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2020年7月

2020年7月31日 (金)

人生の縁道で出会う福の神  生前火葬から逃亡

 来る縁が良い縁か悪い縁かは、棺を覆ってからしか分からない。還暦を迎えてから分かったことは、良い縁も悪い縁も全て己が招いたことで、それをどう解釈するかが問題で、どう対応するかは対処処方の小さな問題である。来る縁が良いものであるように生き様を変えるのが根本処方である。来る縁に善悪はない。全て選択の問題であるので、悪い縁と分かっていれば、選ぶまでもない。選択不能の事項なら、受け入れるしかない。それに無駄な抵抗をするから地獄を見る。不幸の時は、不幸を楽しめばよい。死ぬ時は死ねばよい。それも人生である。

 

生前火葬から逃亡

 定年延長して前職の会社に身を置いても、その扱いは派遣社員並みである。職位は剝ぎ取られ、部下はなく、人事権もない。能力の低い前部下の指示を仰がねばならぬ。その境遇は精神的に惨めである。定年後は、使用済み核燃料みたいな扱いで、生前火葬されると同じである。定年延長の期間を過ぎれば、精神がしっかりと焼かれてボロボロになる。

 私はこのありさまを、隣りの部署の元部長が定年延長で働いている姿を見てたので、定年延長を拒否して会社から逃げ出した。

 もし定年延長であと5年間を働けば、精神的に落ち込んで、新しい世界には跳べないだろう。

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金太郎飴から桃太郎へ挑戦

 トヨタの社員は、金太郎飴のよう何処で切っても画一的だと言われる。それがトヨタの強みでもあり、弱みでもある。大量生産の製造業の在り方としては理想であるが、現代社会の多様性には少しミスマッチあるようだ。

 GAFA (Google,Apple,Facebook,Amazon)で代表される企業とは、企業価値額で、トヨタは負けている。GAFAはダイバーシティを武器に、多国籍、他民族、多価値観の人間がものを作っている。新しい産業には、異質の文化の融合が必用のようだ。

 私も会社時代は、トヨタ系の会社に勤めていたので、私は正にトヨタ金太郎飴社員であった。しかし私が定年になり、定年延長を拒否して会社を離れたので、その束縛から解放された。会社を離れることで、価値観の違う人たちの付き合いで、多くのご縁を頂いた。

  

新しい世界

 「障子を開けて見よ、世界は広いぞ」(豊田佐吉翁)

 私は、定年後、大垣に帰郷して、前職の閉じた世界から、障子を開けて広い世界に飛び出した。それは正解であった。そのお陰で、この10年間、下記の世界を飛ぶことができた。定年後、前職の会社に居れば経験できない体験である。

 その世界は、陰陽の原理で、明暗が分かれる。それが自然である。明の世界ばかりではない。両方の世界から学ばねばならぬ。

 

欧州の歴史探索旅行(3回)

リフォーム工事の世界(9年間)

シシリアシ島でのスケッチ旅行の世界

仏像彫刻の世界

経営者研究会の黒い世界

恐怖の新興宗教の黒い世界

国家資格取得の受験勉強の世界

拝金主義の銀行の手口を垣間見る世界

ピアノの世界

演奏会を撮影する世界

本を出版する世界

黒い会社を経営診断する世界

恵峰先生の書の世界

ブログの世界

大垣市の市政研究の世界

病気の世界(眼、血圧、心臓、ガン)

 

 老いることは、忌み嫌うべきではなく、喜ばしいことだ。「老」には「結ぶ」という意味がある。親子が生物の発展の形である。物事は結ぶことで生成発展する。結婚しかり、合併しかり、異質なものが結び合うことで新しいものが生成される。それを「化成」という。ニンベン「イ」は背の伸びた若者、「ヒ」は腰の曲がった老人の姿である。親子が結ばれて新しい価値が生まれる。それが「化」の意味である。

 

ダイバーシティ(多様性)へ

 老いるとは経験を練ることである。経験と幸福は、自分とは異質の人がその福を運んでくれる。時に、人の本気度を試すために、福の神が貧乏神の全く逆のコスプレで来るときもある。老心は百面相である。老心は異質なものの昇華体である。だからその衣装に騙されないようにしよう。人間界の投影が神の世界である。神の世界もコスプレが大流行である。

 神には、裕福も貧乏もない。それを決めるのは人間の欲というフィルターがかかった目である。来る人が貧乏神に見える時は、目が曇っている時。目が曇っていては、真実が見えない。そんな状態では、人生時間も稼げない。

 

縁を見る目

 人が罹る目の病気に白内障、緑内障がある。心の目が罹る病気の一つが「欲内障」である。良くない症状である。これは手術では直らない。火葬場で灰にならないと消えないといわれる業病である。禍があるから福が光る。人生の禍福の合計は、人生と言う長い尺度ではトータルゼロである。「不遇な時期は人生の貯金の時と割り切って自己充実を図れ」が佛様のメッセージである。

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加藤梅香先生の書

 

2020-07-31 久志能幾研究所通信 1684 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月30日 (木)

人生道千曲がりでのご縁

 還暦を迎えて、歩いてきた過去を振り返えり、更にその後の10年を振り返ると、下っていた人生道千曲がりの道でも、自分の修行としての下り坂で、上に上るためには通らなければならない道であったと、今更ながら運命の悪戯に感謝している。

 悪路を歩いている間は、目先の試練で惑わされてそんな考えは浮かんでこない。しかし過去は考え方を変えれば、その悪い経験を自分の修行であったと、過去の見方を変えることができる。そうすれば自分の未来が変わる。過去を肯定せずして、自分の未来はない。

 逆縁の菩薩に出会わなければ会えない師とのご縁がある。新しいご縁は、縁あるもの死なくしては、生まれてこない。

 

過去の山道

 還暦前の会社時代は、いくら冒険だとしても、所詮、ガードレールの付いた道を歩いていた。還暦後、自由な世界で道を歩いていると、なんと今までが安全な世界で生きていたかと愕然とする。やはり障子は開かねば、広い世界が見えない。障子の外は広いのだ。

 もの心がついて50年、ひたすら頂上を目指して千曲がりの道を歩いてきた。時に坂を下るときもあったが、視線は頂上を見ていた。その坂も、古希を迎える間際になって、やっとその意味を悟る有様である。

 

地獄を見る

 私は健康オタクで頑張ってきたが、若い頃は仕事に目がくらみ、知らず知らず体を傷つけてきた。それに気がついたのは、古希も近いときで、癌が見つかったときだ。そのため終活準備、入院、手術、余命宣告、病後の養生で、多くの出会いと別れがあった。

