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2017年9月

2017年9月26日 (火)

「桜田門外ノ変」の検証 (27)国友鉄砲

 2003年10月、自動車技術会中部支部報『宙舞』のインタビュー記事のため、長浜城内で鉄砲伝来と国友の鉄砲のお話を市立長浜城歴史博物館の太田浩司氏に伺った。その時に印象に残っている話は、「日本のハイテクの要として国友の鉄砲が長浜で栄えたが、産業としては技術進歩もせず衰退して、江戸末期に外国の技術の前に滅亡する」、であった。そこで氏は、井伊直弼公のリーダーシップについて話が及んでいる。それを太田氏は、下記に述べている。

 

鉄砲の育成

 「国友が生れた時は家康という人がいました。技術者だけでは産業にならないのですね。一貫斎は技術を世に普及させたいという企業的な面も多分にあった人間です。気泡もかなり売り込んでいるし、天体望遠鏡をも70両とか60両で大名に売っています。ただ基本は技術者ですから大々的にはできませんでした。あそこで誰かが、例えば彦根の殿様がバックについて、「俺が資金的なことをやるからお前はどんどん技術開発をやれ」というふうに言っていたら、一貫斎を中心に大きな産業に成長していったかも知れません。井伊直弼がいたら違っていたかもしれませんけど、ちょっと時代が数十年違いました。」

(自動車技術会中部支部報『宙舞』2004年54号 P10)

 

歴史のもし

 武器を生産するとは、その防御方法も開発することになる。旧態以前たる防御で、最新の武器で攻めて来る敵を防ぐには、当方も最新の防御が必要となる。いくら井伊直弼公が北辰流の免許皆伝でも、短筒で籠の中に打ち込まれては、手の出しようがない。もし井伊直弼公が鉄砲の生産に政治力を発揮すればとの、歴史上の「もし」を言いたくはなる。

 

国の外は魑魅魍魎

 徳川家康は、戦乱に明け暮れた時代を終焉させ、平和な世を作るため、幕府の仕組みの変更を禁じて265年の治世を維持した。それは一つの成果ではあった。しかし、どんなものにも生老病死があり、体制の死も起こる。その死への備えがないと危機状態に陥る。江戸末期、鎖国をして国体を守ろうとしても、血に飢えた列強欧米諸国が、平和な日本の扉をこじ開けにきた。その対応で日本古来のよき多くのモノを失った。

 その危機状態は今も変わっていない。攻めてくる役者が変わっただけである。近隣には北朝鮮のようにミサイルをぶっ放す国がある。尖閣列島強奪作戦や領海領空侵犯を繰り返す国が存在する。竹島を不法占拠する国が現在も存在する。サヨクは本件を全く非難しない。平安時代でもシナからの侵略を防ぐ防人として、恋人と別れて九州で国を護ってきた先人がいる。性善説は国内ではよいが、対外的には通用しない。足るを知る、利他を愛する高潔な国民は世界でも稀である。きれいごとでは生きていけない。正しい防衛力を持たないと殺される。その国難の大事なことを無視して、ありもしない問題を新聞第一面に掲げて、国難解散を非難する新聞が存在する。自分の城は自分で守れ。最大の敵は、自身の怠慢、身内のサヨクの獅子。何が正しいか、自分の頭で考えたい。魑魅魍魎の跋扈する世界とわたりあうには、自分の価値観をしっかりもつことだ。世には金に飢えたグローバル経済主義者が跋扈している。それを鏡として、日本の役割を考えたい。

 

図1 国友鉄砲の里資料館の掲示板

図2 国友の鉄砲 (国友鉄砲の里資料館)

 

2017-09-26

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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引き出物 白檀のお線香

 お墓の開眼法要の宴席の引き出物として、松本明慶佛像彫刻美術館館長の小久保さんと相談をして、白檀のお線香を選定して皆さんにお贈りした。松本明慶工房で佛像を彫った時に出る削り屑で作られたお線香である。

 今まででも、知人の訃報で香典を出せなかった時、このお線香を後供養として贈るときが多い。皆さんから喜ばれている。

 

