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2023年5月

2023年5月30日 (火)

タイムマシン巡礼、勘違いで目的地4000年前に着地

 岐阜市川原町 Gallery Saganで開催されていた「吉川充 陶展」の作品群に刺激を受けて、縄文文化の確認のため縄文遺跡に行こうと思い立った。

 それで2023年5月25日、静岡の登呂遺跡を思い出し新幹線に飛び乗った。しかし着いた場所は2000年前の弥生時代の登呂遺跡であった。本来の目的地である縄文時代は6000年前である。私の勘違いでタイムマシンのナビ設定を4000年も違えた。時代が違うと雰囲気が全く異なる。しかし歴史遺跡を見ることは先人の知恵を受ける事だ。登呂遺跡に来れたことは「吉川充 陶展」が招いてくれたご縁だから、登呂遺跡でしっかりと弥生文化を観察した。

 その結論 「縄文文明人、弥生文明人は現代人より人間的で文明的である。なぜなら縄文文明人、弥生文明人は人の殺傷用の武器を持っていなかった。それで13,000年も時代が続いた。日本の近代でさえまだ155年間である。彼らは自然に対して畏敬の念を持っていた。1000年間も続いたローマ帝国のローマ人より文明的である。」

 

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  登呂遺跡   2023年5月25日撮影

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 登呂遺跡博物館内の展示

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時代の長さ

 縄文時代は13,000年間も続いた平和な時代である。弥生時代でも約650年続いた。縄文時代に比べれば、弥生時代の650年間は短いが、江戸時代の260年間に比べればはるかに長い期間である。明治以降、現代までの近代時代でもわずか155年しか経っていない事を比較すれば、驚異的である。

 

文明度とは?

 グローバル経済主義で、文明を進化させ、技術を発達させ、貨幣経済を発達させ、武器を開発して、戦争で植民地強奪競争をしていた時代に比べて、何方が文明的なのだ、と考えてしまう。

 徳川家康は日本を鎖国して、日本を守った。それが逆に欧米の植民地強奪戦争から距離を置いた結果となり、幸いしたようだ。現地人を虐殺し、植民地にして領土を広げた欧米人が文明的ではないだろう。

 

平和維持

 江戸時代は階級社会、封建社会で、強引に平和を維持した時代である。しかし、縄文時代も弥生時代も戦争のない平和な時代が続いた。その期間の長さでも世界の文明の中、稀有の存在である。縄文時代も弥生時代も遺跡からは、人を殺傷する武器が出土されていない。調査によると縄文時代では、争いで亡くなった遺骨は1.8%ほどで、他の文明遺跡に比べて5分の一ほどだと言う。1000年続いたローマ帝国でもその歴史博物館の展示を見ると、城攻めや人との戦いの殺傷道具が多く展示されている。欧米人は、武器の発達が文明の進化と思っているようだ。

 

縄文土器の模様

 当時の平均寿命は30~40歳であったようだ。その状況で種族の繁栄のための性の営みは重要視されていただろう。またその性のおおらかさ、自然界への怖れへの現れなのだろう。それが縄文土器に表されて呪縛的な文様であるようだ。また女性賛歌の土偶であるようだ。その生への願いは直接的に土器の模様に込められているようだ。女性の土偶は多く作られたが、男性のそれは数が少ない。それだけ女性への畏敬があったのだろう。縄文土器は実用的には無意味で華美な装飾がされている。それが弥生時代になると、文明が進歩して稲作生活に変わり、生活がより安定したため、実用的な土器に変化していて、呪文的な土器は少ない。

 吉川充先生作の陶器の彩色模様は、その縄文人の真剣な願いを込めた模様にヒントを得ようとしたようだ。

 

___1jpg 縄文土器  wikipedia より

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   弥生土器

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 弥生土器

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  吉川充作 陶器 縄文の模様を施す    画廊 Saganにて

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ローマ文明博物館

 2010年、私はイタリアに10日間の旅をした。ローマにある「ローマ文明博物館」で、ローマ帝国の歴史を学んだ。そこには1000年も続いたローマ帝国の歴史が展示されていた。いまそれを思い出し、縄文文明、弥生文明と比較した。

 ローマ帝国1000年の歴史は他国との戦いの歴史で、「ローマ文明博物館」はその遺物の展示館である。他国の城を攻める大型兵器、石の建屋を建設してきた歴史の展示であった。 

