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2018年8月 3日 (金)

天上界で聞いた地獄のいい話

 現在、私は境野勝梧先生の「源氏物語に学ぶ人間学」(全6回コース・主催 致知出版社)を受講している。2018年7月31日に第2回目の講座が、京王プラザホテル44階の広間で開催された。休憩時間中に眺めたホテル47階からの新宿高層ビル群の展望は素晴らしかった。酷暑の地上は地獄のようで、47階は別世界の天上界のようであった。天上界のような静かなロビーで酷暑と世間の雑事を忘れ、しばし物思いにふける贅沢をした。東京の雑踏が嘘のようである。

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 7月31日の講義で、境野先生が少し脱線をして地獄の話をされ、それが受講生の皆さんに大うけであったので、少し脚色(?)をしてお伝えしたい。下記の話は、境野先生が老人ホームから講演を依頼され、そこでお話をされた内容である。地獄の解釈は人さまざまである。下記は境野先生の解釈された地獄観である。

 

老人ホームで講話された「地獄のお話」

 地獄とは罪人が行く所である。一生で一度でも嘘を言うと、地獄行きである。それを閻魔さまが審判されるのでごまかせない。だから皆さん、全員が地獄行きだから、安心(?)して欲しい。極楽に行っても、誰もいないからつまらないし、寂しいよ。極楽にいる人は品行方正・くそ真面目で、会話もつまらない。極楽では、楽園に花が咲き、美しい音楽が流れ、フワフワしてすることがなくボケるしかない。話して楽しい人は、全員、地獄に行っている。

 昔の現代医療技術がない時代は、病気になれば針・お灸で患部を治した。だから昔の人が地獄を考えたとき、現世で心の病気が原因で悪事を働いたら、地獄での霊魂の治療には、その魂を針の山、火の山に追い込んで、突き刺し、焼いて治すとの発想になった。どうせ死んでいるから、死なないので安心だ(?)。

 皆さんは全員、地獄行きだが、安心してほしい。閻魔様は地獄に堕ちた人が全員、善人に生まれ変わり、極楽に転生するまで、最後まで地獄に留まって皆さんを見守り続ける。閻魔様の前身は地蔵菩薩様で、天事異動で地獄に転勤になった菩薩様である。そんな情け深い方が閻魔大王様である。閻魔大王様は魂治療地獄病院の院長先生なのだ。だから安心して地獄に逝ってください。(爆笑)

 

老人ホームの住人の幸せ

 この話を老人ホームですると、大絶賛、大爆笑である。施設の皆さんは感激して「こんないい話は初めて聞いた。是非、来年も来て話をして欲しい」と境野先生に懇願されるという。しかし境野先生は、この話を毎年、この老人ホームでしているとか。老人ホームのおじいちゃん、おばあちゃんは惚けており、1年前の話をすっかり忘れてしまい、毎年同じ話をしても大うけである。だから老人ホームの講演は楽で仕方がないという。(大爆笑)

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 境野勝梧先生 2018年7月31日

 

忘却の恩恵

 人は忘れるから良いのであって、苦しい辛い話をいつまでも覚えていれば、この世は地獄である。毎回、嫌なことが鮮明に思い出されては、その度に死んでしまいたいと思ってしまう。あの世の地獄どころではない。生きているからこそ、苦しみがある。生きていることを喜ばなくては、産んでくれた親に申し訳ない。

 歳をとれば仏様の恵みで忘却の能力が高まるのだ。それが幸せなのだ。定年になり諸般の雑事を忘れて、自分の世界に遊ぶのは極楽である。脳の記憶容量は決まっている。新しいことを覚えるには、昔のことは忘れること。それが自然の理である。

 私も最近は加齢のせいか物覚えが悪く、人から借りた金をすぐ忘れる。貸した金は忘れないのだが………。

 

地獄の恩恵

 人は地獄の試練を受けて成長する。痛みのない訓練・修行では成長できない。だから地獄の世界とは、人が、各人の価値観で作り出したものだ。同じ地獄の苦しみも、そこに意味を見出した人が、人生で価値を生み出す。アウシュビッツ収容所や、シベリア抑留で、そこに生きる意味を見出した人だけが、生きて帰れた。そこにその人の人生観が現れる。

