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2018年1月

2018年1月15日 (月)

ドレスデントリオが離日

 ドレスデントリオは2018年1月7日にセントレアに到着して以来、計4回の公演、4日間のリハーサルをこなして、今朝の1月15日07:40発の国内線ANA767にて、セントレアから成田に向けて飛び立ち、ドイツ帰国に向かった。私は彼らの真摯な音楽に取り組む姿に接して感銘を受けた。岡崎の宇野病院の午後からの金澤澄華さんとのリハーサルでも、聞けば午前中に着いて彼らだけで練習をしていたとか。

 私は、彼らの来日の間、終日、演奏会、リハーサルのお付き合いと写真撮影、ビデオ撮影を担当していたため、ブログ記事を作成する時間がとれなかった。今朝、彼らをセントレアでお見送りして大役が完了した。来日中の各イベントの報告は順次します。

 

演奏ツアーの目的

 この来日中、彼らは短時間の岡崎城見学と少しの買い物以外、全て公演、リハーサル中心のハードスケジュールでした。今回の演奏会では、観客数と会費から飛行機代・宿泊費、ホール代、共演者のギャラ等を計算すると、日本の皆さんによい音楽を聴いてもらいたいという意思がないと採算が合わない演奏会である。金儲け主義なら、ドイツ現地だけで演奏をしていた方が、よほど楽だし儲かる。あえてハードスケジュールで日本の演奏会をこなして頂けた皆さんの音楽に対する情熱に感謝です。

 

せわしない日程

 1月14日の昨夜、八事のレストランChez KOBEにて、ドレスデントリオと金澤澄華さんの来日最後の演奏会が72名の参加者で大成功のうちに21時半に終わった。彼らは二次会も断り宿泊地に帰り、今朝の5時に名鉄金山駅に集合して5時15分の始発でセントレアに向かった。聞けばハイケさんと小出さんは前日のシャンペンのせいか朝4時発を意識して一睡もできなかったとか。私もこの時間には、大垣始発のJRでは間に合わないので、金山のホテルで前泊をした。見送りに来たい女性ファンも多くいたようだが、この時間に金山駅に来る足が無く諦めた人も多かったようだ。彼らは経費節約のため、せわしない日程である。将来はクラッシクを聴く人が増えて、もっと余裕のあるスケジュールになることを期待したい。せっかく海外から来た音楽家に気の毒であった。

 彼らの搭乗手続では、アンドレアスさんの機内持ち込みのビオラケースが、3cm超えとかで、少しすったもんだした。国内線は意外と規則が厳格である。ウフルさんのチョロは、専用の重量級のケースに入れているので、手荷物ではなく預かり手荷物で搭乗をされた。機内持ち込みだと、1席分が必要となり経費が大変なので、この専用ケースにしたとのこと。問題は、移動に「重い!」

 成田行きの国内線ANA便でも、乗り継ぎ国際線扱いのため2時間前の搭乗が必要で、ゆっくりとお茶を飲む時間もなく、彼らは名残惜しそうに手を振りながら検査ゲートに消えた。彼らを乗せたB767は定刻通り駐機場9番を離れ、成田に向けて飛び立った。さようならドレスデントリオ。

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 始発の名鉄急行にて。始発でガラガラ

2p1040290  搭乗検査ゲートから手を振るドレスデントリオ

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 9番スポット。ドアが閉まり、搭乗ブリッジが離れていく。

 時刻表上はこれが離陸 0737

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 駐機場より誘導路へ運ばれる

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 離陸スタート地点に向かってタキシング

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 朝日を浴びて離陸滑走開始 0750

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 離陸8dsc04814 一路成田へ

 2018-01-15

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2018年1月10日 (水)

大垣市政は認知症、日本国も認知症

ローマ帝国の興亡

 歴史を串刺しで振り返ってみる。国民が堕落すると、国も弱体化し、崩壊に向う。まるで国が認知症に罹ったような有様である。現在の日本で認知症患者が65歳以上で15%、グレーゾーンの人を含めると28%という数値は、みほとけからの警告だと思う。ローマ帝国の興亡が大垣市と日本の興亡と重なる。なにせ国民が認知症になるようなお膳立てがテンコ盛りの現代生活である。

 痴呆的テレビ番組の氾濫(見ていて恥ずかしい)。

 殺し合いのテレビ場面の氾濫。

 飽食の流行、グルメ番組の氾濫

 本・雑誌の販売数の減少

 マスコミの堕落、偏向したマスコミの横暴

 フェイクニュースの氾濫、公営放送の偏向

 添加物が多量に入った食品の氾濫

 サプリメント、薬の宣伝の氾濫

 大人の退廃、その後姿を見て育った子供の退廃

 親が子供を殺し、孫が祖父を殺す、子が親を殺す時代

 うなぎ上りの医療費の増大、患者も増大(なにかおかしい)

 スマホばかり見つめて勉強をしない学生の氾濫

 グローバル経済主義教団に騙されて、正規社員になれない若者が増大

 自殺者3万人が10年間も続く

1

2  コロシアムはローマ市民の不満をそらす目的で、格闘技の娯楽を与えるため建造されたと言われる。現代でいえばテレビの代わりである。多くの生贄が殺されるのをローマ市民が熱狂して見物した。末世である。2010年11月撮影

なぜローマ帝国は1000年も続いたのか

1.征服した異民族を受け入れ、その文化を尊重して、統治した。

  自分たちの文化を押し付けなかった。

2.ローマ法律を守るなら征服した異民族にもローマ市民権を付与。

  寛容であった。

3.卓越したリーダーがいた。

4.国民がよく働いた

5.リーダーが自信と誇りを持っていた

6.軍事でハイテクを駆使した(土木工事技術は他の民族を凌駕)

 

