして園長に噛みついた。園長は恐縮して、「貴重なご意見ありがとうございます」で終わりである。次回、不合理で非人道的な小川市長の行政命令が来たら、園児のために抗議・拒否をして欲しいと願うだけだ。

 そのあと、帰宅して地元の元校長先生に相談して、市会議員にその場で電話をして、明日の「元気ハツラツ市」での同様の行事で、その対策に動いてくれるように依頼をした。保守系の市会議員は市長とグルなので頼んでも意味がない。その市会議員は動いてくれるという。

 小川敏市長は、明日の高校同窓会では卒業50年記念総会で、同窓会会長を務めるので、気もそぞろであるようだ。子供の命が、危険に晒されていることなど知ったことではないのだ。

 

2018-08-04  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月 3日 (金)

天上界で聞いた地獄のいい話

 現在、私は境野勝梧先生の「源氏物語に学ぶ人間学」(全6回コース・主催 致知出版社)を受講している。2018年7月31日に第2回目の講座が、京王プラザホテル44階の広間で開催された。休憩時間中に眺めたホテル47階からの新宿高層ビル群の展望は素晴らしかった。酷暑の地上は地獄のようで、47階は別世界の天上界のようであった。天上界のような静かなロビーで酷暑と世間の雑事を忘れ、しばし物思いにふける贅沢をした。東京の雑踏が嘘のようである。

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 7月31日の講義で、境野先生が少し脱線をして地獄の話をされ、それが受講生の皆さんに大うけであったので、少し脚色(?)をしてお伝えしたい。下記の話は、境野先生が老人ホームから講演を依頼され、そこでお話をされた内容である。地獄の解釈は人さまざまである。下記は境野先生の解釈された地獄観である。

 

老人ホームで講話された「地獄のお話」

 地獄とは罪人が行く所である。一生で一度でも嘘を言うと、地獄行きである。それを閻魔さまが審判されるのでごまかせない。だから皆さん、全員が地獄行きだから、安心(?)して欲しい。極楽に行っても、誰もいないからつまらないし、寂しいよ。極楽にいる人は品行方正・くそ真面目で、会話もつまらない。極楽では、楽園に花が咲き、美しい音楽が流れ、フワフワしてすることがなくボケるしかない。話して楽しい人は、全員、地獄に行っている。

 昔の現代医療技術がない時代は、病気になれば針・お灸で患部を治した。だから昔の人が地獄を考えたとき、現世で心の病気が原因で悪事を働いたら、地獄での霊魂の治療には、その魂を針の山、火の山に追い込んで、突き刺し、焼いて治すとの発想になった。どうせ死んでいるから、死なないので安心だ(?)。

 皆さんは全員、地獄行きだが、安心してほしい。閻魔様は地獄に堕ちた人が全員、善人に生まれ変わり、極楽に転生するまで、最後まで地獄に留まって皆さんを見守り続ける。閻魔様の前身は地蔵菩薩様で、天事異動で地獄に転勤になった菩薩様である。そんな情け深い方が閻魔大王様である。閻魔大王様は魂治療地獄病院の院長先生なのだ。だから安心して地獄に逝ってください。(爆笑)

 

老人ホームの住人の幸せ

 この話を老人ホームですると、大絶賛、大爆笑である。施設の皆さんは感激して「こんないい話は初めて聞いた。是非、来年も来て話をして欲しい」と境野先生に懇願されるという。しかし境野先生は、この話を毎年、この老人ホームでしているとか。老人ホームのおじいちゃん、おばあちゃんは惚けており、1年前の話をすっかり忘れてしまい、毎年同じ話をしても大うけである。だから老人ホームの講演は楽で仕方がないという。(大爆笑)

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 境野勝梧先生 2018年7月31日

 

忘却の恩恵

 人は忘れるから良いのであって、苦しい辛い話をいつまでも覚えていれば、この世は地獄である。毎回、嫌なことが鮮明に思い出されては、その度に死んでしまいたいと思ってしまう。あの世の地獄どころではない。生きているからこそ、苦しみがある。生きていることを喜ばなくては、産んでくれた親に申し訳ない。

 歳をとれば仏様の恵みで忘却の能力が高まるのだ。それが幸せなのだ。定年になり諸般の雑事を忘れて、自分の世界に遊ぶのは極楽である。脳の記憶容量は決まっている。新しいことを覚えるには、昔のことは忘れること。それが自然の理である。

 私も最近は加齢のせいか物覚えが悪く、人から借りた金をすぐ忘れる。貸した金は忘れないのだが………。

 

地獄の恩恵

 人は地獄の試練を受けて成長する。痛みのない訓練・修行では成長できない。だから地獄の世界とは、人が、各人の価値観で作り出したものだ。同じ地獄の苦しみも、そこに意味を見出した人が、人生で価値を生み出す。アウシュビッツ収容所や、シベリア抑留で、そこに生きる意味を見出した人だけが、生きて帰れた。そこにその人の人生観が現れる。

 日本刀も真っ赤に燃えた炭の中で焼かれ、冷水につけて焼きを入れる。それで名刀が生まれる。それで硬さと靭性が備わる。何物も、この世に地獄がないと成長しないのだ。それが現世か来世かは関係あるまい。子供を蝶よ花よと甘やかして育てれば、子供は大人になって地獄に堕ちる。甘やかされて育つと人生の靭性がなく、すぐポキッといってしまう。人の成長に地獄は必要だ。

 

子供の地獄

 世の有名芸人には、金に飽かして子供に多大な金を与え、それが子供のためになると思っている愚人もいる。最近の芸人の子供に、不祥事が絶えないのには訳がある。子供が捕まって、母親が警察に怒鳴り込みに行き「うちの子には毎月50万円の小遣いを与えているから、うちの子に限って不良なんかになるわけがない」と。子供は親の無知で地獄に堕ちたのだ。

 

地獄が描く世界観

 地獄とは所詮、人が考え出した世界。そんなのがあるわけがない。すべて己の心が作り出す世界である。だから地獄は千差万別、人の解釈次第、その土地の文化の違いで、様々な地獄が存在する。日本の地獄と西洋の地獄とは違った様相を見せる。

 幸いなことに、日本仏教は輪廻転生の思想が根底にあるので、地獄の話も怖ろしいようで、なぜか救いがある。日本ではどんな極悪非道の人間でも、死んでしまえば仏様である。日本では地獄にも刑期があって終身刑ではないのだ。一説では、500年周期で転生するという。魂の浄化が終わると転生できるという考えに救いがある。

