« 2020年2月 | メイン | 2020年4月 »

2020年3月

2020年3月20日 (金)

ご縁に恵まれる「無財の八施」(知施と笑顔)

知施

 雑誌・本等を読んだ後は、捨てるのではなく、それを必要とする人にあげると良い。そうすれば将来何かの役にはたつはず。また日頃お世話になっている人への感謝の意味で、情報を提供する。これを私は「知施」と定義している。なにせ、雑誌や本は捨てても誰も喜ばない。ゴミが増えるだけである。古本屋に処分しても二束三文である。

 

知施の分かる人

 このモノ余りで情報洪水の時代では、モノより価値があるのは「選別された情報」である。「価値ある情報」には、その収集と選別にしかるべき費用と人工がかかっている。なおかつその情報は、将来に大きな価値への変貌を秘めている。しかし、その情報を提供しても、その価値や入手の労苦を評価できない人とは、距離を置いてお付き合いすべきだ。それが長い人生で、価値ある人財の集積密度を濃くしてくれる。

 

社会の現実

 1994年に自分の体験記としてまとめた『ミシガン大学セミナー体験記』、『ニューヨーク美術館めぐり』,本書『知的生産活動としての生活VA』の途中原稿等を、これはと思う人に見てもらっている。様々の人の反応は興味深いが、私から見て、これはという人からはそれに相応した反応、手紙、コメントを頂けた。これは相関係数の高い価値ある指標で、人財の価値を再認識させられた。一流の人は一流の審美眼を持っている。またその行動と考え方は美しいものだ。評価高き人財の人脈は大いなる財産であり、壊さないように大事に守っていきたい。心情的にも、人が膨大な精力と金と時間をかけてまとめた情報に、それなりの反応と敬意を示していただけるのは、知的労働に対する報酬として金銭に代えれない嬉しいものだ。

裏切り者

 しかし、反応がないのには・・・。何で「ありがとう」の一言が言えないの? この種の人が意外と多かったのは哀しい現実であった。人の期待を裏切る輩である。それは人生の裏切り者なのだ。なかには、礼一つ言わず「(読むのが)終わりました」と言って返し、私を憤慨させた常識なき若人もいた。まあ情報料を踏み倒す人よりはましではあるが。この類の裏切りもの人種と付き合って、将来得るものはあるまい。だから私はそんなレベルの人に、二度と情報を提供する気が起きない。するだけ時間の無駄であり、不快感さえ被る場合がある。人の好意に対する反応は、将来の人財の蓄積にも影響を与えるものだ。これからの情報化社会では、有形の物品より無形の知的生産財に対する感性を鋭敏にしたいもの。

知識量は関係ない 

 また私から見て、優秀に見える人(高職位、高学歴、有名大学卒、社会的資格のある)が必ずしも価値ある人財でないことが多かったのは、注目すべき事実であった。この反応から見て、常識ある人とそうでない人との棲み分けが明らかで、興味深い事実である名大学を出た人が、必ずしも「信用金庫」としてのAAA に格付される訳ではない・・・・。

人財の価値

 親しくしていただいているH先生の言葉によると、通常の人間の価値の重みづけファクターを1とすると、人の価値は 10-3~10+3 程度に分布するそうだ。つまり、価値ある人は普通より10+3倍も価値があり、逆の場合10-3倍しかない人もいる。だから価値ある馬は、価値のない人間より遙に価値があることになり、賢い馬はそうでない人間よりはるかに賢いとか。この計算式から、価値ある人脈の合計価値が、そうでない多くの人達の合計価値より、はるかに凌駕することは自明である。

 

     n                                m

     Σ(価値ある人脈の価値) ≫ Σ(普通の人脈の価値)

      i=1                               i=1

                      n<m

 

「無財の七施」の功徳

 仏教では、施しによる奉仕が説かれていて、お金のない人にも可能な「無財の七施」が勧められている。

 

無財の七施        『雑宝蔵経』巻6

・ 眼施    目による施し

・ 和顔悦色  笑顔による施し

・ 言辞施   言葉による施し

・ 心施    まごころによる施し

・ 身施    体=労働による施し

・ 床座施   席を人に譲ることによる施し

・ 房舎施   住まいによる施し

 

 私はこの七施以外に、情報化社会にマッチした「知施」を追加定義している。「無財の八施」である。「知施」は、自分の体験したことや考えを文章としての知的生産物で人に施すこと。また情報の伝達、価値ある情報の掲載された雑誌等を進呈することだと認識している。これは直接的にはお金がかからず、無財の八施に合う行為であると思う。ただし、この種の体験にお金がかかった場合には、少々の情報料をいただいている場合もある。

 

知りたることを教えざるは、金を借りて返さざるが如し(お釈迦様の教え)

 

 なお、この八施は私の努力目標で、まだ完全ではない。

Img_64181s

Img_64011s   馬場恵峰書

2020-03-20 久志能幾研究所通信 1508 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

アクセスランキングは大垣市民の怒りを表す

 当ブログのアクセスランキングを掲載します。パソコンの大きな画面では常時、表示されますが、スマホの小さな画面ではこのアクセスランキングは表示されないようなので、ここに参考として掲載します。

