2018年11月28日 (水)

魔墨知251. 「そんな話は聞いていない」症候群を打破しよう

自分の責任 

  それは部下に対する報告の仕方の教育が悪い。正しい報告とは上司の時間を創ること。これができない部下は仕事ができない。

 それは部下が話を上げにくい状況を己が作り出していたのだ。日産のゴーンのように絶対君主みたいになると、誰も本当のことは言えなくなる。言えば唇寒しである。ゴーンに限らず、モノを言えない上司はごまんといる。そういう会社で不祥事が多発する。

 

部下の責任

 普通の善良な上司に上げる報告として、その報告書は、上司が1分で理解できる報告書ですか。結論が明確ですか。タイトルを見て、内容が分かる文書ですか。1日200通のメールが舞い込む上司の状況を理解して、メールや報告書を書いていますか。その状況を理解させるのも部下の務めである。情報とは情けの報せである。コミュニケーションとは情けに報せの伝達である。えたが、相手にしていない報告では、伝達がされていなくて、情けない。

 

2018-11-28 久志能幾研究所 小田泰仙

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魔墨知250.「そんな話は聞いていない」と言わない

 企業の不祥事が表ざたになり、トップが真っ先に言う言葉は「そんな話は聞いていない」である。しかい、今聞いたではないか? 聞いた時点で責任者として今後何をするか、それが問われている。「そんな話は聞いていない」とは被害者として逃げること。

 「そんな話は聞いていない」と言った時点で、すべての時間は死ぬ。それは誰の問題ですか? あなたは「時」を殺す人? 時は命なのだ。

 

己の責任

 なぜ、そんな話が自分の所の来なかったのか、それを追及するのが先なのだ。そんな話が来ない原因は己にあるのだ。言っても仕方がないと部下は思っていたのだ。

 

2018-11-28 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月27日 (火)

磨僕知120. 本気、怪気、妖怪気

「本気ですれば大抵のことができる。

  本気ですれば何でもおもしろい。

   本気でしていると誰かが助けてくれる」 後藤静香

 本気が時間の概念を忘れさせてくれる。本気なれば妖怪も助けてくれる。

 今日2018年11月27日、街おこしに関して本気になり、境港市のゲゲゲの鬼太郎で有名な「水木しげるロード」を視察してきた。朝6時に自宅を出て、片道6時間、現地滞在3時間、夜9時半に自宅にたどり着いた。ゲゲゲの鬼太郎の妖怪パワー(妖怪気)を貰って、収穫はあったが、チカれた。詳細は、明日以降に報告します。

 

2018-11-27 久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知100-1. 実践が全て

 いくらうまい酒の肴があっても、迷って食べなければ、その味は分からない。いくら至道といえども、学ばねば、それが善なるかが分からない。

 まず入門書でも1ページ目をめくろう。たったそれだけで、新しい世界が広がる。動けば、実践すれば、何かが変わる。そこから無限の時間が生まれる。

 迷っている間に、後ろから死はヒタヒタを迫りくる。日暮れて道遠し。先を急ごう。やった者勝ちなのだ。やれなかったのではない。やらなかったのだ。やらなかったという悔いのない人生を送りたい。

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2018-11-27 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月26日 (月)

裸で生まれて 裸で死んでいく

 今夜2018年11月26日、町内の方のお通夜があり急遽、参列をした。厳粛な式の中、日頃、忘れていた死を思い出した。通夜式の最後に、故人の生前の写真を時系列にプロジェクターで映し、個人を偲ぶ趣向があった。元気だったころの仕事中の姿から、退職してから皆とゴルフ、旅行をして元気だったころ、老いてお爺さんになり、孫を見て顔をほころばせている時までを映し出していた。その映像を見て、日頃忘れていた現実、人は老い、死んでいく現実に、引き戻された。

 

人の一生

 人は、寝て一畳、立って半畳、食べて一合、飲んで一升。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。足るを知る生活には、一衣一鉢の黒衣で足りる。今は、物があり過ぎるから、争いが起こる。余計に金を持つから、更に金に執着心が起きる。今回の日産のゴーン氏の強欲ぶりの醜態をマスコミで知って、更にその思いを新たにした。

 持たない生活、食べない生活、一人でいても寂しくない生活を目指すべきだ。知足の生活に幸せがある。かのソロモン王でさえ、己ほど着飾ってはいなかった。今の己の生活を振り返る機会を頂いた。

 