なぜローマ帝国は滅んだのか

1.国民が働かなくなった

2.リーダーが自信と誇りを失った

3.防衛は外国人傭兵が主体で、自ら国を守る意欲を失った

4.国土の荒廃と食料自給率の低下

5.産業の空洞化

6.モラルの頽廃

7.経済・財政が悪化

  (関根茂章「ローマ帝国の滅亡が教えるもの」致知2002-5 p51)

 

なぜ大垣は繁栄したのか

1.歴代に君主・戸田公が教育を重視した政治を執り行った。

  君主は自分たちの文化を押し付けなかった。

2.寛容であった。

3.卓越したリーダーがいた。

4.市民がよく働いた

5.リーダーが自信と誇りを持っていた

6.治水を駆使した

 

なぜ大垣は衰退したのか

1.市職員が働かない(イベントでも商店街や下請け業者に丸投げ)

2.大垣市長が人の意見を聞く耳を失った。長期政権で傲慢化。

3.市職員が実務は下請け業者に丸投げ、自分の街の商売を守る意欲を失った。長期政権の為、ヒラメ職員が横行している。

4.市の産業基盤の荒廃とベットタウン化、道路の荒廃、治水の荒廃

5.市の中心商店街の衰退(名古屋のベットタウン化)、駅前のマンション化

  市庁舎だけは立派になる。

6.モラルの頽廃(日本一汚いトイレ、掃除も手抜きで汚い街並み)

  元気ハツラツ市等で、市民の目を逸らすため退廃的出し物氾濫、

  市長名で児童を元気ハツラツ市の金儲けに駆り出し踊らせる。

  元気ハツラツ市をしても衰退するだけで愚かに何年も繰り返す。

  市街地の再開発をするとの掛け声だけで50年も過ぎた。

7.市の財務は良好(治水、道路、教育、文化に投資なしのため)

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 サクラばかりが盛り上がっている元気ハツラツ市

 元気ハツラツ市はローマのコロシアムのように市民の不満をそらす目的なのか

ローマ旅行の経緯

 JALの倒産の因縁で、大垣市ヤナゲンで開催された松本明慶仏像彫刻展(2010年11月)で明慶先生とのご縁を頂いた。その1週間後にローマに飛んだ。JALの倒産のためローマ便のフライト枠が減少して10月に予定していた予約が取れず、旅行が延びたのだ。その3年後の2013年5月に、明慶先生も同じローマに旅たち、私も感激したピエタ像に会い、ホテル「バール・ミケランジェロ」で仏様のお顔を彫刻された。その記録がNHK「旅のチカラ」である。その時の監視役が「魂(オニ)」という舞台設定であった。その「魂(オニ)」が目の前の机の上に鎮座する。これは夢想だにしない展開であった。ローマ旅行は、還暦を迎え、第一の人生の卒業旅行として、そして次の人生のための充電のためのプロジェクトであった。

 

 当初はどこかの国の美術館めぐりをする予定であったが、世界の美術館の大半を、訪問してしまっていることに気づき、別の所を検討して、ローマが浮かんできた。その頃、塩野七生著『ローマ人の物語』全15巻の読破に再挑戦して、読んでいる途中で、5巻目に入っていた。この書は数年前に読み始めて、数巻目で挫折をしていた。定年前の数ヶ月前から、なぜかこの本を読み直す気になって読んでいるところであった。この書は塩野七生氏がライフワークとして、1992年から毎年1冊ずつ書き上げ、15年後の2006年に校了した1000年のローマ帝国興亡史である。この書には、人間の営みの根源的な座標軸が書き込まれている。

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 それに対して、中国にも3000年の歴史があると言われるが、それは単に王朝の興亡があるだけで、一つの帝国の組織的な盛衰、興亡の歴史ではない。『史記』、『十八史略』、『三国志』に記載された国の興亡での人間模様は、身内の裏切り、肉親同士の殺し合いに終始している。ローマ史とは次元が違う。このDNAの伝承が、現代の中国共産党の言動の原点ではないかと思う。

 ローマ帝国は1300年間の繁栄を築いている。歴史上、こんなにも長い間、継続した帝国は他にはない。それが継続した原因の元でも嗅いでみようと、ローマ行きを決めた。

 ローマ旅行をして、ローマにハマった。ローマには全世界の観光資源の40%が集中していて、面白い、の一言で、とても10日間では見終えることはできない。

 次回の旅行のため、『イタリア語のテキスト』、『NHKラジオ・イタリア会話入門講座』のテキスト、『ラテン語の基礎』を購入し、勉強の準備を始めた。ローマの遺跡の碑文のほとんどがラテン語で書かれている。ラテン語の素養があると、ローマの旅は視野が深まる。この旅行で約80万円の投資であったが、それに見合うものを得た。お金は貯めるのではなく、あくまで自己投資として使うものだ。ローマ史を研究すると、その歴史には、人間の営み、会社経営のヒント、自分の人生の歩き方のヒントが多く散りばめられている。

 

2018-01-10

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2018年1月 9日 (火)

ドレスデン三重奏団来日

 2018年1月7日10時27分、セントレアにドレスデン三重奏団が到着した。ドイツ出発時、2時間遅れとの情報が現地からあり、少し余裕をもって出迎えに赴いた。到着時は1時間遅れに巻き返しがあり、ちょうど良い時間に現地に到着してお出迎えが出来た。そうでないと定刻9時20分着だと、飛行場に8時50分には行っていないといけない。

 彼らが乗ったルフトハンザ航空機が着陸して、45分も経ってからやっと到着ゲートから出てきたので、どうしたのかと心配をした。楽器を持参しているので、入国審査に時間がかかったのかも知れない。なお着陸時間とは、飛行機が駐機スポットに着いてドアが開いた時間である。実際に着陸した時間ではない。10分ほどの差がある。

 