 ところが西洋の地獄は、最後の審判といわれるように、一度地獄に堕ちると、永久に地獄である。西洋の神の審判は絶対なのだ。東洋の仏教思想は寛容があり、どこか救いがある。しかし中国では、死者の墓をも暴いて鞭打つという怨恨の強さがある。思想の違いで、どちらが幸せか、自問されたい。

 日本の地獄は魂の治療所だが、西洋では魂の懲罰所のようだ。地獄を研究するとその国民性がわかる。同じ人間だからと、その深層心理にある地獄観をわきまえないと国際政治で失敗をする。

 

AIとITが奏でる地獄狂騒曲

 近未来は、周りにサイボーグのような人間に取り囲まれ、会話はスマホ経由、用をするにも瞬時にAIで損得勘定が計算され、無駄なことは一切しない生活となる。ご縁も、瞬時に相手や事象の運勢鑑定、人相鑑定、将来の年収推定、人生履歴の鑑定、で付き合うに値する人かどうかを判定されて、失敗のない人だけとしか付き合わない人生が生まれる。

 それでいいの? 付き合ってはいけない人と付き合って、地獄の苦しみを味わい、なるほど付き合ってはダメだと体得する。やってはいけないことをやって痛い目にあって、やってはいけないことを学ぶ。

 縁とは、用があるから付き合うのではない。用を作りに出かけるからご縁が生まれる。それが極楽の始まり。何もない人生は地獄である。「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」の生活は地獄である。だから私は、馬場恵峰先生の考えに共感して、用もないのに用を作るため世間を走り回っている。少なくともボケ防止にはなる。

 

「源氏物語」とのご縁

 馬場恵峰先生が、源氏物語の誕生千年遠忌で、源氏物語に登場する和歌千首を色紙に揮毫された。私はその写真集を出す計画を進めている。試刷版は完成して、最終版の校正中である。その折、境野勝梧先生の「源氏物語に学ぶ人間学」のセミナーを知り、ご縁を感じて参加した。この講座で、この本に色を添えられる話題が得られれば幸いである。下図は馬場恵峰先生の書展での原本の展示である。色紙はすべて違う絵柄である。

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 2012年12月14日撮影

 

2018-08-03  久志能幾研究所 小田泰仙  

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大垣の子供たちの未来は悲惨(5/5)天の声

 「雨が降れば傘をさす(暑くなれば冷房を入れる)。宇宙根源の法則に則って経営をする。正直なほど素直にものを見る。理にあった経営をする。理に合わない経営は、理がある。」これは私が松下幸之助経営塾で学んだ一番大事な要点である。

 経営の神様と言われた松下幸之助翁は言う「人間が一人前になると、自然の法理が見えてくる。それは世の中の春夏秋冬が分かりかけてからだ。経営なんて難しくない。雨が降れば傘をさす。それだけだ。真夏にオーバー着て走ったらどうなるか。冬にランニング一枚で過ごしたらどうなるか。自然と一緒に人間のリズムにも春夏秋冬がある。僕が正直なほど素直にものをみなさい、というのはそれです。目が曇ってたら、真冬にランニング着ることになりかねない。」

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 その昔、この座敷でこういうスタイルで松下幸之助翁は塾生に講義をした。松下幸之助経営塾ではPHP社長の塾長が講話。 2013年5月18日 PHP京都本社にて

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 2013年5月17日 PHP京都本社にて   松下幸之助塾の会場

 その昔、当時の京都財界人が集ってここで会議をしたおり、松下幸之助翁は、写真の下の椅子に腰かけて会議に耳を傾けたという。

文殊菩薩

 経営の神様の松下幸之助翁は、仏様に例えると文殊菩薩様といえる。学歴があるわけでない、知識が豊富にあるわけではない。腕力があるわけではない。生きる智慧の権現といえるのが文殊菩薩である。松下幸之助翁は文殊菩薩の化身ではないか。

 松下幸之助翁の学歴は尋常小学校4年中退である。天の理を観る力があり、世間の声を神の声として、素直な心と目で聴いたから、松下電器を世界的な企業に育てられた。東大卒であったからではない。

 

声なき声、天の声

 小学校の子供達は体が成長途上のため、体温調節機能が未熟で、気温の上昇に対し、汗をかいて体温を下げる機能が追いつかないことがある。自分の体調の悪さを言葉で大人に伝え難しい場合もある。特に小さな子どもの場合、自分の身に起きている状況を言語化しにくいので、周りの大人の注意が必要だ。子供では降りかかった危機に対して無力なのだ。

 2018年7月17日、愛知県豊田市で、小学校1年生の男児が校外学習の後に教室で倒れ、救急搬送されたが熱中症で死亡した。途中で「疲れた」と訴えていたという。自分では危機状態を正確に大人に訴えることができなかったのだ。

 大垣の小学校の教室温度が34度を超えて、子供たちがぐったりしている姿が、天の声である。子供の体が悲鳴を上げている。なぜ小川敏市長にはその悲鳴が聞こえないのか。子供を見殺しにする市長なんか辞めてしまえ。

 

小川敏市長の呪い

 体温調整機能が完成した成人の小川敏大垣市長と大垣市会議員が、エアコンの効いた部屋で仕事をして、その機能が未発達の大垣の子供が酷暑の教室に放置されている。その宇宙根源の声と現実を聴き観るのが大人の役目である。それをできないのを小人(ことな)という。大垣市長や市会議員は、その声を聴く耳を持たぬ。小川敏市長は、己の退任後の4年後(平成36年)にしかエアコンの設備導入を開始しないという呪いをかけた。今、大垣市民は立ち上がらねば、子供の命が危ない。

 大垣駅前商店街でシャッター通り化の衰退が止まらない。「小川敏大垣市長の政策が間違っている」の天の声である。その声に耳をふさぎ、政策を変えず、エアコンを導入しないのは、小川敏市長の呪いである。小川市長が天の声を聴かないのは、聞く耳がないからだ。それを現代経営学でいえば、「経営のPDCAが回す能力がない」。天の理は単純明快である。天は市長を変えよと言っている。耳に痛いことを聞くのが指導者の務めである。それを聞かないのは職務放棄である。

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眉唾の「大垣市未来ビジョン」 

 大垣市は、現在の子供の教育や環境整備は後回しにして、口先だけでその「大垣市未来ビジョン」に「子育て日本一、子育てなら大垣市、が浸透している」と大嘘を書いている。まるで新興宗教のお題目である。