五蘊

 蘊とは、仏教用語で、「集まり」の意味である。五蘊として人間の肉体と精神を五つの集まりに分けて示した。仏教では、この五蘊が集合して仮設された存在が人間であるとして、五蘊仮和合と説く。これによって五蘊(=人間)の無我を表そうとした。古くは阿含経の中に言及されている。五蘊は次の5種である。

 「色」は物質的存在を示し、「受」「想」「行」「識」は精神作用を示す。人間の心身の機構を羅列的に挙げ、それによって人間の生存およびその環境の全てを表そうとした。

 

色蘊 :人間の肉体を意味する。

            後には全ての物質も含む意味になった。(例:桜そのもの)

受蘊 :感受作用(例:桜の木をみて「美しい」と感じる行為)

想蘊 :表象作用(例:眼をつむって「桜」というイメージを思い浮かべる行為)

行蘊 :意志作用(例:桜の枝を瓶にさしてみようと思い巡らす行為)

識蘊 :認識作用(例:「桜」と認識する行為)

 

下記の書画は、馬場恵峰先生に揮毫をお願いしたら、我々が先生の書を撮影している間に、直接、軸に揮毫をして完成させてしまわれた。脱帽です。

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    2016928日 揮毫

2018-11-26 久志能幾研究所 小田泰仙

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米国の未来の肥満は反面教師

 「2030年には、米国人の42%が肥満になる」と言う見通しがワシントンで開かれた米疾病対策センター(CDC)の肥満に関するフォーラム(2012年5月)示された。今後20年間で、医療費だけで44兆円の負担増になるという。

 44兆円とは、世界一の軍事力を持つ米国軍事予算50兆円に相当する。内なる敵が米国を攻めている。その防衛費が44兆円越えである。日本の国家予算の半分である。肥満になれば、高血圧、糖尿病、認知症と医療費は高騰し、頭は働かなくなるし、社会の無駄な消費は増えるし、社会の活力は失われる。国の衰退である。その件を下記に考察した。

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帝国の繁栄

 近代の歴史では100年間、繁栄が続いた帝国はない。帝国の繁栄は、スペイン、オランダ、大英帝国と続いた。大英帝国は一時、日の沈むことはないと誇示した広大な植民地を築いた時代もあった。

 それに楔を打ち込んだのが太平洋戦争である。これによりアジアの植民地が解放された。美味しい餌を奪われる結果になった欧米が、日本を憎む原因がここにある。その陰湿な仕返しが東京裁判である。しかし戦後長く続いたアメリカの繁栄も、時代の流れには逆らえない。その繁栄を崩壊させるのは己の食欲さえ制御できない意志の弱さである。敵は内にある。それを考えると、1000年の間、続いたローマ帝国は驚嘆である。その帝国も国民の退廃で滅亡した。ローマには、歴史を考えるヒントが溢れている。

 

肥満と痴呆化

 日本はアメリカの流行の10年遅れで動いている。他山の石として、警戒すべきである。その兆候があちこちに出ている。その兆候の最たるものが、肥満化と頭の痴呆化である。現代社会が金儲け主義の企業の跋扈のため、飽食の罠と痴呆化の罠を作り出している。動物に近い強欲さで生きている狩猟民族が、近代化という錬金術で手に入れた金のせいで、肥満化と頭の痴呆化になるのは、神がしくんだ落とし穴である。

 

苦役と働く喜びの差

 欧米の労働感では、働くとは神がアダムとイブに課した苦役である。だから金が出来たら早く引退してのんびり暮らしたいという欲望がその背景にある。欧米の労働に対する価値観は、働くことが尊いという日本の価値観とは対極の位置にある。その金を得る為、人の金を強奪するための正当化の教義として、グローバル経済主義が生まれ、その結果として1%の富者が99%の富を独占すると言う社会が生まれた。

 

ローバル経済主義者

 その典型が、日産のゴーン氏の破格の給与が以前から問題になっていて、今回の逮捕事件(2018年11月19日)となった。どう考えても、トヨタの役員全員の給与総額が15億円なのに、ゴーンが一人で20億円をかっさらうのはまともではない。拝金主義の極まりである。それは戦前の植民地強奪戦争を思い起こさせる。その後継者がグローバル経済主義者である。

 

日本文化継承の務め

 しかし日本には、おかげさまで、自然との調和、共生、知足、利他の心という文化がある。日本食という健康に良い文化もある。欧米化した悪しき教義を見直して、新しい時代を創るのが、年長者に課せられた「仕事」である。それも後姿を見せるだけでいい。新しい時代を「創る」のであるから、血みどろな戦いが必要である。しかし認知症に犯された老人には無理である。

