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2020年6月

2020年6月20日 (土)

心の成長は10段階。菩薩を目指す

心の波長

 人間の運命は心が生み出す。良いことを思えば、良いことが起こり、悪く考えれば、悪くなる。

 「怖れるな。怖れることは怖れることを引き寄せる」とキリストは言った。人間の心はその波長に合ったものを引き寄せる。それはラジオ放送局の発信波長が、遠くのラジオのアンテナで受けられ、その電波と共振して音として再生できると同じ原理である。

 

心のアンテナ

 利権を求める電波を発して旅すれば、利権の亡者に出会う。佛を求めて旅すれば、佛にご縁のある人に出会う。常に心が善であれば善を引き寄せ、感謝には感謝が返ってくる。「求めよ、されば与えられん」と東西の神仏は同じことを言っている。夢を求めて人生を旅すれば、夢を叶えるご縁に出会う。求めなければ、決して実現しない。全て己の心が求めたものである。

 心には力がある。その心の叫びが言霊である。その力はプラスにもマイナスにも働く。悪運でもその心の叫びが勝てば、運命を変えられる。その叫びを一番多く、一番大きな音で聴くのは己である。人生は一番多く接した声に影響される。それ故、古の聖賢は心を鍛え、調えることの必要を説いた。

 

仏教は人間の心の状態を10段階に分ける。

 地獄(幸福を感ずることのできない世界)

 餓鬼(欲望の世界)

 畜生(倫理のない世界)

 修羅(闘争を好む弱肉強食の世界)

 人間(精神的なものを求めるが、まだ物欲の強い世界)

 天上(人間以上に精神的なものを求めるが、油断すると地獄に落ちる世界)

 声聞(いい人の教えを聞いて近づこうとする世界)

 縁覚(何かの機縁で自分から悟る世界)

 菩薩(自分が悟り、人を良くしていこうとする世界)

 そして仏の10段階である。

 

心の変化

 この10の世界は別々にあるのではない。一人の人間の中には、時代により、己の成長により、回りの環境変化により、時間経過により、いろいろな心の動きがある。人は常に一つの界にいるわけではない。ある時は修羅界をさ迷い、天上界にも身を置くことがある。ある時は地獄界をさ迷い、罪の意識に目覚めて天上界に目覚めることもある。未熟な心は常に地獄から天井界までをジェットコースターのように疾走している。それが人間である。それが生きている証である。

 

佛を目指して

 菩薩になれと言うわけではない。生きるためには、畜生にならねばならぬ時もある。戦争になれば、餓鬼、畜生にならねば、銃後の妻子供が守れない。しかし平和になれば、せめて修羅界、人間界で過ごさねば、人間として生まれた甲斐がない。

 欲望がなくなれば菩薩であるが、それでは人間として死んだ状態である。生きている限り、さ迷えばよいのだ。未熟な私はいつも迷っている。人間として生きている限り、迷いつつも、菩薩、佛という北極星を目指して精進すればよいのだ。目指す場所さえ明確なら、何時かは目的地に到達する。

 

私の人物観察

 私は上記の10の段階評価で、人を観察している。その前に、自分がどの段階にいるかを、いつも自省している。菩薩界は無理としても、せめて天上界をめざしたいもの。

 大垣市長の小川敏は、過去の行動を観察すると、餓鬼、畜生の世界をさ迷っているようだ。そんなレベルの人を大垣市長として頂くと、大垣市民は不幸である。だから大垣市は没落した。

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 飛天 岩田明彩絵仏師 

 

2020-06-20 久志能幾研究所通信 1639 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月19日 (金)

小川敏の騙しの手口(?)を公開

小川敏に騙されないために

 

 市長の小川敏は、新型コロナウイルス対策予算を補正予算として提出して、5月13日に大垣市議会で可決された。その報告が2020年6月15日付「広報おおがき」の「市長のかがやきメール」に自慢話として掲載された。このメールに典型的な詐欺のような表現が多用されていた。このメールは詐欺のような雛形資料として一級品である。

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 2020年6月15日付「広報おおがき」

 

1 派手なキャッチコピーがあれば注意しよう。

 「緊急コロナ対策 ばんばろう大垣プロジェクトと銘打っているが、中身がなくお粗末な対策である。仰々しい名前で、いかにもやっているように見せる詐欺的手法である。

 今回の大垣市のコロナ対策費は、市民一人当たりに換算すると、海津市の10分の一以下である。

 大垣市のコロナ対策費は、前回の大垣市制100周年記念行事の予算3億5千万円より少ない2億円2480万円である。大垣市制100周年は、日本全国どこの都市も自動的に巡ってくる100周年である。しかし今回のコロナ禍は歴史的大災害なのに、小川敏は雀の涙金の支援で胡麻化している。市民を馬鹿にするな。

 自分たちが給与カットをしないことは、口が裂けても言わない。騙しのテクニックである。海津市は市長、副市長、教育長、議員が自主的に給与カットをしているのと大違いである。それでいて、小川敏らは経済的に年収が減っていないのに、特別給付金10万円を貰っている。

 国がやっていることを、大垣がやっているように記載するのも騙しのテクニックである。

 「かがやきメール」との題名も、騙しのテクニックである。このメールの何処が輝いているのか? 輝いていないから、後から突っ込まれないように「輝き」「かがやき」とひらがなである。文字数が多いと人は心理的に騙されやすい。

2 細かい話を始めたら、疑おう。

 細かい目玉の項目に目を逸らされず、全体として、その対策が、他市に比べてどういう位置付けかを考えよう。

 今回は、大垣市の対策費は海津市の10分の1以下というお粗末さである。小川敏は、それから目を逸らすため、細かい項目を4つも展開して話をごまかしている。総額で見れば、スズメの涙金である。

