2018年7月26日 (木)

脳梗塞・心筋梗塞・高血圧の真因

 私は高血圧症で、それが遠因と推定される網膜静脈閉塞症になり、視力が低下した。その原因を機械エンジニアの視点で考えて、真島院長(真島消化器クリニック)が唱える理論に納得した。それでこの1年半ほど、4か月に一度の頻度で真島先生の治療を受けている。そのお陰で、網膜静脈閉塞症もよくなり、高血圧症も小康状態になり、降圧剤の服用を止めることができた。7月に診察を受けた時、真島先生著の血管の病状の解説本が出版されたのを知り購入した。それを紹介する。

 私は、真島院長がバラの栽培を通して自然現象を観察し、人間も自然の一部だとして、トヨタ生産方式のなぜなぜを何回も繰り返して、10年間の研究でこの成果を得たことに感銘を受けた。何事も真因を突き止めないと、問題は解決しない。

 

要約『脳梗塞・心筋梗塞・高血圧は油が原因』

 真島康雄著   幻冬舎 1100円+税 2018年刊 新書版 全239頁  

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 動脈硬化とは、その漢字から、動脈がかたくなった状態だと思われ思われるかもしれませんが(p28)、動脈硬化とは、血管壁の内側に超微粒子の脂肪滴が堆積し、血管が肥厚した状態です。血管壁が内側に厚くなるために血管内腔が狭くなり、血流が悪くなり、酷い場合は、血流が途絶えてしまったりします。(p73)

 (血管内プラークは、)川底をイメージしてください。物理の法則に従えば、川底の砂のように、比重が重い超微粒子の脂肪滴ほど血管壁のなかへ堆積しやすい。(p77)

 脂肪滴というのは「油(油脂)」のことです。台所で料理や洗い物をするとき、シンクに油をたくさん流すと、やがて排水管の内側に油汚れがへばりつきます。それと似た状態が血管にも起こっているわけです。(p81)

 甘い物の食べ過ぎ、お酒の飲み過ぎは、血管内皮細胞間隔を広げます。そのため血液中の超微粒子の脂肪滴だけでなく、それよりもサイズの大きい中小の脂肪滴まで入り込むため、プラークがどんどん形成される。(p86)

 動脈硬化はあっても静脈硬化はない。微粒子の脂肪滴が血液の高水圧(正常血圧)流に擦られ、次々と正常な血管内膜・中膜へ溜まり、これがプラーク(動脈硬化)となります。静脈は動脈より桁違いに血圧が低いので、静脈プラークが形成されないのです。(p86)

 こうした過程において、(血液がプラークに阻害されて正常に送られず)組織が低酸素状態のなると肩こりやこむら返りが生じたり、さまざまなガンが発生したりすることも。(p90)

 脳梗塞は「脳血管のある場所にプラークの一部が頸動脈から剥がれて飛んできて脳梗塞になる」という仮説よりも、「ある部分の脳動脈にプラークが堆積し、その部分において脳動脈が狭くなり、その部分で血液が流れなくなって脳梗塞になる」と考える方が自然です。(p167)

 2001年発表の日本の疫学調査で「ハム、ソーセージ、レバー、揚げ物が好きな女性は肺がんになりやすい」という結果が得られている。油いためで、キッチンで調理する人の気管支も油まみれになります。私は女性の肺がんの一部は、キッチンで揮発した食用油を頻繁に吸い込むために起こっているのだと考えます。戦前の日本には、そもそも油を使った料理の習慣がありませんでした。そのお陰だと思うのですが、戦後しばらくは認知症も稀で、脳梗塞、心筋梗塞も少なかったのです。(p215)

 

私の家族の病歴

母の死

 母は高血圧で、それが原因で脳溢血となり、手術で一時は回復したが、その後、脳梗塞を発症して、4か月ほど意識のないまま、69歳で亡くなった。これは真島先生の理論でいう血管内壁のプラーク堆積が原因で、脳梗塞になったと推定される。母は肥満体で美味しいものを食べていた。

 

父の死

 父は85歳で初期の胃ガンになり、胃の全摘手術を受けて、胃ガンは完治したが、その1年後、肝臓にガンが転移して世を去った。父は高血圧の薬と睡眠薬を常用していた。つまり血管内部にプラークが溜まり、必要上で血圧が上がっていた。それを降圧剤で下げると、血の栄養素と免疫機能がある白血球の循環に障害となる。体の自律神経は、必要だから血圧を上げている。高血圧の真因を放置して、現象の高血圧を下げる対処療法なので、ガンを発症したと推定した。

 両親は私に、己の死をもって病魔を防ぐ術を教えてくれた。合掌。

 

私の病気、死の前兆

 自分の体の不調(高血圧症、肥満、心房細動、網膜静脈閉塞症、記憶力低下)は、40年間来の食生活の乱れで、血管内壁に堆積したプラークが真因であると推定した。それで真島先生の指導で、油の多い料理、菓子類、肉類、乳製品、酒類を避ける食事療法に取り組んだ。

 私の身の回りには油、糖分、添加物だらけの美味なる食品が激安で氾濫している。しかしその食品には、遅延性の毒が盛られている。それはフードトラップ(食品に仕掛けられた至福の罠)である。

 

降圧剤の弊害

 高血圧症の場合、一般的に降圧剤が処方される。しかし高血圧症は、血管内部が狭くなり、血が全身に回らないので、自律神経の機能で心臓のポンプ作用を上げているに過ぎない。降圧剤で血圧を下げると、必要な血が全身各部や脳に回らなくなると、認知症、ガンの発症率も高くなると推定した。血液には免疫酵素が含まれており、種々の病気の発症を防いでいる。その血流が、降圧剤で妨げられれば、病気にもなる。それが、自然の理である。基本的に薬は毒である。

 

真島消化器クリニックでの治療

 私は4ケ月に一度、真島消化器クリニックで診察を受けている。この医院では、看護婦からの事前問診が20分(初診)、真島院長によるエコー検査が20分、資料説明が10分、エコー検査の写真8枚と食事療法の資料40頁を渡される。全身8か所の血管のプラーク厚みを測定する医院は全国で、ここだけである。診察は予約が必要です。私の時は半年待ちでした。

 真島消化器クリニックでは8カ所の血管エコー検査を行うのが、そのうちの3カ所分の検査には保険請求ができず、時間もかかり、かなりの実質収入減となるという。それでも真島院長は、使命感で血管内プラークに起因する病気の撲滅に取り組んでおられる。金儲け主義では、これはできない。

 

真島消化器クリニック

真島康雄院長 福岡県久留米市野中町1483-4 TEL:0942-33-5006)

http://majimaclinic22.webmedipr.jp/

  血管プラークに関する研究情報が随時更新して公開されている。

 

2018-07-26  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年7月25日 (水)

仕事の報酬とは

 仕事の報酬は仕事である。お金ではない。お金は次の仕事のための支度金である。仕事での逆の報酬とは、左遷、窓際族、失業である。良い仕事をすれば、もっとレベルの高い仕事が回ってくる。出来が悪ければ、仕事が絶たれる。天の裁きは単純明快である。天網恢恢疎にして漏らさず、である。仕事で腕を上げて、さらに良い仕事をこなす。お金は後から追いかけてくる。そのお金があなたを追い抜いていくことはない。仕事でお金をひっぱって行くのだ。その逆の意識で、お金に引っ張られるから、ろくでもない人生になる。それを汚職という。

 豊かになれないのは、仕事ではなく作業をしているからだ。業を作っているからだ。

 

己の右腕

 そのために、人より多く仕事をすること。多くの人と縁を作ること。人より多くの失敗をすること。貴方が社長なら、右腕を選ぶのに、経験が多い人と、経験が少ない人と、どちらを選ぶか。答えは自明である。

 

お金と命を引き換え

 お金に引っ張られて銀行員の給与に目が眩み、バブル期に銀行に就職した学生は多い。しかし、50歳までに支店長になれなければ外に出されてしまう。当時、泥臭い製造業に就職した私は、マスコミから流れてくる華やか銀行マンが羨ましかった。しかし銀行マンは支店長になっても上からのノルマに死に物狂いである「お前の代わりはいくでもいる。ノルマ達成のため死ぬまで働け」と上司から言われたのは地元金融機関の元支店長である。その支店長で構成されるOB会の平均寿命は70歳弱という。日本の男性平均寿命より10年も短い。銀行マンはストレスでお金の代償として命を削っていたのだ。当時、それがわかっていれば、銀行に行っただろうか。 

 

成長モデル

 仕事をする目的は、己のスキルの向上と魂の浄化である。仕事という燃料を燃やして、魂を昇華させて、後世に残る遺作を作る。器としての己の体は、何時か土に還る。それが人の定めである。その燃料は、技術でも、芸術、スポーツ、政治、経済、宗教でも、それが世のためになるなら何でもよい。

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生きるとは仕事をすること

 生きるとは、仕事をすることだ。仕事をさせてもらうのが最大の報酬だ。その仕事がない人生は惨めである。定年で「辞めたけど、やることなくて徘徊す」では、生きながら社会から抹消されている。老いても、やることがあっても、それが社会に役立つことでありたい。