 それを表示させるには、別操作が必要の様です。ごめんなさい、私はスマホを持っていないので、やり方の詳細は分かりません。

  現在の累計閲覧総数は、156,207 です。

 小川敏市政に対する分析記事は、何時も上位のアクセスランキングとなっています。2年前、一年前の記事もいまだトップ4、5位を維持しています。

 大垣市政の分析記事を掲載するといつも閲覧数が急増します。それだけ大垣市民が小川敏の行政に怒りを覚え、記事内容に賛同している証しだと思います。

 

アクセスランキング  トップ10  2020年3月20日現在

 ガン利権に悪魔が取りつき、日本のガンを増大

 引き上げられた死体には手がなかった

 偏狂報道「刈谷駅で18歳が鉄道自殺」

 小川敏市長、正気ですか?  (2018年9月10日 掲載)

 小川敏氏は、大垣司令官として失格 (2019年4月24日 掲載)

 私のフリーセックス初体験記

 河村義子先生の葬儀

 親の死の予兆  自分の死の予感

 走る棺桶に乗っていませんか? (改定)

 ピアノ騒音殺人事件 1/3

 

202003201  PC画面

2020-03-20  久志能幾研究所通信 1507 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年3月19日 (木)

小川敏のガイコツと棺桶、大垣没落の原因

ふた七日

 2020年3月15日、馬場三根子先生のふた七日の法要が、馬場恵峰先生宅で行われ、参列をした。参列者は親族以外では、私だけであった。馬場恵峰先生から来て欲しいと言われたので、行かないわけにはいかない。

 新コロナウイルスの関係で、混雑する電車に乗るのが怖かったので、グリーン車で往復した。驚いたことに、米原~京都間が行きは一両が私を含めて2名だけ、帰りは私一人で貸し切り状態であった。京都~博多~諫早は、いつもの半分以下の乗客数であった。新コロナウイルスの影響をまじまじと感じた。

 密集した車内での感染を避けるための危機管理として、グリーン車の利用は合理的だと思う。とにかく九州まで行かなければならなかったのだ。命には代えられない。

 

笑顔の三根子先生

 いつも笑顔が絶えない馬場三根子先生を思い出し、先生宅に掲示してあった「和顔愛語」の軸を入手して帰宅した。顔施は、仏教での七施の一つである。三根子先生は、いつも笑顔で優しい言葉で皆さんに接していたので、皆さんから惜しまれて89歳の大往生が出来たと思う。ご冥福をお祈りします。

 いつもしかめっ面をして、笑顔を見せず、自分を曝け出さず、自己防御している人は、玄関にガイコツと棺桶を飾っているのだと福沢諭吉翁はいう。

 

 顔色や容貌をいきいきと明るく見せることは人間としての基本的なモラルである。なぜなら人の顔色は、家の門口のようなものだからである。広く人と交際して自由に付き合うには、門をひらき入口を清潔にし、客が入りやすくすることが大事である。

ところが、本心は人と交際を深めたいのに顔色に意を用いず、孔子の格言を信じて、ことさら渋い顔つきを示すのは、入口にガイコツをぶら下げ、門前に棺桶を置いているようなものである。これでは誰も近づかなくなる。

                   福沢諭吉翁

 

大垣市のガイコツと棺おけ

 小川敏は、何時もしかめっ面をして、俺はエライいのだと威張っている風に見える。大垣市の恥である。市長は大垣の顔である。大垣市長の不機嫌そうな渋い顔は、大垣市の玄関にガイコツと棺桶を飾るようなものだ。ガイコツ面で19年間も独裁政治をするから大垣市は没落した。いつも渋面の小川敏が大垣を没落させた。そう顔に書いてある。「小川敏は信用できない」と顔に書いてある。小川敏が大垣の歴史に汚点を残した。金のかからぬ笑顔さえできない小川敏は、ケチで大垣の貧乏神であった。だから大垣が没落した。

 令和2年度の公示地価を見ても、他市の公示地価は上昇だが、大垣だけは、また下落で、前年比 マイナス0.55%である。これで小川敏が市長に就任以来、連続で19年間、下落の一途である。地価は市長の行政手腕の通信簿である。市場の評価は神の如く正確である(松下幸之助翁の言葉)。大垣市の価値下落の責任と原因が小川敏の顔にあった。

 

Img_3134sjpg   2011年1月9日 出初式で

  この顔で19年間も君臨すれば、大垣が没落して当然。

Dsc09582s

  寄付を受け取る小川敏。  岐阜新聞 2020年3月12日

 寄付を下々から受け取ってやるのだ、という尊大な顔である。

 下々に寄付をさせても、ニコリともしない。

.