 このコラムの構成は、下記の4項目で、末梢的な話ばかりである。

 1番目の項目は子育て支援

   海津市より見劣りする支援だが、それを如何にも凄いと述べている。

 2番目が中小企業の支援

   国の支援と同じである。

 3番目がプレミア商品券の支援

   1割引きの商品券の販売などケチ臭い対策である。

   海津市は商品券を全市民に配布している。

 4番目が小中学校へのタブレット端末支給

   これは国が指導している内容で、全国の市は全て同じ対応である。

   大垣市が自慢する話ではない。何をいまさらである。

   大垣市の学校のIT化は県下で平均より遅れている。

   小川敏が教育費を自分たちの給与に振り向けためである。

 

3 結論がなければ、疑おう

  その文章で何が言いたいかを探る。

  細かい話を最初に持ってきていれば、それは騙しのテクニック

  各論ではなく、市民一人当たりの金額で判断する。

  総論、結論、全国でどういう位置付けかを確認する。

 

4 絶対額に惑わされない

  市民一人当たりの金額で比較しよう。絶対額が大きくても、市民一人当たりに換算すると、真実が見えてくる。

 大垣市のコロナ対策費は一人当たり1,415円、海津市のそれは15,149円。

 大垣市の児童生徒一人当たりの教育費を100とすると、多治見市のそれは158。

   それなのに、小川敏は「大垣は子育て日本一」と大嘘を言っている。

 

 小川敏は、市民から寄付金として、毎年7.2億円も強要して集金しているが、市民にはこの新型コロナ対策費で2.2億円しか還元しない。これが小川敏の本性を表している。

 

コロナ対策費比較

           大垣市     海津市

人口         158,832人    33,004人(2020年1月1日)

令和2年度一般予算   603億円     150億円

コロナ対策費     2億円2480万円   5億円

市民一人当たり対策費   1,415円   15,149円

 

 

一般会計に占める寄付金比率比較

  令和2年度一般会計収入 うち寄付金額 比率

大垣市    603億6000万円  7.24億円  1.20%

岐阜市   1790億1000万円  2.10億円  0.12%

多治見市   417億5368万円  0.64億円  0.15%

高山市    422億3779万円  0.06億円  0.014%

刈谷市    607億8000万円    0.02億円   0.003%

.

大垣市の教育は県下最低レベル(2019年)

      一人当り予算   児童生徒数 

         千円  大垣100で   人

 多治見市    735    158    8,862  

 岐阜市     529    114    32,074  

 可児市     517    111    8,352   

 大垣市     465    100    14,400  

 各務ヶ原市   445     96    12,525   

 刈谷市(愛知県)918    197    11,120 

 

5 表現に騙されないように

 「~と思います」とあれば、定石の騙しのテクニックである。思うだけで、実際にやらなくても責任を問われない。小川敏の言葉には、この「~と思います」が多用されている。

この文章の末尾に、「継続的に暮らしや教育、経済などを支援してまいりたいと思います」とある。本来は、「暮らしや教育、経済などを継続的に支援します」とする。「~と思います」と書くのが詐欺的な(?)常とう手口である。

 「継続的に」の形容詞の位置も故意的に配置されている。そう書けば、「経済などを継続的支援して」に関して、責任を問われない。責任逃れの表現である。

 

6 そのコラム欄の図を疑おう

 コラム欄に顔をキャラクターにして載せるのは不要である。人の顔は年々変化している。それを似顔絵でごまかしているのは、要注意である。小川敏の顔が19年間も同じであるはずがない。今は老人特有のシミが顔に出ている。旨いものを食べ過ぎた肥満の顔である。小川敏自身が、公衆の面前で「私はメタボです」と自嘲している。

 そのキャラクター図は洗脳教育の図である。そのスペースがあれば、もっと伝達することを書けるはず。大事なことを伝達しないための誤魔化しである。

 

2020-06-19 久志能幾研究所通信 1638  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月18日 (木)

3.技術と芸術の対比 政治の位置付け 

3-1) レオナルド・ダ・ビンチ  

 以前(1991年)、パリ行きのジャンボ機の中で隣に座った画商より、「本物の絵の値段は人間一人の命の値段と同じ」と聞いた事がある。今回(1991年)、まだまだ私も若い時に、パリとロンドンの美術館で、絵画史上有名な実物の絵画をまの当たりにみて、その意味の微かな香りを嗅げたのは幸せであった。特に、芸術家であり技術者であったレオナルド・ダ・ビンチは、技術者としてなにかと注目せざるを得ない人である。今回彼の作品を目のあたりに接して何物にも変えがたい感動を味わえた。

 レオナルド・ダ・ビンチは技術者としての側面を持っている。そのため、その画風には何処か数学的に計算つくされた香りが漂ってきて、緻密な設計図を観る趣があり、技術者の一人として安心していられる。これが同時代若しくは現代迄の画家と違う所だと思う。また彼ほどあちこちの美術館、博物館に顔を出している芸術家はない。特に科学博物館まで出演しているのは彼だけである。(図7)

 歴史に残る作品は其なりの雰囲気を持っているが、技術者のハシクレの一人としてこういった物が残せる様な仕事がしたいという気持ちがある。科学工業英語セミナーの篠田先生の講義の出会いは、こんいう機会をもたらせてくれた。篠田先生に出会わなければ、コミュニケーションへの理解が違った方向を向いていたかもしれない。コミュニケーションは私もコンピュータのフローチャートを通じて求めていたテーマであった。それを篠田先生の講義によって頭の整理が出来た。