 年長者が生涯現役で働けば、歳を取り遊んでいる欧米諸国に勝つことが出来る。地道に働くだけである。ウサギと亀の競争を思い出そう。繁栄の資源は、己の内にある。

 

吸血鬼ビジネス

 なぜ米国人の肥満が減らないのか、なぜ増える一方なのか。砂糖が大量に入った清涼飲料水、スィーツの氾濫、ファーストフードに代表される工場で大量生産される食料は、利益万能主義で、いかに大量に消費者に飲食してもらうかが、企業経営の目標になっている。2014年夏、米国企業の不衛生なチキンの製造工程が露見したニュースが世界を駆け巡った。金儲けの前には国民の健康は眼中にない。

 そして太らせたカモは病気になり、医療と大量の医薬品が投入され、医療機関、薬品業界が儲かる仕組みとなる。本来、病気にならないように、悪い飲食物を規制すればよいのだが、米国のロビー活動で、それを業界は妨害する。ロビー活動とは、実質的に賄賂工作と同じであるが、ロビー活動という「美しい名前」で世間をごまかしている。これは人の生血を吸って金儲けをする吸血鬼ビジネスである。

 

節税・脱税の鬼

現 在、金儲け最優先の企業は行き過ぎた節税策を展開中である。「タックス・インバージョン(Tax Inversion) とは、節税のために本社を海外に移転させる節税策だ。合法ではあるのだが、企業倫理的には間違いである。具体的には、米国企業が米国よりも法人税率の低い外国の企業を買収して合併、その上で合併後の 新会社を書類上は外国の会社として法人税を抑制する、という手口だ。こうした動きはこの1年ほどで加速している。今年春に持ち上がった 製薬大手の米ファイザーと英アストラゼネ力の合併話(結局不成立)で、この手法が大きな注目を集めた。

 ロイターによると、節税行為の1位はゼネラル・工レクトリックで1100億ドル。以下、Microsoftは764億ドル、ファイザー は690億ドル、製薬大手のメルクは571億ドル、Appleは544億ドル、である。

 税金とは、公共の設備の利用料である。節税とはそれをキセルするという反社会的行為である。吸血鬼ビジネスに携わる業界が、この節税に熱心なのは頷ける話であり、情けない話である。

 

税金が高いのを喜ぼう

 松下幸之助翁は税金を納めるのが誇りであるというが、現代の米国企業は情けない根性に成り下がっている。これが今を時めくグローバル経済主義である。税金が高いとは、人より能力があり、収入が多いと国が認めてくれた勲章である。沢山税金を納めると、ご褒美で更に収入が増えていく。それを喜ばないから、豊かになれない。

 

2018-11-26 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月25日 (日)

「時代衣装で振り返るファッションショー」で伝えたいメッセージは何?

ファッションとは何か

 ファッションとは、ある時点において普及している形式や風習である。特に、人々の間で流行している服装を指す。さらに広義には音楽などの文化やライフスタイルまでをも包括しうる。

 人の生活スタイルは、衣食住に大きく依存する。衣装はそれに一番密着した項目である。特に現代は、衣装が女性の美しさをアピールする道具としての位置づけが大きい。大垣市は、戦後、繊維産業で栄えた歴史があるが、それは素材を生産しただけで、大垣がファッション産業で栄えたわけではない。

 最新のファッションに盲目的に追随する人は「ファッショニスタ」とか、ファッション中毒等と呼ばれる。また、さまざまなファッションを着て見せびらかすという行為は、文化レベルが高いとは言えまい。人は中身である。ファッションショーのきらびやかな仮面は何を意味するか。ファッシンとは流行に流されるイメージが強く、私はあまり好きでない。ファッションにも芸術性もあるが、消耗品・実用品のイメージが強く、芸術的価値が高いとは言えまい。

 

問題提起

 2017年11月17日、大垣城ホールで大垣市熟年式イベント前の「かがやきステージ」のオープニングイベントで、高校生提案行事として平野学園清凌高校による「時代衣装で振り返るファッションショー」が開催された。学生のイベントとしては、見ごたえがあったが、行事として違和感があった。単に、学園が所有している衣装で、過去の時代の衣服を再現するだけのショーであった。

 生徒作のデザイン衣装のファッションショーとしての披露もあったが、そのファッションショーが、大垣市制100周年記念にどういう関係があるショーなのか疑問が残った。単に小川敏市長の趣味なのか。