 仕事をする楽しみが褒賞である。仕事の疲れは、仕事で取るのが原則である。脳は疲れない。ただ同じ仕事ばかりでは飽きるので、気分転換で別の仕事に取り掛かればよい。

 

お陀仏教

 私は「真孝宗教(怪しい新興宗教ではない)」のオダ仏教を提唱している。オダ仏教の教祖の私に貢ぐのも仕事である(笑)。私は、貢がせたお金を社会に還元すればよいのだから。皆さんも自分の宗教教団を創ればよい。己が教祖となって、信徒は己ひとりで頑張ればよい。

 故人に付ける戒名の院号とは、来世で故人が修行するために建てられた寺院の名前である。故人に対して、その寺院で修行をしてくださいと付けるのが院号である。

 だから私の戒名を「御陀仏院精進居士」としようかと思案中である(?)。「放浪院徘徊居士」と言われるようでは、人生は終わりである。

 

通行手形

 仕事から得られるお金は、現世を歩く通行手形なのだ。通行手形は1通あれば十分である。それを何枚も強欲に集めるから、利他少欲の教えに反して、世に迷うのだ。

 私のお寺の仮想通貨であるオダットコインは、あの世にはもっていけない。仕事をすればするほど、文章を書けば書くほど、仕事能力が向上し、文章能力が上がるように、お金も使えば使うほど、多くの失敗をして、貴重な経験が積めて、ご縁ができ、結果として智慧がつき、お金のほうからすり寄ってきて、幸せになれる。

 

死の商売

 お金が無ければ、借金をしてそれを踏み倒せばよいのだ(?)。大資本の銀行さんも、そのリスクを含めた金利設定なので、心配ない。借金も貯金も共に、あの世に持って行けない。

 私の友人は、銀行に騙されてアパートを建て、死ぬまででも返せない1億円を超える借金を背負ってしまい、金利支払いに追われて嘆いている。返しても返しても借金の元がちっとも減らないと嘆いている。奥さんはやけくそでスマホゲームにのめり込んで、月3万円もゲーム代を散財する。それを私にぼやく友人はもっとみじめだ。なにか仕組まれた罠のようだ。だから私は彼に、踏み倒し(?)を勧めている。

 世にいう相続税対策でアパート建設を勧めるのは、詐欺である。儲かるのは銀行と建設会社と保険会社だけである。アパートを建てる側は、火の車に乗せられるのだ。銀行から金を借りる時、家屋敷を担保に取られ、生命保険に入らされるので、銀行は絶対に損をしない。人口減のこの時代、アパート経営は大変だ。銀行が言うようにはアパート経営で儲からない。銀行は貸すだけで、あとは知ったことではないのだ。

 それなら、弱者の庶民は、居直って踏み倒せばよい。借りたほうが強いのだ。人から恨まれる仕事をしている銀行の業務とは、仕事ではない。仕事とは人々に喜ばれなくては、仕事とは言えない。銀行とは「死後と」商いをしている死の商人である。

 

お足の足止めでエコノミークラス症候群

 お金を貯めて使わないから、停滞して腐敗する。貯めすぎると使うが大変で、そのために過労死になってしまう。使わないから魂の浄化ができない。お酒のアルコール消毒ではダメなのだ。お金と水は流さないと腐ってくる。人生の目的は、お金を貯めることではない。お金は、単なる道具でお足なのだ。その足を動かさないから、お足のエコノミークラス症候群に罹ってしまう。

 人生の要点は、幸せを人に与えること、それが五右衛門風呂の定理で、回りまわって自分が幸せになれるのだ。人は何時か、必ずお陀仏となるのだから。

 

支払手形

 仕事の報酬は、神仏が発行する約束手形なのだ。その支払い日付は10年後でる。神仏は、己がどれだけ我慢できるかを試されている。焦って入手すると手形割引されて、大幅に目減りする。それが仏滅。お金持ちが支払いをせっつかないように、自分の人生の「極楽金庫」を信用すれば、焦ってその報酬を請求しなくてもよい。そうすれば神様が10年後に利息を付けて倍返しをされる。

 

2018-07-25  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月24日 (火)

仕事の意味

 仕事とは、仕事を通して自分の能力・魂を磨くことに意味がある。仕事をするとは世のために価値を作り出すこと。その価値とは人に喜びを与えること。自分が生きていることを確認できるのは、仕事しているときだ。

 「自分」という言葉は、社会全体の中の「自らの分」を表す禅語である。己の存在が、全体の中の一部であるから、利他として社会に奉仕する。それが仕事である。その反対が利己、利己主義である。利己のためにやるのは作業である。自分の利己主義としてやるから「業」を作るのだ。

 その仕事が、人に命令されてやっているだけなら、また生きる為だけにやるなら、奴隷・動物と同じ次元である。それは生きているのでなく、生きながらえているのだ。

 価値なき仕事を盲目的にさせられ、それに従うのは、奴隷と同じである。拒否できない高校生をそんな作業に従事させるのは、シベリア流刑地の看守と同じである。この現代社会で、それを命令すること自体、犯罪である。

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無視

 2018年7月22日、大垣球場で開催された高校野球岐阜大会の折、大規模小売店アピタの駐車場で、駐車禁止の看板を掲示して、一日中、その監視をさせている行為は、仕事ではない。高校生の能力向上にも、魂を磨くことにもならない。駐車場入り口で、当番の高校生の横を通る野球観戦者の家族達は、完全に高校生を無視して、高校生の魂は絶望のどん底に落ちる。

 

真夏の怪談

 座っている高校生を横目で見る人はまだ、ましである。立哨の高校生が駐禁看板の横にいることさえ、気が付かず通り過ぎていく人が大部分である。まるで目のない白い仮面を被った亡霊が、高校生の前を次々と通り過ぎてゆく様である。真夏の炎天下の怪談である。駐車場入り口で座る高校生は、8000人も通り過ぎる観客の中で一人孤独を味わう。それが炎天下で7時間も続く。見ていて、その残酷さに背筋が寒くなる。

 その「仕事」をしても誰も喜ばない。何の価値も生まない。なにせ駐車禁止と掲示しても、だから何処に駐車すればよいか、教えられないのだ。大垣市が観客用の駐車場を建設・整備していないのだ。だから人から見ればお笑いだが、本人には地獄である。だからこれは仕事ではなく、拷問である。

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自分がその立場なら

 もし自分がその立哨の立場になったら、どうしただろう。もし部員に立哨を指名する監督の立場ならどうしただろう。自分が己の会社で、そんなレベルの仕事を部下たちにしていないか、自問したい。

 野球部員は50名から100名はいるだろう。その中から、彼はそういう選別をされたのだ。そうなった原因を反省したい。どこまで行っても、一番以外は、ビリである。自分が活躍できる世界を見つけるように、精進するしかない。そんなブラックな世界から身を引くのが最善だ。

 

アインシュタインの言葉

 1922年、アインシュタインが来日して京都大学の学生たちと対談したとき、一人の学生が、「人間は何のために生きているのですか」と質問した。アインシュタインはびっくりしたような顔をして「他人を喜ばせるためです。そんなこともわからないんですか」と答えた。

 

生きるとは仕事

 生きるとは、仕事をすることだ。何もすることがない生活は惨めだ。定年後、「起きたけど、寝るまで特にやることなし」では人間でないのだ。老いても、やることがあっても、それが社会に役立つことであっていたい。

 その仕事が一生涯を貫く仕事であれば一番幸せである。仕事をするから楽しいのであって、仕事の疲れは、仕事が癒してくれる。そうでなければ、それは作業であって、仕事ではない。作業とは、「業」を作ること。業を産めば、疲れるのは当たり前。仕事とは、「事」に仕えること。上司に仕えることではない。「事」に仕えると思えば、上司は単なる仕事の「おくり人」である。

 

人とは

 社会とは人から成り立っている。「人」の文字は、お互い支えあって立っている様を表した象形文字である。「人間」とは、人と人との間で往来しながら生きている存在である。その通行手形が、仕事である。その通行手形を価値あるものにした人が大事にされる。

 

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2018-07-24  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月23日 (月)

仕事の目的

 仕事とは、生きる目的と生きる糧の獲得である。松本明慶先生曰く「私は、みほとけを謹刻することによってのみ生かされている」。

 アウシュビッツやシベリアの極限状態では、生きる目的を持った者だけが生き延びた。生き延びるとは、ご先祖から頂いた命を全うすること。私の父もシベリア抑留から生き延びて帰国した。それで今の私の生がある。零下30度の極寒労働地、極貧の食事、劣悪な極酷の労働条件。朝,目を覚ますと若い戦友が隣のベッドで冷たくなっている。半分の戦友がシベリアの土に消えた。アウシュビッツでは20人に一人しか生き延びられなかった(致死率95%)。シベリア抑留開始の初期は、ロシア側の準備不足があり、致死率は80%にも達した。最終的には10%の致死率である。しかしその極限条件下でも生き延びた人達がいる。下記はドイツ強制収容所から生還し、その体験を記した『夜と霧』の著者(心理学者)、ヴィクトル・E・フランクルがとった行動である。