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  英国科学技術博物館にて  1991年6月9日

 

技術者の表現能力

 技術者と言う人種は、文学者(営業向きの人種と言っては語弊が有るが)と違って100を知っていても10とか20しか表に出さない口の重たい人種である。しかし後者は逆に100を知っていても、それを200にも500にも拡大して表現してしまう傾向にある。こう見るのは技術者としての私の偏見であろうか。

 しかし私は篠田義明先生から「自分の考えたこと、伝えたいことを必要かつ充分に簡潔に、表現する技術を学ぶことが仕事をするうえで重要だ」と教えていただいた。

 芸術と技術の違いは、その作品が個人に帰属するか組織に帰属するかで分かれる。芸術はその個人の持つ能力の最大限の表現となる。これは個人の能力そのものとなるので、数百年前の芸術作品に出会っても我々は感激出来る。しかし技術は集団の能力の結集したものであり、その作品毎にその技術を踏まえて自己発展していく傾向にある。この点から言っても過去の技術の蓄積、伝承は工業国家として欠けがいのない要素と成ろう。そういう点で個人主義の発展した欧米の技術面での最近の凋落ぶり上記の要素が一因と思えてしまう。

 芸術、文学、論文、エッセイ等はその制作上で習得しなければならない技法、手法が存在するが、それ以上に作者の思い、こだわり、心からの込み上げるもの、ある意味の怨念等が籠もっていない作品は、何処か美しいだけで線が細い。

 

3-2) 組織としての芸術、個人としての芸術

 古代、中世、近世、現代の美術を観て感じたことは、組織としての工芸美術品と個人の命の表現としの芸術の違いであった。

 芸術作品はその技法、技術としての発達は古代よりの歴史を見れば、確実では有るが除々にしか変化していないことがよいわかる。これは技術の発展の歴史に比べればその差は自明である。

 芸術の場合は個人の能力に依存する要素が極めて大きく、我々が現代の目で見ても、昔の作品はそれなりの価値観があり、現代のあるかなりの水準以上の才能が無ければ同じ物が生みだせない。だからこそ、こういう芸術作品は永遠に受け継がれていると考える。また当時と同じ感激が現代の我々も味わえる。これは人が命を捧げて編み出した物で、その価値は人間一人の値段と同じなのが理解出来よう。

 技術はあくまでも過去の蓄積の上に成り立っており、個人ベースと言うより組織としての作品の意味合いが強い。我々の技術は過去のだれかの業績の上に成り立っている事を認識すべきある。だからこそその権利として受けた恩恵を、今度は義務として後世に伝える義務がある。この技術伝承の形態の差は美術館と博物館とで良く識別できる。

 そういった意味で古代の王族用の美術、工芸品は多分に組織の匂いが感じられて、作成者の命の息吹が感じられにくく、感動が少ないように思う。これはその作品が命令によって作成され、あたかも工業製品を作るように製作されたせいだと思う。

              以上初稿1991年、2020年6月18日改定

 

経営・政治の設計図

 もともと政治とは自分の思想を実現する仕組みである。その政治の仕組みにトップに思想が表れる。それは経営であり、芸術作品でもある。仕組みである以上は設計図がなければならぬ。政治も経営も芸術作品であるので、そのスケッチ、図面、計画が緻密に計算されてなければ、完成した作品は、不良品になる。

 中曾根康弘元首相は、首相になる前、百冊近いノートにやりたいこと(国家のデザイン図)を書き綴ったといわれる。だから歴代の首相の中では光っている業績を上げた。

 それに対して大垣の小川敏は、前職の小倉満市長の突然の死で、たまたま市長の座が転げ込んできたので、大垣市をどうするかの計画など全くなかったようだ。だからこの19年間の市政では、無為無策の有様となった。

 芸術も政治もその絵を描くには、設計図が必用だ。大垣市の未来にどういう絵を描くか、その熱い思いがない輩が市長になると、その市は没落する。小川敏に支配された大垣が事例である。

 

人生経営の設計図

 自分の人生も同じで、その設計図、航海図がなければ、有意義な人生は送れない。その設計図も毎年、状況に合わせて修正を加えなければ、世相の変化に対応しなければ人生で沈没する。

 

2020-06-18 久志能幾研究所通信 1637 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

戒厳令下の「愛知県がんセンター」に通院

 一か月ほど前、一週間ピロリ菌駆除の薬を服用し、その駆除状態の確認検査のため、2020年6月17日、愛知県がんセンターに出向いた。

 ところが、がんセンター到着すると、正門入口は封鎖である。正門入口横の時間外入口が開いており「面会禁止」の大きな看板が3つも掲示されていた。ガン患者は、特に免疫力が低下しており、外来の面会者がウイルスを持ち込むことを警戒して「面会禁止」の処置と推定された。

 6月1日までは、入館時に非接触の温度計で額の温度を測定していたという。現在は各科の受付で非接触の温度計で額の温度を測定される。診察に来ている患者もいつもの半分以下の状況であった。新型コロナウイルス対策で戒厳令下である。

 病院がここまで神経を使うのは、新型コロナウイルスが免疫力の低下した癌患者や高齢者に猛威を振るっているからである。癌患者は病気のため、もともと免疫力が低下、また抗がん剤治療で更に免疫力低下をしている。若い免疫力が高い人には、新型コロナウイルスの致死率は通常のインフルエンザとあまり差がないが、免疫力の低下した人には、致死率が跳ね上がる。

 