下図は「ローマ文明博物館」の展示品  2010年 著者撮影

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ローマ文明博物館の展示品  紀元前2世紀くらい  

   住居の構造は縄文文明、弥生文明と大差なし

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 紀元前7世紀くらいの兵士の制服

   当時、日本は縄文時代の後期である。

   武器を誇らしげに展示する戦いの文化には考えさせられる。

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   当時の投石器  模型

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  当時の城攻めの様子

  人を殺傷する武器や城攻めの大型武器の展示品が多い。縄文文明、弥生文明と大違いである

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 獲得した領土を誇示する皇帝  

 ローマは一日にしてならず。ローマ帝国は、他国を1000年かけて攻めて、ローマ帝国に包含同化していき、少しずつ帝国領土を拡大していった。ローマ帝国の1000年は、戦いの歴史であった。

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進化?

 文明の発達とは、人間の文化・精神面の進化である。それが武器に同調した進化では本末転倒である。スマホをいくらいじっても人間性は向上しない。弥生時代の登呂遺跡を見学して、縄文時代の調査をして頭に浮かんだ思いである。

 文明の進化より大事なことは、人の進化である。人として一番大事なことは、人が動物として生まれて、人間に成長することだから。縄文時代に自然界の何物かを畏敬して呪文的な土器を作っていた縄文人のほうが、文化的で精神的に高尚ではなかったのか。現代はなぜか精神的にはどんどん貧困になっているようだ。当時は、死刑になりたいからと無差別殺人を犯すような「動物」はいなかったはずだ。 他人の不幸を省みず、グローバル経済主義を驀進させて、金儲けのため大量殺戮兵器を大量生産する野蛮人は文化的ではないだろう。

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2023-05-29  久志能幾研究所通信 2695号  小田泰仙

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投稿時刻 00時42分 m-美術館・博物館巡り | 個別ページ | コメント (0)

2023年5月26日 (金)

満身創痍の命(2/2) 「ガンのお話し」選書

 

 私はがんになり、発見が遅れ、ステージが進んでいたため、5年後の生存率51.6%と診断された。つまり同じ病気の人が、5年後には半分は死ぬ。それで、その対策を得るため、万巻の書と多くの記事を読み漁り、医師を探すため全国を走り回り、その過程を経て、がんの真の知識を得た。何事も満身創痍の創を受けた闘いを経ないと智慧にならない。

 問題が起これば、まず火を消して、そのあと、原因を探し、再発防止をする。その原因追及でも、なぜなぜを5回繰り返し、真因を見つけ出す。それが私が会社の研究開発部門で培った問題対処法である。それを対処療法で誤魔化すから問題が大きくなる。

 下図は私の病気関係の蔵書である。私はがん以外にも、多くの病気を経験した。命にかかわるから真剣にその対策を探した。その集大成として、以下の書を読むべき本として推薦する。全て私の主治医の著書である。著書の医師には、私の治療にあたってもらった。直接お会いして信用できる先生と確信した。私はその指示に従った。だから今こうして生きている。感謝です。

 

南雲吉則著『命の食事』主婦の友社

南雲吉則著『乳がんのお話し』主婦の友社

南雲吉則著『病気が逃げていく! 紫外線のすごい力』主婦の友社

 がん発生の理屈とその対策が分りやすく解説されている。

 ガンになる真因は、狂った食生活と狂った生活習慣である。南雲吉則先生は乳がん専門医である。ごぼう茶の先生としても有名である。乳がんの発生原因は全てのがんの発生原因の象徴的な側面がある。乳がんの死亡数はこの30年で3倍になった。

 

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船戸崇史著『がんが消えていく生き方』ユサブル

 先生自身もがんになり、その治療を真剣に模索された。

 曰く「外科医ががん発症から13年たって初めて書ける克服法」。先生が説くことは、「がんが嫌がる5つの生活習慣を取り入れろ」である。

 それは、良眠生活、良食生活、加湿生活、運動生活、微笑生活である。そうでないとガンになる、である。

 私はガンセンターで手術後、ガンセンターの標準治療である抗がん剤治療を拒否して、船戸クリニックで船戸先生の治療を受けた。

 

