2018年8月15日 (水)

大村智博士講演「私の半生記」(1/6)

 2018年8月7日、大垣市のソフトピアジャパンにて大村智先生の講演会が開催された。約400人弱の聴衆が聞き入った。招待された生徒・学生も約100名が熱心に聴講した。

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大村博士の「生きる心得」

 大村智先生は、講演の最後に先生の「生きる心得」を公開された。その心得の中心に趣味を位置づけた。それを生かすためには、健康であらねばならぬ、それを通じて社会貢献(研究開発)をしたい、趣味こそ一期一会で得られるご縁である。つまり健康管理・一期一会・研究推進の3つのバランスの中で生きるが、大村先生の生きる心得であるという。

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 大村先生の生きる心得を考えると、私は、その中心を「好続」としたい。それに取り組んで、「好きで一生続けられるもの」である。それは仕事でも研究でも、芸術でも何でもよい。大村先生はそれを趣味と名付けた。私は趣味では、軽い気がして、すこし抵抗がある。それを想うと、福沢諭吉翁の「世の中で一番」という言葉に通じる。やはり日本人には、生きるとは仕事をすることと思う。よく聴けば、大村先生の趣味は研究のようである。

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 馬場恵峰書

 

ワクチンで世界に貢献

 アフリカを中心に世界36か国で、オンコセルカ症が蔓延し、世界で1億2千万人を超える人たちが感染の危機にさらされている。1987年当時、その病気での失明患者は77万人も達していた。アフリカでは、この病気で一家に一人くらいの失明者がいて、アフリカが貧困から抜け出せない一因となっていた。それが、大村博士が開発したワクチン・イベルメクチンで劇的にオンコセルカ症を撲滅できた。

 大村博士が開発したイベルメクチンは、米メルクと北里研究所からの無償提供により、年間2億3千万人に投与されている。これまでの総合計額では4千億円と概算されている。ワクチンは無償だが、ビルゲイツが、ワクチンの配布の費用を支援した。それでビルゲイツとご縁ができたという。人への投与は無償でしたが、家畜へのワクチン販売で稼いだ。この功績で大村博士はノーベル賞が授与された。

 

特許契約で経営者の才覚を発揮

 米メルク社から、大村博士が開発したイベルメクチンの特許全ての権利を3億円で買い取るという提案がされた。北里研究所の担当理事も3億円をもらうべきと意見であった。3億円あれば、先生の定年までの研究費はすべて賄える。しかし大村博士は強固に反対し、売り上げに応じた特許料支払いの契約にされた。結果として当初の提示された3億円が、20年間で200億円の特許料収入となり、北里病院の建設等で多大の成果が上がった。特許収入で研究をする学者は多いが、病院まで建てた学者は、大村先生くらいだという。

 敵もさるもの。欧米の企業は、すぐ相手の足元を見て騙そうとする。騙されるほうが馬鹿なのだ。そうとは先生は言わなかったが、これは私の意見です。さすが智慧のある先生である。

 オンコセルカ症に対する開発ワクチン・イベルメクチンは、20年間、メルク社の売り上げ1位の商品になった。今までの売上総額が3兆円を超え、その特許収入が200億円を超えている。

 

2018-08-15  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月14日 (火)

狭き薄氷の道を走る

人生道を走るとは、左の地獄谷、右の炎の地獄、陰に鬼が潜む魑魅魍魎の狭き道を、白氷を踏むが如く我慢して慎重に走る修行である。

 

堤防上道路の死亡事故

 2018年8月10日、運転者講習センターで自動車免許更新を受けた。その安全運転講話の中で、堤防上道路の走行を避けよとの注意があった。

 岐阜県全体では死亡事故が減っているのに、岐阜三大河川の堤防上の道路での死亡事故が増えている。それは正面衝突事故での死亡事故だ。堤防上の道路のため、左側は堤防下の断崖、右側はセンタラインだけの区切り。対向車線の車も左側は堤防下の断崖で同じ状況である。ハンドル操作を少し間違えれば、センタラインを超えて、対向車線の車と正面衝突か崖下に転落である。それは即死亡事故につながる。だから警察は、堤防上道路のスピード違反取締、白バイの巡回等で、取り締まりを強化している。知人に聞いても、白バイが頻繁に目に付くとか。

 

人生道での暴走

 それは人生道でも同じ。金儲けや欲望に身を任せて暴走すると、地獄が口を開けて待っている。少し誘惑に負けて道を誤ると、地獄に真っ逆さま。中央の白氷の道を滑らず、焦らず、人の矩を守り慎重に進め、である。

 

認知症患者と遭遇

 私が白いカッターシャツ姿で運転者更新センターに行ったため、待合室で待っていた初老の人から事務職員と間違えられて質問を受けた。曰く「私には免許証が二枚あるが、どうしたらよいか?」。

 それをよくよく見たら、5年前に失効して2つの穴が開けられた旧の免許証であった。その人はその認識ができなかった。なおかつ、その人は70歳以上で9時半からの受付である。それが8時に待合室に来て待っていた。どう見ても、認知症の疑いがある。そんな危ない人が運転している時代である。