佛が宿る木

 お釈迦様は35歳で悟りを開かれた。お釈迦様が歩いてこられると、1里先からよい匂いがしてきてお釈迦様が来られるのが分かったという。インドでは白檀は佛が宿る木として尊重されており、最高の香木とされている。白檀はお釈迦様の香木とされている。

 

人の香り

 私は、文書、声、姿、人相から伝わる香り、匂い、腐臭からその人物の評価をしている。直接、本人に会わなくても、その言動をみれば、おおよそ分かるものだ。目指す生き方として、己の言動から白檀のような良い香りを発散する人間になりたいと思っている。

 

図1 白檀のお線香 松本明慶工房製

 

2017-09-26

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商店街の魅力とは

 魅力とは、人の心を引き付ける、魂をうばう、ハッキリ見ることのできないものの気である。

 商店街の魅力とは、なんとなく惹かれて足が向くお店の集客力である。具体的には、モノを買うにも食べるにも、どれを選ぼうかと迷うのが楽しい。自分の中には答えはない。そこに行って、欲しいものが目の前に出現する。それが商店街の魅力になる。

 

玉宮通り商店街の魅力

 知人の料理長からの紹介で、2017年9月25日の夕刻、岐阜駅前の玉宮通り商店街を視察した。大垣駅前商店街の活性化の参考にするためである。私が学生時代の40年ほど前に歩いた記憶があるが、当時は繊維問屋街で暗い通りであったのがおぼろげに記憶にある。現在は、通りの近辺にその面影があるが、長さ300mに渡り、お洒落な飲食店や魅力的そうなブッティク等のお店が軒を並べている。何処に入ろうかと迷うほどで、歩いていて楽しい雰囲気である。まだ午後5時すぎで、歩いている人は少なかったが、その雰囲気は楽しめた。空き店舗はあるのだが、目障りではない。聞けば開店の希望があってもなかなか、テナントの入手は難しいほど人気だそうだ。

 この商店街は、市と商店街組合が共同して作り上げたという。現在は、柳ケ瀬通りが寂れて見る影もないが、玉宮通り商店街は岐阜駅に直結した飲食店やお洒落なお店の通りで、繁栄している。

 以下、「HP:にぎわいあふれる商店街」の内容を抜粋、編集して商店街再生の経過を記載する。大垣駅前商店街再建を考える上で参考になった。

 

岐阜市玉宮通り商店街の再生

街並み整備とイベント開催で商店街の再生

 商店主を中心とした地域住民がまちづくり組織を結成し、まちづくり協定の締結と街並み整備を推進して、独創的な実験的イベントを開催して再生した。

事業実施の背景

 急激な人口減少と商店街衰退によって駅周辺地域の中心街が空洞化した。かつてはいわゆる駅前通りとして賑わった南北約300メートル(幅員約6メートル)の玉宮通り商店街も、来訪者が激減した。街の再生に向け、地権者とテナントから成るまちづくり協議会を新たに結成した後、ハード・ソフト両面から様々なまちづくりを展開した。行政側も、総合計画における活性化策の一つとして、都心部全体の回遊性の促進と賑わい再生を目指して、支援を行った。

事業の概要と経過

(1)まちづくり協定の締結と街並み整備の推進

 ・街並み整備のルール化による個性的な景観を有する商店街の創出

 ・事前協議システムによる協定遵守の担保

 ・整備費用助成による事業の推進(市による空地整備補助)

(2)新しい社会実験の開催による新しいまちづくりの展開

 ・オープンカフェ社会の試みによるまち情報の発信

 ・落書きクリーンアップキャンペーンの実施

(3)定期的なイベントの開催と販売促進活動の展開

 ・定期的なイベントを開催

事業の効果

(1)魅力的な街並みの整備と個性的テナントの集約

 ・ 1年1件程の頻度で街が更新され全体の約30%が建替わる。

 ・個性的な街並みとなり多種多様なブティックや居酒屋が集積。

(2)イベント開催による賑わい再生

  業種の壁を越えた一体的な一つの商店としてイベントを実施。

(3)都心部の回遊性促進と一体的な発展

  賑わい再生と、駅周辺・柳ヶ瀬地域双方の活性化が図られた。

(4)先駆的な試みによる街の情報発信

  オープンカフェ社会実験等で、恒常的な情報発信を図った。

事業の課題

(1)街並み整備のスピードアップ

  魅力的な街並みの早期実現と建替え活動スピードアップ。

(2)景観協定等の法的拘束力を有するルール化

(3)クルマ排除による歩行者空間化の促進

(4)テナントミックス等も含めた街作り経営への発展

(5)線から面へのまちづくりの展開

  都市部の回遊性促進のため、広域に拡大してより効果的な街作りを促進。

 