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真島康雄著『脳梗塞・心筋梗塞は予知できる』幻冬舎

 高血圧もがんの遠因となる。真因を探って対策を打たないと病気は治らない。

 私は高血圧症で20年間、降圧剤を飲み続けた。それは対処療法である。血圧を強制的に下げるから結果として末端まで血が回らず、つまり組織の末端まで血液中の免疫酵素が行き渡らず、それが遠因で、がんになったと推定している。

 その血のめぐりが悪いことが諸悪の原因であったようだ。そのため白内障、網膜静脈閉塞症、記憶力低下になり、認知症寸前、脳梗塞寸前になっていた。諸悪の根源が血管の詰まりであった。真島消化器クリニック(久留米市)の真島先生の指導で高血圧が治った。

 

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2023-05-25  久志能幾研究所通信 2694号  小田泰仙

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投稿時刻 21時07分 ma_健康管理 | 個別ページ | コメント (0)

満身創痍の命(1/2)、ガンの真因と予防

 

 自然界には善も悪もない。因果関係があるだけである。仏教の根本思想の因縁と同じである。自然界の生物にとって癌になるのは悪でも善でもない。全ての生命に生老病死がなければ、宇宙が滅んでしまう。全ての自然界に新陳代謝がある。それが無いとは最悪の状況だ。因が有るから果が有るからだ。病気になるのは原因がある。ガンになるのはガンになる生活をしてきただけが原因である。そのプロセスの最高の結果として、がんになった。それだけである。それが、運がいいとか悪いとかの話ではない。だから癌になりたくなければ、がんにならない生活を送ればよいだけだ。

 言うなれば、がんになりたくてタバコを吸い、酒を飲み、ストレス満載の職場で働き、添加物満載のスィーツや菓子類を大食いしてきて、がんにならなかったら、宇宙根源の根源の法則を捻じ曲げるようなものだ。

 それはガンだけでなく、全ての事象に当てはまる。事件事故病気を起こしたくなければ、事件事故病気が起きないような取り組みをすればよい。

 

 がんは生活習慣病である。がんになったら、患部を切除して(状況で治療方法は変わる)、癌になった原因を探し、がんが再発しないような生活習慣に変えればよい。それだけである。

 社会でも、事件が起きれば、まずその対処(火消し)をして、次は起きた原因を探し、再発防止をする。ガン治療もどんな病気も同じである。それを対処療法ですませるから、再発する。

 

 特定食品(例として、アガリスク、鮫の油)を採ればがんが治るとか、がんにならないとかの怪しい治療等は、全て詐欺である。

 新興宗教の祈祷とお布施でがんが治ると言うのも、当然、詐欺である。それは宇宙根源の法則(例えばニュートンの法則)を、一個人のわがままで、捻じ曲げること。それこそ神を超える越権行為だ。それでは太陽が西から上がってしまう。

 「がんを全適したから完治です。今後は今まで通りの生活でよい」という医者はヤブ医者である。それは単なる対処療法しかできない医者である。ガンの治療は、がんが再発しない状態にしないと再発して元の木阿弥である。ガンになった環境を変えないと、がんは再発する。私はそういう医師に騙されて父を失った。

 

 がんになる環境は、狂った生活習慣、狂った食生活である。それで体内の免疫力が低下して、体内免疫系の防御システムのバランスが崩れて、がんが増殖する。がんは毎日一日に5,000個出来ているという。それを体内自衛隊の免疫酵素が殺して体を守っている。ガンになるのは、ガン発生とガン細胞の殺しのバランスが崩れた時である。

 自分を守るのは自分である。国を守るのも自衛力が無いと国が亡びる。自衛力の維持こそ、国の要である。米国に頼っても国を守れない。1,000年も続いたローマ帝国が滅んだのは、国の軍事を傭兵に頼りだしたからだ。トヨタでも、「自分の城は自分で守れ」の教えを守っているから、生き延びている。日産はそれを他国のルノーに頼ったから、食い物にされ、滅びかかっている。

 戦いが内部の体力を削ぐ。縄文文明が1万年も続いたのは、戦いが無かったからだ。縄文遺跡からは人を殺傷する武器が出土されていない。それが他の文明地の遺跡との大きな違いである。

 

 どんな人でも加齢により、免疫力が低下するから、80歳を超えると全員ががんになる。それが宇宙根源の摂理だからだ。しかし、多くの人はガン以外の病気が原因で死ぬから、医師が、ガン死と診断しないだけである。

 

 

2023-05-25  久志能幾研究所通信 2693号  小田泰仙

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投稿時刻 21時00分 ma_健康管理 | 個別ページ | コメント (0)

