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2020年12月

2020年12月21日 (月)

真剣  磨墨知121

  

 真面目にやるだけでは時間は創れない。真面目には誰でもやっている。真剣な取り組みからのみ時間は創造される。努力したというのは自己美化の表現である。新入社員は努力というプロセスで評価されるが、プロは成果でのみで評価される。

 明日でも昨日でもない、今この時点での自分の目標は何? 今を真剣に生きれば時間は生まれる。

 

 「真」とは戦いの中、戦死した頭のない敵の胴体を表した象形文字である。戦って討ち取った敵の人数を数えるため、真の数を調べるための意味がある。真とは命である。

Dsc00976 馬場恵峰書

2020-12-21  久志能幾研究所通信 1869  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年12月20日 (日)

大垣市の危機管理は非常事態  市民の命が危ない

 

市長・小川敏への要望

・大垣市の危機管理体制の状況に関し、説明責任を果たすこと

・2年前の大垣市役所の停電に対する説明責任を果たすこと

・2年前の排水機場のポンプ点検不備の説明責任を果たすこと

・餅つき大会での老人の死亡に対する説明責任を果たせ

  この2月の駅前商店街の餅つき大会で老人が嚥下できず死亡。

・元気ハツラツ市行事で園児を炎天下36度の中、躍らせた。

  子供を熱中症の死の危険に晒した説明責任を果たせ

・3年前のドローン墜落人身事故で、市民の命を危険に晒した。

  その責任の説明責任を果たせ

 

 

災害時電力復旧の連携協定は、小川敏の売名行為

 「大垣市は災害時の電力復旧で中部電力と連携協定を結んだ」と新聞発表があった。そんな裏方の仕事は、黙々とやればいいことで、わざわざ新聞発表をした。

 それを顔出しで自慢するなら、2年前の大停電の後始末と、再発防止の説明責任はどうなったのだ。その不始末で誰が責任を取ったのだ。

1scan01731   岐阜新聞 2020年12月10日

2scan01741   中日新聞 2020年12月11日

 

何のための協定?

 災害や停電あれば、電力会社が全力で復旧に力を入れるのは当然だ。やらなければ公益企業として背任行為だ。それを市と協定を結んでいないから、復旧に手を抜くとは思えない。この協定を結ばない市町村は後回しにするのか。それなら何のための連携協定なのか。

 この協定で、非常時の対応に市役所の人間を使うようにするとは、市民税の一企業への利益誘導である。電力会社は、電気を売る利益団体だ。電力会社が、非常時にその施設を守るは当然の責任だ。それをできないなら廃業すべきだ。市民税を使って市役所の人間を使ってその非常時の対応をするとは、民間企業への利益誘導ではないのか。

 小川敏の顔を大きく載せた新聞記事は、小川敏の売名行為としか思えない。それよりも、以前の大停電の後始末、説明責任はどうなったのだ。

 

大垣市の危機管理体制は?

 それよりも市民が知りたいのは、非常時にどのような体制が出来ているかである。それは全く市民には知らされていない。危機管理室でも、市長直轄ではないお粗末な大垣市危機管理体制である。

 大垣市の危機管理室は、廃棄犬猫の処理部門の横である。それで大垣市の考えは押して知るべしである。

 

2年前の市役所大停電

 2年前の台風21号発生時には、大垣市役所がある近辺が全面的に停電になり、5万戸が停電して大騒ぎをした。情けないことに、大垣市役所に非常用電源設備がなく、その時、私が町内の事故を緊急連絡しても、その災害対策部署(生活安全課)も停電で「今、市役所は停電で、懐中電灯であなたの場所を地図を確認していますが、暗くて場所が特定できません」と悲痛な声が聞こえてきた。小川敏が市長に就任して17年以上も経ったときに話だ。今まで何をやってきたのだ。市長の最大の使命は、市民の命を守ることだ。小川敏は市民の命を守ることで職務怠慢であった。

 

大垣市の危機管理室は火葬場の下

 それで、その停電と非常用電源が設備していなかった原因の説明責任はどうなったのだ。その対策と再発防止の説明はどうなったのだ。

 今回の記事は、それから市民の眼を逸らすためと思われても致し方あるまい。

 新市庁舎での非常用電源設備はどういうレベルの設備なのか、説明責任がある。こんなことを言わねばならぬほど、小川敏に信用がないのだ。

 小川敏は危機管理が全くなっていない。要は小川敏がケチで、そんな市民の命に係わることには、金を使わないのだ。市民を守らない市長は、市長失格である。

 その1年後にやっと危機管理室ができた有様である。それも生活安全課が名前だけ変えた組織であった。人も場所も変わらず、実質は何も変わっていない。市役所内の組織上の位置付けは、火葬場の下である。