ソ連の笑顔

 ゴルバチョフが1985年にソ連の書記長に就任した時、アメリカ政府には彼の情報がなかった。彼がアメリカと冷戦終結の交渉をするとき、笑顔のゴルバチョフを見て、米国大統領側近の高官が、「あの人なら信用ができる」として、冷戦終結の会議が進展した。ゴルバチョフの笑顔が歴史を変えた。

 ガガーリンは、世界初の宇宙飛行士候補の20名からただ一人だけ選抜された。1961年、彼が世界初の宇宙飛行士として地上に降りたとき、その笑顔が、世界中に配信された。その笑顔がソ連の威信を高めることをソ連の宇宙航空局は知っていた。宇宙飛行士は肉体の頑丈さが必要とされ、過酷な訓練が続く。命がけの訓練である。一歩間違えば死である。その中で、ガガーリンはいつも周りの人を和ませる笑顔であった。いつも笑顔であった。

Bf9fe617  ガガーリンの笑顔

Dsc09581s

  馬場恵峰書

 

2020-03-19  久志能幾研究所通信 1506 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年3月18日 (水)

「病気様」とのご縁を大事に

 病気は、仏様からのメッセージである。己の日常生活が正しくないから、生活習慣を見直せという佛様の聲である。病気というご縁が出来たので、医師の門を叩き、自分の生活の悪行を見直す機会を得たのだ。そうでないと突然死となるところであった。病気様に出会い、自分の生活習慣を見直す機会を与えられたのは、喜ぶべきことである。だから病気は、人生の危機管理として取り組むべきなのだ。

 

病気は火事と同じである。

 まず火を消す、

 火事の原因を見付ける、

 再発防止をする、

 二度と火事が起きないようにする、である。

 それと同じ手順で、病気の対策をすればよい。あるべき姿は、病気を治すのではなく、病気にならない生活を送る、である。

 

 病気は人生の目標がなければ、治せない。医師は治療をするが、治すのは己である。

 

病気への対処手順

1 病気に気配に直視する。

  何かおかしい時は、体に異変が起きている。早めの対処が手遅れを防ぐ。

 

2 対処療法で良いから、まず病気を治す。

 火事になったら、まず火を消す、と同じ。その副作用を覚悟して使う。

 

3 その「火事を消す」ために、病院と医師を選択する。

 現代は、医師も担当が細分化され過ぎて、医師も病気の全体像が見えない。体のことを一番知っているのは、己であることを認識する。

信用できる医師と病院を探すためなら、日本全国を歩く。私は名医を探して、大垣から福山市、久留米市、名古屋市、横浜市にまで足を延ばした。

 

 内科医は、高血圧症に降圧剤を出したがる。高血圧症を治す気はない。高血圧は生活習慣病だから、薬では治らない。

 外科医は、すぐ切りたがる。父は85歳で胃がんの全摘手術をして、1年後に亡くなった。85歳の癌患者に、胃を全摘するのが正しいのか? 全摘手術をしなければ3~5年は生きたと思う。今でも、私は医師が勧めた手術を認めたことを後悔している。父の死後、私が医師にお礼の挨拶をしに出向いたら、面会を拒絶された! それで医師の本性が分かった。

 薬物科の医師は、抗がん剤を出したくて仕方がない。抗がん剤では癌は根治しない。抗がん剤は健康な組織まで、殺してしまう。

 歯科医はインプラントを入れたくて仕方がない。儲かるからだ。

Img_2087s  自宅の燐家の火事

Img_2083s

 自宅の放水による被害 2005年10月28日撮影

 薬とは、火事の火元に放水すると同じで、患部も正常な組織もまでを攻撃する。

 

4 病気の真因を探す。 

 「5回の何故? 何故?」で真因を見付ける。

 真因を探さず、対処療法では、病気は治らないと肝に銘じる。対処療法は病状を一時的に抑えるだけである。それで医師と製薬会社は長期間にわたり儲かる。医師も製薬会社も生活がかかっているから、根本治療をしないとしか思えない。

 

5 病気の原因を取り除く。

  生活習慣病は生活習慣を直さないと治らない。癌も生活習慣病である。それを薬で治そうとすると、別の病気が起こる。薬は基本的に毒である。

 

6 その原因の横展開を考る。

  親が罹患するであろう病気の予備知識を持つこと。私はこれで失敗した。親がかかる病気は自分もかかる。己も親と同じような食生生活を送るからだ。

 

7 病気の再発防止を考える。

  あるべき姿を実現する。あるべき姿は、病気を治すことではない。それはその場しのぎ。火事で言えば、火事が起きない社会の実現である。病気なら、病気にならない生活体制の実現である。それには病気の真因が分からなければ出来ない。

 一日でも早い再発防止を。病気にならない手段を考えるのが、再発防止である。それが一日早ければ、一日早い効果が出る。命は一刻一刻と尽きていく。早く再発防止をせよ。

Photo

 4つの界の図

 

8 病気を研究し、その成果を皆さんに伝授する。

 自分がかかる病気は、世の人もかかる。その治療の過程で知りえた情報は皆さんに伝えるべきなのだ。その利他の行為が、自分を助ける。

知りたることを人に教えざるは、借金をして返さざるが如し(お釈迦様の教え)

 

2020-03-18 久志能幾研究所通信 1505 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年3月17日 (火)

自分株式会社のR&D方針

 自分は自分株式会社の社長である。自分人生の主人公である。自分は研究開発(R&D)部門の取締役である。

 

目的・目標

 自分の人生で、研究・開発すべきことは何か?