 現実の姿は、エアコン普及率が岐阜県下最低レベルの2.1%である。エアコン導入の開始は6年後である。岐阜市を含め岐阜県の他の主要な7市は100%である。騙されてオウム真理教に入会して、真実を見て後悔すると同じである。大垣市の宣伝に騙されて大垣市に転居したら大変だ。子育て中に、子供が熱中症で死ぬかもしれない。

 今できないことが、千語万語の言葉で語っても、誰も信用しない。それを言うなら、今やるがいい。今できるのに今やらないことは、明日になってもできるわけがない。それを6年後の話しにしたら鬼が笑う。その時は、小川市長は市庁舎にいないので、責任を取らない。

 教育が大事というなら、なぜ、大垣市制百周年記念行事の予算を見直して、一教室だけでもエアコンを導入する予算をねん出しないのか。水饅頭を900万円も食べて、ギネスで浮かれている場合ではない。

 金がないのではない。市長に智慧がないのだ。3人寄れば文殊の知恵というように、市民の智慧を借り、大垣債を発行してお金を作ればよいだけだ。

 

教育冷遇・お笑いの「大垣市未来ビジョン」

 全143ページの「大垣市未来ビジョン 2018~2022」の冊子で、大垣の未来の子供たちに対する教育に対する記述は、第三章の第三節の第5項(最後から2番目)でしかない。要するに教育は冷遇である。

 

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   表紙    これは何処の未来都市かいな? 表紙がお笑いである。2047年(30年後)の大垣市がこうなるわけがない。

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 第二章の基本構想の6項目中で、人づくりは5番にやっと登場で、冷や飯食いの扱いである。あくまで街づくりが前提の「人づくり」で、そこに学校教育の話しは皆無である。

 その学校教育の具体的ビジョンの頁も、全117頁中で(118頁以降は資料編)、やっと最後の最後に近い103頁目に登場するお粗末さで、形式的な文章がお遊びで並ぶだけである。あくまで抽象的な言葉だけで、目標値はお遊びである。

 

お笑いの目標値

 その目標値の冒頭に、「授業がよく分かる子供の比率」の2022年度の目標値を挙げている。それがビジョン? 常識で考えてもお笑いである。次がまたお笑いで、「体力調査結果の合計値」である。それなら学力調査はどうしてくれるのか? 大垣市の小学校にはエアコンがないから学力が他市よりも低いはずである。だから目標値を掲載できないのか。これはビジョンではない、悪夢である。親が学校に期待するのは、体力より学力を重要視する。だから一事が万事で、お笑いの列挙である。

 

トドメの4行

 ビジョンの最後の最後に「教育施設・設備の整備や、育英資金制度の充実等により、ハード・ソフトの両面から、安心して教育を受けられる環境づくりを推進します。主な取り組み:学校施設及び設備の整備、育英資金制度の充実」と4行の記述があるだけ。6年後の「未来」のエアコン設備のことには全く記載がなく、市民を馬鹿にした文章である。なにが安心なのか。

 現在、育英資金制度がないのか。現実にあるではないか。何を充実するのか、そんなことは枝葉末節の話である。エアコン整備の放置をごまかすための記述でしかない。

 

言うだけ番長

 教育のビジョンは、計画の最後に記載があるので、いかに教育・人づくりを重要視していないかの証しである。小川敏市長は、言うだけ番長である。

 「みんなが成長するまち(人づくり)」と未来ビジョンで言いながら、現実は大垣市小学校へのエアコン導入等の環境整備の記述が皆無で、それが2年後の大垣新市庁舎完成の4年後で、今から6年後なのだ。だれが大垣市長の教育重要との宣言を信じるだろうか。

 

慇懃無礼な言い回し

 この文章は修辞的に、「環境づくり」「推進する」と動詞が二重に冗長に使われており、人を馬鹿にした慇懃無礼な言い回しとなっている。なぜ、「環境をつくります」、と断言できないのか。余分の文字が入れば、その分の印刷代に無駄な税金が使われる。

 皆さんも添付の資料を「鑑賞」してください。これで実施されれば、大垣の未来はない。

 

添付ファイル「大垣市未来ビジョン 2018~2022」

基本構想 P20p20-.jpgをダウンロード

学校教育 p104p104-.jpgをダウンロード

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人への設備投資

 人こそが、大垣の未来を創ってくれる。人を雇い、その人に一千万円を払うのは、その人が一千万円の付加価値を創造してくれるからだ。人こそが、ゼロのものを無限大の価値を創造する存在なのだ。その人材に成長する子供たちを大事にしなくては、大垣の未来はない。

子供への教育投資は、大垣未来創造玉手箱というお宝への設備投資なのだ。それをケチる市長に、大垣市の市長の資格はない。

 

経営者の小賢しさ

 世の経営者はみんな、教育は大事だという。私も前の会社でも、役員から耳にタコができるほど聞かされた。しかし、それを実際に実行に移す経営者は皆無に近い。不景気になれば、真っ先に教育予算を削減するのだ。私は中間管理職として、その悲哀を何度も味わってきた。口先だけで教育が大事だといっていた昔の私の会社は、競合会社に吸収合併されて消えた。それが宇宙根源の理である。小川敏氏の運命は如何?

 

2018-08-02  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月 1日 (水)

大垣の子供達の未来は悲惨(4/5)第三の敗戦

将来の子供たちの年収低下

 全米経済研究所(NBER)が2018年5月、暑さが子どもの学習成果に与える影響を分析した研究を発表した。

 学校の教室の温度が0.6度上がると、学習量が1%減り、試験の偏差値が0.032下がった。12歳の時点で、偏差値が1.0高ければ、生涯年収にして7,000ドル(約79万円)分の価値がある。これを16歳に換算すると8,500ドル(約95万円)となる。それが、1°F(華氏=約0.6℃)室温が上がっても、教室にエアコンがあれば、生徒1人あたり212.5ドル(約24,000円)を挽回できる。週末や夏休みの気温の高さは学習成果に無関係で、授業がある登校日の気温の高さだけが、影響していた。

 

茨木市の検証

 平成30年文部科学省調査「施設整備による教育環境向上の効果について」より、大阪府茨木市の小学校の成績を全国と比べると、エアコン導入後2年間は成績が上がっているが、その後は下がってきている。