 今回の平野学園の「時代衣装で振り返るファションショー」はその大垣市の歴史100年には関係ない内容のファッションショーであった。平野学園の高校生は、何を大垣市民に訴えたかったのか。

 

ショーとしてのコミュニケーション目的

 ショーでも展示会でも小説でも、そのテーマから観客の伝えるべきメッセージがなければならぬ。ショーも一つのコミュニケーションである。コミュニケーションとは情報の伝達である。このファッションショーでは「伝」は有ったが、観客に言いたいことが「達」していない。情報を伝達したら、観客に行動を起こしてもらわねば、コミュニケーションの失敗である。普通のファッションショーでは、観客に新しい服の購入を促すのだ。

 このショーにあるのは大垣市から金をもらって、過去の時代の衣服を時代順に再現しましただけだ。で、それがどうしたの? それが大垣の次の100年にどういう意味があるの? 観客の我々は、何を持って帰ればよいのだ。10年後、このファッションショーを振り返って、次の100年にどういう価値を生みだすのか。このショーを見て1997年のスミソニアン博物館での、伝えるべき伝言が抹消されたエノラ・ゲイ展を思い出した。

 冒頭に生徒作の最新ファッションの披露があったが、ショーのストーリーとして全体展開で、違和感を覚えた。その部分が後半の時代衣装ショーとストーリーで繋がらないのだ。その時代衣装でのショーの後、また最新ファッションの披露である。ストーリーの論理構成が破綻している。聞き手が急に話の話題を変えられたようで、違和感を覚える。

01dsc04689 「時代衣装で振り返るファッションショー」大垣城ホール  2017年11月17日 

 ガラすきの観客席

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100個の行事の一つの賑やかし?

 私の感触では、このファッションショーは平野学園の学園祭で開催すべきレベルの行事である。何も市民税を投入して、大垣市制100周年記念行事の一環で、熟年式前の行事で開催する話ではない。観客もわずか200名程度である。熟年式に招待された関係者を除けば、実質50人のほどの少人数である。

 このファッションショーで平野学園の生徒は何を大垣市民に伝えたいのか。それが大垣市制100周年記念行事としてどういう位置付けになるのか。せいぜい200人の観客(多くは関係者と推定)のために、市民税を投入するのは、一部の学園への利益誘導ではないのか。開催をヤメにしたら何か影響があるのか。影響がなければ、無駄の行事である。100個の行事の一つとして賑やかしで出されたみたいだ。

 

後世に何が残るのか?

 今回の開催レベルでは、単に、大垣市制100周年記念行事の予算の消化行事となっている。単なる時代衣装のファッションショーでは、後世に何も残らない。フーン、そうなの、で終わってしまう。モデルにスポットライトが当たったのは、虚像であったようだ。翌日の岐阜新聞も中日新聞も無視である。

 

提案

 家のタンスの奥に眠っている和服や着物を、現代風に仕立て直して、熟年式に参加する人が着て、ファッションショーをする。それなら熟年式を盛り上げて、平野学園がファッションショーをする価値がある。平野学園の学生も、創造性の発揮できる学びの機会となる。今回のように単に、学園が所有している衣装で過去の衣服を再現するだけなら、学園祭でやるレベルの行事である。何も学生のファッションショーを見るのに、熟年式のアトラクションとして、大垣市民税を投入して、開催する話ではない。

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04dsc04629オープングで上図の現代スタイルのファッシンの披露があって、なぜ次に平安時代なのだ。

05dsc04641 平安貴族の衣装 

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平安貴族の女性

07dsc04665 武士の男女 

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武士の正装

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芭蕉の時代衣装の披露の場に、なぜ、現代版のキャラクターが出てくるの? 論理の破綻である。

10dsc04735 時代衣装の披露が終わったらまた創作作品

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2018-11-25 久志能幾研究所 小田泰仙

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魔墨知260.  「醜い姉妹」を排除しよう

情報を一カ所に集める

 捜し物はあちこちに分散するから探せない。入り口を一つにして検索するシステムにしておけば、探す時間が短縮できる。その基本は5Sである。情報の整理整頓清潔清掃をきちんとすれば、情報を探し回る時間ロスをなくせる。

 