 認知症患者が、高速道路での逆走、堤防上道路のハンドル操作ミスで、正面衝突してくる時代である。そういう危ない危険性のある道は、避けるのが安全運転での基本である。

 

老いの落胆

 私は講習を聞いて泣けた。70歳以上の免許更新者は、運転免許更新センターに来る前に、自動車学校で3時間の講習・実車講習、認知症試験が必要と法律が改正された。今回、私は優良運転手で、30分間の講習だけで、運転免許が更新できた。しかし私も5年後の免許更新では、いくら無事故無違反でも、自動車学校で講習と認知症試験を受けねばならぬ。

 現在92歳の馬場恵峰先生は、95歳まで運転免許が保証されたとかで、呆れるばかりの元気さである。それにあやかって、私も頑張ろうと思う。励みになる師を持つことは良いことだ。

 

危険性の検証走行

 私もほんの20年ほど前までは、三河から大垣の実家に帰る時、桑名と大垣間を通行するのに、この堤防上の道路を頻繁に走っていた。内緒の話だが、当然スピード超過での走行である。30キロほどの区間であるが、その間、信号機が5基くらいしかなく、見通しもよく、快適に飛ばせるのである。

 免許更新の2日後、2018年8月12日、20年ぶりにその危険性の検証のためこの堤防上道路を走って、その恐ろしさを再確認した。堤防上の道路は狭く、左右に逃げ道がなく、それでも皆さんがそろって飛ばしている。一部の区間は、センタラインもない。大型のトラックとの高速でのすれ違い時はヒヤッとする。

 自分の命を守るためには、危険な道は走らない、これが鉄則である。今は幽霊のような認知症患者が、道路上をさ迷っている。それは人生道上でも同じ。目を見開いて、より安全な道を選択して走るべし。

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 揖斐川堤防上の道路

 

地獄へのお誘い

 その昔の27年前、母が倒れてから、週に2,3度の頻度で母を見舞うため、この堤防上の道路を深夜、高速で走行して大垣市民病院に通った。その途上で、少しハンドルを横に切れば楽に死ねるのにと思ったことが度々ある。地獄はあの世にはない、この世が地獄なのだ。その思いを踏み止まらせてくれるのは、親への感謝であった。自分の命を全うするのが、最大の親孝行である。

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  馬場恵峰書

 

2018-08-14  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月13日 (月)

リンゴ🍎を見て我がふり直せ

隣誤を見て我がふり直せ

美味しいリンゴには毒がある

 今までiPadを写真の閲覧専用に快適に使っていたが、訣別する決断をした。確かにiPadだけの世界なら快適なのだが、Windows PCとのデータの連携では、イライラが極度に高じて、訣別の顛末となった。私はiPadをNECのノートPC(タブレットにもなる。SSD版)に切り替えた。快適である。

 

iPadと別れた理由

頑固さ

 最近、iPadに写真データを転送するのに、手間が増えた。私が所有するカメラ機種の種類が増え、データ容量も増えたためである。iPadの能力・機能がそれに追いついてこない。写真はまだしも、ビデオデータは変換しなければ使えない。さらに大きな問題は、iPadの設計思想が頑固で融通性がないのだ。

 

課金の問題

 iPad を1年ほど使って、クラウドメモリー容量が足りなくなり、「クラウドの容量が足りません。容量を増やしてください」との警告が頻繁に出るようになった。私はクラウドメモリーを実質的に使っていないのに、一方的に、「バックアップのクラウド容量が足りません、増やしてください」である。それにはお金がかかる。一度だけの出費なら許せるが、毎月、永遠に使用料を払わねばならぬ。アップルはクラウドの使用料の課金で、金を稼ぐ商売である。私はiPad内臓メモリでやりくりしているので、クラウドの課金の余分のお金を使いたくない。

 しかしiPad ではUSB経由の外付けHDが使えない。アップルはクラウドを使用させて、使用料を払えである。

 

ディレクトリの分類方法の意見の相違

 写真を自分の考え方で分類をしたいが、iPadのディレクトリの管理では、私のおもう通りに行かず、勝手に並べ替えをされてしまう。イライラである。

 

性能の問題

 iPad の128G内臓メモリ機種でも、使用メモリが90Gを超えると動きが不安定になる。それは他社のWindowsノートパソコンでも同じようであるが、Windows PCは拡張できるので、対策は可能だ。しかしiPadは拡張ができない。外付けの汎用的なUSB ハードディスクが使えないので、クラウドを使えと強制される。私は基本的にクラウドを使いたくない。アップルは、クラウドを使わして、その課金で稼ぐ商売である。

 

共通性の問題

 独自世界というのは、他との協調を拒否する。iPadに入れて編集したデータは、クラウド経由でないと取り出せない。写真データも勝手に変換され、Windows PCに戻せない。

 