 茨木市は検証で、エアコン導入など学習環境の整備を進めたことが「小中学校ともに学力の向上がみられている」と結論付けていた。

 岐阜県池田町では、2016年9月に町内の小学校1校でエアコンを導入したら、前年同期に比べて病気で保健室に行く児童が68人から21人と、7割減った。町内の平均最高気温は、2015年9月は27.3度、16年9月は28.9度だった。

 

さらに格差拡大

 暑さの影響は、不利な環境にある生徒がより多く受けていた。同じ気温でも、所得の下位20%の家庭の生徒では、上位20%の家庭の生徒より学力低下が著しく、3倍の影響を受けていた。親が勉強を教える余裕がない、お金をかけて補習を受ける機会がない、学校や家にエアコンがない、等の理由が挙げられている。調査では、エアコンがないと学習の効率が悪くなり、家庭の所得で格差が広がり、ひいては生涯年収にも影響すると結論付けている。

 

以上は「教室のエアコンの有無が、子どもの将来の年収にも影響する?」を要約・再編集

https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/17/school-ac_a_23483652/

 

大垣市小学校だけでの損失試算

 空調基準の26度と現実の大垣市小学校教室の室温34度の差は8度である。つまり大垣市の子供達は、学習量が13%も減り、未来の生涯賃金が31万2千円も下がる。大垣市全小学校の児童総数は7,717人(平成30年)で、エアコン整備までにあと6年以上もかかるので、最低でも、現在の在学小学生だけでも、大垣市全体の生涯賃金では、144億円の得べかりし収入が消える。小川市政を20年間とすると、482億円が消えた。

(144億円=7,717人(全学年)÷6学年×6学年×6年×31.2万円)

 上記のの金額は6年間に限定した試算であるが、この状態が20年も30年も続いているので、今までで膨大な損害が発生している。

 それがエアコンへの設備投資20億円か30億円を前だしすれば、簡単に投資額が回収できる。これは大垣新市庁舎建設よりよほど重要な案件である。大垣新市庁舎建設に凝り固まっている経済音痴の小川敏市長には、この投資計算が分からないようだ。市長としての資格がないと言わざるを得ない。

 

大垣市の第三の敗戦

 教室の暑さ分だけ、勉強量が減り、学習がはかどらない。快適な勉強環境で勉学に勤しんだ子と、劣悪な環境で勉強を強いられた大垣の子供たちが、将来、受験戦争で戦えば、敗戦は濃厚だ。当然、就職にも影響して、将来の収入が下がる。だたでさえ、大垣市民の年収は、全国平均より100万円も低い。子供達の将来は、更に年収が減ると予想される。この全責任は、6年後までエアコンを導入しない決定をした小川敏市長にある。

 敵(他市の子供達)は、快適な環境で勉学に勤しんでいる。その子たちに、将来の受験戦争、就職活動、出世競争で負けるのだ。結果として将来の年収が他市の子供よりも低くなるのだ。太平洋戦争での敗戦、失われた20年のデフレ敗戦、そして30年後に大垣市は、教育敗戦を第三の敗戦として迎えるだろう。戦犯は小川敏氏である。その時に存命なら、その惨状を見ることになる。

 

小学校の先生の証言

 治部れんげ氏の報告書では、小学校の先生は教室の状況を下記に証言している。

 「エアコンがない教室は、朝6時半時点で30℃を超えています。窓を開けて空気を入れ替え、扇風機を回しても、熱い風が入れ替わるだけで、お昼には34℃にまで上がります。校舎の上の階に行くほど、屋上の熱を受けるため、気温は高くなります。子どもは2時間目が終わると暑さでぐったりしています。頭から水道の水をかぶっている子もいます。室内で体調を崩す児童が出てきますから、授業を中断して水分補給をしています。」

「エアコンのない小学校で働く先生の悲鳴 日中は34℃「室内で過ごしていても、子どもが体調を崩す」」より  治部れんげ著 ジャーナリスト、昭和女子大学研究員、東大情報学環客員研究員

https://news.yahoo.co.jp/byline/jiburenge/20180718-00089794/

 

 これは大垣市の小学校の状況も同じであろう。この状況では、子供達は戦えない。子供達の競争相手は、世界の子ども達なのだ。子ども達が勉強できなければ、日本は将来、世界のグローバル経済戦争に負け、貧困国家に落ちぶれるのだ。今の子供達が我々の将来の年金を支えてくれる。大垣市長は、結果として大垣市民の首を絞めていることになる。

 

 少にして学べば壮にして為すこと有り。壮にして学べば老いて衰えず。 老いて学べば死して朽ちず。(第42講 「言志四録その42」 佐藤一斎)

 大垣の子供たちは暑さで学ぶのに障害がある。他市の子供は、暑い中でもエアコンの効いた中で学んでいる。同じ条件なら、他市の子供達は、大垣の子供より多く学んで、その成果として青年期に活躍ができるのだ。今のままでは、大垣の子供たちは、他市の子供に出遅れるのだ。人生のスタートで出遅れれば、良い活躍の場が狭まるのだ。

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  馬場恵峰書 2016年

 

2018-07-27  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

 

2018年7月31日 (火)

大垣の子供たちの未来は悲惨(3/5)火葬場より弱し

危機管理の扱い

 大垣市には危機管理室そのものがない。刈谷市は、危機管理室が上から2番目に位置する重要な部署として設置されている。それに対して大垣市は新市庁舎建設関係の部署は上位に位置して、危機管理に関する部署はずっとズットもっと後で、葬祭場管理の部署よりも後回しに扱われている。だから大垣市は市民の安全・生死に関することへの危機意識が皆無なのだ。

 組織の方向性は、組織図を見れば、組織のトップの考え方からよく見える。そこに、組織の長の思考の深層心理がわかる。大垣市長は、新市庁舎建設が最優先なのだ。市民の命は後回しなのだ。

Photo 大垣市行政機構図

 

大垣市の危機管理のお粗末さ

 だから2017年11月4日の大垣ドローン墜落人身事故を起こしても平気なのだ。大垣市に責任があるのに、責任を業者に押し付けて、ドローンするのだ。室村町・林町アンダーパスが水没しても、危機意識もなく業者任せで、担当者が現地に来ないのだ。毎月の元気ハツラツ市で、子供たちに危険がある設備を放置しているのだ。

 大垣市行政は、大垣駅前商店街が市政の失敗で瀕死状態にいなっても、商店主たちが苦しんでいても、知ったことではないのだ。だから市外の業者が儲かり、地元の商店街が寂れる方策の元気ハツラツ市を続けている。大垣市は行政で決してPDCAを回さない。その事実は、小川市長には経営の基本が理解できず、大垣市経営の能力がないことを意味する。