 大垣市民は正義の怒りで、大垣市役所に苦情を出そう。

 

2020-12-20 久志能幾研究所通信 1868  小田泰仙

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2020年12月19日 (土)

無苦集滅道  修行の道を歩く  磨墨知119

 

 悩みに満ちたこの世で、人生の「苦」を見極めて、その原因を探り(集)、それを無くせば(滅)、安らぎの世界に入れる。その過程が修行の「道」である。どんな事にも原因がある。それを除かない限り問題は無くせない。その解決の過程で多くの学びがあり、人として成長ができる。それをお釈迦様は二千年前に説かれている。

 

対処療法の愚

 自分の不幸(苦)を嘆くだけでなく、なぜそうなったか(集)を明確にして、それを無くす対策(滅)をする。それが修行(道)である。それなくして幸福にはなれない。

 

 それを苦があるからと、原因(真因)も探らずに、ショートカットで、安易に解決を新興宗教に求めるからオウム真理教のような事件が起こる。人生の問題は、御祈祷やお布施やヘッドギヤで解決するものではない。自分がなぜ苦しんでいるかの真因を探し解決のための努力をしない限り、豊かな時間は創造できない。

 

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大垣経済没落症

 大垣経済が20年間も衰退の一途を辿っている。それを市長の小川敏は愚かな対処療法で済ますから、いつまでたっても大垣の衰退傾向が止まらない。なぜ小川敏はそんな人間になったかの真因を解明しないと、大垣は復活しない。

 

唯我独尊でなく唯我毒尊

 小川敏はふんぞり返って人を見下し、人の助言を聞かない。それは60年前の父親の振る舞いを、潜在意識に何百回と植え付けられたからだ。そうやって小川敏は父親から洗脳教育を受けた。母親からは厳しい吝嗇の躾を受けた。「政治は金がかかるから、政治家になるのは止めて欲しい」と母親から泣いて政治家になるのを反対されれば、少なからず心に影響がでる。それはオウムの洗脳教育と同じである。

 人は一番多く見たこと、聞いたことを、自分の心に植え付ける。小川敏の性格が原因で、大垣市は没落した。そういう傲慢で吝嗇な人間を市長に選んだ市民の責任だ。東大卒信仰が、大垣市を没落させた真因である。「東大卒だから、市長として優秀」は間違いを理解しよう。

 エリック・バーン博士の「交流分析」(末尾に注)を学べば、小川敏の性格形成の経過は容易に納得できる。

 人間の脳は、13歳までに97%が完成する。その間の親の躾がその性格形成を支配する。一日20回の決断をするとすると、10年間で73,000回の洗脳教育を受ける「親の因果が子に報い」、「三つ子の魂 百まで」は正しい諺である。

 

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日本経済停滞症

 日本経済が30年間も低迷していて、それを対処療法で済ますから、いつまでたっても回復しない。財務省の役人が利権で政策を決めるから、経済が回復しない。減税すれば、すぐ経済が復活するのに、日本の役人は減税せず、逆に増税である。日本は4度増税して、4度とも景気が腰折れした。それが財務省の役人には見えない。役人は増税に盲目になっている。

 アメリカは、トランプ大統領が減税政策をして、好景気に沸き、年率3%の経済成長を遂げている。日本は増税をして成長率1%である。因果応報で当然の帰着である。

 日本の役人が、欧米の拝金主義、グローバル経済主義政策、外人労働者を導入するから、ますます泥沼に入り込む。それが30年間も同じ過ちを繰り返している。高学歴の役人は、昔に得た知識でしか考えられないからだ。役人は知恵と勇気がない。役人の最大の恐怖は、前例を変えること、新しいことをやることである。 

 その根本原因は、政府高官が利己主義に走り、公僕として国の為、利他の精神で働かなくなったためである。その原因は、日本を二度と米国に歯向かわせないようにとGHQが施した日本衰退作戦にある。70年経って、それがじわじわと効いてきた。GHQは二宮尊徳の像も撤去し、家制度を破壊し、日本人の精神を破壊した。

コロナ対処療法

 新型コロナウイルス対策でも同じである。それを対処療法でやるから、コロナ禍が収束しない。どんなものにもワケがある。因果応報である。

 

人間関係のこじれ

 何故、己の人間関係はこじれるのか。その真因を見付けて対策を打たないから、何時までも組織の問題児であり続ける。50年前の幼児期の親の躾まで遡らないと真因は見つからない。

 