会社の理念の有無の問題

 アップルは、大企業になり傲慢になっている。アップルは、日本の中小企業が独自開発した技術を他社に横流して、部品を安くする手口をとっている。値引きを強要、リベート要求で下請けいじめをしている。その根本原因は、アップルには経営理念がないからだ。経営理念はなく、自分のビジョン(欲望)達成のためには、人を押しのけてでも、ビジョン実現のためには手段を選ばずという傲慢さを垣間見る。理念とは、欲望を制御する錦の御旗なのだ。企業に経営理念がないと、社員は野獣となる。確かに頭脳を集約すれば、世界一にはなれる。その事例をオウム真理教の暴走が示してくれた。頭脳だけで、本当に人が幸せになれるのか。アップルは、道具を開発、販売して金もうけで世界一になったに過ぎない。

 スティーブ・ジョブズは技術開発の面では天才で、かつ禅や東洋思想に理解があり、金儲けばかりの人間ではないのだが、会社に経営理念を作らなかったのが、最大の失敗である。世のためにという経営理念があれば、そんなに早く世を去らなくてもすんだのにと残念に思う。

 

何のために技術開発か

 アップルが作ったスマホにかじりついてフェイスブックやゲームに洗脳され、iPodで音楽を聞くため、オウム真理教徒がヘッドギアを被る様にイヤホンで洗脳されて、じっくりと考える時間を奪われた。それで人は本当に幸せになったのか。

 

下請けいじめ

 特許侵害、技術の横流し被害を受けた日本の島野製作所は、アップルの横暴に業を煮やして100億円の損害賠償の訴訟を起こした。アップルも、CEOが技術の求道者のジョブズから調達担当で辣腕を振るったティム・クックに変わってから横暴な企業に変貌したのが原因だ。アップルは、独自の世界で囲い込みをしている。協力会社も消耗品扱いで、会社を共の発展させる協業の仲間とは思っていないようだ。何のために会社は存在するのか。

 

理系と文系

 アップルPCは芸術家に多く愛用されている。しかし芸術家と同じように事務処理は苦手のようだ。事務処理はマイクロソフトPCが優れている。アップルは文系で、マイクロソフトは理系なのだ。私は理系の人間である。私は、理系の人間である前に、信義を重んじる人間でありたい。それが訣別の決め手であった。

 

隣誤の教え

 たかがアップルの金儲けビジョン(欲望)に振り回されることはない。製品には企業、創業者の理念や思想が反映される。経営理念が間違っている企業の製品とは、距離を置きたい。

 アップルにはその経営理念がない。いくら売り上げが莫大で、世界最大の資産価値の企業でも、それが人の道の反した行動をするなら、その製品は使いたくない。その企業のトップの思想は、製品、売り方、行政等の全てに現れる。同じような例は、フォルクスワーゲンの排ガス不正にも見られる。

 「人のふり見てわが身を直せ」と古人は言う。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」も人の道の教えである。隣の国のアップル(隣誤)は、グローバル経済主義教・拝金主義教に侵され、人の道を誤っていることを教えてくれる。いくらIT業界を制覇した企業でも、金儲け一本道を歩む輩とは縁を切りたい。

 

ご先祖様が目を剥く

 スティーブ・ジョブズは『テクノロジーを介して何百万人もの人の生活を変える』-improve the lives of millions of people through technology-とのビジョンで、アップルを大きくした。『必要なのは共通のビジョン、それを提供するのがリーダーシップだ。』-What they need is common vision and that is what leadership is.(1984年)-としてジョブズは社員を鼓舞して、新しい技術を開発して、世に広めて大成功した。

 しかし、それが本当に世のためになったのだろうか。ポケモンGOで巷をさ迷っている輩や、電車内でスマホのゲームに熱中している若者を見ると、とてもそうは思えない。技術開発に没頭して、原爆という鬼子を産みだした技術者の陰をアップルに見る。

 久々にお盆で此岸に帰ってきたご先祖様は、護国神社の周りをポケモンGOで幽霊のように徘徊する若者を見て、彼岸と此岸の区別がつかない世に目を丸くしている。毒リンゴを食べて夢遊病のようになったお姫様を助ける王子様の出現を待ちたい。美味しいリンゴには毒がある。

 

2018-08-13  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月12日 (日)

第五段 生

生とは天からの授かりもの。生あるもの死は必然である。五段の「生」から四段、三段とカウントダウンをして第一段の「死」に向かう。カウントダウンの音が聞こえる中、我々は何を為すべきか。何を残すべきか

Photo_3  馬場恵峰書 五重塔の前面の和歌

 

生あるものの証し

 生あるものと、そうでないものの違いは何か。それは実践の有無である。実践できなかったら、それは生の状態ではなく、生き永らえているだけで、死を待っていると同じである。生きている以上は、生きて活動せねば、命を恵んでくれたご先祖に申し訳ない。

 病気、事故、祟りは、ご先祖の霊魂が子孫を想い、早く気づいて欲しいとのメッセージである。ご先祖が、かわいい子孫を虐めるわけがない。霊魂は自分では実行できないので、病気や事故で、早く気づいてほしい、己の代わりに実行して欲しいとメッセージを出している。己に降りかかる吉凶の現象を、ご先祖(神仏)のメッセージとして考えるのが、宗教である。宗教とは、己の宗家の元なる教えである。それは畜生にはできない人間だけの尊い祈りである。

