タイムマシン巡礼、勘違いで目的地4000年前に着地
岐阜市川原町 Gallery Saganで開催されていた「吉川充 陶展」の作品群に刺激を受けて、縄文文化の確認のため縄文遺跡に行こうと思い立った。
それで2023年5月25日、静岡の登呂遺跡を思い出し新幹線に飛び乗った。しかし着いた場所は2000年前の弥生時代の登呂遺跡であった。本来の目的地である縄文時代は6000年前である。私の勘違いでタイムマシンのナビ設定を4000年も違えた。時代が違うと雰囲気が全く異なる。しかし歴史遺跡を見ることは先人の知恵を受ける事だ。登呂遺跡に来れたことは「吉川充 陶展」が招いてくれたご縁だから、登呂遺跡でしっかりと弥生文化を観察した。
その結論 「縄文文明人、弥生文明人は現代人より人間的で文明的である。なぜなら縄文文明人、弥生文明人は人の殺傷用の武器を持っていなかった。それで13,000年も時代が続いた。日本の近代でさえまだ155年間である。彼らは自然に対して畏敬の念を持っていた。1000年間も続いたローマ帝国のローマ人より文明的である。」
登呂遺跡 2023年5月25日撮影
登呂遺跡博物館内の展示
.
時代の長さ
縄文時代は13,000年間も続いた平和な時代である。弥生時代でも約650年続いた。縄文時代に比べれば、弥生時代の650年間は短いが、江戸時代の260年間に比べればはるかに長い期間である。明治以降、現代までの近代時代でもわずか155年しか経っていない事を比較すれば、驚異的である。
文明度とは?
グローバル経済主義で、文明を進化させ、技術を発達させ、貨幣経済を発達させ、武器を開発して、戦争で植民地強奪競争をしていた時代に比べて、何方が文明的なのだ、と考えてしまう。
徳川家康は日本を鎖国して、日本を守った。それが逆に欧米の植民地強奪戦争から距離を置いた結果となり、幸いしたようだ。現地人を虐殺し、植民地にして領土を広げた欧米人が文明的ではないだろう。
平和維持
江戸時代は階級社会、封建社会で、強引に平和を維持した時代である。しかし、縄文時代も弥生時代も戦争のない平和な時代が続いた。その期間の長さでも世界の文明の中、稀有の存在である。縄文時代も弥生時代も遺跡からは、人を殺傷する武器が出土されていない。調査によると縄文時代では、争いで亡くなった遺骨は1.8%ほどで、他の文明遺跡に比べて5分の一ほどだと言う。1000年続いたローマ帝国でもその歴史博物館の展示を見ると、城攻めや人との戦いの殺傷道具が多く展示されている。欧米人は、武器の発達が文明の進化と思っているようだ。
縄文土器の模様
当時の平均寿命は30~40歳であったようだ。その状況で種族の繁栄のための性の営みは重要視されていただろう。またその性のおおらかさ、自然界への怖れへの現れなのだろう。それが縄文土器に表されて呪縛的な文様であるようだ。また女性賛歌の土偶であるようだ。その生への願いは直接的に土器の模様に込められているようだ。女性の土偶は多く作られたが、男性のそれは数が少ない。それだけ女性への畏敬があったのだろう。縄文土器は実用的には無意味で華美な装飾がされている。それが弥生時代になると、文明が進歩して稲作生活に変わり、生活がより安定したため、実用的な土器に変化していて、呪文的な土器は少ない。
吉川充先生作の陶器の彩色模様は、その縄文人の真剣な願いを込めた模様にヒントを得ようとしたようだ。
弥生土器
弥生土器
吉川充作 陶器 縄文の模様を施す 画廊 Saganにて
.
ローマ文明博物館
2010年、私はイタリアに10日間の旅をした。ローマにある「ローマ文明博物館」で、ローマ帝国の歴史を学んだ。そこには1000年も続いたローマ帝国の歴史が展示されていた。いまそれを思い出し、縄文文明、弥生文明と比較した。
ローマ帝国1000年の歴史は他国との戦いの歴史で、「ローマ文明博物館」はその遺物の展示館である。他国の城を攻める大型兵器、石の建屋を建設してきた歴史の展示であった。
下図は「ローマ文明博物館」の展示品 2010年 著者撮影
ローマ文明博物館の展示品 紀元前2世紀くらい
住居の構造は縄文文明、弥生文明と大差なし
紀元前7世紀くらいの兵士の制服
当時、日本は縄文時代の後期である。
武器を誇らしげに展示する戦いの文化には考えさせられる。
当時の投石器 模型
当時の城攻めの様子
人を殺傷する武器や城攻めの大型武器の展示品が多い。縄文文明、弥生文明と大違いである
獲得した領土を誇示する皇帝
ローマは一日にしてならず。ローマ帝国は、他国を1000年かけて攻めて、ローマ帝国に包含同化していき、少しずつ帝国領土を拡大していった。ローマ帝国の1000年は、戦いの歴史であった。
.
進化?
文明の発達とは、人間の文化・精神面の進化である。それが武器に同調した進化では本末転倒である。スマホをいくらいじっても人間性は向上しない。弥生時代の登呂遺跡を見学して、縄文時代の調査をして頭に浮かんだ思いである。
文明の進化より大事なことは、人の進化である。人として一番大事なことは、人が動物として生まれて、人間に成長することだから。縄文時代に自然界の何物かを畏敬して呪文的な土器を作っていた縄文人のほうが、文化的で精神的に高尚ではなかったのか。現代はなぜか精神的にはどんどん貧困になっているようだ。当時は、死刑になりたいからと無差別殺人を犯すような「動物」はいなかったはずだ。 他人の不幸を省みず、グローバル経済主義を驀進させて、金儲けのため大量殺戮兵器を大量生産する野蛮人は文化的ではないだろう。
.
2023-05-29 久志能幾研究所通信 2695号 小田泰仙
「久志能」↖ で検索
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
コメント