ギャンブルでの負け込み症

 株やギャンブルで負け続けるのは、目先の動向に左右され、対処療法でドタバタするからだ。それで益々泥沼に入り込む。なぜ自分がそんな対処しかできない人間になったかを明らかにしないと、何時まで経っても勝てない。親がアダルト(大人の性格、合理的思考)の環境を教えず、自らも合理的なの考えを習得しなかったためだ。(「交流分析」より)

 

スマホ中毒症

 なぜ己は、人と面談している時にも、スマホをいじりに我慢が出来ないのか。何故スマホ中毒から抜け出せないのか。

 スマホをいじるとは、相手に「あんたと話すよりスマホの方が面白い」と行動で侮辱しているのだ。それで運を良くして、人間関係を良くしようなど、おこがましい。そんな習癖になった真因を、己の50年前の幼児期の親の躾教育にまで遡らないと問題は解決しない。脳があちこちと興味のあることに振り回され、一つのことに集中できないのが真因である。

 

オダ佛教の解決策

 オダ佛教では、トヨタ式の「なぜ何故を5回繰り返す」という修行(?)をして、それを解決している(?) オダ佛教では、「苦」は自分を成長させるために、仏様が授けた課題だと認識して、修行に励んでいる。何事も一段階(一段界)上の立場で物事を俯瞰しないと、真理が見えない。さらに、問題は自分で見つけて、自分で解決しなければ、修行とは言わない。

 

 キリスト教は「求めよ、されば与えられん」と教える。

 トヨタ生産システム教(TPS)を本山に仰ぐオダ仏教では、「考えよ、何度も何度も、何故なぜと考えよ。真因を見付ければ、天国は与えられん」である。人と同じことをやっていて、儲かるわけがない。時間を有効活用しなければ、何事も成就しない。時間は命なのだ。

 この大事な言葉「無苦集滅道」は、般若心経のど真ん中に配置されている

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交流分析とは

 交流分析(Transactional Analysis,TA)とは、1950年代後半に、精神科医エリック・バーンによって提唱された一つの心理学パーソナリティ理論である。人格と個人の成長と変化における体系的な心理療法の理論である。応用範囲は広く、ソーシャルワーカー、警察官、保護観察官、宗教職者などのカウンセリングで用いられる。

  • 自我状態モデルとしては、恐らく、P(Parent、親)、A(Adult、成人)、C(Child、子供)というPACモデルが最も知られており[1]、このモデルは、どのように人々が行動し表現するかということについての理解を容易にしている。
  • コミュニケーションの理論としては、交流分析は、システムと組織の分析における方法にまで及んでいる。
  • 交流分析は、子供の発達理論も提供している。
  • 交流分析は、「何が問題なのか」「私はどのように人生を過ごせばよいか」といった問題に答えるための、人生脚本という概念を提唱している(ここで脚本とは、ある一人の人生である。)。
  • 交流分析は、幅広い精神病理学の理論をも提供している。脚本は、交流分析によれば、結果というより、むしろ苦悩、強制、自虐的行動、その他精神的障害を証明するのに有効である。

 Wikipedia より 

 2020-12-19 久志能幾研究所通信 1867  小田泰仙

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2020年12月18日 (金)

罣礙(ケイゲ)なし  磨墨知118

 

 罣礙とは障害やこだわりのこと。こだわりを捨てればスピードアップできる。物事の成就を邪魔をしているのとは自分の恐怖心。何を恐れているのか。それをやって命を取られるわけではあるまい。失敗してもよいではないか。それこそが智慧の源だ。

 

アドレナリン

 恐怖は思考を委縮させる。大昔は、ちょっとした危機で命が失われた。昔は他の生物に殺されて、10歳までに、半分が死んだ。野獣に襲われ、毒蛇に襲われ、外の部族に襲われ殺された。そのため人間は動物的本能で、チョッとした物音や気配に恐れ、逃げ出していた。恐怖に直面するとアドレナリンが分泌され、逃げるエネルギーが沸いてその場から逃げた。だから正常な恐怖心が起きる人間が、生き延びられた。そうでない人間は、早く死んだ。

 現代では、その大昔に培った遺伝子が、今も正常に発揮するので、別の問題を起こしている。野獣も毒蛇も他部族の襲撃もない現代社会では、社会生活でのストレスに過剰反応して、鬱病が起きる。鬱病は、自己防衛機能の現象である。鬱病にならないのは、神経がマヒしているのだ。図太い神経に成長したのだ。大昔なら、自己防衛機能不十分で、すぐ殺されている。

 

飢餓の恐怖

 その遺物の本能の一つが飢餓の恐怖である。だから目の前に食べ物があると腹いっぱいまで食べないと気が収まらない。現代では、その本能が刃となって、食料が豊富にある現代では、飽食という病気になっている。