2023年5月24日 (水)

私の人生じまい

 

 ヒトは、人として生まれると、致死率100%の人生病になる。多くの人は、会社に入社して、「会社人間」として育ち、60歳になると定年という「死」が訪れる。それと同じで、人として生まれると平均で80歳、早いと60歳前、長くても120歳には死が訪れる。

 私の1年後輩の会社仲間は52歳の若さでガン死である。私の師は94歳で亡くなられた。生は偶然だが、死は必然である。死を意識せず生きて、死の床でやり残してたことを後悔しても遅い。人として、時間は永遠ではないのだ。

 

 

人生じまい

 人生じまいを考えるとは、自分の人生の考えることだ。今までは会社生活が忙しく、仕事に没頭し過ぎて、それを考える時間が無かった。定年後の時間は、それに費やすためにある。

 本当の人生じまいは、自分が人間になったかの確認作業である。人間として未完成なら、人として、その手直し作業をせねばならぬ。財産の処分や、お墓を建立とか、戒名を授かることは、小さな一工程である。もっと大事な人生工程は、人間になる仕上げ工程である。

 

 人は動物として生まれ、人間になるために修行の工程を経る。残念だが、多くの人は、人間にならず動物のまま死んでいく。「人間にならず」ではなく、「人間になろう」としなかったので、結果として、人間になれなかっただけだ。人は学ばなくなると宿命的な存在に堕ちる。つまり学ばなかったので、動物の本能のまま生きて、宿命的な犬畜生に堕ちるのだ。そうならないようにすることが、人間としての学びの修行である。最近の悲惨な事件を数多く見せられると、それを強く感じる。

 

死ぬまでにやりたい100項目

 人生で、「死ぬまでにやりたい100項目」を書き上げるのも自分の人生を振り返るための行動としてよいことだ。それで自分の今までの生き方と、出来たことできなかったことが明確にされ、今後の生き方を明確にできる。原稿の締め切りでも、志望大学の入試日でも、仕事の締め切りでも、期限を目前にして、初めて自分の過去の行動を悟るのだ。期限を目の前に突き付けられないと、悟らないのが人間だ。それで私は何度も一夜漬けをしてしのいできて後悔している。しかし死の準備は、そういうわけにはいかない。

 ある時、突然の事故死や突如の余命宣告を受けることがあるのが現代である。何時そうなっても良いようにしておかなければ、悔いが残る。

 

宇宙根源の理が死を教える

 還暦を過ぎると、体のあちこちに不調を感じ、がんにもなり、周りの仲間も次々と鬼籍に入っていく。そうなれば嫌でも自分の死期を意識せざるを得ない。私もがんになり、それに目が覚めた。天がその死を教えてくれる。太陽も朝に日が昇り、何時かは日も沈む。時には天が真っ黒な雲に覆われ、暴風雨が来て、実質的に一日が終わる日もある。人の人生も同じである。

死が分かっているから、やりたいことをやり切って旅立ちたいものだ。そうしないと、やりたいことが出来る体力がなくなってしまう。人生は生老病死である。最近は、自分の体のことで、「昔はこんなはずではなかったのに」と思う日々である。

 紅顔いずくにしか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし(修証義 第一章)

 

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   馬場恵峰書

 

 

2023-05-24  久志能幾研究所通信 2692号  小田泰仙

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投稿時刻 23時23分 c-馬場恵峰師の書・言葉, l4_詞天王が詠う老計・死計 | 個別ページ | コメント (0)

2023年5月23日 (火)

巡礼 「柴田節郎 陶展 跡-83」、Gallery 芽楽

 

 2023年5月18日、名古屋名東区Gallery 芽楽で開催されている「柴田節郎陶展 跡-83」の展覧会を鑑賞した。「柴田節郎陶展」は3月にGallery Saganで開催された。その続きの鑑賞である。残念だが柴田節郎氏は在廊されなかったが、良い作品を鑑賞することが出来た。今回は前衛的な作品ではなく、魅力的な茶碗が大多数であった。いいなと感じた作品は既に販売済のマークが入っていた。

 このギャラリーは、住宅街に位置し、普通の一軒家の一階部分を画廊と喫茶室にした構成であった。落ち着いた雰囲気の画廊で、多治見焼のコーヒー茶碗で美味しいコーヒーを堪能した。美術品の鑑賞には良き環境が必要なのを再確認した。