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己を殺す死神

 できなかったのではない。やらなかったのだ。己の内なる守り神がやれると言っているのに、内なるもう一人の己が反対しただけだ。その一人の己とは、人生を殺す死神である。やることをやらないと、神仏は容赦なく、その人からやる能力を奪ってしまう。やらないと、できない理由が次から次と出てきて、できないという思い込みの洗脳教育を己に課す。それで一人の認知症患者が生まれる。己の死である。己の内なる死神に殺されたのだ。やらないという「選択」をしたのだ。誰のせいでもない。

 まず一歩を踏み出そう。千里の道も一歩から。それが「為せば成る 為さねばならぬ 成らぬ業を 成らぬと捨てる 人のはかなき」だ。

 

生きているから焦る

 下記は馬場恵峰書で、「せ」の踊るような優美な字体に一目ぼれで入手した。生きているから「焦る」のだ。どうせ、いつかは死ぬ運命。焦らず、一歩一歩、生きた証を残すことで、千里の道を歩いていきたい。余命40年(?)の残り少ない人生を大事に生きていきたい。

 漢字「焦」の上部は、多くの小鳥が集まった状態を表す象形文字である。その小鳥を下から火で炙るの意味である。小鳥とは己の雑多な欲望である。それを全て満たしたいと思うから、焦るのだ。

 希望を持ち実践するから、生きている。何もせず、棚ぼたを待つだけなら「死」も同然である。だからオダ仏教の教祖は焦って忙しい。

 

「南無阿オダ仏」

 私のオダ仏教のご真言は「南無阿オダ仏」である。真言宗の真言「南無阿弥陀仏」の「南無」とは梵語の音訳で、敬礼の意味で、帰依します、全てをお任せします、の意味である。「阿」は接頭語で敬称。「弥陀仏」は西方浄土の仏さまの名前である。

 私の真言「南無阿オダ仏」とは、自分の内なる声に従って行動します、である。豊田さんなら「南無阿豊田仏」である。自分の内なる仏を信じなくて、誰を信じるのか。変な新興宗教に走るから、人生を誤る。人生で迷っても、内なる声に耳を傾ければ、ご先祖様が、黙って導いてくださる。自分とは、この世でご先祖を代表して生きている存在である。自分はご先祖の希望を実践する執行役員である。そう自覚できれば、認知症などに罹っている暇はない。

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2018-08-12  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月11日 (土)

第一段 死

生は偶然、死は必然。 

死なくして生はない。

死があるから生が輝く。

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 馬場恵峰書  五重塔の正面の和歌

 

人生の結論

 人生の結論は死である。そこから始めて何を残すか、何をやるかを考えるのが人生設計であり、そこから死計の智慧が生まれる。若い頃は頭で薄々分かっていても実感の無かった死という結論が、あちこちと体に不調を抱える歳になり、お墓作りを通してはっきり見えてきた。

 人生の死計を考えない人は、スリラー小説みたいな人生を無為に送り、上り坂、下り坂、マサカの場面に遭遇して転落する。スリラー小説を読み、演劇を見るときは、初めから終わりへと頁をめくり、観劇をする。そのストーリーのクライマックスで、どんでん返しを見せられて狼狽する。そうならないように、死計を考えて生きていきたい。

 

人生経営

 会社経営では、終わりの目標から始めて、そこに到達するために、英知を尽くしてできる限りのことをする。テクニカルライティング上の文書作成でも、最初に言いたい結論を書くのが基本である。その文章の中身は、クライテリア(基準)に則って記述することが要求される。人生経営も同じである。自分はどんなクライテリアの基づき生きてきたのか。残された時間をどのように使うのか。

 

人生のデザイン

 人生のデザインでは、何のために生きるかというクライテリアがないと、人生設計図が完成しない。それでは死計もありえない。一番素晴らしい人生とは、死に臨んで、死計として従容として死に就くことである。よく働いた日が安らかな眠りを誘うように、計画を完遂した人生は、安らかな死を賜う。それはやるべきことをやり遂げた人への、佛様からのご褒美である。いつ死んでもよいように、今を一生懸命に生き、仕事をして、使命を果たす。

 

一念

 一念とは「今」の迷う「心」を一つにして、背中に我慢を背負い、右手にソロバンと左手に海図(理念・経典)を持って、明日は分からない命を抱えて生きることである。そのためには、命の運搬手段としての体に悪影響を与える事象を遠ざけるのが死計である。

 

余生なき人生

 余生とは、生きながらえている状態である。人生設計図に「余生」などという期間はない。最期まで現役であれば、余生など不要である。この歳まで無事に「歳を頂いた」のだから、そのお返しをご先祖とこの世にしなければなるまい。余生を送っている暇は無い。

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2018-08-11  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月10日 (金)

第二段 苦

子供に地獄を見させる一番の手は、何不自由ない贅沢な生活をさせること。苦労を知らない子は、将来が地獄である。苦労があるから知恵がつく。

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馬場恵峰書  五重塔の正面の和歌

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人生道千曲がりでのご縁

 還暦を迎え、歩いてきた過去を振り返ると、人生道千曲がりの下り道でも、自分の修行としての下り坂で、頂上に上るためには通らなければならない道であったと、今更ながら運命の悪戯に感謝している。悪路を歩いている間は、目先の試練で五里霧中、それどころではない。しかし過去は、考え方を変えれば、その悪い経験が己の修行であったと、過去の見方を変えることができる。そうすれば自分の未来が変わる。過去を肯定せずして、自分の未来はない。