 今は、戦争でもなければ、病気以外では、人は死なない。食料が豊富になる現代では飢餓では死なない。

 

自制心

 大昔に埋め込まれた恐怖を感じる過剰な遺伝子が、現代社会では、人生を地獄に落としている。今の人生で必要なものは、自制心と勇気と少しのおカネである。死ぬ心配はないのだ。だから利他の心を持ち、豊かな精神になれば、恐怖心はなくなる。利己心で生きるから、恐怖心が起きる。

 

心無 無故 無有恐怖

 心に罣礙なし。罣礙なきが故に、恐怖あることなし。  般若心経

 

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2020-12-18 久志能幾研究所通信 1866  小田泰仙

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2020年12月17日 (木)

馬場恵峰書、随筆掛け軸60本の写真集 完成

 

 馬場恵峰師日本書道史上初の掛け軸60本の写真集(試し刷り)が完成した。あと微調整をして出版する。

 前回(2020年11月19日、恵峰師の元を訪問した折、新幹線の中で、そのゲラ原稿を読み切って、やっとその内容を確認した。まさかこの歳で、幅30cm、長さ84cmの原稿60枚を、新幹線の中で校正する機会を得るとは思わなかった。

 下記は、その「編集後記」である。

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編集後記

 この書は、日本書道史上初の掛け軸60本の写真集である。この軸の内容は、明徳塾、知己塾、日頃の書道塾で馬場恵峰師が教えられた内容の集大成である。馬場恵峰師の自叙伝でもある。

 明治・大正・昭和・平成を通して、一つのテーマで掛け軸60本を書き上げた書家はいない。93歳という年齢から考えて、その掛け軸60本から師の尊い想い伝わってくる。

 それを直接、表装してある60本の軸に、わずか3ヶ月ほどで書き上げられた。神業である。

 

 撮影は2019年の年初に終わっていたが、私が大病を患い、その後の経過が芳しくなく、編集作業が延び延びになった。また馬場三根子先生の突然の逝去もあり、新型コロナ禍も影響もあり、着手が遅れた。

 

 馬場恵峰師とのご縁は、不思議なめぐり合わせであった。「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。もし私の前職の会社が合併されなければ、馬場恵峰師とのご縁はなかった。このご縁の不思議なめぐり合わせに、ご先祖に手を合わせる日々である。

 人間の持つ生活模様の変化が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚構上に舞う華やかな虚像に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される。「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、正しく進めて欲しい」と恵峰師は訴える。

 

 人間は、父母、所、時を選ばずして、この世に生を受け、生老病死を経て、浄土に旅立つ。人は生きている間に、どれだけ多くのお世話とご縁を頂いたことか。恵峰師は、その報恩感謝の気持ちを掛け軸で示された。恵峰師は、それができるのも「今のうち、生きているうち、日の暮れぬうちで、自分の思いを伝えるなら、生きているうち」として揮毫することを決意された。

 恵峰師は、「人との佛縁は、天の計らいである。これから生涯の旅をする皆様が、この軸で人生の生き方を考え、残り人生の歩みを見直していただければ幸いだ。老人の身は従容として、時を刻む流れに任せる人生なれば、諸冊に学び、残れし人生、その所、時を大切に、余生を楽しむ歩みこそ大切なり」と93年の人生を回顧して軸に揮毫された。

 

 時代の流れで、世の書展では競書が多い。それは他人相手の闘いの姿である。またその書展では、判別不能な抽象的書体を競い合う自己満足の世界に堕している例が多い。文字とは何かの原理原則を忘れた邪芸である。

 それに対して、この軸は全くその対極にあり、自分との闘いの所業である。それは道修行の一環である。「競争」という言葉は、明治以前には日本に存在しない。日本が開国して西洋思想の展開が始まった。福沢諭吉翁が西洋文献の翻訳時に創作した言葉が「競争」である。西洋での弱肉強食の競争には必ず、勝者と敗者が生まれる。

 それに対して東洋では「強欲」ではなく「共生」「利他」の思想である。日本で別の形で花開いたのが「道」の思想である。武士道、書道、華道、等の芸事には勝者も敗者もない。日本の哲学は共生、利他、切磋琢磨、自己精進という言葉で象徴される。日本では、他人を蹴落として勝者になるのは美学とされない。近代西洋では、グローバル経済主義の行き過ぎで混迷の袋小路に入りつつある。新型コロナウイルス騒動は、それに対する天からの鉄槌であろう。修行としての書道を、是非ではなく西洋文化との対比として、生き方を再確認する手段として見たい。