 それは何のために開発するのか?

 それが明確なら、有意なパワーとなる。

 

 何の為に生まれてきたのか?

 何のためなら死ねるのか?

 自分の使命は何か? 

 その使命達成の為、何を研究して、何を開発すればよいのか?

 これらが明確でないと研究開発の意味がない。

 それがないと、単なる営業の人生で終わってしまう。

 それでは人として生きた価値が残せない。

 

戦略

 何をやらないか、何にならないかの作戦を立てるのが戦略である。全方位作戦で戦っていたのでは、資源が枯渇する。命とは、自分が此の世で使える有限の時間である。不要な戦いを略さないと、時間はいくらあっても足りない。多くの人は価値なきことに時間を使って、大事なことに使う時間が足りなくなっている。それでは人生の勝利者になれない。恥も外聞も打ち捨てて、人生の大事に取り組め。

 

研究テーマ

 自分は何が出来るか、やって見なければ分からない。ご縁を大切にしてテーマを探せ。

最大のテーマは、運を強くすること

 運を良くすることではない。どんな状況でも沈没せず、運に強くなること。そのためには、見える世界だけでなく、見えない世界を研究にせねばならぬ。

 

開発

 開発とは、無いものを作り出すことではない。今ある能力で、未開発の能力を育成することだ。生まれた天分だけでは、人生は成功しない。天分の才能と心の才能を統合させて、力を発揮すればよい。天分の才能に溢れた人が世界一になれるわけではない。心の才能がないと凡人の力しか出せない。

 マラソンメダリストの有森裕子さんは、天分の体の資質が人並みかそれより劣っていた。しかし彼女の「心の資質」が世界最高であった。だから(その世界では)平凡な肉体的能力で、心の才能を最大に発揮してバルセロナ五輪で銀メダルを獲得した。彼女より天分の才能に恵まれた選手は、誰も彼女の心に勝てなかった。天分の才能は、心の支配下にある。

 私には人に自慢できる天分はない。しかし諦めない執念深さだけは、誰にも負けない自負がある。「諦めないという心」を開発するのも大事である。

 

招き猫のご縁を大切に

 開発は偶然の産物である。その偶然はご縁と執念深さに帰着する。そこで出会ったご縁から発したことを開発すればよい。人生は全て偶然である。今ある己の命も、1億円の宝くじが一億回連続で当たるよりも稀有な存在だ。

 

招き猫に九死あり

 真似気猫は、守破離である。右手を上げ、左手を上げ、両手を上げて目的達成である。最初は伝統を守り、次にそれを破り、最後に「離」で開発成功すればよい。

 招き猫に失敗、挫折は当たり前。一発で前例を破り、うまく行けば、誰も苦労はしない。殺されても殺されても生き返り、九回目に死ぬまでに開発成功すればよい。殺されても、何か掴んで生き返ればよい。野良猫が化けて、招き猫に出世する。招き猫は、手を上げるという行動をとるから、ご縁が頂ける。

 一歩前進、一歩後退、原点復帰、半歩ほふく前進、試してガッテンである。止らなければ何時かは成功する。一度で成功すれば、世の中は全員成功者である。そんなことはあり得ない。自分が成功しなくても、後進、子供・孫がやってくれると信じよう。

Img_4734s   もりわじん作の招き猫

  

ブルーオーシャンで戦う

 レッドオーシャンで過当競争するのでは、費用対効果が少ない。

 私も50年前、団塊の世代として国立大学の受験に失敗して、私立大学に行った。しかし遊ばず、勉強をして特待生を獲得した。私立大学では多くの学生が受験戦争から解放されたとして、皆遊んでいた。そのため少し勉強すれば一番になれた。そこはブルーオーシャンであった。そこで過当競争の愚を知った。学生時代の勉学は、己の基礎能力の開発と学びの習慣づけである。

 

失敗は智慧の貯金と割り切ろう

 「失敗だ! その分賢くなった。それでいいのだ~」とドラえもんになりきろう。失敗するから、智慧が付く。失敗しないのは、挑戦していないからだ。一路挑戦、一生青春。

 

アイデアを大事に育てよう

 荒唐無稽内なアイデアも千回言えば、本物になる。言霊がアイデアを育てる。大人なのだから、夢ある大人のオモチャを入手しよう。玩具がアイデアを育ててくれる。小人(ことな)は、目に見える現金しか信用しない。それでは夢は実現しない。

 