 日本刀も真っ赤に燃えた炭の中で焼かれ、冷水につけて焼きを入れる。それで名刀が生まれる。それで硬さと靭性が備わる。何物も、この世に地獄がないと成長しないのだ。それが現世か来世かは関係あるまい。子供を蝶よ花よと甘やかして育てれば、子供は大人になって地獄に堕ちる。甘やかされて育つと人生の靭性がなく、すぐポキッといってしまう。人の成長に地獄は必要だ。

 

子供の地獄

 世の有名芸人には、金に飽かして子供に多大な金を与え、それが子供のためになると思っている愚人もいる。最近の芸人の子供に、不祥事が絶えないのには訳がある。子供が捕まって、母親が警察に怒鳴り込みに行き「うちの子には毎月50万円の小遣いを与えているから、うちの子に限って不良なんかになるわけがない」と。子供は親の無知で地獄に堕ちたのだ。

 

地獄が描く世界観

 地獄とは所詮、人が考え出した世界。そんなのがあるわけがない。すべて己の心が作り出す世界である。だから地獄は千差万別、人の解釈次第、その土地の文化の違いで、様々な地獄が存在する。日本の地獄と西洋の地獄とは違った様相を見せる。

 幸いなことに、日本仏教は輪廻転生の思想が根底にあるので、地獄の話も怖ろしいようで、なぜか救いがある。日本ではどんな極悪非道の人間でも、死んでしまえば仏様である。日本では地獄にも刑期があって終身刑ではないのだ。一説では、500年周期で転生するという。魂の浄化が終わると転生できるという考えに救いがある。

 ところが西洋の地獄は、最後の審判といわれるように、一度地獄に堕ちると、永久に地獄である。西洋の神の審判は絶対なのだ。東洋の仏教思想は寛容があり、どこか救いがある。しかし中国では、死者の墓をも暴いて鞭打つという怨恨の強さがある。思想の違いで、どちらが幸せか、自問されたい。

 日本の地獄は魂の治療所だが、西洋では魂の懲罰所のようだ。地獄を研究するとその国民性がわかる。同じ人間だからと、その深層心理にある地獄観をわきまえないと国際政治で失敗をする。

 

AIとITが奏でる地獄狂騒曲

 近未来は、周りにサイボーグのような人間に取り囲まれ、会話はスマホ経由、用をするにも瞬時にAIで損得勘定が計算され、無駄なことは一切しない生活となる。ご縁も、瞬時に相手や事象の運勢鑑定、人相鑑定、将来の年収推定、人生履歴の鑑定、で付き合うに値する人かどうかを判定されて、失敗のない人だけとしか付き合わない人生が生まれる。

 それでいいの? 付き合ってはいけない人と付き合って、地獄の苦しみを味わい、なるほど付き合ってはダメだと体得する。やってはいけないことをやって痛い目にあって、やってはいけないことを学ぶ。

 縁とは、用があるから付き合うのではない。用を作りに出かけるからご縁が生まれる。それが極楽の始まり。何もない人生は地獄である。「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」の生活は地獄である。だから私は、馬場恵峰先生の考えに共感して、用もないのに用を作るため世間を走り回っている。少なくともボケ防止にはなる。

 

「源氏物語」とのご縁

 馬場恵峰先生が、源氏物語の誕生千年遠忌で、源氏物語に登場する和歌千首を色紙に揮毫された。私はその写真集を出す計画を進めている。試刷版は完成して、最終版の校正中である。その折、境野勝梧先生の「源氏物語に学ぶ人間学」のセミナーを知り、ご縁を感じて参加した。この講座で、この本に色を添えられる話題が得られれば幸いである。下図は馬場恵峰先生の書展での原本の展示である。色紙はすべて違う絵柄である。

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 2012年12月14日撮影

 

2018-08-03  久志能幾研究所 小田泰仙  

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