 極限状態の地獄を見て初めて、その縁の真価が露見する。すべては仏様の導きであったと、今にして思う。地獄の道に入らねば、見えない世界がある。生死の境を超えることで、多くのご縁を授かった。そこから生還できたことに感謝である。

 人生道は千曲がりの坂道である。頂上に着くには、千回曲がらねば到達しない。無駄な曲がりはない。その曲がり角を1回ずつ超えるごとに、経験と知恵がご褒美で与えられる。それがお宝である。

 

 

参考  2017/07/18

人生は千曲がりの山道(改定) - 久志能幾研究所通信

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Photo

2020-07-30 久志能幾研究所通信 1683 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2020年7月29日 (水)

死計 ―― 人生仕舞いを考える

 自家のお墓を改建した時のお話です。

 2015年11月、自家のお墓の改建工事中、まるまる4日間ずっと墓地で立ち会った。しかし石屋さんが作業中の側に常時いるわけにもいかず、多くの時間は墓地内の墓を見て回って時間を過ごした。そのお陰?で、墓地にある時代の経った多くの墓を熟視することになり、自分の人生仕舞いを考える機会を得た。静寂な墓地内を歩き回るのは、人生を考えるにはよい機会である。今までで、こんなに長い時間を墓地で過ごしたことは無い。また建築物の現場立ち合いは数多くしたが、お墓の建築での立ち合いは始めてであった。

2 菩提寺の墓地 

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  水屋の向こう側でお墓の設置工事中 2015年11月16日

 

無縁墓

 菩提寺の檀家200家中で、約30%が音信不通である。東京に出て行ったまま、連絡先が分からない家、絶えた家、法事をしない家等である。その事実をこの眼で確認した。お墓は一家に2,3基もある例が多いので200基近くも無縁墓があるようだ。お墓の解体作業では一基10万円から20万円の費用がかかる。総計で3千万円も処理費がかかることになる。無縁の場合、その費用はお寺が持つが、最終的にはお寺を支えている他の檀家が負担する。それを考えると、お墓の後始末、自分の人生の後始末とその後を真剣に考えた。

 

無縁墓の迷惑

 無縁墓になっている家のご先祖は、決して今の状態を望んでいたわけではない。無縁墓になるとは、墓地の一聖地を無賃滞在するキセル行為となる。他の檀家にも迷惑をかける。別の檀家が新たに墓地を求めたくても、無縁墓が居座っているとそれも叶わない。お墓が新陳代謝をせず増え続ければ、日本中、無縁の墓だらけになってしまう。そうなるとお寺の没落と消滅である。そんな迷惑はかけたくないと思う。

 

お墓の生老病死

 自分の死後、50年間も供養をしてもらえば、お墓が無くなっても納得できる。50年間も経てばあの世でも転生があろう。来世にも諸行無常で、生老病死があるはずだ。この世のお墓にも生老病死があり、新しくお墓を建てても、墓石の寿命がきて、風化した墓石を何時かは改建しなければならない。お墓を守る家系にも生老病死がある。改建してくれる親族がいなくなれば無縁の墓となる。それは他人迷惑、お寺への営業妨害である。

 このことに思いが到り、私の死後の50年分の護持会費と永代供養費(50回忌まで)を来年納めると住職に話をした。それでも100万円ほどの話である。中古のベンツに乗ると、一回の車検で80万円も取られる(知人の伝聞)。それを思うと大した額ではない。お金を残して逝ってもお国が没収してしまう。その金をお役人が無駄遣いするだけだ。あと数十年経って、自分がヨイヨイの体になって、その段取りもできない状態になってからでは遅い。それで、今の時点で死後の段取りをする決断をした。今回のお墓改建の待ち時間で思いついた決断である。わずか2週間で2回も親族の骨を拾うというご縁が、自分仕舞いの道を拓いてくれた。(2015年10月記述)

 

後日談

 上記の3年後の2019年1月、私に癌が見つかり、2月に手術と決まった。その手術の前に、葬儀の段取りと、50年分の護持会費と永代供養費(50回忌まで)をお寺に納めた。お墓が出来ていたので、その決断は早かった。お墓も何時かは必要となる。早めに段取りしておいてよかったと思う。

 未だかって死ななかった人はいない。世界一の金持ちであったアップルのジョブズでさえ、56歳で死んでいる。金があっても死の前には無力である。

 何時までもあると思うな、親と自分の命。死を意識して覚悟すれば、怖いものはない。

 やりたいことを、やれるうちにやってしまおう。そのうち、金があっても体力も気力もなくなり、やれなくなる。人生はやったもの勝ちである。後は野となれ山となれ。

 

人の死

 人は二度死ぬ。一度目は肉体的・社会的な死である。二度目は、その人を知り、悲しんでくれる人や供養をしてくれる人たちがこの世にいなくなったときが、第二の死である。その死後までお墓が残っても、あまり意味がない。それは社会への迷惑となる。そのお墓が、限りある墓地を占有することになる。会社や組織から、老兵は静かに消えるように、お墓も時が来たら静かに撤去されて、墓地から去るのが美学である。お墓が老体の醜態を晒しては見苦しい。

 

危機管理

 50年か100年後、今回のお墓を守ってくれる人がいなくなる状態になった場合の危機管理として、今回の新設のお墓の撤去費用も預けようかと住職さんに相談したら、呆れられて、「次回お会いしたとき相談しましょう」という話になった。まだお墓の開眼法要も済んでいないのに、吾ながら用意周到すぎると呆れた。(2015.11.23)

 今回改建したお墓の撤去費用を検討したら、その費用は、設置費用よりはるかの少ないのが分かったのが救いであった。設置の場合は傷つけないように慎重に工事を進めるが、撤去時は砕いて搬出するとのことで、重機は不要とのこと。

 

2020-07-29 久志能幾研究所通信 1682 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月28日 (火)

普賢菩薩と文殊菩薩の教え  大垣の末路

 普賢菩薩は文殊菩薩と共に釈迦如来の両脇侍として、尊ばれてきた。仏教を信仰し、精進に努める誓いと行いを求めて努力をし、信仰者を守護してくださる。普賢菩薩は象に座しておられる。象は地上の動物の中で一番大きな生物で、力を象徴している。象は大力を持ち何者にも動じず、菩提(悟り)に運んでくれる徳を持っている。