 

◇ 働ける体であるように見せる

  働ける状態でなければ、自動的にガス室行き

  常に若く見えるように、立ったり歩いたりする時は背筋をピッと延ばしていた。若く見えるように髭を毎日剃った。 最後のパン一切れを人に与えても、ガラスの破片で髭を剃ってもらった。

◇ 病気にならない     病気になれば、自動的にガス室行き

◇ 常に未来を信じる

   近い将来、講演会で自分が演説している姿を思い浮かべた。

◇ 収容所での苦しみは意味があると認識

   無意味だとすると生きることの価値が無くなる

◇ 愛する人との魂での会話

◇ 感動を失わない      

     沈みゆく太陽の夕焼けの風景に感動

◇ ユーモアを失わない

   自分を見失わない魂の武器

 

現代のアウシュビッツ

 現代は、飽食と痴呆的な環境(グルメブーム、痴呆的テレビ、ゲーム)が何者かから押し付けられ、その結果、それに起因する病気、社会風潮が蔓延し、遅延性の毒として脳と社会を蝕んでいる。それで、現在、65歳以上の15%が認知症となっている。認知症とは、実質的な死である。その人が、その人でなくなってしまう脳死なのだ。日本の現代人が、生きる目的と仕事を放棄した結果である。それで誰がその生き血を吸っているのか。

 そして日本人の精神の荒廃、脳死を表すかのように、前頁記載のシベイア戦没者慰霊の「恒久平和の碑」の説明銘板に落書きがされている。父親が関係した碑であるため怒りが湧き起こる。それを放置している小川敏市長にも怒りが起こる。小川敏市長は、今川順夫会長に「大垣市として大事に後世への遺産として伝える」と約束したのに、それの約束を反故にしている。小川敏市長は、その碑の前で、水まんじゅうギネス挑戦の痴行に舞い上がっていた。

 この落書きがだれの仕業か不明だが、つい左翼を思い浮かべる。左翼は何でも国のために戦ったことさえも侮辱する。我々の先祖を侮辱しては、国は栄えない。そうなれば国に寄生した左翼も滅びることが分からないようだ。

1 恒久平和の碑の説明パネルの落書き

 

現代の流刑

 どんな仕事にも意味がある。それの基本は、人を喜ばせることだ。世のためになること為すことだ。その喜ばせる第一の人間が己である。その喜びが無い仕事は、やっていて虚しく、虚脱感に襲われる。それを強制する人間は、シベリア流刑地の看守レベルでしかない。

 高校生が大規模小売店アピアタの駐車場入口で、岐阜地区高校野球観戦の車の駐禁の看板を立て見張っていても、誰か駐車を遠慮するわけでもなく、高校生は相手に注意する権限もなく、アピタも駐車禁止を望んでなく、誰からも感謝されず、皆から無視されて、炎天下でただ座っているだけ。まったく意味のない仕事を囚人のようにさせられている。そこから何の付加価値も生まれない。

 それはシベリア流刑囚が、墓穴を掘らされ、それを埋めて、またそれを掘り起こすという刑罰としての労働と何が違うのか。

 まだ駐車する人が文句を言うならともかく、「無視」なのだ。愛の反対は憎悪でなく無視なのだ。それが一番厳しい対応なのだ。高校生がかわいそうだ。なぜ市会議員も声を上げないのだ。

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 アピタ駐車場入り口で見張りの高校生 2018年7月22日、09:43

 当日の最高気温37度で、9時から17時までの苦役

   気象庁は7月23日に開いた緊急記者会見で、連日の猛暑を「命の危険がある暑さ。」と発表した。

 

駐車場が無い野球球場で無意味な見張り

 8000人を収納する大垣北公園球場で、市のHPには「当施設の駐車場は台数に限りがあります。大会等のご利用及び観戦の場合は、公共交通機関などのご利用をお勧めいたします。」とあり、つまり今の車社会の時代に、実質的に駐車場がないのだ。これでは、他市から来た観客に、駐車場を問われて、見張りの高校生たちも答えようがないのだ。それで、駐車禁止の見張りなど、拷問である。

 高野連も大垣市も、シベリア流刑囚に対すると同じレベルの拷問を前途ある高校生に与えている。人はどんな苦しいことでも、意味があれば耐えられる。この仕事は全く意味がない。これで大垣の未来を背負う若人が育つわけがない。一事が万事で、行政の建前と本音が乖離して、被害の矛先は社会で一番弱者に向かう。これも小川敏長期政権の無為無策から来た弊害である。

 

現代社会の洪水対策とは

 現代の高度経済社会の血流というべき車の交通循環で、その車の氾濫という洪水への治水(駐車場整備、道路整備)を放置しているのが小川敏大垣市政である。この小川市政17年間で、車の治水に対して何をしたのか。お城(新市庁舎)さえ作れば、防災対策だというのは、古代思考である。

 

2018-07-23  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月22日 (日)

高野連のパワハラ、黒幕は大垣市

 2018年7月22日、全国高等学校野球選手権岐阜大会2018年準々決勝戦が大垣市北公園野球場で開催された。大垣球場は、家族連れの観客で大混雑である。球場周辺は車の大渋滞である。その陰で、堂々と高野連が高校生にパワハラを実行していた。

 この酷暑を、今日の新聞の表題では「災害」と表現していた。この災害ともいえるこの極暑の中、駐車場の入り口で、高校生にただ駐禁の看板の横で座らせているだけの作業を強制するのは、拷問でパワハラである。

 作業にしろ、仕事にしろ、それで付加価値を生まなければ、やっても何の意味もない。その疲労度は極限になる。その高校生が野球部に入ったのは、野球をやりたくて入部したのだ。自分が出場できなくても、せめて先輩やライバル校の野球プレーを見るために入部した。そのプレーを見たいのに、炎天下、ただアピタに駐禁との注意看板の横で座っているだけなど、拷問でパワハラそのものである。

 私が目にしたのはアピタ駐車場の周辺だけだから、球場西入り口、日大大垣高校の校庭、他の駐車場を考えると20人から30人もの高校生が、この球場近辺で駆り出されているようだ。

1p1050217 アピタ駐車場北側の徳洲会病院前 2018年7月22日、10:10

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アピタ駐車場西側入り口 2018年7月22日、10:21

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看板の横に座っているだけで、見ていて気の毒 2018年7月22日、10:10

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球場の南入口に4人の高校生が朝の9時から17時まで駐車場の監視で座らされている。 2018年7月22日、10:18

大垣行政の怠慢

 大垣市の都市計画がデタラメなのだ。駅の北側の一等地に駐車場も整備せず、1961年に建設した運動競技場、野球場の周辺設備を放置した。なおかつ以前はあった駐車スペースに幼稚園を建設して駐車場をつぶした。

 野球場ができた当時は、大垣市も繊維産業が盛んで、その周辺は近江絹糸や鐘紡の工場が栄えていた。その当時は大垣駅の北側周辺が工場地帯であった。それが、時代の変遷で、近江絹糸工場が撤退し、アピタが進出してきて、徳洲会病院ができ、近江絹糸工場跡に高級住宅地ができてと、環境が大変化した。それにも関わらず、大垣行政は、道路も正規に拡張せず(中途半端な拡張)、この場所には不適な野球場、総合競技場を放置したままにした。ただでさえ少ない駐車スペースを、小川敏市制は、ここに幼稚園を建設して、貴重な駐車場をつぶした。

 またこの地域の道路のキャパシティが小さいので、いつも大渋滞である。経済の血流と言うべき道路行政が古代の思考のままなのだ。

 

あるべき姿

 本来、大勢の人が車で集まる施設の野球場は、大垣市郊外に駐車場を完備して建設すべきである。郊外には場所はある。上石津にならもっと広大な土地がある。60年前の市民が徒歩や自転車で移動していた時代とは違うのだ。そのインフラ整備を小川敏市制は放置した。大規模小売店、総合運動場、野球場を設置してあるのに、それに対応した道路を造らなかった。駐車場を設置しなかった。

 大垣市の郊外なら土地は余裕があり、そこに運動施設を造らず、大垣駅周辺に住宅地、大規模小売店、運動施設を作るという間違った政策をとり続けた。

 その結果が、高校生にまったく意味のない駐車場警告の見張り看板係をさせる顛末となった。その仕掛け人の黒幕は大垣行政なのだ。なにが子育て日本一、教育の町大垣なのか。

 

アピタの見解

 アピタの駐車場の駐車場係の人に確認したら、「アピタとして、どんな人もお客様で、野球観戦後、観戦前と買い物をしてくれので、駐車禁止にはできない。買い物客と観戦者の区別も困難」という。だから単に、高野連が、アピタに忖度して、駐車場入り口に高校生を立たせているだけなのだ。まったく意味がない門番である。