浮世絵「鈴木春信展」

 12時01分に名鉄電車で金山に到着して、金山スタジオまで彼らを案内した。14時半まで、彼らも飛行機の疲れを取るため少し休息をすることになった。私は、2時間程、時間が空いたので、金山の名古屋ボストン美術館で開催中の浮世絵「鈴木春信展」があることを思い出し見学した。なかなか、単独では見学に行きにくかった浮世絵展であるが、解説でご先祖・北尾道仙(1734年没)と同じ時代であると分かり、急に親近感を抱いて、当時の風俗を観察することになった。「鈴木春信展」は浮世絵の基礎を作った画家である。そうでなければ行かなかった展覧会である。これもご縁でしょう。

 

音合わせ

 14時半から、金山スタジオにてドレスデントリオは、ピアニスト藤本真美さんと音合わせに取り組んだ。彼らの宗次ホールでの演奏会は1月12日である。私は写真撮影に没頭したが、至近距離3mから聴く三重奏団の迫力は、いまだかって聞いたことがない境遇であった。昔のサロンで演奏された室内楽の雰囲気とは、かくの如しと納得をした。普通の音楽ホールで舞台下の観客席からでは、決して体験できない音であった。

 ピアノは計算されて緻密に作り上げられた楽器である。それに対して弦楽器は糸を張った弦をはじくことで音を出すので、昔から原理が簡単であるが故、多くの楽器が作られてきた。その内でもバイオリンは、体に抱えて自分の体の一部のように演奏する。そのため、今回真じかでバイオリニスト・ハイケさんの音を聞いて、目、口、顔全体の表情、腕、体全体の姿勢の変化から出る音の響きに感銘を受けた。目は口ほどものを言いとは、バイオリニストに当てはまる。4人の会話が、目の合図で成り立ち、演奏が進行している。その音楽の感情が、目、口、顔全体の表情、腕、姿勢の全体から伝わってくる。一音一音を出す姿勢に音楽性を感じた。室内楽で、それも至近距離からバイオリニストを100~400mmズームレンズで撮ると、見えてくる世界がある。

 今回は、ビオラのアンドレアスさんが、位置的にカメラの後面からしか撮影できなかったので、その観察が少し不十分になった。翌日のソプラノ歌手金澤さんの音合わせでは、その配置を変えてくれたので、しっかり音が「観」えた。それは次回にブロブにて報告します。

Sound matching

 From 14:30, at the Kanayama studio, Dresden Trio worked with the pianist Mami Fujimoto for sound matching. The concert at their Munestugu Hall is January 12th. I was concentrated in photography, but the power of the trio to listen from the very close distance 3 m was a situation I have never heard before. The atmosphere of the chamber music with the past played in the old salon agreed me. It was a sound that I could never experience at the ordinary music hall from the audience seat under the stage.

 The piano is a musical instrument which has been calculated and drawn up precisely. On the other hand, string instruments give out sound by flipping strings that stretch threads, so many instruments have been made because of the simple principle since long ago. Among them, the violin is held in the body and played like a part of his body. For this reason, I was impressed with the sound of the sound from the change of the eyes, mouth, the expression of the whole face, the arm, the posture of the whole body, listening to the sound of Violinist Heike on this time. The eye say every things as much as the mouth, it applies to the violinist. The conversations of four people are made up of their eye signs and the performance is progressing. The emotions of the music are transmitted from the whole of the eyes, mouth, facial expressions of the whole face, arms and posture. I felt the musicality in the posture that puts out a single sound. In chamber music, when I take a violinist from a close range with a 100- 400 mm zoom lens, a new world appears I never had seen yet.

 

スケジュール

 1月7日午前に日本着、午後、ピアニスト藤本真美さんと音合わせ

 8日はソプラノ金澤澄華さんとの音合わせ

 9日はピアニスト河村義子先生との音合わせ

 10日は岡崎・宇野病院で演奏会

 11日はピアニスト藤本真美さんと再度の音合わせ

 12日は名古屋・宗次ホールでの演奏会

 13日は大垣・クインテッサホテルで演奏会

 14日は名古屋のレストランChez KOBEで演奏会、

 15日は金山を朝一番の電車でセントレアに向かい、成田に向かう。

 

 今回の来日スケジュールはハードです。音楽家は体力が勝負です。経費削減のため、日程に可能な限り演奏会を詰め込んだ感じである。物見遊山の時間はない。好きでないとできない商売のようです。今回の大垣での公演も協賛金が無いと赤字のプロジェクトです。私もこの大垣演奏会の主催者側の人間である。文化にお金を出す風土を、大垣市も考えて欲しいと切に願う。大垣市は文化活動には金をださない不毛地帯である。それで未来を背負う子供たちが育つのか。仲間達がなんとかせねばならぬと活動している。

 私も今回は、彼らの演奏スケジュールの大半を撮影のために付き合うので、体力的に大変です。そのためこのブログアップが少し遅延することがありますが、ご了承ください。今回、ドレスデン三重奏団とのご縁が出来て私は喜んでいる。

 

1dsc02819 2017年7日10:22 着陸態勢のルフトハンザ航空機 エアバスA340

2dsc02838

2017年7日10:26 駐機場に向かってタキシング

3dsc02848 ドレスデン三重奏団の皆さん  

 左からハイケさん、ウルフさん、アンドレアスさん

4dsc02999_2 音合わせの風景 ピアノは藤本真美さん

5dsc02932 バイオリニスト ハイケさん

2018-01-09

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2018年1月 6日 (土)

人生の基本姿勢

1.なりきる

   しっかり自分を見つめきる。男になりきる、女になりきる。

   統合されたあり方で、志、夢を持って生きる。   

2.やりきる 

        何事も中途半端にやると、画竜点睛を欠くことに

3.捨てきる  

        自我没却  

    小事を侮らず 大事をおそれず。  

    気配り 目配り 心配り

4.生ききる

   生ききるのが生命の責任である。

        ご先祖から頂いた命、その命を全うしてこそ天寿である。

 

 「きる」というのが要点である。中途半端にしか、ならず、やらず、捨てないから、中途半端な成果しか生まれない。人生の成功者になりきることである。己は何に生まれたのか。そのお役になりきらずして、成仏はできまい。優柔不断な己の心を切るのが大切。