 

豊田市の対応

 豊田市の小学生が学校の屋外授業に出かけて熱中症で亡くなった。豊田市は、それを受けてエアコン導入時期を前出しすると決めた。それに対して大垣市行政は、そういう情報を得ても無為無策無動で、子供たちのために誰も動いていない。本来、危機管理の担当者が、問題意識を持って動かなければその存在意味がない。その危機意識も危機管理室も大垣市にはないのだ。

 

大阪市長の決断

 小中学校のエアコン設置には、大阪・吉村洋文市長が「四の五の言わずにやれっちゅうの。」と英断をした。大阪市では、橋下僕の時代で、市内全小中430校の普通教室にクーラー設置した。要は予算付けの優先順位の問題である。一票をもたない子供を優先できるかである。予算をつける市長や議員、職員はクーラーの効いた部屋で仕事してる、とその吉村洋文市長ツイッターで広言している。それに対して、市民の声は「子供を大切にしない国に先は無いよ…」と称賛の声である。問答無用、即、導入をした大阪市長の決断が素晴らしい。

 

大垣市長の優柔不断

 それに対して、小川市長は議会の質問に対して「検討します」の一点張りで、うにゃむにゃの回答に終始した。結局、大垣市長は平成30年度のエアコン予算を却下した。その実施計画の開始は6年後である。

 気象庁は、今年の酷暑を「命の危険がある暑さ」だと警告をだした。大垣市長や市議会議員、市の職員はエアコン完備の部屋で執務している。子供たちのことを考える気さえもない。小川敏市長は、新市庁舎建設で頭がいっぱいで、子供達には気が回らない。

 市会議員達も一蓮托生で結託してエアコン導入の案件を無視している。その動議さえ議論に上がらない。岡田まさあき議員の一般質問に誰も賛同しない。子供は選挙権がないから、市会議員も無視するのだ。市会議員は地域の利権代表なのだ。エアコン導入では美味しいものがないのだ。大垣市議会議員は、公益を考えず動いている。それだけ大垣市は封建時代の意識のままなのだ。

 

リーダの責任

 リーダの仕事で一番大きな仕事は決断である。リーダには決断したことだけでなく、決断をしなかったことにも責任を問われる。

 

状況の変化

 この50年で日本の温度の上昇は顕著である。「昔はエアコンなどなかった」という精神論ではダメなのだ。環境と状況が変わったのだ。

 気象庁が2018年6月に公表した「ヒートアイランド監視報告2017」によると、過去100年間で日本の気温は着実に上がり、東京の年間平均気温は3.2度上昇したとある。

 精神論をぶつ輩が高度経済成長で、治水・治山を疎かにして、森を削り、山をハゲタカにして、河川の整備を疎かにして、都市をコンクリートで埋めて、地球をめちゃめちゃにした結果なのだ。都市はヒートアイランド現象で、熱くなったのだ。

 小川市長に必要なのは、市長の座への執着愛ではなく、現実を見る眼と子供たちへの愛なのだ。

4img_6420   馬場恵峰書

2018-07-31  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月30日 (月)

大垣の子供たちの未来は悲惨(2/5)不動明王

不動明王の教え

 現在、松本明慶先生は、最大規模の不動明王坐像を造仏中である。その完成時期が東京オリンピックの影響で、遅延しそうである。造仏を依頼されたお寺さんが不動明王坐像を納めるお堂を新築しようとしたら、東京オリンピック関連建設の影響で、設資材が高騰して、予定の建設費よりも5割増しの金額になるからだ。それが数億円規模の増加なので、とても檀家さんに寄進をお願いできず、その延期を検討されている。

 

岐建の疑惑

 大垣市は、東京オリンピックで資材が高騰することが分かっていて、125億円の大垣新市庁舎の建設を強引に進めている。その建設時期を少し延期するだけで、小学校のエアコン設置費の数十億円は軽く浮くはずだ。それは松本明慶大仏師の不動明王の造仏が教えてくれた。

 大垣市長は、「新市庁舎の建設費は、東京オリンピックの影響なしに建設できる」と言っているが、経済学の常識として、資材価格が上がるのだから建設原価が上がるのは必然である。どこかで手を抜かないと、建設会社が左前になってしてしまう。大垣市長の常識は、世間の非常識である。

 だから同時期に岐建が請け負った彦根市役所の耐震補強工事は、2018年1月に手抜き不正が露見して、彦根副市長が辞任に追い込まれた。その疑惑に満ちた岐建が大垣新市庁舎を建設している。会社の利益確保の経営上で、手抜きをしないほうが、おかしいと思うのが常識である。

 

お祭りで無駄遣い

 小川市政は、財政健全化と謳いながら、大垣市制100周年記念行事では痴呆的な行事に3億円余も散財している。その使途不明金の疑惑が山積である。なにせ、自分達で「使用用途は非公開」との条令を作って大威張りである。だから、子供達の命に影響するエアコン設置には、頭が回らない、回す気もない。行政の使命を忘れた役人の存在は罪悪である。子供の未来を考えない官吏は、この世に不要である。それが天の定めである。

 

トヨタの考え方

 トヨタ生産方式を作ったトヨタ自動車元副社長の大野耐一氏は「悪いことに使うのは別だが、良いことへの投資なら、お金は何とでもなる」として、トヨタ自動車の省人化の設備投資には金をつぎ込んで、三河のトヨタを世界のトヨタにした「人で生産性を上げてはならぬ。機械で生産性を上げよ」の思想である。

 大垣市長は、旧日本軍の精神論で「エアコンなしで学習の効果を上げよ」とぶち上げている。大垣の恥である。敵(他市の子供達)は、快適な環境で勉学に励んでいる。今日でも遅いのに、それが6年後にエアコン設置の工事が開始なんて、正気の沙汰ではない。小川市長は狂っている。「命の危険がある」と気象庁が警告した極暑の環境下で、子供達の命を危険に晒して、何が「子育て日本一」なのか。

 

大垣債

 金がないなら、「小学校エアコン設備の大垣債」を発行して金を作ればよい。後から返済すればよいだけだ。予算があるないの話しではなく、大垣市長の決断があるかないかだけの問題である。これは子供達の命に影響する緊急事態である。

 