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 Gallery 芽楽

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2023-05-23  久志能幾研究所通信 2691号  小田泰仙

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投稿時刻 22時52分 m-美術館・博物館巡り | 個別ページ | コメント (0)

2023年5月21日 (日)

巡礼 「春陽展」、天上天下唯我独尊

 

 2023年5月18日、名古屋で開催されている第100回記念春陽展、八幡はるみ展、柴田節郎展、中島法晃展の4つの展示会をはしごしてきた。大都会の大展示会場はとても広く、展示品が多く、見て歩くだけで疲れる。またその各会場も遠く離れているので、地下鉄、バスを乗り継ぎ、地下街の階段の上り下りが続く「山道」ばかりで、体力の落ちた私には超過酷な巡礼の旅であった。美術鑑賞の巡礼も体力がいるのだと思い知った。

 でもなんでそんな疲れることを私や他の絵画愛好家もするのだろう? 

 今回、自分で自分に問うてみた。

 

なぜ絵を観るの?

 今回同行した知人は、自分の鑑賞眼を磨くために行くという。

 私が絵画展に行くには、好きだからはもちろんだが、何故か憑かれたように絵画展に足を運ぶ。自分でも自分の行動が良く分からない。推定するに、潜在意識として、美術品への感性を高めたいという本能だろう。明日の生活に不安があれば、そんなことはできまい。だから幸せだと感じる。

 あわよくば、盗んできたくなるような絵に会えるのを期待しているかもしれない。私の名画の定義は、捕まってもいいから盗んで家に飾りたくなる絵である。幸いなことに、そんな絵にはまだ出会っていないので、まだ逮捕されずすんでいる。

 

なぜ絵を描くの?

 一生の間で一枚しか絵が売れなかったゴッホ。それでも彼は、極貧生活の中、なぜ絵を描き続けたのか。多くの著名な画家でも、売れない絵を死ぬまで描いている。画家は自分の生活を犠牲にしてまでして描き続けている。なぜ?

 今回の「春陽展」でも、売るあてのない100号の絵が数多く展示されている。中部地区の会員だけでも130作品もある。「春陽展」会場には、全国の会員の作品が1000点弱も展示されている。

 100号の絵画を制作することは、文化レベルが高くないと不可能である。国と個人が裕福でないと、これだけの絵は集まってこない。裕福でないと、それを描く場所、保管場所、絵の具材の費用を出せない。それだけ日本が豊かである証拠である。中東で戦争に明け暮れている国では絵も描ける環境ではない。飢餓に苦しむ国では、そんな絵も描ける経済環境にもない。だから今の日本は幸せだと思う。それを日本人は忘れている。絵画鑑賞も絵画制作は、人生の贅沢な遊びである。生活に余裕がないと遊びはできない。それが文化レベルが高い状態である。自分の幸せに感謝をしよう。

 

天上天下唯我独尊

 「唯我独尊」とは、「ただ、我、独(ひとり)として尊し」との意味である。それは、自分に何かを付与し追加して尊しとするのではない。他と比べて自分のほうが尊いということでもない。天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間としての存在である。しかも何一つ加える必要もなく、この命のままに尊いという発見である。それを芸術家は、創作する作品を通して主張しているようだ。

 芸術の「芸」と言う文字は草冠に「云う」である。これは匂い草の象形文字である。匂いは人により、時代により受け入れてくれる人が千差万別である。万人受けするわけではない。それが芸術である。ゴッホも、時代が変わったら評価が180度変わった。芸術家はそういう宿命である。それでも芸術家は我が道を行く。

 派手なジャンバーを着て、突っ張って自分を誇示し、爆音を立ててバイクを走らせる行為も同じことだろう。それも自己主張の一形態である。それがバイクか絵画かの違いであるようだ。

 だから、「春陽展」で絵画が1,000点も展示されていても、気になった絵は数点でしかない。それが芸術作品の宿命なのだ。 今回の春陽展でそれを再確認した。

人生は芸術作品

 それは仕事でも、その作品(建築物、機械、社会的プロジェクト)の中に自分の主張を入れ込むと同じである。それが、自分がその時代に生きた証を遺すことだ。それが自分の付加価値の主張である。だから、私は仕事こそが芸術だと思う。同じ論法で、経営も芸術である。人を創る教育も芸術である。

 