 文殊菩薩は釈迦如来の両脇侍として、大乗仏教の上頭とされる。三人よれば文殊の智慧というにように、文殊菩薩は智慧を象徴するみほとけである。経軌によると文殊菩薩は清らかな心を持つ童子の姿とすることが記されている。

 また文殊五尊像は、獅子(威厳を象徴)に座した文殊菩薩とその従者たちが、海を渡って飛来する情景を表し、中国山西五台山はその聖地として巡礼者の信仰を集めてきた。

 以上、松本明慶著『慈 大仏師松本明慶作品集』(2004年 小学館)を引用・編集。

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  松本明慶大仏師作 普賢菩薩  文殊菩薩

 

AI

 菩薩界には智慧を象徴する佛はおわしますが、知識を象徴する仏様はいない。知識が欲しければ、コンピューターで検索すればよい。その昔は辞書であった。それがコンピューターになっただけだ。今流行りのAIも、所詮、今までの知識を基に条件分岐と多変量解析、回帰分析で出した答えを応用しただけである。AIも人間の智慧には勝てない。AIには、愛も智慧もない。AIも、知識以上の智慧は出てこない。

 

知恵の象徴

 普賢菩薩も文殊菩薩も智慧の仏様であるが、その表現が興味深い。文殊菩薩は、右手に宝刀、左手に法典の巻物を握っている。それに対して普賢菩薩は合掌をしている。

 

 世の中は陰陽である。仁王さんの名で親しまれている金剛力士は、開口の阿形像と、口を結んだ吽形の二体から構成されている。それは陰陽を表している。

 同じように陰陽を表して、文殊菩薩と普賢菩薩は、片や宝刀、法典巻物を持ち、片や何も持たない。片や右足を組み、片や左足を組む。文殊菩薩を運ぶ獅子は目をカッと明け、普賢菩薩を運ぶ象は目を薄めに明けている。

 これは文殊菩薩が世の中の智慧を表しているのに対して、普賢菩薩は自ら湧き出る知恵を表している。両方があって、初めて真の智慧である。二佛が釈迦如来の脇侍として、左右を固めている。世の智慧と自らの智慧を使って、菩薩行を勤めよとの教えである。自分だけではダメなのだ。他人任せでもダメなのだ。

 

日本経営者の下劣伝

 大垣市長の小川敏のように、自分は東大出で賢いと自惚れて、人の意見を全く聞かないから、前職の伊藤忠商事でも排斥されたのだろう。だから日本の超一流の会社を辞めて、地方の超零細の家業を継がざるを得なくなったのだろう。その会社もいまだ超零細のままである。HPで従業員数や会社規模さえ公開していない状態だ。小川敏はその反省もせず、そんな傲慢な姿勢で大垣市を支配したから、大垣は没落した。小川敏を盲信した罰である。

 ソニーも東大出の社長が増えると、ソニーは創業の精神が薄れ没落していった。だからウォークマンを生んだソニーからは、iPodもiPhoneも生まれなかった。ジョブズはソニーから学んだのだ。ソニーの歴代社長は経営者失格である。ストリンガー元社長は、グローバル経済拝金主義に染まって、アイボの開発を止めさせ、ソニーの独創性の芽を殺した。そしてソニーを没落させた。

 日本産業界は、そんな大企業の社長が跋扈しているので、衰退の一途である。また大企業の不祥事が絶えない。知識に偏重した経営で、失敗したのだ。

 

知識に偏してしないか

 現代の学校教育は、どうしても知識に偏している。そうして、人間の徳といいますか、愛情というものが教えられていない。悪く言えば、“知恵ある動物”をどんどん育てている。だから間違ったら怖い。何をするか分からん。こういうことが一面に言えるのやないかと思う。

 昔はどうかといえば、昔も今もたいして変わらないと思いますけれども、昔は、人間として何が正しいかというとがまず先に教えられた。そうして人間の道といいますか、そういうことが分かってきた。そのうえにいろんな知識が必要である。知識が分かったら、その知識をもって、お互いのためになることを知りあうというようになったんです。

   『松下幸之助発言集4  全41巻』p226   PHP

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   馬場恵峰書

 

2020-07-28 久志能幾研究所通信 1681 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月27日 (月)

今週の推奨銘柄  大垣株は売り

カラ売り推奨銘柄

 憂言放言組織 大垣市株式会社(社長 小川敏(東大卒))  

 

買い推奨銘柄

 有志企業 福岡市株式会社(社長 高島宗一郎)

 福岡市政と大垣市政を比較し、絶望の極み - 久志能幾研究所通信

 http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2019/03/post-7588.html

 

すでに起こった未来

 大垣の現在の没落の状態は、未来の大垣の兆

 それが「大垣未来ビジョン」の末路

 

推奨理由 

 現在、アメリカの年間成長率は3%、欧州が2%、日本が1%である。大垣市の小川敏市政この20年間の成長率はマイナス1%である。今後、日本は先進国に比較して相対的に衰退すると予想される。大垣は更に暴落すると予想される。

 都市の公示地価がその都市の成長度を神の啓示の如く表している。大垣市は、小川敏が市長に就任して、19年間で半分以下に暴落した。

 日本のこの30年間が、「失われた30年」と言われる原因は、日本と大垣が下記の状態であるからだ。

 市民として、日本国民として、どげんかせなにゃならぬ。

 

ダイバーシティ(多様性)が向上しなかった。

 日本はベンチャー企業を育てなかった。

 新しい取り組みを、政府と既得業者が潰した。

 いまだ親方日の丸の企業が跋扈している。

 大垣は既存企業の既得権が横行して、新しい店が生まれない。

  規制が多くて自由な経済活動ができなかった。

 利権がらみの政策が横行した。

 自分は目を広くしているだろうか?

 

女性の地位が向上しなかった。

 消費の7割は女性が握っている。

 高齢の古い頭の経営者では、市場動向が理解できない。

 だからGAFAやユニコーン企業(尖った企業)が日本に生まれない。

 

教育費をケチった

 日本は教育後進国になった。

 日本は大学、大学院への進学が、OECD中で平均以下(7ポント下)

 政府の教育費がOECD中で最下位。

 子供への教育投資費は、将来の年収に影響する。

 大垣市の児童生徒一人当たりに教育費は県下最低。

  大垣市の教育費は、刈谷市のそれの半分である。

 小川敏はその子供への教育予算を喰った。その金を自分達の給与に回した。

 大垣市役所の年収は県下一高い。大垣市の教職員の年間給与は岐阜市より200万円低い。

 自分は自分の成長のために金をかけているだろうか?

