「心の杖」を支えに人生を歩く
1.人の親切にすがる杖
2.無理をしない、無駄をしない、不精をしない杖
3.自分に辛切な杖
4.神仏の教えの深説の杖
年老いて金を持っているから手が震える。私(恵峰)は何ももっていないので、軽々と筆を動かせる(1億円を使ってしまったので)。遠き道を自分の業を背負って歩くこと。そうすれば新しい自分というものを掴むことができる。
恵峰先生は60歳のとき、実家の土地家屋を抵当に入れ、1億円の借金をして社会奉仕のため日中文化資料館を建設された。その返済に24年の年月を要した。
日中文化資料館 350坪の敷地に黄山を模した木が植えられている。
左隅は掃除をされる恵峰先生。
図書館前に「比翼連理の松」(長恨歌の玄宗皇帝と楊貴妃を表した木)
恵峰先生が広い庭を、毎日、朝晩掃除するので、草一本生えていない。先生は隣の家の敷地まで掃除をされるとか。敷地が350坪もあると掃除のし甲斐がある? これが恵峰先生の健康の秘訣。
馬場恵峰先生と玄関の「迎客の松」 2019年11月14日、17:28撮影
縁あって人間に生まれたからには、ご恩にむくいないと申し訳ない。
書くことの大切さを知り、自分の子孫に自分の書いたものを残せ。
自分を磨くのは、自分の手で書いたものだけである。
「10回読むより一回書け」が、恵峰先生の言葉である。
同じことが仕事・人生でも言える。10回、口で理屈を述べるより、汗をかいて涙を流して一回実行した事が血にも肉にもなる。本で読んだだけのことは、修羅場では何の役にも立たない。それは私がある研修で、臨死体験の研修で特に痛感した。会社生活の修羅場でも、それは同じであった。
その修羅場に出会うのも、人間として生まれたから。恵まれた生活が送れたから、その修羅場に出会えた。極貧生活を送っていたら、その修羅場にも出会えないかもしれない。修羅場の前には贅沢三昧の極楽生活があったはず。それで修羅場を経験してそれをプラスに解釈して、人生を転換すれば、人間的成長がある。この世で無駄な事象はない。
心の杖は堪忍の木から生まれる。遠き道を「心の杖」を頼りに行く。
馬場恵峰書 1999年
馬場恵峰書、2012年
本稿は、「太志塾」2014年10月5日で、馬場恵峰師が講演された内容を基にまとめました。
2020-05-11 久志能幾研究所通信 1580 小田泰仙
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