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下図の絵は、私の嗅覚に反応した気になった絵である。

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2023-05-21  久志能幾研究所通信 2690号  小田泰仙

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投稿時刻 23時33分 m-美術館・博物館巡り | 個別ページ | コメント (0)

2023年5月20日 (土)

墓はじめ 基本設計1 巻石

 

 今の自家のお墓は60年前(1963年)に父と父の兄が共同で建てた。しかし2015年当時で築52年も経つと、墓石が風雪の影響を受け、墓石の傷が目立ってきた。冬に雪が降り、その水分を墓石が吸い、夜に凍結し、昼に融解する現象が長年続くと、墓石が疲労破壊される。

 2015年、叔母が亡くなり、結果として祖母の家が絶えたので、私がそのお墓のお守りを引き受けた。叔母の家の墓4基と今の自家のお墓と従弟のお墓の計6基の墓を3基に統合する計画を立てた。石屋さんにお墓の基本設計をお伝えした。

 

基本方針

 改建をする目的の第一優先は、風雪対策、地震対策、メンテナンスフリー、再発防止である。

 改建するにあたり、華美を避け、質実剛健、統一感ある現代風デザインで、塔婆立てと墓誌を建てる。その際、ご先祖のおもてなしもする、である。

 どういうわけか、計画した当時は将来に自分もその墓に入るとは全く考えていなかった。当時、まだ体力があり、元気溌剌であったので、全く死を意識しなかったようだ。今にして、考えが幼いなと思う。人は必ず死ぬのだ。死線をさ迷う経験をしないとその気にならないようだ。その咎で、後年がんで死線をさ迷う羽目になった。

 

土台(巻石)

 菩提寺に墓参りに行って、いつも気になるのは、隣のお墓の草の放置である。隣のお墓の土地には砂利が敷き詰められていて、そこにはいつも雑草が生い茂っていた。砂利では必ず雑草が生えてくる。もしそれが自分の家のお墓なら、墓参りの前にその除草だけで疲れてしまうだろう。私もいつまでも若くない。それもお盆の炎天下での除草なら大変だ。

 その土地に砂利を敷設する場合、周辺を縁石で囲って作るが、それが長い間にずれてしまう。その保守が大変である。

 その対策として、石屋さんの助言で、一枚の土台石(巻石)で墓のベースを作ることにした。一枚の石なら、縁石がずれることもない。そこから雑草が生えることを防げる。そうしたらよい石があるとの情報があり、それを発注した。

 

巻石入荷

 その石の加工は中国で行った。残念だが、現在の日本では加工できないという。中国での加工が終った墓石が日本に入庫した連絡を受け、2015年10月21日、石屋さんと一緒に大阪の石材問屋に確認に出向いた。

 

 最初に目に飛び込んできたのは、石材店の仮置き場に置かれた一枚づくりの巻石である。長さ3.6m、幅1.5m、厚さ37cmの一枚づくり巻石の梱包を傍で見て、とんでもないものを注文したものだと、吾ながら呆れた。原石の重さは32トンという。

 石材店の所長さんも、この大きさの石は今まで扱ったことがないという。これより大きい墓所の巻石は数多く存在するが、複数枚の石材を組み合わせて構築するので、一枚石づくりでは存在しないという。そういう意図は無かったのだが、結果としてエライことになってしまった。

 

ご縁の流れ

 今回の不思議なご縁で、3基のお墓を同時に建立することになり相応の大きさの巻石が必要となった。お墓の建立後に草取りや掃除等の手間を少なくする目的で一体構成を検討した結果である。たまたま大きな石材が在庫していて、それも、為替レート一ドル90円で入手した石材が偶然に在庫していたというご縁の賜物である。今なら一ドルが140円、150円の高騰ぶりだ。私の力ではない。ご縁の流れの勢いは恐ろしい。

 

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2023-05-20  久志能幾研究所通信 2689号  小田泰仙

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投稿時刻 23時19分 l3_書天王が描く世界 | 個別ページ | コメント (0)

2023年5月19日 (金)

大垣の没落原因、無三鮮無飲食、公金横領?

 

 三鮮とは生鮮食品の野菜、海鮮食品、生鮮果物である。大垣駅前商店街には、この三鮮を売る店が無くなってしまった。また少し休もうと店を探しても、しゃれた喫茶店も飲食店も無くなってしまっている。

 お笑いとして、大垣駅前商店街には「お足(靴)」を売る店も無くなった。

 こんな大垣に誰がした?