不動明王への祈願

 不動明王とは、拝む人の煩悩を右手に持った剣で断ち切り、迷える衆生を左手の羂索で救い上げてくれる佛様である。その顔は怒りに満ちた形相だが、目は慈しみのまなざしで拝む人を包んでいる。怒りで自分を叱ってくれる佛様である。だから世にはお不動さん信仰が絶えない。

 不動明王は、大日如来の化身である。大日如来を社長とすると、不動明王は、その社長代行とも言える存在である。その身体は醜い青黒い色で表現される像容が多い。これはどぶ泥の色ともいわれ、煩悩の泥の中において衆生を済度される。頭には蓮の華の座をいただき、髪は中国の様式で辮髪である。背に迦楼羅焔を背負い、貪・瞋・癡を許さんとする憤怒の相で、岩を組み合わせた瑟瑟座に座して「一切の人々を救うまではここを動かじ」と決意する姿が一般的である。

 

今川順夫会長と不動明王のご縁

 丸順の今川順夫会長は、大垣市南頬町で工場を建設していた昭和32年の冬のある夜、枕もとの立った仏様の導きで、谷汲山華厳寺の滝のそばに立っておられたお不動さんとご縁ができた。今川氏は、そのお不動さんのためにお社を建てるという功徳をされた。その時、和尚さんの話で、お不動さんがお礼として願い事をかなえてあげるという。それで今川氏は、創業間もない頃で、「会社の発展と社員の幸せを」を祈願されたという。その後、丸順は関連会社を含めて4000人の会社に成長した。これは今川順夫著『私の手がつづる 事業独立 創操の記録』(岐阜新聞社刊)に述べられた記録である。

Photo 岐阜新聞社刊 2012年

祈るとは、人生の品質管理活動

 今川氏は創業以来、毎日、欠かさず神棚・仏壇に手を合わせておられる。手を合わせて祈るとは、毎日、自分の日々の行いを反省し、冷静に自分と対峙して、目標を神仏に誓い、その進捗状況を報告するということだ。自分で決めた目標に、自分で自分に鞭打って励む、である。つまり神仏を社長として、自分株式会社でPDCAを回しているといえる。これは人生の品質管理活動である。だから、神仏にお祈りする人は成功する。

 

佛様が治してくれる

 三好眼科の三好輝行先生は、松本明慶仏像彫刻美術館福山分室に、大きな不動明王を鎮座させている。不動明王は、迷える衆生を救う仏様である。現在、三好先生は、世界歴代2位の白内障手術数の実績を積み上げておられる。三好先生が手術後に患者にかける言葉が「手術は大成功です。後は佛様が治してくれます」である。私は手術室で先生の手術を見学したおりに、この言葉を聞いて感激した。これも佛様からの恩恵であろう。私が三好先生とご縁ができたことによるご縁である。

2p1020368 不動明王座像 松本明慶大仏師作 三好輝行先生蔵(福山市 三好眼科)

 

小川市長の煩悩

 無力な大垣市民は、小川敏市長の迷える煩悩が、不動明王の宝剣で断ち切られることを願うしかない。何を血迷って、小川市長は、大垣市長の激務の座に20年間もしがみつくつもりなのか。第三者から見れば、小川市長は、貪・瞋・癡で狂って命を削っているとしか思えない。小川市長が信仰心に厚いとは思えない。小川市長に神仏に手を合わせるという心があれば、護国神社前での水まんじゅうギネス狂宴などはできまい。

 その弊害で、大垣市役所が「怠」や「平目」の舞う瘤隅場(りゅうぐうじょう)として、利権の渦が巻いている。だから大垣は、衰退した。その恥が大垣駅前商店街のシャッター通り化として顕在化している。天網恢恢疎にして漏らさず、である。いくら小川敏大垣市長が長期政権の権勢を誇っても、大日如来の遣わす不動明王が、宝剣で玉手箱を叩き壊せば、煙となって消える運命である。せめて子供たちを巻き添えにしないで欲しい。

 

2018-07-30  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年7月29日 (日)

大垣の子供たちの未来は悲惨(1/5)寓話

大垣に住むのを止めよう。子供の為に。子供の命に危険あり。

大垣の子供の未来の収入は、他市よりも低いと予想される。

 

「大垣丸フェリー」の迷走

 大垣の子供達を熱気のこもる暑い船底に押し込めた頭でっかちの「大垣丸フェリー」は、名古屋駅前のリニア新幹線景気からは無縁で、市街地活性化政策の失敗で地価は下落、百年お祭りへの乱痴気騒ぎで財政放漫化、安全無視でドローン墜落人身事故を起こし、治水放置で自然災害の直撃を受けて、信用の失墜・沈没寸前である。

 「大垣丸」フェリーの甲板上では、小川敏船長以下が市会議員たち・大垣財界陣と100年祭の宴でどんちゃん騒ぎ、水饅頭を食べ放題、市民税を使途用途非公開で使い放題。甚大被害扱いの暴暑災害なのに、船底船室の子供たちはエアコンなしの室温34度の船底に放置され、ぐったり。

 その7月17日の暑い中、大垣市長は、エアコンの効いた東京ドームでの都市対抗野球始球式のため芭蕉姿に扮して大垣市を脱出した。なぜ一企業の宣伝のために東京に出張が必要か。税金である。

 子供相手では票にならないから、市会議員達は声を上げず、手を出さない。大垣市の広報を担当する地元地方紙も、忖度で忙しく何も報道しない。小川敏船長は、「安全ですから、船底の教室から動かないでください。現在検討中です」と議会でアナウンスするだけ。

 大垣市の小学校のエアコン設置のスタートは6年後である。冷暖房完備の125億円の豪華大垣新市庁舎は2年後の完成に向けて計画通り進行中。

 小川敏大垣市長は、韓国のフェリー「セウォル号」沈没事故で対処した(放置した)朴槿恵大統領(当時)・高校生を見殺しにして逃げた船長と何が違うのか。

 

大垣市の対応

 今月、「保育園・幼稚園・認定こども園・幼稚園・小学校・中学校のエアコン及び洋式便器の設置100%を実現する会」から、署名のお願い書が2回も回ってきた。2018年6月3日の大垣市議会一般質問で岡田まさあき市会議員が、大垣市の小学校エアコン普及率の低さを追及していた。しかし小川市長は、蛙の面に水のように、のらりくらりと「検討します」と答弁して逃げまくっていた。平成30年度大垣市予算でも、6月13日の文部科学省の補助金申請期限までに、大垣市はエアコン補助金の申請をしなかった。今年度のエアコン導入の目は消えた。しかし小川敏市政は、市制百周年記念行事では大盤振る舞いである。