にぎわいあふれる商店街:

http://www.chusho.meti.go.jp/shogyo/shogyo/shoutengai77sen/nigiwai/4chuubu/1_chuubu_18.html

 

己の魅力

 友には会うたびに新しい発見がある。知らない側面を見せてくれる。そんな要素を有した人が大きな魅力ある人である。変わらないから魅力がない。老人に魅力がないのは、変わらなくて、変わる気のなくて、頭がカチンカチンで、心身とものに老化していくばかりだから、会っていて楽しくない。

 「男子3日会わざれば刮目して見よ」。なんの努力もなしに、新しい魅力は生まれない。必死の努力をしているから、魅力が生まれ輝くのだ。女性でもお化粧やフィトネスを取り組み、礼儀作法を学ぶから、上品に美しく、蛾が蝶に変身する。いくら美人でも、言動が下品では幻滅である。ガソリーヌのように。

 恵峰師は91のおいぼれではない。会うたびに新しい発見がある。気持ちは青年のようである。先日も、定期検診の国立病院の医師から「頭脳は20歳代」といわれて、医師からうらやましがられたとか。師は毎日、深夜まで作品を書き、精進されている。会うたびに新しい挑戦を見せつけられる。今でも頻繁に外国や国内のあちこちに出かけて、色んなものを仕入れている。それが魅力で、私は毎月、先生宅の九州に飛んでいる。師に会うたびに新しい発見がある。そういう魅力がないと、九州に飛ぶというエネルギーは出てこない。師の姿勢を見習いたい。

 

大垣駅前商店街との比較

 岐阜市玉宮通り商店街に比べて、大垣駅前商店街は活気がなく、飲食店が極端に少なく、お店を選ぶにも選択の余地がない。それも小汚い雰囲気の商店街を歩くのが苦痛である。これでは、商店街が衰退するのも故あること。

 商店街の商店は基本的に中小零細企業である。大企業と違って、人も金もノウハウもない。それで世間の過当競争時代を生き抜くのは至難の業である。それを統括する人や組織がないと、他市の商店街に負ける。それを統括するのを助けるのは行政の力であると思う。商店街が栄えている地区は、行政が力を入れている。長浜市、彦根市、岐阜市等が、その例である。見事に何もしないのが大垣市である。まるで大垣市長が「大垣駅前商店街、死ね」と言っているとしか思えない。そう思っている商店主が大垣駅前商店街には多くいる。大垣市の不幸である。

 

大垣駅前商店街衰退の原因・真因

 その気があれば、岐阜市玉宮通り商店街のように再生は可能である。大垣の人口は他市と違い減っていないのだ。問題は旗を振り、正しい戦略を練る人がいないのだ。上に立つ人にその「気」がないと、とんちんかん政策ばかりで、実質的に見殺しの政策しか実施しない。それが現在の姿である。現状の61%がシャッターを下ろした姿が正しい。そこに為政者の心が全て表れている。

 

対策

 原因は分かれば、対策は簡単である。しかし取り除くと言う実施が難しい。商店街がまとまり、その気にならないと、難しい。現在もお店をたたむ店舗が急増中である。その気も能力もない人がリーダーでは、何をやっても再生は難しい。長期にその座にしがみ付いて、その座を手放さない。それは経営コンサルタントの指導とは、別の次元の話しである。同じよう事例を調査・解析したことがあったが、取り巻きの人物が闇の世界と通じていることが判明して、銀行の支店長の助言で、身を引いたことがあった。この世は理論通りには行かない。

 

図1~11 玉宮通り商店街 2017年9月25日(月)17時30分ごろ

 

2017-09-26

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2017年9月25日 (月)