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免疫力維持対策

 今回の新型コロナウイルス騒動を機に、日頃の生活習慣を更に正して、死んでもいいから(?)免疫力の向上を健康管理の最大目標としたい。そのためには、狂った生活、狂った食事を避けるしかない。危機管理として、コロナに接触しない取り組みが必要だ。当たり前のことを当たり前にするのが正道である。誘惑の多い現代社会はそれが難しいが、自己管理でそれを乗り切りたい。

 

私の対策

 早寝早起き

   22時~02時に成長ホルモンが出る。

   成人後の成長ホルモンは、就寝中に傷んだ細胞を修復する。

 暴飲暴食を禁止

 糖質制限(ご飯は一食100g)

 完全禁酒

 適宜の運動(日に8000歩の散歩)

 シャワーでなく、お風呂に10分間浸かる。

 湯上りに冷水を浴びる(自律神経を刺激する)

 一日に10分間以上、太陽に当たる(ビタミンD)

 コーヒよりも水を飲む

 ノーパン生活(小麦粉を使った食品を控える)

 スィーツを控える

 果物は皮ごと食べる。キウイも皮ごと。

 

2020-06-18 久志能幾研究所通信 1636 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月17日 (水)

トヨタ生産方式で自分の人生を変える

何故、自分は変わられたか?

何故、大垣は変われないか?

 

変わる願望の有無

 私には変わりたいと願望があった。だから変われられる方法を模索した。

 大垣市長の小川敏は(表面的には)功なり名を遂げたと思っているから、変わりたいという願望がない。

 私は成長したという願いがあるが、小川敏には、それがない。

 役人の世界は現状維持が最高の状態である。何か変われば利権がなくなるかもしれないという恐怖がある。だから現状維持が第一優先である。お役人の世界では変えてはいけないのだ。

 

「動く」と「働く」(大野語録)

 私が動く場合、必ず成果が出る方法に計算して動いている。具体的に動けば、具体的な回答がでる。

 小川敏は、市民から寄付を強制して、寄付贈呈式の写真を岐阜新聞に載せまくっている。市長として、如何にも「動いて」いるように見せるが、市民の為には全く「働いて」いない。小川敏は、やるべき執務を放り出して事前選挙活動をしている。

 

多様性の有無

 私の取り組みは各方面に、5年毎にテーマを変えて、人生を変える取り組意をしている。多くの経験を積む為に多様性を心がけている。

 しかし役人の世界の長期政権では多様性が許されない。長期政権で、お役人の世界は、変わったことをしてはいけないのだ。

 アメリカがヨーロッパより発展したのは、多様性を許容したからだ。旧態以前たるヨーロッパの伝統では、新しいことはできない。

 東大を出て、権威を維持したい小川敏は、何も変えたくないのだ。それで大垣市が没落して、地価が暴落しても、自分だけは市長職で推定5億円を稼げるから知ったことではないのだ。

 

人を育てる

 私には人を育てたいという願いがある。前職では、こだわりをもって新入社員・中堅社員を中心に、人財育成に取り組んだ。最大の人財育成は、自分の教育である。人を教えるには、自分がそれ以上に勉強しなくてはならない。そのために直接費用だけでも1千万円以上を使った。図書も重量で4トン以上を買い込んだ(冊数では数えきれない)。

 しかし、小川敏にはそれがない。大垣藩の開祖戸田公は教育熱心だったから、大垣を教育の街、博士の街にした。小川敏はその反対である。大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低である。小川敏は、教育費を、自分達の給与に振り向けた。だから大垣市職員の給与は県下一高い。大垣市の教職員の給与は岐阜市のそれより年間200万円も低い。

 

To be

 私は人として何を成すかを意識している。

 小川敏は市長になるのが目的であって、市長として何かを成すかは考えていないから、変わる必要を感じなかった。下記の言葉には大きな違いがある。

How to be a Mayor

How to do as a Mayor

 人間として大事なことは、人間として何を成すかである。小川敏は市長としてやるべきことを何も考えていないから、無為無策で19年間を過ごし、大垣市を没落させた。それで大垣の公示地価は半分以下に暴落した。

 

真因無視

 私は問題が起これば、何故なぜを5回繰り返して、真因を探して対策を打っている。対処療法はしない。そうやって会社での問題解決にトヨタ生産方式で、解決方法の教育を受けた。私の病気もその手法で治した。

 小川敏は「大垣市中心市街地活性化計画」、「大垣未来ビジョン」を大垣の活性化と称して見栄で計画を作るが、大垣が何故そうなったかを考えないから、「大垣市中心市街地活性化計画」は大失敗に終わった。「大垣未来ビジョン」も大失敗が見えている。

 その原因が分かっていても、役人としてその原因を直す気がないから、大垣市は没落を続けた。役人は波風を立てたくないのだ。

 

「チェックとは反省である」(大野語録)

 私は失敗した時、人から裏切られた時、必ず再発防止を図る。裏切られたら、その人とは縁を切る。

 小川敏は市の行事の失敗をチェックしないから10年一日で変われない。小川敏は反省しない。小川敏はPDCAを回さないから、何時までも同じ失敗を繰り返している。だから大垣市は変われない。変われないどころか、地獄へ一直線の落第生に変身である。

 

経営能力の欠如

 会社の経営と人生経営は同じである。自分の人生を「主」として経営をすることを考えている。

 小川敏は、伊藤忠商事でうまく成績を上げられず、追い出されたか、いたたまれなくなって退職したようだ。だから、そんな能力だから、大垣市の経営がうまく行くわけがない。自分の家業もまともに盛り立てることができなかったのに、大垣市の経営がうまく行くわけがない。小川敏の家業は今も昔も超零細企業である。

 