 

大垣市の惨状

 大垣市の小学校のエアコン普及率は、2.1%で県下最低水準である。その整備のスタートは6年後の平成36年である。今の市政ではそれさえ眉唾ものである。今後、夏の気温の上昇は、年々ひどくなると予想され、気象庁は「命の危険がある暑さ」とまで警告をだした。それに対して、大垣市は危機意識もなく、無為無策である。大垣市は「子育て日本一を目指す」、「子育てなら大垣市」との大嘘を公言している。大垣の水まんじゅうはうまいが、大垣市は子育てがまずい。

 市民に残された手は、市長リコールしかない。子供の命を守れ。

 

資料  岐阜県の空調(冷房)設備状況

 小学校          21市

 岐阜市   100%

 各務原市  100%

 関市    100%

 可児市   100%

 瑞穂市   100%

 海津市   100% 

 本巣市   100%

 美濃加茂市 98.6%

 羽島市   65.8%

 土岐市   19.2% 

 郡上市   8.2%

 山県市   2.9%

 大垣市  2.1%

 恵那市   1.5%

 高山市   0.4%

 多治見市  0%

 中津川市  0%

 下呂市   0%

 瑞浪市   0%

 飛騨市   0%

 ※飛騨地区は暖房を重点に置いている。 H29年4月1日現在

「保育園・幼稚園・認定こども園・幼稚園・小学校・中学校のエアコン及び洋式便器の設置100%を実現する会」の資料より

 

2018-07-27  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月28日 (土)

0.2歩先を観て、半歩遅れて歩く

 2018年7月26日、近所のピアノの先生の勧めで、本巣市宗慶の「美術の森」で開催されている「神山恵子水墨画展」(7月21日~8月5日)を鑑賞した。犬も歩けば棒にあたる。棒こそがご縁である。縁が向こうから来るのではない、歩いて縁を作りにいくのだ。

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 右端の床の間の水墨画「心躍る忠太郎太鼓」は国際文化ガバレッジ賞を受賞

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芸術の創造に接する幸せ

 この展示会では、神山恵子さんが日本の風景を実際見て感じて写生して水墨で描いた作品30点余が展示されている。神山恵子さんは自称、年金生活の主婦として、水墨画に取り組んでおられる。世には取り組みたくても、生活上で出来ない人がいる。夫の理解のない人がいる。健康でないと取り組めない。才能がないと取り組めない。水墨画等の芸術の創作活動に取り組めるのは幸せなのだ。

 この種の趣味はほとんど持ち出しである。夫の援助がないとやっていけない。聞けば1枚の絵の制作に3日から1週間ほどかかるという。専用のアトリエでなく、台所の片隅で作品を仕上げる。そのほうが落ち着くとか。このような個展を開くには、その額縁の準備が大変だという。その資金も大変だ。それで販売価格から計算すると、額代にかなりの部分が消えてしまう。

 神山恵子さんは、二人の師について水墨画を始めて10年で、展覧会で多く入選するほどの力量となられた。これは才能だと思う。芸術の世界はいくら努力をしても、超えられない壁がある。私も還暦を過ぎてからピアノを始めて、超えられない高い壁を感じるこの頃だ。

 師が変わって、作風が変わっていく部分の変わらない部分があるという。指導しても変わらないところは、師も諦めて、それが神山さんの個性だとされている。どんな道でも師の影響は大きい。

 

神山恵子さんの略歴

 2001年  50代後半、岐阜水墨画画人会展を見て心揺さぶられ、水墨画家柴山蒼月師に師事する

 2014年 「水墨画」誌上で9点が佳作入選

 2014年 荒井克典師に師事

 2015年 第20回全国公募総合水墨画展 優秀賞

 2016年 第33回墨神会全国公募展 横浜市教育委員会賞

 2017年 第34回 同上      国際文化ガバレッジ賞

 

庵」一枚購入

 この展覧会を見て一枚の水墨画を購入した。その水墨画は、背景の樹木や葉っぱのぼかしが素晴らしく、庵の風情が際立っている。水墨画の特徴がよく出た作品である。ご縁を感じて、この絵の購入を決めた。

 水墨画の粋は、焦点の明確化とその他のものを消すことにある。描かないから、焦点を合わせた対象が浮かび上がってくる。写真の如く描き過ぎてしまうと、焦点がぼけてしまう。その兼ね合いが難しい。他の作品で、あまりにリアルに描きすぎて、焦点がぼけてしまった作品もあった。

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即身成仏

 こんな静寂な林の中の庵で、世俗の煩わしさを絶ち、食を絶って即身成仏になることを夢見るのも人生の一コマである。人の最終目標は仏になること。餓死は眠るが如く逝けるという。飽食では、病魔に襲われて苦しんでの成仏となる。

 極東戦争裁判で、唯一の文官で死刑になった廣田弘毅元首相の母は、死期が迫っているとき、オランダに駐在している息子の弘毅に一目会いたいと願うが、息子が帰国できないと分かると、自ら食を絶って眠るように亡くなったという。それが廣田弘毅のその後の生き方に影を落としたようだ。母は生きたのであって、生き永らえたのではない。強烈な生への表れである。意味もなく生き永らえたくないとの意思表示である。生きる以上は己の意思で生を全うしたい。

 

現代の生死

 人は裸で生まれて、裸で死んでいく。死ぬときは一人である。ほんの百年ほど前は、そういう生活が当たり前であった。今の世は、贅沢すぎるのだ。ありがたいことだとも、感じなくなるほど贅沢なのだ。飽食の挙句、病魔に侵されベッドに縛り付けられ、管を何本も体に入れられ、死なないように生かされている。贅沢から地獄への転落である。本人は不幸、家族は地獄、医療関係者だけが儲かる。国民は健康保険費高騰で不幸。何かおかしい。私の母が脳梗塞で倒れた時、約4か月間、意識なくベッドに横たわっていた。家族には地獄である。母の使われない筋肉が弛緩して、意識が戻っても、とても立ち上がれまいと分かる状態に体が衰退していた。

 

この世の地獄と光

 母は現代医療の限界を見せてくれた。母を見舞って、街にでると、何故自分達だけが地獄の苦しみを味わうのかとの思いに襲われた。地獄はあの世にはない、この世にあるのだ。それを作り出しているのは、我々の生きざまなのだ。それをお釈迦様は生老病死として、誰も避けられない苦しみとして教えられた。現代は血迷った狂人が、死刑になりたいと無関係の人を殺める事件が頻発する。地獄の様だ。