開眼法要後の粗宴の講話

 開眼法要後の宴席で恵峰先生に法事にまつわる講話をお願いしておいたので、宴席でのお話が知己塾の講話のようになってしまった。想定以上のお話をして頂き感謝です。ためになるお話でお土産話として持って帰っていただいたが、荷物にもならずよき引き出物であった。親戚から、「こんな格調高い法事は初めて」と大変喜ばれた。普通の法事では、大人が酒を飲んでウダを巻く例が多いとか。

 

焼香の作法

 焼香のやり方で正しい方法でする人が極少である。学校でも教えてくれない。ましてや親でさえ知らないのが大半である。焼香を人差し指でつまむ人が多いがとんでもないやり方である。人差し指は、生活の指であり、生きていくためには無くてはならない指である。人を指したりもするし、鼻をほじくったり、指を曲げて稼ぐの泥棒を意味する。親指や小指をまげたのを泥棒とは言わない。悪さをするのは人差し指である。佛様に捧げる香を掴むのにその人差し指を使ってはならない。

 焼香は親指と中指と薬指と小指で香をつまみ、人差し指は添えるだけである。親指はご先祖様、一番長い中指は森羅万象を象徴し、長生きをすべき自分自身を象徴する。薬指は薬と言うように、人生の艱難のときに助けてくれる師を象徴する指である。小指は子孫を象徴する。その4本の指で香をつまみ、生活の指の人差し指をそっと添える。宗派によって焼香の回数は違うが、一回目の香は目の上まで捧げ、ご焼香をする。二度目はそのまま焼香する。

 

自分の人生を表す手

 自分の手は自分の人生を象徴している。ご先祖と、生活手段、指導をしてくれる師、子孫があってこそ人間の人生である。自分とご先祖の業を行うのに、人生の師がそっと後ろで支えてくれている。焼香に己の人生が現れている。どれか一つでも欠けてもよき人生を歩めない。

 

生業に生きる

 正業は生活のお金を稼ぐだけの職業。生業は給与もないし、年金も無い。定年もない。自分の業を生かす生き方をするのが生業である。生きる法を活かす生き方をすればよい。どう生きていくかを、考えながら生きるべきである。死ぬまで現役で生業に生きれば悔いは無い。高速道路の道を走って、走る「法」を知らない人が多い。道路に道路交通法があるように、人生道を走る「法」がある。その法を勉強していないから、人生を誤る人が多い。

 

花と香の意味

 花は邪険の心を清めるために佛前に捧げる。年に一回でよい。お香は貪瞋痴(三毒をいう。貪ること、怒ること、迷い惑って理非のないことの3つの煩悩)を抑えるために焚く。「何も咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ」(道元)とあるように、冬になっても、貪瞋痴を避ければ、いつか春が来る。「なさざれば受けることなし」と道元禅師の言葉がある。貪瞋痴をするから、その落とし前を払わないといけないのである。過食をしたり、暴利を貪ったり、財産を独り占めするから病気や犯罪や家族争いの禍を受ける。怒るからその咎を受ける。人生道に迷うから劫火を受ける。正しいあるべき道を歩めば、迷わない。

 「迷わず あせらず 胸を張って 心にきざんで」道を歩むべし。

 親が知らないから、子が知らない。だから親が勉強して子供に教えなければならない。親の後姿を見て子供は育つ。

 

図1 馬場恵峰師の講話

図2 書道教室の加藤梅香先生の書

   (毎日文化センター・名古屋  1976年ごろ)

 

2017-09-20

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問題と課題: 大垣元気ハツラツ市

大垣駅前商店街にお客が来ないのは問題

大垣を買い物客や観光客が集まるような魅力ある街にするのが課題

 

 元気ハツラツ市を開催して大垣を訪れる人を増やすのは対処療法である。課題を理解せず、本質の解決策を間違えているので、この7年間で、益々大垣駅前商店街が寂れた。元気ハツラツ市には、一日平均36,500人(事務局発表のデータ。その算出方法は大いなる疑問あり)の人出がある。しかし大垣元気ハツラツ市に来る人は、屋台で食い物を買ったり、県外の露店の名産を買う物見遊山の暇人だけである。そのため、昼飯か屋台で食べるだけのお金しか落さず、大垣に来てみたら、シャッターを下した店ばかりだし、街が小汚いから、二度と来たくもないという印象を与えている。

 