 だから高校野球観戦の皆さんがアピタに駐車しても、皆さん堂々と大垣球場の方に水筒や日傘をもって楽しそうに行く。横の看板をもって座っている高校生など、目に入らないようだ。

 担当の高校生は、試合開始の10時前から、試合終了の5時近くまで、一番熱いさなかの炎天下に座らされている。可哀そうで、大人の高野連の対応が情けない。

 周りの道は車で大渋滞だし、アピタに買い物をしたくても、野球観戦の車で満杯で駐車もまあならぬ。

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アピタの周辺道路。狭い道で、大渋滞。 2018年7月22日、10:16

 

流刑囚の刑罰

 高校生が駐車の禁止の看板を立てて、横に見張っていても、誰か駐車を遠慮するわけでもなく、高校生に注意する権限があるわけでもなく、アピタが駐車禁止を望んでいるわけでもなく、誰かが感謝してくれるわけでもなく、全員から全く無視されて、炎天下でただ座っているだけ。まったく意味のない仕事をさせられている。

 シベリア流刑囚が、墓穴を掘らされ、それを埋めて、またそれを掘り起こすという無意味な労働という刑罰を何度もさせられていた歴史を思い出した。高野連も大垣市も、シベリア流刑囚に対すると同じレベルの拷問を前途ある高校生に与えているのだ。人はどんな苦しいことでも、意味があれば耐えられる。この仕事は全く意味がない。親が野球をやっていると信じて、子供を送り出しているのに、親への裏切り行為である。大垣市長や教育長は、教育の全責任者として、この事実を認識をしているのか。

 高野連は、高校生にパワハラを行っている。その黒幕は大垣市である。大垣市の教育委員会は何をしているか。大垣市の小中学校のエアコン設備率は、2.1%と県下最低である。口先では、子育て日本一をめざしているとほざいているが、その子供に対する本音は、押して知るべしである。

 

高野連の対応

 野球場の入場料に高野連は500円も徴収しているのに、タダで高校生を使って警備をさせる。なぜ数百万円もある入場収入から、警備員を雇って駐車場管理ができないのか。警備員の費用もせいぜい、入場収入の1割もかかるまい。その入場収入をだれが食べてしまうのか。

 せめて大垣市北公園球場で試合をやるのでなく、長良川球場で試合をやればよいではないか。

 大垣市北公園野球場では、正規の駐車場がどこかの案内すらない。なにせネットの広報情報でも駐車場の案内さえないのだ。門番の高校生でも、市外から来た人をどこに案内するか、知らないのだ。お笑いである。

 

高校野球という聖域

 高校野球は、高野連、朝日新聞、NHK、文部科学省の管轄なので、聖域として誰も問題点の指摘をできないようだ。なぜこの酷暑の中、夏に野球をやらねばならないのか。時期をずらせばよいではないか。なぜ一日中、電気を垂れ流して野球を放映するのか、もっと日本の国の存亡にかかわる大事な情報が放映されないようになっていないのか。この高校野球という化け物は狂っている。だれにも止められない。止ねられないのは狂っている証拠である。その一端の現象が、大垣アピタの駐車場に強制される高校生門番の愚行である。人権侵害、未成年虐待である。高校生は声を上げれないのだ。選挙権もないのだ。大人はやりたい放題である。

 

酷暑の中での野球の暴力

 2018年7月9日、甲子園球場の全国高校野球選手権大会で、35度を超える中、熱中症や日射病で救護室に行った観客は8日に61人、9日に42人になった

 2018年19日午前11時20分ごろ、熊本市のリブワーク藤崎台球場で観戦の生徒ら22人が熱中症とみられる症状を訴えて、手当てを受け病院に搬送された。熊本市ではこの日、午前9時の時点で気温が30度を超え、同11時には33.8度であった。

 大垣市の7月22日の最高温度は37度であった。その中で、拒否できない高校生に強制的な駐車場監視役をさせるのは、人権侵害で、暴力的傷害行為である。何がスポーツ教育での人格形成なのか。聖域である高野連という教団は、スポーツこそ神聖と、なんでも鸚鵡返しに言う思考停止の鸚鵡真理狂団と何が違うのか。

 

高野連という名の聖域宗教団体

 現在の学校教育員会からは、暑さで行事が中止とかのメールが生徒に良く入ってくるようだ。しかし、高校野球は聖域とかで、そんな中止連絡は来ないようだ。聖域という驕りが、傍若無人の行動になるようだ。オウム真理教のように。オウム真理教も当初は、宗教の聖域として警察も手が出せなかった。警察は、事件が起きないと動けないのだ。現在の行政も、生徒が倒れるとか死亡事故が起きないと動かない。情けない有様である。

 高校野球で大垣の子供達が命の危険に晒されている。それでなぜ、行政が動けないのか。今年の発表した「大垣市未来ビジョン」では「『子育てなら大垣市』のイメージが浸透している」と大嘘が書かれている。今日のアピタの駐車場係を見て、それを再確認した。

 

2018-07-22  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

親の死からの学び

 昨日の2018年7月21日、父の17回忌、母の27回忌の法要を彦根の菩提寺で行った。最近の都会では、親の法要は、7回忌迄くらいで、後の法事を行わないご時世である。それなのに親の27回忌法要を行えるは、ありがたいことだと思う。親を偲ぶ法要は、子としての義務だと思う。法要を行うことで、親のご恩を思い出し、自分のこれからの生き方に光を与えてこそ、故人が喜ぶ法要だと思う。

 

鱗介の族は水を虚と為し、水の実たるを知らず

  佐藤一斎 言志四録 後六53

 現代訳:人間という奴輩は、空気があることを意識もせず、感謝もせず、金儲けに熱中して走り回っている。今自分が有るのは、親、ご先祖があってのこと。それを忘れて大きな顔をしているのは、最大の親不孝である。

 

法要でのご利益

 日頃、疎遠になっている親せきと顔を合わせ、近況報告をしあって、自分の立ち位置を確認する。まだまだやれる自分を確認することは、うれしいことだ。

 前回の法要の時に顔を出していた親せきが、死亡や加齢で出られなくあり、一人、一人と姿を消していく様は、寂しい限りである。人生の有限を教えてくれる行事でもある。

 この酷暑の中、3時間も車を飛ばして彦根まで来てくれる親戚に感謝である。

 

ボケの目覚め

 連日の酷暑のせいでの疲れか、加齢によるボケか、認知症か、お供えをお店に取りに行くのを忘れて、高速道路に乗ってしまった。それに気が付いても高速道路上なので逆走もできず、結局、次のインタチェンジで降りて23キロもの回り道をして、40分ほど遅れてお寺に到着した。余裕をもって出たので、法要開始時刻には間に合ったが、私が法要の主催者なので、失態ではある。大きな行事を運営することは、己の事務処理能力の現状把握ができる。今日の法要は1敗1勝であった。まだまだやれる自分と己の老いの発見である。

 

親の背中の教え

 人は何のために故人の法要を行うのか。そういうことを、両親から背中で教えてもらっていないと、その意味を考えることもないようだ。私は両親から、法要をして当たり前、仏壇に手を合わせて当たり前として育ったので、法要をすることに何の疑問も感じない。

 そうでない親戚を見ると、本人は認識していないようだが、人として最大の不幸せを見る。残念ではあるが、その親戚とは距離を置かざるを得ない。さらに悲劇なのは、それに相手は気が付かないのだ。

 

ご先祖を軽視の世代

 しかし最近、「今後、両親の法要をする気はありません」と7回忌以降の法要なしをお寺さんに宣告する遠戚を見ると、考えてしまう。法要はおろか、お墓参りも数十年、ご無沙汰のようでは先祖を思う心は、その子供に伝わるまい。その子供の子も同じである。

 そういう輩が世にはびこるから、「誰でもよかった」という無差別殺人事件が起きるのだ。ご先祖からの脈々とした血のつながりを見れば、人殺しなどできるわけがない。人殺しを犯した人の家には、仏壇・神棚はないものだ。

 

親の歳までは生きる

 若いころは体の弱かった自分が、現在は健康で、母の歳まで生きてこられたことに感謝である。それを実感するのが法要である。同期の仲間はすでに2割が他界している。親孝行として、せめて親の歳までは生きたいと思う。できれば親の50回忌を勤めてあげたい。92歳で現役の馬場恵峰先生を模範とするとまんざら、実現性がないではない。死んでもいいから(?)、健康管理ファートで生きている。

 

酷暑

 当日の酷暑で、本堂でのお経が終わり、お墓の前でのお勤めでは、酷暑の日差しでクラクラしそうであった。お寺さんが、ここで皆さんに倒れてもらっては困ると、短時間でお経を切り上げ、無事に法要が終了した。聞けば、お墓の前でのお経上げ時、倒れる人も出ているとか。酷暑の日本で法要にも影響が出ている。異常な暑さである。

 

両親の最期の教え

 法要からの教えは、両親の死因からの生き方である。両親と同じ生活習慣を持っている己は、両親と同じ病気にかかる確率が高い。それを教えてくれるのが親の死である。それを再度、法要で認識させられる。親は、「貴方も何時かは死ぬのだよ。せめて私と同じ病気では死なないで。私の死から学んでくれ」が親の最期の教えであった。