 行動は心の発情である。バレエも、己の心の表現である。心の内面を最大限に表せば、腕が、手が、指が、体が極限まで伸びきって、人の動きを最大限に美しく見せる。人生はバレエ舞台なのだ。人生舞台で踊る以上は、美しく踊りきりたい。バレエダンサーになりきらないと、観客の神様を満足させられない。神様を満足させればご褒美がある。

 まず一歩を踏み出そう。それが「為せば成る 為さねばならぬ 成らぬ業を 成らぬと捨てる 人のはかなき」だ。

 

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図2 恵峰書「迷って百年、悟って1日」の言葉に惚れて入手した。

本原稿は、馬場恵峰師の新潟講演会(2017年4月9日)の講話内容をヒントに構成しました。

2018-01-06

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2018年1月 5日 (金)

大垣市衰退の元凶 小川敏大垣行政

日本の痴呆都市行政の典型と退廃

 最初に言葉ありき(マタイ伝による福音書)

 方針が全て(経営の原則)

   人が全て(人生の原則)

 

 大垣市が衰退した原因は、大垣市を衰退に導く方針書「大垣中心市街地活性化計画」であり、間違った市の行政方針であり、行政に「人」がいない、である。その元凶の中心が小川敏大垣市長である。

 

トヨタの再興

 トヨタの中興の祖と言われた石田退三は、乾いた雑巾をさらに絞るとまでいわれるような倹約に務めて金をため、効率向上を人に求めてはならぬと、その金を設備投資に回して、傾いたトヨタを建て直した。その過程でトヨタ生産方式を生み出した。商売人であった石田退三は、豊田佐吉から薫陶をうけ、技術者が伸び伸びと技術開発に取り組める金と環境を整えて、トヨタを「世界のトヨタ」にする環境を整えた。商売人の石田退三はケチだけでトヨタの社長を務めたのではない。その昔、豊田喜一郎が自動車事業を始めるのに、一番大反対をしたのは、その石田退三である。その石田退三がトヨタを再興させた。歴史の心地よい皮肉である。

 そのトヨタが新しい本社ビルを建てたのは、世界一のGMの背中が見えた2005年である。トヨタは2008年に世界一の座になる。それまで、これがトヨタ本社ビル?と呆れるような質素な本社ビルで過ごしていた。

 

大垣の盛興

 歴代の大垣藩主の戸田公は、教育を重視して、人への投資をして、大垣を文化の街、学問の街、中部の交通の要所の都市に育てた。文化として花開いた元禄時代には、俳聖松尾芭蕉が、「奥の細道」の結びの地・大垣にたどり着き、大垣の俳人達と友好を暖めた。明治になって大垣は博士の街として名を全国に名を轟ろかせた。明治初期には、大垣は全国平均の40倍の博士出現率であった。明治時代に日本国体の骨格を作った偉人を多く輩出した。現在でも、350年前に大垣に入城し統治をした藩主の遺徳とご恩を偲んで、毎年、十万石まつりの最初に常盤神社で感謝の神事が行われる。

 

大垣の衰退

 現在の大垣は、文化の街、学問の街として見る影もない。教育、文化に金をケチり、トンチンカンなことに金を使う小川敏大垣市長の責任である。今はやれ祭りだ、元気ハツラツ市だと下品な人集めのお祭りばかりをすることで、市の活性化を目指している。順序が逆である。根を育てれば、花は咲くが、根を育てず、花だけを強制的に咲かせて(祭りばかりの行事を開催)、市のにぎやかさを見せつけているだけである。ますます根が衰退していく。咲いているのはあだ花(他市の業者だけが儲かる)である。

 衰退しいていく状態で、先代が貯めた金(市民税)で小川市長は分不相応な新市庁舎を建てている。トヨタと逆のやり方である。小川市長は節約した金を、未来に投資をせず、自分達の自己満足の宴に使っている。

 

大垣市の惨状

小川敏氏が平成13年に大垣市長に就任してからの負の成果

 この世では最高のことしか起こらない。小川敏市長は、大垣が衰退するような政策をしただけである。下記は、平成11年から平成24年のデータ(大垣市公表データ)。平成29年までの統計を確認すればもっと悲惨なはずである。

駅前商店街のお店数  560店 → 361店    36%減

駅前商店街の従業員数 2,440人 → 1,901人  23%減

駅前商店街の売上   34,656 → 18,048千円  48%減

駅前商店街の売場面積 59,108 → 37,819m2   36%減

空き店舗数      44 → 36店(嘘の大垣市公表データ)

 上記には、「かくれ空き店舗」が集計に入っていない。現在、シャッターを下ろしたお店61%。既に消えたビルのテナントを計算に入れると192店舗中、117店舗が店を閉めた。

 

公示地価の下落   152千円 → 135千円   12%下落

 大垣駅前の高屋町1丁目53番地(平成21年~平成26年)資料岐阜県(p14)

 大垣で一番高い土地がこのテイラク。

             

駅前商店街の商店主へのアンケート調査では5年前に比べて

 顧客数が増えた   3.7%

 顧客数が減った  60.2%

 売上が増えた    3.7%   

 売上が減った   63.0%

 市民の買い物調査では、中心地に買い物に行く頻度が増加したのは36.5%である。つまり残り63.5%は、中心部に買い物に行かなくなった。

 「大垣中心市街地活性化計画」(p17~19、36)より

 

 小川敏氏の本音は、大垣を多くの人が住む街にしたい、と考えていると推定される。そのためには商店街など潰れてしまえ、と思っているようだ。それが「大垣中心市街地活性化計画」の方針書の行間から透けて見える。

 順序が逆で、大垣が繁栄すれば多くの人が住みたいと集まってくる。今は住むのみ見栄えがよい景観だけに投資をして、未来への投資をせず、繁栄とは逆の政策を施行している。この世では最高のことしか起こらない。その結果が小川市政17年間での大垣の没落である。