 

今、私は大病を克服し、精一杯、生かされた命を生きている。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と馬場恵峰師の言葉に力づけられている。

 

 今回、自分が60本の軸を撮影する佛縁を頂いたことに感謝である。恵峰師との出会いのご縁、恵峰書の撮影のための最高の撮影機材を買えたご縁、ここ数年間、恵峰師の書の撮影をしてきて最高の撮影技術を習得できたご縁、撮影を援助してくれる書友のご縁があって、この軸写真集が完成した。どれが欠けてもこの写真集は生まれなかった。まさに佛縁である。この写真集の作成に協力していただいた書友の皆様にお礼を申し上げます。 合掌                      

   令和2年12月9日  小田 泰仙 

 

2020-12-17 久志能幾研究所通信 1865  小田泰仙

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2020年12月16日 (水)

ピエロ仮面の地獄の使者・小倉利之理事長

お笑い、醜悪「大垣プレミアム商品券」の末路

死神が死神を制す

 

売れ残り

 辞めない3羽黒カラスが新聞紙上で大垣プレミアム商品券のセールスマンとして登場である。それもたった1割のプレミア尽き商品券が御用新聞の記事になる。そんな記事を載せて岐阜新聞も恥ずかしくないのか。

 ご丁寧なお笑いは、他市のプレミアム商品券は即時完売だが、大垣の「お笑いプレミアム商品券」は12月現在でも売れ残りである。なにせ、他市は20~100%のプレミアである。大垣市はたった10%のプレミアしか付けず、一般と感覚がずれている。狂っている。

 大垣プレミアム商品券は一冊11,000円分が10,000円で販売される。それも枚数もたった5,000冊。それでも売れ残り。その宣伝の旗が12月でも商店街に晒されている。大垣の恥さらしである。

 なにせ大垣市長・小川敏がコロナ禍で市民へ支援した金額は、海津市の10分の1なのだ。小川敏の薫陶を受けて、大垣市商連のやることは間抜けである。

 こんなレベルで新聞に大きな顔をする役員が大垣市商連の役員の椅子にしがみ付いて、のさばれば大垣駅前商店街が衰退して当然だ。

 

役員の密室選挙

 その役員は密室で決められ、決して辞めない。おまけに会計報告もない。市民税1億円が闇に消えた。その裏に利権があるから役員をやめないとしか思えない。

 来年度の理事長の席も既に密室で決められて、元気ハツラツ市行事の実行委員長で専務理事の松本正平が理事長になる事が内密で決まっている。その松本正平が次期の市長選に出るという話があるからお笑いだ。

 

地獄の使者たち

 小倉利之と松本正平は元気ハツラツ市で子供たちを炎天下36度のステージで躍らせた張本人たちだ。大垣市教育委員会では、36度の日は児童生徒たちの課外活動が禁止である。子供たちの命が危険に晒されているのだ。この直前に、豊田市で熱中症で児童が死亡していることを知っていても、炎天下36度のステージで躍らせたのだ。このこの地獄の死者たちは、金儲けで、そんなことは知ったことではないのだ。

 そもそも児童生徒を一商店街の金儲けのイベントに駆り出すこと自体が異常である。市の教育関係者は、小川敏に遠慮して誰もそれを止めない。大垣市教育委員会は狂っている。教育長の山本譲は小川敏の腰巾着である。なにが「大垣は子育て日本一」か! 大垣市の民主主義は死んだ。人権擁護も死んだ。人の命が最大の人権である。それを大垣市は蹂躙した。

 二人して今年の駅前商店街餅つき大会で、老人を死に至らしめた共犯者たちだ。老人が死んでも弔問にも行かない。地獄の使者たちだ。嚥下力の低下した老人の餅を食べさせるのは未死の殺人行為も同然の行事である。

 この二人は元気ハツラツ市が、大垣駅前商店街の活性化に効果がないのに、それを10年も強行実行した共犯者だ。そのため元気ハツラツ市が原因で商店街の半分が店を閉めた。商店街の従業員の8000人が仕事を失った。

 小倉は大垣駅前商店街に自分の店を持たないのに、理事長の椅子にしがみ付いている。商店街の半分を殺し、老人を餅で殺し、子供たちを熱中症の死の危険にさらした。死神だ。

 元気ハツラツ市での催し物が県の騒音防止条例に違反して、大騒音を発し、地域の住民を苦しめている。それを無視して、二人は元気ハツラツ市行事を強行してる。狂っている。

 その狂気の元気ハツラツ市の強行を止めたのが死の新型コロナウイルスである。その影響で元気ハツラツ市の開催規模が縮小された。死神が死神を制したのだ。

 