 

父の死からの学び

 父は85歳で初期の胃ガンになり、胃の全摘手術を受けて、胃ガンは完治したが、その1年後、肝臓にガンが転移して世を去った。そのことを法事のたびに考える。父は85歳の高齢なので、本来ならガンの進行も遅く、他への転移の確率も小さかったはずだ。父はシベリア抑留を生き延びた体である。

 父は高血圧の薬と睡眠薬を常用していた。私も20年来の高血圧で、その対策を模索していた時、真島消化器クリニックの真島先生の説に出会い、機械設計者として、油圧回路設計もした経験から納得した。つまり血管内部にプラークが溜まり、必要上で血圧が上がっている。それを降圧剤で下げると、血の栄養素と免疫機能がある白血球の循環に障害となるとの説である。体の自律神経は、必要だから血圧を上げているのだ。高血圧の根本原因を放置して、現象としての高血圧を下げる対処療法をするから、別の病気が出てくるのだ。ストンと納得できる説であった。

 それから、血圧が上がる原因である血管内プラークの低減として食事療法に取り組んで、2年弱で降圧剤の服用をやめることができた。父親の死からの学んだ最大の教えである。

 

2018-07-22  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月20日 (金)

大垣市行政、オウム真理狂症候群を発病

 昨日2018年7月19日、町内のヤブ用があり大垣市役所東別館に行ったが、思いついて本館に寄って見た。そこにあってはならない垂幕「祝 世界記録達成!!」がまだ掲示されたままになっていた。1か月前の617日に、日大三島高校でギネス記録が更新されたのに、まだ過去の記録の垂れ幕が、自慢げに、未練たらしく掲示されている。大垣行政はオウム真理狂症候群を発病した。

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オウム真理狂症候群とは

 民間信仰として世にはばかる名声、虚名、古ブランドを盲信して、ありがたい教えとして受け入れること。虚名がばれても、世間体の手前、やめるわけにはいかなくなった状態を表す。世に跋扈する民間信仰を盲信して「オウム返し」に反応するので鸚鵡真理狂症候群と書く。

 

ギネス狂記録とは

 わずか2週間で記録が更新される世界記録は価値がない。なにせ、その記録達成の過程に汗も知恵も涙もない。前回の記録人数より、人を多く確保できれば、世界記録は確実に達成できるシステムである。その記録更新のために税金を使って取り組むのは背信的、狂信的行為である。アーんと相手に食べさせるのに、失敗など1%もない。なにせ大垣市役所の部長職まで全員駆り出しての愚行である。世にいう世界記録とは、別次元の記録である。

 

オウムとギネスの差

 だから簡単に「世界記録」が更新できる。儲かるのはギネス社とコバンザメ会社だけだ。大垣市はギネス社に騙されたのだ。もしくは、騙されたふりをして、大金を使い、裏金を作ったのかも。使用用途が非公開だから、市民には分からない。なぜ非公開なの?

 ギネス社の「世界記録を取ると有名になって町おこしができます。貴方にはギネス世界記録®保持者の称号を差し上げます」とオウム真理教勧誘句「入信すれば貴方だけ超能力が獲得できます。貴方は特別扱いで尊大師の称号を与えます」と何が違うのか。どちらも儲かるのは、教団だけである。どちらも眉唾ものの御利益を謳い、どちらの称号にも価値がない。それを信じた信徒が馬鹿である。

 

5S 整理整頓清掃清潔躾け

 用の終わったものは速やかに撤去(整理整頓)する。トヨタは5Sを徹底して、世界一になった。大垣市は5Sを無視して落ちこぼれた。大垣市は、いつまで過去のギネス挑戦記録に囚われているのか。

 東大を出たのは40年前の過去の話である。価値観が大変革しているこの時代、記憶力と学歴だけでは、現代の政治経済は回せない。その記憶力も判断力も加齢とともに衰えている。それに囚われる政治をするから、大垣市は衰退の一途である。周りの都市がリニア景気に沸く名古屋に牽引されて公示地価が高騰しているのに、大垣市は置いてきぼりである。だから不潔な大垣行政の不透明さが際立つ。

 

ギネス商法

 2週間後に日大三島高校によるギネス記録更新が明白なのに、知らん顔をして大垣のギネス挑戦記録に立ち会うギネス公認職員も、厚顔無比である。狩猟民族のギネス社はしたたかである。狩猟民族の考えでは、騙されるほうが馬鹿なのだ。ギネス社に営業センスと良心があれば、2週間後の日大三島高校のギネス挑戦申請を半年待たせるとかの営業良心や配慮があってもしかるべきだ。大垣市はあほなカモだから、まんまとギネス教団に金を巻き上げられた。

 表彰式で、浮かれて痴呆的な表情の大垣市長を横目に、冷酷な眼のスマし顔で眺めているギネス公認立会人の顔は見ものである。当然、彼女は2週間後に予定された日大三島高校のギネス挑戦を知っている。それが99%成功することも知っている。ギネス社は平成元禄大垣猿芝居の興行師でもある。

 この興行費900万円は市民税なのだ。どう計算しても、その大半が使途不明金となって消えている。誰が「饅頭」を食べたのだ。市長にはその内容を正しく公開する義務がある。なぜ、大垣市長は、使途不明金の公開から逃げまくっているのか?

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 なぜ次のギネス挑戦が2週間後に設定されたのか。ギネス挑戦には、英国からの公式認定人の立ち合いが必要である。それでビジネスクラス、グリーン車での交通費とホテル代が請求される。その費用約50万円と推定される。それが2週間の間隔なら、公式認定人が日本に宿泊して飛行機代を節約、ダブル請求できるからと推定される。それなら2週間分のホテル代を払ってもペイできる。報道写真で見ると、三島のギネス立会人と大垣とは違うようだから、もっと高度な細工をしているようだ。

 

マスコミの弱み

 マスコミも「アーんとして、水まんじゅうギネス記録 大成功」、「ギネス世界記録®保持者になれたなんて夢みたい」との参加者の喜びの声を誇大報道で展開した手前、実はわずか2週間後に簡単に三島高校で記録が破られましたとは、地元では新記録の報道はできまい。だから、中日新聞三島地方版でのギネス挑戦成功の報道はあっても、中日新聞西濃版には、そんな報道は掲載されない。中日新聞は、地方が違うから報道しなかったと、言い訳をするのだろう。そうしないと、大垣市広報課に睨まれてしまう。中日新聞は忖度に忙しいのだ。

 知らぬはかわいそうな大垣市民ばかり。年配の大垣市民に聞いても、大垣市政に関心がないから、水まんじゅうギネス記録も知らない人が多かった。だから大垣市もマスコミもやりたい放題である。その会計報告は、非公開なのだ。行政はおいしい水饅頭をいただいた。それの追求報道を中日新聞は絶対にしない。

 

ギネス真理教狂騒曲

 全マスコミが、あーんと口を開けて水饅頭、コロッケ、おにぎりを食べる様を、お祭り騒ぎで報道する。それと、オウム真理教が超能力の宣伝をするのに、マスメディアをフル活用したプロパガンダと何が違うのか。テレビから流れていた「オウム♪  オウム♪  アサハラショーコー♪」の宣伝音楽が、今でも耳に残る。

 当時、麻原教祖の超能力を多くのマスコミが報道するが、私には、それに疑問を呈したマスコミの記憶がほとんどない。現在の世界記録達成を「ギネス♪ ギネス♪ 世界記録♪」と絶賛するマスメディアの大合唱と何が違うのか。ギネス挑戦記録を報道するマスコミは多いが、報道しないマスコミは少ないのが現実である。つまりこの20年、マスコミは学んでいない。むしろフェイクニュースを垂れ流して劣化している。読者は正直だ。だから新聞購読数の減少が止まらない。マスコミはギネス真理教の信徒なのか。

 その新聞購読者は、疑問を思わないように洗脳教育をされている。そんな新聞社に、1年間で5万円、10年で50万円、40年間で合計200万円をお布施として差し出すのだ。

 

教団の禁止事項

 オウム真理教がモデルとした某新興宗教団体は、「教祖より授けられた経典とか宝塔を捨てると地獄に堕ちるぞ」とその教団の書籍(教祖のゴーストライター作)で脅している。私は一時、その教祖の本にはまり、それを見つめることで、その手口が見えてきた。多数の書籍は、ゴーストライターがいなければ、執筆が物理的、時間的に不可能である。それは私が本を出版して経験的に分かった。

 世界記録の垂れ幕を、後生大事に大垣市役所のロビーに掲示している行為は、教祖から授かった「ご宝塔」を崇めている宗教信徒と同じである。正常人が見れば、あほかいな、である。大垣市役所職員は、オウム真理教のヘッドギアに縛られた信徒と同じである。お役人の世界は、ヒラメに徹しないとポアされる。ギネス世界記録®を捨てると地獄に堕ちる(左遷)と恐れているようだ。民間企業が、会社に貢献した利益で人事評価されるのとは違い、お役所は、いかに上司に従うかで評価される。これが日本の最高学府を卒業した教祖に引導されている大垣市の行政の実態なのだ。西濃の地方紙もギネス教団に洗脳されているのだ。