 地獄との出会いもご縁である。だから平穏無事な日々が、いかに極楽に近いかを悟らせてくれる。それでこの絵で何か引き付けられるものを感じて、購入を決めた。良い額も使用している。お買い得であると思う。絵との出会いもご縁である。いくら良い絵でも、その時の自分の心が共鳴しないと、手が出せない。お金の問題ではない。

 

名画とは

 私の名画の定義は、人目が無ければ盗んで自宅に飾りたくなる気持ちを起こさせるのが名画である。私は世界の美術館の70館ほどを訪問したが、海外の美術館では、残念ながら、私の定義の「名画」にはお目にかかれなかった。幸いなことに、そのため盗む機会がなく、逮捕されなかった(?)。いくらうん億円の絵でも、その美術館ご自慢の名画でも、盗んで自宅の「ウサギ小屋」に飾るには、大きすぎ、仰々し過ぎ、ゴテゴテし過ぎている。特に昔の名画は暗い作品が多く自宅に飾りたいとは思わない。そういう点で、水墨画は、欧米の油絵とは別世界の産物で、精神的な香りがする手ごろな作品である。

 

時代の波に翻弄される愚かさ

 今日2018年7月26日、オウム真理教の死刑囚6名が刑を執行された。彼らは最先端の新興宗教の大波に乗り、溺れたのだ。生きるとは何かを、自分の頭で考えず、現世の苦しみから逃れるため、現世から隔絶した教祖の教えに盲従した。

 我々は彼らを批判できない。「グローバル経済真理教株式会社」で、品質偽装、産地偽装、会計偽装、過労死職場を社長に命令されている幹部とオウム真理教の信徒と何が違うのか。上司から指示されたら、宮仕えの身で逆らえるのか。逆らって解雇されたら家族が路頭に迷う。そういう立場になったら私も拒否できるかは自信がない。オウム真理教信徒と同じ過程で、東電、タカタ、三菱自動車、東芝、電通のように、人の命を殺める不祥事が頻発している。すべては利他少欲を忘れて餓鬼道の堕ちた衆生の末路である。集めるほど、茂るほど、人は本質から遠ざかっていく。葉っぱが茂り過ぎた状態を鬱という。「足るを知る」を忘れたのだ。

 

人より0.2歩先を観て、半歩遅れて歩く

 人はなぜ絵を描くのか。人はなぜ音楽を奏でるのか。なぜ彫刻をし、文学を作り、エッセイを書くのか。己の内なる世界から湧き出してくるものを、何かに形として表現をしたいと思うのは自然であろう。

 ゴッホも金儲けの目的で絵を描いていたのではあるまい。天才であるが故、時代よりも1歩を先走り過ぎていた。それで世間から狂人と呼ばれて、貧困のうちに死んだ。天才の芸術家の多くが、不遇のうちに死んでいる。その芸術家の死後に時代が、その芸術家の思想にやっと追いついて評価されるのだ。

 天才は世の中より1歩先を行き、狂人といわれる。偉人は半歩先を歩き、事業で成功する。凡人の私は、半歩も先を行くのは難しいので、人より0.2歩先を観るように心がけている。半歩先を見るのは至難の業だが、0.2歩先なら、勉強すれば見ることは可能だ。0.2歩でも先は先である。

 しかし歩くのは半歩後でよい。自分で考えず、人と同じように世間に引っ張られて歩くのでは、社会の波に翻弄され、挙句に溺れて沈没する。その流行が正しいかどうか確認してから、世間から半歩遅れて歩いても、何の支障もない。私はスマホもやらず、フェースブックもやらず、LINEもやらず、グルメにも走らず、テレビも見ず、本に囲まれて生活をしている。しかし情報収集とご縁の獲得にはお金をかけている。

 

2018-07-28  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年7月27日 (金)

磨墨智572. なぜ?なぜ?と5回言おう

トヨタ生産方式

 トヨタでは問題が起きれば、何故?なぜ?を5回繰り返して真因を探る。その場しのぎの対処療法からは真の解決はない。現状肯定からは創造はない。問題点の真因を見つけないと、時間は作れない。なぜ5回なの? 何回でも「なぜ?」と言おう。そこから時間創出のアイデアが出てくる。

 私の高血圧症、網膜静脈閉塞症も、「何故?なぜ?」で解決した。真島消化器クリニックの真島康雄院長は、バラの栽培を通して、人も自然の一部だと悟り、何故なぜを何回も繰り返して、高血圧の真因を突き止めた。

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Toyota_way

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 昔は話題にならなかった認知症がなぜ増えたのか。今日2018年7月27日の日経に「某薬品メーカで認知症薬に進展」との記事があった。現在65歳以上は15%が認知症である。後追いの対処療法の薬の宣伝ばかりで、なぜ認知症が増えたかの原因追求がないのか。なぜ、なぜ? 

 昔はガンでの死亡者数がそんなに多くなかったのに、何故、現在、男性の60%がガン死まで増加したのか。医療が発達して、ガン治療は進んでいるのに、何故ガンにならない研究が進まないのか。なぜ、なぜ? 1990年は401,941人、2010年は805,236人のガン罹患者数の推移である(国立がん研究センターがん情報サービスより)。なぜ20年でがん患者が2倍に増えるのか。なぜそれを誰も追求しないのか。なぜ、なぜ?

 なぜ、大垣市の小学校のエアコン設置が県下最低の2.1%で、何故その整備が6年後なのか。気象庁から「命の危険ある」と宣言された殺人的暑さが続く緊急事態なのに。

 なぜ大垣市制百年行事で使う3億円余の一部を小学校エアコン投資に回せないのか? 子供の命より、大垣市長の椅子が大事なのか。それでいて、なぜ大垣市は「子育て日本一を目指す」などとホザくのか。

 なぜ大垣市政100年記念行事の会計報告がマル秘なのか。なぜ市民税を使う公金なのに市民に公開できないのか? 公開すると使途不明金が露見するから? なぜ、何故?

 このオリンピックで建設資材が高騰している中、なぜ不急の新市庁舎は、遅延もなく驀進しているのか。なぜ、なぜ?

 

 真因を突き止めず、対処療養で済ませるから、無駄な金と無駄な時間が浪費される。素直な眼で物事を観れば、真因が浮かび上がる。

 

2018-07-27  久志能幾研究所 小田泰仙  

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