7年間の愚行の結果

 7年間で1億2千600万円もの市民税、県民税の血税をどぶに捨てるが如き行事に費やした。その結果は、大垣商店街全体の売り上げが大幅に減り、商店街のお店の閉店は益々増えていくばかり。この3年間でさえ、12軒ほどの店がシャッターを下ろした。大規模小売店のヤナゲンB館のテナントを入れると40店舗近くが閉店した。結果として大垣駅前商店街の大通りに面した店だけでも61%の店が閉店している。潤っているのはごく一部の飲食店のみで、自己満足で悦に入っているは、元気ハツラツ市実行委員会の幹部のみである。元気ハツラツ市での痴呆的バラエティTV番組と変わらない出し物で、大垣の文化レベルを落としている。子供の教育を大事にする親なら、元気ハツラツ市には、行かせないだろう。大垣市は、元気ハツラツ市の痴呆的イベントには血税の金を出すが、未来を背負う子供たちのための芸術活動の支援にはビタ一文出さない。キャラクター人形のショーにうつつをぬかすのは、幼児だけである。大人の幼児化が情けない。知性ある学生は、見向きもしない。

下記データは打つ手が間違っていることを示している。現実が正しい。

 

大垣中心街地商店数推移

 615店舗(1988年) → 419店舗(2007年) 32%減

           → 364店舗(2014年) 41%減

   (大垣市中心街地活性化計画より)

大垣中心街地小売業の年間販売推移(万円)

 34,656万円(1999年)、21,6124万円(2004年)、18,048万円(2012年)  

  この13年間で実に48%減大垣市商工観光課資料より)

大垣市中心部の歩行者通行量

 24,089人(1994年) → 10,160人(2009年) 58%減

   (大垣商工会議所調査)

 

建設的意見を抹殺

 意見を言っても無視されるから、アホらしくて、見識ある人は、元気ハツラツ市実行委員会の運営会議も誰もでないし、出さないように事務局が画策している。それでもまだお役所は目が覚めない。小川市長が聞く耳をもたないのは、もっと大問題である。商店街との意見交換会を提案しても、小川市長は拒否。大垣衰退の原因の本質から目を遠ざけて、真因を探らず、見せかけのお役所的な建前だけの愚かな手を打っている。誰が甘い汁を吸っているのか。

 元気ハツラツ市には、大垣市から1200万円、県から100万円、市商連から300万円、出店料収入200万円、で年間1800万円が使われる。7年間で、1億2千600万円もの市民、県民、市商連の血税を使ったのに、その会計報告もない。どういう基準でタレント事務所の選定をしたかも不明である。合い見積もりも見たこともという。商店街の住民も会計報告を見たことがないという。正規の企業経営ならあるべき、手順とプロジェクトのPDCAが回っていない。当然、その成果報告もない。それは不正の温床となる。

 

問題とは現在、起こっている悩ましい状況。それの解消は対処療法。

課題とは、あるべき姿と現状の乖離で、それを解消するのが、根本療法。

 

 大垣市はトンチンカンな対処療法で、ますます大垣を寂れさせている。今必要なのは、本質を見極めた根本治療である。

 大垣市はいま、駅前商店街沈没中という大火事である。火を消すのも大事だが、それよりも火事が出ないような街にすることだ。それは魅力ある大垣市の建設である。そうなれば、放っておいても人が寄ってくる。

 

図1 問題と課題の違い

   火事を「大垣駅前商店街フエリー沈没」と置きなおしてください。

 

2017-09-25

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2017年9月24日 (日)

100m巻物の事前紹介

 馬場恵峰書「100m巻物」の内容を一部紹介します。私は50年経ったら、この巻物は日本の国宝になると思う。日本史上でも中国でも、この偉業は今後成し遂げられることはないであろう。単に100mの巻物を書いたのではなく、明治の三大書家の一人の書聖日下部鳴鶴をも凌ぐと思う名筆での揮毫である。この100mを連続して書き上げる力量のある書家が今後、出現することは想像できない。この師との出会い、師が240回も中国に行って出会った100m巻物素材との出会い、師の体力、円熟した技量とのご縁、酔狂な私との出会いが揃わないと、決して完成しなかった100m巻物写真集である。