 

ご利益

 この宗教を信じると、市民税を行事で使い放題になるご利益がある。その会計報告も領収書も不要である。自分たちに都合の良い条例を作り、会計報告は非公開としたためだ。だから美味しすぎてやめられない。その論理が現代民主主義の社会でおかしいことに、東大出の大垣市長が理解できないのだ。それが鸚鵡真理狂症候群の病状である。これこそ「世末」である。

 この組織の行動は、宗教と組織と役人の世界、詐欺にかかる人間心理学の研究データが得られる宝庫である。これを研究対象として得られるご利益とは、人としての生き方の反面教師の教えである。

 

涅槃

 我々は、左脳で考えた言葉として、世界記録、東大出、市制100周年記念、大垣さん、元気ハツラツ市、ご利益、等を理解している。しかし、これらの事項を右能の感性として考えて、全自然、全宇宙、悠久の歴史から見て、どういう意味があるのか。99年と100年と何が違うのか。神話の世界から続く歴史の中に身を置くとき、それは意味をなさない名詞なのだ。全ては空であり無なのだ。無とは色なのだ。それが般若心経の教えなのだ。もっと全世界・全宇宙の一員としての己を見つめることが必要だ。それに気が付けば、もっと大人になれる。色に拘る現大垣市長は小人(ことな)である。

 己は全宇宙の一部であると認識する境遇が涅槃である。涅槃の境地になれば、食べ物を粗末にするギネス記録獲得狂騒曲の愚劣さ、金遣いの荒い市制百年記念事業狂騒曲の痴行の数々、間違った政策に固執する大垣行政の愚かさが見えてくる。

 ご先祖様は「お天道様が見ている」を信じて、間違った道を歩まなかった。それこそが先人が残した智慧である。世には人智の及ばない存在がある。

 

2018-07-20  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月19日 (木)

犬猫より下に扱われる大垣の青少年

 大垣市政100年事業で、平成30年度「市民運動5つの目標」(この文書の末尾に記載)が公開された。私は、そのあまりの愚劣さに呆れた。これは大垣市の恥を全国に晒している。この「市民運動5つの目標」公開から導かれる大垣行政の結論を3つにまとめる。

 

結論1

 この「市民運動5つの目標」の文言より、この目標の大垣市民像を一言で描くと、「モノ・電気・支払いをケチり、交通安全旗を神仏のお守りとして、青少年よりも樹木を大事に、青少年よりも大事な犬猫を躾け、犬猫の排泄物を始末して美しく、ついでに青少年の育成にも努力をしましょう」である。

 これは努力目標であるから、目標が成就しなくても、何の責任も問われない。誰も責任を取らない。それなら、目標を作る意味がない。言語明瞭、定義曖昧である。

 

結論2

 文書「市民運動5つの目標」は、全く推敲がされていない。この言葉に魂が籠っていない。市民運動の目標の言葉として、あまりにお粗末な文書構成である。言葉で大垣市民を侮辱している。文書は、何度も磨き、砥ぐという推敲を重ねなければ、人の心を切り開く文書にはならない。目標として全市に提示する文書は、簡潔に、美しく、韻を踏んでリズム感ある文体に仕上げるべきだ。

 それに対してこの文書は、あまりに拙すぎ、日本語の持つ美しさをぶち壊している。くどくどした文章で、リズム感もなく、長いだけ。まるで大垣市長の演説のようである。だだ思いつくまま喋ればよい、書けばよいとした文体となっている。文書伝達効率が最悪で、多くの人の時間を奪い、大垣の経済発展の阻害となっている。これは行政の全てに通じており、一事が万事である。

 

結論3

 「市民運動5つの目標」は不要である。岐阜県内主要都市21市中で、過半の12市が「市民運動の目標」の制定がない。つまり常識がある過半の12市は、「市民運動の目標」設定を無価値と認定して、制定しなかった。なぜならその上位方針の「市民の誓い」等の市政理念があるからだ。他市は、「市民運動の目標」がなく、これにかかる貴重な時間、資源、人の無駄を無くしているので素晴らしい。

 

世の常識とは

 物事には順番がある。言うにも掟がある。何時の時代も一番大事な事項は、一番最初に据えるのが大原則である。葬儀でも、焼香順番を間違えると、大騒動になる。一番大事な人が最初に焼香をするのだ。一番最後に焼香する者は、一番縁の薄い人である。祝辞でも、国会議員の祝辞が最初である。市会議員のそれを最初にしては、司会者の首が飛ぶ。それを守らない人は常識が疑われ、馬鹿にされ、嘲笑される。

 この大垣市「市民運動5つの目標」の項目順番に、大垣市の根本的な人間性欠如が見える。このレベルの能力で行政を履行しても、大垣市は良くならない。

 

問題点1

 なぜ、第4項「犬・猫は正しく飼い、排泄物は飼い主が責任をもって始末をしよう」が、第5項「青少年を励まし育てよう」より先に記載があるのか。大垣市は、大垣の青少年の育成より、犬・猫の飼育が大切だと宣言している。大垣の未来を背負う青年を馬鹿にするな、と言いたい。

 

問題点2

 なぜ、第5項「明るい青少年都市をつくりましょう」が、末尾に置かれるのか。大垣市は、青少年の事は一番軽視しているという意思表示である。

 

問題点3

 なぜ、5つの項目で、環境(省エネ)、環境(安全)、環境(緑化)、環境(美化)、教育(青少年、家庭)という順番なのか。なぜ環境ばかりなのか。第1項から第4項までは、環境の目標で、行政の仕事である。安全なまちづくりは、行政の仕事で、お金がかかる。昨年の市民の安全を脅かす基幹道路、室村町アンダーパスの水没事故、ドローン墜落人身事故、全て大垣市政の問題で、市民では解決できない。その目標達成を大垣市民に押し付けるな、である。

 「資源ごみの回収を推進しましょう」といいながら、市民が汗水たらして集めた労苦に対して、市民の省資源活動でゴミが減り、その報奨金が余っているのに、その回収報奨金をなぜ3割もカットするのか。それでいて、愚劣な大垣市政100年記念行事に3億円余も大判振舞いの浪費している。なおかつ、大半が使途不明で疑惑が氾濫である。疑惑が氾濫しない、美しい行政環境を作って欲しい。

 

市長の血迷い

 2018年7月15日の第89回都市対抗野球大会の始球式で、この36度を超える酷暑の中、小川敏市長がご老体に鞭打って、厚い服装をまとい芭蕉の姿に扮して奮闘していた。そんなことでは歴代市長のように、お命を縮めますぞ。数日後に至近距離でそのお姿を見たが、お疲れが出たようで動作が緩慢で鈍かった。そんな始球式は、ピチピチの「ミス大垣(水の都おおがき親善大使)」に任せた方が、皆さんは大喜びである。都市対抗野球大会の場では、大垣市長の登場は歓迎されない。大垣市長は、もっと市民が喜ぶことを考えて欲しい。そんなことに精力を使うなら、その分の精力を大垣市民の環境向上の政策のために使って欲しい。

 

問題点4

 なぜ省エネが、全5項目中で、一番大事なのか。青少年の人づくりの事より、省エネ、省資源が大事なのか。青少年の育成より、犬・猫の方が大事なのか。青少年より樹木が大切なのか。大垣市政100周年で、一番、金、エネルギーの無駄使いをしているのは小川敏大垣行政である。水まんじゅうギネス挑戦、大垣さん大集合、ミッキーマウスのパレード等々、金と人と資源の無駄遣いばかり。

 

問題点5

 なぜ大垣市の公共トイレが日本一汚いのか。大垣市行政のあんたに「まちを美しくしましょう」なんかは、言われたくない。まず行政が金と人を投入して、大垣市を美しくすべきである。市民に言うのは、それからだ。まず大垣市長が範を示して欲しい。

 大垣市内の観光看板、モニュメント、街路灯等が保守がされず、錆だらけ、鳥の糞だらけ、ペンキが剥げ放題である。市民に市街の美化のお説教を垂れるより、先に大垣市が範を示して欲しい。

 

問題点6

 この平成30年度「市民運動5つの目標」が、誰の責任で作成され、誰の責任で承認され、誰のために公開されたかが、全く不明である。大垣市の作成なのか、連合の作成なのか、自治会の作成なのか、さっぱり分からない。ネットで調べると2013年には、この「市民運動5つの目標」は存在したようだ。しかし歴代の自治会長に聞いても、そんな項目を議論したことも承認を求められたこともないという。無責任体制の極みである。この作成にもお金がかかっている。

 

問題点7

 岐阜県の他市の例を見ても、大垣市の「市民運動5つの目標」は異端を放っている。まるで価値がない異様さを放っている。

 