 

少子高齢化が激化

 サラリーマンの給与がこの30年間、下がりっぱなし。

 国民の給与が年々下がっていく国が、栄えた例は歴史にない。

 派遣社員や外人労働者を採用して、新しい雇用を創出しなかった。

 社員は将来が不安で結婚も子供も作れない。

 自分は挑戦を大事にしているか?

  私は47歳で科学工業英語1級に合格した。

  挑戦して3年かかった。

  私は還暦から国家資格試験に挑戦した。

  私は65歳で、久志能幾研究所を立ち上げた。

 

企業は人減らしばかりで、人を大事にしなかった。

 REO重視のグローバル経済主義経営の影響である。

 成果主義重視で、目先の利益ばかり追う経営に終始。

 目先の利益を追求して、未来への投資をしなくなった。

 人こそが10のモノを100にも1000にも創造してくれる。

 自分は人を大事にしているだろうか?

 

組織はその長の人格以上に成長しない

 日本の首相が頻繁に変わり、それも経済音痴ばかりであった。

 政界のクリーン度が下がった。(先進国中で平均以下)

  不正の横行

 社長のレベルが下れでsがった。

 日本企業の社長が利権と名誉欲で社長の座に執着、下品になった。

  東芝、日産、東電、ジェイアール西日本、三菱自動車

  小川敏は市長の座に執着して市政を澱ませた。

 

トップが古い経営に終始

  福岡市の高島市長は古い政治を捨てた。それで高度成長できた。

  日本と大垣は古い政治へ執着して衰退した。

  

新しい投資をしなくなった

 災害の多い日本国土に防災の投資は不可欠。

 それを「仕分け・節約」と称して予算を削るから、洪水等の災害が絶えない。

 大垣の小川敏は防災に金をケチるから、基幹道路が頻繁に水没する。

 自分は危機管理として身の回りに投資をしているだろうか?

  自分の成長のため、本やPCや研修に金を使っているだろうか?

  人生で最大の投資先は、自分自身。

 

挑戦しなくなった

  一番でなければ、ビリも同然。

  一番でなくてもよいと考えると、妥協が生まれる。

  一番を目指さないから、新しいことが生まれない。

  Sonyが没落して、appleが成長する。

  自分は志を高くして生きているだろうか?

 

国民の政治への無関心

 無関心のため、政治に腐敗が横行しても国民が怒らない。汚職議員・利権議員を当選させてしまう。小川敏は小賢しい細工で、無投票当選に持ち込み、5選・19年間の独裁政治を謳歌している。それで大垣は没落した。

 国会議員が、中国と裏でつながり、激安の製品輸入を許し、国内産業を壊滅させた。マスコミがグローバル経済主義・拝金主義の影響を受けて、正しい報道をしなくなった。 

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2020-07-27 久志能幾研究所通信 1680 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月26日 (日)

認知症という脳死。原因と対策

仕事とは、世の中で生かされ、生きるための方便(仏語)

 定年後、やる事もなく無為に日々を過ごし、飽食をしていると認知症になる。人は食べるためにだけに生きると飽食になり、病気、認知症となる。現在、認知症の患者は約800万人である。65歳以上では15%が認知症といわれる。頂いた命の使命を果たさないと、天はその人からその能力を容赦なく奪っていく。

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   日本経済新聞2014/07/09より

 

次のステージ

 今、自分が立っている階段に、次のステージの幾(きざし)が現れる。人間も人生の第4コーナを回る高齢になると、天上界、人間界、畜生界、地獄界に選別をされる。現在を見れば来世でのポジションは分かる。

 

天上界は、生涯現役で天寿を全うする人達で、およそ5%である。あと15%の人が頭もそこそこにしっかりしたまま、世に迷惑をかけず死を迎える。

人間界は普通に老化し、普通に病気になって亡くなる人達で、約60%である。

畜生界は約1割で、己の不摂生の限りを尽くし、余命1年と医師から宣告されてから、焦って「金はいくらでもだすから助けてくれ」と医師に泣きつく人達である。かのアップルの創業者で世界一の大金持ちのジョブズ氏でさえもガンには勝てなかったのに。いまだ、死病からお金で助かった人はいない。

地獄界は認知症の患者で、約10%である。自分のことが分からなくなり、肉親を不幸のどん底に落とす。すべて2・6・2の法則に分類される。

 

因果応報

 自分が第二の人生に向うとき、今までの因果応報で選別されて入る「界」が決まる。天の采配は非情で正確である。せめて最悪の地獄界(認知症)には罹患しないように、今からでも遅くないので精進すべきである。病気は発病すべくして、その原因を己が作っている。

 

原因(私の推定)

 認知症の原因は、単純明快である。認知症の現象は脳が正常に働かなくなった。だからその原因は、己の過去の行動で脳細胞を殺すような因子を与え続けて、一部の脳細胞が死滅したため。そのため脳が正常に働かなくなった。それが認知症である。使わない器官は退化する。生物の基本的機能の基本である。

 肉体面では、過度な酒・タバコの飲用、食べすぎ、太りすぎ、過度な偏食、毒がある添加物を過剰継続的摂取等である。

 精神面では、過度の名誉欲、金銭欲の使いすぎである。また過度な不安要素を受けすぎたのだ。生物の持つ自己防衛機能で、その機能を停止したためである。

 また頭脳面では、頭を使わないという過度の怠慢習慣である。使わない器官は退化する。単純明快である。

 原因がわかれば対応は可能である。あとは己の意思の問題である。

 

私の高血圧症治療と認知症の関係

 私は長年高血圧症に苦しめられ、降圧剤を20年間程服用していた。降圧剤は対処療法の薬である。それで高血圧が治るわけではない。当時はそんなことは考えず、医師の勧めるまま飲んでいた。還暦後、国家試験に挑戦したが、その受験勉強の過程で記憶力の低下に我ながら愕然とした。また網膜静脈閉塞症を患い、その原因も模索していた。

 そもそも高血圧とは、血管に問題があり、血圧を上げないと全身に血が回らないので、自律神経の機能で、血圧を上げているのだ。その血圧を下げれば、必要な血が全身に回らなくなる。頭の血のめぐりも悪くなる。惚けて当然である。

 また血液中には白血球のように癌等の外敵を殺す免疫力がある。降圧剤で血圧を下げれば、その免疫力要素も全身に回らなくなる。後年、私が癌になったのも納得される。

 