「忍」が開発の要素

 発明家の豊田佐吉翁は、開発に行き詰まると「忍」という掛け軸の前で、何時間もそれを見つめて考えていたという。心に刃を向けよ。安易な気持ちで取り組むから、うまく行かない。自分の怠惰な心を殺せ。「女殺し」より(?)、「自分殺し」のほうがたやすい。

 失敗や困難は、神仏が何かを変えよと啓示を与えている。

 

継続が開発の要

 自己開発は長い坂を登るようなもの。継続こそが、開発成功の要である。

 

 継続も忍も、堅い志が長期間にわたり維持されてこそ開発が成功する。10年後の姿を心のキャンパスに描き続けよう。夢は何時か実現する。夢みたいな話でも、夢を見て、夢を語り続けないと実現しない。

 「久」しく「志」を持ち、「能」を磨き、兆し「幾」を創ろう。

 

生涯現役

 自己開発は、生涯の開発テーマである。長生きしなければ、開発が未完成になる。長生きしても、生涯現役でなければ、生きている価値がない。それは植物人間として、生き永らえているだけ。

 65歳には、64歳では見えなかった己の未開の才能がある。年々歳々日々同じからず。日々好日。65にして64年間の非を知る。

 

健康

 健康でなければ、開発の長丁場は耐えられない。体だけでなく、心がすこやかでなければ、世のための開発はできない。最終目的は、世の中にお役に立つ人間になることだ。

 心が邪だから、サリンを開発してしまう。毒ガスをいくら開発しても、人生は拓かれない「自分には出来ない」という洗脳ガス(サリン)が自分の人生を殺す。自分の運命を拓くのは「私には出来る」という心である。有森裕子さんはそれで銀メダルを獲得した。有森さんの名言「自分で自分を褒めてあげたい」と言う為には、健康でなければその努力も出来ない。死んでもいいから健康管理である。目的達成のために、健康管理である。

039a34451s

   馬場恵峰書

2020-03-17 久志能幾研究所通信 1504 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年3月16日 (月)

「あられもないノーパン性活」で快適

 「あられもない」とは、アラレを食べないこと。

 「ノーパン」とはパン食等の小麦粉を使った食品を止めること

 「性(さが)活」とは、正しい食習慣で活きること。

 

アラレ禁止

 アラレや煎餅は、焼き付き防止で油をひいた鉄板で焼くので、私の場合、血管内のプラーク蓄積防止でドクターストップである。

 

パン食禁止

 パンやお菓子類、ケーキ、うどん、ラーメン、ピザには小麦粉を使うが、その小麦粉にはグルテンが含まれる。小麦粉に含まれるたんぱく質のグルテンは、アレルギー性があり、体調不調を招く。現在、10人に一人がこの不調に苦しんでいるが、多くの人はその原因がグルテンだとは気が付いていない。

 断腸亭日記で有名な永井荷風も、パン好きで、それに含まれるグルテンが彼のお腹を不調にして苦しめ、それが原因で死亡したと推定されている。お腹の不調に悩まされたパン好きの永井荷風も、戦争中はパンが食べられず、それで戦争中はお腹の不調を日記に書いていない。

 グルテンの害が最近、知られるようになって、現在、グルテンフリーという食材まで市販されるようになってきた。各国はその基準値まで定めている。日本でも米粉を使った製品限定ではあるが、平成29年3月に農林水産省からガイドラインが発表された。

 私もパン食をしたときは、何故かお腹がもたれ、苦しい思いをしたことが多い。今になって、グルテンのことを初めて知ったばかりである。

 私は血管内の蓄積したプラークを削減するため、真島先生の指導で食事療法をしていた。それが、僅か10日間ほど、ウィーンに旅行した時、パン食ばかりであったので、帰国後、真島消化器クリニックで診察を受けたら、それまで順調にプラークの厚みが減少傾向であったのに、帰国後はプラークの状況が悪化していた。

 

性(さが)

 人は生きる為、食欲を持っている。その性を正しく理性で制御しないと、病気になる。

 

グルテンとは

 グリアジン + グルテニン = 「グルテン」

 グルテンとは、小麦に含まれている「たんぱく質」のひとつである。小麦粉の中にも、たんぱく質が6~15%ほど含まれていて、そのうちの約85%を占めているのが「グリアジン」と「グルテニン」である。

 

グルテンの弊害

 近年、グルテンの摂取によって体調を崩す方が欧米を中心に増えている。セリアック病は、摂取したグルテンが免疫系を刺激して特定の抗体を産生し、この抗体によって小腸粘膜が損傷してしまうという深刻な病気である。

 小麦に対する遅延性のアレルギーなど「すぐにひどい症状を起こすわけではないが、小麦を食べるとなんとなく調子がすぐれない」という人は、約10人に一人がいるようだ。疲れやすさやだるさ、胃もたれなどの慢性的な不調が、普段食べている小麦の入った食品が原因だった、ということのようだ。 

 

セリアック病

 「セリアック(シリアック)病」は小麦食中心の欧米で年々増加する自己免疫疾患で、グルテンの摂取を原因とする病気の中でも最もひどいものです。昔は数千人に一人の珍しい病気といわれていましたが、患者は年々増え続け、2016年の推計では欧州全体に500万人以上の人がセリアック病であるとされています(英国国立医療技術評価機構調べ)。