 単に書の写真を撮ってまとめるのが写真集ではない。書を理解して、その美しさをどうそのページに表現するか、書に対しての思いがないと美しい写真集はできない。単にきれいに、見栄えよくスタジオで撮影してページに並べれてできた写真集では、人の心を打たない。そんな写真集を過去に多く見ていて、そんな写真集にはしたくないとして、心魂を込めて作り上げたのが、今回の写真集です。これは後世の子孫に残す日本の魂の宝です。

 今回は限定100部での出版です。ご期待ください。

 

2017-09-24

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カテゴリ「馬場恵峰書の写真集」を新設

馬場恵峰書の写真集に関する情報を掲載します。

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改建墓の開眼法要

 2015年11月29日午前11時より、小田家と北尾家のお墓の開眼法要を執り行った。最初、長松院の本堂にて北尾家、小田家の先祖代々諸精霊への供養の読経を行い、焼香をした。その後、改建したお墓に場所を移して、お墓の開眼法要を執り行った。最初に為写経をした写経を3つの納骨室に敷いた。最終的に書き損じも含めて80枚前後の写経をすることになった。よき人生経験であった。約3カ月間、毎朝斎戒沐浴をしてから1時間、根をつめて写経をすることになり、新たな発見もあった。2017年になって恵峰師から、写経が書写行として佛道の修行の中で、一番の先祖供養になることを教えてもらった。いまにして良き先祖供養をことをしたと思う。後日、写経をしたことで、戒名の間違いが露見して、再度、為写経をすることになり最終的に110枚余の写経をお墓に納めることになった。それもご縁であった。

お墓に添える蝋燭も赤の蝋燭で、お祝いとして赤を使うことを初めて知った。叔母が備えてくれた御餅もお祝いとして紅白の御餅である。この歳になっても知らないことばかりである。この歳になってお墓を作るというご縁を頂いたのも佛縁である。そのご縁で馬場恵峰先生ご夫妻にも同席して頂いたのもご縁である。

 

納骨

 その後、本堂に安置してあった祖母と母の遺骨を骨壷から般若心経が書かれた納骨袋に移し、その納骨袋を各々のお墓の納骨室内の為写経の上にそっと置いた。北尾道仙氏の納骨袋も納めたが、その納骨袋に入れたのは旧のお墓から回収した土で、お骨ではないが、形としてお墓に納めることとなった。以前、学術機関が豪徳寺の井伊直弼公のお墓を学術調査のため調査をしたが、中には何もなかったという。当時の幕末の世情を考えて、本当の遺骨は別の場所に埋葬して、正式のお墓には納めなかったようだ。お墓とは精神的な面が強いシンボルであると思う。事象を見るのは眼ではなく、心が観るように、お墓の存在も己の心が、そのお墓の存在を認めることだと思う。同じ考えで、お骨の無い親族の分は、戒名を住職様に紙に書いて頂いて遺骨の代わりに納骨室に収めた。

 

23年前の母の遺骨と再会

 母の遺骨は23年前のお骨で、当時、全体骨の一部をお墓に入れて、入らない残りが本堂の遺骨安置室に預けられていた。その残りのお骨を今回納骨できることになった。そのお骨は一部黒ずんだ灰色で、23年ぶりに見ることになった。あとで石屋の松居さんから、問い合わせがあって分かったことであるが、当時、大垣の古い設備の火葬場で火葬に付したが、当時はまだ設備の火力が弱くしっかりと焼けていなかったようである。13年前の父の火葬のときは、別の場所に火葬場が移り最新式に更新されていた。この11月3日に従兄弟の勇美子さんの灰葬に立ち会ったが、綺麗な白いお骨であった。火葬の技術も進歩して、時代の流れを感じた。

 

図1 手塚紀洋住職によるご精魂入れの儀式

 

2017-09-23

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2017年9月23日 (土)

人となれ、人となせ人

 今の自分が嫌で、新しい自分に変わりたいと言う人は多い。しかし変われる人は少ない。それは何故そんな自分のなってしまったかの原因を突き止めずして、小手先の手段で変わろうとするから、変われないのだ。人は生まれてから1日20回の決断をして、6歳までに43,800回の決断を繰り返し、人としての思考回路が育つ。6歳までに脳の80%が完成する。そんな強固な訓練をして固まった脳(固定観念)を変えるのは至難の業である。