狂った頭で計画

 常に第三者の目と頭で、今の自分の計画を見直している。師の意見を聞いて、人生の方向を修正している。

 小川敏が「大垣新市庁舎が大垣中心市街地活性化の要となる」と宣伝するのは、狂っている。誰が考えても、そんなことはあり得ない。それを言い訳に、小川敏は岐阜県下で市民一人当たり一番負担金の大きい市庁舎を建てた。狂っている。変わるためには正常な頭でないと、変われない。

 

「省人化」(大野語録)

 私は機械で出来ることは、機械に任せている。ITへの投資は、金銭効果、時間効果があることを確認して導入する。

 小川敏は、馬鹿の一つ覚えのようにIT化、ロボット化をやるが、工数を減らしても、人が減らないから、自動化の意味がない。IT化、ロボット化をしても、その保守費やその保守をする人間が増えるという愚かさをしている。

 売名行為としてIT化、ロボット化をやるから、大垣が変われるはずがない。小川敏は、その費用対効果を絶対に口外しない。

 

費用対効果を考えないから、変われない

 私は身銭を切るから、費用対効果を考えて金を出す。

 小川敏は、馬鹿の一つ覚えのようにIT化、ロボット化をやるから、金ばかりかかって成果が出ない。なにせ小川敏にとって、その費用は市民税で人の金である。見せびらかしとしてIT化、ロボット化をやるから、大垣が変われるはずがない。小川敏は、その費用対効果を絶対に口外しない。

 

全体効率

 私も投資をする場合、一点豪華主義をすることがあるが、常に全体最適を心がけている。

 小川敏は一点豪華主義で、売名行為でやり、全体効率を考えなから変われない。

 

整理整頓清掃

 トヨタの神髄は5S(整理整頓清潔躾)。それがトヨタを世界のトヨタにした。

 小川敏は清掃費をケチり、大垣市の清掃をしないから、ますます汚くなり、変われない。

 

2020-06-17 久志能幾研究所通信 1635 小田泰仙

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2020年6月16日 (火)

汚川を流れる長大高多の狂気が、大垣衰退の原因

長期無為無策政権、大きすぎで高額な市庁舎、高額で多すぎる100周年忌念行事、高額な役人給与、多数に拘る同窓会

 際限なく「長」や「大」、「高」、「多」を求めたものは、大抵「病」や「狂」に入っていく。そして「病」や「狂」のある所には、必ず堕落や犯罪が生まれる。「大」や「長」、「高」、「多」を極めると人間の手に余る状態に陥る。

 

長期の害

 いまだかって、長期独裁政権で腐敗のしなかった例はない。いくら制御しようとしても、そのものは内部暴走を始める。取り巻きや、利権を得ようとする輩が暴走して制御不能にさせてしまう。中国共産党100年間、北朝鮮50年間、小川敏の大垣市政19年間を見れば、それが納得できる。小川敏の市長選6選への執着は狂気に見える。

 長期政権は、独占的な利権を招く。どんな生物でも組織でも、成長には多様性や他の血が必用である。それが長期政権では否定される。だから成長できず、没落する。新しい血が入らず、同族だけの婚姻が続くと異常児や虚弱児が多く生まれるのは、自然の理である。長期独裁政権では新しい血は拒否される。アメリカには多様性があり成長がある。大垣市政には多様性はなく、没落である。

 

大の弊害

 南方で生育するラワン木は、成長が早く、すぐ大きくなる。しかし、速く大きくなりすぎて、組織が強くならず、自身の重みに耐えかねて、ラワン木は倒れてしまう。

 人類はより高いバベルの塔を目指して、より高い塔を作ってきた。それが神仏の怒りをかい。失意のうちに崩壊している。

 

高額の弊害

 大垣市制100周年記念行事で、小川敏の執念で100個の行事を無理やり作り出せば、費用がべらぼうに跳ね上がる。3億5千万円もの無駄遣いである。その費用は90周記念行事の3倍となった。今回の大垣市のコロナ対策費がわずか2億円余で、岐阜県下一の低額さである。それと比較すれば、その異常さが浮かび上がる。

 それで大垣市の活性化になればまだしも、それが全くなかった。翌年の公示地価が例年どおりに下落である。それも小川敏が市長になって19年間、公示地価が下がり続けている。公示地価は市長の通信簿である。市場の評価は神の如くの評価である。小川敏は市長として無能との神の評価である。

 その無理な取り組みをすれば、どこかでその弊害がでる。その陰で利権も汚職も発生するだろう。巷ではその噂が絶えない。大垣市制100周年記念行事の際中、大垣の夜の店では、大垣市関係者の数が異常に増えたとの声であった。

 

多数を目指して暴走

 小川敏は、2019年、高校同窓会の会長になったので、「今度の同窓会の出席者を市制100周年記念として、100名以上集めろと狂気の執念で幹事に檄をとばした。それはガキの発想である。いつもの同窓会の参加者は、80名ほどだが、今回は120名ほどになったという。余計なことをするから、その同窓会費用が実質高くなった。完全なる小川敏の狂気の暴走である。

 

生と死

 人は寝て1畳、立って半畳、食べて一合、飲んで一升である。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。何もあの世に持って行けない。

 人は死という期限を意識しないから、人生をさ迷う。職位の任期とは、その職務の死である。定年とは死である。人の生とは、死が前提である。プロジェクトとは、必ず終り(死)のある仕事である。それを考えず、小川敏が市長の座にしがみ付くから、大垣市の存続に問題が起きた。だから大垣市は没落した。人生は、一つの座にしがみ付いているほど、与えられた時間は多くないのだ。それを分からない輩を愚か者という。

 