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 買い物難民

 大垣駅前商店街はこの20年間で60%の店がシャッターを下ろした。現在は当時の20%の店しか残っていない。今では商店街の形態を為していない。1.5 キロ長もある大垣駅前商店街でありながら、コンビニ店、書店が一軒もない。以前は書店が3軒もあったのに。書店がないとは文化の過疎地である。私が学生時代は、書店に行くために何度も大垣駅前商店街に通ったのに、今の姿には愕然とする。

 なにせ無三鮮無飲食では、誰も大垣駅前商店街に買い物には行かない。行きたくても行けない。だから大垣中心地では、買い物難民が溢れている。足のない老人が増えているからだ。大垣駅前商店街は、商店街の基本構成が崩れているから買い物ができないのだ。自動車で言えば、タイヤもエンジンもない車である。

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戦犯

 人は楽しくない所には絶対に行かない。まして買い物も飲食もできない街に誰が行くものか。人が歩いていない寂しい街などに行きたくない。だってワクワクしないからだ。だから大垣駅前商店街はこの20年で幽霊通りになった。大垣駅前商店街組合は商売の原則が分かっていない。大垣市の担当部門の同じだ。特に大垣市の担当部門はヒラメとなって自分の保身に汲々していた。それが大垣駅前商店街を滅ぼした戦犯たちである。

 その理事長が自分の店を大垣駅前商店街に持っていなかった。理事長は利権だけを追求してその座にしがみついていた。理事長を決めるのは、密室の幹事会である。密室で決まるから、組合員には関与もできないし、理事長を辞めさせる手段もない。だから役員達はやりたい放題で、会計報告もない。大垣市からの補助金(約1億円=年間1000万円×10年)の使用用途も不明である。脱税、汚職、公金横領の疑いが濃厚である。

 大垣駅前商店街組合総会時、ある女将さんがその件で質問したら、後で事務所に引きずり込まれて叱られたそうだ。「そんなことを皆の前で質問してはいけない」と。

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刑法の定め

 補助金適正化法第30条第十一条の規定に違反して補助金等の他の用途への使用又は間接補助金等の他の用途への使用をした者は、三年以下の懲役若しくは五十万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

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大垣市長、1億円のサプリメントに大散財 - 久志能幾研究所通信

enjoy.jp
http://yukioodaii.blog.enjoy.jp › 2019/09 › 1-c6ec
 
2019/09/17 — 小川敏市政は、大垣駅前商店街を活性化する目的で、2011年から「元気ハツラツ市」を強行している。毎月、9年間も継続して、総額1億円も費やしているの ...
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市功労賞

 大垣市は、その理事長に平成31年4月1日のエイプリルフールの日に、大垣商店街の没落に大きな功績があったと市功労賞を贈ったのはブラックジョークであった。この20年間で60%の店がシャッターを下ろした原因を作った戦犯にである。それこそ大垣政治の腐敗の象徴であった。大垣市は賞を出して恰好を付ければよいだけだ。その理事長にとっても、大垣市行政にとっても、商店街のお店の繁盛などは知ったことではないのだ。だから大垣市は没落した。大垣行政の指導も癒着三昧でデタラメであった。商店街が消えても、役人の給与は変わらないからだ。

 それに声を上げなかった議員たちにも、市民にも責任がある。

 補助金を使ってでもして、その基本のお店の誘致や引き留めをすべきであった。平目の役人は自分の保身と利権で全く逆の行政をした。その結果が、現在の幽霊通りである。現実が正しい結果を表している。

美人コンテスト 

 大垣駅前商店街は大垣の顔である。美人コンテストでも顔の魅力度が勝負である。大垣市の公示地価は駅前の繁盛ぶりで、全体の公示地価が決まる。それがなっていないので、大垣市の公示地価はこの20年で半値以下に暴落した。名古屋市の近隣の都市はリニア景気で地価が爆上げしている。大垣はそのリニア景気の蚊帳の外である。全て行政の指導のお粗末さである。20年間の無為無策の独裁政治が続いた結果である。独裁政治の陰には必ず汚職がある。

 

 政治の世界も生鮮食品が無くなり腐敗食品ばかりだと、その街は腐敗し、没落する。我々に出来ることは、腐敗していない正しい議員、市長を選ぶことだけだ。声をあげることだ。議会でもこの件を問題視した議員はいない。みんな利権にまみれた議員ばかりである。その一例がごみ袋有料化のごり押しである。