「醜い姉妹」

 イギリスの心理学者ジェームズ・リーゾンは「醜い姉妹」という概念を提唱している。童話『シンデレラ』では、真夜中にガラスの靴を落としていったシンデレラを、王子様が捜し回り、シンデレラ宅にたどり着いた時も、「醜い姉妹」たちがガラスの靴の持ち主は自分たちだと言い張り、王子様のシンデレラとの再会を妨害する。

 つまり、目当ての物を探し当てようとしているのに、「醜い姉妹」が邪魔をしている。「醜い姉妹」とは「記憶の混乱」である。試験前に、一生懸命にたくさんの項目を覚えて行っても、たくさん覚えた記憶がノイズになって、試験で答えるべき項目を思い出せなくする。類似項目は、さらなる混乱を引き起こす。これが「醜い姉妹」である。

 それらを1つに絞り込めば、「醜い姉妹」の問題に悩むことはない。メモに限らず、ノートでも書籍でも預金通帳でも、似たような複数の物を管理手段として使う限り、「醜い姉妹」の問題は現れる。

 やるべきことを絞れば、その目的は明確化する。最重なことをやらない時間は、価値を生まない時間である。

 

2018-11-25 久志能幾研究所 小田泰仙

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大垣市制100周年記念行事は「醜い姉妹」作戦

 大垣市制100周年記念行事で、同じような行事を100個も実施しても、数が多すぎて、「醜い姉妹」の問題となっている。小川敏市長が、100周年記念行事で、何が何でも100個の行事をしたいというは異常行動である。大垣市民の大多数はそんなことを望んでいない。

 

何が一番大事か

 大垣市制100周年記念行事で、何を後世に残したいのか。何を市民に残したいのか。何を祝いたいのか曖昧である。市民には、行事の数が多すぎて理解不能である。誰が喜ぶのか。本当の記念すべき行事は何なのか。やるべき祝賀行事だけを実施すれば、総額費用3億4千万円など不要である。それは市民税と言う血税であるが、小川敏市長にとっては、それは人の金で、あぶく銭であるようだ。なぜその金の一部を小学校エアコン設備に回せないのか。

 

あぶく銭で「醜い姉妹」作戦

 小川敏市長には、「醜い姉妹」を前面に出して、どうしてもその金をばらまきたい理由があるようだ。それをカモフラージュするための100の行事(「醜い姉妹」作戦)であるようだ。あぶく銭が動けば、何かが裏で動く。

 小川敏市長にとって、大垣市制100周年記念行事予算は、あぶく銭である。あぶく銭には虫がまとわりつく。だから、その使途用途は条例でマル秘扱いにしたのだ。

1dsc04578 2018年11月17日 熟年式のオープニングセレモニーでの挨拶で、

 「この行事が75番目で、あと25の行事をします」と豪語する小川敏市

 

「醜い姉妹」

 イギリスの心理学者ジェームズ・リーゾンは「醜い姉妹」という概念を提唱している。童話『シンデレラ』では、真夜中にガラスの靴を落としていったシンデレラを、王子様が捜し回り、シンデレラ宅にたどり着いた時も、「醜い姉妹」たちがガラスの靴の持ち主は自分たちだと言い張り、王子様のシンデレラとの再会を妨害する。

 つまり、目当ての物を探し当てようとしているのに、「醜い姉妹」が邪魔をしている。「醜い姉妹」とは「対象物の混乱」であり、目的の曖昧化である。やるべきことが多すぎると、本来の目的が見失われる。類似項目は、さらなる混乱を引き起こす。これが「醜い姉妹」である。

 それらを1つに絞り込めば、「醜い姉妹」の問題に悩むことはない。似たような複数の物を管理手段として使う限り、「醜い姉妹」の問題は現れる。やるべきことを絞れば、その目的は明確化する。醜い姉妹と付き合っている時間は価値を生まない時間である。

 

2018-11-25  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月24日 (土)

魔墨知100. 迷ったことはやってしまおう

 神でもない我々が、いろいろと考えるのは時間の無駄である。まずやってみて途中で間違いと気づけば、即止めれば良い。

 それは命を掛けて考えることですか。やれば、間違えるという貴重な経験ができる。転んでも、タダで起きなければよい。その失敗が、己を賢くしてくれる。敢えて問題を起こした方が、真理が露見する。なあなあでは、真理は見えてこない。問題が起きても、人間界で起きたことは、人間界で解決できる。何を恐れることがあろうか。間違っても、仏様が守ってくれる。

 失敗から閃きがでて、百年の迷いが一日で悟れるかもしれない。考えているだけではダメなのだ。

1img_4859   馬場恵峰書

2018-11-24 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。