 

人智を超えるご縁

 逆縁の菩薩に出会わなければ、出会えない師とのご縁がある。新しいご縁は、縁あるもの死なくしては、生まれてこない。来る縁が良い縁か悪い縁かは、棺を覆ってからしか分からない。良縁も悪縁も全て己が招いた因縁で、それの因果を解釈する姿勢が重要である。どう対応するかは対処療法で些細なことである。来た縁が良いものにするように向き合うが正しい根本療法である。来る縁に善悪はない。全て選択と解釈の問題である。悪縁と見えても、その後ろの良縁が隠れていることが多く、人智では計り知れない。選択不能の事項なら、受け入れるしかない。それに無駄な抵抗をするから地獄を見る。不幸の時は、不幸を楽しめばよい。死ぬ時は死ぬがよい。それも人生である。還暦でやっと悟れた境地である。

 

欲というフィルター

 「老」には「結ぶ」という意味がある。親子が生物の発展の形である。物事は結ぶことで生成発展する。結婚しかり、合併しかり、異質なものが結び合うことで新しいものが生成される。それを「化成」という。ニンベン「イ」は背の伸びた若者、「ヒ」は腰の曲がった老人の姿である。親子が結ばれて新しい価値が生まれる。それが「化」の意味である。

 己とは異質の人が福を運んでくれる。時に、人の本気度を試すために、福の神が貧乏神の全く逆のコスプレで来るときもある。老心は百面相である。老心は異質なものの昇華体である。だからその衣装に騙されないようにしよう。人間界の投影が神の世界である。神の世界もコスプレが大流行である。神には、裕福も貧乏もない。それを決めるのは人間の欲というフィルターがかかった目である。来る人が貧乏神に見える時は、目が曇っている時。目が曇っていては、真実が見えない。そんな状態では、人生時間も稼げない。

 

心眼の病気「欲内症」

 人が罹る目の病気に白内障、緑内障がある。心の目が罹る病気の一つが「欲内障」である。良くない症状である。これは手術では直らず、火葬で灰にならないと消えない。禍があるから福が光る。人生の禍福の合計は、人生と言う長い尺度では差し引きゼロである。「不遇な時期は、人生の蓄財の時。自己充実を図れ」が佛様のメッセージである。

 

2018-08-06  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月 9日 (木)

第三段 病

病は生あるものに、何が悪いか教えてくれる佛さまからのメッセージである。病は命にも限界があることを思い知らせてもくれる。病を頂くのもご縁。佛さまからのメッセージご大切に。

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馬場恵峰書  五重塔の正面の和歌

 

組織の病

 人が老い、病み、死があると同じように、人が作った組織も、老い、病み、死がある。その組織の自己崩壊を防ぐために、組織の長には任期がある。民間企業の社長なら一期2年、二期4年が常識である。行政の長は1期4年である。せいぜい2期で8年が健全な寿命である。 

 それが小川敏大垣市政のように5期20年も居座る状態になると、組織が澱み、腐臭が漂い、組織活力が消滅する。それは、人が老い、病気になるのと同じ自然の理である。結果として、大垣市がガン細胞に侵されるように自然衰退した。それは生命体の細胞が異常分裂・暴走を始め、止まらなくなったと同じ現象である。その組織にガン細胞が生まれたのだ。

 だから、子供を酷熱の炎天下に放置する行事を開催しても、大垣教育委員会も市議会も商店街実行員会も知らんふりである。行政に忖度の地方紙も見て見ぬふりである。大垣駅前商店街活性化の政策が間違っていても、行政はPDCAを回さない。ヒラメ職員の横行で、市政が澱むばかりである。行政が大垣市制100年記念行事で税金を使い放題にして、条例でその使用用途の公開をマル秘扱いにしても、それが異常であると理解できない。行政のチェック機構である市議会も市長と結託して暴走している。関係者は、誰もそれを異常だと思わない。それこそが異常である。

 

耳順う

 自分で自分の暴走が止められなくなったら、周りが止めるしかない。人は還暦にもなれば、「60にして耳順う」と、人のいうことが素直に聞ける心境になる。それが成長した「老」の状態である。

 それから観察すると68歳の大垣市長はまだまだ幼く、人の諫言など聞く耳を持たず、傲慢の病に侵されている。天は、ドローン墜落人身事故や室村町アンダーパス水没事故、大垣駅前商店街の衰退、高屋町の公示時価下落で警鐘を鳴らすが、小川敏市長は目も向けない。

 還暦とは実社会で辛酸を舐め、世間がわかってくる時である。己の暴走、うぬぼれに諫言する人がいて、はじめて人間になれる。それが、長期政権となり、ヒラメ職員ばかりに取り囲まれ、独裁的に君臨すれば、人は成長できない。