智と賢

 知識はあっても、智慧のない輩を愚者という。悪知恵を使うのは仏様への裏切りである。仏様は悪事恵を出すために、才能を授けたわけではないのだ。往々に知識だけある輩が悪知恵を出す。それは、賢いとは言えない。

 智慧を持つのが智者、それを状況に合わせて上手に活用するのを賢者という。智慧だけではダメなのだ。智慧があり賢くなければ、成仏できない。成仏とは、何事かを成し遂げること。あるべき姿に成就することを言う。それがプロジェクトの死である。美しい死を迎えるため、最大の努力をしたい。

 小川敏が市長になって、大垣市が没落した。大垣市は、成仏ではなく、地獄に堕ちたのだ。

 

智と賢の象徴

 だからそれを象徴して、寺院では釈迦如来の両脇を守る脇侍の菩薩として、右に文殊菩薩、左に普賢菩薩が祀られる。自宅では、私の守り仏の虚空蔵菩薩の両脇に、文殊菩薩、普賢菩薩を祀っている。私が三佛に手を合わせると、三佛の目が人生の色の意味を示唆してくれる。小川敏のように愚かに生きなくてよかったと思う。小川敏は人生の反面教師として最高の愚かさである。

 

2020-06-16 久志能幾研究所通信 1634 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

「戒厳令」解除後の県外脱出

 2020年6月15日、久留米市の真島消化器クリニックに定期検診に行ってきた。別名「戒厳令」解除後の久しぶりの県外脱出の旅であった。何時もなら、その後、馬場恵峰先生宅を訪問して大村市で一泊するが、下手にウィルスを持ち込んで高齢の先生が新型コロナ菌に侵されては大変なので、長崎に寄るのは遠慮して、今回は久留米だけのトンボ帰りの旅となった。それでも色々と社会見学の旅となって、得るものが多かった。流石に九州への日帰り旅行には疲れ果てて、ブログ掲載はお休みにしました。

 

道中の惨状

 朝、7時25分発の電車で米原に行き、そこから「ひかり」で広島へ、広島から九州新幹線で久留米に走った。何時もなら、「のぞみ」で博多まで行くのだが、北九州市で感染者が増えていることを考えて、「博多」で乗り換えを避けるルートとした。

 別名「戒厳令」が解除後の新幹線であるが、米原から広島までは、グリーン車は3名だけ、指定席車両は8名だけの乗車である。がらすきである。

 私が車内販売で幕の内弁当を買おうとしたら、おむすび弁当しか販売していなくて愕然とした。それも新大阪から広島までの車内(JR西日本管轄)では、車内販売が中止となっていた。それだけ乗客が少ないのだ。車内販売の店員が失業である。

 車内でのお弁当購入を諦めて、広島駅で食べようとしたら、その広島駅構内のお店が総て閉鎖である。慌てて改札を出て、広島駅隣接のデパートで、お弁当を買う羽目になった。まだまだコロナの影響は収まっていない。

 久留米までの九州新幹線の指定席も、いつもなら当日予約など不可能なくらい人気があるのに、今回は当日の朝の予約でもがらすきであった。新幹線が空気を運んでいる。

 

現地現物

 2020年6月12日、名古屋のナグモクリニックに行って、名古屋の状況を観察したが、新大阪以西は、状況が名古屋以上に深刻である。実際に自分の目で観ないとそれが分からない。

 「現地現物」とは、自分がそこに行き、自分の目で確認して、状況を完全に理解することである。

 

危機管理

 久留米では滞在2時間で、診察が終わったらそのまま帰宅の途に就いて、大垣着19時15分、計12時間の旅であった。診察結果は、病状が好転していたのでほっとした。コロナ禍の緊急事態宣言下でも、自分の体は守らねばならぬ。そのために、私は半年に一回、真島消化器クリニックに通っている。

 

コロナ菌よりひどい役人菌

 コロナ後の緊急事態宣言の終了後の経済で、民間は仕事がなく経済が疲弊しているのを目の当たりにした。それなのに、お役人は呑気なものだ。コロナ禍の影響でも給与の減らない役人まで、10万円の特別給付金がでるのだ。

 小川敏は自分達の給与も減らさず、県下一低い支援金を出すと大威張りで発表している。それも我々の税金である。海津市の対応と大違いである。海津市の市長や議員は自主的に給与をカットしている。海津市の支援は、大垣市の10倍である。

 日本政府は、役人の配布の手間を省くため、10万円の特別給付金の配布を外注にまるなげし、200億円の中抜きをやっている。こんな役人がのさばっていれば、日本沈没である。大垣市は既に沈没した。小川敏がのさばる大垣市の水門川は、政策の善悪を推問したら、汚川になってしまった。

 

2020-06-16 久志能幾研究所通信 1633 小田泰仙

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2020年6月14日 (日)

「歳の割には若く見えるね」を目標に生きる

 2020年6月12日、ナグモクリニックに血液検査の結果を聞きに行った。南雲吉則先生から「60を超えたら、歳の割には若く見えるね」と言われることを目標にしなさいと指導された。先生より血液検査データを基に、不足しているビタミン類を指導して頂いた。

 確かに60を超えたら、金も名誉も女もいらぬ。何時までも若くありたいが本心である。

 この時、9年前に購入して、熟読していた南雲吉則先生の著書を持参して、サインを頂いた。この本は各50万部ほど売れたという。ただし、今はこの本の内容は古典扱いなので、最近の著書を読んで欲しいと言われた。

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 各左から2011年、2012年、2012年発行の著書

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 サインを頂いた

 

