智慧が人を賢くし、知識が人を堕落させる
知識とは議論において、相手をねじ伏せるための武器である。時としてその知識が己の行動を縛る。知識で相手を説得できても、納得させることはできない。敵は説得されても、納得しないと動かない。
要は、「君の論法は正しい。しかし私の感性がそれを拒否してしまうので、賛同できない」である。私はこれで会社の仕事を進めるのに苦労した。親会社からの指示のIT化方針は正しかった。しかし、その大義名分だけでは子会社の組織は動かなかった。
佛智見
智慧とは議論をしなくても問題を解決する佛智見である。知識で論理的に戦うことは、力任せの戦いしかできない偏った戦力である。智慧とは理知をもって俯瞰的に物事を導く佛力である。お釈迦様はこの佛智見を衆生に教示するため現れた。
理性とは、合理的にしか考えることができない、偏った思想である。理性では人は動かないが、感性で人は感動して動く。だから感動はあっても、理動はない。
知識の敗北
世の中にはよい大学を出た社長が経営する企業が多くあるが、情けない会社が多い。超エリートがトヨタより多く集まった日産が外国企業に身売りをし、ゴーンに骨までしゃぶられた。半官半民の潰れるはずがない日航が倒産した。東大卒のホリエモンが知識を悪用してライブドア事件に狂騒した。頭が良くて知識があっても智慧がないから、会社を自滅に追い込む。その知識を利他でなく利己に使うから、会社が衰退する。知識を人より多く抱え込むと、己の知識に固執して社内闘争に明け暮れ、金に目が眩みマネーゲームに走り、己を育ててくれた母なる組織を殺す顛末になる。
大垣市の小川敏は東大を出て、自分が行政で一番頭がいいと思いあがっているから、人の意見を聞かない。それに従うのは利権に目のくらんだ輩ばかりである。だから大垣市は没落した。小川敏市政19年間で、大垣市の公示地価は半分以下になり、人口密度は半減した。大垣駅前商店街の8割が店を閉めた。
前市長の小倉満氏は東大を出ていないが、人情があり智慧があり、人望で政治を動かしていた。だから当時の大垣市は栄えていた。
浄土と穢土
浄土とは智慧で悟る世界である。穢土とは知識に振り回される煩悩が溢れる世界である。普賢菩薩と文殊菩薩は浄土から穢土に理知を運ばれる。
どんなモノでも過剰にあると毒になる。モノが過剰にあると探す時間と保管の時間を取られ、人生の時間(命)が蝕まれる。人生経営指標の無形資産回転率が低下する。モノには精霊が籠もっていて、使われない悲しみの表われである。知識もありすぎるとどれが有用なのかが分からなくなる。1テラの知識量よりも一つの智慧が勝る。
ディベートは知識の洪水
ディベートとは、知識を武器に戦う言論戦争である。しかしそれで勝っても相手を動かすことはできない。2000年ころ、私は中小企業の社長が対象の研修で、ディベート研修を受講したことがある。私はテクニカルライティングの論理性を駆使して、200人の中で、自分のチームを優勝に導いた。そこで私に付けられれた称号が、「エビデンス王」である。
そこでの学びは、あるテーマに関して、如何ようにも論理が展開できる能力をリーダとして持て、である。その試合は、交互に立場を変えて、相手を議論で打ち負かすまで続ける。今まで自分が「白が正しい」と言っていたことを、次の試合では、今度は「黒が正しい」という議論を展開せねばならぬ。リーダとして、テーマの議論は、どのようにでも論理展開ができねばならぬ。しかしディベートに勝っても組織は動かない。
百の議論より一つの実行
そこで学んだ結論は、議論の虚しさであった。知識やデータを武器に相手を論破する百の議論よりも、黙々と下に根を伸ばす精進で智慧を育む実績が大事であることだ。不毛な議論は時間の無駄で、議論の正誤は神仏のみぞ知ることである。多くの人が嫌がることは正しいことではない。人に喜ばれてこそ功徳である。不毛の議論は犬も食わぬ。
馬場恵峰書『人生訓80恵峰選』(2005年)
2020-07-23 久志能幾研究所通信 1676 小田泰仙
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