 セリアック病の人は体の中でグルテンが分解できず、体がそれを異物と認識して免疫システムが過剰に働くことで、腸内が攻撃されて慢性的な炎症が起こる。 この炎症によって腸が完全に機能しなくなり、栄養吸収障害をはじめとした以下のような様々な問題が出てくる。

 腹痛、腹部膨満感、下痢、脂肪便、便秘、鉄欠乏性貧血、栄養失調、神経障害、疲労感、骨や関節の痛み、発達障害(幼児)

 (症状の出典:デジタル大辞苑)

  グルテンフリー/ノングルテン特集より引用

  https://www.binchoutan.com/gluten-free/index.html

 

小麦アレルギー

 小麦たんぱく(グルテンを含む)は、食物アレルギー物質である。だから食品表示が義務付けられている。セリアック病は自分の体の持つ抗原に対してグルテンが反応して免疫反応が起こす。アレルギーはアレルギー物質に免疫が過剰に反応して起こる。

 

人生は種まき、刈り入れ

 グルテンの弊害は、鬱病、認知症へも発展する危険性があると指摘されてもいる。食生活は、人生をも支配する。

 人生は種まきとその刈り入れの積み重ねである。現在は過去に植えてきた種の収穫をしているにすぎない。良い種もあれば、悪い種もあったはず。病気になったのも、全て今までの悪い食生活の集大成の結果である。人生では最高の事しか起こらない。病気になるような食生活を送ってきた結果である。だから医食同源である。

 それは食生活でも、仕事でも、ご縁でも同じことである。それを人は運命と呼ぶ。だから良き種を蒔かねば、人生が不毛の焼け野原となる。人生は刈り入れたものでなく、どれだけ種まきをしたかである。人生で集めた量ではなく、与えた量なのだ。

 

2020-03-16 久志能幾研究所通信 1503 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

オナラの匂いは佛の聲。佛様を裏切らないこと

悪食でオナラが臭くなった

 

原因

 葬儀に参列して、そこで出た食事、間食を食べたら、いつもは匂わないオナラが急に臭くなって閉口した。その原因は、葬儀場で出たお弁当が、私が食べてはいけない物ばかりであったこと。唐揚げ、イモの天ぷら、カボチャの天ぷら、野菜の天ぷらと見事に全て揚げ物ばかりである。多分、食中毒防止のため、油で揚げた総菜にしているのだと推定した。私には油を使った料理は、血管内のプラーク蓄積防止でドクターストップである。

 火葬場で待ち時間に出る間食等でも、食中毒防止で対策をした食材が多かった。またその場の間食では、私が食べてはいけないお菓子類が出て、ついそれを食べてしまった。食べ始めると美味しいので、ついまた食べてしまう。目の前に美味しいものがあると、誘惑に負けてしまう。だから誘惑に負けないように、自宅には間食の菓子類は置いていない。しかし出先だと、つい油断をしてしまった。

 

結果

 その結果として数日間、オナラが異常に臭くなった。つまりお腹の中で腐敗をしてガスが発生したと推定される。つまり食べてはいけない食材だと、体が教えてくれた。

 

佛の尽力

 動物の体は神秘な存在で、佛さまの如く、体に悪いものを排除してくれる。人間も自然界では動物の一種である。悪いものを食べれば、嘔吐や下痢で、体に取り込まない処置をしてくれる。食材に異常な腐敗臭があれば嗅覚や味覚が異常を検知して、食べないようにしてくれる。

 そこまでの毒性がなければ、体が受け入れてしまうが、腸内で腐敗という現象が起こり、オナラが臭くなるという佛の聲を発する。毒性の低い食材を長期間食べると、体の不調という慢性的な病を発する。異常なものを食べれば、嘔吐、下痢、発疹、発熱等で、体が反応する。だから体の反応を自分の体を守る仏様の聲として、真摯に聴くべきなのだ。

 医食同源で、食べ物は薬にもなれば、毒にもなる。美味しいものには毒がある。美味しいから、つい食べ過ぎる。それも消化が追い付かず、体内に滞在する時間が長くなり、腸内腐敗の元である。食べ過ぎも毒である。くわばらくわばらである。自分の城は自分で守れ、である。死んでもいいが、健康管理最優先である。自分の内なる佛さまが、全力で自分の体を守ってくれているのに、己が毒であることを分かっていながら、美味しいものに目がくらみ、敵を体内に入れては、味方の佛様に対して裏切りである。

 

食の奴隷にならない

 食の奴隷にならないように修行をしたいもの。今のテレビは、食の奴隷への招待CMばかりである。それには毒である食品添加物や防腐剤がテンコ盛りなのだ。それも欧米では禁止されている添加物、防腐剤である。なにせ最近は食中毒など、聞いたことがない。何かおかしくないか。自然の理に反する現象である。食品メーカとお役人は、国民の健康など知ったことではないのだ。それが日本だけが癌が増加する原因である。自分の身は自分で守るしかない。