真因追及のため久留米に飛ぶ

 それで本とネットを調べて、その真因が、脳細胞の血管が詰まっているためとの結論に達して、久留米市の真島消化器クリニックの門を叩いた。そこでの診察は、全身8か所の血管内のプラークの蓄積状態を超音波で測定する診察であった。その結果は、私の予想通り血管内にプラークが蓄積していて、そのままでは脳梗塞、心筋梗塞の危険性が高いレベルであることが判明した。それから推論すると、もっと細い毛細血管が集まった脳細胞にもプラークが蓄積して、記憶力が低下したと推定した。同じく細い毛細血管の集まった網膜にもその影響が及び、網膜静脈閉塞症になったと判断した。

 

高血圧症完治

 それから真島院長の指導で、食事療法に取り組み約2年間で、血管内のプラークの厚みが減り、完治までは行かないが、血圧を正常値に戻すことができた。もしそのまま生活をしていれば、脳梗塞、心筋梗塞、失明、認知症になっていたはずである。

 

肉体面への負荷

 過度な酒・タバコの飲用、食べすぎ、甘いものや油分の摂り過ぎ、太りすぎは、血管を傷め、肥満になり、脳細胞にダメージを与えると推定される。過度な偏食、毒がある添加物や防腐剤を継続的に摂取すれば脳細胞にダメージを与えることが明確に推定される。

 

精神面の負荷

 精神面では、過度の名誉欲、金銭欲の使いすぎは、脳の機能を司る部分に過剰な疲労を与えると推定される。また家庭内の不和等で不安要素やストレスを受けすぎると、生物の持つ自己防衛機能で、その機能を停止する。それが認知症である。

 

頭脳面の負荷

 また頭脳面では、頭を使わないという過度の怠慢習慣が、使わない器官は退化するという原則で、認知症になったと推定される。気ばかり使って、頭を使わなかった警察署長や校長先生が、退官後認知症になりやすいという。

 

認知症の対策

 対策の大前提は、薬は毒、医食同源、使わない器官は退化、である。

 食べ過ぎを避け、暴飲暴食、お酒の自制、薬を飲まなくてもよい「正しい食生活」、「正しい生活」を過ごす、である。病気になるのは、狂った食生活、狂った生活習慣が原因である。

 多方面に興味を持ち、社会との接点を持ち、社会奉仕の精神で、生涯現役で仕事を続けるのが、脳に刺激を与えて認知症防止となる。

P10702501s  馬場恵峰書

2020-07-26 久志能幾研究所通信 1679 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月25日 (土)

仮説 小川敏が認知症?なら

 小川敏の取り巻きは、彼が認知症だと気が付いているが、それを承知で、小川敏を利用して甘い汁を吸っているのかもしれない。その取り巻きには、小川敏が認知症であるほうが、都合がよいようだと推察される。小川敏を操り人形として使って、自分達は利権を謳歌できるのだ。本人は認知症だから、幸せである。取り巻きもその状況を利用して、幸せである。大垣市民が地獄である。

 小川敏は、少なくとも政治的認知症にはなっているとしか思えない。

 

寄付

 取り巻きは、市民から寄付を募って、売名行為として、岐阜新聞にその記事を掲載させることができる。たった数十万円の寄付で、小川敏市長とツーショットのカラー写真が岐阜新聞の西濃欄に掲載されるのだ。安い寄付金で宣伝効果抜群である。その行為がどれだけ行政を堕落させているか、認識できないのなら、認知症である。

 

独裁長期政権

 常識ある東大法学部出の市長として、民主主義社会で市長5選・20年間の君臨、更に6選への野望がいかに異常なのかが分からないはずがない。小川敏は、それが理解できず、取り巻きにそそのかされて6選へ走っているとしか思えない。取り巻きは、今まで通り、利権が確保するためには、体制を変えたくないようだ。

 

大垣市中心市街地活性化計画

 自分が大垣市長として19年間も君臨して、大垣駅前商店街が衰退して、8割の店がシャッターを下ろしたことに気が付かないようだ。大垣市中心市街地活性化計画が、大失敗に終わっても、それさえ認識できないほど、認知症が進んでいるとしか思えない。小川敏はそのPDCAを回さず、次の計画「大垣市未来ビジョン」を進めている。正常な判断ができないので、大失敗が確実である。

 アメリカの成長率は3%、欧州の成長率は2%、日本の成長率は1%である。それに対して大垣市の小川敏市政での成長率はマイナス1%である。この有様で、次の計画「大垣市未来ビジョン」がうまくいくわけがない。そこには何の目新しい政策はない。お役人のお作文が並んでいるだけである。小川敏はその原因の解析も対策も反省もできない。現状を認識できないのだ。その症状を認知症という。

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元気ハツラツ市行事

 大垣駅前商店街の活性化のため、2010年から10年近く、この行事を続けているが、全く効果がなく、逆に大垣駅前商店街の衰退を早めている。その行事で、すでに1億円近い金が消えた。小川敏はそれさえ認識できないのだ。その理由は、その利権を貪っている輩が、裏で動いているから、行事を止められないのだ。それに気が付きもせず、小川敏は操られている。行政のトップとして、それが認識できないのなら、認知症と言われても致し方あるまい。

 

元気ハツラツ市行事で園児・児童を虐待

 この行事の最初に、市内の園児・児童が市長命令で駆り出されてステージで踊らされる。名目は、元気ハツラツ市行事の盛り上げであるが、10時からのステージが終われば、親と子供は蜘蛛の子が散るように去っていく。何も効果がない。

 それより問題は、夏の時期に、園児達が炎天下36度のコンクリートのステージ上で踊らされていること。園児たちのか弱い頬は火傷である。

 小川敏は、このステージが終わってから、1時間後に冷房の利いた公用車のクラウンで登場である。小川敏が、そのステージで決まりきった定例の挨拶をしておしまい。異常である。なにが「大垣は子育て日本一」なのか。大垣は子供虐待で日本一である。その主犯は市長の小川敏である。それさえ認識できないようだ。

 

