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2020年12月18日 (金)

罣礙(ケイゲ)なし  磨墨知118

 

 罣礙とは障害やこだわりのこと。こだわりを捨てればスピードアップできる。物事の成就を邪魔をしているのとは自分の恐怖心。何を恐れているのか。それをやって命を取られるわけではあるまい。失敗してもよいではないか。それこそが智慧の源だ。

 

アドレナリン

 恐怖は思考を委縮させる。大昔は、ちょっとした危機で命が失われた。昔は他の生物に殺されて、10歳までに、半分が死んだ。野獣に襲われ、毒蛇に襲われ、外の部族に襲われ殺された。そのため人間は動物的本能で、チョッとした物音や気配に恐れ、逃げ出していた。恐怖に直面するとアドレナリンが分泌され、逃げるエネルギーが沸いてその場から逃げた。だから正常な恐怖心が起きる人間が、生き延びられた。そうでない人間は、早く死んだ。

 現代では、その大昔に培った遺伝子が、今も正常に発揮するので、別の問題を起こしている。野獣も毒蛇も他部族の襲撃もない現代社会では、社会生活でのストレスに過剰反応して、鬱病が起きる。鬱病は、自己防衛機能の現象である。鬱病にならないのは、神経がマヒしているのだ。図太い神経に成長したのだ。大昔なら、自己防衛機能不十分で、すぐ殺されている。

 

飢餓の恐怖

 その遺物の本能の一つが飢餓の恐怖である。だから目の前に食べ物があると腹いっぱいまで食べないと気が収まらない。現代では、その本能が刃となって、食料が豊富にある現代では、飽食という病気になっている。

 今は、戦争でもなければ、病気以外では、人は死なない。食料が豊富になる現代では飢餓では死なない。

 

自制心

 大昔に埋め込まれた恐怖を感じる過剰な遺伝子が、現代社会では、人生を地獄に落としている。今の人生で必要なものは、自制心と勇気と少しのおカネである。死ぬ心配はないのだ。だから利他の心を持ち、豊かな精神になれば、恐怖心はなくなる。利己心で生きるから、恐怖心が起きる。

 

心無 無故 無有恐怖

 心に罣礙なし。罣礙なきが故に、恐怖あることなし。  般若心経

 

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2020-12-18 久志能幾研究所通信 1866  小田泰仙

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