 

ドラ息子のたとえ話

 たとえ話にすると、養子に入った商人の家のドラ息子が、商売の稼ぎが減ったので、自宅に多くの人が来訪すれば繁盛すると勘違いをして、自宅の見栄えを良くするために家のリフォームをして、自宅で祭りを頻繁に開催して金をばらまき、趣味で人を集めるようにした。それで有名な賞(ユネスコ)をもらったと自慢しているようだ。賞をもらわなくてもいいから、日銭で確実に稼げるような商家にすべきだが、そんなことには頭が回らない。

 その挙句、商売で稼ぐための店舗作りは放置して、親が残した遺産で豪華な大名屋敷のような自宅を建設している。実際に多くの人が来訪するが、客が落とす金は、出入りの業者がそのアガリを持って行っていき、家人が細々と打っている家業の商品の売上は落ちる一方である。来る客人は、貧相なおもてなしに呆れて、二度と来ない。

 商売をせず親戚・知人の人間が家の周りに住むように段取りをするのだが、実質的な扶養家族が増えて持ち出しばかりである。店子として知人が住めば、その家の子供のための学校や保育園の費用も見てあげねばならぬ。盆暮れの費用もいる。商売の邪魔にもなり、家業の足を引っ張る。その家のトイレをみれば、その家の稼ぎがわかる。出すべき金をケチったので、少し雨が降ると家の前の道が水没である。

 今必要なのは商家として稼ぐ手段の再構築であり、投資であり、将来の学力の向上のための勉強への投資である。それは人手がかかり面倒なので、全くやらない。まず店主に周りを説得する手腕が無い。口癖で「子育て日本一」というが、実質的に、他の家と教育に掛けるお金は変わらない。他の家はもっと教育にお金を出している。「子育て日本一」は口先だけの見栄で、針小棒大で自慢しているだけである。その家のトイレは日本一汚いという。

 

大名屋敷は、大垣新市庁舎。

ドラ息子    大垣市長

店子      商店街の店主、大垣市民

稼ぐ手段の再構築  道路整備、治水、人への投資、駐車場整備

扶養家族    駅前のマンション住民

家業      地元の商店街 

出入りの業者  元気ハツラツ市等での県外の露天商

祭り      元気ハツラツ市

トイレの掃除  大垣市の公共のトイレ

家の前の道   室村町アンダーパス、林町アンダーパス

説得する手腕  行政手腕

 

日本の痴呆都市行政の典型と退廃

 これは大垣市だけの問題ではない。日本中の地方都市が抱える問題である。日本の地方都市の行政は、すべて国と市民の税金を無駄使いして、生産性に寄与しない見栄えだけのハコモノ施設を作るばかりである。大垣市の例では、駅前の公園、駅前マンション建設、駅前の子供施設、街路樹の整備、ハコモノ施設、である。その一方で、経済の血路である道路建設、治水、教育は放置である。

 節約と称して、道路や治水、鉄道といった、日本が稼ぐためのインフラに投資をしない。それこそが、日本が衰退した原因である。東南アジアの諸国は、稼ぐためのインフラに投資をして成長している。それは道路、鉄道、空港、港施設である。日本だけが、国土のインフラに投資を止めて経済が停滞している。生産性向上のために投資をしない日本が没落するのは、故あること。大垣市の痴呆行政は、日本中の地方都市のダメなひな形である。これは大垣市だけの問題ではない。市民・国民が目覚めないと日本も大垣市も没落の一途である。

 賛否はあるが、田中角栄元首相が提案した「日本列島改造論」には夢があった。当時は未来への投資をしていたので、日本には活気と成長があった。現在は、節約、投資縮小、稼げない見栄だけのハコモノ建設では、大垣も日本も再生できるわけがない。

 

2018-01-05

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2018年1月 4日 (木)

人生の4つの目標

人は下記の4つの目標を定めないと人生の道に迷う。

・宗教を知る

  信が生まれる。

・文化を知る     

      智慧が生まれ、物事を正しく観られる。

・道徳を知る     

  掟を知り、命を正しくする。

・社会を知る

  定(おきて)を知り、定を正しく運用する。

 

人生での自己表現

 身を殺さず、盗まず、犯さず。口を偽らず、飾らず、二枚舌を使わず。心をむさぼらず、そねまず、過たず。そうして身口意を、全て完遂するのが「智慧」である。人生で自分を磨き、最善を尽くすとは、「忙中に閑あり」である。

 文学は感情の表現で、心情の輝きを表す。工学は数値での感情表現で、技の輝きを表す。音楽は観性の物理的表現で、心の振幅を表す。政治は人の差配の技で、人々に安堵を与える。

 

人間と動物の差

 人間と動物の違いは、精神的な活動の有無の差である。人間として精神の世界を持つかどうかで人生が変わる。飲み食い睡眠だけの生活に堕落すると、動物となんら変わらない。精神的な存在を信じないと、人生の目標など思いもつかない。その精神世界の一つが宗教である。人は坂道に置いた球のような存在である。放っておくと下に転げ落ちる。自戒を持ち、自省をして動物界に堕ちないように、行動の戒めとして方向を定めてくれるのが宗教である。それはどの宗教でも同じである。神も佛も己の心の中におわします。だから私はオダブツ教の教祖である(?)。

 動物界でも支配欲がありその集団のボスの座を巡って壮絶な争いも起きる。しかしボスはその集団の未来を考えて支配するわけではない。単に支配欲、雌の独占欲だけでの世界である。

 最近の世相では、組織のトップになりたいだけで他を押し除けトップに立ち、自分のためだけで経営をして、結果として企業不祥事が露見する事例が多発している。すべて利己主義に起因する。サル山の集団となんら変わらない。すべて経営の目的が、自分の利益慾だけできた咎である。グローバル経済主義の弊害である。

 