Dsc02345s  元気ハツラツ市のステージで強制的に踊らされるため、路傍で待機させられる園児達。日曜日の気温36度の炎天下である。

2018‎年‎8‎月‎5‎日、‏‎10:00  大垣市新大橋

Dsc02217s 2018‎年‎8‎月‎4‎日、‏‎10:00  芭蕉市で  奥の細道むすびの地記念館前

  大人はテントの下、園児は炎天下

Dsc02232s  暑さでイヤイヤ踊っている園児達 2018‎年‎8‎月‎4‎日、‏‎10:03

Dsc02265s ‎  2018‎年‎8‎月‎4‎日、‏‎10:14  36度

Dsc02267s ‎ 2018‎年‎8‎月‎4‎日、‏‎10:15 踊りが終わって園児達の顔は火傷。痛々しい。

 小川敏は涼しい市役所にいて、ここには顔を出さない。

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今年の新年後互礼会

 この新年の挨拶の場で、小川敏が新市庁舎の自慢話ばかりを繰り返した。それは、認知症の症状ではないか。新年互礼会での挨拶だから、本来、今後の大垣市の計画、未来への抱負を述べなければ、大垣市のトップとして新年後互礼会の挨拶の意味がない。それさえ認識できないのではないか。その録音記録は入手した。

 

同窓会の迷走

 2018年の年末に小川敏の母校の忘年会(同窓会)が、天近で行われた。同窓会なのに、小川敏は上座に座り、翌年の市制100周年記念行事の話ばかりを滔々と演説した。50年前の高校仲間の同窓会の場で、その演説をすること自体、異常であり、認知症の症状ではないか。参加者は、忘年会の趣旨を取り違えている小川敏に呆れていた。この忘年会は今までで初めてのことで、翌年は無かった。それを開催すること自体、異常である。同窓会では、みんな対等である。それが小川敏は、上座に座ってふんぞり返っていた。(知人より写真は入手)

 

痴人の愛

 親族も小川敏が市長の座にいれば、市長夫人、市長家族として尊敬される。昨年のギネス水饅頭共食い記録で、日本全国からその愚行で笑われても、有名女子大学卒の市長夫人なら、諫言すべきこところをじっと我慢をしているようだ。東京の有名女子大学の同窓生が陰で笑っていても、それさえ耳を塞ぎ、我慢すれば、大きなメリットを受けられると推定される。

 

夫人も諦め?

 だから二人がお忍びで、某ホテルの朝食を取っても、市長夫人は夫にコーヒを持ってくることさえしない。夫人は、夫が認知症では治療の方法がなく、諦めているのかもしれない。小川敏は、自分で飲み物コーナからコーヒをもってきて、黙々と日本経済新聞を読んでいた。私は偶然、そのホテルで朝食を取っていて、その現場に居合わせた。写真も撮った。

 

大垣の地獄

 今までの事実を検証して、小川敏が認知症と仮定すると、すべて合点がいく。市長といえば、市民には親も同然である。親が認知症になって、地獄を見るのは大垣市民である。

 大垣市民は、現在、地獄を見ている。大垣駅前商店街の従業員8000人は、お店の80%がシャッターを下したので、泣いて大垣を去った。

 市民は親が遺した不動産の価値が半分以下に暴落して泣いている。他市はリニア景気で湧いて、地価が上がっているのだ。

 大垣市は、小川敏が教育費を最低に落としたので、児童生徒一人当たりの教育費が県下最低である。20年後には、子供たちの学力が他市に負けて、一流の会社に入れず、低賃金に泣くことになると予想される。

 小川敏は防災に金をケチるので、次の大災害の時、大垣市民は地獄を見るかもしれない。小川敏は、その資金を自分達の給与に振り向けている。大垣市役所の給与は岐阜県下一の高給である。

 

責任の認識

 大垣ロボット博で、2017年11月4日、ドローン墜落人身事故が起きた。大垣市に責任があるのに、業者に全ての責任を押しけて、小川敏は完全逃亡でやり過ごした。小川敏は責任さえ感じないほど、認知が進んでいる。

 

雑誌・マスコミを信用するな

 東洋経済誌が「大垣市は住みやすさ全国27位」と発表して、小川敏はおお威張りである。しかしそれは大嘘である。その評価基準を変えれば、どんな風にも変えられる。没落衰退中の都市は、地価も安く、泥棒もいないので住みやすい。しかし大垣駅前近辺の住民は、近くにお店がなくなり、買い物難民になっている。東洋経済誌の調査には、その実情が全く反映されていない。

 私は、日経ビジネス誌、週刊ダイヤモンド誌、東洋経済誌の3誌の中で、東洋経済誌を一番信用していない。記事とは取材した記者の一見解の(偏見に満ちた)調査レポートである。記者や観点が変えれば、どうにでも変化する。

 

米国大統領選挙のフェイクニュース

 そうやって4年前の米国大統領選挙で、読者はフェイクニュースに騙されて、トランプ大統領が当選したことに仰天した。今回もそれと同じである。雑誌記者でも洗脳されると、認知症まがいの症状になりやすい。

 現在でも、米国大統領候補のバイデンは認知症だとの報道が各所から上がっている。アンケート調査では、米国国民の半分近くがそれを危惧しているという。だからバイデン候補は、ネット等では顔を出すが、認知症がバレるのを恐れて、公式の場には殆どでてこないとか。しかし大手マスコミは、それを全く報道しない。中国との商売で利益を得たいグローバル企業が、現在焦っている。その企業がスポンサーのマスコミは、トランプ大統領を次の選挙で落としたいのだ。中国との商売で金儲けをしたいのだ。だから大統領選挙の世論調査で、偏向した調査を行い、いかにもバイデンが優位だと報道している。日本経済新聞も同じである。

 

2020-07-25 久志能幾研究所通信 1678 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月24日 (金)

認知症の原因は、アメリカン?

二か国語を話せない人間は、一か国語も話せない人間である。

                  ゲーテ

 二カ国語を話せる人をバイリンガル、三カ国後を話せる人をトリリンガル、母国語の英語しか話せない人をアメリカンという。

 アメリカ人ほど、外国語を学ぼうという気にならない人種はない。世界一の国力で、英語が公用語であるので、何処に旅行しても、金もあるので外国語など学ぶ必用がなく、学ぶ気にもならないようだ。必要がないから、語学を司る左脳の言語部分が退化したのだ。

 役人ほど、前例と利権に固執して、新しいことをやろうとしない人種はない。市民の中で一番の権力を握り、金は市民から巻き上げた税金がふんだんに使えるので、謙虚になって新しいことを学ぶ必要もない。だから役人は脳の一部しか使う必要はなく、正常な脳機能が退化して、認知症になりやすい。安倍政権と小川敏政権を見ていて、そう感じた。

 