 大垣市に民主主義の時代が開けて、商店街の住民が公正な選挙の実施や非常識な役員を追放して、正義が取り戻せる日が待ち遠しい。2010年から2012年に「アラブの春」は来たが、大垣市商連の春はまだ来ない。大垣市商店街組合にクーデターが必要だ。

2   岐阜新聞 7月30日

P1140033s  12月になってもまだ売れ残り

2020-12-16 久志能幾研究所通信 1864 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年12月15日 (火)

小川敏、大垣衰退「悪魔のサイクル」の呪い

 

 小川敏が市長権限で、大垣経済での無為無策で無能政治を20年間近くも続けたので、下記の悪魔のサイクルになってしまった。

 

1 大垣経済衰退政策(呪い)

  未来に投資をしない(吝嗇)

  自分達だけにはいい思い

    県下一豪華な新市庁舎建

   市役所職員の給与は県下一高い(岐阜市を上回る)

  経済対策をしない(PDCAを回さない)

  子供に投資をしない(子供を虐待)

   児童生徒一人当たりの教育費が県下最低

   教職員の給与は県下最低(岐阜市より200万円も低い)

   「大垣は子育て日本一」は大嘘

  元気ハツラツ市行事で市外の業者を潤す

   駅前道路を封鎖で、商売に邪魔、生活の妨害

   拡声器使用で岐阜県条例違反の騒音暴力

  人権無視宣言(園児虐待、未死の餅つき大会)

   元気ハツラツ市行事で児童生徒を炎天下36度で躍らせた

     園児は顔が火傷状態

   餅つき大会で人を殺しても知らんふり

   ドローン墜落人身事故でも、業者に責任を押し付けドローンした。

   小川敏が説明責任を放棄 

  何の経済効果もない市制100周年記念行事に金を散財する

   その会計報告もマル秘扱い。汚職が疑われる。

  寄付金集めに汲々で、利権の温床

  商店街の衰退に貢献した理事長の小倉利之を市民功労賞にする

  文化芸術予算を削減

  日本一汚いトイレ(清掃費をケチる)

  競輪事業を優遇

 

 現象

  公示地価の下落

    小川敏が市長に就任して公示地価が19年で半分に暴落

    大垣駅前商店街のシャッター下した店が20%から80%に

         要するに小川敏が大垣駅前商店街の半分を殺した。

   駅前にマンション、予備校が氾濫

    市が衰退する前兆である。

   駅前通りから人通りが絶える

   大雨が降ると、基幹道路が水没、経済麻痺

   経済の血液の道路が止る都市から、企業が逃げていく。

   その結果、大垣の経済成長率はマイナス1%

    日本の成長率は1%

    米国の成長率は3% 

    欧州の成長率は2%

 

2 経済衰退で仕事がなくなる。

   商業主が大垣市から逃げ出す。投資をしない

   大垣の経済インフラが他市と相対的に貧弱となり、投資に値しない

3 人口減(合併した上石津を除けば、実質人口減)

4 給与が安くなり、結婚できず、子供を生めない

 

【1】に戻る(悪魔の下落スパイラル)。ますます大垣は貧乏になる

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成長の試算

 0.01%で成長するか減退するかを、べき乗で計算すると

  プラス0.01%の成長の場合

  10年後 (1+0.0001)^(10×365)= 1.44

  20年後   (1+0.0001)^(20×365)= 2.08

 

 

 マイナス0.01%の成長の場合

  10年後 (1-0.0001)^(10×365)= 0.69

  20年後   (1-0.0001)^(20×365)= 0.48

 

 つまり小川敏は、大垣市を毎日0.01%のマイナス成長の魔法をかけて、20年間で当初の大垣市の財産を半分に減らした。小川敏の無為無策政治が、成長している他市と相対的にマイナス0.01%の経済格差を生んだ。それが20年近く続くと、当初の半分になる。

 大垣市とほぼ同等の規模の刈谷市は、公示地価が20年前より上昇している。経済も成長している。大垣市の公示地価は半分以下になった。小川敏は、大垣市民の財産を奪ったのだ。

 なんでこんな政治家が高額の給与・退職金を貰うのか。まるで小川敏は大餓鬼版カルロス・ゴーンである。

 

自分への教訓

 だからこそ、毎日0.01%でいいからプラスの方向に自分の生き方を変えよう。逆に毎日マイナスの0.01%の生き方を継続すると、落ちぶれた小川敏のようになってしまう。