 

人を磨くのは人

 人は、ダイヤモンドのような素質を持っている。それを磨くのは、人でしかできない。人は、人からもまれて、叩かれて、笑われて、罵倒されてこそ、磨かれて己が持つダイヤモンドに変身する。人は、一人では人になれない。艱難辛苦が人を輝ける人にする。読書が人を育てるように、世間という書物を読み体験することで、人を人にする。

 

角熟を目指す

 人は、神佛を目指してはならない。あくまで人として人になるべきである。神佛は「人ではない」。人が完全無欠の神佛を目指すと、「人でなし」となってしまう。欲を持ち、人としての欠点もあってこそ人である。生きるという欲まで捨てたら、人でなくなる。指導者として欲を持つなら、人格を高める欲を持つことだ。人として人格を極めれば、神仏にはない欠点が人間味となる。円熟ではなく、角張った欠点を抱えたまま長所を伸ばして熟する(角熟)のが人の道である。

 

人として死にたい

 人は、食欲・物欲・性欲だけを求める生き方をすれば、畜生界の存在になり下がる。人なれば、目の前にぶら下げられた餌を自制すべし。今はあまりに美味しすぎる餌が溢れている。自制心をなくしたら、人ではなくなる。グルーバル経済主義の化け物に取りつかれた輩は、死ぬまでに使い切れない財を独り占めにして、99%の他人の生き血を吸って繁殖し、最後は死病に倒れる。いくら財を貪っても、生物である以上は死からは逃れられない。

 人は寝て一畳、立って半畳、食べて一升、死んで残るは灰塚一握である。強欲に走るから、不幸になる。利他少欲であれば幸せである。強欲に取りつかれた死鬼衆としてではなく、人に成長して、人として死にたい。

 

2017-09-23

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「ドレイもん」と「ドラえもん」の闘い

  「ドレイもん」とは、教えられた教義の鎖に繋がれた奴隷のような思考回路の人をいう。自分の価値観が明確でないから「これでいいのだろうか」といつも不安である。「ドラえもん」は、自由な発想で「これでいいのだ」とやったことを自分で自信をもって認める姿なのだ「奴隷もん」にはタモリのような自由な生き方はできない「奴隷もん」が組織の上に立つと、その組織は不幸になる。

 

政界の深層心理学分析

 フリンセスやガソリーヌと称せられる山尾志桜里議員の顔を見て、何か違和感を覚え、またどこかで見たか顔ではないかと頭に引っかかっていた。山尾議員の顔は端正で美形である。しかしその顔にオウム真理教徒の面影があった。何か思いつめたような、それでいて無機質な顔なのだ。まるで洗脳教育を受けて感情を無くしたようにとも思える。その顔は人相学でいう法令が薄かった。それはなるべく感情を表に出さないように訓練をしてきた顔なのだ。それは深層心理学の洗脳教育のためだと思い至った。

 

司法洗脳教育

 彼女は司法試験に7年の挑戦で合格した。その結果は美談のようであるが、心理学的には問題がある。本来、そんな努力をしないと受からない頭の悪い人は司法界に進むべきではない。一発で合格するような特別な才能の人が、その道に進むべきだ。7年の受験勉強は、洗脳教育として、彼女の思考回路に悪影響を与えた。「国家試験のようなものを、5年以上は取り組むべきではない」と、どこかの書で読んだ覚えがある。司法試験は、問題を作る試験官の考え方に合うように、必ずしも正しくはない法律を、司法試験の問題を作る試験官の考えと合うように解釈をすることが強いられる。問題を出した人の思考回路に洗脳されるように、ひたすら過去問題集を解く訓練(修行)をする。それが7年間も続くと、洗脳教育として、カチンカチンの固定観念が作られて、思考が固定される。模範解答以外の考えが浮かばなくなるし、思い浮かべてはならないのだ。(その時代に通用する)法律文面通りの思考をする優秀な頭にはなるが、文面通り以外は考えられない欠陥を持つ思考回路が作られる。なおかつ東大を出て司法試験に合格したことで、ちやほやされ、己もやればできると舞い上がり、優越感が起こり、己は特別な人間だと思うようだ。特別の人間だと己が思い込むと、社会の道徳も超越して生きることが許されたエリートだと考えるのだろう。