目標と手段の混同

 その人生目標を東大に入ることや社長や市長になることを目標とする人がいる。目標と手段を間違えると、その世界は畜生道の世界に堕ちる。大学合格が目標なら、大学に合格後は、遊び惚けるのは必然である。目的が有名大学に入ることにあって、その道の専門知識を学ぶためではなかったのだ。社長や市長になることが目的だと、その経営で目標などは掲げない。経営上で、あるべき目指す姿やビジョンを描けないので、経営でも市の運営でも、成り行き任せで社員や市民のことなど知ったことではない経営や行政となる。まるで大垣市政のように。

 大垣市政を考えると、小川敏氏は市長になることを目標としてきたように思える。大垣市の未来をどうするかは考えていないのだ。だからビジョンがないのだ。

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 馬場恵峰師 91歳  2017年4月9日 新潟での講演会

 

 本原稿は、馬場恵峰師の新潟講演会(2017年4月9日)の講話内容をヒントに構成しました。

2018-01-04

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年1月 3日 (水)

大垣市政の総括と神仏の啓示

天網恢恢疎にして漏らさず

 昨年の2017年4月に、小川敏氏が大垣市長に無投票で再選され、5期目がスタートした。それから、10ヶ月が経ち、新年をむかえたので、その総括をする。

 小川敏氏の二つの抱負とこの1年の大垣市政を顧みて、この反省も自戒もない小川敏大垣市長に、大垣の未来を任せて大丈夫なのかと改めて不安になった、が結論である。これでは、大垣市民は夢も希望もなく、楽しくもない。

 

小川市長の二つの抱負から見えるもの

 小川敏氏が5期目の抱負を2017年4月15日付「広報おおがき」で次のように述べた。「5期目の抱負といたしまして、第一に、地震や風水害といった自然災害などから市民の安全を守れる「安心できるまちづくり」を、第二に、企業誘致の推進や広域観光の促進んだ「元気があるまちづくり」を、第三に、「子育て日本一」の取り組みを一層推進し、子供たちが健やかに育ち、安心して子育てができる「美しく子育てができるまちづくり」の政策を重点に行い、未来につないでまいりたいと存じます。」

 2018年1月1日付「広報おおがき」で、市長の新年の抱負では、2017年に大垣市が起こした不祥事には、全く言及せず、反省もなく、ノー天気に市政百年での展望を述べている。足元を固めないと、未来には進めない。この反省も自戒もない小川市長で、大垣の未来は大丈夫なのかしら?

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 2017年4月15日付「広報おおがき」

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 2018年1月1日付「広報おおがき」

 

「安全なまちづくり」に違法行為

 この半年後の9月に到来した台風21号で、室村町アンダーパスと林町アンダーパスの水没、大垣駅前の高屋町付近の冠水、高屋町交差点地下道の水没で電気回路が破損して封鎖(現在も未復旧)して、大垣市内の交通は麻痺した。小川市政17年間の行政の治水への怠慢が露見した。

 大垣市は、市民の安全を無視した違法なドローンでの菓子まきで、ドローンが墜落して人身事故を起こした。それに対して大垣市は責任を業者に押し付けた。その再発防止には全く言及がない。それでなにが「安心できるまちづくり」なのか。抱負の第一「安心できるまちづくり」が大嘘であることが明らかになった。

3p1090446  2017年10月23日 大垣室村町アンダーパス 水没

4p1040145  現在も閉鎖中 向うが大垣駅。大垣駅前の高屋町地下道の封鎖中。簡易的に電灯を付ければ、臨時的には間に合うのに、それさえしない大垣市。

「元気があるまちづくり」の嘘

 第二で、企業誘致の推進というが、大垣市を南北に縦断する道路整備を長年放置して、朝夕は市内の道路が大渋滞になっていて大垣経済活動の大損失となっている。今回の水害や少しの大雨で、室村町アンダーパス、林町アンダーパスが通行不能になり、大垣市街の南北には唯一の道、国道258号しか通れなくなっている。大垣経済が頻繁にマヒする血路としての道路行政を長年放置している。それでどうして企業が工場を新設する気になるのか。

 広域観光の促進というが、市内の公共トイレは日本一汚いし、大垣城内の武道館は埃だらけで放置したまま、観光の目玉の「四季の路」の案内看板は数か月も鳥の糞で汚れたままだし、新大橋の風情あるランプは錆びだらけ、新大橋の時計の照明は電球が切れても、数年間も放置したまま、大垣観光でひと休みしたり、お土産を買おうにも、お店がシャター通り化して平日は「死の街」だし、入るお店が無い、である。これでどうして広域観光の促進と言えるのか。この平成11年から24年の14年間だけでも、大垣市中心街の商店街で働く従業員の539人が、消えた。大垣市街中心街の商店の売り上げは48%減である。市政17年間ではもっと多い。駅前商店街の半分が店を閉めた。最近は衰退が急速である。駅前商店街の店主の63%がこの5年で売り上げが落ちたと泣く。これでどうして元気になるのか。商店街を寂れさせる元凶の「元気ハツラツ市」で、元気に儲かっているのは、市外、県外の業者と関係者だけである。

 大垣市長は、お役人が快適に過ごせる大名屋敷のような新市庁舎の建設には余念がない。その関連建設業者だけは元気である。

5p1030938  鳥の糞だらけの観光看板が数か月も掃除無し(大垣市・「四季の広場」で)

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 錆だらけのランプ(市の中心地・新大橋)

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 何年も電灯が消えたままの時計台(大垣市新大橋)。クリスマス用のイルミネーションだけはけばけばしい。行政として保全の基本がなっていない。

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 「死の街」のような人通りのない大垣駅前商店街 2017年9月8日14:17

 