政治家のあるべき姿

 政治家は、若く見られないと、選挙でも不利である。1960年、ケネディがニクソンと米大統領選を闘った時、米国民の選択は、若く見えるケネディを大統領に選んだ。ケネディは大統領選挙で若く見えるメークの作戦を立てていた。それに対してニクソンは、それには無頓着であった。テレビ討論会で、その画面に映る若さの差の姿が、選挙結果に現れた。それ以来、大統領選挙で顔のメークでのイメージ作戦が常識となった。

 

 選挙運動の重要な転換点は4回行われたケネディとニクソンの討論だった。これらは初めてテレビ中継された大統領候補同士の討論だった。ニクソンは最初の討論が開始される数時間前まで遊説を続けることに固執した。入院の原因となった怪我からも完全に回復して居らず、青ざめて病気のようであり、体重が落ち疲れて見えた。最初の討論のとき、メーキャップは男らしさには必要ないと拒み、その結果当時の白黒テレビでは無精髭が目立った。

 対照的にケネディは、ローフォードらのアドバイスによりメーキャップを念入りに行ったほか、最初の討論の前に休養を取り、日焼けして、自信に溢れ、討論の間もリラックスしていた。

 推計8,000万人が最初の討論を視聴した。テレビで討論を見た多くの人々が、ケネディが勝ったと思い、ラジオを聞いた人々(聴取者は少数)はニクソンが勝ったと思った。(この項、Wikipediaより編集)

 

小川敏の顔

 小川敏のようにシミだらけの顔をニコリともせず、渋い老人の顔を晒しては、大垣市の玄関にドクロを晒すようなものだ。

 何時までも権力の座に未練を作り、市長の座にしがみ付く姿を見ると哀れになる。本人は良いが、大垣市民が不幸である。福岡市の高島市長のように、若い活力ある顔や活力ある政策が、市民の誇りとなる。小川敏の旧態依然たる古い政治では、大垣が寂れて当然である。岐阜県第二の都市として、小川敏の顔では恥ずかしい。

 小川敏が、5選も市長に居座っていられるは、裏で画策して対抗馬が出ないようにしてしているためである。小川敏は、市長選の1年以上前から大垣財閥の支持を取り付け、市長選が公示されたときは、対抗馬が出られない状況を作り出している。だから、小川敏は、自身が若く見られなくも当選するつもりなので、外見に無頓着である。

 

小川敏の悪知恵

 それは小川敏が政治家を志した時、吝嗇な母親に泣いて止められた苦い経験から出た智慧である。母親は、政治は金がかかるから、息子が政治家になるのは絶対に反対であった。だから町内で話題になるくらいに泣いて立候補を止めた。それで小川敏が考えた手が、金のかからない選挙活動で、それが無投票当選に持ち込む作戦である。彼は母親思いである? だから市長職の座を最大限に利用して、事前選挙活動として、岐阜新聞等の紙面での売名活動を凄まじいまでにしている。

 小川敏は使うべき才能を、自分の保身に使っている。仏様は、その能力をそんなことに使うために与えたのではないのだ。罰が当たりますぞ。

Photo 髙島市長の若い顔。だから福岡市は日本一成長している。

 大垣市と大違いである。

  高島宗一郎著『福岡市を経営する』ダイヤモンド社

 

2020-06-14 久志能幾研究所通信 1632 小田泰仙

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2020年6月13日 (土)

悪魔の死亡サイクル(脂肪サイクル)

疲れないための最強習慣

 「腹が減ったら、糖質たっぷりの食事(ラーメンや丼もの)やスィーツを食べる「スタミナ補給」こそが、「疲れの素」である。

 糖質がカラになってから脂肪を燃料とした脂肪サイクルが回りはじめた時、糖質を補給してしまうと、脂肪が使われないまま、糖質で動く「糖質サイクル」になってしまう。

 糖質は「燃費が悪く、消化吸収するためにたくさんのエネルギーが必要だから逆に疲れてしまう。

 さらに、すぐ腹が減るとすぐ糖質を補給すると「疲労の悪循環」になる。

 疲れないために「脂肪サイクル」を回す術は、まず「食べないこと」(p154)

  南雲吉則著『老けない人になるもう一つの習慣』青春出版社 2014年

 

Photo

寄付金をしゃぶる強欲習慣

 人工の組織は、体の組織と同じである。これを大垣行政に当てはめると、糖質たっぷりの食事とは、寄付金である。大垣市に金がないからと、業者に寄付を強制する。県下で一番豪華な新市庁舎を建てたので金が無くなり、周辺の公園整備のための寄付金を「広報おおがき」で募集している。なぜ最初から公園整備を含めた新市庁舎建設の予算としないのか。小川敏の愚政である。恥さらしである。

 企業は営利団体であるから、意味のないことに金は出さない。大垣市は売名行為か裏の利権を誘って寄付を割り当てると推定される。金がないのは、大垣市が小川敏の無能政治で衰退したから、収入(企業活動から得られる税金)が少なくなったためである。寄付金に頼れば頼るほど、大垣市の行政財政の健全さは無くなっていく。

 

大垣市は寄付金依存体質

 大垣市の一般会計では、寄付金額は他市の10倍の寄付金比率となっている。大垣市は、岐阜市や他市の10倍の寄付金比率で、寄付金に頼る異常な財政状態である。大垣市は、他市と比較してどう考えても異常である。だから岐阜新聞に頻繁に小川敏の寄付贈呈式の記事が載り、それを奨励しているわけだ。まるで乞食行政である。

 寄付金は不労所得なので、それにたかり、裏で懐に入れてしまう汚職が発生しやすいと考えられる。行政として「疲労」(腐敗)して、健全な行政を破壊する確率が高い。だから小川敏は大垣市独自のマル秘条令を作り、実施中の行事の会計報告を非公開としてしまった。