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吾十有五にして学に志す。

三十にして立つ。

四十にして惑はず。

五十にして天命を知る。

六十にして耳順(したが)ふ。

七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず

『論語為政扁』

[口語訳]

「私は十五歳のとき学問に志を立てた。

三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。

四十歳になると、心に迷うことがなくなった。

五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。

六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。

七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、 人の道を踏みはずすことがなくなった」と。

 

2018-08-09  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月 8日 (水)

第四段 老

 人生での「老」とは成長という意味である。老には良い意味がある。大老、長老と経験を積んだ大人には「老」という敬称をつける。

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 馬場恵峰書  五重塔の正面の和歌

 

命の開発(かいほつ)

 還暦とは、倒産しそうになった自分株式会社の立て直し、リストラクチャリングの時である。捨てるべき荷物を捨て、必要な資材を選択して積み込む時である。まず自分の体のメンテをしなくては、命の開発はできまい。

 人は37兆個の細胞から作られている(以前は60兆個と言われていたが、最近の研究で改められた)。その全細胞の支配者が自分自身である。人はその細胞から作られる各器官の集合体である。八百万の各器官という仏様の命をどう開発(かいほつ)するかが、自分に課せられた課題である。開発とは、生きとし生けるものが本来持っている特性を開いて開花させる。それが仏教用語の「開発」(かいほつ)である。その細胞一つでさえ、最新の科学技術でも、生み出すことができない。それが37兆個も集まって一人を構成している。神仏の神秘さを感じざるをえない。その神仏が宿る臓器には、個体差があり寿命に差がある。その開発した才能の寿命を認識するのが、統括司令塔として自分の魂の役目である。生まれた才能もいつかは死を迎える。死なくして、新しい命は生まれてこない。それを踏まえて、自分は何を開発するかが問われている。

 

人間の尊厳

 我々は多くの自己の持つ才能を生殺しにしている。その個々の才能も開発さすべき時期の見定めの大事である。肉体的青春の命は若い時だけである。その時の才能は自然発生的に生まれて開発の苦労は少ない。しかし時期を過ぎての開発には苦労が伴う。命の賞味期限は有限であるが、加齢してこそ開花する才能も多くある。青春が終わり、死にゆく器官を認識して、残された才能を開発することに目を向けたい。それを追い求めるのが、人間の尊厳としての義務である。

 

生きる修行

 私の目の水晶体の寿命は終わってしまったが、医学技術の進歩のおかげで、人工の水晶体に入れ替える白内障手術で視力を取り戻すことができた。感謝である。取り戻すことの出来ない器官は、そのことを受け止めて、それでどう生きていくかが、人生の課題である。失ったものを嘆いても返っては来ない。「まだ残る未知なる才能の開発をせよ」が佛様の御心であろう。人生は、死ぬまでが持てる命を育てる修行である。

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 馬場恵峰書

 

2018-08-08  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月 7日 (火)

貴船神社(大垣)の例祭に参列

 2018年8月5日、元気ハツラツで本町通りをぶらついていたら、町内の放送で、「本日11時から貴船神社で例祭を行いますので、町内の皆様はご参列ください」とアナウンスがあった。ご縁を感じて参列することにした。

 見れば高校の仲間が、この町内のお役目として、この神事で走り回っていた。当日の例祭で忙しいので、当日の同窓会も欠席とか。大垣に還って8年間で、この神社には数百回もお参りしているが、例祭に参加したのは、初めてである。よきご縁をいただき感謝である。

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貴船神社の宮司の挨拶

 一通り例祭の儀式が終わり、最後に、京都の貴船神社禰宜の三木金房様より、挨拶があった。テレビにも頻繁に顔を出される有名なお方とか。それをまとめると(一部、三木様の解説に私論を補足)下記のようであった。

 

日本人にとって神様

 日本では、水の神様、風の神様、太陽の神様、海の神様、山の神様、と昔から日本人は自然に神が宿るとしてあがめてきた。日本人は自然と一体となって生活をしてきた。

 世界には800の活火山があるが、そのうち1割が日本にある。日本の国土面積は全世界の国土面積中で0.25%の占有率なのに、驚異的な割合である。それだけ日本の土地は生きているといえる。

 日本は、世界の国から見れば、温暖な気候で自然との融和が大事にされてきた。砂漠の極暑の気候や、シベリアのような極寒の地域ではないことに感謝である。日本では太陽は恵みの源と表現されるが、インドでは太陽は灼熱の光を与える悪魔と忌み嫌われる。同じ自然でも地域によって全く感性が異なる。日本人は豊かな自然の恵みを素直に受け止められる、自然と一体となって暮らすことができる幸せな民族なのだ。西洋では、登山に成功したら、自然を征服したなどと、傲慢な表現が多い。日本人はそんな表現はしない。

 

神仏一体

 しかし、自然の神様と人間とは尺度が多少は違うので、程よい自然環境とはなかなかなりがたく、神様の基準とは折り合いが悪かった。それが時として自然災害として人を襲う。しかし自然災害で人が亡くなっても、日本人は自然を恨むでもなく、人生の定めとして、亡くなった人を丁重に弔ってきた。そこに仏教が入ってきて、弔いの仏教儀式を日本人はすんなりと受け入れられた。日本人の神と仏の両方を崇める自然な姿勢が培われた。