「美しく子育てができるまちづくり」の詭弁

 第三に、「子育て日本一」というが、一営利団体の商店街のイベントである「元気ハツラツ市」に行政命令で、幼稚園や小学校の子供たちを日曜日に、金儲けのために駆り出しているのに、どうして子供たちが健やかに育ち、安心して子育てができるか。「元気ハツラツ市」では、多人数のキモイ人達(商店街のおかみさんの表現)の取り巻きがウロウロして、幼い子供への教育上で芳しくないのにも関わらず、である。

 大垣市長は「子育て日本一」というが、市の総予算に占める教育費比率は、刈谷市(21.7%)、関市(14.3%)、彦根市(11.5%)、各務原市(10.0%)、岐阜市(9.8%)の教育予算を比べても、大垣市の教育予算は10.6%で、なんら予算的に優れているわけではない。むしろ劣っている。大垣市長が針小棒大に「子育て日本一」と宣伝をしているのが滑稽である。刈谷市や関市、各務原市の方が、教育には魅力的な予算配分と事業内容である。

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 元気ハツラツ市に駆り出された児童達。幼稚園も小学校も大垣市から予算と人事権で縛られている。日曜日でも要請があれば断れない。児童達の私物化である。

 

天網恢恢疎にして漏らさず

 【天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。(「老子」73章)】

 昨年の、アンダーパスの水没事故、ドローン墜落人身事故は、人の諫言を聞かず頭を下げるのが大嫌いという噂のある小川敏大垣市長に対する天からの警告であると思う。

 「天地は声なき経を唱えける」とは二宮尊徳の言葉である。真摯に、謙虚になれば天の声が聞こえる。頭を高くしていては聴こえない。常盤神社の神事でも居眠りするが如き不敬な姿であった。だから神仏の声は聴こえない。

 行政とは人生の旅と同じなのだ。そこで出会った事故や諫言をどう市政に反映するかで、人生や行政が変わる。行政も人の意見や神仏からの啓示を無視すると天罰が下る。

 市長の任期は2期8年が普通で、3期では長すぎである。それが5期の20年間の市政ともなれば、腐敗と癒着が横行するのが世に常である。何とかして欲しいが市民の声である。

 

2018-01-03

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第五段 生

 生とは天からの授かりもの。生は偶然だが、生あるもの死は必然である。それを象徴して、五重塔の最上段の五段から四段、三段とカウントダウンをして死に向かうことが、五重塔の形と書で人生が表現されている。カウントダウンの音が聞こえる中、我々は何を為すべきか。何を残すべきか。 

 

 親から、ご先祖から頂いた命。何時かは浄土へ返せなばらぬ命である。命とは、自分が此の世で使える時間である。かけがえのない一日、繰り返せない一日、二度とないこの尊い一日を、感謝で生きていきたい。

1f5014k8a99713  釈迦如来像、手前の龍は中尊寺謹製 日中文化資料館蔵(以下同じ)

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 最上段天井の裏面

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4  馬場恵峰書  久志能幾研究所蔵

2018-01-03

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2018年1月 2日 (火)

言霊の力

 最初に言葉ありき(マタイ伝)。言葉には命がある。その言葉に生を与えるのは自分である。言葉が、人生を変える。良きことを思えば、良き人生を得る。悲観的に考え、人や己を呪えば、その言葉の刃は己に向く。誤ったことを宣言すれば、誤った道に進む。それは自己の潜在意識に呼びかけるアルファ―メーションである。

 

言葉が示す通りの人生となる

 私は言葉を大事にすることを信条としている。場面場面で、選ぶ単語に、己の思いが宿る。その思いが最大限表現される言葉を慎重に選んでいる。書名、メールタイトル、書類の題名等は、一言で、己の思いが完全に表現される言葉を厳選している。自分の人生計画書、年度の目標項目、戒めの言葉等で、その効用を実感している。

 

言葉の学び

 前職では、早稲田大学の篠田義明教授から科学工業英語セミナーで言葉の大切さを教えて頂いた。師はテクニカルライティング分野で日本の第一人者である。One word one meaning、核文の大切を教えて頂いた。それがご縁で、ミシガン大学のテクニカルライティング夏季セミナーに2回も参加するご縁を頂いた。文章中の言葉の選定で、角川書店刊『類語新辞典』を紹介してもらい、大きな武器を手に入れた。

 前職では、親会社から出向して来た部長には、書類の一字一句の大切さをしごかれた。メール文で「〇〇様」と書くところを、「〇〇さん」と書いて、「俺をばかにするのか」とド叱られたことがある。それほどに言葉の選択には厳しかった。そういう厳しさがあり、トヨタは世界一になった。

 最近、岩波書店刊『日本語 語感の辞典』を入手して、今までもやもやしていた言葉の使い方が明確になり重宝している。

 

「大垣中心市街地活性化計画」に込めた小川市長の思い

 人は自分が思った通りの人生になる。そうでなくても、それに近い人生を実現することを目指して生きる。その過程で、多くの良きご縁に出会い、成長する。

 大垣市も小川敏大垣市長が思った通りに大垣になってきた。小川市長は、大垣の人口が増え、賑やかな街になるべく言葉遊びに近い「大垣中心市街地活性化計画」を作り、それに沿って実行してきた。誤った計画でも、その誤った方針で綴られた「大垣中心市街地活性化計画」が大垣の未来を縛り、その誤った方針通りに市の未来が実現してきた。その誤った計画書通りに、大垣市は衰退し、この17年間で市の中心地は壊滅状態になり、商店街の半分のお店がシャッターを下ろした。この世では最高の事しか起こらない。大垣が寂れるように小川市政が政策を施したので、結果として寂れただけである。それが逆なら神様が困ってしまう。それは市長が考えた通りの街になった。駅前にはマンションと予備校が林立し、「商店街など潰れてしまえ」としか思えない政策の為、大垣駅前商店街は、どんどんと寂れていって61%がシャッターを下ろした。この5年間で、大垣駅前商店街の63%店主が売り上げが落ちたと嘆く。大垣駅前一等地の公示地価はこの5年間だけでも12%も下落である(岐阜県)。