今まで通りの古い体質の議員や市長を選べば、今まで通りの衰退を招く政治となる。大垣をよくするためには変革が必要だ。

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  広報おおがき 平成31年3月15日号

 


 

2023-05-19  久志能幾研究所通信 2688号  小田泰仙

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投稿時刻 13時29分 c-馬場恵峰師の書・言葉, o-大垣を良くする階 | 個別ページ | コメント (0)

2023年5月16日 (火)

大垣祭り 鯰軕(魚屋町)

 

 この軕は、別名、道外坊軕とよばれており、1648年に造られた。からくり芸は、赤い頭巾を冠り、金色の瓢箪を振りかざした老人が、鐘と太鼓の賑やかなお囃子につられて、水上で踊り狂う大鯰を抑えようとするもので、面白い。

 

 これは、室町時代の高僧が「泥水の中に住むヌルヌルしたウロコのない鯰を底の低い丸い瓢箪で押えることができるか」と問い、この問題を画僧の如拙が絵に描いたのが国宝「瓢鮎図」で、これをもとにして造られたのが、鯰軕の鯰押えである。郷土玩具に鯰山車の芸を模した「鯰押え」がある。

 

 水引幕の正面は「有慮十二証」(古代天子の衣装模様)・側面に「阿吽の双竜」を描き、屋形には瓢鮎図と禅問の彫刻を見る。

    大垣市のHPより

 下記写真は2011年から2019年までの撮影分

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  奉芸が終わって、八幡神宮様に一礼

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2023-05-15久志能幾研究所通信 2687号  小田泰仙

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投稿時刻 00時05分 o-大垣まつり | 個別ページ | コメント (0)

2023年5月15日 (月)

犬も歩けばナマズに当たる

 

 2023年5月13日、4年ぶりに大垣祭りが開催された。その撮影をしようと準備万端であったが、当日の朝、体調不良で時間通りに起きられなかった。起きた時は、八幡神宮前での13両の山車の奉芸が終わっていた時間であった。それでも4年ぶりのお祭りなので、街の様子を見ようと車を走らせた。当然、街の中心地は車の通行は規制されていて、駅前通りの道には入れない。それを承知でその周辺を車で徘徊していたら、本町通(旧魚屋町)で鯰山車が停車していることを発見して、車を止め、撮影を開始した。

 

 そこで私の町内の若い奥さんに出会った。なぜこんなところで?と思ったら、彼女の息子さんが鯰山車に乗っているとのこと。それで山車に随行しているという。なぜか嬉しくなって撮影をした。何でもお囃子の関係で、遠くの私の街に住んでいる息子さんに声がかかったとのこと。鯰山車は魚屋町の管轄なので、本来、私の街の子供には出番はないはずであった。それが芸の関係でご縁が出たのだ。これは子供の情操教育には最適である。

 

 そこで更にその場で偶然、唐澤理恵さんに出会った。彼女は今回市会議員になったばかりである。私は、まるで鯰に出会った思いである。

 「なまずが暴れると地震が起こる」と昔から言われている。最近動物の異常行動と地震との間に関連があるとの研究が進んでいる。1995年の阪神大震災に関係して、動物や植物、電化製品などの異常現象が数多く報告された。そして、これらの異常現象は地震活動に伴う電磁気的な異常変化が関与している可能性があるとして注目されている。

 

 唐澤理恵さんは2年前に大垣市長選に出て注目を浴びた。私は、彼女が大垣を変える大地震を起こしてくれると確信している。大垣が変わるには、鯰が暴れて、大きな地震を起こすような変革が必要だ。近い将来、彼女が大垣初の女性市長として、大垣市のカチンカチンの古い基盤を揺すって大地震を起こし、大垣を改革して欲しいと思う。そうならないと、士農工商、男尊女卑社会の大垣は変わらない。現状のままでは大垣は衰退である。大垣に変革が必要だ。

 

 犬も歩けば棒に当たる、とは人は外に出かけないとご縁に出会えないとの教えである。

 

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 中央は唐沢理恵さん

2023-05-15久志能幾研究所通信 2686号  小田泰仙

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投稿時刻 23時17分 o-大垣まつり, o-大垣を良くする階 | 個別ページ | コメント (0)

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