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 京都の貴船神社禰宜の三木金房様の挨拶

貴船神社(京都)

 現在は神社本庁の別表神社。全国に約450社ある貴船神社の総本社。例祭は6月1日。

概要

 絵馬発祥の杜を表す。貴船神社は、水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされ、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。

 古来より、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあることから絵馬が発祥したとも言われる。

 また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルで賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。

 

大垣貴船神社

 京都・貴船神社の分社である。大垣は水の都といわれるので、一番ご縁の深い神様でもある。主祭神は、高龗大神、家津御子命大神。例祭は8月5日。

由緒

 戸田氏鉄が摂津国尼崎藩藩主の時、京都の貴船神社から分社して祀ったのが始まり。戸田氏鉄が尼崎藩藩主の期間は元和2年(1616年)~寛永12年(1635年)であるので、分社はこの時期と推測される。

 戸田氏が寛永12年(1635年)に美濃国大垣藩に移封された際、当神社も大垣城内に移転した。

 明治4年(1871年)4月頃、大垣城下の本町の住民が旧藩主の戸田氏共に願い出、大垣城内の貴船神社と熊野神社を本町の鎮守として祀る。

              この項、wikipediaより編集

 

2018-08-07  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月 6日 (月)

園児をこき使い、金儲けする鬼

 2018年8月5日、10時から大垣「元気ハツラツ市」で、赤坂幼保園の園児による、歌と踊りが予告されていたので、実態調査のため現地に赴いた。当日の天気予報では38度の酷暑と予想されていた。

 前日の「奥の細道結びの地記念館」前での炎天下での園児の踊り・火傷の事件があって、私はその善後策で走り回った。しかし、野党の市会議員にお願いしても動きがなく、その回答もないので、諦めていた。その確認のためもあり、新大橋のステージに出かけた。

 一度決めた行政の行事は、簡単には中止にはならない。危惧した通り、予定通り、赤坂幼保園の園児による踊りの行事が進行していた。私は、前日に動いたが、その結果に無力感を味った。大垣の識者は誰もこの異常事態に気が付かない、動かない、暴走している。この大垣の行政は死病に取りつかれている。

 

 救いは、今回は、新大橋の「元気ハツラツ市」ステージ上には、今まではなかったテントが設置してあったこと。これは初めてのこと。しかし、それならなぜ前日の「奥の細道結びの地記念館」芭蕉楽市の舞台にテントなく、露天であったのだ。なぜ当日38度の猛暑が予想された日に、園児を炎天下で踊らせる行事が中止とならないのか。

 8月5日の新大橋では、午前10時には気温35度であったが、コンクリート上で照り返しがきついのは同じである。体力のない5歳の園児には、小一時間も(9時30分~10時15分ごろ)、この場所に滞在させるのは非人間的である。気温35度で、無抵抗の園児に飛んだり跳ねたりと踊りをさせるのは非道である。己の金儲けのために、園児をこき使う輩を、「鬼!」と私は呼びたい。それに知らん顔をする小川敏市長は鬼の総元締めである。

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  2018年8月5日、09:51  新大橋上

園児を営利活動に動員

 本来、一商店街の販売促進の為の営利活動の催し物で、幼保園の園児を、大垣市長命令(行政からの依頼だから大垣市長名)で、炎天下36度の中で踊りのために駆り出すのは非常識である。当日の予想最高気温は38度である。大垣教育員会の通達で、生徒の35度以上の日の屋外行事は中止となっているはずだ。

 なぜ休日に、園児が商店街の営利活動に駆り出されるのか。大垣教育委員会も、学校関係者も、市会議員も、商店街も、保護者も、マスコミの誰も異議を唱えない。それが異常である。大垣市は異常を感知できない業病、感知しても止まらない死病にかかっている。

 なぜ、園児を休日の酷暑の日にこき使い、一商店街の拡販営業活動である「元気ハツラツ市」が大垣市制100年記念事業の一つなのか。正気の沙汰ではない。

 

異常事態を放置

 園児の踊りが始まって、その中の大勢の園児の中で、一人だけ演技もせず泣き続けている子がいるのに、保母は誰も対応しなかった。何故、保母の先生は対応しないのか。後でその子の顔写真を拡大して確認したら、頬が異常に赤くなっていた。日焼け、つまり火傷である。熱中症で体調が悪かったのかもしれない。5歳の園児が自分の体調不良を大人に訴えられる手段は、泣くしかない。それを付き添いの3人いた保母たちは気が付かない。何のために保母なのか。

 他にも一人の幼児がうつろな表情で踊らされていた。保母二人がかかりっきりで世話をしていた。なぜそんな状態の子まで強制的に踊らせるのか。その考えが異常である。行政命令なので、踊りたくない子まで踊らせないと、幼保園が責任を問われるのか。自分の給与の影響するのか。

 その観客は、親御さんたちだけである。大垣駅前商店街の活性化には全く寄与しない行事である。皆さん、行事が終わればサッサと帰宅である。

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 踊り中、ずっと泣き続ける子。顔が異常に赤い(火傷状態と推定)