 

P10702501s   馬場恵峰書

2020-03-15 久志能幾研究所通信 1502 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年3月14日 (土)

自分株式会社の社長心得10則

1 自分という会社を活性化しようと思うなら、今困っていることを一つ一つ解決していけばよい。

     対処療法ではなく「何故?なぜ?」を5回繰り返して、真因を探し、対策を打つ。そうすれば自ずと自分の人生が開ける。

 

2 人生には呼吸がある。その呼吸を大事にしよう。

      幼年期、青年期、壮年期、老年期には、それぞれやるべきことがある。それをきちんとすれば、次の時期に大きな問題は起きない。大きな問題をおこすのは、それをさぼったからだ。

 幼年期に躾を受けないから、大人になって堕落する。

 青年期に勉学をなおざりにするから、正規社員になれない。

 壮年期に仕事を真剣に取り組まないから、老年期に困窮する。

 頭を使わないから認知症になる。

 老年期には、来世の準備をしよう。それが老計、死計である。そうすれば、あの世に逝っても困らない。

 

3 先例がない、だから自分で道を拓く人生を歩むべし。

  小渕恵三元首相は、秘書官に「前例はどうなっているか」とは一度も聞かなかった。

 

4 己の心を管理しよう。

      自分を管理するのは、他人の心を管理するより易しい。自分が自分を制御できなくて、大勢の部下を管理できるわけがない。

 昔勤めた会社には、管理職・役員になってはいけない人が多くいた。反面教師として、人生を教えてもらった。その会社は、当然の如く社会から淘汰された。自分が佛様から淘汰されないように、心の管理を徹底しよう。

 

5 リーダーシップを発揮せよ。

      リーダーシップとは、部下を管理することではない。自分の中に存在する、我儘な自分、利己的な自分、臆病な自分、佛の自分、鬼の自分、それらを統括して、自分の能力を最大に発揮させることである。

    組織は頭から腐る。リーダーシップを発揮しないリーダがトップになると、組織は腐る。腐っている例は、日本の首相、大垣の市長である。それを他山の石として自問しよう。自分は自分株式会社のトップなのだ。自分教の教祖なのだ。自分の人格以上には、自分の人生は高まらない。

6 「YES」は自分だけでしてよいが、「NO」を出すときは、自分の心に刃を向けて、それでいいか、それでいいか、と10回問え。

       それが「忍」である。己の心に刃を向けないと、己は安易な道を選びがちだ。

 

7 自分の徳を明らかにする(明徳)。

  そうすれば、利他の心で動ける。利己に走るから人生の社長業で失敗する。人生では与えたものしか返ってこない。利他は無限の力を出せるが、利己は限定的な力しか出せない。

 

8 自分の中にある潜在意識のもう一人の「主人公」を説得せよ。

      その主人公の固定観念の壁はカチンカチンである。それを壊すのが人生の修行である。その壁は、過去に一日に20回の選択での決断を繰り返し、20 年間もかけて計146,000回も繰り返し押し固められた固定観念の壁である。

 

9 目を拭い、耳を洗って、現実を見て、苦言を受け止めよ。

      甘言で身が亡ぶ。諫言で人が人の中で人となれる。

    耳中常聞逆耳之言(菜根譚)

 つまりトヨタ生産方式でいう「現地現物」である。問題が起きれば、現地に飛ん行って自分の目で確認して、状況を完全に把握せよ、である。それを他人に任せるから、偏向した情報しか入ってこない。だから判断を間違える。

 

10 人生とは、動物として生まれた人が、魂を磨くことで人間になる道筋である。その人生道を精進しよう。

     修行しないと安易な堕落道に堕ちてしまう。

 現代社会は、動物として生まれ、動物のままで死んでいく人があまりに多い。だから日本の成長が鈍化した。自分で修身を学ぼう。

P10506591s 

039a16681s   馬場恵峰書

 

2020-03-14 久志能幾研究所通信 1501 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年3月13日 (金)

記事一覧更新(1500通)

「久志能幾研究所通信」記事一覧を更新します。

 

Google、Yahoo等から特定の記事を検索する場合は、添付の記事一覧ファイルから記事名を探して、「久志能幾 記事名」で検索してください。

例えば、「久志能幾 死ぬまでにやりたい108の夢」で検索すると、一発でヒットします。

閲覧の記事は、添付の記事一覧やカテゴリーから選択して閲覧ください。

 

記事総数は1,500通で、分量としてA4の4㎝チューブファイルで8冊分以上あります。一記事A4版(一行40文字×40列)で2~4頁です。分量が多いので、記事一覧より選択してください。

 

お陰様で、現在の累積閲覧総数は 154,085 です。

エディオンの人気ブログランキングで 6位です。

皆様の閲覧に感謝です。

 

添付ファイル  記事一覧_久志能幾研究所通信1-2019-0313-(1000~1500)