認知症調査

 米国神経学会誌に掲載された調査結果から、母国語以外にプラス1か国語を話せる能力があると、認知症を発症しても進行が遅いという。

 調査では648人(平均62歳)の認知症患者を対象に、発症時期、教育水準、性別、職業について聞き取りをした。

 この調査は、南インド中南部の都市「ハデラバード」で行われた。この都市は人口の4割がイスラム教徒、公用語がテルグ語に加え、ウヅドゥ語、ヒンディー語などの複数言語が日常的に飛び交う。この調査でも、648人中、394人が2か国語以上を普通に使っていた。

 その結果は、バイリンガルでは、発症時期の平均年齢が65.6歳であったが、母国語しか話せない患者群は、61.1歳であった。

 この結論は、学歴に関わらず、異文化の概念や言語構造を受け入れるコミュニケーションを取る日々の行為が脳の様々な部位を刺激して、認知症予防に働いたと推定されている。

 この項、『週刊ダイヤモンド』2013年12月14日号、井手ゆきえ調査・構成「バイリンガルで認知症発症予防」のデータを引用

 

日本の認知症患者

 日本では65歳以上の人の15%が認知症である。75歳以上は25%が認知症である。その中でも認知症になる確率が高いのは、警察署長、学校の校長先生だと言われる。どちらも気ばかり使って、頭を使わない職務である。お役所だから、前例から外れた仕事などもってのほかの社会である。すべて前例に従って処理される。警察署長、学校の校長先生もひたすら前例に従って、ハンコを押すだけである。ましてや外国語や新しいことなんて、異星人の世界で、全く関係ない。そりゃあ、惚けますよ。

 

15   日本経済新聞 2014年7月9日 より

小川敏は認知症?

 大垣市長の小川敏を観察していると、認知症に罹患したのではと危惧される。小川敏は今年70歳である。大垣市長の仕事は、寄付を貰う贈呈式に出るだけ、予算は金をケチり未来への投資を削減するだけ、議会でも形式的な答弁をするだけ(揚げ足をとられるのを防止?)、年間既定行事では、定型の挨拶をするだけ、車に乗るのも公用車の後ろでふんぞり返っているだけ、それも外から見えないように後部座席の窓ガラスにはスモークが貼ってある、公務の会計報告もマル秘扱いの条令を制定してガード、である。

 新型コロナ対策でも、海津市の10分の一以下の対策費なのに、それを「大垣独自の取り組みである」と大威張りである。市民として恥ずかしい。これでは認知症ではないかとの疑われても致し方あるまい。

 だから大垣の教育環境が県下最低(児童生徒一人当たりの教育費が県下最低)なのに、小川敏は「大垣は子育て日本一」と妄言まで言って血迷っている。正気ではとても言えない言葉である。

 だから小川敏はアメリカン? それともブラック? 利権の甘い砂糖入り?

 

私の認知症防止策

 小川敏を他山の石として、自分を見直そう。自分がアメリカンでないことを確認しよう。アメリカンでは将来、認知症になる危険がある。私は最近、英語の勉強を再開した。特に「The TOYOTA WAY」とドラッカーの経営書を、原書と和訳本で音読している。私は認知症にだけはなりたくない。認知症は脳死である。認知症になると本人は極楽であるが、家族は地獄である。 

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2020-07-24 久志能幾研究所通信 1677 小田泰仙

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2020年7月23日 (木)

智慧が人を賢くし、知識が人を堕落させる

 知識とは議論において、相手をねじ伏せるための武器である。時としてその知識が己の行動を縛る。知識で相手を説得できても、納得させることはできない。敵は説得されても、納得しないと動かない。

 要は、「君の論法は正しい。しかし私の感性がそれを拒否してしまうので、賛同できない」である。私はこれで会社の仕事を進めるのに苦労した。親会社からの指示のIT化方針は正しかった。しかし、その大義名分だけでは子会社の組織は動かなかった。

 

佛智見

 智慧とは議論をしなくても問題を解決する佛智見である。知識で論理的に戦うことは、力任せの戦いしかできない偏った戦力である。智慧とは理知をもって俯瞰的に物事を導く佛力である。お釈迦様はこの佛智見を衆生に教示するため現れた。

 理性とは、合理的にしか考えることができない、偏った思想である。理性では人は動かないが、感性で人は感動して動く。だから感動はあっても、理動はない。

 

知識の敗北

 世の中にはよい大学を出た社長が経営する企業が多くあるが、情けない会社が多い。超エリートがトヨタより多く集まった日産が外国企業に身売りをし、ゴーンに骨までしゃぶられた。半官半民の潰れるはずがない日航が倒産した。東大卒のホリエモンが知識を悪用してライブドア事件に狂騒した。頭が良くて知識があっても智慧がないから、会社を自滅に追い込む。その知識を利他でなく利己に使うから、会社が衰退する。知識を人より多く抱え込むと、己の知識に固執して社内闘争に明け暮れ、金に目が眩みマネーゲームに走り、己を育ててくれた母なる組織を殺す顛末になる。

 大垣市の小川敏は東大を出て、自分が行政で一番頭がいいと思いあがっているから、人の意見を聞かない。それに従うのは利権に目のくらんだ輩ばかりである。だから大垣市は没落した。小川敏市政19年間で、大垣市の公示地価は半分以下になり、人口密度は半減した。大垣駅前商店街の8割が店を閉めた。

 前市長の小倉満氏は東大を出ていないが、人情があり智慧があり、人望で政治を動かしていた。だから当時の大垣市は栄えていた。

 

浄土と穢土

 浄土とは智慧で悟る世界である。穢土とは知識に振り回される煩悩が溢れる世界である。普賢菩薩と文殊菩薩は浄土から穢土に理知を運ばれる。

 どんなモノでも過剰にあると毒になる。モノが過剰にあると探す時間と保管の時間を取られ、人生の時間(命)が蝕まれる。人生経営指標の無形資産回転率が低下する。モノには精霊が籠もっていて、使われない悲しみの表われである。知識もありすぎるとどれが有用なのかが分からなくなる。1テラの知識量よりも一つの智慧が勝る。

 

ディベートは知識の洪水

 ディベートとは、知識を武器に戦う言論戦争である。しかしそれで勝っても相手を動かすことはできない。2000年ころ、私は中小企業の社長が対象の研修で、ディベート研修を受講したことがある。私はテクニカルライティングの論理性を駆使して、200人の中で、自分のチームを優勝に導いた。そこで私に付けられれた称号が、「エビデンス王」である。

 そこでの学びは、あるテーマに関して、如何ようにも論理が展開できる能力をリーダとして持て、である。その試合は、交互に立場を変えて、相手を議論で打ち負かすまで続ける。今まで自分が「白が正しい」と言っていたことを、次の試合では、今度は「黒が正しい」という議論を展開せねばならぬ。リーダとして、テーマの議論は、どのようにでも論理展開ができねばならぬ。しかしディベートに勝っても組織は動かない。