 トヨタは日々改善を積み重ねて、世界一の自動車会社になった。トヨタは当たり前に、実直に、日々の小さな改善を継続していっただけである。

 東大出の小川敏は、自分が一番偉いと思っているから、改善などしようとはしない。頭の高い小川敏は他人の助言にも聞く耳も持たぬ。だから大垣市は20年で半分の価値に没落した。それがトヨタと大垣市の小さな違いである。その小さな差が、大きな差を生んだ。凡人の我々は、小川敏を他山の石として、学ぶべきだ。

 

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2020-12-15 久志能幾研究所通信 1863 小田泰仙

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脱稿 河村義子先生 ― 追悼写真集

 

 昨日(2020年12月14日)、河村義子先生の追悼写真集の原稿を脱稿して、印刷会社に渡した。12月23日に製本が自宅に届く段取りである。12月25日の義子先生の命日に間に合うようで安堵している。

 人は3度死ぬ。一度目は、その人の肉体的な死。2度目は、その人を知っている人が亡くなる時。3度目は、その人の記憶が此の世から無くなる時。義子先生はまだ友人、門下生の間では思い出として生きている。その思い出を長く残すために、追悼写真集を記録として作成した。この追悼写真集作成が、大垣の音楽の育成に尽力した河村義子先生への供養である。

 本書はA4版、全頁カラーで、全134頁である。この書はプライベートな写真集なので、正規出版物のように市販はしない。関係者・希望者だけに譲渡予定です。

 写真集の内容は過去のブログの記事をベースにした。その記事のカテゴリーは「m-音楽道」「m-河村義子先生の歩んだ道」「m-ピアノ殺人事件」。

 

追悼写真集『河村義子先生に音楽道を學ぶ』

目次                   頁

弔辞                      6

大学時代                   16

ピアノ騒音殺人事件              17

眼で聞き、耳で見る              20

増築開始                   21

改築後 本の収納後              22

見せびらかしのご縁              23

クルミの木とのご縁              24

河村義子先生とのご縁を招いた招き猫ピアノ   25

正しい道を考えながら歩く           27

ドイツ演奏旅行                28

河村義子先生の本気と覚悟           37

今、すなわち臨終               38

院内ふれあいコンサート            40

ピアノ勉強会                 46

人生能舞台という音楽発表会          50

カナデノワコンクール             56

人生の譜面をめくる佛様 TIMM演奏会      64

「子と音」                  76

ドレスデン・トリオ & 河村義子 in 大垣   84

為写経が奏でる「美しき青きドナウ」      90

サラ・ビュックナー ピアノの調べ       92

サラ・ビュックナー  in 大垣         94

サラさまは、実は「魔女」だったんです♪    97

命をかけた最期の仕事             84

義子先生の命、人生の大事を急げ        102

タイマツを掲げよう              104

行き先明示                  105

河村義子先生の航跡、ピアノが奏でる人生    106

義子先生の懐に抱かれて雨やどり        108

春風秋雨                   110

禁初詣、初詣も叶わぬ哀しみ          112

仕事は自分を写す鏡、義子先生の命の仕事    114

ピアノと人生    調律と整音        115

聖観音菩薩が観る声              116

聖観音菩薩の慈愛               118

河村義子先生の中陰を供養する         119

河村義子宅へタイムスリップ          124

国破れて山河在り               129

義子先の志を継ぐ               130

あとがき                   132

 

2020-12-15 久志能幾研究所通信 1862 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年12月14日 (月)

あとがき 河村義子先生--追悼写真集

 

 河村義子先生が2018年12月25日に亡くなられて、2年が経った。当初、もっと早く追悼写真集を出す予定であったが、私が大病で倒れ、寝込んでしまったので、最近まで取り掛かりができなかった。

 

 最近、やっとそれに着手する元気が出てきた。まだまだ体力的には回復せず 、まともには動けないが、編集作業ならと少しずつ取り組んでいる。

 

先生とのご縁の始まり

 私は先生が亡くなる5年前にグランドピアノを買い、義子先生からピアノを習い始め、そのご縁で義子先生の演奏活動の写真を撮り始めた。その演奏会の写真数は8,000枚ほどに達した。お弟子さんに聞くと、それ以前の写真は、スマホで撮った写真くらいしかなく、本格的な写真は皆無という。私がプロ用の機材で写真を撮り溜めたのもご縁と思う。

 

 撮影用カメラも、この5年でCANON7DⅡ、CANON5DⅣ、SONYα9と三代も変わった。α9は、演奏会用の無音シャッターで、暗い舞台でも撮影が可能なカメラである。演奏会を撮影するのでなければ、買わなかったご縁である。