問題点8

 目標なのだから、「〇〇しましょう」ではなく、削減、節約、推進、禁止、等の動詞の体言止めの表現にしないと、力のない無責任な言い方である。目標なのだから、具体的な目標数値がないと、掛け声倒れである。まず実行されない。

 

問題点9

 「明るい青少年都市をつくりましょう」などと、高齢化の波が押し寄せている現実を無視した評語である。お役所のお作文である。どうやって作るのか。

 

対象の資料

大垣市推進事業 平成30年度「市民運動5つの目標」阜県第二の都市)

1 資源やエネルギーを大切にしましょう

 〇電気、ガソリン、水道は、節約して使おう。

 〇資源ごみの回収を推進しましょう。

2 安全・安心のまちづくりをしましょう

 〇家族ぐるみで交通安全を話し合い、交通事故から子どもや老人を守ろう。

 〇毎月1日・15日及び交通安全運動期間中は交通安全旗を掲げ、まちぐるみで交通事故を防ごう。

 〇明るく住みよい犯罪のないまちにしよう。

3 緑のまちをつくりましょう

 〇樹木をいたわり、みんなで大切に育てよう。

 〇花いっぱいで明るいまち、心豊かな環境をつくろう。

4 まちを美しくしましょう

 〇ごみのポイ捨てはやめましょう。

 〇犬・猫は正しく飼い、排泄物は飼い主が責任をもって始末をしよう。

 〇自分たちの住むまちです。自分たちで美しく清掃しよう。

5 明るい青少年都市をつくりましょう

 〇みんなで声かけ合って青少年を励まし育てよう。

 〇毎月第3日曜日は家庭の日です。明るく心豊かな家庭づくりに努力しよう。

※ 目標を実現するため、各種事業を実施している

 

岐阜市 推進事業(岐阜県第一の都市)

「もてなしの心運動」の推進。「心の通う連帯とまちづくり」をめざし、もてなしのこころに満ちたまちづくりを推進(さわやかマナーキャンペーン等)、年1回「もてなしの心」セミナー(講演等)を開催。

 

各務原市 (岐阜県第三の都市)

 市との協業推進事業なし。「市民運動の目標」なし。

 

下記は「市民運動の目標」で検索してネットで見つけた資料。

添付ファイル 岐阜県内自治会活動内容一覧

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2018-07-19  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年7月18日 (水)

手に血のりを付けたミッキーマウス

 大垣市政100周年記念行事で、東京ディズニーリゾート(TDL)は、35周年記念で「感謝の気持ちを伝える為」として、ミッキーマウスを始めとするディズニーの仲間のスペシャルパレードを10月7日に開催する。TDLは出演料を請求しないが、その見返りとして、大垣市民税で600万円を負担して警備をせよという。何が「感謝の気持ちを伝えるため」なのだ! お笑いである。これではネズミ小僧根性である。

 ミッキーマウスが、この100年の大垣の発展のために、どんな貢献をしたというのか。大垣市政100周年を祝うのなら、この100年間の大垣の歴史を振り返らねば、ご先祖様に申し訳ない。非道な大垣大空襲を支援したウォルトディズニーをなぜ儲けさせるのか。なぜ大垣市政100年記念行事で、TDLの宣伝金儲けパレードを支援する必要があるのか。なぜその警備費で、市民税600万円を使うのか。

 

パレードは、TDLの単なる営業宣伝活動

 本来なら、営業利益 947億円(2018年3月期)も儲けているTDLの宣伝活動なのだから、参加費として600万円とか1,000万円を大垣市に寄付しろと要求すべきである。947億円も利益を上げているTDLにとって600万円は、0.01%にしか過ぎない端金である。いつから大垣市は、TDLの下請けになったのか。なぜそんなにも親の仇に卑屈なのか。

 

大垣大空襲

 ミッキーマウスの生みの親の米国は、昭和20年7月29日、大垣市に米空軍B29が、90機が飛来して投下焼夷弾約20,000発の無差別爆撃をして、大垣市を焼け野原にした。その被害は、死者50名、負傷者約100名、全半壊戸数約4,900戸、罹災者約30,000人。(当時の人口約56,000人)。国宝大垣城も燃え、市街地の大半は焼失した。都市に対する無差別爆撃は、国際法違反である。

 ミッキーマウスの手は血のりで汚れている。ミッキーマウスの生みの親のウォルトディズニーには、「白人至上主義者」、「人種差別主義者」の批判が付きまとう。ウォルトディズニーは、反日戦意高揚映画で、国からの要請ではなく、ミッキーマウスが操縦してゼロ戦を撃墜するアニメまで製作している。彼は核実験のプロパガンダ映画作成にまで熱を上げていた。

 この空襲で殺されたご先祖が、ミッキーマウスの大垣駅通りのパレードを見れば、草葉の陰で泣くだろう。こんな企画をした役人どもは親不孝者だ、と。

 

大垣空襲での死傷者が少ない理由

 この空襲での死傷者数は他の都市の空襲と比較して極端に少ない。当時は防空法により、空襲を受けた場合は退去せず消火活動にあたることが義務付けられていたが、岐阜空襲の惨状を目の当たりにし「焼夷弾に対して火たたきやバケツリレーで火を消せるわけがない」と考えていた少年兵らが、本来ならば非常線を張って逃げる市民を押し戻して消火を命じる立場にあったにも関わらず、軍紀に反して率先して市民を避難させ、その結果人的被害を激減させていたことが、元少年兵の1人の証言によって明らかとなった。

 

大垣空襲の生き証人

 大垣城の直ぐそばに店を構える石屋の石寅の叔母さん(当時は幼少)は、空襲で我が家と大垣城が燃えていく様をなす術もなく、今は埋め立てられてないお堀に身を隠して、首だけ出して情けない思いで眺めたという証言をしている。

 室村町4丁目地蔵菩薩像は、周りが火の海になり、ナパーム弾を浴びて真っ赤になりながらも、逃げる住民を見守り続けたという。ある自治会役員さんは、その姿を見て涙が止まらなかったという。その痕跡が全身に痛々しい。お地蔵さまは2017年に105年間のお勤めを終わられて世代交代された。

 大悲院禅寺(寺内町)の谷汲観世音菩薩像もナパーム弾を浴びて、偶然横に積んであった薪木が燃え移り真っ赤になったという。その痕跡が今でもわかる。

 戸田公を祀る常盤神社の境内にある獅子と狛犬の石像も、ナパーム弾を浴びており、その痕跡が今でも見える.

1039a2000  室村町4丁目地蔵菩薩像  石寅さんの作   2017年5月引退された

24k8a2719   大悲院禅寺(寺内町)の谷汲観世音菩薩像 石寅さんの作 2018年現在で御健在

34k8a2746  常磐神社の境内  2018年現在で御健在

岐阜空襲の概要

 1945年7月9日午後11時頃、熊野灘から進入したB-29の編隊135機は、午後11時34分(米軍資料による)、空襲を開始して約45分間で、岐阜駅周辺から全市にかけて、岐阜市中心部はほぼ焼け野原となった。使用されたのはE46集束焼夷弾、M47焼夷弾であり、計907.5tが投下された。

 岐阜市中心部に投下された爆弾の量あたりの被害は甚大であった。被災面積は約5km2といわれている。被害状況は諸説あるが、主な資料によると、

 死者:863人(戦災復興誌(建設省))、負傷者:1,059人(約500人~5,000人の資料もあり)、全半壊家屋:20,476戸、罹災者:86,197人

 

プロパガンダ映画の制作

 ミッキーマウスの生みの親のウォルトディズニーは、戦争プロパガンダ映画の熱狂的制作者である。1941年12月8日の太平洋戦争と第二次世界大戦へ参戦したアメリカは、戦時体制への協力を映画産業に対しても要請するが、高度に資本化された映画産業は、当初、利潤追求を優先させて協力的ではなかった。

 しかし、ディズニーは大衆の関心の変化に気が付き、「反ドイツ」の色を薄めた「反ナチス」の形で戦意高揚のプロパガンダ映画を制作した。ディズニーが孤立主義から友邦の援助へ大衆意識が変化したのを見抜いて、統合の象徴としてミッキーを選択させた点や、彼が没した今日でもミッキーマウスは「アメリカの象徴」として自己増殖を続けている旨を指摘する研究者もいる。

 

戦争好きで核兵器大好きのミッキーマウス

 政治家や政府のプロパガンダにより、大衆を説得することは難しい(出典『心理戦争』)。しかし大衆自身が願う形へミッキーを変身させることでディズニーは成功を収め、同時にアメリカ政府を顧客とすることにも成功した。当時のウォルトディズニー社は、興行の失敗で膨大な借金を抱え、さらに欧州への戦争中で映画の輸出もできなくなり、倒産の危機にあったが、プロパガンダ映画の制作により、経営再建に成功した。戦後もディズニーは経営安定のため政府の核実験、原子力開発キャンペーンとして「Friend the Atom(我が友原子力)」という映画を作成するなどプロパガンダに参加している。