 

百の議論より一つの実行

 そこで学んだ結論は、議論の虚しさであった。知識やデータを武器に相手を論破する百の議論よりも、黙々と下に根を伸ばす精進で智慧を育む実績が大事であることだ。不毛な議論は時間の無駄で、議論の正誤は神仏のみぞ知ることである。多くの人が嫌がることは正しいことではない。人に喜ばれてこそ功徳である。不毛の議論は犬も食わぬ。

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   馬場恵峰書『人生訓80恵峰選』(2005年)

 

2020-07-23 久志能幾研究所通信 1676 小田泰仙

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2020年7月22日 (水)

書評「死という最後の未来」

石原慎太郎・曽根綾子著 玄冬舎 1500円(2020年6月20日初版)

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 死という未知を学ぶ

 私はこの本を読んで、生きる勇気を貰った。死に対して達観できて、勇気を持って人生の収穫期を生きる勇気を得た。死の直前は、人生舞台の幕が下りる寸前のクライマックスである。カーテンコールを期待して最後の頑張りをしよう。良く死ぬために、よく生きる。そういう勇気をこの本からもらった。

 曽根さんは、自然界に身を置くと、その営みに感化されて、春夏秋冬の自然の営みで、人間もそのサイクルで老い、死ぬのが納得できるという。人間は自然界の中の小さな存在だ。今の現代人はそれを忘れている。

 久しぶりに読後感の良い本に出合えた。文中に示唆に富む言葉を多く見付けた。それを下記に記す。

                    2020年7月21日読破

 

 

石原 ホーキング博士は40年前の講演会で「高度な文明を持った星は、自然の循環が狂って、宇宙時間でいうと瞬間的に滅びます」と言った。彼の言う宇宙時間の瞬間的とは、100年である。

 ホーキング博士は永遠性を肯定的に説いた人で、そういうふうに語った哲学者もいない。それと同じことを、お釈迦様も法華経も説いている。(p117)

 

延命治療はやらない

曽根 人生の最期でやってはいけないこと。点滴・胃瘻、気管切開、酸素吸入。(p159)

 

 私の母も脳梗塞で、半年間、意識もなくベッドで延命治療を受けた。自分で呼吸ができないので、酸素吸入である。そばで見ていて残酷だと思った。自分なら早く死なせて欲しいと思う。付き添いの家族が不幸である。

 

曽根 人間の一生は「永遠の前の一瞬」。(p162)

曽根 本当の友情というのは、相手の健康や幸せを望むこと。(P169)

曽根 私の場合は何も残したくはないですけれど、棺に入った時に、誰か胸元に「ミッション・コンプリート」と書いた紙をおいてくれないかしら、と思いますね。(P178)

石原 織田信長が桶狭間の戦いに出かける前に、一差し舞ったのは「敦盛」。「人間五十年、下天の内を比べれば、夢まぼろしの如くなり。一度性を受け、滅せぬ者のあるべきか。これぞ菩薩の種ならむ、これぞ菩薩の種ならむ。死のは一定、しのぶ草には何をしようぞ、一定かたりをこすよの」

 人は、誰か死んだ後、なんだかんだと勝手なことを言うけど、全くおこがましい、ちゃんちゃらおかしいと信長は軽蔑しているんです。(P171)

 

曽根 寿命は、聖書の中で「ヘリキア」という言葉で出てくる。ギリシア語で、意味は3つある。それは寿命、その職業に適した年齢、背丈である。どれも自分の自由にならない。命の長さは神様が決めること。(P183)

石原 大自然の中では、誰も頼れない。そいう環境に身を置かないと脳幹を鍛えられない。今の若者は、辛いことを避けて経験しないから、脳幹が鍛えられいない。今の若者は、スマホに氾濫している情報を過剰に摂取しているから、本能が衰える。頭にはどっさり実がなっているが、支えなければ肝心の幹がやせているから、なにかあると簡単にポキンと折れてしまう。(P199)

 

曽根 やはり食が大事ですから。あとはリンパマッサージ。これは定期的にやって、血流をよくしています。目を使う仕事ですし、頭皮も全部揉んでもらうんです。気持ちがいいですよ。頭蓋骨の中の血流をよくすることも重要ですから。(P203)

曽根 私は50歳になった時から、寝る前に「3秒の感謝」というものを始めた。「今日までありがとうございました」と言うんです。もしその夜中に死んだとしても、けじめをつけたことになるでしょう。死ぬことは良い制度だと思います。

 だって、「あなた自由にやりなさい」とずっと生きていたら、どこでやめたらいいかわからないじゃないですか(笑)。(P205)

 私は寝る前に、仏壇の前で仏様とご先祖に感謝をしてから眠りにつく。私は曽根さんと同じことをしている。それがけじめになっていることを教えて頂いた。

 私は馬場恵峰師の教えに従って、朝は希望を抱いて起き、夜は感謝で眠りにつく。

曽根 人は、社会貢献することが大切。年老いて、誰しも外見がどんどん衰えていきます。その人を輝かせるのは「徳」だけなんです。社会にほんの少しの奉仕もしようと思わない人は、「徳」がないのです。

 古代ギリシア語の「徳」という言葉には、卓越という意味もある。奉仕に興味がない人は、卓越もしていない。

 「受けるよりは与えるほうが幸いである」(P207)

 現代の日本社会は、貰うことばかりに狂騒している。利他の心が失われてしまった。今の日本人は心の修養が出来ていないのだ。修身の教育が必要だ。

曽根 人の役に立てるということは、自分自身の希望になる。自分にも光を与えられるということなんでしょう。(P213)

曽根 私たちは、こと中年以降は、弱っている人たちや助けを必要とする人たちの存在を、絶えず意識して生きることが必要だと思いますよ。運命を嘆いてみたり、文句ばかり言っているような人は、誰かに与えるとか差し出すとか、心に寄り添うということがまったくないように見受けられますね。(P130)

 私は嘆きばかりしていたり、未来の話をしない人とは縁を遠ざけるように心がけている。その言葉の影響を一番多く受けるのは、本人自身なのに、その人はそれに気が付いていない。そんな人と付き合っては、自分の人生のフィナーレを穢すことになる。私は少しでも、皆さんのためになる情報を提供しようと取り組んでいる。

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2020-07-22 久志能幾研究所通信 1675 小田泰仙

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