4k8a93741s    馬場恵峰書 人生六詞

ご縁

 今にして、一番脂ののった時期の義子先生の活動を撮影出来て、よきご縁であったと思う。遅からず、早からず、義子先生とご縁ができたのは、運命かもしれない。それこそ一期一会である。

 私の癌が見つかったのも、義子先生の死で、何か胸騒ぎがして検診を受けた経緯による。いわば義子先生の霊が教えてくれたと言える。もし検診があと半年遅れていれば、手遅れの恐れもあった。感謝です。

人生を完全燃焼

 義子先生もピアノが華やかに盛り上がった時代に、演奏家として活動できた。享年61で、見た目の若さを保ったまま、多くの人から惜しまれて亡くなられたのは、一面では幸せであった。現在は、ピアノ市場は衰退傾向である。義子先生がよぼよぼになって、往年の美しさが色あせてから亡くなられたら、こういう状況にはならなかっただろう。義子先生は、音楽で人のために役立つことを夢見て、人の2倍も3倍もの情熱をかけて、やりたいことをやり切って、命を全うされた。だから弔問客が、通夜と本葬で計1,000人を超えた。ある意味で羨ましい人生であった。私はその最盛期の記録を写真として残せたことを幸せと思う。

 

 私はその姿を私の母にダブらせて見ている。母は戦後、シベリア抑留から帰国した父と結婚して、裸一貫で、戦後の日本高度成長期を駆け抜けた。市内のある会社の社長から、「お前の母親は、大垣市内の社長を集めても、太刀打ちできる者はいない」と言われるほどの傑物で、その社長から一目を置かれていた。母は高度成長期、頑張ってその成果を手にして、日本経済のバブルがはじけた後、静かに世を去った。やりたいことをやり遂げた後で、幸せな人生であったと思う。

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  馬場恵峰書 人生六詞

 

2020-12-14 久志能幾研究所通信 1861  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年12月13日 (日)

河村義子先生の志を継ぐ

私の夢 ミニ音楽堂の建設 

 私の夢は自宅にミニスタジオ(音楽堂)を作り、そこで世界や国内の一流の音楽家に、リハーサル会場の提供やミニコンサートを開催することだ。

 現在、コンサートホールで演奏する音楽家は、そのリハーサル会場に困っている。正規のホール会場を1日借りると、賃料で30万円は取られる。大垣に来る音楽家は、宿泊先のホテルで、「近くにリハーサル会場はないか」と必ず質問する。

 

ドレスデントリオの想い出

 2018年1月13日、河村義子先生がドイツからドレスデントリオを呼んでコンサートを開催した。そのリハーサルは、金山駅近くのマンションの一室で行った。その部屋で、河村義子先生も一緒にリハーサルをされた。

 その部屋は、ピアノの先生が個人のピアノレッスン用に借りている。その部屋は完全な防音設備がないので、気兼ねして練習をするようだ。

 私は、そのその場に同席して、リハーサル風景を撮影させてもらった。休憩時、一緒にお菓子を食べながら楽しくお喋りをした。それが良き想い出である。それを自宅で出来れば幸せと、自宅にミニ音楽堂の建設を夢見ていた。

大人のおもちゃ

 私はそれの実現のため、2020年2月に「大人の玩具」(家)を買った。それはこの8年ほど探し回っていた要件にピッタリであったので即決した。それも朝、物件を見付けて夜に買うことを不動産屋に報せた。我ながら狂気である。

 それで、まず第一歩として、ミニ音楽堂の入れ物は準備が出来た。今すぐには改造工事費が工面できないので、手が付けられないが、近い将来、そこにミニ音楽堂を完成させる計画である。ミニ音楽堂の建設と言っても、防音工事費がかかるし、コンサートピアノも家庭用のピアノの数倍と高価である。これからの資金繰りが大変だ。でもそれも生き甲斐の糧になる。

 この歳で、新しい家を買ったので、友からは狂気の沙汰だと呆れられている。人は狂気の時こそ、大きな仕事できる。まともな神経では、プロジェクトは進められない。だから医師からの余命宣告通りには、死ぬわけにはいかない。医師を信じれば、余命宣告通りに死ぬことになってしまう。

 

 「人間は本質的に狂の部分を持っている。

  狂っているときが一番正常で健全だ」

      ギリシャの哲学者セネカ

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 ドレスデントリオの練習風景  2018‎年‎1‎月‎8‎日、

 河村義子先生との共演の為、来日したドレスデントリオもマンションの一室で、隣りに気兼ねをして練習だ。この練習が終わった翌日、下の住民から嫌味を言われたとか。

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  ミニ音楽堂のイメージ図

 

2020-12-13 久志能幾研究所通信 1860  小田泰仙

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