             記事一覧_久志能幾研究所通信2-2019-0313-(1~1000)

_120200313.pdfをダウンロード _220200313.pdfをダウンロード

Dsc094481

2020-03-13  久志能幾研究所通信 1500  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年3月12日 (木)

訃報 春風散華

 2020年3月3日12:00頃、馬場恵峰先生の奥様・三根子先生が心臓発作で急逝された。享年89歳。最期近くまでほぼ現役と変わらない生活をされておられたので、天寿である。

 2020年2月14日、私が帰宅のため馬場先生宅から大村駅まで車で行くとき、お元気な姿でその車に同乗された矢先である。それが最後のお別れとなった。三根子先生が大村駅まで私の乗る車に同乗されたのは、最初で最後のことであった。

 三根子先生は地元の温泉で気持ちよく入浴されていた時に、心臓発作に襲われた。お風呂には時節柄、誰も入浴していなかったため発見が遅れたという。入浴中は、歌を歌われていたという。溺死ではあるが、心臓発作のため水は飲んでいなかったようで、苦しまず逝かれたのがせめてもの救いである。天寿であるが、もう少し長生きして頂きたかった。

 その訃報を聞いて慌てて九州に走り、通夜、本葬、火葬、灰葬、仕上げ、自宅の祭殿へ設営してお参り、翌日に先生宅を再度訪問してお参りと写真を進呈してから、帰宅の途に就いた。

 

撮影担当

 葬儀のお手伝いとして、恵峰先生の依頼で、葬儀の模様の写真撮影を担当した。200枚ほど撮影して、夜にホテルで編集して、葬儀の翌朝、その印画130枚とSDカードを恵峰先生と家族にお渡しした。それで恵峰先生から大層感謝されたのが幸いである。

 これは日頃の恵峰先生の教えから学んだ行動である。いつも先生に揮毫をお願いするとその場で書いて頂ける。先生は「今日、依頼の書を持って帰れば、後日に郵送で送るより、頼んだ人がずっと喜ぶはず」といつも相手を慮かる恵峰先生の行動から学んだことである。だから、私は撮影した翌日に写真プリントを恵峰先生に進呈した。

 当初は、大垣に帰宅後、写真を編集して、地元のカメラ屋でプリントを頼む予定であった。本葬の後、夜ホテルに着いて、先生の教えを思い出し、急遽ノートパソコンで撮影した写真を編集して、翌朝に大村市の「カメラのキタムラ」に行き、そこでプリントをした。SDカードもそこで購入して、先生宅に着いてから、ノートパソコンから直接、コピーをしてお渡しをした。

 

遺徳を偲ぶ

 現在、猛威を振っている新型肺炎の影響で弔問客が少ないかと思いきや、約500人の方がマスク姿でお参りに参列され、生前の遺徳が偲ばれた。

 お葬式とは人生の卒業式である。そこに人との交流の歴史とその人が遺した業績が凝縮される。徳のある人生を送れば、皆から惜しまれて、多くの人が参列し、立派なお葬式をしてもらえる。その例を馬場三根子先生、河村義子先生の葬儀で再確認した。ここ1年間で、私は立て続けに大事な人を三名も失った。それも悲しいが、徳のある偉大な人とご縁があったことを喜ぶべきなのだ。ご縁は偶然だが、別れは必然である。そのご縁がよきご縁であったことを感謝したい。

 書の弟子を代表して黒川雅子さん、明徳塾関係の田舞徳太郎社長、孫の代表が弔辞を述べた。最後に恵峰先生の感極まる御挨拶があったが、私はいずれの弔辞にも感銘を受け、生前の三根子先生の温かさ、徳の高さを再確認した。

 

金で買えないもの

 歳月人を待たず。

 春風秋雨。

 何時までもあると思うな親とカネ。

 出合いは偶然、別れは必然。

 生は偶然、死は必然。

 

 稀有なめぐり合わせで恵峰先生、三根子先生とご縁ができて、今まで13年間、三根子先生を母と思い接してきて、孝行すべきことはやったという思いである。

 私が昨年、癌の手術をしてから9か月間程、体力の関係で先生宅に行けなかった。昨年の10月から先生宅に行けるまで体力が回復した。先生宅を訪問するたびに、三根子先生から「小田さん、今度はいつ来るねん?」と言われる。つい「また来月参ります」と言わざるをえない雰囲気であった。そう言われるのも嬉しいものだ。三根子先生のそばにいると春の風を受けるように温かく気持ちが和むのだ。そのため想定外に旅費の出費がかさんだが、それに応えて毎月顔を出したのが、せめてもの先生孝行であった。

 後から、「あの時、会いに行っておけばよかった」という後悔はないのが救いである。此の世では、いくら金を積んでも買えないものがある。今度はない、何時かもない、今しかないことを改めて教えられた。三根子先生のご冥福をお祈りします。

Photo_2

馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」(久志能幾研究所刊)より

 

2020-03-12 久志能幾研究所通信 1499 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。