 要は、ミッキーマウスの親は、大量殺戮兵器の推進に手を貸したのだ。ウォルトディズニーは、現在の北朝鮮の将軍様と何が違うのだ。

 大戦当時に製作された映画には、ミッキーマウスが戦闘機で日本軍の零戦を撃墜するシーン、アニメ映画「総統の顔」には東條英機を風刺するシーンがあるが、これらは国の要請や強制ではなく、ウォルトが積極的に自ら制作した。

 

太平洋戦争の真因

 太平洋戦争の原因は、米国による日本に対する経済封鎖が真因で、日本は死活問題で、自衛のために立ち上がった戦争である。それはマッカーサー元帥が、帰国後に米国議会で証言している。もともとは、中国を植民地にしてその利権を得ようとしていた米国が、その利権を日本に邪魔されて、その仕返しとしての経済封鎖である。それには、当時のルーズベルト大統領の黄色人種蔑視があった。

 

人種・性差別姿勢

 ウォルトに対する「白人至上主義者」、「人種差別主義者」との批判は、生前も死後も浴びせられ続けた。ウォルトは『南部の唄』では封切りイベントに主演の黒人俳優を出席させなかった。彼は、ミッキーマウスやミニーマウスがアフリカで野蛮で猿のように描かれた黒人を差別的に扱う民族侮辱的な漫画を出版しており、現在も批判の対象となっている。また、彼は生前中、ウォルト・ディズニー社の要所に黒人と女性を雇い入れなかった。彼の制作した作品群のほとんど全てに、様々な民族に対する彼の白人中心視点から成る人種差別、および男尊女卑的な性差別が指摘されている。

 

著作権・商標権

 アメリカ合衆国の著作権法は“(皮肉を込め)ミッキーマウス保護法”とも呼ばれており、「ミッキーマウス」および他の「キャラクター名」や「作品名」も含め一律に「商標」として保護され、半永久的に保持できる。当初50年であったが、ご都合主義でその期間が変更になった米国著作権法である。

 著作権は国ごとに保護期間が違い、日本では1953年以前の映画で団体名義の場合著作権保護期間は公表後50年である。ミッキーマウスが初登場した「蒸気船ウィリー」は保護期間が1989年の前後に終わっていると推定される。

 ウォルト・ディズニー・ジャパン社は「著作権に関する方針や見解は公表しない」方針で、自社のウェブサイトでもキャラクターや作品に対する知的財産権の方針を明確にしていない。

 

ミッキーマウス、ウォルト・ディズニー、大垣大空襲、岐阜空襲の項目は、wikipediaの資料を編集、加筆しました。

 

2018-07-18  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月17日 (火)

私が「飲むウツ買う」をやめたワケ

薬を飲むのをヤメ

 私は高血圧症で、20年来、降圧剤を飲み続けていて、最近は医師からもらう薬代が、月に1万円を超えるまでに、赤ちょうちんの飲み代より多くなってきた。それが、今回、治療の効果が出て薬を飲まなくても済むようになったのだ。

 今日、2018年7月17日、午前中でも36度もある酷暑の中、かかりつけの病院に行ってきたが、行くだけで病気になりそうな気温であった。それでも医師と最近の血圧データと投薬の状態資料を見せながら相談して、20年来飲んでいた高血圧症治療薬の降圧剤の服用を、中止とすることができた。これは嬉しい限りである。一般的に降圧剤は、飲み始めると死ぬまで飲み続けるといわれている。この詳細は後段で述べる。

 

鬱病にされるのをヤメ

 宮使えで中間管理職は辛い立場である。上と下からの突き上げで、部下よりも管理職本人が鬱病にかかることが多い。

 「鬱」とは、木に葉が鬱蒼と茂り過ぎた状態を表す漢字である。その木が支えられる許容を超えた葉っぱが、木に茂りすぎた状態を表す。要は、その人の能力以上の仕事を抱えて、頭がオーバーヒートした状態を鬱病という。治療は簡単である。かかった負荷を減らせばよいのだ。それを現代医学は、薬で治療しようとするから、さらに悪化して自殺などになってしまう。薬の投与は、金儲け主義の製薬メーカーの陰謀である。鬱病は薬では治らない。病院に行けば、全員、鬱病と診断される。医師もそのほうが楽なのだ。

 その昔、私も鬱症状になったことがある。医師にかかれば鬱病と診断されるのは確実であった。私の部下に鬱病に罹った人が多くいたので、管理職としての立場で鬱病の研究をしていた。鬱病は、投薬では治らずかえって悪くなることを知っていた。なにせ開発部隊の管理職は、開発部隊よりも管理部署なら楽だろうと、その管理職が鬱病になるまで追い込んだ若人を私の部署に異動させて来るのだ。

 だから私が職場で追い詰められて鬱症状になったとき、医者にかからず自分で治した。それで今の自分がある。

2p1090240   うつ病を研究した時の書籍

 

高く買っていたのをヤメ

 私は定年後、大垣に帰郷して、大垣の風光明媚な環境に目覚めて、小川敏大垣市長を高く買っていたが、最近になって、大垣を衰退させた諸悪の根源は大垣市長自身だと分かり、大垣市長を高く買っていたのをやめた。詳細はカテゴリー「大垣を良くする階」を参照ください。

3p1000841   住吉燈台  大垣市

 

高血圧症という現象

 高血圧症は病気ではない。そのまま放置すると、深刻な病気になるよとの体が発する警告である。降圧剤で血圧を下げても、根本治療にはならない。それは対処療法である。むしろ体には悪影響を与える。血管が異常になり、血圧を上げないと正常に血を全身に送れなくなったので、心臓のポンプとしての機能で流体の圧力を上げているに過ぎない。それを降圧剤で下げると、血液に含まれる栄養素と免疫酵素が細胞の末端まで送られず、ガンや認知症の発病となってしまう。

 

私の治療対策

 私は、降圧剤を飲まなくてもよい状態に戻す根本的治療を探していた。ご縁があって2016年10月14日に久留米の真島消化器クリニックの真島康雄先生に巡り合い、それから先生の指導で根本治療に取り組みだして、紆余曲折はあったが、1年半の取り組みで、降圧剤の服用を中止できた。

真島消化器クリニック http://majimaclinic22.webmedipr.jp/

 1p1080429   真島消化器クリニック 2016年10月14日

高血圧の原因を知らなければ、治療はできない。一般的な医師は診察をして、パソコン画面を睨んで、「管理職としてのストレスでしょう、太りすぎです、加齢現象です、薬を出しておきます」で終わりである。その間、せいぜい数分間である。どうしたら高血圧を治せるかの指導はしてくれない。せいぜい「体重を落とせ」である。

 

高血圧症の原因

 高血圧の原因は、血管内部に蓄積したプラーク(脂肪の粕)が血管内部の内径を狭めて血流の流れを阻害しているためである。血管が実質的に細くなっているから、血を送る圧力を上げないと血液を正常に送れないので、自律神経の作用で血圧を上げているに過ぎない。それを降圧剤で下げるから副作用が出るのだ。私の記憶では、40年前は、病気の原因にガンも認知症も話題にも上らなかった。

 

高血圧症の治療

 まず、現状把握として、全身の血管にたまったプラークの状態を調べなければならない。そのため、全身8か所の血管のプラーク層の厚み測定がある。それは現在、真島消化器クリニックでしか実施していない。普通の病院では採算があわないのだ。そのうえで予防処置としてこれ以上、血管内部にプラークが蓄積しないように正しい食事療法の指導がある。その上で、たまったプラークを減らす治療を指導される。

 

治療の結果

 その治療と指導を真島消化器クリニックで受けて、1年半の取り組みを経て、今回、降圧剤の服用を中止できたのだ。そのために私は岐阜県から、福岡県久留米市まで、4か月に一度の頻度で、診察に出かけている。交通費が勿体ないではない、死んでもいいから(?)健康管理である。健康管理は己の責任、生死は神仏の管轄である。

 真島院長の診察は、一人30分である。真島先生は採算を度外視して、血管プラークの削減を使命として戦っている。まるで古武士の雰囲気である。海外からも診察にくる患者も多いと乗ったタクシーの運ちゃんは言う。初診の予約では、半年待ちである。こういう先生とご縁ができたのはありがたい。

 

大垣市は高血圧症

 大垣市は、お上から流れる悪性の汚泥のカスが大垣市行政のパイプに蓄積して、様々な病状が出ている。言い換えれば脂ぎった汚濁した資金が流れているのだ。市政100年記念行事で、3億円余を散財しても、それが適正でないのが明確でも、行政の仕組み上では、誰も止められない。裏金があると思われても、使用明細も領収書も非公開と条例で自ら定めているので、部外者は誰も監査ができない。大垣行政の自律神経を、市長、行政、市議会、マスコミが故意に麻痺させている。市議会もマスコミも一蓮托生で、誰もそれを阻止しない。だから行政マンは獲得した予算を使い放題である。想定される事態は、突然死である。怖ろしい大垣都市伝説は生きている?

 

2018-07-17  久志能幾研究所 小田泰仙  

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