03dsc02483  頬や鼻の頭の日焼け状態は火傷である

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 うつろな表情でイヤイヤ。保母が二人で対応して忙しい。

 そうまでして商店街のために金儲けの演技をさせたいか。

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 客は親御さんばかり。商店街の売上には貢献しない。

あえて暑い場所で待機を強いる

 園児たちは、出演前に最初、新大橋の日陰になる東側のアーケードの下で待機していて、そのあと、西側に移動をして10分ほど待機をして、ステージに登場した。その西側には太陽光が直接は当たらないが、道路の照り返しがきつい場所である。その待機で、園児たちは不快そうな顔をして出番を待っていた。

 なぜ東側の涼しい場所から直接ステージに移動しないのか。主催者の「元気ハツラツ市」実行委員会は、子供のことなど全く考えていない。自分たちの金儲けと出世で頭が一杯である。スケジュールを予定通りこなさないと、視察に来る小川敏大垣市長にド叱られる。だからヒラメの市職員は「出世願いの舞い」を園児に対抗して踊っている。

06dsc02281 9時半に集合  9:39     

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東側アーケード下で待機中 940

08dsc02299 炎天下で帽子もかぶらず移動 9:49

09dsc02303 すぐ横の照り返しがキツイ

09dsc02339  直射日光を浴び、不機嫌な子

10dsc02345 不機嫌そうな顔で待機中の園児

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照り返しのキツイ西側歩道で待機中

大垣市の死病

 大垣市行政が、園児をこの異常気象の炎天下に狩り出すという異常行動に、誰も声を上げない。教育委員会の通達を無視しており、その危険を指摘しても誰も動かない。それも子供の命に関係する事態なのに。野党市会議員に通報しても、全く反応がない。市民はどうすればよいのか。これが「子育て日本一」「住むなら大垣市というイメージが定着している」と大垣市が大嘘をぶち上げる都市の実態である。

 大垣行政は暴走している。異常を異常と感じない組織となり、自己チェック機能を殺して暴走中である。大垣市行政・財界は死病の症状である。

 

小川市長の怠応

 小川敏市長は、園児たちが35度の高温の中、無理やり演技をして、疲れ果て親に連れられて帰宅をした後の午前10時30分ごろ、黒の公用車で会場の新大橋に乗り付けて、お忍びで登場した。周りの目を避けるように、元気ハツラツ市実行委員長の案内で県外の露天商の出店にあいさつ回りをした。誰も市長とは気がつかない。ご丁寧に「偽理」がたく、いちいちそのお店で買い物までして、である。しかし地元の商店街などは全く無視して、あいさつ回りなどはしない。そのあと、すぐお供を連れて会場を去っていった。11時から次の行事・貴船神社例祭があるのだ。だからスーツの礼服である。

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12dsc02567_11  あいさつ回りで忙しい大垣市長

 

 「元気ハツラツ市」に出店をする県外店の売り上げは、地元の商店の売り上げを減らす。露天商の多くは、県外・市外の店で、大垣駅前商店街の売り上げを減らす元凶である。元気ハツラツ市」は、大垣駅前商店街の活性化とは真逆の政策である。小川敏市長は誰の味方なのか、どの街の市長なのか。

 

死の街並み

 炎天下38度の気温で、駅前通りは、人出は閑散としていた。毎月の「元気ハツラツ市」の賑わいに比べれば、幽霊通りである。こんな暑い日の炎天下で行事をやるからだ。露店商の店員も、営業的にも生理的にも、路上の照り返しのきつい場所での営業は、命の危険に影響する。気象庁が「命に影響がある暑さ」という非常事態に、例年はやらない行事を追加、強行する大垣市行政は狂っている。この暑さでは、人がくるわけがない。狂うだけである。

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人影が薄い「元気ハツラツ市」会場

賢者の諫言

 晦に処る者は能く顕を見 顕に拠る者は晦を見ず

  佐藤一斎 言志四録 後録64  

 現代訳

  陽の当る場所にいる人は、日影のいる人にいつも見られている。

  陽の当る場所にいる人は、日影にいる人など眼中にない。

  陽の当る場所にいる人は、気をつけねばなるまい。 

 

 「その昔、自分はテントの中にいて、炎天下の中、行進、運動をする生徒達を無意識に見ていた。最近の若者は弱いと言って、己は生徒の苦しみが分かっていたのだろうか。」とある見識者が先日のブログ「36度の灼熱地獄で園児を踊らせる鬼の小川市長」を見て反省していた。大垣市長、教育長、市会議員、財界のお偉方は、大垣市の寒々とした実態が眼中にないのだ。大垣市は死病に罹っている。それは自覚症状のない病気である。

 こういう大垣の死導者達が、大垣市制百年記念事業を、会計報告なしで、やりたい放題で実施して、水まんじゅうギネスに酔い痴れている。大垣の子供達は、エアコン普及率2.1%の酷暑の小学校教室の中に放置されている。

 

2018-08-06  久志能幾研究所 小田泰仙  

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