人生のキャンパスを照らす灯台
人生は絵に例えられる。白いキャンパスに、どんな絵を描いても自由である。どんなサイズのキャンパスに、どんな絵の具を使い、どんな色を使い、どんな筆で、どういう画風で描くのか、それが人生で問われる。持てる絵の具のチューブのキャップも開けずして、人生を去りたくはない。そのキャンパスに書いた絵は、世にどんな意味を問うのか自問しよう。
同じ風景を見て、同時に描いても、百人百色の人生が描かれる。解釈の違いである。その描いたキャンパスに、その人の人生観が現れる。その人生観を育てるのが親である。その人生を正しく導くのが師(灯台)である。師は人とは限らない。2000年前の書や経典や、時には自然が師となるときもある。自然はいつも声なき経を唱えている。
人生を白いキャンパスに描く行為は芸術と同じである。奥村画伯は100歳を超える長寿で、生涯現役で富士山を描き続けた。100歳のときの「100歳の富士」は有名である。
「芸術に完成はあり得ない。
要は、どこまで大きく、未完成で終わるかである。
1日を大切に精進したい。」(奥村土牛画伯)
SICILIA島 PIAZZA ARMERINA 2011年11月11日
2018-12-06 久志能幾研究所 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
コメント