 この洗脳教育の成果?が、山尾議員は自分の頭で考えられないので、「これでいいのだろうか」と迷い、議員辞職のつもりが、言うだけ番長に言い含められて、議員辞職を撤回してしまう。いいわけないではないか。それで恥もなく次回の選挙に立候補である。人生道の論理構成が間違っている。豊田議員は、病気と言って入院、記者会見拒否である。謝罪の記者会見も、優等生のマニュアル通りの回答しかできない。臨機応変の機転がないのだ。共に日本の最高学府を出た才女である。頭はいいかもしれないが、世の常識が考えられないように洗脳教育されてしまった。

 

保育園落ちた、日本死ね

 山尾議員は「保育園落ちた、日本死ね」を引用して、安倍総理を国会で攻めたが、「日本死ね」という思想の持ち主に賛同して取りあげること自体に、思考回路に違和感を感じる。それが社会の味方だとの論陣は異常である。それは上から視線で見て、己は偉いのだとの自己洗脳作用が及ぼしているとしか、思えない。

 

合理的な思考だけのオツム

 それの結果が、今回の不倫騒動であろう。常識があれば、ガソリン多額請求事件を秘書のせいにせず、管理監督不行き届きで責任をとるべきだ。自分の置かれた立場で、マスコミに狙われることを考えないというお粗末な行動は、目を覆うばかりである。東大を出て、司法試験にだけは受かったアホである。司法試験だけが受かる能力しかない欠陥人間となった事例である。合理的に考えられるとは、合理的にしか考えられないのだ。東大出での豊田真由子議員も同じ思考回路である。すべて、東大を出て己は偉いのだとの洗脳教育を受けたのだ。そう解釈すると、かの政治家どもの非常識な言動の疑問が氷解する。

 

私の受けた洗脳教育

 私は宮仕えの会社生活で、長年、会社の価値観の洗脳教育を受けたことになる。日本人の大分部分がそうであるはずだ。定年後は、その束縛から解放されて自由な発想ができることは嬉しいことだ。川柳の「今日からは 黒をクロ と言い」のような世界からの解放である。それこそタモリの生き方で、「これでいいのだ」と思うことだ。そう思わないと自分を追い詰めて、自分を地獄に落としてしまう。

 電通の自殺をした東大出の若い女子社員は、電通の洗脳教育に染まったのだろう。「ドラえもん」の「これでいいのだ」というおおらかな考え方があれば、死ななくてよかったのにと、残念に思う。会社の成果など、己の命に比べれば軽いもの。

 

性格の形成

 人は一日に20回の決断をするという。20年で、20回×365日×20年で146,000回の思考訓練をうけることになり、その思想と性格が固定される。それが人格・性格の形成である。それは固定観念と言われる。精神科医のエリックバーン博士(1910年~1970年)は、この理論をもとに「対人交流」という理論を立てた。これは子供の頭の形成過程での話しであるが、大人でも、回りから頭をさげられて長年を過ごすと、同じ洗脳教育を受けるのと同じ効果があると推定される。

 

市長17年間という洗脳教育

 小さい組織の長として17年間も君臨すると、誰もそのリーダーに本当のことは言えなくなる。反対もできなくなる。リーダーが人格者なら、そうはならないが、自分がお山で一番偉いと思い込みの洗脳教育を自分に課した人間では最悪の結果となる。日々、部下がかしづいて、仕事が回るので、己は一番偉いのだ、との洗脳教育を繰り返し受けることになる。ヒラメの取り巻き役人も、市長の顔色を見て、言葉の匂いでやるべきこと、やらなくてもいいこと、やってはならないことを本能的に嗅ぎ分けて対応する。それが市民にとって、不幸せになる政策でも知ったことではない。ヒラメは己の保身が最優先である。民間企業の市場原理は働かない。だから多選の弊害が目に付き、多選を禁ずる法案が検討されている。見識ある人は、己が多選にならないように身を引くものだ。

下図は固定観念のイメージ図。表に出る言動は、氷山のように内部の1割である。

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2017-09-23

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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