 小川敏が大垣市支局長を務める赤十字社大垣市支部の寄付でも、その2割が使途不明金である。善意で寄付しても、被災者には寄付金の2割が勝手にカットされ支給される。大垣市では、各会が集めた金額の7%がご褒美としてキャッシュバックされる。大垣市民はキャッシュバックを期待して寄付するわけではない。その事実さえ知らされていない。会計報告がないことをいいことに、誰かが懐に入れているとしか思えない。

小川敏は寄付で7億円も集めても、コロナ対策で2億円しか市民に与えない。強欲である。 

 

一般会計に占める寄付金比率比較

  令和2年度一般会計収入 うち寄付金額 比率

大垣市    603億6000万円  7.24億円  1.20%

岐阜市   1790億1000万円  2.10億円  0.12%

多治見市   417億5368万円  0.64億円  0.15%

高山市    422億3779万円  0.06億円  0.014%

刈谷市    607億8000万円 0.02億円  0.003%

 

2020-06-13 久志能幾研究所通信 1631 小田泰仙

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ブルーエンジェルズ、窓際族にされ悔し涙

 1971年10月、国際航空宇宙ショー(会期1週間)に米海軍のブルーエンジェルズが曲技飛行を披露するため、名古屋空港(小牧)にやってきた。

 ブルーエンジェルズは、国際航空宇宙ショーでの展示飛行を行うため、前日、その練習飛行をした。しかしF-4はジェットエンジンが双発で、出力が大きく、それが4機で編隊を組み、超低空を舞い、エンジン出力を最大にしてアクロバット飛行すると、轟音と振動で近隣住民から「窓ガラスが割れた」「屋根瓦がずれた」などの苦情が同基地に殺到した。そのため、翌日の曲技飛行は中止となり、大人しい展示飛行が1回のみとなった。

 

左遷

 「国際航空宇宙ショー」事務局の当初の計画では、ブルーエンジェルズの展示飛行が最大の見せ場になるはずであった。それが肝心の曲技飛行が中止となり、単なる編隊飛行の披露だけになった。少し演技飛行をしたが、騒音防止で高度を取り、エンジン出力を上げない大人しい飛行であった。前日に迫力ある練習飛行を見た私には、拍子抜けする演技飛行であった。まるで仕事の鬼が窓際族になったようなものであった。

 

抗議表示

 その飛行も着陸ギアを出しての飛行である。戦闘機が着陸ギアを出すとは、相手に対して降伏の意思表示を意味する。この一連の飛行写真を整理していて、50年経って初めてこのことに気がついた。ブルーエンジェルズは、この行動で、自分達の抗議を精いっぱいの抗議をしていたのだと。

 

天の人事、左遷人事

 ブルーエンジェルズのクルーたちは、ファントムの狭いコクピット内で拘束されて(酒も飲めず、寝られず)、長時間かけて太平洋を横断して日本に来た。日本の観客のため、命を賭けて、持てる技量を最大に発揮して、事前演技練習をしたら、それが小牧の地では問題になった。ブルーエンジェルズには、全く落ち度がない。

 ブルーエンジェルズは、航空宇宙ショーの華々しい主役の座から窓際族に追いやられた。世界最高の技術を持つと自負する彼らには、最大の屈辱である。日本の事務局は彼らに恥をかかせたのだ。

 

地の人事

 まるで自分の会社生活での人事を鏡でみているようだ。会社のため、全力で仕事に取り組んだら、それが一部の人間のご機嫌を損じ、告げ口をされて閑職に飛ばされた。自分としては、正しいことをした。役員会で承認されプジェクトを別に対象に適用したら、私の行動に不満を持つ輩がそれを告げ口した。それと同じである。

 ブルーエンジェルズの隊員達は「日本になんかもう二度と来ねぇよ!」と言い残して、日本を去った。その心情がよく理解できる。

 世界最高の技量を持つ彼らでも、全く落ち度がなくても、そういう不遇を受けることが人間社会の葛藤だと分かると、自分が受けた理不尽な人事など、長い人生では不思議でない事件だ。最近、そう達観できるようになった。

 

三流会社の人事

 会社での人事は、所詮、好き嫌いだけのことである。役員は、自分の大学の後輩が可愛いのだ。どうしてもその後輩を依怙贔屓する。そういう人事が横行すると、会社は傾いていく。それで前職の会社は市場から消えた。

 日産、東芝、東電、三菱自動車、JR西日本、松下電器、ソニー等そういう会社が、東大出の社長を筆頭に日本社会に跋扈していたが、ある日、不祥事が露見して栄光の座から消えた。

 当時、私の職場でエリートとして依怙贔屓を受けた輩は、ひいきしてくれた役員がいなくなり、閑職に飛ばされた。彼も近いうちにその職場で定年を迎えるようだ。もう一人は、大学に逃げて帰った。

 会社の人事という些少な事には気を止めず、自分は自分の信じた道を歩めばよいのだ。

 天網恢恢疎にして漏らさず

 天之機緘不測  (菜根譚)、

  天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知れない。

 

 以下は、ブルーエンジェルズが正式の演技飛行を撮影した写真である。編隊飛行のみの大人しい飛行であった。

 その翌日は雨であった。ブルーエンジェルズが流した悔し涙のような雨であった。

 

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00060007s  1971年11月1日撮影  Canon PEPLLIX  FL200mmF3.5

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雨の中のブルーエンジェルズ

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00060036s   1971年11月2日撮影  Canon PEPLLIX  FL200mmF3.5

  

2020-06-13 久志能幾研究所通信 1630 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。