Photo

 馬場恵峰書「千文字・實語教 智者の言霊」の表紙より

 

2018-01-02

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2018年1月 1日 (月)

人生の五重塔

 明けましておめでとうございます。一年の最初に当たり、一年の計を考える上で、また人間一生の計をも考えるうえで、この文章が皆さまの参考になれば幸いです。本年もよろしくお願い申し上げます。

五重塔とのご縁

 この五重塔の写真を編集する際、恵峰師から五重塔正面に書かれた和歌五句の意味を聞いた。五重塔に込めた師の想いである。平成28年に開催された写経書展の写真集を編集するとき、塔の内部を撮影して驚嘆した。今まで何回もこの塔を見ているが、その気がなく、その言葉の重みに気が付かなかった。その気がないと、あれども見えず、である。五つの和歌は人の一生を象徴する「生・老・病・苦・死」を表していて、第五段から一段へと示される。最上段に生を象徴する釈迦如来像を配置し、第一段の中に浄土を象徴する阿弥陀仏像を安置する。

 

生の和歌

 人にとって生は偶然であるが、死は必然である。その価値ある生を意味あるものにするのもしないのも、全て自分次第である。それを生の叫びとして和歌で詠ったのが、第一ステージの「生」の和歌である。

 「為せば成る 為さねばならぬ 成らぬ業を 成らぬと捨てる 人のはかなき」 何ごとも思わず、第一歩を踏み出さなければ、何事も成し遂げられない。一つの計画にも命があり、生と死がある。その生を殺すも生かすも全て己の意思である。

 

老いを受け入れ

 人間は、父母、所、時を選ばずして、この世に生を受け、生老病死を経て、浄土に旅立つ。人は生きている間に、どれだけ多くのお世話とご縁を頂いたことか。この世で生きていく中で、多くのご恩を受けながら、その恩の認識もせず、またそのお返しもせず、この世を去るのは犬畜生にも劣る。そのご恩に報い、自分を飾らず、ありのままの素直な人間とて散りたいと、第二ステージで「報恩」と良寛和尚の和歌「裏も見せ 表を見せて 散りる紅葉」を詠う。自然は生あるものの生きざまを教えてくれている。紅葉が散るとき、風に吹かれて表も裏も見せながら散っていく。それを己の見っともないことを隠そうとするから苦しくなる。ありのままで散ればよいと良寛和尚は諭す。

 私の昔の上司で、破竹の勢いで出世し我が世の春を謳歌した役員がいた。その役員も女性問題で会社を追われて、別の会社に移ったが、年老いて脳出血で倒れた。女性問題でさんざん泣かされた奥さんが、リハビリのため彼を屋外に連れ出すのだが、惨めな姿をご近所に曝したくないとそれを嫌がり、ついには自宅を売り、地元の別の場所に転居してしまった。老いれば病になるのは自然の摂理。それを受け入れないから、益々不幸になり、周りも不幸にする。

 

人を目指して

 人の一生は「志」を立てないと何も始まらない。「我十五にして学を志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知り 六十にして耳に順う 七十にして心の欲する所に順って矩を超えず」(論語為政編)

 恵峰師の九十年の歩みは正にこのようであった。その人生さえも振り返れば、あっという間で、光陰矢の如しである。

 長い人生で、本物の「人」に出会うことは稀である。まず生を受けた以上、人にならなければ、生きてく価値がない。人は一人では生きていけない。支えあってこそ人である。他人を蹴落としてまでのし上がり、己の強欲を満たすグローバル経済主義や覇権主義は、犬畜生以下の姿である。ライオンでも満腹になれば目の前を行くウサギを追いかけない。その人としてのあるべき姿を「人多き人の中にも人はなし 人となれ人 人となせ人」と第四ステージで詠う。

 

散り際

 どんなに栄華を誇ってもいつかは滅する。生あるもの、死は必然である。どんなに金銀財宝を集めても、あの世には持って行けず、最期は線香の煙となって消えるのみ。「色は匂えど散りぬるを」と第五ステージで、いろは歌は人生の死を詠う。この五重塔の人生の和歌を読むと自分の人生を考えてしまう。今の自分ともう一人の自分を佛の眼で観て、進むべき道を探したい。何のために自分は生まれたのか。どんな人間になりたいのか。何を残して死ぬのか。何のためなら死ねるのか。

 

人生の歩みの記録

 五重塔正面に書かれた人生の和歌を読んで、今まで恵峰師に揮毫をしていただいた蔵書の中から選別をして、それを生老病苦死の順で並べることを思いついた。付き合う人や親を見れば、その人柄が分かる。その人の持つ品物を見れば、その人が分かる。その人の食べるもの、嗜好するものを見れば、出来上がる人間が透けて見える。品物を買う、食物を食べる、とは自分を買う、自分を作りあげる過程をいう。その行動から、自分の姿や未来が見る。商品を値切って(ディスカウント)して買う人がいる。それは自分をディスカウントすること。自分の価値を下げる行動である。自分の価値を高めるものをディスカウントせず、正価で買うのが正しい生き方である。自分の人生を「安売り(ディスカウント)」するのは自殺行為である。良いものにはワケがある。よいものは自分の人生を豊かにしてくれる。この十年余、恵峰師の書画を集めてきて、それを生老病苦死で並べてみると、自分の人生の歩みを垣間見るようである。これは私の人生の五重塔である。

 

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恵峰師とのご縁

 2006年に恵峰師とのご縁が出来てから、10年余の歳月が流れた。師に揮毫して頂いた書は、その当時の私の思いが込められている。多くの書の中からその書を選択するとき、その時の己の心情が表れる。その書画を見るたび、反省と励みがある。師も昔に比べれば、老いを感じさせられるが、筆を持ち演壇に立てば、十年前と変わらない凛とした姿がある。その筆には益々の冴えがある。いつまでも元気でいて頂きたい。

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  2016年12月9日 写経書展での恵峰師  90歳

 2018-01-01

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